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第二性選択編
16.壁ドンヘルタースケルター
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右半身がヒリヒリする。
なぜかって、誰かさんの視線が突き刺さりまくってるからだ。
二席ほどの間隔を空けて斜め前にある颯真の席から、授業中以外ずっと視線を感じる。
俺が手洗いに席を立ったり、友人とだべったり、窓の外をぼんやり眺めたりしている間ずっと、ずーっとだ。
「なぁ雪……」
「みなまで言うな。気づいてるよ」
「じゃあさぁ」
「言うな」
友人たちも、緊張と憐憫が絶妙に混ざりあった目を向けてくる。
こいつらのことだからどうせ、俺と颯真がケンカでもしたんだろうと思ってる。そしてその場合だいたい悪いのは俺で、早めに謝れと、そう促したいのだ。
しかし今回は今までの他愛もないケンカとはわけが違う。
いやそもそもケンカじゃない。意見の相違、認識の齟齬、それによって生じた関係性の変化……そして今日の放課後、すべてが決着する。
意外にも、俺の心は凪いでいた。
「……ユキ」
すべての授業が終了し、ホームルームを終えて担任が出ていって。
クラスメイトがまばらに帰り始める中、流れに逆らって颯真が俺の席に来た。
肩にかけている部活用のバッグを見て、俺は軽く手を振った。
「わかってる、部活だろ。ここで待ってる」
「……絶対な。帰るなよ」
「待ってるってば」
待つと言って途中で帰ったことなどないはずなのに、妙に食い下がられて苦笑する。
それだけ向こうも今日で決着させたいと思っているということだろう。
颯真はなんとも言えず苦々しそうな様子で教室を出ていった。
「さぁて」
俺と颯真の不穏な気配にベータの友人たちは逃げ帰ってしまったらしく、暇をつぶせそうな相手は見当たらない。
仕方なく、今朝読んでいた雑誌を鞄から引っ張り出した。
表紙の選手のインタビュー記事や、友人が教えてくれたスポーツ用品のページに期待していたわけじゃない。
でも普段は滅多に読まないジャンルの雑誌だけに、どの記事も興味深く読み進めることができた。
「何読んでんの?」
いつの間にか教室には俺しかいなくて、入り口からこちらへ真っ直ぐやってきた男子生徒に気づくのが遅れた。
俺の目線の高さまでしゃがんだ大島に雑誌の表紙を見せてやる。
「へぇ、雪こういうの興味あるんだ?」
「興味なかったから買ってみた」
「はは、なにそれウケる」
どこがウケるかは全然わからないが、相手にする必要はないだろう。
黙々とページをめくり、一通り気になるところは読み終えた。
その間、大島は立ち去るでもなくずっと俺の前に陣取っていた。もしかしたら一緒に雑誌を読んでいたのかもしれない。文字逆さまだけど。
「……なんか用事あったんじゃないの?」
一冊読み終わってから聞くことじゃないが、大島が立ち去る気配がないので仕方なく問いかける。
「用事はないけど、一緒に帰ろって誘いに来た」
「颯真の部活終わるの待ってるから無理」
「だよな。そうだろうと途中から察してたけどね」
じゃあなぜ諦めて帰らないのか。
胡乱な目で見つめる俺に大島はなぜか笑みを向けてきた。
でもそれは、いつもの人好きのする明るい笑顔じゃなくて、なんだか変な感じがする。
……場所を変えよう。
ここじゃなくても颯真を待つことはできる。なんなら剣道場の前で待ってればいいことだ。
鞄を肩にかけ席を立った俺に、当然のように大島はついてきた。
「ついてくんの? 颯真と鉢合うかもよ」
「それは困る。だから今終わらせちゃおうかな」
「は?」
振り返るのと、体を壁に押し付けられるのは同時だった。
咄嗟に状況が把握できず呆然としてしまう。
俺は今教室の壁に背と肩をつけていて、俺の前には大島がいる。腕で進退路を塞がれていて……いわゆる壁ドン状態だ。
何が悲しくて俺がドンされる側。
「ねぇ、最近雪、変わったよね」
「……んだよ」
「他のやつも噂してる。人当たりはいいけどあと一歩踏み込めない、孤高のアルファ香川雪。それがなんだか、雰囲気が柔らかくなって……エロくなったって」
「はぁ?」
色々、色々とツッコみたい部分はあったが、最後の一文だけぶっ飛んでいる。
なんだよ、エロくなったって。色気づいたって言いたいのか?
そんなん誰が噂してるんだ。
それに色気づくような心当たりなんて────考えて、俺は思わず固まった。
いや、あるわ。めちゃくちゃある。
オメガになったこと、颯真とヤってること、どっちも色気のある話だ。むしろ色でしかない。
「その顔は心当たりアリってこと?」
至近距離にいる大島に、俺の様子が変わったことなどすぐバレる。
仕方なく「だからどうなんだよ」と開き直ることにした。
「年頃のアルファなんだから、エロの一つや二つあるだろが。それとも何か、俺にそういう相手がいちゃ悪いって?」
「そんなこと言ってないよ。でも俺にとっては大問題」
「大島には一ミリも関係ない」
「関係ある。俺、雪のこと狙ってたんだから」
は?
俺は二度目の硬直に追い込まれた。
狙ってたって、この文脈で言われたらそれはもう、色っぽい意味でしかないだろう。
知らないうちに俺にはモテ期が到来していたらしい。
別々のアルファの男から短期間に二度も迫られるという、全く嬉しくないモテ期だけど。
俺が思考停止して逃げ出さないことに気を良くしたのか、大島はさらに体を近づけてきた。顔が触れ合ってしまいそうな距離だ。
「でも最近は、もっと違うことが気になってる」
耳元でそんなことを囁かれ、次の瞬間、大島の顔が俺の肩口に近づいた。
いや正確には首筋だ。匂いを、嗅がれている。
ぞわぞわぞわっと信じられないほど強烈な悪寒が背筋を這い上った。
「やめろって! 冗談にしちゃタチ悪い……」
「すげーいい匂いする。これ、オメガのフェロモンだろ?」
バレた。
いや、大島はアルファなんだからこれだけ接してればいつかはバレただろう。抑制剤でフェロモンを抑えているとはいえ、微量に漏れ出すものはどうしようもないらしいから。
でも俺は大島を遠ざけたりしなかった。
なぜかって。
颯真以外のアルファなんか、どうでもよかったからだ。
「いい加減にしろセクハラ野郎っ」
あと一秒だってこんなやつの近くにいたくない。
両側に突っ張られてる腕を素早く下から持ち上げ、無防備になった胴へ全力で回し蹴りをお見舞いする。
柔らかいような硬いような腹の感触を確かに捉えた。
中途半端な体勢から脚を振り抜いたせいでバランスを崩したが、なんとか壁にもたれ掛かって倒れることは防げた。
「うげっ」
逆に大島は脇腹に俺の蹴りをモロに喰らい、無様に床へ倒れた。
ざまぁ見ろ。今はオメガでも元々俺はアルファなんだ。同じくらいの背丈の男に負けるほど弱くない。
大島はすぐに半身を起こした。腹を擦っているやつに呆れながらも声をかける。
「おまえな、オメガかもしれない相手にあんなことすんなよ。本物のオメガって、護身用に催涙ガスとかスタンガンとか持ってる場合もあるらしいんだから」
「ご心配どうも……あーいってぇ……」
「自業自得」
そう、俺が生粋のオメガだった場合の方が大島は危険だった。
オメガに迫って返り討ちにあったアルファが逆に怪我をしたという傷害事件が何件もあることを、こいつだって知らないはずがない。
俺が中途半端なオメガで良かったな。いや良くはないが。
「ユキお待たせ……え?」
そして間の悪いことに、明らかに何かあったとわかる状態の現場に颯真が帰ってきてしまった。
俺と大島を見比べる颯真の目が一気に険しくなる。
そりゃそうだろう。壁に寄り掛かってる俺も、床に座り込んでる大島も「やばい」って顔してるからな。
「何があったのか、説明しろ」
この場で誰よりも強いアルファの命令に、俺達は揃って項垂れ「はい」と小声で返事することしかできなかった。
掃除が適当なのか、ちょっとザラザラする教室の床に正座させられる俺と大島。
その前には、仁王立ちする颯真。
今までどこに隠していたのかと思うくらい、アルファ様のオーラというかプレッシャー的なものがビシバシ放たれている。
怖くて顔を上げられない。さっきから俺の視界には床と颯真の足先しか見えない。
鈍感アルファ(今はオメガ)の俺でもばっちりわかるくらいだから、大島にとっては地獄のような空間になっていることだろう。
「で、さっきは何があった?」
張り詰めていた空気がふと緩み、俺はそっと顔を上げた。
いかにもケンカした後です、といった気まずそうな二人の様子に怪しい点はないと思ってもらえたのだろうか。俺が口を開こうとしたとき、横で大島が真っ直ぐ手を上げた。
なぜ挙手。
「はいどうぞ」
颯真も教師のように対応している。
もしかしてこの場は挙手制なのか。先に言って。
「まず最初に言っておきたいんだけど、今の俺は雪に興味ないです」
「……はぁ?」
最初から爆弾発言かましてきやがった大島にびっくりだが、その内容が酷すぎて俺の声が裏返る。
壁ドンまでして迫ってきたくせに、興味ないだと?
「俺のこと弄んでやろうとか思ってたのか? もう一発蹴ってやろうか」
「違う違う、落ち着いて。さっきまでは興味あった。でも今はない」
「それはつまり……俺がオメガだから、か?」
なんでそれを他のやつに知られているんだという意味の視線が颯真から痛いほど送られてきているが、今はそれどころじゃないので無視して大島だけを睨む。
大島は開き直っているのか、あっけらかんと頷いた。
「うん。俺アルファの男にしか興味ないんだ」
衝撃的な発言だった。
颯真も思わず口をぽかんと開けている。
そういう好みを持つ人が一定数いるという話は聞いたことがある。でも大部分は女性アルファが女性アルファを好む場合ばかりで、男性アルファのパターンは今はじめて出会った。
「おまえ……趣味悪いな……」
思わずつぶやいた本音を、大島は笑い飛ばす。
「やだな~趣味が良いと言ってよ。それに俺たぶん、椿と同じ立場よ?」
ね? と視線を向けられた颯真が、とても嫌そうに眉根を寄せる。
「椿も雪のこと好きだよな、そういう意味で。しかも雪がオメガだってことも知ってる。付き合ってんでしょ?」
「……」
「黙ると肯定と捉えるけど。付き合いはじめたの最近だよな、それまで雪にこんな色気なかったし」
「ちょっと。さっきもそれ言ってたけどなんなんだよ」
色気とかなんとか。俺はそんなもの出してない。
しかし大島は俺の抗議などどこ吹く風で「無自覚って怖いわ~」なんて言ってる。俺の疑問に答えるつもりはないらしい。
「雪がいきなり変わったし、今まで以上に椿と距離近いから、もしかして同類なのかな~と思って距離詰めたんだ。悪かったな。嫉妬した?」
「……」
「椿、こいつちゃんと捕まえとかないとすぐ横取りされるぞ。それでなくても誰にでもフラフラついてっちゃいそうだし」
「おまえに言われなくてもわかってる」
「あーはいはい、余計なお世話ね。一応言っとくけど俺、椿は守備範囲外だから安心してね。んじゃ、邪魔者は退散しま~す」
言うだけ言って、大島はさっさと教室から出ていった。
あいつ本当になんだったんだ。場をかき回して、片付けもせずに。
後に残されたのは黙り込む颯真と、未だ正座の俺。そろそろ足が痛くなってきた。
「……ユキ」
しばし沈黙が流れて、ようやく颯真がしゃべった。
手を取られ立たされる。
足がしびれてすぐには立てず、よろけたところを颯真がしっかり支えてくれた。
少しだけ、さっき感じたアルファのフェロモンみたいな匂いがする。
「ごめん。足しびれたよな」
「それはいいけど……颯真、怒ってない?」
「怒ってはいないけど、焦ってる」
焦る? なんでだろう。
確かに颯真はもう怒っていないようだけど、今度は脈絡のない言葉だ。
「本当は今日ユキに、無理にオメガのままでいなくていいって言おうと思って、時間を取ってもらったんだ」
「……あ! あの許嫁の子……」
そうだ、本題はそれだ。
大島のことがあってすっかり忘れていたけど、俺はその話をされるんだと思って身構えていたのに。
俺が「許嫁」と言った瞬間、颯真がより険しい表情を浮かべる。
「あれは違う」
「違うって何が?」
「あの女が俺の婚約者候補だったことは確かにある。でもそれは、十年くらい前までの話だ」
あの女だなんて颯真らしくない乱暴な物言いだ、と思ったけど口には出さなかった。
だって颯真がとても嫌そうに、憎々しげに話すものだから。
相当嫌いなんだろう。もしくは嫌な思い出でもあるのかもしれない。
でも俺の疑念は、あのオメガの子だけに限定された話じゃない。
「でも、さ。あの女の子じゃなくても、颯真はもっとちゃんとしたオメガの子と付き合うべきじゃない?」
「……何を……」
「イケメンで優秀で、優しくて将来有望で……颯真は俺なんかにはもったいないよ。この学校にはオメガがいないから、俺みたいなのに惑わされてるかもしれないけど」
「違う! ユキ、聞いて」
肩を掴まれて、無理やり目を合わせられる。
俺は知らないうちに俯いてしまっていたらしかった。真剣でひたむきな颯真の瞳から目をそらせない。
「性別は関係ない。ユキじゃなきゃダメなんだ」
口数の多くない颯真のいつになく多い言葉に、俺は耳を傾けた。
なぜかって、誰かさんの視線が突き刺さりまくってるからだ。
二席ほどの間隔を空けて斜め前にある颯真の席から、授業中以外ずっと視線を感じる。
俺が手洗いに席を立ったり、友人とだべったり、窓の外をぼんやり眺めたりしている間ずっと、ずーっとだ。
「なぁ雪……」
「みなまで言うな。気づいてるよ」
「じゃあさぁ」
「言うな」
友人たちも、緊張と憐憫が絶妙に混ざりあった目を向けてくる。
こいつらのことだからどうせ、俺と颯真がケンカでもしたんだろうと思ってる。そしてその場合だいたい悪いのは俺で、早めに謝れと、そう促したいのだ。
しかし今回は今までの他愛もないケンカとはわけが違う。
いやそもそもケンカじゃない。意見の相違、認識の齟齬、それによって生じた関係性の変化……そして今日の放課後、すべてが決着する。
意外にも、俺の心は凪いでいた。
「……ユキ」
すべての授業が終了し、ホームルームを終えて担任が出ていって。
クラスメイトがまばらに帰り始める中、流れに逆らって颯真が俺の席に来た。
肩にかけている部活用のバッグを見て、俺は軽く手を振った。
「わかってる、部活だろ。ここで待ってる」
「……絶対な。帰るなよ」
「待ってるってば」
待つと言って途中で帰ったことなどないはずなのに、妙に食い下がられて苦笑する。
それだけ向こうも今日で決着させたいと思っているということだろう。
颯真はなんとも言えず苦々しそうな様子で教室を出ていった。
「さぁて」
俺と颯真の不穏な気配にベータの友人たちは逃げ帰ってしまったらしく、暇をつぶせそうな相手は見当たらない。
仕方なく、今朝読んでいた雑誌を鞄から引っ張り出した。
表紙の選手のインタビュー記事や、友人が教えてくれたスポーツ用品のページに期待していたわけじゃない。
でも普段は滅多に読まないジャンルの雑誌だけに、どの記事も興味深く読み進めることができた。
「何読んでんの?」
いつの間にか教室には俺しかいなくて、入り口からこちらへ真っ直ぐやってきた男子生徒に気づくのが遅れた。
俺の目線の高さまでしゃがんだ大島に雑誌の表紙を見せてやる。
「へぇ、雪こういうの興味あるんだ?」
「興味なかったから買ってみた」
「はは、なにそれウケる」
どこがウケるかは全然わからないが、相手にする必要はないだろう。
黙々とページをめくり、一通り気になるところは読み終えた。
その間、大島は立ち去るでもなくずっと俺の前に陣取っていた。もしかしたら一緒に雑誌を読んでいたのかもしれない。文字逆さまだけど。
「……なんか用事あったんじゃないの?」
一冊読み終わってから聞くことじゃないが、大島が立ち去る気配がないので仕方なく問いかける。
「用事はないけど、一緒に帰ろって誘いに来た」
「颯真の部活終わるの待ってるから無理」
「だよな。そうだろうと途中から察してたけどね」
じゃあなぜ諦めて帰らないのか。
胡乱な目で見つめる俺に大島はなぜか笑みを向けてきた。
でもそれは、いつもの人好きのする明るい笑顔じゃなくて、なんだか変な感じがする。
……場所を変えよう。
ここじゃなくても颯真を待つことはできる。なんなら剣道場の前で待ってればいいことだ。
鞄を肩にかけ席を立った俺に、当然のように大島はついてきた。
「ついてくんの? 颯真と鉢合うかもよ」
「それは困る。だから今終わらせちゃおうかな」
「は?」
振り返るのと、体を壁に押し付けられるのは同時だった。
咄嗟に状況が把握できず呆然としてしまう。
俺は今教室の壁に背と肩をつけていて、俺の前には大島がいる。腕で進退路を塞がれていて……いわゆる壁ドン状態だ。
何が悲しくて俺がドンされる側。
「ねぇ、最近雪、変わったよね」
「……んだよ」
「他のやつも噂してる。人当たりはいいけどあと一歩踏み込めない、孤高のアルファ香川雪。それがなんだか、雰囲気が柔らかくなって……エロくなったって」
「はぁ?」
色々、色々とツッコみたい部分はあったが、最後の一文だけぶっ飛んでいる。
なんだよ、エロくなったって。色気づいたって言いたいのか?
そんなん誰が噂してるんだ。
それに色気づくような心当たりなんて────考えて、俺は思わず固まった。
いや、あるわ。めちゃくちゃある。
オメガになったこと、颯真とヤってること、どっちも色気のある話だ。むしろ色でしかない。
「その顔は心当たりアリってこと?」
至近距離にいる大島に、俺の様子が変わったことなどすぐバレる。
仕方なく「だからどうなんだよ」と開き直ることにした。
「年頃のアルファなんだから、エロの一つや二つあるだろが。それとも何か、俺にそういう相手がいちゃ悪いって?」
「そんなこと言ってないよ。でも俺にとっては大問題」
「大島には一ミリも関係ない」
「関係ある。俺、雪のこと狙ってたんだから」
は?
俺は二度目の硬直に追い込まれた。
狙ってたって、この文脈で言われたらそれはもう、色っぽい意味でしかないだろう。
知らないうちに俺にはモテ期が到来していたらしい。
別々のアルファの男から短期間に二度も迫られるという、全く嬉しくないモテ期だけど。
俺が思考停止して逃げ出さないことに気を良くしたのか、大島はさらに体を近づけてきた。顔が触れ合ってしまいそうな距離だ。
「でも最近は、もっと違うことが気になってる」
耳元でそんなことを囁かれ、次の瞬間、大島の顔が俺の肩口に近づいた。
いや正確には首筋だ。匂いを、嗅がれている。
ぞわぞわぞわっと信じられないほど強烈な悪寒が背筋を這い上った。
「やめろって! 冗談にしちゃタチ悪い……」
「すげーいい匂いする。これ、オメガのフェロモンだろ?」
バレた。
いや、大島はアルファなんだからこれだけ接してればいつかはバレただろう。抑制剤でフェロモンを抑えているとはいえ、微量に漏れ出すものはどうしようもないらしいから。
でも俺は大島を遠ざけたりしなかった。
なぜかって。
颯真以外のアルファなんか、どうでもよかったからだ。
「いい加減にしろセクハラ野郎っ」
あと一秒だってこんなやつの近くにいたくない。
両側に突っ張られてる腕を素早く下から持ち上げ、無防備になった胴へ全力で回し蹴りをお見舞いする。
柔らかいような硬いような腹の感触を確かに捉えた。
中途半端な体勢から脚を振り抜いたせいでバランスを崩したが、なんとか壁にもたれ掛かって倒れることは防げた。
「うげっ」
逆に大島は脇腹に俺の蹴りをモロに喰らい、無様に床へ倒れた。
ざまぁ見ろ。今はオメガでも元々俺はアルファなんだ。同じくらいの背丈の男に負けるほど弱くない。
大島はすぐに半身を起こした。腹を擦っているやつに呆れながらも声をかける。
「おまえな、オメガかもしれない相手にあんなことすんなよ。本物のオメガって、護身用に催涙ガスとかスタンガンとか持ってる場合もあるらしいんだから」
「ご心配どうも……あーいってぇ……」
「自業自得」
そう、俺が生粋のオメガだった場合の方が大島は危険だった。
オメガに迫って返り討ちにあったアルファが逆に怪我をしたという傷害事件が何件もあることを、こいつだって知らないはずがない。
俺が中途半端なオメガで良かったな。いや良くはないが。
「ユキお待たせ……え?」
そして間の悪いことに、明らかに何かあったとわかる状態の現場に颯真が帰ってきてしまった。
俺と大島を見比べる颯真の目が一気に険しくなる。
そりゃそうだろう。壁に寄り掛かってる俺も、床に座り込んでる大島も「やばい」って顔してるからな。
「何があったのか、説明しろ」
この場で誰よりも強いアルファの命令に、俺達は揃って項垂れ「はい」と小声で返事することしかできなかった。
掃除が適当なのか、ちょっとザラザラする教室の床に正座させられる俺と大島。
その前には、仁王立ちする颯真。
今までどこに隠していたのかと思うくらい、アルファ様のオーラというかプレッシャー的なものがビシバシ放たれている。
怖くて顔を上げられない。さっきから俺の視界には床と颯真の足先しか見えない。
鈍感アルファ(今はオメガ)の俺でもばっちりわかるくらいだから、大島にとっては地獄のような空間になっていることだろう。
「で、さっきは何があった?」
張り詰めていた空気がふと緩み、俺はそっと顔を上げた。
いかにもケンカした後です、といった気まずそうな二人の様子に怪しい点はないと思ってもらえたのだろうか。俺が口を開こうとしたとき、横で大島が真っ直ぐ手を上げた。
なぜ挙手。
「はいどうぞ」
颯真も教師のように対応している。
もしかしてこの場は挙手制なのか。先に言って。
「まず最初に言っておきたいんだけど、今の俺は雪に興味ないです」
「……はぁ?」
最初から爆弾発言かましてきやがった大島にびっくりだが、その内容が酷すぎて俺の声が裏返る。
壁ドンまでして迫ってきたくせに、興味ないだと?
「俺のこと弄んでやろうとか思ってたのか? もう一発蹴ってやろうか」
「違う違う、落ち着いて。さっきまでは興味あった。でも今はない」
「それはつまり……俺がオメガだから、か?」
なんでそれを他のやつに知られているんだという意味の視線が颯真から痛いほど送られてきているが、今はそれどころじゃないので無視して大島だけを睨む。
大島は開き直っているのか、あっけらかんと頷いた。
「うん。俺アルファの男にしか興味ないんだ」
衝撃的な発言だった。
颯真も思わず口をぽかんと開けている。
そういう好みを持つ人が一定数いるという話は聞いたことがある。でも大部分は女性アルファが女性アルファを好む場合ばかりで、男性アルファのパターンは今はじめて出会った。
「おまえ……趣味悪いな……」
思わずつぶやいた本音を、大島は笑い飛ばす。
「やだな~趣味が良いと言ってよ。それに俺たぶん、椿と同じ立場よ?」
ね? と視線を向けられた颯真が、とても嫌そうに眉根を寄せる。
「椿も雪のこと好きだよな、そういう意味で。しかも雪がオメガだってことも知ってる。付き合ってんでしょ?」
「……」
「黙ると肯定と捉えるけど。付き合いはじめたの最近だよな、それまで雪にこんな色気なかったし」
「ちょっと。さっきもそれ言ってたけどなんなんだよ」
色気とかなんとか。俺はそんなもの出してない。
しかし大島は俺の抗議などどこ吹く風で「無自覚って怖いわ~」なんて言ってる。俺の疑問に答えるつもりはないらしい。
「雪がいきなり変わったし、今まで以上に椿と距離近いから、もしかして同類なのかな~と思って距離詰めたんだ。悪かったな。嫉妬した?」
「……」
「椿、こいつちゃんと捕まえとかないとすぐ横取りされるぞ。それでなくても誰にでもフラフラついてっちゃいそうだし」
「おまえに言われなくてもわかってる」
「あーはいはい、余計なお世話ね。一応言っとくけど俺、椿は守備範囲外だから安心してね。んじゃ、邪魔者は退散しま~す」
言うだけ言って、大島はさっさと教室から出ていった。
あいつ本当になんだったんだ。場をかき回して、片付けもせずに。
後に残されたのは黙り込む颯真と、未だ正座の俺。そろそろ足が痛くなってきた。
「……ユキ」
しばし沈黙が流れて、ようやく颯真がしゃべった。
手を取られ立たされる。
足がしびれてすぐには立てず、よろけたところを颯真がしっかり支えてくれた。
少しだけ、さっき感じたアルファのフェロモンみたいな匂いがする。
「ごめん。足しびれたよな」
「それはいいけど……颯真、怒ってない?」
「怒ってはいないけど、焦ってる」
焦る? なんでだろう。
確かに颯真はもう怒っていないようだけど、今度は脈絡のない言葉だ。
「本当は今日ユキに、無理にオメガのままでいなくていいって言おうと思って、時間を取ってもらったんだ」
「……あ! あの許嫁の子……」
そうだ、本題はそれだ。
大島のことがあってすっかり忘れていたけど、俺はその話をされるんだと思って身構えていたのに。
俺が「許嫁」と言った瞬間、颯真がより険しい表情を浮かべる。
「あれは違う」
「違うって何が?」
「あの女が俺の婚約者候補だったことは確かにある。でもそれは、十年くらい前までの話だ」
あの女だなんて颯真らしくない乱暴な物言いだ、と思ったけど口には出さなかった。
だって颯真がとても嫌そうに、憎々しげに話すものだから。
相当嫌いなんだろう。もしくは嫌な思い出でもあるのかもしれない。
でも俺の疑念は、あのオメガの子だけに限定された話じゃない。
「でも、さ。あの女の子じゃなくても、颯真はもっとちゃんとしたオメガの子と付き合うべきじゃない?」
「……何を……」
「イケメンで優秀で、優しくて将来有望で……颯真は俺なんかにはもったいないよ。この学校にはオメガがいないから、俺みたいなのに惑わされてるかもしれないけど」
「違う! ユキ、聞いて」
肩を掴まれて、無理やり目を合わせられる。
俺は知らないうちに俯いてしまっていたらしかった。真剣でひたむきな颯真の瞳から目をそらせない。
「性別は関係ない。ユキじゃなきゃダメなんだ」
口数の多くない颯真のいつになく多い言葉に、俺は耳を傾けた。
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