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本編
02.フェロモンパニック
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考えれば考えるほど、昨日のアレは白昼夢だった気がする。
「俺疲れてんのかな……」
「どした?」
「あ、颯真。おはよ」
「おはようユキ」
教室の机でぼんやりしていたら、颯真が登校してきた。
自分の席に鞄を置く颯真の後ろ姿を見る。
背の高さは俺と同じくらい。剣道をやってるから、颯真の方が筋肉質だ。
俺だって多少筋トレとかしてるけど、スポーツやってないし帰宅部なので推して知るべし。
学力は颯真の方が上。だけど理数系はたまに俺の方が得点高いことがある。
顔の完成度は、張り合うことすらおこがましいくらい颯真の圧勝だ。
横顔の時点でもう美形。すっきりと整ったフェイスライン、高い鼻。横から見ると目元の彫りの深さがよくわかる。
正面なんてもう、芸術品だ。
意志の強そうな眉と切長の目尻が少しきつい印象を与えるけど、アルファとしては隙の感じられない美貌は武器でしかない。
これだけ整ってれば一つくらい欠点を探してしまうものだけど、これが全く全然見当たらない。
アルファなのに薄味で、ツッコミどころしかない俺の顔とは全然違う。
(その上アルファじゃなくなってるかもしれないんだよな、今の俺……)
そこすら取り上げられたら俺のアイデンティティって何が残るだろう。
でもなぁ、あの夢で神様が言ってた「アルファがオメガに変わる」なんて魔法みたいな呪いみたいな、非科学的なこと現代日本で起こるわけないしなぁ。
「どうしたんだよユキ。さっきから溜め息ばっかりだ」
じーっと見ていた美形がいつの間にか目の前に移動していた。
うーん、近くで見ても完璧だ。毛穴とかどこにあるんだろ。女子がきゃあきゃあ言うわけだ。
「おーい、本当にどうした? 昨日通話繋がらなかったのと関係ある?」
「あ、ごめん。忘れてた……スマホも見てない」
「なんだよ、珍しいな。体調悪い?」
昨日はなんだかずっとぼんやりグルグル考えてしまって、気がついたら風呂入って着替えてベッドに入ってたのでそのまま寝た。
結局自身がオメガになってるかどうかはわからなかった。
だから余計に不安で、早く寝ることしかできなかった。
ぼうっとして答えずにいる俺のおでこに颯真の手のひらが当てられる。
熱はないな、と呟く距離が近い。なんとなく顔を離した。
「無理するなよ。保健室行くか?」
「んー、いや体調は問題ない、と思う、多分」
「煮え切らないな……」
「それより頭の方がヤバいかも」
「えぇ?」
訝しげにする颯真に俺は迷って、迷って、話すことにした。
もちろん深刻な感じじゃなく、昨日道の真ん中でこんな内容の白昼夢見ちゃってさ~って軽いノリで、深刻な悩みだと思われないようにしたんだけど。
「なんだそれ……本当に大丈夫か?」
めちゃめちゃ真剣に捉えられてしまった。
「いやいや、そんなマジに考えないでよ」
「本気にもなる。道路の真ん中でうとうとしたってことだろ? 寝不足なのか? 風邪とか、もしくはもっと重篤な病とか」
「なわけないって! 気にしすぎだよ」
「でも……」
心配してくれてありがと、と言って会話を打ち切ろうとした。
それより颯真が動く方が早かった。さっきよりずっと顔が近くなって、通り過ぎる。
俺の首元に颯真の顔がきて、すん、と音がした。
……匂いを嗅がれた?
「なんか今日、いい匂いがするんだよ、ユキ」
颯真が俺の白昼夢の話でどんどん険しい表情になっていってたのは。
立ったまま寝ていたことより、第二性の変化が本当かもしれないという部分だったんだ。
昼休み、人気のない場所へ颯真を誘う。
二人とも弁当なので中庭へ出た。校舎から離れた花壇の近くは通る人が少なくて、こそこそ話に最適だ。
「それで、その……俺の匂いって?」
「あぁ」
ランチバックから大きな弁当箱を取り出しながら、颯真は感じたことを話してくれた。
朝見かけた時からなんとなく気怠そうに見えたという俺。
近くに寄ってみると、香水というほどではないが体臭というには甘やかな香りがした。
その上俺はオメガにされる夢を見たという。
「神様的な人にオメガにされたっていうの、案外夢じゃないのかもしれないぞ」
「う、嘘だぁ。そんなの、」
「現実的じゃない。その通りだと思う。だけど……」
すいっと颯真の頭が近づいた。
避ける間もなく、また首筋のあたりを嗅がれる。
「すごく、いい匂いなんだ。こんなの、昨日までのユキからはしてなかった……」
「う……」
陶酔したような颯真の声に、ぞわっと首筋に鳥肌が立った。
自分では変化なんて感じない。甘い匂いなんてしない。
でも、柔軟剤の匂いじゃないの、なんて茶化せない雰囲気が颯真にはあった。
ぐいぐい迫ってくる颯真に押される形で背を退け反らせる。
「あのさっ……もし俺が本当にオメガだったら、これってめっちゃハラスメントじゃない?」
「あ! ご、ごめん。本当にごめん」
「いいけど……俺オメガじゃないし……」
「……」
「……」
ものすごく気まずい空気が流れる。
颯真の顔が赤い。多分俺も赤くなってる。
なんか今考えると、アルファの颯真に相談したの間違いだったな。かといって他の誰に相談できるかっていうと、思いつかないけど。
「メシ、食べよっか」
「あ、そだね……」
その後は二人とも無言で弁当をかき込んだ。
颯真といるのにこんなに会話がないことは初めてで、すごく気まずい。
思えば高一の時、同じクラスになって俺たちはすぐ仲良くなった。
二年でクラスが別れなかったことがすごく嬉しくて、今ではニコイチ扱いされるくらいのマブダチっぷりだ。
俺は颯真のこと、なんでも話せる親友だと思ってるけど……颯真の方はどうなんだろ。
「……ユキ」
「ん」
弁当を食べ終えた颯真が真剣な雰囲気だったので、俺も箱を畳んでじっと見つめ返す。
「ユキが不安なこと、真っ先に俺に相談してくれて嬉しかった」
「え、ぁ、うん」
「その、神様の話が本当にただの夢でも、そうじゃなくても、俺が相談に乗るから。一人でなんとかしようとしないで、また俺に話してほしい」
正面からそんなことを言われて、じわりと頬が熱を持つ。
なんて誠実で真っ直ぐな男なんだ。
照れながら頷くと、颯真はにっこり笑顔になった。
「じゃあ、そういうことで」
「うん。……あ」
「何?」
「あの、夢の中で神様がさ。一週間くらいしたらまた来いって言ってたんだ。体を治してくれるって」
「そうなのか! それならまずは一週間、慎重に様子を見よう」
「うん……」
当事者の俺よりよっぽど前のめりでひたむきな颯真に引け目を感じつつ、俺達は教室へと戻った。
このときはまだ、事態を深刻に考えていなかった。
だって、魔法みたいな力でアルファがオメガに変化するなんて、常識的に考えてあり得ないんだから。
でも俺はすぐに、のんきに構えていたことを後悔することになった。
「……なんか見られてない? 俺たち」
「違う、見られてるのはユキだけだ」
学校からの帰り道、颯真と並んで電車に揺られているときのこと。
座席に座っているだけなのに、なんだか周囲の視線が痛い。
元気そうな若者が座ってることに対する非難の目かと思ったけど、周囲には学校帰りの同年代が何人も座席にいたし、立っているのがつらそうな人や席を譲るべき年配者も見当たらない。
なのになぜかめっちゃ見られてる。
気のせいじゃないことは、颯真の険しい声でも察せられる。
「オメガのフェロモンが……ほかのアルファにも察知されてるのかも」
またまたご冗談を……ってすぐに笑い飛ばせなくて、口元が引きつった。
颯真に「昨日まではしなかった良い匂い」を指摘されてから数時間しか経ってない。
その匂いがオメガ特有のフェロモンだとしたら。
俺を熱心にちらちら見つめる、同じ車両の男たちがみんなアルファだとしたら。
「オメガはなかなか出会えない存在だし、いたとしても完璧に抑制剤を服用してフェロモンを抑え込んでいるはず。もしユキがオメガなら、アルファにとっては美味しそうなごちそうに見える……かもしれない」
「そんなまさか……」
「ないと言い切れない。ユキの最寄り駅ついたら、走って降りよう」
「う、うん」
前に抱えた鞄をぎゅうっと強く抱く。
俺はオメガじゃない。アルファのはずなんだ。
なのにこの漠然とした不安は、どうすればいいんだろう。
「走れ!」
電車が駅について、ドアが開いた瞬間、颯真に腕を引っ張られた。
引かれるまま走って、ICカードで改札も風のように通り過ぎる。定期切れてなくて良かった。
颯真と走りながら少しだけ後ろを振り返って、すぐに後悔した。
同じ車両に乗ってた男性客が数人、俺たちの後ろを走って追いかけてきてたんだ。
追手たちは改札でモタついたので距離ができたけど、あのままゆっくり降りていたらどうなっていたんだろう。
体の芯が冷え切るような恐怖を感じた。
駅から走り出て、念のため駅の周囲をぐるりと回って付いてきている人がいないか確かめる。
「もう大丈夫、みたいだな」
ずっと走りっぱなしで息が上がる。
はあはあしながら颯真を見ると、そっちは少し呼吸が乱れている程度だった。くそぅ、基礎体力の差が出てる。
ふと、ずっと手を握ったままだったことに気づいた。
今更だけど手汗とか凄そう。タップすると、颯真も今気づいたみたいでそっと手を離してくれた。
「ごめん。手、痛くない?」
「大丈夫、それよりありがと。一人だったら俺、パニックになってたかも」
「だよな……俺もちょっと怖かった」
恐怖から開放された安堵でお互い笑い合う。
颯真の家の最寄りはもう一つ向こうの駅なんだけど、俺が心配だからと送ってくれることになった。
いつもなら「心配しすぎ」って笑い飛ばすのに、今日ばかりはできそうにない。申し訳なく思いながらも素直に甘える。
「おばさんたち誰か家にいる?」
「今日は二人とも帰るの遅いと思う」
「……お邪魔していい?」
「……うん」
夕食時には両親どちらかが帰ってくるだろうということで、それまで颯真が遊びに来ることになった。
まさか家の中にいて不測の事態が起こることはないと思うけど、駅で追いかけられた記憶はまだ新しいし、まだ怖い。
「お邪魔します。久しぶりだね」
「つっても一ヶ月ぶりくらいだと思うけど」
「そうだっけ?」
「そーだよ」
家同士が徒歩圏内の俺たちは、お互いの家にしょっちゅう遊びに行っている。
天下のアルファといえど俺たちは未成年。
自分で稼ぐことができず、お小遣い制の社会で生きる以上、遊びにかかる経費はできるだけ減らしたい。
颯真のザ・日本家屋アンド庭園って感じの豪邸にお邪魔することもあるけど、どっちかの家でとなった時は俺の家が多い。
我が家は庶民的な一軒家。家族三人暮らすのには十分だけど、颯真の家と比べるとかなり控えめサイズだ。
最初に颯真を家に呼んだときは緊張したけど、豪邸住まいのくせに俺の部屋を「ほっとする」なんて褒めてくれた。しょっちゅう遅くまで入り浸っているのでお世辞じゃないんだろう。
今日も颯真は勝手知ったるな様子で上がり、洗面所で手を洗い、俺の部屋に入って────固まった。
「ユキ、やっぱりこれフェロモンだ」
「え?」
部屋の入り口で立ち尽くす友人曰く、俺の首筋からするいい匂いがここには充満しているとのこと。
慌てて窓を全開にして、ついでに扇風機も掛けて換気したら室内に入ってきてくれたけど……ラグに座る颯真は緊張しているみたいだった。肩が強張っている。
「ユキ。オメガ化のこと、真剣に考えてみないか」
「で、でもそんな」
「ご両親に相談する気はない?」
俺はぶんぶん首を左右に振った。
そんなこと言えるわけがない。
神様に冤罪でオメガにされちゃった、なんて。言っても信じてもらえないだろうし。
「ユキのお父さんはアルファだし、この匂いがあれば信じてくれると思う。お父さんにだけでも、相談してみないか?」
「……うーん……そだね……」
本当は気が進まないけど、父さんにだけは話してみることにした。
父さんはアルファで、仕事上オメガと接触することもあるはず。オメガのフェロモンがどんなものなのか、きっと俺達より知ってる。
でも父さんは仕事が忙しくて平日はいつも深夜か午前様だし、話をするのは難しそうだ……と考えたところで思い出した。
「あ。父さん来週まで出張なんだった」
間の悪いことに今日から一週間だ。
帰ってくる頃には自称神様から言われた期限を過ぎてるし、解決してる可能性が高い。
颯真はがくりと項垂れた。
「……わかった……じゃあ俺ができるだけユキをガードする」
「えっ、何言ってんの」
「登校と下校、一緒に行く。学校内はほとんどベータだから大丈夫とは思うけど、できるだけ近くにいる」
「いやいや、登下校って。部活あるでしょ」
「一週間くらい休んだって平気だ。それよりユキに何かあったらと思うと不安で稽古に集中できないし、もし何か起こったら絶対後悔する。だからユキも遠慮せず俺を頼ってほしい」
「えぇ……でも」
「返事」
「……はい」
格上のアルファの圧に否やを唱えられるはずもなく。
こうして俺は行き帰りと学校の中で、颯真の護衛を受けながら一週間現状を耐えることになった。
正直、少しホッとした。駅であったみたいなことが何度も起きたら心折れちゃう。
きりっとした眉をしかめて、俺を守ると言ってくれた颯真は、なんだかいつもより割増でかっこいいと感じた。
「俺疲れてんのかな……」
「どした?」
「あ、颯真。おはよ」
「おはようユキ」
教室の机でぼんやりしていたら、颯真が登校してきた。
自分の席に鞄を置く颯真の後ろ姿を見る。
背の高さは俺と同じくらい。剣道をやってるから、颯真の方が筋肉質だ。
俺だって多少筋トレとかしてるけど、スポーツやってないし帰宅部なので推して知るべし。
学力は颯真の方が上。だけど理数系はたまに俺の方が得点高いことがある。
顔の完成度は、張り合うことすらおこがましいくらい颯真の圧勝だ。
横顔の時点でもう美形。すっきりと整ったフェイスライン、高い鼻。横から見ると目元の彫りの深さがよくわかる。
正面なんてもう、芸術品だ。
意志の強そうな眉と切長の目尻が少しきつい印象を与えるけど、アルファとしては隙の感じられない美貌は武器でしかない。
これだけ整ってれば一つくらい欠点を探してしまうものだけど、これが全く全然見当たらない。
アルファなのに薄味で、ツッコミどころしかない俺の顔とは全然違う。
(その上アルファじゃなくなってるかもしれないんだよな、今の俺……)
そこすら取り上げられたら俺のアイデンティティって何が残るだろう。
でもなぁ、あの夢で神様が言ってた「アルファがオメガに変わる」なんて魔法みたいな呪いみたいな、非科学的なこと現代日本で起こるわけないしなぁ。
「どうしたんだよユキ。さっきから溜め息ばっかりだ」
じーっと見ていた美形がいつの間にか目の前に移動していた。
うーん、近くで見ても完璧だ。毛穴とかどこにあるんだろ。女子がきゃあきゃあ言うわけだ。
「おーい、本当にどうした? 昨日通話繋がらなかったのと関係ある?」
「あ、ごめん。忘れてた……スマホも見てない」
「なんだよ、珍しいな。体調悪い?」
昨日はなんだかずっとぼんやりグルグル考えてしまって、気がついたら風呂入って着替えてベッドに入ってたのでそのまま寝た。
結局自身がオメガになってるかどうかはわからなかった。
だから余計に不安で、早く寝ることしかできなかった。
ぼうっとして答えずにいる俺のおでこに颯真の手のひらが当てられる。
熱はないな、と呟く距離が近い。なんとなく顔を離した。
「無理するなよ。保健室行くか?」
「んー、いや体調は問題ない、と思う、多分」
「煮え切らないな……」
「それより頭の方がヤバいかも」
「えぇ?」
訝しげにする颯真に俺は迷って、迷って、話すことにした。
もちろん深刻な感じじゃなく、昨日道の真ん中でこんな内容の白昼夢見ちゃってさ~って軽いノリで、深刻な悩みだと思われないようにしたんだけど。
「なんだそれ……本当に大丈夫か?」
めちゃめちゃ真剣に捉えられてしまった。
「いやいや、そんなマジに考えないでよ」
「本気にもなる。道路の真ん中でうとうとしたってことだろ? 寝不足なのか? 風邪とか、もしくはもっと重篤な病とか」
「なわけないって! 気にしすぎだよ」
「でも……」
心配してくれてありがと、と言って会話を打ち切ろうとした。
それより颯真が動く方が早かった。さっきよりずっと顔が近くなって、通り過ぎる。
俺の首元に颯真の顔がきて、すん、と音がした。
……匂いを嗅がれた?
「なんか今日、いい匂いがするんだよ、ユキ」
颯真が俺の白昼夢の話でどんどん険しい表情になっていってたのは。
立ったまま寝ていたことより、第二性の変化が本当かもしれないという部分だったんだ。
昼休み、人気のない場所へ颯真を誘う。
二人とも弁当なので中庭へ出た。校舎から離れた花壇の近くは通る人が少なくて、こそこそ話に最適だ。
「それで、その……俺の匂いって?」
「あぁ」
ランチバックから大きな弁当箱を取り出しながら、颯真は感じたことを話してくれた。
朝見かけた時からなんとなく気怠そうに見えたという俺。
近くに寄ってみると、香水というほどではないが体臭というには甘やかな香りがした。
その上俺はオメガにされる夢を見たという。
「神様的な人にオメガにされたっていうの、案外夢じゃないのかもしれないぞ」
「う、嘘だぁ。そんなの、」
「現実的じゃない。その通りだと思う。だけど……」
すいっと颯真の頭が近づいた。
避ける間もなく、また首筋のあたりを嗅がれる。
「すごく、いい匂いなんだ。こんなの、昨日までのユキからはしてなかった……」
「う……」
陶酔したような颯真の声に、ぞわっと首筋に鳥肌が立った。
自分では変化なんて感じない。甘い匂いなんてしない。
でも、柔軟剤の匂いじゃないの、なんて茶化せない雰囲気が颯真にはあった。
ぐいぐい迫ってくる颯真に押される形で背を退け反らせる。
「あのさっ……もし俺が本当にオメガだったら、これってめっちゃハラスメントじゃない?」
「あ! ご、ごめん。本当にごめん」
「いいけど……俺オメガじゃないし……」
「……」
「……」
ものすごく気まずい空気が流れる。
颯真の顔が赤い。多分俺も赤くなってる。
なんか今考えると、アルファの颯真に相談したの間違いだったな。かといって他の誰に相談できるかっていうと、思いつかないけど。
「メシ、食べよっか」
「あ、そだね……」
その後は二人とも無言で弁当をかき込んだ。
颯真といるのにこんなに会話がないことは初めてで、すごく気まずい。
思えば高一の時、同じクラスになって俺たちはすぐ仲良くなった。
二年でクラスが別れなかったことがすごく嬉しくて、今ではニコイチ扱いされるくらいのマブダチっぷりだ。
俺は颯真のこと、なんでも話せる親友だと思ってるけど……颯真の方はどうなんだろ。
「……ユキ」
「ん」
弁当を食べ終えた颯真が真剣な雰囲気だったので、俺も箱を畳んでじっと見つめ返す。
「ユキが不安なこと、真っ先に俺に相談してくれて嬉しかった」
「え、ぁ、うん」
「その、神様の話が本当にただの夢でも、そうじゃなくても、俺が相談に乗るから。一人でなんとかしようとしないで、また俺に話してほしい」
正面からそんなことを言われて、じわりと頬が熱を持つ。
なんて誠実で真っ直ぐな男なんだ。
照れながら頷くと、颯真はにっこり笑顔になった。
「じゃあ、そういうことで」
「うん。……あ」
「何?」
「あの、夢の中で神様がさ。一週間くらいしたらまた来いって言ってたんだ。体を治してくれるって」
「そうなのか! それならまずは一週間、慎重に様子を見よう」
「うん……」
当事者の俺よりよっぽど前のめりでひたむきな颯真に引け目を感じつつ、俺達は教室へと戻った。
このときはまだ、事態を深刻に考えていなかった。
だって、魔法みたいな力でアルファがオメガに変化するなんて、常識的に考えてあり得ないんだから。
でも俺はすぐに、のんきに構えていたことを後悔することになった。
「……なんか見られてない? 俺たち」
「違う、見られてるのはユキだけだ」
学校からの帰り道、颯真と並んで電車に揺られているときのこと。
座席に座っているだけなのに、なんだか周囲の視線が痛い。
元気そうな若者が座ってることに対する非難の目かと思ったけど、周囲には学校帰りの同年代が何人も座席にいたし、立っているのがつらそうな人や席を譲るべき年配者も見当たらない。
なのになぜかめっちゃ見られてる。
気のせいじゃないことは、颯真の険しい声でも察せられる。
「オメガのフェロモンが……ほかのアルファにも察知されてるのかも」
またまたご冗談を……ってすぐに笑い飛ばせなくて、口元が引きつった。
颯真に「昨日まではしなかった良い匂い」を指摘されてから数時間しか経ってない。
その匂いがオメガ特有のフェロモンだとしたら。
俺を熱心にちらちら見つめる、同じ車両の男たちがみんなアルファだとしたら。
「オメガはなかなか出会えない存在だし、いたとしても完璧に抑制剤を服用してフェロモンを抑え込んでいるはず。もしユキがオメガなら、アルファにとっては美味しそうなごちそうに見える……かもしれない」
「そんなまさか……」
「ないと言い切れない。ユキの最寄り駅ついたら、走って降りよう」
「う、うん」
前に抱えた鞄をぎゅうっと強く抱く。
俺はオメガじゃない。アルファのはずなんだ。
なのにこの漠然とした不安は、どうすればいいんだろう。
「走れ!」
電車が駅について、ドアが開いた瞬間、颯真に腕を引っ張られた。
引かれるまま走って、ICカードで改札も風のように通り過ぎる。定期切れてなくて良かった。
颯真と走りながら少しだけ後ろを振り返って、すぐに後悔した。
同じ車両に乗ってた男性客が数人、俺たちの後ろを走って追いかけてきてたんだ。
追手たちは改札でモタついたので距離ができたけど、あのままゆっくり降りていたらどうなっていたんだろう。
体の芯が冷え切るような恐怖を感じた。
駅から走り出て、念のため駅の周囲をぐるりと回って付いてきている人がいないか確かめる。
「もう大丈夫、みたいだな」
ずっと走りっぱなしで息が上がる。
はあはあしながら颯真を見ると、そっちは少し呼吸が乱れている程度だった。くそぅ、基礎体力の差が出てる。
ふと、ずっと手を握ったままだったことに気づいた。
今更だけど手汗とか凄そう。タップすると、颯真も今気づいたみたいでそっと手を離してくれた。
「ごめん。手、痛くない?」
「大丈夫、それよりありがと。一人だったら俺、パニックになってたかも」
「だよな……俺もちょっと怖かった」
恐怖から開放された安堵でお互い笑い合う。
颯真の家の最寄りはもう一つ向こうの駅なんだけど、俺が心配だからと送ってくれることになった。
いつもなら「心配しすぎ」って笑い飛ばすのに、今日ばかりはできそうにない。申し訳なく思いながらも素直に甘える。
「おばさんたち誰か家にいる?」
「今日は二人とも帰るの遅いと思う」
「……お邪魔していい?」
「……うん」
夕食時には両親どちらかが帰ってくるだろうということで、それまで颯真が遊びに来ることになった。
まさか家の中にいて不測の事態が起こることはないと思うけど、駅で追いかけられた記憶はまだ新しいし、まだ怖い。
「お邪魔します。久しぶりだね」
「つっても一ヶ月ぶりくらいだと思うけど」
「そうだっけ?」
「そーだよ」
家同士が徒歩圏内の俺たちは、お互いの家にしょっちゅう遊びに行っている。
天下のアルファといえど俺たちは未成年。
自分で稼ぐことができず、お小遣い制の社会で生きる以上、遊びにかかる経費はできるだけ減らしたい。
颯真のザ・日本家屋アンド庭園って感じの豪邸にお邪魔することもあるけど、どっちかの家でとなった時は俺の家が多い。
我が家は庶民的な一軒家。家族三人暮らすのには十分だけど、颯真の家と比べるとかなり控えめサイズだ。
最初に颯真を家に呼んだときは緊張したけど、豪邸住まいのくせに俺の部屋を「ほっとする」なんて褒めてくれた。しょっちゅう遅くまで入り浸っているのでお世辞じゃないんだろう。
今日も颯真は勝手知ったるな様子で上がり、洗面所で手を洗い、俺の部屋に入って────固まった。
「ユキ、やっぱりこれフェロモンだ」
「え?」
部屋の入り口で立ち尽くす友人曰く、俺の首筋からするいい匂いがここには充満しているとのこと。
慌てて窓を全開にして、ついでに扇風機も掛けて換気したら室内に入ってきてくれたけど……ラグに座る颯真は緊張しているみたいだった。肩が強張っている。
「ユキ。オメガ化のこと、真剣に考えてみないか」
「で、でもそんな」
「ご両親に相談する気はない?」
俺はぶんぶん首を左右に振った。
そんなこと言えるわけがない。
神様に冤罪でオメガにされちゃった、なんて。言っても信じてもらえないだろうし。
「ユキのお父さんはアルファだし、この匂いがあれば信じてくれると思う。お父さんにだけでも、相談してみないか?」
「……うーん……そだね……」
本当は気が進まないけど、父さんにだけは話してみることにした。
父さんはアルファで、仕事上オメガと接触することもあるはず。オメガのフェロモンがどんなものなのか、きっと俺達より知ってる。
でも父さんは仕事が忙しくて平日はいつも深夜か午前様だし、話をするのは難しそうだ……と考えたところで思い出した。
「あ。父さん来週まで出張なんだった」
間の悪いことに今日から一週間だ。
帰ってくる頃には自称神様から言われた期限を過ぎてるし、解決してる可能性が高い。
颯真はがくりと項垂れた。
「……わかった……じゃあ俺ができるだけユキをガードする」
「えっ、何言ってんの」
「登校と下校、一緒に行く。学校内はほとんどベータだから大丈夫とは思うけど、できるだけ近くにいる」
「いやいや、登下校って。部活あるでしょ」
「一週間くらい休んだって平気だ。それよりユキに何かあったらと思うと不安で稽古に集中できないし、もし何か起こったら絶対後悔する。だからユキも遠慮せず俺を頼ってほしい」
「えぇ……でも」
「返事」
「……はい」
格上のアルファの圧に否やを唱えられるはずもなく。
こうして俺は行き帰りと学校の中で、颯真の護衛を受けながら一週間現状を耐えることになった。
正直、少しホッとした。駅であったみたいなことが何度も起きたら心折れちゃう。
きりっとした眉をしかめて、俺を守ると言ってくれた颯真は、なんだかいつもより割増でかっこいいと感じた。
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