32 / 33
第32話 プラチナ
しおりを挟む
あれは——。
むわりと熱がわだかまり、息苦しささえ感じる薄暮の雑踏の中、遥は行き交う人々のあいだからチラリと見えた人影に目をとめた。軽やかな足取りで縫うように進んでその背中を捉えると、飛びついて肩を抱く。
「おわっ!」
そんな声を上げて前につんのめったのは、富田だ。
彼は怪訝に振り向き、至近距離で遥と目が合うと小さく息をのんだ。その一瞬で傍目にもわかるくらい顔が紅潮するが、すぐに気持ちを静めるようにそっと呼吸をして、口をとがらせる。
「おまえな、こんなところで何するんだよ」
「富田の背中を見たら驚かせたくなって」
遥はふふっと笑う。
こんなふうに後ろから自然に富田の肩を抱くことなど、昔はできなかった。精神的な話ではなく物理的な話である。富田より背が低く、十センチほど差をつけられたときもあったのだ。
だが、あきらめかけた高校三年生のときに成長期が訪れた。男子にしては低めの身長をひそかに気にしていたので、富田はともかく、男子の平均身長を超えたことは率直に嬉しかった。
それまではずっと双子の妹である澪と同じくらいだった。男女の違いがあるのに、顔だけでなく背格好までよく似ていたのだ。富田がいまでも二人を重ねて見ているのはそのせいである。
「じゃ、行こうか」
遥はぽんと背中を叩いた。
まんまと驚かされてしまったことがくやしいのだろう。富田はじとりと恨めしげに横目で睨んでいたが、それでも遥に促されると素直に歩き出す。その頬はまだほんのりと熱を帯びているように見えた。
二人が向かう先は同じである。
仕事のあといつもの店で飲もうと約束していたのだ。予約時間ちょうどに着くと、落ち着いた雰囲気をまとった壮年の男性店員に、あたりまえのようにいつもの個室へと案内された。
都心の夜景が見渡せる二人がけのソファに並んで座り、メニューに目を通す。この個室には間接照明しかないため、近づかないと読みづらく、必然的に寄り添うようなかたちになる。
「ねえ、シャンパンをボトルで頼んでいいかな。富田と一緒に飲みたいんだけど」
「俺は何でもいいぜ」
過去の経験上、聞くまでもなく彼がそう答えることはわかっていた。店員を呼び、先日ホテルで七海と飲んだシャンパンの銘柄を告げる。ついでに料理もいくつか適当に頼んでおいた。
「何かいいことあったのか?」
店員が出て行くと、富田が不思議そうに問いかけてきた。
シャンパンのボトルを頼んだことは何度かあるが、いずれも誕生日や就職祝いなど何かしらの名目があったので、今回もそうだと考えたのだろう。まあね、と遥はふっと微笑を浮かべて肯定する。
「実は、七海と結婚することになったんだ」
「えっ?」
驚くのも当然である。数年にわたって七海にふられ続けたあげく、完全にあきらめざるを得ない状況に追い込まれたことを、彼は知っているのだ。我にかえると心配そうにおずおずと尋ねてくる。
「無理強いしたわけじゃないよな?」
「もちろんだよ」
先日、武蔵にもほとんど同じことを言われたなと、遥はひそかに苦笑する。この急転直下では疑われるのも仕方がないだろう。ただ、富田はその返事を聞くなり素直に信じたらしく、安堵の息をついていた。
「乾杯」
冷えたシャンパンを二つのグラスに注ぎ、富田と乾杯する。
芳醇で濃厚な香りを楽しみながらグラスを傾けると、喉の奥がカッと熱くなるのを感じた。今日は酔いつぶれるわけにはいかないので、飲み過ぎないよう気をつけなければと思う。
「で、どうやって七海ちゃんを説得したんだ?」
「ああ……」
もともと隠す気はなかったので正直に話していく。もちろん拉致事件に関しては全面的に伏せたし、七海を強引に抱いたことも割愛したが、話し合いの要点はおおまかに伝えたつもりだ。
聞き終わると、富田はゆっくりとソファにもたれて息をつく。
「お互いに言葉が足りなかったってことか」
「何年もすれ違ってたかと思うとくやしいよ」
「……でも、よかったな」
寄り添うような優しい声だった。
遥はきらめく都心の夜景に目を向けたまま、つられるように、安堵するように、ふっと表情を緩めてありがとうと応じた。そして一呼吸おくと、すこし真面目な顔になって言葉を継ぐ。
「富田には本当に感謝してる」
「俺は別に何もしてないけど」
「協力してくれただろう?」
掲げた左手の薬指には、すっかり馴染んだシンプルなプラチナリングが輝いていた。そして富田の左手にも——彼はそこに目を落とし、その存在を確かめるようにそっと右手の親指で触れた。
「俺はただ指輪をはめてただけでしかないけど、おまえが一途に想いつづけた相手と結婚できるなら、この八年が報われたような気がするよ」
そう、八年だ。
大学入学後、女子にまとわりつかれてうんざりしていた遥に、澪が思いつきで突飛な提案したのが始まりである。それを聞いて、遥は嫌がる富田に面白半分で協力させてしまった。まさか八年も続けることになるとは夢にも思わずに。
「やっぱり本当はつらかったよね?」
「いや、そうじゃないけど……」
「人生のいい時期が台無しになったし」
「俺はそんなこと思ってないからな」
あわてて訴える彼に、遥は横目で淡く微笑んでシャンパンに口をつける。
自由恋愛する権利を奪われたうえ、同性愛者だと陰口をたたかれたり、遥と別れてほしいと詰め寄られたり、ときには不条理な暴力をふるわれたりと、偽装恋人など彼にはデメリットしかない。
だが、いくら終わりにしようと提案しても受け入れようとしなかった。それどころか逆に続けようと説得してくる始末である。遥はその自己犠牲的な優しさにただひたすら甘えてきたのだ。
「ほんと富田ってお人好しすぎるよね」
「別に、おまえが思うほどじゃない」
「八年も付き合ってくれたのに?」
「……俺がそうしたかったってだけだ」
「そういうことにしておく」
遥が軽く笑うと、富田はどこかきまり悪そうな面持ちで目をそらし、グラスに残っていたシャンパンを一気にあおった。遥はワインクーラーに冷やしてあったボトルを取り、空のグラスに注ぎながら言う。
「富田は何か困ってることない?」
「ん、今のところは特にないけど」
「何かあったら遠慮なく言って」
「ああ」
富田は曖昧にはにかんで答えた。
彼の捧げてくれた八年は決して安くない。本当は相応の対価を支払うべきだと思っているのだが、彼はどうしても受け取ろうとしない。友情を金で買われるようで抵抗があるのだろう。
だから彼と同じような方法で返すしかないのだ。頼まれたらどんなことでも可能な限りきくつもりでいる。ただ彼の性格上、あまり遥に迷惑をかけるようなことは望みそうにない。
彼の八年に見合うだけのものはなかなか返しきれないだろう。それでも親友としてのつきあいを続けていくなかで、自己満足でしかないが、すこしずつでも返していけたらと思っている。
注ぎ終わると、ボトルをワインクーラーに戻してソファに座り直す。それを待ち構えていたかのようなタイミングで、富田は無造作にテーブルに手を置いたまま、ちらりと横目を向けて尋ねてきた。
「指輪、外さないといけないんだろ?」
「そうだね」
七海と婚約したからといって勝手に外すのも失礼なので、今日、富田に報告してから外そうと思っていた。当然ながら富田にも外してもらう必要があるのだが——。
「僕が外すよ」
「えっ?」
信用していないわけではない。
外してと頼むだけなどあまりにも薄情な気がしたのだ。自分のわがままで八年も嵌めさせた指輪を、自分のわがままで外してもらうのだから、自分が関わるのが筋だろうと結論づけた。
彼の左手を取り、様子を窺いながらそっと自分のほうへ引き寄せる。明らかに戸惑っているが抵抗する気はないようだ。薬指の指輪をつまみ、すこしずつずらしながら慎重に引き抜いていく。
外れた——関節で若干もたついたものの、さほど苦労することなくきれいに抜くことができた。そのプラチナの指輪を夜景にかざすように眺めてから、シャンパングラスの足下に置く。
そうして一息つくと、今度は自らの左手をすっと彼のまえに差し出した。
その意図を理解したのだろう。彼はごくりと唾を飲み、壊れ物でも扱うかのように優しく手を添えると、プラチナの指輪を丁寧に引き抜いた。それをもうひとつの指輪にそっと寄りかからせる。
繊細な泡のはじけるシャンパンの下で、一対の指輪はろうそくの灯りを受けてやわらかく輝いた。とても偽装とは思えない雰囲気だ。説得力を求めてプラチナにしたことが功を奏している。
「ふたつとも富田にあげるよ」
「えっ?」
虚を突かれたように、彼は目をぱちくりさせて振り向いた。
遥はくすりと笑うと、当惑している彼の左手をもういちど掴み寄せて、外したばかりの二つの指輪をその手のひらに落とした。カチン、とプラチナがぶつかりあって硬質な音を立てる。
「持っててもいいし、捨ててもいいし、売ってもいいし、好きにしてくれて構わない。売ればお小遣いくらいにはなると思う」
「…………」
黙って話を聞いたあと、富田はゆっくりと手の中にある指輪に目を落とし、そのまま固まったように動かなくなってしまった。
「富田?」
怪訝に思い、声をかけて覗き込もうとする。
その動きを察知してか、彼は何でもないのだとアピールするかのように、どことなくぎこちない笑みを浮かべて顔を上げた。手のひらに置かれていた二つの指輪を握り、その手を軽く掲げる。
「もらっとくな」
そう言い、ごそごそとスラックスのポケットにしまった。
感傷的になってるのかな——遥はシャンパンに口をつけながら横目を向けて、思案をめぐらせる。八年も続いたことが終わるのだからわからないでもない。片時も外さなかった指輪にも愛着を感じているように見えた。もしかしたら友情の証のように捉えているのだろうか。
「指輪がなくても僕たちは変わらないよ」
「……ああ」
目が合うと、富田はうっすらと笑みを浮かべて頷いた。
二人はあらためてシャンパングラスを掲げて乾杯する。いつまでも変わらない友情を誓って。そのどちらの手にもくっきりと残っている指輪の跡が、消えてなくなってしまっても。
むわりと熱がわだかまり、息苦しささえ感じる薄暮の雑踏の中、遥は行き交う人々のあいだからチラリと見えた人影に目をとめた。軽やかな足取りで縫うように進んでその背中を捉えると、飛びついて肩を抱く。
「おわっ!」
そんな声を上げて前につんのめったのは、富田だ。
彼は怪訝に振り向き、至近距離で遥と目が合うと小さく息をのんだ。その一瞬で傍目にもわかるくらい顔が紅潮するが、すぐに気持ちを静めるようにそっと呼吸をして、口をとがらせる。
「おまえな、こんなところで何するんだよ」
「富田の背中を見たら驚かせたくなって」
遥はふふっと笑う。
こんなふうに後ろから自然に富田の肩を抱くことなど、昔はできなかった。精神的な話ではなく物理的な話である。富田より背が低く、十センチほど差をつけられたときもあったのだ。
だが、あきらめかけた高校三年生のときに成長期が訪れた。男子にしては低めの身長をひそかに気にしていたので、富田はともかく、男子の平均身長を超えたことは率直に嬉しかった。
それまではずっと双子の妹である澪と同じくらいだった。男女の違いがあるのに、顔だけでなく背格好までよく似ていたのだ。富田がいまでも二人を重ねて見ているのはそのせいである。
「じゃ、行こうか」
遥はぽんと背中を叩いた。
まんまと驚かされてしまったことがくやしいのだろう。富田はじとりと恨めしげに横目で睨んでいたが、それでも遥に促されると素直に歩き出す。その頬はまだほんのりと熱を帯びているように見えた。
二人が向かう先は同じである。
仕事のあといつもの店で飲もうと約束していたのだ。予約時間ちょうどに着くと、落ち着いた雰囲気をまとった壮年の男性店員に、あたりまえのようにいつもの個室へと案内された。
都心の夜景が見渡せる二人がけのソファに並んで座り、メニューに目を通す。この個室には間接照明しかないため、近づかないと読みづらく、必然的に寄り添うようなかたちになる。
「ねえ、シャンパンをボトルで頼んでいいかな。富田と一緒に飲みたいんだけど」
「俺は何でもいいぜ」
過去の経験上、聞くまでもなく彼がそう答えることはわかっていた。店員を呼び、先日ホテルで七海と飲んだシャンパンの銘柄を告げる。ついでに料理もいくつか適当に頼んでおいた。
「何かいいことあったのか?」
店員が出て行くと、富田が不思議そうに問いかけてきた。
シャンパンのボトルを頼んだことは何度かあるが、いずれも誕生日や就職祝いなど何かしらの名目があったので、今回もそうだと考えたのだろう。まあね、と遥はふっと微笑を浮かべて肯定する。
「実は、七海と結婚することになったんだ」
「えっ?」
驚くのも当然である。数年にわたって七海にふられ続けたあげく、完全にあきらめざるを得ない状況に追い込まれたことを、彼は知っているのだ。我にかえると心配そうにおずおずと尋ねてくる。
「無理強いしたわけじゃないよな?」
「もちろんだよ」
先日、武蔵にもほとんど同じことを言われたなと、遥はひそかに苦笑する。この急転直下では疑われるのも仕方がないだろう。ただ、富田はその返事を聞くなり素直に信じたらしく、安堵の息をついていた。
「乾杯」
冷えたシャンパンを二つのグラスに注ぎ、富田と乾杯する。
芳醇で濃厚な香りを楽しみながらグラスを傾けると、喉の奥がカッと熱くなるのを感じた。今日は酔いつぶれるわけにはいかないので、飲み過ぎないよう気をつけなければと思う。
「で、どうやって七海ちゃんを説得したんだ?」
「ああ……」
もともと隠す気はなかったので正直に話していく。もちろん拉致事件に関しては全面的に伏せたし、七海を強引に抱いたことも割愛したが、話し合いの要点はおおまかに伝えたつもりだ。
聞き終わると、富田はゆっくりとソファにもたれて息をつく。
「お互いに言葉が足りなかったってことか」
「何年もすれ違ってたかと思うとくやしいよ」
「……でも、よかったな」
寄り添うような優しい声だった。
遥はきらめく都心の夜景に目を向けたまま、つられるように、安堵するように、ふっと表情を緩めてありがとうと応じた。そして一呼吸おくと、すこし真面目な顔になって言葉を継ぐ。
「富田には本当に感謝してる」
「俺は別に何もしてないけど」
「協力してくれただろう?」
掲げた左手の薬指には、すっかり馴染んだシンプルなプラチナリングが輝いていた。そして富田の左手にも——彼はそこに目を落とし、その存在を確かめるようにそっと右手の親指で触れた。
「俺はただ指輪をはめてただけでしかないけど、おまえが一途に想いつづけた相手と結婚できるなら、この八年が報われたような気がするよ」
そう、八年だ。
大学入学後、女子にまとわりつかれてうんざりしていた遥に、澪が思いつきで突飛な提案したのが始まりである。それを聞いて、遥は嫌がる富田に面白半分で協力させてしまった。まさか八年も続けることになるとは夢にも思わずに。
「やっぱり本当はつらかったよね?」
「いや、そうじゃないけど……」
「人生のいい時期が台無しになったし」
「俺はそんなこと思ってないからな」
あわてて訴える彼に、遥は横目で淡く微笑んでシャンパンに口をつける。
自由恋愛する権利を奪われたうえ、同性愛者だと陰口をたたかれたり、遥と別れてほしいと詰め寄られたり、ときには不条理な暴力をふるわれたりと、偽装恋人など彼にはデメリットしかない。
だが、いくら終わりにしようと提案しても受け入れようとしなかった。それどころか逆に続けようと説得してくる始末である。遥はその自己犠牲的な優しさにただひたすら甘えてきたのだ。
「ほんと富田ってお人好しすぎるよね」
「別に、おまえが思うほどじゃない」
「八年も付き合ってくれたのに?」
「……俺がそうしたかったってだけだ」
「そういうことにしておく」
遥が軽く笑うと、富田はどこかきまり悪そうな面持ちで目をそらし、グラスに残っていたシャンパンを一気にあおった。遥はワインクーラーに冷やしてあったボトルを取り、空のグラスに注ぎながら言う。
「富田は何か困ってることない?」
「ん、今のところは特にないけど」
「何かあったら遠慮なく言って」
「ああ」
富田は曖昧にはにかんで答えた。
彼の捧げてくれた八年は決して安くない。本当は相応の対価を支払うべきだと思っているのだが、彼はどうしても受け取ろうとしない。友情を金で買われるようで抵抗があるのだろう。
だから彼と同じような方法で返すしかないのだ。頼まれたらどんなことでも可能な限りきくつもりでいる。ただ彼の性格上、あまり遥に迷惑をかけるようなことは望みそうにない。
彼の八年に見合うだけのものはなかなか返しきれないだろう。それでも親友としてのつきあいを続けていくなかで、自己満足でしかないが、すこしずつでも返していけたらと思っている。
注ぎ終わると、ボトルをワインクーラーに戻してソファに座り直す。それを待ち構えていたかのようなタイミングで、富田は無造作にテーブルに手を置いたまま、ちらりと横目を向けて尋ねてきた。
「指輪、外さないといけないんだろ?」
「そうだね」
七海と婚約したからといって勝手に外すのも失礼なので、今日、富田に報告してから外そうと思っていた。当然ながら富田にも外してもらう必要があるのだが——。
「僕が外すよ」
「えっ?」
信用していないわけではない。
外してと頼むだけなどあまりにも薄情な気がしたのだ。自分のわがままで八年も嵌めさせた指輪を、自分のわがままで外してもらうのだから、自分が関わるのが筋だろうと結論づけた。
彼の左手を取り、様子を窺いながらそっと自分のほうへ引き寄せる。明らかに戸惑っているが抵抗する気はないようだ。薬指の指輪をつまみ、すこしずつずらしながら慎重に引き抜いていく。
外れた——関節で若干もたついたものの、さほど苦労することなくきれいに抜くことができた。そのプラチナの指輪を夜景にかざすように眺めてから、シャンパングラスの足下に置く。
そうして一息つくと、今度は自らの左手をすっと彼のまえに差し出した。
その意図を理解したのだろう。彼はごくりと唾を飲み、壊れ物でも扱うかのように優しく手を添えると、プラチナの指輪を丁寧に引き抜いた。それをもうひとつの指輪にそっと寄りかからせる。
繊細な泡のはじけるシャンパンの下で、一対の指輪はろうそくの灯りを受けてやわらかく輝いた。とても偽装とは思えない雰囲気だ。説得力を求めてプラチナにしたことが功を奏している。
「ふたつとも富田にあげるよ」
「えっ?」
虚を突かれたように、彼は目をぱちくりさせて振り向いた。
遥はくすりと笑うと、当惑している彼の左手をもういちど掴み寄せて、外したばかりの二つの指輪をその手のひらに落とした。カチン、とプラチナがぶつかりあって硬質な音を立てる。
「持っててもいいし、捨ててもいいし、売ってもいいし、好きにしてくれて構わない。売ればお小遣いくらいにはなると思う」
「…………」
黙って話を聞いたあと、富田はゆっくりと手の中にある指輪に目を落とし、そのまま固まったように動かなくなってしまった。
「富田?」
怪訝に思い、声をかけて覗き込もうとする。
その動きを察知してか、彼は何でもないのだとアピールするかのように、どことなくぎこちない笑みを浮かべて顔を上げた。手のひらに置かれていた二つの指輪を握り、その手を軽く掲げる。
「もらっとくな」
そう言い、ごそごそとスラックスのポケットにしまった。
感傷的になってるのかな——遥はシャンパンに口をつけながら横目を向けて、思案をめぐらせる。八年も続いたことが終わるのだからわからないでもない。片時も外さなかった指輪にも愛着を感じているように見えた。もしかしたら友情の証のように捉えているのだろうか。
「指輪がなくても僕たちは変わらないよ」
「……ああ」
目が合うと、富田はうっすらと笑みを浮かべて頷いた。
二人はあらためてシャンパングラスを掲げて乾杯する。いつまでも変わらない友情を誓って。そのどちらの手にもくっきりと残っている指輪の跡が、消えてなくなってしまっても。
20
あなたにおすすめの小説
Bravissima!
葉月 まい
恋愛
トラウマに悩む天才ピアニストと
俺様キャラの御曹司 かつ若きコンサートマスター
過去を乗り越え 互いに寄り添い
いつしか最高のパートナーとなる
『Bravissima!俺の女神』
゚・*:.。♡。.:*・゜゚・*:.。♡。.:*・゜
過去のトラウマから舞台に立つのが怖い芽衣は如月フィルのコンマス、聖の伴奏ピアニストを務めることに。
互いの音に寄り添い、支え合い、いつしか芽衣は過去を乗り超えていく。
✧♫•・*¨*•.♡。.:登場人物:.。♡.•*¨*・•♫✧
木村 芽衣(22歳) …音大ピアノ科4年生
如月 聖(27歳) …ヴァイオリニスト・如月フィルコンサートマスター
高瀬 公平(27歳) …如月フィル事務局長
君に恋していいですか?
櫻井音衣
恋愛
卯月 薫、30歳。
仕事の出来すぎる女。
大食いで大酒飲みでヘビースモーカー。
女としての自信、全くなし。
過去の社内恋愛の苦い経験から、
もう二度と恋愛はしないと決めている。
そんな薫に近付く、同期の笠松 志信。
志信に惹かれて行く気持ちを否定して
『同期以上の事は期待しないで』と
志信を突き放す薫の前に、
かつての恋人・浩樹が現れて……。
こんな社内恋愛は、アリですか?
優しい雨が降る夜は
葉月 まい
恋愛
浮世離れした地味子 × 外資系ITコンサルのエリートイケメン
無自覚にモテる地味子に
余裕もなく翻弄されるイケメン
二人の恋は一筋縄ではいかなくて……
雨降る夜に心に届いた
優しい恋の物語
⟡☾·̩͙⋆☔┈┈┈ 登場人物 ┈┈┈ ☔⋆·̩͙☽⟡
風間 美月(24歳)……コミュニティセンター勤務・地味でお堅い性格
雨宮 優吾(28歳)……外資系ITコンサルティング会社勤務のエリートイケメン
オレの愛しい王子様
瑞原唯子
恋愛
ずっと翼のそばにいて、翼を支える——。
幼いころ創真はひとりの少女とそう約束を交わした。
少女はいつしか麗しい男装で王子様と呼ばれるようになるが、
それでも創真の気持ちはあのころのまま変わらない。
あなたと恋に落ちるまで~御曹司は、一途に私に恋をする~
けいこ
恋愛
カフェも併設されたオシャレなパン屋で働く私は、大好きなパンに囲まれて幸せな日々を送っていた。
ただ…
トラウマを抱え、恋愛が上手く出来ない私。
誰かを好きになりたいのに傷つくのが怖いって言う恋愛こじらせ女子。
いや…もう女子と言える年齢ではない。
キラキラドキドキした恋愛はしたい…
結婚もしなきゃいけないと…思ってはいる25歳。
最近、パン屋に来てくれるようになったスーツ姿のイケメン過ぎる男性。
彼が百貨店などを幅広く経営する榊グループの社長で御曹司とわかり、店のみんなが騒ぎ出して…
そんな人が、
『「杏」のパンを、時々会社に配達してもらいたい』
だなんて、私を指名してくれて…
そして…
スーパーで買ったイチゴを落としてしまったバカな私を、必死に走って追いかけ、届けてくれた20歳の可愛い系イケメン君には、
『今度、一緒にテーマパーク行って下さい。この…メロンパンと塩パンとカフェオレのお礼したいから』
って、誘われた…
いったい私に何が起こっているの?
パン屋に出入りする同年齢の爽やかイケメン、パン屋の明るい美人店長、バイトの可愛い女の子…
たくさんの個性溢れる人々に関わる中で、私の平凡過ぎる毎日が変わっていくのがわかる。
誰かを思いっきり好きになって…
甘えてみても…いいですか?
※after story別作品で公開中(同じタイトル)
【完結】俺様御曹司の隠された溺愛野望 〜花嫁は蜜愛から逃れられない〜
椿かもめ
恋愛
「こはる、俺の妻になれ」その日、大女優を母に持つ2世女優の花宮こはるは自分の所属していた劇団の解散に絶望していた。そんなこはるに救いの手を差し伸べたのは年上の幼馴染で大企業の御曹司、月ノ島玲二だった。けれど代わりに妻になることを強要してきて──。花嫁となったこはるに対し、俺様な玲二は独占欲を露わにし始める。
【幼馴染の俺様御曹司×大物女優を母に持つ2世女優】
☆☆☆ベリーズカフェで日間4位いただきました☆☆☆
※ベリーズカフェでも掲載中
※推敲、校正前のものです。ご注意下さい
夜の声
神崎
恋愛
r15にしてありますが、濡れ場のシーンはわずかにあります。
読まなくても物語はわかるので、あるところはタイトルの数字を#で囲んでます。
小さな喫茶店でアルバイトをしている高校生の「桜」は、ある日、喫茶店の店主「葵」より、彼の友人である「柊」を紹介される。
柊の声は彼女が聴いている夜の声によく似ていた。
そこから彼女は柊に急速に惹かれていく。しかし彼は彼女に決して語らない事があった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる