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第二性選択編
17.思い出に賞味期限はない
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椿颯真が香川雪を明確に意識し始めたのは、思い返せばあの日だった。
高校一年のある日、まだ入学して数日のこと。
当時は颯真と雪は友人ではなく、ただのクラスメイトでしかなかった。
授業を終え、最寄りの駅へ向かう道のりは周囲に同じ学校の生徒が多い。
颯真の前を行く一団の中に雪がいた。何がおかしいのか、ずっと笑いながら駅までの道を歩いている。
そんな後ろ姿を何ともなしに眺めていたら、通学路の途中に人だかりができていることに気づいた。
雪と友人たちはそこへ吸い寄せられていく。
颯真も何の気なしに人の輪の内側を覗き見た。
野次馬の向こうでは、学生同士のケンカが起きていたようだ。
特別治安が悪い地域ではないものの、若者のケンカなど珍しくもない。
対峙しているのはどちらもアルファのようだ。びりびりと殺気立った嫌な威圧感が肌を刺す。
厄介事はごめんだと、その場を離れようとした颯真とは逆に、雪はなんと彼らに向かっていった。
「ちょっと君たち~、何やってんの?」
それまで誰も手出しできない空気だった場に、のんびりした口調の3人目のアルファが参加してきた。誰もがぎょっとして、一歩引いたのがわかる。
アルファ同士の争いにベータは手出しできない。
そこには不可視の威嚇が飛び交うのがつきもので、ベータは萎縮しアルファは忌避する。オメガはアルファの威圧を物ともしないが、数が少なくこんな町中にいることはほぼない。
そんな中にアルファが参加することは火に油を注ぐ行為……誰もがそう考えた。
「なんだてめぇ」
「関係ねーだろ、引っ込んでろ雑魚」
「わーひでぇ。確かに関係ないけどさー、すぐそこまでケーサツ来てるよ」
最後の一言だけひそめられた雪の言葉に、アルファ二人が目を見張る。
明らかな嘘だった。しかし群衆に取り囲まれた彼らに、周囲の状況を確認するすべはない。
「警察の人に捕まったら親に連絡行くよ、さすがにまずいでしょ。ほら、行った行った」
「チッ……てめぇ覚えてろよ」
「きゃーこわーい」
妙に甲高い声で大げさに怖がってみせる雪に毒気を抜かれたのか、アルファたちはすぐに立ち去った。
野次馬は散り始め、雪はこちらに戻ってきた。
ベータの友人たちが雪を軽く小突く。
「なんだよ雪、ビビらせんなよ」
「真っ直ぐ向かってったから、あわや三つ巴かと焦ったっての」
「やだなぁ、俺がケンカなんてできるわけないじゃん。邪魔だったからどいてもらっただけだよ」
なんでもないことのように笑う雪に、颯真だけは気づいていた。
近くにいたベータの女の子が、間近で食らうアルファの威圧感に動けなくなり、泣いていたことに。興味なさげにアルファたちのケンカを眺めていた雪が、それを見て顔色を変えたことに。
アルファの争いをアルファが諌めようとすれば威圧の応酬になる。
諍いを悪化させることも多く、うまくやらなければ血を見る場合すらある。
それなのに鮮やかにあの場を収めてみせた雪は、それを誇るでもなく、穏やかなままだ。
(不思議なやつだな……)
誰とでも分け隔てなく接する雪は、入学早々友人を作っていた。
いつだって彼の近くには人がいてにぎやかだが、うるさいとか煩わしいとは思わない。
風のようにするりと入り込み、空気のように傍にいる不思議な男。
そんな雪が自分の心にも入り込み、居座ってしまうことになるとは、このときの颯真は思ってもいなかった。
「え~、そんなことあったっけ?」
入学してすぐの頃……と頭を捻って記憶を掘り起こしてみたが、全く覚えていない。
俺が、この俺が。泣いている女の子のために恐ろしいアルファ同士のケンカに割って入ったなんて、我が事ながら考えにくい。
でも颯真はこんなどうでもいい嘘なんてつかないしなぁ。
俺が忘れていることに若干肩を落とした颯真は、仕方なさそうに苦笑した。
わ、その顔。すごいキュンときた。
そう、颯真は笑顔がすごくステキな男なのだ。
彼のステキな部分をもっと広く知ってもらえれば、俺みたいな半端者に構う気も起きなくなるんじゃないかと思ってたんだけど。
「ユキにとっては特別なことじゃなかったんだな……覚えてなくてもいい。俺が勝手に意識しただけだから」
「ん、うん……」
本人がこれじゃあ、他のオメガなんて裸足で逃げ出してしまう。
颯真の甘い眼差しに耐えきれず俯いた俺に、彼はなおも柔らかい声で追撃してきた。
「体のことがまだ落ち着いてないだろうから、あまり急がせることはしたくなかった。ユキがせっかく猶予期間をくれたんだ、ゆっくり気持ちを伝えていこうって思ってた……けど、ダメだ」
「え」
手持ち無沙汰だった手が取られ、颯真の両手に包まれる。
ぎゅっと、少しだけ力を込められた。
「あの女が現れたとき、ユキがためらいなく去っていくのを見て、悠長になんてしてられないと気づいた。こっちからガンガン迫っていかないと、ユキはすぐにいなくなってしまう。一瞬でも目を離せば消えてしまうって」
「や、そんな、迷子になる子供みたいな……」
「子供ならまだマシだ。鍵をかけて、閉じ込めておけばいいんだから」
どうかと思う発言を吐き捨てるように口にする颯真に乾いた笑いが出る。
気を利かせてさっと離れたつもりだったのに、俺の行動はトラウマものの恐ろしさだったらしい。
確かに俺は、颯真にお似合いなオメガや女の子が現れたらすぐに身を引こうとするだろう。
俺じゃないほうがいい。颯真もすぐに気づくはず。俺なんかにうつつを抜かしていたことこそが間違いだったんだ、って。
「ユキは妙に自己評価が低いから、変な勘違いで離れたりしないようにしっかり捕まえておく。でも、性に関しては急かすつもりはなかったんだ、本当に。……なのにあのアルファ……」
柔和な表情ばかりの颯真が、眉を寄せ目を細め、唇を噛みしめるほど嫌そうな顔してる。
めちゃくちゃに嫌われてしまった大島に俺は内心同情した。
どうやら俺はアルファだった頃、大島の好みの男だったらしい。
彼の独特の嗅覚が、俺の些細な変化と颯真との関係性を絶妙に見抜き、横取りするためにコナをかけてきた────というのがここ数日の急接近の真相だ。
「俺はユキがオメガでもアルファでも、変わらず好きだし、時間をかけていつか恋人になれればいいと思ってた。なのにあいつ……ユキがアルファに戻ったら、あいつがまた出てくる!」
「あー……」
「一気にユキをアルファに戻したくなくなって……でもそんなことを言えばまたユキを追い詰める。オメガが物珍しいだけとか、体目当てだとか思われたら……」
頭を振って苦しそうに呻く颯真に、体目的じゃなかったのか~なんてことはとても言えず、口をつぐむ。沈黙は金だ。
その代わりに、もっと別のことを。
「颯真が不安なら、俺たち付き合っちゃう?」
「────え?」
握られたままの手にもう片方を添えて、手を握り合う。
体を重ねること以外は友達と何も変わりない関係が、颯真にとっては思いのほかストレスだったみたいだ。
でも俺たちがきちんとお付き合いを始めれば、解消できそうな悩みでしかない。
アルファに生まれた以上は、自分より小柄でか弱い誰かを好きになって、その人を守って生きるものだと思い込んでいた。そういうステレオタイプなアルファ像を目指すことが、普通だと思ってた。
でも体がオメガになって、颯真が真摯に俺を守ってくれて、いろんな形があっていいんだと思い知った。
ついでに受け身の気持ち良さも知っちゃったし、正直突っ込むだけの側には戻れそうにない。
そういう意味でも颯真なら俺を満足させてくれるし、向こうはなぜか知らないけど俺にベタ惚れっぽいし、今までの関係に名前をつけるくらい簡単なことだ。
不安そうにするくせに離す気が全然なさそうなこの手の力を見れば、このアルファが俺にどれだけ執着してるかなんてわかりきってる。
「俺を颯真専用オメガにするなら、颯真も俺専用じゃなきゃヤだからな?」
返答は、強い抱擁で返された。
痛いくらいぎゅうぎゅうと体を抱き締められながら、強くて優しくてかっこいい俺のアルファが少しだけ涙ぐんでいたことは、知らんぷりをした。
揃って下校して、二人で電車に乗り込む。
交わす言葉は少ない。その代わりのように、ずっと手を繋いでいた。
俺のフェロモンが漏れたらすぐにわかるように、颯真とくっついて電車に乗ることは多かった。満員電車で抱き合うように登校したことも少なくない。
でもこんなふうに、指を絡めあって手を握ったことはない。
俺、本当に颯真と恋人になったんだ……そう実感する。じわじわと嬉しさがこみ上げて、手汗が心配になった。
「怒らないで聞いてほしいんだけど」
見飽きた車窓の景色に視線を向けたまま口を開く。
颯真の気持ちを疑ったわけじゃないけど、きっと一時的なもので、いつか冷めると思っていたこと。
正真正銘本物のオメガが颯真の隣に立つ姿に未来を感じたこと。
颯真に求められないのなら、アルファに戻るつもりだったこと。それこそ、今日にでも。
「神様へのお供えっての? アレも買ったんだ」
近所のスーパーのギフトコーナーで、賞味期限が近づいて割引になったやつだけど。キレイに包装されてるし、三割引の赤札は取ってもらったからたぶんバレない。
これを持って神様に会って、体を元に戻してもらうつもりだった。
握られている手に痛いくらいの力がこめられる。
「……今も、アルファに戻りたい?」
「んーん。全部誤解だってわかったし」
ずっと先の未来まで見通せるわけじゃないけど、颯真は意味もなく俺を手放したりしないってわかった。
半端者のオメガでもいいって言ってくれた。
颯真が求めてくれるなら、この先ずっとオメガのままでいいって心から思える。
「だからこのお供えものは、オメガになるために使おうと思う」
「本当に、いいのか?」
「うん。俺がアルファのままでもいいって颯真は言ったけど、アルファのままじゃオメガのフェロモンに逆らえない。颯真以外の相手を、本能のせいで求めてしまうことがいつかあるかもしれない……」
電車の中はすごくうるさいのに、俺たちの会話は聞こえるのが不思議だ。
アルファに戻れば、見ず知らずのオメガのフェロモンに誘惑される可能性がある。抑制剤をきちんと服用していた颯真が、俺のオメガフェロモンに惑わされたことがあったように。
でも俺がオメガのままでいれば浮気する心配がなくなる。
颯真以外に体を暴かれるなんて死んでもごめんだけど、大島のときみたいに自衛もできる。
そもそもアルファを近づけさせなければ、俺みたいにタッパがあってガタイのいい男をオメガだと思う者はそういないだろう。
それにゆくゆくは番になれば、颯真が浮気する可能性も排除できる。
(つがい……)
いくらなんでも先走りすぎだ。
望んでいるかのような自分の思考に照れてしまった。空いているほうの手で熱くなった頬をごしごし拭う。
いつの間にか俺の中にも、独占欲が生まれてしまっていたみたいだ。
しっかりと繋がれた手を握り返す。
今はこれくらいの絆だけでいい。先のことは、未来の俺と颯真が考えるだろう。
それよりも俺たちには今優先すべきものがある。
「ねぇ颯真」
「ん?」
「お供えもの、神様に届けるのは……また今度にしよっか」
俺のことを知り尽くした一番の友達は、俺の言いたいことを正確に読み取ってくれたらしい。目元を染めて、声をひそめる。
「お供えものは改めて用意しよう」
「ん……」
それよりも今は、互いの熱を確かめたい。手に入れたという実感が欲しい。
電車の揺れに合わせるように、颯真の肩に頬を寄せる。
清涼なアルファのフェロモンの匂いがこんなに心地良いものだと、もっと早く知れていたら良かったのに。
高校一年のある日、まだ入学して数日のこと。
当時は颯真と雪は友人ではなく、ただのクラスメイトでしかなかった。
授業を終え、最寄りの駅へ向かう道のりは周囲に同じ学校の生徒が多い。
颯真の前を行く一団の中に雪がいた。何がおかしいのか、ずっと笑いながら駅までの道を歩いている。
そんな後ろ姿を何ともなしに眺めていたら、通学路の途中に人だかりができていることに気づいた。
雪と友人たちはそこへ吸い寄せられていく。
颯真も何の気なしに人の輪の内側を覗き見た。
野次馬の向こうでは、学生同士のケンカが起きていたようだ。
特別治安が悪い地域ではないものの、若者のケンカなど珍しくもない。
対峙しているのはどちらもアルファのようだ。びりびりと殺気立った嫌な威圧感が肌を刺す。
厄介事はごめんだと、その場を離れようとした颯真とは逆に、雪はなんと彼らに向かっていった。
「ちょっと君たち~、何やってんの?」
それまで誰も手出しできない空気だった場に、のんびりした口調の3人目のアルファが参加してきた。誰もがぎょっとして、一歩引いたのがわかる。
アルファ同士の争いにベータは手出しできない。
そこには不可視の威嚇が飛び交うのがつきもので、ベータは萎縮しアルファは忌避する。オメガはアルファの威圧を物ともしないが、数が少なくこんな町中にいることはほぼない。
そんな中にアルファが参加することは火に油を注ぐ行為……誰もがそう考えた。
「なんだてめぇ」
「関係ねーだろ、引っ込んでろ雑魚」
「わーひでぇ。確かに関係ないけどさー、すぐそこまでケーサツ来てるよ」
最後の一言だけひそめられた雪の言葉に、アルファ二人が目を見張る。
明らかな嘘だった。しかし群衆に取り囲まれた彼らに、周囲の状況を確認するすべはない。
「警察の人に捕まったら親に連絡行くよ、さすがにまずいでしょ。ほら、行った行った」
「チッ……てめぇ覚えてろよ」
「きゃーこわーい」
妙に甲高い声で大げさに怖がってみせる雪に毒気を抜かれたのか、アルファたちはすぐに立ち去った。
野次馬は散り始め、雪はこちらに戻ってきた。
ベータの友人たちが雪を軽く小突く。
「なんだよ雪、ビビらせんなよ」
「真っ直ぐ向かってったから、あわや三つ巴かと焦ったっての」
「やだなぁ、俺がケンカなんてできるわけないじゃん。邪魔だったからどいてもらっただけだよ」
なんでもないことのように笑う雪に、颯真だけは気づいていた。
近くにいたベータの女の子が、間近で食らうアルファの威圧感に動けなくなり、泣いていたことに。興味なさげにアルファたちのケンカを眺めていた雪が、それを見て顔色を変えたことに。
アルファの争いをアルファが諌めようとすれば威圧の応酬になる。
諍いを悪化させることも多く、うまくやらなければ血を見る場合すらある。
それなのに鮮やかにあの場を収めてみせた雪は、それを誇るでもなく、穏やかなままだ。
(不思議なやつだな……)
誰とでも分け隔てなく接する雪は、入学早々友人を作っていた。
いつだって彼の近くには人がいてにぎやかだが、うるさいとか煩わしいとは思わない。
風のようにするりと入り込み、空気のように傍にいる不思議な男。
そんな雪が自分の心にも入り込み、居座ってしまうことになるとは、このときの颯真は思ってもいなかった。
「え~、そんなことあったっけ?」
入学してすぐの頃……と頭を捻って記憶を掘り起こしてみたが、全く覚えていない。
俺が、この俺が。泣いている女の子のために恐ろしいアルファ同士のケンカに割って入ったなんて、我が事ながら考えにくい。
でも颯真はこんなどうでもいい嘘なんてつかないしなぁ。
俺が忘れていることに若干肩を落とした颯真は、仕方なさそうに苦笑した。
わ、その顔。すごいキュンときた。
そう、颯真は笑顔がすごくステキな男なのだ。
彼のステキな部分をもっと広く知ってもらえれば、俺みたいな半端者に構う気も起きなくなるんじゃないかと思ってたんだけど。
「ユキにとっては特別なことじゃなかったんだな……覚えてなくてもいい。俺が勝手に意識しただけだから」
「ん、うん……」
本人がこれじゃあ、他のオメガなんて裸足で逃げ出してしまう。
颯真の甘い眼差しに耐えきれず俯いた俺に、彼はなおも柔らかい声で追撃してきた。
「体のことがまだ落ち着いてないだろうから、あまり急がせることはしたくなかった。ユキがせっかく猶予期間をくれたんだ、ゆっくり気持ちを伝えていこうって思ってた……けど、ダメだ」
「え」
手持ち無沙汰だった手が取られ、颯真の両手に包まれる。
ぎゅっと、少しだけ力を込められた。
「あの女が現れたとき、ユキがためらいなく去っていくのを見て、悠長になんてしてられないと気づいた。こっちからガンガン迫っていかないと、ユキはすぐにいなくなってしまう。一瞬でも目を離せば消えてしまうって」
「や、そんな、迷子になる子供みたいな……」
「子供ならまだマシだ。鍵をかけて、閉じ込めておけばいいんだから」
どうかと思う発言を吐き捨てるように口にする颯真に乾いた笑いが出る。
気を利かせてさっと離れたつもりだったのに、俺の行動はトラウマものの恐ろしさだったらしい。
確かに俺は、颯真にお似合いなオメガや女の子が現れたらすぐに身を引こうとするだろう。
俺じゃないほうがいい。颯真もすぐに気づくはず。俺なんかにうつつを抜かしていたことこそが間違いだったんだ、って。
「ユキは妙に自己評価が低いから、変な勘違いで離れたりしないようにしっかり捕まえておく。でも、性に関しては急かすつもりはなかったんだ、本当に。……なのにあのアルファ……」
柔和な表情ばかりの颯真が、眉を寄せ目を細め、唇を噛みしめるほど嫌そうな顔してる。
めちゃくちゃに嫌われてしまった大島に俺は内心同情した。
どうやら俺はアルファだった頃、大島の好みの男だったらしい。
彼の独特の嗅覚が、俺の些細な変化と颯真との関係性を絶妙に見抜き、横取りするためにコナをかけてきた────というのがここ数日の急接近の真相だ。
「俺はユキがオメガでもアルファでも、変わらず好きだし、時間をかけていつか恋人になれればいいと思ってた。なのにあいつ……ユキがアルファに戻ったら、あいつがまた出てくる!」
「あー……」
「一気にユキをアルファに戻したくなくなって……でもそんなことを言えばまたユキを追い詰める。オメガが物珍しいだけとか、体目当てだとか思われたら……」
頭を振って苦しそうに呻く颯真に、体目的じゃなかったのか~なんてことはとても言えず、口をつぐむ。沈黙は金だ。
その代わりに、もっと別のことを。
「颯真が不安なら、俺たち付き合っちゃう?」
「────え?」
握られたままの手にもう片方を添えて、手を握り合う。
体を重ねること以外は友達と何も変わりない関係が、颯真にとっては思いのほかストレスだったみたいだ。
でも俺たちがきちんとお付き合いを始めれば、解消できそうな悩みでしかない。
アルファに生まれた以上は、自分より小柄でか弱い誰かを好きになって、その人を守って生きるものだと思い込んでいた。そういうステレオタイプなアルファ像を目指すことが、普通だと思ってた。
でも体がオメガになって、颯真が真摯に俺を守ってくれて、いろんな形があっていいんだと思い知った。
ついでに受け身の気持ち良さも知っちゃったし、正直突っ込むだけの側には戻れそうにない。
そういう意味でも颯真なら俺を満足させてくれるし、向こうはなぜか知らないけど俺にベタ惚れっぽいし、今までの関係に名前をつけるくらい簡単なことだ。
不安そうにするくせに離す気が全然なさそうなこの手の力を見れば、このアルファが俺にどれだけ執着してるかなんてわかりきってる。
「俺を颯真専用オメガにするなら、颯真も俺専用じゃなきゃヤだからな?」
返答は、強い抱擁で返された。
痛いくらいぎゅうぎゅうと体を抱き締められながら、強くて優しくてかっこいい俺のアルファが少しだけ涙ぐんでいたことは、知らんぷりをした。
揃って下校して、二人で電車に乗り込む。
交わす言葉は少ない。その代わりのように、ずっと手を繋いでいた。
俺のフェロモンが漏れたらすぐにわかるように、颯真とくっついて電車に乗ることは多かった。満員電車で抱き合うように登校したことも少なくない。
でもこんなふうに、指を絡めあって手を握ったことはない。
俺、本当に颯真と恋人になったんだ……そう実感する。じわじわと嬉しさがこみ上げて、手汗が心配になった。
「怒らないで聞いてほしいんだけど」
見飽きた車窓の景色に視線を向けたまま口を開く。
颯真の気持ちを疑ったわけじゃないけど、きっと一時的なもので、いつか冷めると思っていたこと。
正真正銘本物のオメガが颯真の隣に立つ姿に未来を感じたこと。
颯真に求められないのなら、アルファに戻るつもりだったこと。それこそ、今日にでも。
「神様へのお供えっての? アレも買ったんだ」
近所のスーパーのギフトコーナーで、賞味期限が近づいて割引になったやつだけど。キレイに包装されてるし、三割引の赤札は取ってもらったからたぶんバレない。
これを持って神様に会って、体を元に戻してもらうつもりだった。
握られている手に痛いくらいの力がこめられる。
「……今も、アルファに戻りたい?」
「んーん。全部誤解だってわかったし」
ずっと先の未来まで見通せるわけじゃないけど、颯真は意味もなく俺を手放したりしないってわかった。
半端者のオメガでもいいって言ってくれた。
颯真が求めてくれるなら、この先ずっとオメガのままでいいって心から思える。
「だからこのお供えものは、オメガになるために使おうと思う」
「本当に、いいのか?」
「うん。俺がアルファのままでもいいって颯真は言ったけど、アルファのままじゃオメガのフェロモンに逆らえない。颯真以外の相手を、本能のせいで求めてしまうことがいつかあるかもしれない……」
電車の中はすごくうるさいのに、俺たちの会話は聞こえるのが不思議だ。
アルファに戻れば、見ず知らずのオメガのフェロモンに誘惑される可能性がある。抑制剤をきちんと服用していた颯真が、俺のオメガフェロモンに惑わされたことがあったように。
でも俺がオメガのままでいれば浮気する心配がなくなる。
颯真以外に体を暴かれるなんて死んでもごめんだけど、大島のときみたいに自衛もできる。
そもそもアルファを近づけさせなければ、俺みたいにタッパがあってガタイのいい男をオメガだと思う者はそういないだろう。
それにゆくゆくは番になれば、颯真が浮気する可能性も排除できる。
(つがい……)
いくらなんでも先走りすぎだ。
望んでいるかのような自分の思考に照れてしまった。空いているほうの手で熱くなった頬をごしごし拭う。
いつの間にか俺の中にも、独占欲が生まれてしまっていたみたいだ。
しっかりと繋がれた手を握り返す。
今はこれくらいの絆だけでいい。先のことは、未来の俺と颯真が考えるだろう。
それよりも俺たちには今優先すべきものがある。
「ねぇ颯真」
「ん?」
「お供えもの、神様に届けるのは……また今度にしよっか」
俺のことを知り尽くした一番の友達は、俺の言いたいことを正確に読み取ってくれたらしい。目元を染めて、声をひそめる。
「お供えものは改めて用意しよう」
「ん……」
それよりも今は、互いの熱を確かめたい。手に入れたという実感が欲しい。
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