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八 嵐と雷
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しおりを挟む性器を挿入する以外は、全部やったんじゃないかという勢いで色々未知の世界をのぞかされたダリオである。
その後落ち着き払った顔で、テオドールがベッドまでコーヒーを入れて来た。青年のカップもある。
本人もダリオにつき合って、「ダリオさんの食育のためです」と喫茶程度はするようになったらしい。その後、昨日ぐちゃぐちゃになってしまったブラッドオレンジの話をしたら、器用にも冷蔵庫から直接座標指定して、皿とフォークとブラッドオレンジを転移させた。おお、とダリオは感心してしまう。
「お前も食べるか?」
「食べます」
水を向けたら、あっさり食べると言われ、ダリオはこの青年の口に可食可能な部分を食べさせてやった。テオドールが、あむ、とダリオの指から食べるのを見ると、下手なセックスよりよほど興奮するな、とまた知らない扉が勢いよく開いていく。ダリオは脳内で黙って扉を締め、自分もオレンジをつまんだ。二人でいるのに、一人で食べるのは食欲減退する。これもテオドールなりの『ダリオ食育』であり、歩み寄りなのだろうと思った。
軽いフルーツのみ食べながら、ダリオは自分の体に違和感を覚えた。
「昨晩から何も食ってねえのに、不思議と腹が減っていないな」
「僕の唾液を飲んだからでしょう」
カップを手に、栄養価が高いローヤルゼリーみたいなもんか、とダリオは納得した。
「お前本当に俺に触るばっかりでいいのか? 自己処理すらしてないだろ」
「僕も処理しましたよ」
テオドールは涼しい顔で自らもコーヒーを啜る。
「え、いつだ?」
「最後にもう少し、とダリオさんに許可を頂いたでしょう」
「あれ俺しかイってないだろ」
「ああ。スラングですね。オーガズムという意味でしたら、僕もイきましたが」
「あ?」
話が噛み合わない。テオドールは無感動なりに、得心のいった雰囲気を出した。
「僕は、ダリオさんの快感を感じているそれ自体が、心地よいのです。あなたの恍惚、エクスタシーに余裕なく同調して貪りました。手荒だったかもしれません、申し訳ない」
「い、いや、大丈夫だ。それは全然、嬉しかったし。そうならいいが」
そういう快感の方法になるのか、とダリオはうまく咀嚼できない。少し考えてみたが、精を注ぐと言うのも、もしかして意味を取り違えていたのではないかと、今更ながらいつもの常識が合わないやつ……と思えてきた。頭が痛いが、確認しておいた方がいい。
「あー、つまりな。今後のこともなんだが。その、お前に必要ない行為だったりしないか? 俺はお前に触られるの好きだし、もっとしたいけど、お前はどうかってことちゃんと話してなかったろ。人間同士でもこういうことは」
「ダリオさん」
「なんだ」
「あまり、そう仰らないで下さい」
「——ああ。悪かった」
まずったかな、とダリオはコーヒーカップをサイドテーブルに置く。話を性急に進め過ぎたかもしれない。
「いえ、僕の言葉が足りませんでした。ダリオさんが悪いのではありません」
しかしテオドールは無表情ながら、熱を帯びたように説明した。
「僕は同族ではかなり理性的な個体であると自負していますが、『花』からそのように言われて、我慢が効くほどまだ精神が成熟していないのです」
「あ、ああ?」
テオドールはダリオの手に触れたそうにしたが、結局無暗に触ることをせず、ダリオの目を見つめてゆっくりと告げた。
「僕がただ、未成熟であるがゆえの問題です。あなたのせいにして、ダリオさんを酷い目に合わせたくありません」
「……ああ」
「しかし、ダリオさんからそう仰って下さるのは、本当に嬉しいことです」
嬉しいんだ、とダリオは目から鱗が落ちる思いで、思考が停止する。そういう感情がテオドールにもあるらしい。
「ありがとうございます。先ほどの言葉は撤回します。あなたに相応しい個体となるように、努力致しますので、あなたの素直な言葉を聞かせてください。僕はそれが心地よい」
たまらない気持ちになります、とテオドールはダリオの傍に寄って、甘えるように肩に額を乗せた。
「テオドール、俺」
言いかけた時だ。ずしり、と肩に重さが乗る。
「……おい、寝てるのか?」
寝る真似事はできると言っていたが、今のテオドールは完全に眠っているように見える。ダリオは呆然とした。
「仕方ない奴だな」
笑い、彼の髪をやわらかく撫でて、一度自分の方から、ぎゅ、と抱き寄せた。とてもいい匂いがする。『花』というなら、テオドールの方がそうではないか。
そういえば、なんで急に壁が吹き飛んだのか理由聞けなかったな、とダリオは抱きついたまま思った。起きたら聞いてみるか。
それから、やはりタイミングではなかったのかもしれない。テオドールの執心、執着は、ダリオが彼の『花』であることに端を発している。
半分信じているが、半分どうなんだろうなという思いが拭えない。怪異との認識齟齬は、割と軽視イコール死のレベルに断絶が大きいのだ。テオドールもダリオを好きだと言った。ダリオがダリオ自身の疑念をほどけないなら、それがなくなるくらい好きになってもらえるよう、頑張ろう。『花』だからではなく、ダリオが好きだと。
もう一度だけ抱きしめて、ダリオはテオドールをベッドに寝かせると、自分も二度寝することとした。
それから目覚めたダリオは、テオドールが姿を消しているのに気づいて、いつものことではあるが、今回はさすがに少し寂しく思った。
寂しい、と自分が思い、それを認めること自体が大きな変化に思える。ダリオは去る人を追うような性格ではなく、一人を寂しいと思ったことがない。少なくとも、多分そう認めることは、とっくに放棄していたのだ。
まあ、夜にはまた姿を現すだろうと思った。多少気恥ずかしいような気もするし、心の整理をつけるのにいいかもしれない。
だが、その晩テオドールは姿を現さなかった。
どうしたんだろうか? とはダリオも疑念を覚えた。お互いに好きだと言ったばかりで、何も言付けもなく、一晩家をあけるようなことをするものだろうか。
それこそ、怪異との認識の齟齬なのかと、ダリオはとりあえず自分を納得させた。
次の日も、テオドールは帰って来なかった。
その次の日も。
よく次の日も。
さすがにおかしい。
帰ってくるだろうと高をくくっていたのがよくなかったのだろうか。
数日どころか、一か月以上テオドールは姿を見せず、ダリオは次第に自分を怪異とはそういうものだからと言い聞かせている塗装がボロボロと惨めに剥がれていくのを自覚した。おかしい。さすがにおかしい。不安が焦りを呼び、焦りが不安を呼ぶ。
そうは言っても、学業やアルバイトは常のとおりこなす。テオドールがいなくても、生きるために学び、働かねば、ダリオの生活は立ち行かない。
しかし、友人たちから「ドライ」と言われるダリオも、一か月が二か月を超えたあたりで、テオドールがいなくなってから、不調を隠し切れなくなってきた。普段なら他者のサポートをするような細かなところで、自分がミスをしてボロが出る。時折精神状態や健康を心配される方面に精彩を欠いていた。
「ダリオ、大丈夫か?」
「なんか、お前調子悪いんじゃないか?」
友人たちが、遠慮しながら、尋ねてくるたび、
「いや、大丈夫だ。ありがとう」
そのように答えているが、本当はあまり大丈夫ではない。
いつテオドールが帰って来てもいいように、ダリオは二人の気持ちが一応通じた翌朝に飲んだコーヒーと、ブラッドオレンジを常備するようになった。
自分一人では買うこともほとんどない嗜好品のコーヒー豆を毎朝ちゃんとミルで挽いて淹れ、多少懐が苦しくてもオレンジを切らさないようにしていたが、結局ひとりで飲んだし、痛む前に一人で食べた。悲しむ前に、もしかしてもう会うこともないのかもしれないとはうっすら冷静な部分で考えていた。
怪異はたいていそんなもんだ。ダリオの人生をめちゃくちゃにするようなことをして、暴風のようにあっさり去っていく。災害のようなものだと思えば、どうにかやり過ごせないこともない。
そうなってもテオドールは姿を現すことはなかった。
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