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第二章:ウラノスとウロボロス
力の自覚
しおりを挟む勤め先の孤児院に辿り着くと、古びた門の傍には見慣れた姿が見えた。
色素の薄い髪をボブカットにしたその女性は、この孤児院の経営者でオレの……そうだな、姉さんみたいな人だ。名前はミトラ、怒るとメチャクチャ怖いけど、いつだってオレや子供たちのことを一番に考えてくれる優しい人だ。歳は三十手前くらいだと思うんだけど、聞くと物凄い笑顔で威圧してくるから正確な年齢は知らない。
ミトラはこちらに気付くなり、大慌てで目の前まで駆け寄ってきた。
「リーヴェ! いつまでも避難所に来なかったから、何かあったんじゃないかと心配してたのよ、大丈夫だったの!?」
「あ、ああ、ごめん。色々あったけど大丈夫だよ、コイツに……ヴァージャに助けてもらったんだ」
連絡しようにも神さまを置いていくわけにもいかなかったし、マックやティラのこともあったからなぁ。ヘクセとロンプをぎゃふんと言わせたのが効いたのか、あれ以来何も吹っかけてはこなかったけど。
ついでにヴァージャのことを紹介すると、ミトラはその顔にありありと安堵を滲ませ、上半身を腰からしっかりと前に倒して深々と礼をひとつ。
「そうだったの……リーヴェを助けて頂いて本当にありがとうございました。この子は昔から目離しならない子だったから、もう心配で心配で夜も眠れなくて……」
……姉さんみたいな人っていうより、アレだな。母さんみたいな人だな。友達に余計なことまでべらべら言っちゃう系の。ヴァージャはそんなミトラを前に「いや」とだけ呟いてゆるりと頭を横に振った。
するとミトラは、深々と下げていた顔を弾かれたように上げるなり、今度は掴みかかってきた。
「そ、そうだわ、リーヴェ。ここに来るまでにアンを見なかった?」
「アン? いや、見てないけど……中にいないの?」
「ええ、散歩に行ってくるってさっき出て行ったきりまだ帰ってこないのよ。あの子、なんだか最近元気がなくて……何かあったのかしら」
アンはこの孤児院に住んでる十一歳の女の子だ。六歳の頃に親が病死して、他に身寄りもなく近くを彷徨っていたところをミトラに拾われた。女の子の十一歳、何かと難しい年頃に片足を突っ込み始めてるんだろう。とは言え、放置したらミトラの方が心配で倒れかねない。
「じゃあ、オレが探してくるよ。アンも年頃だ、色々とあるんだろうさ。話してくれるかはわからないけど、それとなく聞いてみるよ」
「そう……? それじゃあ、お願いしようかしら……」
孤児院にいる子供はアンだけじゃない、建物の中にはまだまだ悪ガキどもがたっぷりいる。ミトラはあいつらの傍を離れられないだろうし、アンも女同士のミトラにも言えない何かがあるんだろう。
持っていた荷物を彼女に預け、心配そうなミトラに見送られながらアンを探しに行くことにした。もちろん神さまも一緒に。
* * *
アンがいつも散歩に出掛ける先と言えば、街の中央広場だ。あそこには彼女のお気に入りの噴水がある。背中を向けた状態でコインを投げ入れると願い事が叶うっていう……どこにでもあるような噂があって、たくさんのコインが沈むその中をいつも楽しそうに見つめていた。
どうせ今日もそうだろうと思ってヴァージャと共に中央広場に足を向けると――確かにアンはいたけど、今日はどうしたのか噴水を覗き込むのではなく、縁に座って俯いていた。確かに元気がなさそうだ。
「彼女がそうか?」
「ああ、……ちょっと行ってくる。少しここで待っててくれ、近くの店とか見てていいから」
何かに悩んでいるのだとしたら、いきなり見ず知らずのイケメンを見たら余計に固く口を閉ざしてしまいかねない。年頃の女の子の扱いはなかなかに難しいものだ。ひとまずヴァージャをその場に置いて、アンの元へと向かった。
すると、傍に寄る前に彼女の方からこちらに気付くと、その顔を笑みに綻ばせた。
「……あっ! リーヴェ! 生きてたんだ!」
「連絡できなかったのは悪かったけど勝手に殺すなよ、この通りピンピンしてるって」
「ミトラには会った? みんなすごく心配してたんだよ!」
「今会ってきたよ。そうしたらアンが帰ってこないって真っ青になってたから」
こうして話してると別に普通だ。アンは明朗快活な女の子で、少しおませさんで、どこにでもいるような普通の子なんだ。けど、隣に腰掛けてそう返答すると、すっかり元気も勢いも失ってしょんぼりと俯いてしまった。
「……あたし、なんだか自信がなくなっちゃったの。どれだけ勉強してもダメな気がして」
しばらくそうしていると、やがてアンがぽつりと話し始めた。
アンは勉強が好きな努力家だ。もうじき学校に入るための試験があるから、それに合格できるようにと毎日ずっと勉強を続けてる。どんなに頑張っても実を結ばないような気がしてるんだろう。
「ミトラはみんなの面倒を見るだけで大変でしょ? だから……こんなこと相談できなくて」
うちは悪ガキどもが多いからな、この数日はオレもいなかったから余計に大変な想いをしたことだろう。しかし、まだ十一歳の女の子がこんなふうに気を遣って、何ともいじらしいじゃないか。
片手をポンと彼女の赤茶色の頭に置いて、いつもしているようにゆったりと撫でた。本当に子供ってのは可愛くて仕方ない。
「何言ってるんだよ、いつもあんなに頑張ってるんだ。駄目なんてことがあるか。学校でいっぱい勉強して、偉いお医者さんになるんだろ?」
「……うん。ママのこと、助けてあげられなかったから……」
「アンが人一倍頑張ってるのはオレもミトラもみんな知ってる、きっと大丈夫だから自信持て。弱音吐きたくなったらいつでも聞くからさ」
ちょっと無神経かなと思ったけど何とか元気づけたくてそう声をかけたら、何を思ったのかアンがいきなり立ち上がった。怒らせたかと思ったのも束の間、どうやらそういうわけではないみたいで。弾かれたようにこちらを向いた彼女は頬を真っ赤に染めて、目を輝かせていた。少し興奮気味に見える。
「……あたし、よくわかんないけどすっごくやれる気がしてきた!」
「そ、そう?」
「うん! リーヴェに聞いてもらってよかった! あたし先に戻って早速勉強するね、遅れた分を取り戻さなきゃ!」
捲し立てるようにそう告げると、アンは手を振ってさっさと孤児院の方へと走っていく。後に残されたオレは何が何だかさっぱりだ。どの言葉が役に立ったのかもわからな……ん? いや、待て。
そこまで考えて、思わず自分の手の平を見つめた後、店先が建ち並ぶ方へと目を向ける。すると、アンと入れ替わるような形でヴァージャがこちらに歩いてきた。その整い過ぎた顔面に薄らと笑みさえ浮かべて。
『――お前は想いの力によって、他者に力を与え、能力や才能を最大限に引き出す特殊な力を有している』
この前ヴァージャが言ってた例の力って、もしかして今の……地味だけど、メチャクチャ地味だけど、今のやつ?
「そうだ、それがグレイスの力だ。ようやく自覚したか。……あの少女、まだまだ伸びるぞ。試験とやらは楽に通るだろうな」
「マジかよ……」
どうやら、いつも無意識に力を使っていたらしい。あまりにも地味でまったく気づかなかったけど。言われてみれば思い当たることがあるような気がした。
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