俺の人生をめちゃくちゃにする人外サイコパス美形の魔性に、執着されています

フルーツ仙人

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九 異次元の門

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 テオドールがいなくなって二か月半。
 今日も大学の講義後、クラブ・ラビット・ホールでダリオはメイド服姿で働いていた。多少精神的ダメージがあろうが、賃金は天から降ってはこないのだ。今日は、常連のカーター氏が来店していたため、彼のオーダーを取りに行った。
 ダリオとしてはいつもどおりにやったつもりなのだが、カーターは自分がごひいきにしているこの大学生の青年の顔色を見て、への字に眉を下げた。
「ダリオきゅん、顔色やっぱり悪いよ。何かあったのかい?」
「……カーターさん」
 相変わらず、カーターの頭には、わさわさと妖精もどき達が群がっている。見えない割に、悪戯されやすいのは、十中八九ダリオのせいだろう。カーター氏がダリオを気にかけているため、標的になっているのである。いつもなら、ダリオは自身のプライベートな相談などしない。しかし、ここ最近精神的に参っていたのと、テオドールと出会うきっかけになったのはカーター氏であることが、ダリオの心的蝶番に作用した。
「カーターさん、この指輪なんですが……」
 ダリオは自らの左手をカーターの前に差し出してみせた。彼の指に鎮座しているのは、一片の青から紫の濃淡を帯びた花びらを模した指輪である。テオドールが現れた際に入った内部の亀裂は、彼が姿を消してから見えなくなっていた。そもそもあの猫目石のようなインクルージョンも、他者から見ると何も亀裂めいた内包物は見当たらず、ダリオだけが認識していたようである。
 カーターは自分がプレゼントしたそれを見て、喜色に顔を輝かせた。
「ああ、ダリオきゅん、いつも身に着けていてくれてるよね。ありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございます。俺の幸運の指輪というか……」
「幸運?」
 はい、とダリオはしっかり頷いた。
「これ頂いてから、嬉しいことが多かったんで……大事にさせてもらってます」
「へえ、そうだったんだ。プレゼント冥利に尽きますにゃ!」
 カーター氏は舌を噛んでいた。焦ったのか、ぱたぱたと自分の手で顔をあおぐ。ダリオは思わず嫌味なく笑みがこぼれた。他人に気にかけてもらっているというのが、しみじみダリオにはありがたいことに思えたのだ。そして、かたくなになっている自分の心のこわばりを直視した。ひとりでどうにもならないなら、他者にヘルプを出した方がいい。少なくとも、指輪をダリオに寄越したカーター氏に、わかることを聞くだけ聞いてみるべきだ。
「これ、ご出張先で入手されたということでしたが、差支えなければどちらでお求めになったか教えていただけないでしょうか」
 カーターは片方の眉を器用に上げて、なるほど、と顎に手を当てた。
「うん、それは問題ないけれど、ダリオきゅんが最近辛そうな件と関係しているのかな」
 ダリオは一瞬返答につまったが、ここは自己開示してみせるべきだと踏んだ。素直に首肯する。
「はい」
「よし、深くは聞かないけれど、ちょっと待ってね」
 携帯フォンを取り出すと、確認しながらさらさらとカーター氏はメモを書きつけ、ダリオに手渡した。
「これ、店の名前。あと念のため、住所と電話番号」
 ダリオはしばし言葉を失い、それから両手で押し包むように受け取った。
「ありがとうございます」
 頭が下がる。カーター氏は笑い、首を横に振った。
「ううん、大したことしてないからね」
「いえ、とても助かります」
 ダリオが深く感謝しているのが伝わったのか、カーター氏は、思い出すように添えた。
「本当に今となっては不思議な話なんだけれど、その指輪を見た時に、ダリオくんの顔がピシャーンと浮かんでね。絶対に君に手渡さなければならないと思ったんだ。最初いきなり押し付けて、重いやつじゃないから! とか、必死だったから、申し訳ないことをしちゃったと思うんだけどさ。どうしてもどうしても君に必要なものだって気がしてね」
 あはは、と後ろ手に頭を掻きながら、カーター氏は「う、やはり重い……ご、ごめんよダリオきゅん」と急転直下目を逸らして、「だから僕は駄目なんだ……」と両手を組んでぶつぶつ言いだす。カーター氏は仕事のストレスなのか、自己肯定と否定のジェットコースターが激しいところがあった。
 通常運転のカーター氏に、なんだかこれが日常だなあ、とダリオはむしろ気が楽になった。
「カーターさん、これは本当に俺に必要なものだったんです」
「そっか。ならよかったよ」
 あっさり立ち直ったカーターに、一枚上手で、励まされたかなとダリオは思ったが、口にせずに再度礼を言った。
「うん、ダリオきゅんのお悩みが解決することを祈ってるね」
「はい……ありがとうございます」
 ダリオはメモを握りしめ、この後どうするかを決めた。


 アルバイトが終わって、早速メモの番号に電話をかけてみる。国際電話で、秒単位加算される料金に胃が痛い気もしたが、背に腹は代えられない。すると、今店主は留守だとのことだった。買い付けでしばらく帰って来ないらしい。何か手がかりがないかと思っていただけに、ダリオはがっくりとしてしまった。しかし、指輪のことを尋ねると、先方は少し沈黙して、「少々お待ちください」と保留にされた。
 再度先方が電話に出ると、驚くべきことに、店主はちょうどイーストシティに滞在しているという。
『店主が、ロータス様さえよろしければ、本日これからイーストシティ・ホテルのラウンジにてお会いできると申しておりますが』
「ぜひ、お願いできますか」
 ダリオはもはや藁にもすがる思いで、身をのりだすように携帯フォンを握りしめる。
『畏まりました。では、午後七時半に、ヘルムート・フォン・ギラーの名前で席を予約してございますので』
「ありがとうございます、よろしくお願いします」
 電話を切り、ダリオは緊張していたらしく、長い溜息を吐いた。まともな服を持っていないが、この格好で行くしかないだろう。イーストシティ・ホテルはダリオに縁のない高級ホテルだが、名前を出せばいいようだし、門前払いということもあるまい。
 時間よりも少し早めにダリオはイーストシティ・ホテルのラウンジに赴いた。予約名を出すと、フォーマルな服装ではないが、特に引っかからず、すんなり席に案内される。
 そこにいたのは、銀髪の前髪を上げ、黒丸サングラス、派手な登り龍の刺繍の入った長袍に、黒毛皮を身にまとい、長い脚を組んで、だらりとくつろいでいる白人男性だった。かっこうがちぐはぐだが、買い付けであちこち足を延ばしている商売関係のためなのかもしれない。ダリオはごくりと唾を飲み込んだ。
「失礼、ギラー氏でしょうか」
「そうでーす、へー、君がダリオくん?」
 どこか退廃的な、甘ったるい声である。きてくれてありがとねーと軽い調子で挨拶され、ダリオはしまった、先に言われてしまったと出鼻をくじかれた。
「こちらこそ、お時間いただきありがとうございます」
「かたいねー、ダリオくん。いいよ、いいよー、おじさんは、若い人を応援してっからね。フツーに話してくれて」
「はい、ありがとうございます。では楽にさせてもらいます」
「楽の意味わかってる? もうちょっとリラックスしてよ」
 かなり砕けていいらしい。相手の要望に沿った方がよさそうだと踏んで、ダリオはこくりと頷いた。
「わかりました……過度な敬語は慎みます」
「真面目そうだな、キミ……俺、商売やってっからね、プライベートでまでかたっくるしいの苦手なんだよね。あ、今日はそういうつもりで来てるから、損得抜きで聞いてくれていいよ。おじさんは、若い人には支援したい性質なんだよね」
「ありがとうございます。では遠慮なく」
「うんうん。で、ふーん、そっかあ、指輪の持ち主か……」
 ギラーはまじまじとダリオを頭のてっぺんから足のつま先まで無遠慮に観察した。
 年齢も性格もつかみにくい人物像に思えたが、ダリオは必死の口調とならぬよう、まずは確認する。
「その……指輪の由来を伺いたいんですが」
「うんうん、ご存じだけど、さっきからかたいかたい、いきなり機嫌損ねて何も教えなーいとかやらないから、ほんとリラックスしてよ」
「……わかりました。ギラーさんは」
「あ~、面倒くさいから、敬語も抜きで。あとヘルムートでいいよ」
 いくつも指輪のはまった十指を天井に向ける形で、ヘルムートは芝居のように肩をすくめてみせる。ダリオはここまで向こうから言ってるんだ、と切り替えることにした。
「ではお言葉に甘えて。ヘルムートさんは、あの指輪が、どういうものか知ってるのか」
「うん、あれ『異次元の門』ていうマジック・アイテムだかんね。あ、俺の名刺あげるね。はい」
 受け取った名刺には、『マジック・アイテム・ショップ・トリックスター』とある。ダリオは黙って目線を上げた。ヘルムートは瘦身を前に乗り出して、足の間で指を組むと、チェシャ猫のように、ニヤニヤと笑っている。
「俺の店ねぇ、素養がないと入れないんだよ」
「素養?」
「そう。君に指輪買ってきてくれたカーターさんもね、あの人魔女の血脈なんだよね。本人知らないんだろうけどさあ、予知系のなんかそういう感じ。よかったねえ、ちゃんと指輪手元に来て」
 へらへらと表情自体は緩いものだが、ヘルムートの目は獲物を見定めるように笑っていない。ダリオは、ヘルムートが指輪の来歴を知っているのみならず、指輪側の関係者なのだと理解した。つまり、何もかもわかっていて、この指輪を売った。そういう人間だ。
「……そうですか」
 親切なおじさんだと本人はアピールしてきているが、一枚皮を剥いたら、危険な人のような気がする。何しろ、この指輪を何の説明書もなしに、カーターに売ったような人物なのだ。まともなわけがない。まっとうな倫理観があれば、そんなことはするまいと思う。ヘルムートの空気に飲まれまいと、ダリオは一度息を整えた。こっちの流れに戻すべきだ。
「それなら話が早い」
「うん?」
「この指輪から、『支配者』と名乗る存在が出てきて、俺のことを『花』と呼んだんだが。何かこの件について知っているなら教えてほしい」
 意識して顔色を変えず、ダリオが尋ねると、ヘルムートはしばらく無言になった。指を膝の間で組んだまま、彼の丸いサングラス越しの目が、みるみる大きく見開かれていく。次の瞬間、目をキラキラさせて、ヘルムートは身を乗り出して来た。
「おほっ、マジかよ。本当につながっちゃったんだ。すげえ」
 あ、ちょっと待ってよ、と彼はごそごそ自分のクランチバッグを探り、カードキーを取り出した。
「ラウンジで話そうと思ったけど、これヤバーイ」
 ヤバそうなのは目の前の人の方な気がする。しかしダリオは拳を両ひざに乗せたまま回答を待った。ヘルムートはカードキーを指の間に挟むと、ダリオに見せるようにして、上を指す。
「ははは、面白いことになってきた。俺の部屋で話そ? なーんもしないからさ、安心して……おじさんは、生まれてこの方ずっとよいおじさんだからね」
 何もしない感じがまったくしない。あと、生まれた瞬間からおじさんなのか、このおっさん、とダリオは内心つっこんだし、全然安心できる要素がないと思ったが、黙って首肯した。
 そのまま、ホテルのエレベーターで高層に移動し、イーストホテルのスイートルームに案内され、大人しくついて行く。
 ホテルの三十階に位置するこの部屋は、セントラルパークや市街、ドラゴンテイル海を一望できる最上級スイートルームである。ダリオの顔がそのまま映るほどぴかぴかに磨き込まれた円形テーブルを中心に、左翼がソファやデスク、六人掛けテーブルなどの生活空間、右翼はエアウィーブ素材の高級ベッド、バスルームといった就寝用の空間になっている。
 エル字に配置されたソファに座るよう勧められ、落ち着かないながらダリオは腰を下ろした。ヘルムートは反対側の席に陣取り、ソファの背に両腕を預け、足を投げ出す。彼は心底楽し気に笑いながら、感想を言った。
「ダリオくんさ、マジで『支配者』呼び出しちゃったんだ。すげーじゃん。しかも『花』? なんも知識なくて、今生きてるってことは、けっこううまくやってたんだね」
 これで確定だ。ダリオは目をすっと細めた。
「ひとつ確認したい」
「うん? どうぞ?」
「危険なものだと知っていて、売りに出していたのか?」
「ん? なんか問題ある?」
 ヘルムートは小首を傾げた。なるほど、こいつも怪異タイプの人間だとダリオは理解する。ヘルムートは片手を上げて、本当にへらへらと気楽に笑っていた。
「みんながみんな呼べるわけじゃないんだよ。むしろ、指輪は循環させておいた方がいいんだよね。『支配者』だって、『花』を探してるんだからさ~。俺いいことしてると思う。『支配者』に、癇癪起こされたら困るじゃん?」
「こっちに責める意図はない。ただどういう方針なのか知りたかっただけだ。俺は得しかしていないし」
「ふーん、ダリオくん、初見は真面目な学生さんかなーと思ったけど、けっこうドライだね」
「……わかりかねるが、あなたがそう感じるなら、そうかと」
 ダリオはよく親切だと言われるが、別に本当はそんなことなどない。知らない奴は見捨てるし、知ってる人は可能なら助ける。以前誰かにも言ったが、いちいち全部には首をつっこめない。できうる限りだ。存在も知覚していない他者のことまでは首が回らないし、責任を感じることもない。ダリオが親切だと言うなら、その方が生きやすいからそうしている。露悪的にもなる必要もないが、特別自己犠牲を払う気だってないのだ。
「あ、よくドライって言われるんだ!」
 どうでもよすぎる。ダリオは話を進めた。
「それより、あなたの言う通り、俺は『支配者』とはそこそこうまくやっていたんだ。だが、二か月半ほど前にそいつ――『支配者』が消えてしまって、戻って来ない……」
「へ? 戻って来ない?」
 ヘルムートはむしろ不可解といった顔をした。
「ん~、『花』なのに、今生きてて、関係は良好で、でも『支配者』が姿を消して、戻って来ない?」
「そうだ」
「めちゃくちゃ変なんだけど」
「——変なのか?」
 虚を突かれた。ヘルムートの反応に、むしろダリオの方が戸惑う。ヘルムートは軽い口調で、クソみたいな台詞を吐いた。
「『支配者』は、『花』に執心するもんなんだよね。執心し過ぎて、『花』のこと蹂躙して殺すパターンしか俺知らないもんね~」
 へらへらと怖いことを笑顔で言うヘルムートに、ダリオはことさら無表情になりながら、一応意見を述べた。
「……呼び出した側に何も知識がなければ、『支配者』の虎の尾を踏んで、死ななくてもいいのに死ぬとか、起こりうる事態だろう。注意書きくらいつけても罰は当たらなかったと思うが」
「えー、覚えてたらやるかも」
 本当にクソ野郎過ぎた。ダリオも今更それに対して追求し、言うことはない。
「そうしてくれ。で、何がおかしいんだ?」
「関係良好なら、『花』から離れるなんて変じゃね? なんか消える前にあった? 詳しく教えてよ」
 ダリオは少し迷って、できるだけ端的にテオドールと自分の関係を説明した。
「ええ~、凄いじゃん。え、めっちゃ良好通り越して、ラブラブじゃん⁉」
 ラブラブ……とダリオは目からハイライトが消えるような無の感情になったが、そのまま視線を自分の拳に落とした。
「……だが、いなくなった」
 それが答えではないか。最後までダリオは不安につきまとわれていたが、それは怪異というものに対する経験的不信感だった。認識の齟齬が、いつだってそこにあって、酷い目に合い、振り回され、ダリオの生活をめちゃくちゃにして行く。だから、全部心を寄せない。そうしないと、耐えられないと思った。
 一方、ヘルムートは納得がいかないようすだった。
「やーっぱり変だよなあ。絶対手放すわけないじゃんね。そこまでいい感じになっといてさあ、『支配者』の性質からいって、ありえねーよ」
 彼は腕組みして、没頭するように考えている。やがて、顔をぴょこん、と上げた。
「もっかい、直前のこと教えてくんない? 何か取りこぼしてるかも」
 そう言われて、ダリオは「そういえば」と付け加えた。
「『支配者』は寝ない、と自分で言ってたが……」
「うん、睡眠必要としないからね」
「さっき話したことの後に、急に頭を預けて来て。眠ってるように見えたな……ええと、一回目は真似事にも風情があるって言ってたが、二回目は完全に寝ていたような……? あ、あと、なんかその……最中にちょっと姿が……一瞬ほどけたような? 気のせいだったかもしれない」
「それじゃん⁉」 
 ヘルムートは思い切り両手の指をさしてきた。
「『脱皮』だよ~!」
「『脱皮』……?」
 聞き覚えがある気がした。そういえば、出会った当初、運命のことを試練だとか、脱皮がどうとか言っていた気がする。加えて、パラレルワールドから来た連中が、『脱皮』で強くなるとかなんとか言っていた。
「そっかあ、寝たり、姿ほどけたり、間違いない、『脱皮』の前触れだよ~」
 解決解決と、ヘルムートはどこから取り出したのか、扇を手のひらにパシパシ軽快に叩いている。
「『支配者』が『花』と関係良好なら、早めに『脱皮』するんだねえ」
「『脱皮』って何なんだ? あいつも当初そんなこと言ってたと思う」
「そのまんまだよ。蛇とかって、成長したら『脱皮』するでしょ。『支配者』もそう。へー、生まれたばっかりなのに、凄いね。早いね。もしかしたら、何回か『脱皮』するかもよ。そしたら、めちゃくちゃ強い『支配者』になるかも。すっげー、おもしろ。ねね、ニャインやってる~? アカウント交換しよーよ。電話番号も教えて! 俺観察したい」
 ダリオは眉間に皺を寄せながら、はやる気持ちを抑えつけるようにして確認した。
「つまり、『脱皮』するから消えただけで、帰って来るのか?」
「そうじゃないの?」
「そ、……っか……」
 ダリオはがく、っ、と膝から力が抜けた。そのまま、目の前に、がつんと紗がかかったように衝撃を覚え、やべえ、と足を踏ん張った。貧血を起こしたようにめまいがしている。というか、貧血ではないだろうか。今までそんな状態になったことがないから、わからない。どうなんだろう。
 慌てたのはヘルムートで、彼は立ち上がるとダリオの肩口に手を当て、顔をのぞきこんだ。
「え、大丈夫?」
「だ、いじょうぶ……………………じゃないかもしれない」
 大丈夫だと反射的に言おうとして、反語になった。急に血の気が下がって来た。手が小刻みに震えている。やばい、糖分不足か何かか? と思いながら、倒れないようにソファへ手をついて体重を支えるが、胃もなんだか痙攣している気がする。本当にまずい。ここでぶっ倒れるわけにはいかない。
 ヘルムートはさすがにこのまま放置して問題にでもなったらまずいと思ったようだ。
「えーここで死なれたら困るし、ちょっと俺につかまって。ベッド貸したげる」
 よろよろするダリオに肩を貸し、ヘルムートは寝室へと移動した。
「はいはい、寝て~」
 体裁の問題かと思ったが、案外面倒見はいいのかもしれないな、と肩を借りながらダリオは考える。だからと言って善人とは限らないが、悪人が善を全くしないわけでもないのだ。
「ありがとう……ございます」
 ダリオは礼を言って、高級素材のマットに寝かされる。
「どのくらいで……」
「え、なに?」
「どのくらいで戻って来る……と思いますか」
 もう考えるのが難しくなり、語尾が無難な対応の敬語になってしまった。
「わかんね~けど、百年以内には戻ってくるんじゃないの?」
「……は?」
 時間が止まったかと思った。ダリオは、寝かされたのに、すぐ起き上がる。ガンガンと頭が痛むが、それどころではない。
「えええ、寝てろよ」
 再度押されるが、ダリオは抵抗した。本当に寝ている場合ではなかった。ダリオの顔が強張り、問いただす。
「百年以内ってどういうことだ」
「え~、だって『支配者』じゃん? あいつら時間感覚俺らと違うからさあ、百年なら早いほうじゃね?」
「そ、……れじゃ……戻って来ないのと同じじゃないか」
 今度こそ、膝から完全に力が抜けた。抵抗していた手も、だらりと鉛をぶら下げたみたいに重くなって、ベッドに落ちてしまう。それじゃあ、帰って来ないのと同じじゃないかと、ダリオは繰り返した。期待を持っただけに、あまりにもダメージが大きくて、リカバリーできない。
「うーん、でも『花』を放っておくことはないと思うから、君が死ぬまでには戻って来るだろうと考えて、百年以内と思うよ~」
「……」
 感覚を保持しておきたく、指先で額をおさえる。手指の先が凍えるような感覚に、ダリオはいよいよ貧血が酷くなった。
「ダリオくん、なんか顔色ヤバイね。なんか食う? 飲む?」
「……すみません、今飲み食いしたら吐くと思うので、気持ちだけ……いただきます」
「よしよし、敬語もどっちゃってんね~。そっか、そうか。ショックなんだね。本当に関係良好だったんだね……」
 子どもに対して慰めるように頭を撫でられ、この人はもしかしたら見た目以上に歳が上なのかもしれねえ、とダリオは目をつぶってうなだれながら受け入れた。そうしたら、ヘルムートが、ぐい、とつむじを押したのだ。
「保障できないけど、荒療治ですぐ戻って来るかも」
 ダリオはヘルムートを見上げた。黒丸サングラスの向こう、金色の目が、面白そうにニヤニヤと細舞っているのを見て、優しくしてくれるようで、全然そういう人じゃない、と確信する。それでも。
「荒療治というのは?」
「俺とセックスするとか」
 普通ならここでキレるところなのだろう。だが、怪異の超絶理不尽超展開理論と久しく付き合って来たダリオには分かる。こういうのは『ガチ』なのだ。
「……冗談で言ってるわけじゃなさそうですね」
 もう敬語の方が楽だった。さすがにヘルムートもつっこんでこない。
「うんうん、賢いね、ダリオくん。いやいやセックスしてもダメだよ~。気持ちいいってならないと無理。できるかな?」
「……分かりません。そもそも、なんで気持ちいいセックスすると、あいつが戻って来るんだ」
「え、わかるでしょ?」
「いや、分からないです」
「えっとね、つまり、ダリオくんは『花』だからさ。『支配者』は、なんだかんだいって、君とのつながり切るわけないんだよね~。今もモニターされてると思うよ」
「モニター……でも、俺が帰って来てほしいのに、全然そのけはいもないですが」
 けっこうかなりしんどい。メンタルが弱っているのは自分でもわかる。
「向こうも『脱皮』中だからさ~。よっぽど君の精神の波長が、『支配者』側に許容できないものでない限り、夢見てるような状態じゃあないかな~」
「はあ……」
「例えば、君が恍惚状態、エクスタシー感じちゃうと、多分『支配者』は許容できないよ~」
「……はあ」
 ダリオは、さきほどから、「はあ」としか言いようがなく、眉根を寄せた。
「激烈に逆上して、殺しにやって来るんじゃないかなあ。『脱皮』中でも、すぐ皮ぶん投げて駆けつけると思うな、俺。ウケるよね、自分は『脱皮』して放置してんのに、置いて来た相手に貞淑求めるなんてさ、ナンセンスじゃん」
「相手はあなたでなくてもいいのでは」
「え、ダリオくん、無関係の何も知らない人にお願いすんの?」
「……あなたも危険では?」
「危険だけど、面白いじゃん。それに多分、雄相手の快感の方がいいよ。逆鱗に触れるのはそっちだと思う。『支配者』は君の雄のつもりだろうからさ。精を注ぐって言ってたんでしょ。雌だとカウントされないかも」
 猫のように金色の目を細めて、ヘルムートは軽い調子だった。
「やろう、やろう。あ、でも『支配者』来たら、俺の命乞いしてね。約束できるなら協力するよ~」
 ダリオはしばし沈黙すると、表情筋が死滅した状態で頷いた。
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