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八話 孕む12人の妃
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七晩続いた宴のあと、12人の妃たちは実家に帰った。
おそらく誰もが腹に子を宿した感覚があったのだろう。
後宮にいては、足の引っ張り合いにあって、万が一にも流産するかもしれない。
次代さまの母になれる機会を、そんなことで失ってはたまらないと、一族総出で妃たち母体を護ることにしたのだ。
妃たちは自覚があった通り、12人ともが妊娠していた。
その吉報に喝采を上げる12人の大臣たち。
あとは誰の子の額に竜王の印があるかだ。
なにしろ12人もの子が産まれるのだ。
そのうちの何人かは印持ちかもしれない。
期待ばかりが膨らむ大臣たちは、落ち着かず政務が疎かになり始めた。
次代さまが誕生するかもしれない話題で王宮内は沸いていたが、竜王が囚われたままの地下室は静謐が満ちていた。
暴れられでもしたら、せっかく宿った次代さまごと妃たちを殺しかねないと判断されて、あのあとも竜王は磔にされていたのだ。
焦点の合わぬ眼差しで、虚空を見つめる竜王。
もう声も涙も枯れ果てた。
腹の子に夢中な妃たちも、竜王に代わり権力をふるう大臣たちも、誰も竜王を訪ねない。
静かで暗くて代わり映えのしないこの部屋で、自分は朽ちるのだと竜王は思った。
番だった美子のことを想う。
同じ黒髪であったことまで運命のように感じた。
初めて会ったときの衝撃と多幸感。
手を振りほどかれ、拒絶されたときの悲しみ。
そこから溝を埋めるために美子と毎日を一緒に過ごした。
日本のことをたくさん教えてもらった。
美子の名前の意味がうつくしい子だと知って、その通りだと思った。
名前を持たぬ竜王には、日本語で名前をつけてくれた。
竜族で一番偉いから、竜一。
文字を知らない竜王にも書きやすいようにと考えてくれた。
美子の指で竜王の手のひらの上に、竜一と書いてくれるのが嬉しかった。
ずっと一緒にいたいと思った。
ずっと一緒にいられると思った。
大切で、誰にも見せたくなくて、宝物だった美子。
私の番。
今も愛しい。
竜王の指の爪はすべて、鎖を解こうと暴れたときに剥がれ、そこにはかさぶたが出来かけていたが、ぎゅっと床に人差し指を押し付けるとプチリとひびが入り、血がにじみ出てきた。
竜王はわずかに動く指で、床に美子の名前を漢字で書いた。
それをしばらく眺めたあと、隣に竜一と書いた。
せめて名前だけは。
隣同士で一緒に。
そして瞼を閉じた。
最初は気のせいだと思った。
暗がりの中から、パチパチと何かが爆ぜる音がする。
竜王はうっすらと目を開く。
小さな火花が、顔の周りをゆらりゆらりと飛んでいた。
竜王の乾ききった瞳が潤み、すぐに滂沱の涙が流れる。
それは失くしたはずの温かさだった。
「そこにいるのか、美子」
「護ってやれなくて、すまなかった」
「どうか私を叱ってくれ」
「あの日のうちに美子の元へ帰れなかった」
「妃たちとは、関係を持たないと言ったのに」
「美子だけを愛すると誓ったのに」
「約束を、守れなくて……」
強靭だった竜王の口から嗚咽が漏れる。
「……もう、愛してはもらえないだろうか」
「こんな汚れた私では、もう……」
「私も美子と同じニンゲンであればよかった」
「ただ一人を愛し、共に生きることができたら」
「それはどれだけ幸せなことだろう」
「竜王でなければ出会えなかったが、竜王であるばかりに添い遂げられぬ」
「愛しい……美子が愛しい。私の番、私の宝物」
火花がひときわ大きく輝いた。
竜王は番の気配を察する能力で、なんとか美子の感情を受け取ろうとする。
『竜一』
『だったら一緒に行こう』
『私の世界に』
『生まれ変わるの』
『竜王の体を捨てて』
『人間に』
竜王に少しの迷いもなかった。
小さな火花に導かれるように、竜王の額にある8の字の印から、赤い煙が立ち上る。
小さな火花と赤い煙は絡まりあい、久しぶりの再会を喜ぶようにクルクルと回った。
そうして静かに、風に乗って飛んでいったのだった。
◇◆◇
美子は死んだ。
死んでからしばらくして、自我なのか魂なのか、とにかくふわふわした形あるものになった。
空中に浮かんでいる美子の下には、食べつくされた自分の遺体が放置されている。
それを見ても何も感じない。
怖いという思いも、悲しいという思いも、あの体に置いてきてしまったのだろう。
そして、生きている間は駄目だったけど、死んだら魂は元の世界に戻れるようだ。
先ほどから、おいでおいでと、美子を手招きしている空間の狭間がある。
きっとそこが元の世界に――日本に通じているんだ。
今すぐ飛び込まないと、その狭間は閉じてしまうかもしれないが、それでも美子は竜一のことを思った。
あの後、酔いつぶれていた竜一はどうなったんだろう。
結局、私の血は万能薬ではなかった。
一の妃が、私の血で竜一の精に子種が宿ると言っていた。
12人の妃たちが喉から手が出るほど欲していた、次代竜王を産むための子種。
しかし子種のためなら私の血だけでよかったはずだ。
だが私は、一の妃の逆鱗に触れてしまったのだろう。
気に入らないからと、惨たらしく喰い殺されてしまった。
『死ぬまでの間ずっと竜一のことを考えていたから、執念が魂となってここに残ったのかな?』
美子はいつも傍にあった竜一の気配を探す。
血だまりの残る一の妃の部屋を出て、王宮にある竜一の私室を目指す。
魂はふわふわと頼りなくしか飛べない。
しかも離れているのか、気配が残り香のようにしか感じられず、なかなか竜一の居場所が分からない。
あちこちをふわついている間に、美子にも現況が理解できた。
王宮は12人の妃がみな懐妊したと大騒ぎだった。
私の血を使って、竜一の精に子種を宿すことに成功したんだ。
『じゃあ、竜一はあの12人の妃たちと……』
その事実に、美子は思っていた以上のショックを受けた。
でも、500年前だって、苦しむ竜一に大臣たちは強引に妃たちを当てがった。
今回だって、そうかもしれない。
竜一の望まないまま、無理強いさせられたのかもしれない。
探そう、竜一を。
もしかしたら苦しんでいるかもしれないから。
王宮を隅々までふわふわ飛んで、ようやくか細い気配を辿って地下室で見つけた竜一は、まるで死んでいるかのようだった。
四肢を鎖で磔にされた竜一が着ていただろう服は、襤褸切れにされた私の服と同じようになっていた。
探索している間にふわふわした形がしぼみ、もう小さな火花でしかなくなった私を、番の美子だと認識してくれた竜一は、心も体もしがらみに囚われ絶望して泣いていた。
ただそこで、訪れる死を待っていた。
そんなに竜王でいるのが悲しいなら、止めてしまえばいい。
私と一緒に行こうと誘った。
こんな場所で息絶えるよりは、きっとどこだってマシだから。
そして絡み合った火花と赤い煙が人知れず地下室から消えた後、12人の妃たちが同時に産気づいたとの知らせが王宮をさらに沸かせた。
おそらく誰もが腹に子を宿した感覚があったのだろう。
後宮にいては、足の引っ張り合いにあって、万が一にも流産するかもしれない。
次代さまの母になれる機会を、そんなことで失ってはたまらないと、一族総出で妃たち母体を護ることにしたのだ。
妃たちは自覚があった通り、12人ともが妊娠していた。
その吉報に喝采を上げる12人の大臣たち。
あとは誰の子の額に竜王の印があるかだ。
なにしろ12人もの子が産まれるのだ。
そのうちの何人かは印持ちかもしれない。
期待ばかりが膨らむ大臣たちは、落ち着かず政務が疎かになり始めた。
次代さまが誕生するかもしれない話題で王宮内は沸いていたが、竜王が囚われたままの地下室は静謐が満ちていた。
暴れられでもしたら、せっかく宿った次代さまごと妃たちを殺しかねないと判断されて、あのあとも竜王は磔にされていたのだ。
焦点の合わぬ眼差しで、虚空を見つめる竜王。
もう声も涙も枯れ果てた。
腹の子に夢中な妃たちも、竜王に代わり権力をふるう大臣たちも、誰も竜王を訪ねない。
静かで暗くて代わり映えのしないこの部屋で、自分は朽ちるのだと竜王は思った。
番だった美子のことを想う。
同じ黒髪であったことまで運命のように感じた。
初めて会ったときの衝撃と多幸感。
手を振りほどかれ、拒絶されたときの悲しみ。
そこから溝を埋めるために美子と毎日を一緒に過ごした。
日本のことをたくさん教えてもらった。
美子の名前の意味がうつくしい子だと知って、その通りだと思った。
名前を持たぬ竜王には、日本語で名前をつけてくれた。
竜族で一番偉いから、竜一。
文字を知らない竜王にも書きやすいようにと考えてくれた。
美子の指で竜王の手のひらの上に、竜一と書いてくれるのが嬉しかった。
ずっと一緒にいたいと思った。
ずっと一緒にいられると思った。
大切で、誰にも見せたくなくて、宝物だった美子。
私の番。
今も愛しい。
竜王の指の爪はすべて、鎖を解こうと暴れたときに剥がれ、そこにはかさぶたが出来かけていたが、ぎゅっと床に人差し指を押し付けるとプチリとひびが入り、血がにじみ出てきた。
竜王はわずかに動く指で、床に美子の名前を漢字で書いた。
それをしばらく眺めたあと、隣に竜一と書いた。
せめて名前だけは。
隣同士で一緒に。
そして瞼を閉じた。
最初は気のせいだと思った。
暗がりの中から、パチパチと何かが爆ぜる音がする。
竜王はうっすらと目を開く。
小さな火花が、顔の周りをゆらりゆらりと飛んでいた。
竜王の乾ききった瞳が潤み、すぐに滂沱の涙が流れる。
それは失くしたはずの温かさだった。
「そこにいるのか、美子」
「護ってやれなくて、すまなかった」
「どうか私を叱ってくれ」
「あの日のうちに美子の元へ帰れなかった」
「妃たちとは、関係を持たないと言ったのに」
「美子だけを愛すると誓ったのに」
「約束を、守れなくて……」
強靭だった竜王の口から嗚咽が漏れる。
「……もう、愛してはもらえないだろうか」
「こんな汚れた私では、もう……」
「私も美子と同じニンゲンであればよかった」
「ただ一人を愛し、共に生きることができたら」
「それはどれだけ幸せなことだろう」
「竜王でなければ出会えなかったが、竜王であるばかりに添い遂げられぬ」
「愛しい……美子が愛しい。私の番、私の宝物」
火花がひときわ大きく輝いた。
竜王は番の気配を察する能力で、なんとか美子の感情を受け取ろうとする。
『竜一』
『だったら一緒に行こう』
『私の世界に』
『生まれ変わるの』
『竜王の体を捨てて』
『人間に』
竜王に少しの迷いもなかった。
小さな火花に導かれるように、竜王の額にある8の字の印から、赤い煙が立ち上る。
小さな火花と赤い煙は絡まりあい、久しぶりの再会を喜ぶようにクルクルと回った。
そうして静かに、風に乗って飛んでいったのだった。
◇◆◇
美子は死んだ。
死んでからしばらくして、自我なのか魂なのか、とにかくふわふわした形あるものになった。
空中に浮かんでいる美子の下には、食べつくされた自分の遺体が放置されている。
それを見ても何も感じない。
怖いという思いも、悲しいという思いも、あの体に置いてきてしまったのだろう。
そして、生きている間は駄目だったけど、死んだら魂は元の世界に戻れるようだ。
先ほどから、おいでおいでと、美子を手招きしている空間の狭間がある。
きっとそこが元の世界に――日本に通じているんだ。
今すぐ飛び込まないと、その狭間は閉じてしまうかもしれないが、それでも美子は竜一のことを思った。
あの後、酔いつぶれていた竜一はどうなったんだろう。
結局、私の血は万能薬ではなかった。
一の妃が、私の血で竜一の精に子種が宿ると言っていた。
12人の妃たちが喉から手が出るほど欲していた、次代竜王を産むための子種。
しかし子種のためなら私の血だけでよかったはずだ。
だが私は、一の妃の逆鱗に触れてしまったのだろう。
気に入らないからと、惨たらしく喰い殺されてしまった。
『死ぬまでの間ずっと竜一のことを考えていたから、執念が魂となってここに残ったのかな?』
美子はいつも傍にあった竜一の気配を探す。
血だまりの残る一の妃の部屋を出て、王宮にある竜一の私室を目指す。
魂はふわふわと頼りなくしか飛べない。
しかも離れているのか、気配が残り香のようにしか感じられず、なかなか竜一の居場所が分からない。
あちこちをふわついている間に、美子にも現況が理解できた。
王宮は12人の妃がみな懐妊したと大騒ぎだった。
私の血を使って、竜一の精に子種を宿すことに成功したんだ。
『じゃあ、竜一はあの12人の妃たちと……』
その事実に、美子は思っていた以上のショックを受けた。
でも、500年前だって、苦しむ竜一に大臣たちは強引に妃たちを当てがった。
今回だって、そうかもしれない。
竜一の望まないまま、無理強いさせられたのかもしれない。
探そう、竜一を。
もしかしたら苦しんでいるかもしれないから。
王宮を隅々までふわふわ飛んで、ようやくか細い気配を辿って地下室で見つけた竜一は、まるで死んでいるかのようだった。
四肢を鎖で磔にされた竜一が着ていただろう服は、襤褸切れにされた私の服と同じようになっていた。
探索している間にふわふわした形がしぼみ、もう小さな火花でしかなくなった私を、番の美子だと認識してくれた竜一は、心も体もしがらみに囚われ絶望して泣いていた。
ただそこで、訪れる死を待っていた。
そんなに竜王でいるのが悲しいなら、止めてしまえばいい。
私と一緒に行こうと誘った。
こんな場所で息絶えるよりは、きっとどこだってマシだから。
そして絡み合った火花と赤い煙が人知れず地下室から消えた後、12人の妃たちが同時に産気づいたとの知らせが王宮をさらに沸かせた。
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