【完結】その令嬢は、鬼神と呼ばれて微笑んだ

やまぐちこはる

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37話

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 静まり返った弓道場で、ナーガが的に括ったダーマ・エスカと何か言葉を交わしたあと、唾でも吐きそうな不快そうな顔をしてその場を離れるのを見た者は、何があったかを想像してナーガに同情した。
 よほどむかつくことを言われたのだろう。

「耳が汚れた」

と言っているのが聞こえてきたから。



「長くなった。そろそろ終わりにしろ」

 ガンザルがマリエンザをもう一度送り出す。

「ええ。ちゃっちゃとやってしまいますわね」

 ふふんと笑うと、弓を構えた。


 赤い矢をつがえるとキリキリと弓を引いて、狙いは右手ぎりぎりだ。
放たれた矢はダーマの手の甲を掠めて小さな掠り傷をつけた、もちろんわざとだ。左手にも同じように。そうして恐怖心を十分に煽ってからようやく、両手に握りしめられた的を割った。

 最後は頭の上の的。

 ダーマの目は怯えてこれ以上ないほどに見開かれているが、マリエンザはかわいそうだとは思わない。

「ムリエルガでは。矢が外れてもしものことが起きたら、それは命を持って罪を償ったと見做され、丁寧に葬られるのです。例えわざと的を外したとしても、儀式で矢を放った者が咎められることはないのですわ。言っていること、わかりますわよね」

 上機嫌にコロコロと笑うが、言葉とのギャップが恐ろしすぎて立会人は弓道場の隅で失神しかけていた。
 ダーマも。

 ─殺される!─

 ニィィっと美しい顔に似合わぬ笑みを浮かべたあと、とうとう最後の矢をつがえた。
 遠くからでもマリエンザの視線の強さがわかる。

 ダーマは、ひゅんっ!という音と矢がまとった風を感じて意識を手放した。
がくっと頭が垂れたことで的が落ちてしまう。

「あーあ。気絶しちまった」

 ナーガが髪を掴んで顔を持ち上げると、薄っすら開いた瞼の隙間から白目が見えた。

「仕方ないな。ダーマ・エスカの謝罪は成されなかったと宣言する」



 ─ここまでしたのに?もういい加減許してやってもいいじゃないか!─

 立会人の学院理事はそう思ったが、口にはしなかった。ムリエルガの者がどれほど残酷か。まったく迷わず弓を引いたマリエンザ、笑いながら見守るムリエルガ辺境伯夫妻とその手勢。そしてすっかりムリエルガに染まったツィータード・ドロレスト。

 ─ここに自分の味方はいない。何も言ってはいけない─

 迂闊なことを言って、ムリエルガの怒りが自分に向くのは避けねばならないから。


 ナーガが、気絶したダーマ・エスカを的から外して、縄でぐるぐる巻かれたまま担ぎ上げると、ガンザルの指示でエスカ男爵たちが転がされているだろう医務室に運ぶよう指示をした。

「どいつもこいつも根性が足りんな。謝罪が成立しなかった者は、割られることのなかった的の数だけ慰謝料を毟りとろう!」

 はははっと豪快に笑ったガンザルに、立会人はもう一度震え上がる。

 ─下手なことを言わなくて本当によかった─


 もうこの場から解放されることに、ほっと胸を撫でおろしていた。




 弓道場を出ようとマリエンザの手を取ったツィータードが、ふと気づく。
 校舎の屋上からたくさんの生徒や教師が弓道場を覗き込んでいることに。軽く手を振ると、蜘蛛の子をちらしたように一斉にいなくなったが。
廊下に出たら、そこにもたくさんの生徒や教師が僅かな隙間に張り付き、中を窺っていた。

 ドアを開けたとき、皆の目が怯えていたことに気づいたが、恐れられてこそムリエルガと思っているガンザルは意に介さず、人混みをかき分けて校長室へと向かうのだった。


 校長室ではショックから立ち直ったドロレスト侯爵夫妻、無事許されたスメロニ校長とドレロが黙りこくって椅子に座っている。

「待たせたな」

 ムリエルガ一行とツィータード、立会人の理事とで戻ってきたのを見て、ハーバル・ドロレスト侯爵が首尾を訊ねた。

「ん。結果として、エスカ男爵家の者は、誰一人として的を割り切ることが出来なかったので、その分は慰謝料を請求する」
「あの・・・我々は」

 スメロニ校長が恐る恐る訊ねると

「謝罪をやり切った者は、ムリエルガでは一切を水に流し遺恨もない」

 言い切ったガンザルの言葉に大きな安堵のため息が漏れ、スメロニ校長はやっと少しだけ笑むことができた。

 さて。

 先程まで弓道場で行われていたムリエルガの儀式を覗いた生徒たちは、儀式の恐ろしさと、マリエンザの苛烈さで話は持ち切りだ。

「あんなにおとなしそうだったのに、あれほどの恐ろしさを秘めていたとは!」
「いや、そもそもあそこまで怒らせたほうが悪いだろう?エスカ嬢は相当なものだったぞ」
「ツィータード様はあんな・・・恐ろしくないのだろうか?」
「でも級友にはやさしい!あんなに怒らせたらヤバいというだけで」
「怒らせたらあんなだと知ったら、恐ろしくて付き合えない!」
「ツィータード様は彼女を鬼神と・・・」
「鬼神?」

 喧々轟々である。
 だがリリやロリエラはすましたものだった。
確かに初めてみたマリエンザのその顔は恐ろしすぎたが。
 しかし、やさしいマリエンザも間違いなくいるのだ。裏切らなければマリエンザが自分たちにあの牙を向くことはない、恐れずに友としてそばにいられると、そう心から思うことができた。
 ただドロレスト侯爵夫妻は違った。
未来の義娘には絶対服従すると夫婦の中で決める。ツィータードにもやらせたのだから、自分たちに向けられないとは限らない。大変なことになったと初めて国王陛下を心から恨んだ。


 それ以降マリエンザとツィータードの卒業までの学院生活は、一見穏やかなものになった。ツィータードの友コリドーは、ムリエルガの人々を面白がってマリエンザとはむしろ仲良くなった。弓を教えてもらうほどにだ。
 リリとロリエラ、カーラとはムリエルガ家のタウンハウスで頻繁に茶会を催しており、三人の令嬢たちはマリエンザの苛烈な顔なんて幻だったような気さえしている。
茶会で恋話に盛り上がるマリエンザは本当に、ただのツィータードに恋する乙女に過ぎないから。

「髪が風に揺れると、ターディの香りが私を包んでくれるようで、それさえもドキドキしてしまうの!」

 うれしそうに頬を染めて話すマリエンザである。

 しかし、おおっぴらには話されることはないものの、間違いなくあの噂は学院を、そして生徒たちからその親を通して静かに社交界へと広まっていった。

「ムリエルガ辺境伯家ご令嬢マリエンザ様は、美しい容姿とは裏腹の苛烈で残酷な性格、令嬢ながら武術の達人でもあり。中でも投擲と弓を得意とし、彼女の怒りを買った者は漏れなくその洗礼を受ける。美しくも怒れる鬼神の如き姿を目にした者はその力に服従させられ、二度と裏切ることはない」

 マリエンザの耳にも、その噂は聴こえていた。

「マリ、すごい言われようだね」

 ツィータードが面白そうに笑う。

「ターディ、あなたが最初に私をそう呼んだのでしょう?」
「ああ、そうだ。私の美しくかわいらしく恐ろしい鬼神」
「そう言われるの、とってもうれしいわ」
「まわりから言われるのは、大丈夫か?」

 ツィータードが覗き込む。

「ええ、もちろん。皆様が私を鬼神と呼んでくださるなんて、それはムリエルガ家の者にとって最高の誉れですもの!むしろうれしいくらい」

 赤毛の令嬢は茶目っ気たっぷりにそう言って、ころころと笑った。





 ─学院を卒業して半年後。

 ドロレスト侯爵家とムリエルガ辺境伯家の華燭の宴は盛大に行われた。

 王家はドロレスト侯爵家に辺境伯の目付を期待し、仰せつかったと頭を下げた侯爵夫妻だが、本当のところはムリエルガ家に根っこから握られて絶対服従を誓っている。
 そう、マリエンザはドロレスト侯爵家にあの儀式を持ち込んだのだ。
 当代のムリエルガ辺境伯家が王家に対し叛意を持つことはなくても、辺境伯家の内側に侯爵家を送り込めたと思ってほくそ笑む王家の裏をかき、辺境伯家と侯爵家はがっちり結びついて、その力をさらに強大に高めていくことに気づくことは出来なかった。

 そう、いつか。
 まだ暫く先の未来、王家よりさらに豊かで強大、圧倒的な力を蓄えたムリエルガ家が、無理難題を押し付ける王家を見放した貴族や民に請われて独立国家を樹立する日がやってくるのだが、それはまた別のお話。


 さて。
 マリエンザの恐ろしささえも美しいと惚れ込んだツィータードは、その一生をマリエンザのしもべのように尽くして。
 マリエンザは尽くされて当然とは思わず、素のままの自分を愛してくれるツィータードを支え、あるときはその背に庇いながら二人の子を厳しく育て上げた。
 ふたりは他の貴族とは一線を画した家族の成り立ちだが、長い人生を共に歩み、家族に見守られながら仲良くしあわせに朽ちていったのだった。






∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 本編はこれにて完結です。最後までお読みくださり、ありがとうございました。
明日からダーマ編4話の更新がありますのでもう少しお付き合いくださいませ。
 またダーマ編と並行し、新作『貧乏令嬢は自分の力でのし上がる!後悔?先に立たずと申しましてよ。』を明日から公開します。
こちらもどうぞよろしくお願いいたします。
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