【完結】その令嬢は、鬼神と呼ばれて微笑んだ

やまぐちこはる

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35話

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 ムリエルガ辺境伯家の使用人ドランは、気絶したまま的に括られたジャン・エスカ男爵の頬をぺちぺちと叩いて起こそうとしていた。
 このまま終わるまで意識を取り戻さなかった場合、また日を改めてやり直しであり、次回はより成敗的意味合いが強くなるのが一般的である。

 男爵のためにも自分たちのためにも目を覚ましてもらいたいと、知らず知らずのうちに力が込められていたらしい。

「痛いっ!」声があがった。
「目が覚めましたか?」

 ぼんやりしているようだ。

「離せ」
「それはできませんね。まだ終わっていないですから」
「おわ・・・る?」
「謝罪の途中でしょう?ほら、よくまわりを見てくださいよ。隣にいた先生は全部の矢を受けましたよ」

 ─そうだ!─

 隣の的に括られたドレロは確かにもういない。

「無事なのか?」
「ふふ、さあね。マリ様の腕は間違い無いとはいえ、突風が吹くこともあるし」

 ナーガは怯えさせるだけ怯えさせて、的の準備をすると離れてしまう。

 ─無事・・・無事だよな?まさか、いや─

 考えているうちに、マリエンザが矢を放った。

 ひゅんっ!どすっ!

 エスカ男爵のくせ毛に埋もれた的を正確に射抜いたが、髪も切れたらしくパラパラと髪が落ちるのを見て、エスカ男爵は今日二度目の気絶と相成った。

「あーあ、なんてだらしないんだろうなあ」

 ガンザルの呆れ果てた声にも、目覚める気配はない。

「お父様、もう男爵様はこの辺でよろしいのでは?こんなに何度も気絶されては先に進みませんもの。何でしたら最後の的の分は慰謝料で頂いて、皆に振る舞ってやってくださいまし」
「マリエンザはそれでいいのか?」
「ええ。首謀者というわけではございませんしね」

 ドランに合図をして的から下ろすと、せめてこのくらいの嫌がらせはと、ドランは縄は解かずに男爵を弓道場の外にそのまま転がしておくことにした。

「最後の二人も一緒に並べていいのか?」
「ええもちろんですわ」

 面倒くさそうな答えを聞いたガンザルが、顎でしゃくるようにナーガたちに指示を出すと、ムリエルガの屈強の男たちは小動物のようにフェリとダーマを縄ごと掴み、的に括りつけた。

 ダーマは猿轡をしているのでなにも話せないが、フェリは恐ろしすぎて口が動かないらしい。たぶん口の中もカラカラに乾いているのだろう、瞬きすらしない。

 射場にすくっと立ったマリエンザは、フェリだけを見る。

「あっ、あっああ」

 水面にあがった魚のように口をはくはくしているフェリに、ナーガが近寄り

「さあ。的を持って」

 両手に小さな的を持たせられ、頭にも一枚の小さな的をのせた。

「固まってるみたいだから、そのままじっとしておけばすぐ終わる・・・といいけどな」

 ふふっと笑いを残してその場を離れるナーガに、

「まって、たすけて」

 頼りなく縋りつくよう呟いたが、ナーガはにっこり笑うと

「なぜ?我らのマリ様を害そうとするような者を助けてやらねばならんのだ?強風でも吹いて的を外せばよいとさえ思うぞ」

 ふんっ!と息を吐きだして「まあ楽しめよ」と走り去った。

 マリエンザは矢をつがえて、ゆっくり弓を引く。

「ひっ、ひっ」

 引きつけを起こしているようなフェリの様子に頓着することもなく。

「その小煩い蝿がターディにまとわりつくのを諌めもせず、助長したと聞きましたわよ」

 聞こえているかは、わからないが。

「汚らしい蝿はただ追い払うだけでは足りませんわ」

 そう呟いて、矢を放った。
的は割れたがフェリの手にも微かに擦り傷ができた。

「ああ残念!思ったほどてられなかったわ」

「マリ、てるつもりだったのかあ!さすが鬼と呼ばれるだけある!」

 無邪気に笑うツィータードに寒気を覚えたハーバルとメルマは、相手を励ますように身を寄せ、お互いの震えを感じ取っている。



 フェリの左手を狙ったマリエンザが的を割ると、大袈裟に言った。

「ああ、今度もまたちょっとしか掠らなかったわ!残念」



 ハーバルは、その一言にマリエンザがわざとやっている、いや、わざとほんの少しだけ掠らせて恐怖心を煽っていると気がつき、とうとう震えが抑えられなくなってしまう。

「父上?大丈夫ですか、真っ青だ!風邪でも引いていらしたのですか?」

 ツィータードはまったく的外れな心配をしたが、ハーバルはその言葉に助けられた。

「あ、ああそうなんだ。昨夜から熱があって」
「なんと!それは無理をさせて済まなんだ!」

 聞きつけたガンザルが軽く詫びる。

「ええ、今日は風も冷たいし冷えるとよろしくないですから、室内にお入りになったらいかがかしら?あっ、最後までご覧になりたいなら毛布でもご用意致しますけれど」

 イルメリアは熱があるという嘘を信じたようだ。

「い、いや毛布はいい。寒気がするから暖かいところでちょっと休ませてもらっても?」
「もちろん!」

 ハーバルはメルマの手を握ったまま、よろよろと立ち上がった。

 ─チャンスだ─

 そう、この恐ろしい場所から脱出する・・・

 二人揃ってほうほうのていで弓道場を出ると、壁に生徒や教師たちが張り付いて中を窺っていた。
 ハーバルたちが出てきても、誰も一言も話さない。恐怖に目を見開いて、それでも目を離すことができずに壁にしがみついて見ている。

「はあ」

 異常な緊張感から解放されたドロレスト侯爵夫妻は、忌まわしい弓道場から少しでも遠くへ行こうと足を早めて医務室へと逃亡した。

 医務室に駆け込むと、ハーバルは寝台に転がり込む。隣りにへたりこむよう座ったメルマを抱き寄せると震えはまだ止まらない。

「恐ろしいわ、私」
「ああ、私もだよ。マリエンザ嬢は・・・おとなしくやさしいご令嬢だと思ったのに」
「ツィータードはどうしてあんなにうれしそうなの?怖くはないのかしら?」
「ん・・・。マリエンザ嬢のあの強さが気に入っているとしか見えない・・・」
「ねえ、私たちの娘になるのよ、どうしましょう」

 女傑と呼ばれていても、これとあれではレベルが違う。笑いながらわざと手を掠めるように矢を射るマリエンザが恐ろしくてならない。

「しかし、親になる者にはきっとやさしくしてくれるのではないか?」
「そうだとよいのだけど、もし違ったら?」
「それはアレだ、ほら、けっして逆らってはダメ。一生逆らわないし、絶対に裏切らないってツィータードが言っていただろう?」

 ドロレスト侯爵夫妻は大きく頷いた。侯爵家がムリエルガ辺境伯家の軍門に下った瞬間だった。
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