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捕虜収容所
マジン二十二才 2
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たしか春の終わり雪解けの増水が一段落した頃を狙って出かけるはずだったが、相応に広い水系のザブバル川でも夏至の頃になってしまえば雪解けの水も一通り落ち着いている。
夏の川に小舟を流れに乗せて水路でめぐるケイチ・アッシュは山の碧が目に眩しく絶景だ。
名にしおうヨタ渓谷はなるほどザブバル川水路の天険だった。
デカート新港の開港やカノピック大橋の付け替えで、制限が緩やかになって大型化が再び始まった輸送用の櫓船は幅を広げるのではなく高さと長さを増し、羽毛を生やした地虫のような再びの進化を遂げていたし、石炭を使った機関船は列車のような節を持った三胴曳船四胴曳船の往来がおこなわれていた。
人様が知恵を凝らして在る物を活かそうとする態度を見るに単に大型化をおこなっている自分の舟がひどく単純な構造であるようにマジンには思えた。
とはいえ、油圧と歯車によるリンク機構で機能しているブラフゲイルも傍から見れば十分複雑怪奇な船のはずで、全く他人事として面白いというだけのことであった。
測量用の水中銃と聴音機や光学測量器での作業は乾舷の高い船らしい船では扱いにくく、そうでなくともローゼンヘン工業の持っている船は積載に余裕のある吃水の厚みに余裕のある船ばかりだったから、水面に近い作業をおこなうのには向いてなかったし、何より大きすぎた。
元々十八人が乗れる競艇櫓船であるブラフゲイルには多少の人員が載せられる余裕もあってヴィルとヘルミのふたりを助手に載せるかという話もあったが、予定が二転三転してしまったために半ば従兵のようにして使っているリザが取り上げていってしまった。
今回、端艇での河川測量の助手を申し付けてみたら、ふたりとも存外に食いつき良く目を輝かせていたが、予定が二転三転してマシオンから帰ってみるとリザがどこぞの調査に連れて行ってしまった。丸一年リザに秘書兼運転手として従卒扱いでデカート周辺州を引っ張り回されているうちに、浮ついた跳ね返りばかりが目立った二人も流石にそれらしい行儀の落ち着きを見せ始めて、外回りの用件を言いつけるに都合の良い素直な腰の軽さを身につけていた。
佐官ともなれば兵の現地任用は相応に融通もきき、本格的に兵士の身分を与えることも可能だったが、リザはそこまではしていない。参謀がよく使う間者や探偵という半端な扱いも世間ずれしていない二人には却って胸ときめく扱いであるようだった。
ローゼンヘン館には今、五六十の人間が様々な形で生活をしていたが、全くに無任所という者はおらず、愛人やらという立場で逗留している女性も毎週一回デカートの連絡室で事務仕事に勤務していたし、館にいる間は川沿いの村の雑事を取り仕切ってもいた。当然に執事秘書という役職にあるものは、急速に業務を拡大するローゼンヘン工業の調整を期待されることになり、組織構造上怪しげではありながらセントーラがいなくては会社の運営が成り立たない状態になっている。
春風荘を立つ前の日の夕食の席で軽くロゼッタを誘ってみたら、ハエか何かが飛んでいるかのような表情をされて、お家のことでとても忙しいので一昨日お訊ねあそばせ、と慇懃に断られた。
ソラとユエは川の旅に興味津々でついて行くと言って聞かなかったが、ふたりとも学志館の授業があるだろうと云うと、ロゼッタも課題があると二人に指摘された。全く当たり前に家のことでロゼッタを働かせていたから、自分でロゼッタを学志館に押しこむようにしたことを失念してしまうのだが、ロゼッタが忙しくない訳はなかった。
作法院に押し込められた時よりよほど楽しく有意義に過ごせて主様には感謝しています、と慇懃な礼を述べられて、どこまでが嫌味なのか本心なのか見事に綯い混じった言葉にマジンは閉口した。
測量しながらザブバル川を下って戻ってくるとなると三日四日というわけにはゆかず、急いでも十日、当たり前に二十日はかかるはずで、忙しい折のマシオンでの二日を惜しく感じないわけにはゆかない旅程になる。
優雅な川流れの旅ではあったが、余り期日に余裕が有るわけではなかったから、旅の間は舟から降りないままの旅程になるはずで、ひとりであることは却ってよかった。
流れに乗せて岸に寄せてを繰り返し、贅沢な釣り船のような旅は、いきおい時間がのんびり流れ、知らず知らずに日が傾く旅だった。
馬に秣を充てることも要らず、石を踏んだ足の手当も要らず、水路を急ぐ舟を横目に見ながら、光学測量器で光画写真をとり数字を記し、全くのんびりと仕事が進んでいた。
雰囲気が変わったのはヨタの渓谷が左右から押し迫ってからだった。
ヴァルタから三十五リーグ下流のヨタの渓谷は左右に高さ千キュビットほどの浸食卓状台地を割くようにザブバル川が流れていた。
迫るように川幅が減っているのも確かだが、川底にひどく硬い岩盤の層が不規則に隆起していて左右に水が逃げるように膨らんだり、或いは流れの速さが変わったりと岸から眺めたのではわからない難所ぶりで、流れに乗せたまま片手間に測量をおこなうというのは難しかった。前から後ろまでまとめて櫓が動くブラフゲイルでは流れに応じて櫓を差すということが難しく、流れに揉まれ回転を始める舟を制するのは櫓ではなく足で操作する舵だけで、流れに長い速さを求めた小舟は横からの渦に引き寄せられ弾かれとなかなかに忙しい有様で、難所ぶりを楽しませてもらった。
滝ほどに途方も無い、というわけではないが、名にし負う水の壁を制することは遊び半分にいかないことが改めてわかってきた。
とはいえ測量そのものが不可能なわけもなく、必要なことは丸一日もかければあらかたがわかった。面倒があるとわかっただけであるが、面倒を確かめることが目的でもあった。
川底が硬い分、水中銃を使った水深測量はひどく簡単に拍子抜けするほどに順調にすんだ。聴音機は流れの速さに聞き取りにくかったが、硬い石の水底はかなり明瞭に音をかえし、ヴァルタの入江などよりよほどわかりやすく水底の姿を音にして晒した。何箇所かプリマベラが座礁しかねない暗礁のような隆起があることは渦を見た瞬間に見当がついていたが、かなり大きく硬い。
測量の結果をまとめれば、水面の幅はオゥロゥ運行に際して同型すれ違いの原則を前提にしても全く問題がないが、積載時のオゥロゥの吃水は十五キュビット前後でザブバル川のデカート側のこれまでと違いヨタ渓谷は部分的に八キュビットほどにも浅くなり水深は著しく不足していた。ヨタ渓谷の川の流れの速さは急激に不規則に浅くなる流れが水面に複雑な渦を描くことで櫓方の力を毟り取ることにもあった。
つまるところザブバル川本流の付け替えで手を打つとすれば、左右ばかりでなく水底に相応に手を尽くす必要があって、少なくともヒツジサルと同じ規模の作業船を張り付ける必要があるし、工事期間の様々を考えれば流れの一時的な専有を考えに入れた大規模な工事が必要になる。
測量の返りの鋭い川底の状態を鑑みるに幾つかの岩を発破でただ吹き飛ばせばいい、というものではなくある程度仕掛けに手を尽くさないと両岸を崩すほどの分量の爆薬が必要になりそうだった。
発破に際して事前の工事が必要になる。
流れに任せて忙しい中での水中測量では少なくとも差し渡し百キュビット、法螺話半分の可能性だけなら千キュビットをかすめるほどの一枚の大岩を厚み数キュビット水路の長さに渡って砕く事も考えるべきで、というのは専用の重機を持ち込んでも尚面倒くさそうだった。
もし本当に水中銃での感触が正しいなら、発破などよりいっそ川底にまで達する巨大な円盤ヤスリを持ち込んで石を切り出したほうが良さそうにさえ思える。
詳細の測量をおこなうためにはひとりではどうあっても手が足りないが、この分では工事どころか本格的な測量に際しても河川運行を一時的に専有する必要がありそうだった。
エイチアッシュ間の水運は余り活発なものではないが、それでも必要な便は相当に強硬な必要に迫られての便で、ただ元老院のお達しというだけでハイソウデスカと首肯できない種類のものが多い。
とくにストーン商会が仕立てたあまり安くない石炭船の運行を必要とするような便は、かなりの必死な様子で河口から上って下ってを繰り返している。
何らかの手当、少なくともデカートだけでなく流域の全ての河川組合と話をする必要があった。
ヨタ渓谷の千キュビットほど西側の低地を流れるチョロス川の蛇行部に作られた運河になりそこねた水郷に巨大な水車を建設して舟を上げ下ろす、という方が自前の話だけでケリが付くだけ簡単そうだった。
その場合でも水路の工事が必要だったが、問題は随分と整理される。ザブバル川側の上流の水路は既に元老院で話がついているし、下流のチョロス川側の水郷も今のところ目立って何かがあるという様子でもない。
目立って問題があるとすれば現カノピック大橋の天辺ほども千グレノルの水と舟を持ち上げる機械装置を水辺に造る。という事業をわらいばなしにしないというだけだったが、同時に問題はそのための資材を鉄道もオゥロゥもなしに持ち込まないといけないという点だけだった。
だが、それはあまり問題ではなかった。
資材の粗方は舟の形にして浮かべて運ぶつもりだった。解体と組み立てで時間が使われるのは輸送手段が限られる中ではやむを得ない事情だったし、カノピック大橋や各地の鉄橋工事の橋脚部分でおこなっていた手法でもある。回転体部分は重量と剛性を両立させる必要があったし水槽も同様で、構造全体の空間積あたりの重量は水に浮くほど軽くなくてはならなかった。
ザブバル川とチョロス川はこの後随分と離れてしまうので、泥海から遡らなければならない航路も面倒ではあったが、問題は結局いつから取り掛かるかという時期と時間の問題だった。
どういうタイミングで始めても何百人かはチョロス川の水郷で作業を行わせることになる。
水郷の下堀から始めて半年から一年の建設期間と上下流での運河水路の整備が必要になる。資材の問題で鉄道を敷くことを望むなら、ヴァルタの先ケイチアッシュの線をここまで伸ばすということで単純に一年かかる。
そこまで待てば、面倒は殆ど無い。運河の完成は二年半から三年。ということになる。
順当無難な計画を望めばその位の期間が必要になる。
或いは先に水路の整備を徹底して半年、その後昇降機の整備に移る。
どういう話の流れでも最低限千人ほどの肉体労働を辞さない人員が必要になる。
はっきり言えば三千人余りをデカートから吸い上げた段階でデカートの人材は一時的に枯渇していた。
人そのものはもちろんいるが、本当に誰でもよろしい、というほどの気分にはなれない。
何十万人だかしかいないデカートの人口のうち五千をゆうに超える人員を雇っているという事態は、デカートが季節労働の農業従事者、小作人未満の人々を都市住民として大量に抱えているという事実を以ってしても多少異常な事態であると言えた。
気分の問題や財布の問題はともかく、計画の前提になる人員の問題は手当の方法があるにはあると知っていたが、そのためにも準備は必要だった。
一旦、地理地勢的な問題に話を移すと、下流域では流れの緩やかなチョロス川のほうが広くなっているものの、上流に大きな町がないために河川運行が積極的というわけではなかったから、運河を通しての水路の付け替えは殆どデカートの利益認識、極端なことを言えばローゼンヘン工業つまりはマジンの経済的感覚にかかっていた。
チョロス川河口の街チョロスは広大な氾濫原を農地としていて、デカートよりも遥かに巨大な人口を抱える街で外海の玄関口であるスカローほどでないにせよ、やはり巨大な海運の根拠地であった。
青海を目指す港町スカローの手前にあるザブバル川の河口の街パルージャはデカートから出てゆく石炭や鉄をつかった武具や工具の加工が盛んで、デカートとは相応それなりに関連がある街であったが、チョロスとは五十リーグあまり離れている。
水運にとって数十リーグなぞ近いものだったから、お互いの町は交流はもちろんあるが、全く雰囲気の異なる街だった。
つまり渓谷の水底が固くて削れませんでした、と言ってこれまでとは西に五十リーグも離れた町に水路が繋がれてデカートの人々は喜ぶだろうか、という半ば気分の問題でもあった。
結局最後は両方繋ぐ必要があるということになるだろうが、今はオゥロゥをどう使いたいかという点に尽きた。
そりゃもちろん海まで出してやりたい。
初めて泥海というところまで出てきて、奇妙に凪いだ小麦を溶いたような灰色をした巨大な塩水の水たまりを目にしていた。
ザブバル川の河口の街パルージャは真っ白な石造りの城塞じみた建物が鈍色の水面と青い空とに映える美しい町並みだった。水辺の街と言っても灰色の石と黒光りする天蓋とが麦畑と丘の緑に目立つデカートとは全く異なる印象だった。
陸地から入ればまた異なったのかもしれないが、水辺を巡っての印象はそんな感じだった。
港口を求めて川から海に出てグルリと巡ると川にある港はどこかの個人か商会の私有地か単なる一時的な係留地で、海側が本当の港であるらしい。
生臭さと泥臭さの混じった独特の磯の香りを味わいながら、帆櫓それぞれに備えのあるよく肥えた芋のような幅の広い舟に混じって何杯かのストーン商会の石炭船の姿があった。
軍船とも思えない舟のいくらかも何門かの大砲で武装している様子で、何と戦うのか何を襲うのかはともかく、海の上というのは川と比べればやや物々しい様子だった。
機関船の中には軍人らしき人々が乗り込んでいるものもあって大砲の備えがあるようだが、専用に作られたものというわけでなく、上構の配置が全体に窮屈そうな感じだった。
パルージャの港の様相を見渡すに全体に舟の寸法は大きく、デカートでは大型船の部類であるはずの機関船はここでは中規模と言える大きさだったが、曳船を間に挟む蛇のような三胴船は特異な形で目立っていた。
町は舟の大きさに応じた賑わいを見せていた。と言っていいはずだ。
デカートよりも人々の装いも多様で、活気と混沌の間の生活感を感じさせた。
武装をしている無頼と思しき人物も多く、その多くが長く幅広の段平を挿していた。それどころか身の丈より長い槍だか銛だかを携えている者も多かった。
土地の雰囲気として全体に長物が好きな風潮でもあるのか、マスケットや騎兵銃などを肩にかけている者達もいて、個人的な武装というよりは戦争にでも出るつもりなのかという感じだったが、街の雰囲気としては至って平穏なものだった。
回転式の騎兵銃ならともかく、マスケットなぞ持ち歩いても弾を込めてうろつくなぞ正気の沙汰ではない事で、とっさにはせいぜいが棍棒の役にしか立たないわけで、ならば狩りの後先かという雰囲気でもなかった。
食事によった店で聞いてみれば理由はすぐに知れた。
泥海は海賊がときたま出るので、船乗りは得物を自前で用意する習慣になっているのだが、大方の船員には船室などという贅沢は許されず、私物は粗方持ち歩くことになっているので、奇妙に荷物を抱えている者たちが多くとも彼らの過半は無頼というわけではなく町の者にとっても馴染みの者たちであるという。
「そんなことより、お客さんデカートの人かい」
食事の時間がずれたところに大食いの客が現れたことが気になったのか、酒場の女が尋ねた。
「まぁそうだが、なんでわかった」
「普通の旅の客なら、船員連中の様子が気になったら、あの蛇だかみたいな数珠つなぎの船のことが気になるだろ。見てくれは妙だが結構すごいって評判なんだ。デカートじゃあんなのがもうたくさん動いているのかい」
「たくさんって言っていいかは知らんが、十かもうちょっとは動いているな」
ストーン商会の造船工房はなかなかバカにできない手早さで機関船を建てていた。そして複雑になりがちな大型船の構造を嫌って、浅く広い艀を機関船で挟みこむようにして吃水を浅く抑えたまま積み荷を増やす努力をしていた。
後ろの舟が推したからといって全体の速力が増すわけではないが、ふらふらとさまよいがちな艀を落ち着ける効果はあって、船頭の息が合えばなかなか細かな操船もできるということだった。
その数は大型船のすべてを置き換えるほどには至らないが、デカート新港を眺めればかなりの数が港に舫いを掛け、同じくらいが川面を往来していた。
「結構多いわね、川いっぱいにいるのね」
ぎゅう詰めの風景を思い浮かべた様子で女は言った。
「この辺じゃ機関船はどれくらいいるんだ。なんか軍隊みたいなのも使っていたが」
「どのくらいだろ。三杯か四杯か、そのくらいじゃないかな。どの船のことか知らないけど、軍隊みたい、じゃなくて軍隊よ。共和国水軍がいるからそれじゃない。新しい石炭船も一杯いるわね」
勘違いを笑うように女は言った。
「意外と水軍はカネがあるのか」
「ストーン商会の遣手の番頭が買い手が渋ったのを水軍に安く譲ったみたい。ちょっとした騒ぎだったから知っているってほどじゃないけど、噂くらいは聞いてるわ。なんか買ったばかりの舟にイチャモンつけて安く買い叩こうとしたら、水軍が割って入ってどんな不都合があるのか試させてもらおう、ってそのまま取り上げて、ストーン商会から接収した形で半金ばかりの代金を払って使ってるって。なんかそんな感じの話だったわ」
遣り手なのは水軍の司令官じゃないのかと思うが、話の裏の流れを噂話で手繰るに取引の空気が悪くなったところで水軍の司令官にご注進に上がったのがストーン商会からじゃないのかという評判があるらしい。
ともかく大損になるはずのストーン商会は舟の代金が収まり、水軍は新しい舟を高すぎない値段で試すことができ、舟を買い損なった者もメンツを失わないで済んだ、と形の上で水軍の一人勝ちだが、水軍の主計に渉りが着くようになったことで残る両者ともに損というほどのことはない結果になった。
海辺の取引は腕ずくで決着が着くことが多く、メンツの問題は冗談ごとでは済まないことが多い。
陸で身代掛けた馬車を失っても諦めず歩けば何とかなるが、海で船を失うと身代どころか命がない。
舐められることも敵を増やすことも命にかかわる中で、スルリと差し替えてみせたストーン商会の番頭の差配や見事、ということであるらしい。
番頭の名前をたずねてみたが、そこまでは知らないという。
水軍の舟の評判を聞いてみると、一リーグも向こうから煙を吹いているのが見えるのだが、煙が見えてから慌てても船足が違いすぎて櫓方が疲れる前に追いつかれるほどの足であるということだった。
水軍に引き取られた機関船は短い期間のうちに期待以上の成果を上げ、水軍は買い増しを検討しているが、石炭の費えの意外な大きさに地方の決裁を諦めて本部の意向を仰いでいる。
広く凪いだ水面で実際どれほど早いかはわからないが、櫓船の多くが苦労してようやく超えるヨタ渓谷の上りをよろつきはするもののあっさりと超える機関船の力は十分に大したものだと言える。
石炭はこの辺りでは取れないので各地から運んでいるが、川沿いのデカートがやはり大きな産地であるということで石炭船の荷の大きなところは石炭であるということだった。
パルージャは舟の建造やそれに関わる様々が特産のひとつだが、他に丘陵がちであまり広い畑が取れないものの樹木の育成にはそれほど問題もなく水はけ日当たりが良いことが幸いして、ナシやブドウナツメザクロ等の果物の産地としても知られている。
他にも酒やら砂糖香辛料の類を泥海沿岸やその外の各地から集めている市場は、単に規模という意味であればデカートと大差ないがその扱いの種類の多さは眼を見張るものがあった。
マジンは結局丸一日測量を忘れて単に物見遊山に町中を自転車で巡った。
デカートではそろそろ当たり前のものになっていた自転車や少ないものの目を引くものではない機関車といった路上の機械はこの町ではまだ見掛けないものだったが、混沌とした街の忙しい雰囲気からか自転車に乗っていることを咎め立てたり気を引いたりということもない様子で、旅行者であるマジンはひどくのんびりした散策を楽しんでいた。
川から海沿いにかけての丘陵を背に入江を港にした高さのあるパルージャの街並みは比較的脆い石で出来ているらしくあまり大きな建物はなかったが、丘にそって道が伸び、覆い尽くすことで街全体として高さを持った街並みになっていた。
話を聞くと材料は泥海の底の沈殿を藁や屑布をつなぎに使って日干しにする、一種の漆喰干しレンガということで、材料そのものはいくらでもあるわけだが、やはりある程度は向き不向きがあってその辺は材料を取ってくる職人の技量にもかかってくる。
泥海の沿岸の街並みの多くはどこも似たような方法で作られている。
チョロス川を遡るつもりでなければこのまま自転車でチョロスに向かっても良いのだがと、多少の食料を買い増してブラウゲイルで泥海に漕ぎ出した。
巨大な入江に注ぎ込む川からの流れと外海から満ち干きによってゆるやかに流れ込んでいる潮によって泥海はおおまかに二つの流れと水の層ができていて、表層の真水と底層の塩水との間の屈折が奇妙な色合いの鈍色を作っていた。
その境界上には余所では珍しい種類の珪藻類が赤青緑紫黄色といった思い思いの色合いで微細な花畑を広げ光合成をしていたり、水底には石灰質の骨格を持った動物と植物の中間に位置する微細な生き物が日干しレンガの材料を濾しとったりということを繰り広げていた。
比較的低緯度で日照が強く水深は浅いものの川の流れが潤沢で表層の温度が比較的安定していることと水中での液質の層状の違いが海水域の水温を比較的低めに維持しつつ日照を水底まで届けるという効果を引き起こしていて、大きいとはいえ南方の遠浅の入江だというのに、単に色とりどりのお花畑的というだけでない、ひどく豊かな生物相を抱えていた。
聴音機を水の中に沈めていると川の流れの賑わいとは全く違う海の賑わいがあって、何が音を立てているのかは分からないが、おそらくは何かの生き物の生活の音だろうと思える音が多かった。
そういう中で水中銃のたてる無闇に鋭い気泡の破れる音はひどく無粋なものであった。
パルージャの入江の外の水深は水中銃の測量ではだいたい五十から百キュビットかそこいらの深さがあるようだが、元々川の深さを測るための装置として持ち込んだもので五十キュビットより先は急激に読み値が怪しくなる上に、汽水域の水中層という用途外の環境であることで厳密に云わなくともわからないと云った方が良い有様だったが、とりあえず舟を運行する上でそうそう危ない暗礁はない様子だった。
水中銃は長さ半キュビットもある編み針のような金属の棒を打ち出す装置で、十キュビットくらいの深さの水底であれば、そのままその弾丸を杭のようにして打ち込める道具だった。銛のように使うこともできるが、あいにくそれほど大きな魚をザブバル川で見ることはなかった。
水中銃の音と弾丸の挙動を聴音機で観測することで比較的簡単に水中の底の様子を推定することができる。
とはいえ急速に速度を失う弾丸が十分にわかりやすく成果を報告できるのは大体二十五キュビット前後までで、そこから先は様々な影響を受けることになる。銛としてはもう少し長い距離を期待できるが、水の重さを考えれば何百キュビットというほどではない。
開き直れば船の運行に支障がないことを確かめるためだけの機械の組み合わせだった。
測量をしながらの船旅は、海に出てから随分長閑だった。汽水域の流れは潮の満ち引きの影響を受けないわけもないから、流れがないというわけではなかったが、錨が効くまでに流れていってしまう川の流れの速さに比べれば、泥海の流れはないも同然だった。
採集瓶に組み上げた水は深さや流れに応じて違いがあるのだと主張するように含まれている微生物に違いがあるのが面白く、つい無闇に日にさらして中に目を凝らしてしまっていた。
結局、一日でパルージャからチョロスまでたどり着くことはできなかった。
測量をしながらだとのんびりとあたりを見回す多く、気がついたこともそれなりにあった。
泥海は凪いでいる事が多いとはいえ、小型の船の殆どは帆走で櫓で走る舟の殆どは大型だった。巨大な入江ではあるが、風は日の傾きに応じて丘と海とを行き来して陸地が水面を挟み込んでいる河口はそれほどに太くなくともとくに強い風が出入りしていた。
遠くの方をあまり大きくないせいぜい二人かそこらで窮屈そうな舟が滑るように鈍い色の水面を走っているのを眺めるのは、奇妙に幻想的な光景だった。
そういう鈍色の水面が日没の赤く焼けた太陽によってこの時ばかりは朱に照らされる風景は何事の天変かと驚かされる光景だった。
一種の鏡のように光を返す泥海は大地よりよほど真っ赤に夕陽の光を跳ね返し、秋の紅葉に覆われた山野のような色合いで一日の終りを告げた。
当然に朝日の風景も楽しみにしていたが、あいにく東側はそれなりの高さの丘が連なっていて夕陽に比べると迫力に欠けた。
夜、あまり真剣に錨を投げていなかったのだが、殆ど流されることのない水面にホッとするやら拍子抜けするやらを感じつつ、昼前にチョロスにたどり着いた。
夜のうちに遠目にチョロスの町は見えていた。パルージャも夜の灯の絶えない街だったが、チョロスも負けず劣らずの街だった。
平たく広がっている割に明かりが多く見えるという意味ではチョロスの繁栄ぶりは大したもので、電灯が夜道を照らすまで田園には夜の灯がなかったデカートと比べ、チョロスは海沿いのそこここに灯火があり、ときにそれは人のいない崖の上や突端の灯台であった。
夜を徹して走る舟にとって昼も夜もないわけで、泥海が天候穏やかと言ってもそれは常のことであって非常異常はしばしば起きた。
そうでなければ今のチョロスを支えている氾濫原はどうしてできたのだということで、実のところチョロスは水害を常として相応の備えをしつつ、毎年数次の嵐と水害で百人ほどの死者を出していた。
多くは備えの出来無い人々の被害ではあるが、共和国の都市の常として無産階級の規模を考えれば、かなりの努力で人々を助けているとも言えた。多くの家が二階建ての白亜のレンガで作られているのはパルージャと変わりがないが、その上に簡単に吹き飛びそうな板で作った切妻の掘っ立て小屋を載せていた。よほど大きな建物であっても必ず帽子のように乗っている姿が奇妙ですらあったが、ともかくそれが何を意味するかを想像することはあまり難しくなかった。
港の建物の多くが三階建てで建物の外側に階段を設けているのも似た理由であるはずだった。
町中の建物にはいつかの水害の後らしき、薄汚れた縞状の模様が入っていた。
チュロスの街並みに余所と目立った多いものは屋台が店を連ねている広場があちこちにあった。
別に貧しい連中向けの安い食い物屋というわけではないらしく、帽子や鬘に相応の意味を備えているだろう身分の人々が侍従や護衛を侍らせて、身分違いの人々とともに同じ屋台の食事をとっていた。
眺めていると屋台の集落には幾つもの種類の店が並んでいるらしく、それぞれに得意料理を看板に掲げ、それぞれに一品づつ順にとってゆくと、相応の饗膳になるらしく土器の質は如何にも間に合わせ洗うよりも砕いて土に返せば良さそうなものだったが、乗っている料理は見るからに美味そうな色艶をしていた。
それぞれの値段は手頃なものだったが広場の目につく屋台を一回り回ればそれなりの金額になる食事は器はあったが食器はなく手づかみであるらしい。
はたと辺りを見回せば身なりの良い者達は侍従に匙やら食叉やらを預けていた。どうやら慣れた土地の者は食器を持ち込みであるらしい。それなりのものたちも自前の折りたたみのナイフを食器代わりにしている。
片手で収まる汁物を器ですするのはローゼンヘン館では割と当たり前の作法だったのでそこは良いのだが、脂で濡れた手をどこに始末すれば良いのかが町に不案内ではわからないので、目についた端材をちょいと削って箸をでっち上げた。
どうやらこの辺りでは箸を使う風習はないようで、それなら薪や竈の火を返すときはどうしているのかを聞くと小さな平たいコテと刺鋤で返しているに決まっている、という答だった。
まぁ、コテというかスコップ・ショベルのたぐいは石炭を投げたり灰を捨てるためによく使う道具でまぁそうなのだが、火箸一組であらかたのことができるんだが、と程よく火の通った肉と皮をなぞるようにして割いて見せ、箸で膜をつまみながら骨にそってナイフを走らせ綺麗に骨を抜いて見せ、脂で汚れたナイフの刃先を食事の終わった端を削って脂を拭うと、屋台の親父は関心したように食事の終わったばかりの箸に目をやった。
つまるところ単なる二本一組の棒切れが食器として指の代わりを果たし、手を汚さないで食事ができる道具であるということに、衝撃を受けている様子だった。
別段指を汚すことに躊躇がないものでも、汚れた指を口にすることに躊躇があるときは多く、乾き物なら指の触れたところを捨てればいいだけのことだし、袋物なら袋を食器代わりにすればいい。が、屋台の食い物はそういうものだけではなかった。
安いパンやプレッツェルの類が人気であるのはある意味当然でもあるのだが、料理人としてはそれだけでは寂しいことだと屋台の主は言った。
料理人として一家言ある様子の屋台の主に屋台を出すまでの彼の来歴を尋ねると、自分の店を出していたのだが水害でやられた、と笑った。相応に気取った店構えで二階に厨房を客間を出していたのだが、建物の一階部分の壁が落ち、階段が持ってゆかれたという。
いっそ二階を玄関にしてしまえばよかろう、言ったら、チュロスの政庁はまさにそういう作りになっているらしい。
もともと矢玉を蓄える兵糧備蓄のための倉庫だったそうで、町への出入りが都合がよく大通りに面しているということで、海辺の城塞都市が成長するに連れて城壁の外の市場と港を睨んでいた倉庫に政庁が移ってきた。
議会や司法裁判所などは日々の業務に往来を必要としないが、行政ばかりはそうもゆかず城壁の外側に早くから出てくることになった。
その際の水害対策として兵糧矢弾を蓄えた軍需品倉庫や備蓄倉庫の屋上に建屋を据えた作りになっている。
この方法は別に新しいものではなく、城壁の空堀の外側の家々では水害の度につかう避難所兼倉庫として軽く簡単に載せられる構造の建屋を屋根の上に乗せていた。空堀が切られているのも家を守る知恵だった。
この辺りの日干し煉瓦は一旦乾くと水に脆いということはないのだが、強度という意味ではあまり頑強なものでない。
経験的な常識として三階以上の建屋を造るには木製の梁が必要になるのだが、材木は舟と取り合いになる。
舟を建てられるような連中と街場の連中とで財布の勝負ができるわけもない。
この辺りでは鉄の梁を使った建物はないのかと尋ねると、目を丸くした。
この辺りで鉄の道具が珍しいというわけでは、もちろんないが、地べたを掘って鉄が出るような土地ではないから、木よりも安い材料というわけではない。
船乗り連中はこぞって大砲の数を揃えることにやっ気になっているという。
船大工の馴染みの鍛冶屋は多いが地金や石炭は余所から仕入れている、そうなれば釘鎹や蝶番といった小間物はともかく梁をまるごととなるとなかなかに大仕事大商いになる。
まだ流石にそういったものの話はないなぁ。と親父が云ったところで、「お客さんひょっとしてデカートの人かい」となった。
旅の連中の話題としてカノピック大橋や川に架かる鉄橋の話がこの辺りでも話題になっていた。
氾濫原の堰堤の修復やそこにかかる橋の話題というものはチュロスの人々にとっては大きな関心事で、しばしば渡し口の位置やらそこまでの道やらが変わってしまうことについて、諧謔めいた話題になることが多かった。
舟を持たない連中が悪い、船商人の儲けを守るため、的な皮肉の投げ合いはさておいてチュロス川の定期的な氾濫、段階的なチュロス川の増水があってその頃に嵐が数度起きるという気象が、麦粒を撒けば麦が生えるという豊かな実りを約束していたが、旅人にとっては必ずしも良いことばかりではなかった。とくに陸路で来る馬車にとっては面倒この上ない土地で、稼ぎになることはわかっていながら足を向けることを厭うものも多かった。
そういうわけで壊れない丈夫な橋、鉄で橋を作ればいいんじゃないか、と予てからしばしば話題にはなったもののそこで立ち消えになるような話でもあった。
そういう夢の様な話を現実にしている、ということで近くもないデカートの話は夢物語ではない憧れじみたものになっていた。
馬車と舟の相性の悪さというものは、マジンもしばしば感じていて、オゥロゥで機関車をまとめて運んだ時も結局それは拭えなかった。
水面に近いところを埋めるようにして力を得ている櫓船ではどうあっても妥協がしにくいが、機関船であれば比較的簡単になんとかなるかもしれなかった。実際にストーン商会の三胴船四胴船は機関船の間に挟んだ吃水の低い曳船を港口にベッタリと横付けすることでそこに積んだ馬車を積卸していた。その長くだらしない光景は生粋の船乗り連中にとっては不満のあるもので嵐の中で耐えられるものかと呪いの言葉を投げつけられていたが、平たく幅の広い艀を前後で力強く機関船で支えるという運行形態は見かけによらず存外に強靭で、既に幾度かの嵐を乗り越えてもいた。
四胴船の長さは二百五十キュビットあるオゥロゥよりも長く、索の長さにも依るがだいたい三百キュビットで余裕が有るように作っているデカート新港やヴィンゼ港でも雑に止めると桟橋が埋まってしまい、港湾局と揉める理由になっていた。見たところオゥロゥよりも大きな舟がいないチュロスの港でよくも舟を停められると思わないでもないが、海の大きさと嵐を避ける舟を救うための努力ということである。
ということもあるが、町に面した護岸は水害対策の基本中の基本で、港口の整備はわかりやすく街を危険から守るための第一の砦で同時に利益にもつながっていたから熱心な投資がなされていた。そのための材料は海の底を掬えば殆ど無尽蔵に集められたから、港の浚渫と護岸は無産階級の社会保護や軽犯罪者の鑑別を兼ねて社会事業としておこなわれていて、実際の船腹の規模に比してある程度の余裕を持って作られていた。
同じことをチョロス川の方にというのはやはり話題になることで部分的には成功していたが、チョロス川の氾濫のひとつの大きな原因は山間部での降水と瀑布の決壊という問題が大きかったから、単純な話題として片付けるわけにはいかなかった。
それでも近年は二キュビットに達する浸水は起こらないように様々な努力が払われ、家々の努力への周知もおこなわれ、無産階級であろうとよほどのことがなければ無為に死ぬこともなくなっていた。
組織だった街の努力の結果であるが、独立したばかりで土地に不案内な人々が備えを欠いていたり、或いは些細な油断から命をなくす不幸を止めることはできないが、それでも死者を弔うことに年を跨いで日を費やすような大災害は起こらなくなっていた。
海賊騒ぎはチョロスの街にしてみれば定期的なバカ騒ぎの一環で、海のことは海のこと、という程度の話題であったし、そう言えるくらいの守りの蓄えはチョロスにはあった。
二万の後装小銃がチョロスの民兵には配備されていて、共和国軍の正規師団も駐留していた。共和国軍師団はまるごとがチョロスの街にいるというわけではないが四つの聯隊が
周辺に配備されていて、災害の折には剛力してくれる心強い存在だった。
貿易都市として海上の封鎖は当然に危惧される事態ではあったが、実際の海賊の都市攻撃というものは着上陸後の農地や金品の収奪というものであったから、陸兵の充実が欠かせないもので、沿岸のある程度の街は相応に民兵組織を編成していて、無産階級であろうと最低限の保護と扱いをおこなっていた。
話を聞くだにデカートは何もしていないのかという思いが湧き上がったが、実のところ共和国の中でもこれといった大きな話題も問題もないままに時を過ごしていたデカートは、あまり大きな何かをなしていたわけではないし、その必要もなかった。
目立つこともなかったが十分に有能な行政司法の治安当局は適度に頻繁に周辺地域を外遊し、問題が発展しないうちに排除していた。ローゼンヘン館ヴィンゼでの事件はデカート州当局にとって相応に屈辱的な事件でもあった。
広大な広がりという意味では馬車交通の往来の限界である十リーグにせまる広がりを持ったチョロス市は相応に複雑で混沌とした街で、単純に海の町という一言でいうこともできず、河口の街というわけにもいかず、巨大な街だった。
更にチョロス川の流れに遮られる形で市の周辺に町が出来上がっていて、チョロス市の中に幾つもの街や市ができていた。
概ね問題は起こらないのだが、しばしば住民にとっては面倒なことに、角が立たないように振る舞いたい他所者にとっても訳のわからないことになることが多かった。買い物をしようとして金の地金を銀貨に変えようと思ったら川の対岸で手数料が大きく違った、というのがマジンの巻き込まれた面倒の事例だった。
あまりに面倒くさかったので帰ろうと思ったら戸口に邪魔な男が立っていて、どきそうもなかったので壁に新しく出口を作っただけで済ませてきたが、ゴネたほうがいいのかゴネないほうがいいのかという話題は旅慣れた者の処世と裁量としても常に難しい話題でもあった。
通貨流通の根拠でもあり戦略物資でもある金の地金の扱いはどこの市でも相応に神経を使っていて、ある程度の取引の上では日常的な必需品ではあるが、面倒の一つでもあった。
共和国の町々では頻繁にそういうことが起っていて別段それでどうという話題ではないはずなのだが、一つの市の中で起こることとしては珍しい事だった。
結局その場では流して余所で尋ねるという中庸を選んでみたわけだが、つまるところよくある、ハズレ、私的な換金所のうちでも評判の悪いところに足を向けたということであるらしい。
慇懃に挑発し喧嘩を売って袋叩きというのが、共和国の客商売の極意であり基本でもあったから、驚いたというよりは懐かしい感じであった。
無論永遠に続けられるお楽しみというわけではなく、お互い相応の立場というものを量る遣り取りの一環でデカートにおけるローゼンヘン工業の立場、ゲリエ家の立場、マジンの立場などがある程度に落ち着けば、それで終いになるようなものであったから、そういう知らない相手に噛みつくという流儀の洗礼はデカートではとうの昔に終わっていたが、その結果としてデカートではセレール商会とストーン商会の二つ以外とは直接取引をおこなうことが殆どなくなっていた。
単純に生産者の立場としては原材料の供給は重要な信用問題だったが、マジンとしては趣味以上の意義も意味も工房運営には意義を感じていなかったし、市井に流通する品々の殆どに興味も魅力も感じていなかった。
例外として食料品があり、各種の石炭などの鉱物があったわけだが、腕ずく力ずく以外の交渉が得意だというわけでもなかったので、面倒を避けるために気質の商売とはあまり太いつながりを持っているというわけではない。
わかりやすい美人局やスジ者であれば一家まとめて忘却の海に沈めてやるのも吝かではなかったが、流石に一見の飛び込みで入った両替商を丸ごと血で染めるというのははしゃぎ過ぎにも思えた。
だが街を離れてみれば、ひと暴れして高利貸しのひとつも潰してしまえばよかったのではないかと思えてきた。
逃げるように街を後にしたことが今更益体もないことを想像させていることは自覚していたが、今更気晴らしのために街に戻ってという気分でもなかった。
気が削がれたというだけでもなかった。
もう百リーグ以上も川を登っていた。というのもあるが、日数に余裕がなくなっていた。
飽きるまで根こそぎにするには二日は潰えてしまう。
怒りの量が多いのか少ないのか、度し難い言い訳めいた感覚を抱いたまま、淡々と川を登っていた。
長い距離を遡ってきたが、ここまで一体どこがチョロスの町を氾濫させているのか首をひねるような地形で、せいぜいが東側に山や丘陵を沿わせている地形が確実に雨を落とすのかというくらいまでしか想像もできなかったが、下流では確かに氾濫は起っていて何箇所かははっきりと水でえぐられ切り崩されたあとや取り残された三日月状の湿地や池があった。
チョロス川の遡上の途中、地図にないファルクとバラクという街があったが、町の調査はおこなわず、滝のある水郷に至った。水郷のやや南側アッシュから渡された心細気な吊橋の少し下流に陸路では気が付かなかった材木の切り出しで賑わっている集落があった。辺りは豊かな水源で雨も多く樹木の生育が早い土地であるという。集落の名前はとくになく、地形から段々谷とか太泉とかそんなふうに呼ばれていた。そんなふうな天下国家とは全く別に共和国では人々が暮らしていたし、そう云う掃除の行き届かない部屋の片隅のホコリのような集落にも人々の営みがあるほどには共和国は豊かだった。
ともかくもアッシュの下のミズレー水郷と今は名づけられたザブバル川とチョロス川の唯一の合流点まで戻ってくるとその先僅かな距離だが水路は途切れていた。
上下アッシュの町を繋ぐ道を歩かず、マジンは水路の脇の工事を遺棄された獣道を辿った。
櫓を固定し巨大な笠をかぶるようにしてブラウゲイルを担いで登っている姿を想像してマジンは一人笑った。猟師にでも見つかれば、まず化物かと射掛けられるだろう、という姿だ。
一度訪れて大まかな道については目星を立てていたが、日が経って改めて訪れると人の手の入らない山道の様子は随分と変わっていて、一回簡単に道を払って改める必要があった。
ともあれ半日ほどの作業でザブバル川から分岐した流れとケイチの街にたどり着いた。
水郷からケイチまでの流れは一言で言えば杜撰な水路工事であったが豊かなザブバル川はそれでもそこそこ以上に水量を水路に与えていて、ところどころ水底の岩が飛び出し渦を巻くほどに浅くなっているヨタ渓谷よりは水の深みもあった。
言葉を返せば無理に水路を作らなければヨタの渓谷の水量水深が増すのではないかという疑問にもなったが、そこは試してみないとなんとも言えないところでもあった。
だが川を泥海まで下りのぼりしての無責任な感想からすると、デカートから河口までの測量の印象として、ザブバル川の水源はあちこちの湖や降雨もそうであろうが、伏流水湧水が思いの外多い印象があって、一箇所の流れを止めたとして極端に流れの水かさを増すようにも思えなかった。
おこなうとすればヨタ渓谷の出口に開閉可能な水門を設けて運行に必要な水深と往来に適した流れの速さを造ることかもしれないと思えたし、なんであればミズレーの水郷はそのまま活かしてチョロス川への運河にするのも良いのかもしれない。
どちらにせよ相応に公正な運営を行う組織が必要で、それがない場合カノピック大橋のような混乱が生じる。
二つの運河を作ったとして相互に独立していない場合、容易にデカートの河川往来は破綻する。
元老院で専有的に諮る必要もあった。
チョロス川の方はもう少し厄介事もあって、例えばチョロスが氾濫対策として河川の付け替えや堰堤の建設などで海までの流れを遮るということは十分に考えられた。
本気で運河を造るつもりなら今のうちだった。
とはいえ流れが早く川底の岩盤がしっかりしているヨタ渓谷そのものに水門を据えるのはなかなかに骨が折れそうであった。
夏の川に小舟を流れに乗せて水路でめぐるケイチ・アッシュは山の碧が目に眩しく絶景だ。
名にしおうヨタ渓谷はなるほどザブバル川水路の天険だった。
デカート新港の開港やカノピック大橋の付け替えで、制限が緩やかになって大型化が再び始まった輸送用の櫓船は幅を広げるのではなく高さと長さを増し、羽毛を生やした地虫のような再びの進化を遂げていたし、石炭を使った機関船は列車のような節を持った三胴曳船四胴曳船の往来がおこなわれていた。
人様が知恵を凝らして在る物を活かそうとする態度を見るに単に大型化をおこなっている自分の舟がひどく単純な構造であるようにマジンには思えた。
とはいえ、油圧と歯車によるリンク機構で機能しているブラフゲイルも傍から見れば十分複雑怪奇な船のはずで、全く他人事として面白いというだけのことであった。
測量用の水中銃と聴音機や光学測量器での作業は乾舷の高い船らしい船では扱いにくく、そうでなくともローゼンヘン工業の持っている船は積載に余裕のある吃水の厚みに余裕のある船ばかりだったから、水面に近い作業をおこなうのには向いてなかったし、何より大きすぎた。
元々十八人が乗れる競艇櫓船であるブラフゲイルには多少の人員が載せられる余裕もあってヴィルとヘルミのふたりを助手に載せるかという話もあったが、予定が二転三転してしまったために半ば従兵のようにして使っているリザが取り上げていってしまった。
今回、端艇での河川測量の助手を申し付けてみたら、ふたりとも存外に食いつき良く目を輝かせていたが、予定が二転三転してマシオンから帰ってみるとリザがどこぞの調査に連れて行ってしまった。丸一年リザに秘書兼運転手として従卒扱いでデカート周辺州を引っ張り回されているうちに、浮ついた跳ね返りばかりが目立った二人も流石にそれらしい行儀の落ち着きを見せ始めて、外回りの用件を言いつけるに都合の良い素直な腰の軽さを身につけていた。
佐官ともなれば兵の現地任用は相応に融通もきき、本格的に兵士の身分を与えることも可能だったが、リザはそこまではしていない。参謀がよく使う間者や探偵という半端な扱いも世間ずれしていない二人には却って胸ときめく扱いであるようだった。
ローゼンヘン館には今、五六十の人間が様々な形で生活をしていたが、全くに無任所という者はおらず、愛人やらという立場で逗留している女性も毎週一回デカートの連絡室で事務仕事に勤務していたし、館にいる間は川沿いの村の雑事を取り仕切ってもいた。当然に執事秘書という役職にあるものは、急速に業務を拡大するローゼンヘン工業の調整を期待されることになり、組織構造上怪しげではありながらセントーラがいなくては会社の運営が成り立たない状態になっている。
春風荘を立つ前の日の夕食の席で軽くロゼッタを誘ってみたら、ハエか何かが飛んでいるかのような表情をされて、お家のことでとても忙しいので一昨日お訊ねあそばせ、と慇懃に断られた。
ソラとユエは川の旅に興味津々でついて行くと言って聞かなかったが、ふたりとも学志館の授業があるだろうと云うと、ロゼッタも課題があると二人に指摘された。全く当たり前に家のことでロゼッタを働かせていたから、自分でロゼッタを学志館に押しこむようにしたことを失念してしまうのだが、ロゼッタが忙しくない訳はなかった。
作法院に押し込められた時よりよほど楽しく有意義に過ごせて主様には感謝しています、と慇懃な礼を述べられて、どこまでが嫌味なのか本心なのか見事に綯い混じった言葉にマジンは閉口した。
測量しながらザブバル川を下って戻ってくるとなると三日四日というわけにはゆかず、急いでも十日、当たり前に二十日はかかるはずで、忙しい折のマシオンでの二日を惜しく感じないわけにはゆかない旅程になる。
優雅な川流れの旅ではあったが、余り期日に余裕が有るわけではなかったから、旅の間は舟から降りないままの旅程になるはずで、ひとりであることは却ってよかった。
流れに乗せて岸に寄せてを繰り返し、贅沢な釣り船のような旅は、いきおい時間がのんびり流れ、知らず知らずに日が傾く旅だった。
馬に秣を充てることも要らず、石を踏んだ足の手当も要らず、水路を急ぐ舟を横目に見ながら、光学測量器で光画写真をとり数字を記し、全くのんびりと仕事が進んでいた。
雰囲気が変わったのはヨタの渓谷が左右から押し迫ってからだった。
ヴァルタから三十五リーグ下流のヨタの渓谷は左右に高さ千キュビットほどの浸食卓状台地を割くようにザブバル川が流れていた。
迫るように川幅が減っているのも確かだが、川底にひどく硬い岩盤の層が不規則に隆起していて左右に水が逃げるように膨らんだり、或いは流れの速さが変わったりと岸から眺めたのではわからない難所ぶりで、流れに乗せたまま片手間に測量をおこなうというのは難しかった。前から後ろまでまとめて櫓が動くブラフゲイルでは流れに応じて櫓を差すということが難しく、流れに揉まれ回転を始める舟を制するのは櫓ではなく足で操作する舵だけで、流れに長い速さを求めた小舟は横からの渦に引き寄せられ弾かれとなかなかに忙しい有様で、難所ぶりを楽しませてもらった。
滝ほどに途方も無い、というわけではないが、名にし負う水の壁を制することは遊び半分にいかないことが改めてわかってきた。
とはいえ測量そのものが不可能なわけもなく、必要なことは丸一日もかければあらかたがわかった。面倒があるとわかっただけであるが、面倒を確かめることが目的でもあった。
川底が硬い分、水中銃を使った水深測量はひどく簡単に拍子抜けするほどに順調にすんだ。聴音機は流れの速さに聞き取りにくかったが、硬い石の水底はかなり明瞭に音をかえし、ヴァルタの入江などよりよほどわかりやすく水底の姿を音にして晒した。何箇所かプリマベラが座礁しかねない暗礁のような隆起があることは渦を見た瞬間に見当がついていたが、かなり大きく硬い。
測量の結果をまとめれば、水面の幅はオゥロゥ運行に際して同型すれ違いの原則を前提にしても全く問題がないが、積載時のオゥロゥの吃水は十五キュビット前後でザブバル川のデカート側のこれまでと違いヨタ渓谷は部分的に八キュビットほどにも浅くなり水深は著しく不足していた。ヨタ渓谷の川の流れの速さは急激に不規則に浅くなる流れが水面に複雑な渦を描くことで櫓方の力を毟り取ることにもあった。
つまるところザブバル川本流の付け替えで手を打つとすれば、左右ばかりでなく水底に相応に手を尽くす必要があって、少なくともヒツジサルと同じ規模の作業船を張り付ける必要があるし、工事期間の様々を考えれば流れの一時的な専有を考えに入れた大規模な工事が必要になる。
測量の返りの鋭い川底の状態を鑑みるに幾つかの岩を発破でただ吹き飛ばせばいい、というものではなくある程度仕掛けに手を尽くさないと両岸を崩すほどの分量の爆薬が必要になりそうだった。
発破に際して事前の工事が必要になる。
流れに任せて忙しい中での水中測量では少なくとも差し渡し百キュビット、法螺話半分の可能性だけなら千キュビットをかすめるほどの一枚の大岩を厚み数キュビット水路の長さに渡って砕く事も考えるべきで、というのは専用の重機を持ち込んでも尚面倒くさそうだった。
もし本当に水中銃での感触が正しいなら、発破などよりいっそ川底にまで達する巨大な円盤ヤスリを持ち込んで石を切り出したほうが良さそうにさえ思える。
詳細の測量をおこなうためにはひとりではどうあっても手が足りないが、この分では工事どころか本格的な測量に際しても河川運行を一時的に専有する必要がありそうだった。
エイチアッシュ間の水運は余り活発なものではないが、それでも必要な便は相当に強硬な必要に迫られての便で、ただ元老院のお達しというだけでハイソウデスカと首肯できない種類のものが多い。
とくにストーン商会が仕立てたあまり安くない石炭船の運行を必要とするような便は、かなりの必死な様子で河口から上って下ってを繰り返している。
何らかの手当、少なくともデカートだけでなく流域の全ての河川組合と話をする必要があった。
ヨタ渓谷の千キュビットほど西側の低地を流れるチョロス川の蛇行部に作られた運河になりそこねた水郷に巨大な水車を建設して舟を上げ下ろす、という方が自前の話だけでケリが付くだけ簡単そうだった。
その場合でも水路の工事が必要だったが、問題は随分と整理される。ザブバル川側の上流の水路は既に元老院で話がついているし、下流のチョロス川側の水郷も今のところ目立って何かがあるという様子でもない。
目立って問題があるとすれば現カノピック大橋の天辺ほども千グレノルの水と舟を持ち上げる機械装置を水辺に造る。という事業をわらいばなしにしないというだけだったが、同時に問題はそのための資材を鉄道もオゥロゥもなしに持ち込まないといけないという点だけだった。
だが、それはあまり問題ではなかった。
資材の粗方は舟の形にして浮かべて運ぶつもりだった。解体と組み立てで時間が使われるのは輸送手段が限られる中ではやむを得ない事情だったし、カノピック大橋や各地の鉄橋工事の橋脚部分でおこなっていた手法でもある。回転体部分は重量と剛性を両立させる必要があったし水槽も同様で、構造全体の空間積あたりの重量は水に浮くほど軽くなくてはならなかった。
ザブバル川とチョロス川はこの後随分と離れてしまうので、泥海から遡らなければならない航路も面倒ではあったが、問題は結局いつから取り掛かるかという時期と時間の問題だった。
どういうタイミングで始めても何百人かはチョロス川の水郷で作業を行わせることになる。
水郷の下堀から始めて半年から一年の建設期間と上下流での運河水路の整備が必要になる。資材の問題で鉄道を敷くことを望むなら、ヴァルタの先ケイチアッシュの線をここまで伸ばすということで単純に一年かかる。
そこまで待てば、面倒は殆ど無い。運河の完成は二年半から三年。ということになる。
順当無難な計画を望めばその位の期間が必要になる。
或いは先に水路の整備を徹底して半年、その後昇降機の整備に移る。
どういう話の流れでも最低限千人ほどの肉体労働を辞さない人員が必要になる。
はっきり言えば三千人余りをデカートから吸い上げた段階でデカートの人材は一時的に枯渇していた。
人そのものはもちろんいるが、本当に誰でもよろしい、というほどの気分にはなれない。
何十万人だかしかいないデカートの人口のうち五千をゆうに超える人員を雇っているという事態は、デカートが季節労働の農業従事者、小作人未満の人々を都市住民として大量に抱えているという事実を以ってしても多少異常な事態であると言えた。
気分の問題や財布の問題はともかく、計画の前提になる人員の問題は手当の方法があるにはあると知っていたが、そのためにも準備は必要だった。
一旦、地理地勢的な問題に話を移すと、下流域では流れの緩やかなチョロス川のほうが広くなっているものの、上流に大きな町がないために河川運行が積極的というわけではなかったから、運河を通しての水路の付け替えは殆どデカートの利益認識、極端なことを言えばローゼンヘン工業つまりはマジンの経済的感覚にかかっていた。
チョロス川河口の街チョロスは広大な氾濫原を農地としていて、デカートよりも遥かに巨大な人口を抱える街で外海の玄関口であるスカローほどでないにせよ、やはり巨大な海運の根拠地であった。
青海を目指す港町スカローの手前にあるザブバル川の河口の街パルージャはデカートから出てゆく石炭や鉄をつかった武具や工具の加工が盛んで、デカートとは相応それなりに関連がある街であったが、チョロスとは五十リーグあまり離れている。
水運にとって数十リーグなぞ近いものだったから、お互いの町は交流はもちろんあるが、全く雰囲気の異なる街だった。
つまり渓谷の水底が固くて削れませんでした、と言ってこれまでとは西に五十リーグも離れた町に水路が繋がれてデカートの人々は喜ぶだろうか、という半ば気分の問題でもあった。
結局最後は両方繋ぐ必要があるということになるだろうが、今はオゥロゥをどう使いたいかという点に尽きた。
そりゃもちろん海まで出してやりたい。
初めて泥海というところまで出てきて、奇妙に凪いだ小麦を溶いたような灰色をした巨大な塩水の水たまりを目にしていた。
ザブバル川の河口の街パルージャは真っ白な石造りの城塞じみた建物が鈍色の水面と青い空とに映える美しい町並みだった。水辺の街と言っても灰色の石と黒光りする天蓋とが麦畑と丘の緑に目立つデカートとは全く異なる印象だった。
陸地から入ればまた異なったのかもしれないが、水辺を巡っての印象はそんな感じだった。
港口を求めて川から海に出てグルリと巡ると川にある港はどこかの個人か商会の私有地か単なる一時的な係留地で、海側が本当の港であるらしい。
生臭さと泥臭さの混じった独特の磯の香りを味わいながら、帆櫓それぞれに備えのあるよく肥えた芋のような幅の広い舟に混じって何杯かのストーン商会の石炭船の姿があった。
軍船とも思えない舟のいくらかも何門かの大砲で武装している様子で、何と戦うのか何を襲うのかはともかく、海の上というのは川と比べればやや物々しい様子だった。
機関船の中には軍人らしき人々が乗り込んでいるものもあって大砲の備えがあるようだが、専用に作られたものというわけでなく、上構の配置が全体に窮屈そうな感じだった。
パルージャの港の様相を見渡すに全体に舟の寸法は大きく、デカートでは大型船の部類であるはずの機関船はここでは中規模と言える大きさだったが、曳船を間に挟む蛇のような三胴船は特異な形で目立っていた。
町は舟の大きさに応じた賑わいを見せていた。と言っていいはずだ。
デカートよりも人々の装いも多様で、活気と混沌の間の生活感を感じさせた。
武装をしている無頼と思しき人物も多く、その多くが長く幅広の段平を挿していた。それどころか身の丈より長い槍だか銛だかを携えている者も多かった。
土地の雰囲気として全体に長物が好きな風潮でもあるのか、マスケットや騎兵銃などを肩にかけている者達もいて、個人的な武装というよりは戦争にでも出るつもりなのかという感じだったが、街の雰囲気としては至って平穏なものだった。
回転式の騎兵銃ならともかく、マスケットなぞ持ち歩いても弾を込めてうろつくなぞ正気の沙汰ではない事で、とっさにはせいぜいが棍棒の役にしか立たないわけで、ならば狩りの後先かという雰囲気でもなかった。
食事によった店で聞いてみれば理由はすぐに知れた。
泥海は海賊がときたま出るので、船乗りは得物を自前で用意する習慣になっているのだが、大方の船員には船室などという贅沢は許されず、私物は粗方持ち歩くことになっているので、奇妙に荷物を抱えている者たちが多くとも彼らの過半は無頼というわけではなく町の者にとっても馴染みの者たちであるという。
「そんなことより、お客さんデカートの人かい」
食事の時間がずれたところに大食いの客が現れたことが気になったのか、酒場の女が尋ねた。
「まぁそうだが、なんでわかった」
「普通の旅の客なら、船員連中の様子が気になったら、あの蛇だかみたいな数珠つなぎの船のことが気になるだろ。見てくれは妙だが結構すごいって評判なんだ。デカートじゃあんなのがもうたくさん動いているのかい」
「たくさんって言っていいかは知らんが、十かもうちょっとは動いているな」
ストーン商会の造船工房はなかなかバカにできない手早さで機関船を建てていた。そして複雑になりがちな大型船の構造を嫌って、浅く広い艀を機関船で挟みこむようにして吃水を浅く抑えたまま積み荷を増やす努力をしていた。
後ろの舟が推したからといって全体の速力が増すわけではないが、ふらふらとさまよいがちな艀を落ち着ける効果はあって、船頭の息が合えばなかなか細かな操船もできるということだった。
その数は大型船のすべてを置き換えるほどには至らないが、デカート新港を眺めればかなりの数が港に舫いを掛け、同じくらいが川面を往来していた。
「結構多いわね、川いっぱいにいるのね」
ぎゅう詰めの風景を思い浮かべた様子で女は言った。
「この辺じゃ機関船はどれくらいいるんだ。なんか軍隊みたいなのも使っていたが」
「どのくらいだろ。三杯か四杯か、そのくらいじゃないかな。どの船のことか知らないけど、軍隊みたい、じゃなくて軍隊よ。共和国水軍がいるからそれじゃない。新しい石炭船も一杯いるわね」
勘違いを笑うように女は言った。
「意外と水軍はカネがあるのか」
「ストーン商会の遣手の番頭が買い手が渋ったのを水軍に安く譲ったみたい。ちょっとした騒ぎだったから知っているってほどじゃないけど、噂くらいは聞いてるわ。なんか買ったばかりの舟にイチャモンつけて安く買い叩こうとしたら、水軍が割って入ってどんな不都合があるのか試させてもらおう、ってそのまま取り上げて、ストーン商会から接収した形で半金ばかりの代金を払って使ってるって。なんかそんな感じの話だったわ」
遣り手なのは水軍の司令官じゃないのかと思うが、話の裏の流れを噂話で手繰るに取引の空気が悪くなったところで水軍の司令官にご注進に上がったのがストーン商会からじゃないのかという評判があるらしい。
ともかく大損になるはずのストーン商会は舟の代金が収まり、水軍は新しい舟を高すぎない値段で試すことができ、舟を買い損なった者もメンツを失わないで済んだ、と形の上で水軍の一人勝ちだが、水軍の主計に渉りが着くようになったことで残る両者ともに損というほどのことはない結果になった。
海辺の取引は腕ずくで決着が着くことが多く、メンツの問題は冗談ごとでは済まないことが多い。
陸で身代掛けた馬車を失っても諦めず歩けば何とかなるが、海で船を失うと身代どころか命がない。
舐められることも敵を増やすことも命にかかわる中で、スルリと差し替えてみせたストーン商会の番頭の差配や見事、ということであるらしい。
番頭の名前をたずねてみたが、そこまでは知らないという。
水軍の舟の評判を聞いてみると、一リーグも向こうから煙を吹いているのが見えるのだが、煙が見えてから慌てても船足が違いすぎて櫓方が疲れる前に追いつかれるほどの足であるということだった。
水軍に引き取られた機関船は短い期間のうちに期待以上の成果を上げ、水軍は買い増しを検討しているが、石炭の費えの意外な大きさに地方の決裁を諦めて本部の意向を仰いでいる。
広く凪いだ水面で実際どれほど早いかはわからないが、櫓船の多くが苦労してようやく超えるヨタ渓谷の上りをよろつきはするもののあっさりと超える機関船の力は十分に大したものだと言える。
石炭はこの辺りでは取れないので各地から運んでいるが、川沿いのデカートがやはり大きな産地であるということで石炭船の荷の大きなところは石炭であるということだった。
パルージャは舟の建造やそれに関わる様々が特産のひとつだが、他に丘陵がちであまり広い畑が取れないものの樹木の育成にはそれほど問題もなく水はけ日当たりが良いことが幸いして、ナシやブドウナツメザクロ等の果物の産地としても知られている。
他にも酒やら砂糖香辛料の類を泥海沿岸やその外の各地から集めている市場は、単に規模という意味であればデカートと大差ないがその扱いの種類の多さは眼を見張るものがあった。
マジンは結局丸一日測量を忘れて単に物見遊山に町中を自転車で巡った。
デカートではそろそろ当たり前のものになっていた自転車や少ないものの目を引くものではない機関車といった路上の機械はこの町ではまだ見掛けないものだったが、混沌とした街の忙しい雰囲気からか自転車に乗っていることを咎め立てたり気を引いたりということもない様子で、旅行者であるマジンはひどくのんびりした散策を楽しんでいた。
川から海沿いにかけての丘陵を背に入江を港にした高さのあるパルージャの街並みは比較的脆い石で出来ているらしくあまり大きな建物はなかったが、丘にそって道が伸び、覆い尽くすことで街全体として高さを持った街並みになっていた。
話を聞くと材料は泥海の底の沈殿を藁や屑布をつなぎに使って日干しにする、一種の漆喰干しレンガということで、材料そのものはいくらでもあるわけだが、やはりある程度は向き不向きがあってその辺は材料を取ってくる職人の技量にもかかってくる。
泥海の沿岸の街並みの多くはどこも似たような方法で作られている。
チョロス川を遡るつもりでなければこのまま自転車でチョロスに向かっても良いのだがと、多少の食料を買い増してブラウゲイルで泥海に漕ぎ出した。
巨大な入江に注ぎ込む川からの流れと外海から満ち干きによってゆるやかに流れ込んでいる潮によって泥海はおおまかに二つの流れと水の層ができていて、表層の真水と底層の塩水との間の屈折が奇妙な色合いの鈍色を作っていた。
その境界上には余所では珍しい種類の珪藻類が赤青緑紫黄色といった思い思いの色合いで微細な花畑を広げ光合成をしていたり、水底には石灰質の骨格を持った動物と植物の中間に位置する微細な生き物が日干しレンガの材料を濾しとったりということを繰り広げていた。
比較的低緯度で日照が強く水深は浅いものの川の流れが潤沢で表層の温度が比較的安定していることと水中での液質の層状の違いが海水域の水温を比較的低めに維持しつつ日照を水底まで届けるという効果を引き起こしていて、大きいとはいえ南方の遠浅の入江だというのに、単に色とりどりのお花畑的というだけでない、ひどく豊かな生物相を抱えていた。
聴音機を水の中に沈めていると川の流れの賑わいとは全く違う海の賑わいがあって、何が音を立てているのかは分からないが、おそらくは何かの生き物の生活の音だろうと思える音が多かった。
そういう中で水中銃のたてる無闇に鋭い気泡の破れる音はひどく無粋なものであった。
パルージャの入江の外の水深は水中銃の測量ではだいたい五十から百キュビットかそこいらの深さがあるようだが、元々川の深さを測るための装置として持ち込んだもので五十キュビットより先は急激に読み値が怪しくなる上に、汽水域の水中層という用途外の環境であることで厳密に云わなくともわからないと云った方が良い有様だったが、とりあえず舟を運行する上でそうそう危ない暗礁はない様子だった。
水中銃は長さ半キュビットもある編み針のような金属の棒を打ち出す装置で、十キュビットくらいの深さの水底であれば、そのままその弾丸を杭のようにして打ち込める道具だった。銛のように使うこともできるが、あいにくそれほど大きな魚をザブバル川で見ることはなかった。
水中銃の音と弾丸の挙動を聴音機で観測することで比較的簡単に水中の底の様子を推定することができる。
とはいえ急速に速度を失う弾丸が十分にわかりやすく成果を報告できるのは大体二十五キュビット前後までで、そこから先は様々な影響を受けることになる。銛としてはもう少し長い距離を期待できるが、水の重さを考えれば何百キュビットというほどではない。
開き直れば船の運行に支障がないことを確かめるためだけの機械の組み合わせだった。
測量をしながらの船旅は、海に出てから随分長閑だった。汽水域の流れは潮の満ち引きの影響を受けないわけもないから、流れがないというわけではなかったが、錨が効くまでに流れていってしまう川の流れの速さに比べれば、泥海の流れはないも同然だった。
採集瓶に組み上げた水は深さや流れに応じて違いがあるのだと主張するように含まれている微生物に違いがあるのが面白く、つい無闇に日にさらして中に目を凝らしてしまっていた。
結局、一日でパルージャからチョロスまでたどり着くことはできなかった。
測量をしながらだとのんびりとあたりを見回す多く、気がついたこともそれなりにあった。
泥海は凪いでいる事が多いとはいえ、小型の船の殆どは帆走で櫓で走る舟の殆どは大型だった。巨大な入江ではあるが、風は日の傾きに応じて丘と海とを行き来して陸地が水面を挟み込んでいる河口はそれほどに太くなくともとくに強い風が出入りしていた。
遠くの方をあまり大きくないせいぜい二人かそこらで窮屈そうな舟が滑るように鈍い色の水面を走っているのを眺めるのは、奇妙に幻想的な光景だった。
そういう鈍色の水面が日没の赤く焼けた太陽によってこの時ばかりは朱に照らされる風景は何事の天変かと驚かされる光景だった。
一種の鏡のように光を返す泥海は大地よりよほど真っ赤に夕陽の光を跳ね返し、秋の紅葉に覆われた山野のような色合いで一日の終りを告げた。
当然に朝日の風景も楽しみにしていたが、あいにく東側はそれなりの高さの丘が連なっていて夕陽に比べると迫力に欠けた。
夜、あまり真剣に錨を投げていなかったのだが、殆ど流されることのない水面にホッとするやら拍子抜けするやらを感じつつ、昼前にチョロスにたどり着いた。
夜のうちに遠目にチョロスの町は見えていた。パルージャも夜の灯の絶えない街だったが、チョロスも負けず劣らずの街だった。
平たく広がっている割に明かりが多く見えるという意味ではチョロスの繁栄ぶりは大したもので、電灯が夜道を照らすまで田園には夜の灯がなかったデカートと比べ、チョロスは海沿いのそこここに灯火があり、ときにそれは人のいない崖の上や突端の灯台であった。
夜を徹して走る舟にとって昼も夜もないわけで、泥海が天候穏やかと言ってもそれは常のことであって非常異常はしばしば起きた。
そうでなければ今のチョロスを支えている氾濫原はどうしてできたのだということで、実のところチョロスは水害を常として相応の備えをしつつ、毎年数次の嵐と水害で百人ほどの死者を出していた。
多くは備えの出来無い人々の被害ではあるが、共和国の都市の常として無産階級の規模を考えれば、かなりの努力で人々を助けているとも言えた。多くの家が二階建ての白亜のレンガで作られているのはパルージャと変わりがないが、その上に簡単に吹き飛びそうな板で作った切妻の掘っ立て小屋を載せていた。よほど大きな建物であっても必ず帽子のように乗っている姿が奇妙ですらあったが、ともかくそれが何を意味するかを想像することはあまり難しくなかった。
港の建物の多くが三階建てで建物の外側に階段を設けているのも似た理由であるはずだった。
町中の建物にはいつかの水害の後らしき、薄汚れた縞状の模様が入っていた。
チュロスの街並みに余所と目立った多いものは屋台が店を連ねている広場があちこちにあった。
別に貧しい連中向けの安い食い物屋というわけではないらしく、帽子や鬘に相応の意味を備えているだろう身分の人々が侍従や護衛を侍らせて、身分違いの人々とともに同じ屋台の食事をとっていた。
眺めていると屋台の集落には幾つもの種類の店が並んでいるらしく、それぞれに得意料理を看板に掲げ、それぞれに一品づつ順にとってゆくと、相応の饗膳になるらしく土器の質は如何にも間に合わせ洗うよりも砕いて土に返せば良さそうなものだったが、乗っている料理は見るからに美味そうな色艶をしていた。
それぞれの値段は手頃なものだったが広場の目につく屋台を一回り回ればそれなりの金額になる食事は器はあったが食器はなく手づかみであるらしい。
はたと辺りを見回せば身なりの良い者達は侍従に匙やら食叉やらを預けていた。どうやら慣れた土地の者は食器を持ち込みであるらしい。それなりのものたちも自前の折りたたみのナイフを食器代わりにしている。
片手で収まる汁物を器ですするのはローゼンヘン館では割と当たり前の作法だったのでそこは良いのだが、脂で濡れた手をどこに始末すれば良いのかが町に不案内ではわからないので、目についた端材をちょいと削って箸をでっち上げた。
どうやらこの辺りでは箸を使う風習はないようで、それなら薪や竈の火を返すときはどうしているのかを聞くと小さな平たいコテと刺鋤で返しているに決まっている、という答だった。
まぁ、コテというかスコップ・ショベルのたぐいは石炭を投げたり灰を捨てるためによく使う道具でまぁそうなのだが、火箸一組であらかたのことができるんだが、と程よく火の通った肉と皮をなぞるようにして割いて見せ、箸で膜をつまみながら骨にそってナイフを走らせ綺麗に骨を抜いて見せ、脂で汚れたナイフの刃先を食事の終わった端を削って脂を拭うと、屋台の親父は関心したように食事の終わったばかりの箸に目をやった。
つまるところ単なる二本一組の棒切れが食器として指の代わりを果たし、手を汚さないで食事ができる道具であるということに、衝撃を受けている様子だった。
別段指を汚すことに躊躇がないものでも、汚れた指を口にすることに躊躇があるときは多く、乾き物なら指の触れたところを捨てればいいだけのことだし、袋物なら袋を食器代わりにすればいい。が、屋台の食い物はそういうものだけではなかった。
安いパンやプレッツェルの類が人気であるのはある意味当然でもあるのだが、料理人としてはそれだけでは寂しいことだと屋台の主は言った。
料理人として一家言ある様子の屋台の主に屋台を出すまでの彼の来歴を尋ねると、自分の店を出していたのだが水害でやられた、と笑った。相応に気取った店構えで二階に厨房を客間を出していたのだが、建物の一階部分の壁が落ち、階段が持ってゆかれたという。
いっそ二階を玄関にしてしまえばよかろう、言ったら、チュロスの政庁はまさにそういう作りになっているらしい。
もともと矢玉を蓄える兵糧備蓄のための倉庫だったそうで、町への出入りが都合がよく大通りに面しているということで、海辺の城塞都市が成長するに連れて城壁の外の市場と港を睨んでいた倉庫に政庁が移ってきた。
議会や司法裁判所などは日々の業務に往来を必要としないが、行政ばかりはそうもゆかず城壁の外側に早くから出てくることになった。
その際の水害対策として兵糧矢弾を蓄えた軍需品倉庫や備蓄倉庫の屋上に建屋を据えた作りになっている。
この方法は別に新しいものではなく、城壁の空堀の外側の家々では水害の度につかう避難所兼倉庫として軽く簡単に載せられる構造の建屋を屋根の上に乗せていた。空堀が切られているのも家を守る知恵だった。
この辺りの日干し煉瓦は一旦乾くと水に脆いということはないのだが、強度という意味ではあまり頑強なものでない。
経験的な常識として三階以上の建屋を造るには木製の梁が必要になるのだが、材木は舟と取り合いになる。
舟を建てられるような連中と街場の連中とで財布の勝負ができるわけもない。
この辺りでは鉄の梁を使った建物はないのかと尋ねると、目を丸くした。
この辺りで鉄の道具が珍しいというわけでは、もちろんないが、地べたを掘って鉄が出るような土地ではないから、木よりも安い材料というわけではない。
船乗り連中はこぞって大砲の数を揃えることにやっ気になっているという。
船大工の馴染みの鍛冶屋は多いが地金や石炭は余所から仕入れている、そうなれば釘鎹や蝶番といった小間物はともかく梁をまるごととなるとなかなかに大仕事大商いになる。
まだ流石にそういったものの話はないなぁ。と親父が云ったところで、「お客さんひょっとしてデカートの人かい」となった。
旅の連中の話題としてカノピック大橋や川に架かる鉄橋の話がこの辺りでも話題になっていた。
氾濫原の堰堤の修復やそこにかかる橋の話題というものはチュロスの人々にとっては大きな関心事で、しばしば渡し口の位置やらそこまでの道やらが変わってしまうことについて、諧謔めいた話題になることが多かった。
舟を持たない連中が悪い、船商人の儲けを守るため、的な皮肉の投げ合いはさておいてチュロス川の定期的な氾濫、段階的なチュロス川の増水があってその頃に嵐が数度起きるという気象が、麦粒を撒けば麦が生えるという豊かな実りを約束していたが、旅人にとっては必ずしも良いことばかりではなかった。とくに陸路で来る馬車にとっては面倒この上ない土地で、稼ぎになることはわかっていながら足を向けることを厭うものも多かった。
そういうわけで壊れない丈夫な橋、鉄で橋を作ればいいんじゃないか、と予てからしばしば話題にはなったもののそこで立ち消えになるような話でもあった。
そういう夢の様な話を現実にしている、ということで近くもないデカートの話は夢物語ではない憧れじみたものになっていた。
馬車と舟の相性の悪さというものは、マジンもしばしば感じていて、オゥロゥで機関車をまとめて運んだ時も結局それは拭えなかった。
水面に近いところを埋めるようにして力を得ている櫓船ではどうあっても妥協がしにくいが、機関船であれば比較的簡単になんとかなるかもしれなかった。実際にストーン商会の三胴船四胴船は機関船の間に挟んだ吃水の低い曳船を港口にベッタリと横付けすることでそこに積んだ馬車を積卸していた。その長くだらしない光景は生粋の船乗り連中にとっては不満のあるもので嵐の中で耐えられるものかと呪いの言葉を投げつけられていたが、平たく幅の広い艀を前後で力強く機関船で支えるという運行形態は見かけによらず存外に強靭で、既に幾度かの嵐を乗り越えてもいた。
四胴船の長さは二百五十キュビットあるオゥロゥよりも長く、索の長さにも依るがだいたい三百キュビットで余裕が有るように作っているデカート新港やヴィンゼ港でも雑に止めると桟橋が埋まってしまい、港湾局と揉める理由になっていた。見たところオゥロゥよりも大きな舟がいないチュロスの港でよくも舟を停められると思わないでもないが、海の大きさと嵐を避ける舟を救うための努力ということである。
ということもあるが、町に面した護岸は水害対策の基本中の基本で、港口の整備はわかりやすく街を危険から守るための第一の砦で同時に利益にもつながっていたから熱心な投資がなされていた。そのための材料は海の底を掬えば殆ど無尽蔵に集められたから、港の浚渫と護岸は無産階級の社会保護や軽犯罪者の鑑別を兼ねて社会事業としておこなわれていて、実際の船腹の規模に比してある程度の余裕を持って作られていた。
同じことをチョロス川の方にというのはやはり話題になることで部分的には成功していたが、チョロス川の氾濫のひとつの大きな原因は山間部での降水と瀑布の決壊という問題が大きかったから、単純な話題として片付けるわけにはいかなかった。
それでも近年は二キュビットに達する浸水は起こらないように様々な努力が払われ、家々の努力への周知もおこなわれ、無産階級であろうとよほどのことがなければ無為に死ぬこともなくなっていた。
組織だった街の努力の結果であるが、独立したばかりで土地に不案内な人々が備えを欠いていたり、或いは些細な油断から命をなくす不幸を止めることはできないが、それでも死者を弔うことに年を跨いで日を費やすような大災害は起こらなくなっていた。
海賊騒ぎはチョロスの街にしてみれば定期的なバカ騒ぎの一環で、海のことは海のこと、という程度の話題であったし、そう言えるくらいの守りの蓄えはチョロスにはあった。
二万の後装小銃がチョロスの民兵には配備されていて、共和国軍の正規師団も駐留していた。共和国軍師団はまるごとがチョロスの街にいるというわけではないが四つの聯隊が
周辺に配備されていて、災害の折には剛力してくれる心強い存在だった。
貿易都市として海上の封鎖は当然に危惧される事態ではあったが、実際の海賊の都市攻撃というものは着上陸後の農地や金品の収奪というものであったから、陸兵の充実が欠かせないもので、沿岸のある程度の街は相応に民兵組織を編成していて、無産階級であろうと最低限の保護と扱いをおこなっていた。
話を聞くだにデカートは何もしていないのかという思いが湧き上がったが、実のところ共和国の中でもこれといった大きな話題も問題もないままに時を過ごしていたデカートは、あまり大きな何かをなしていたわけではないし、その必要もなかった。
目立つこともなかったが十分に有能な行政司法の治安当局は適度に頻繁に周辺地域を外遊し、問題が発展しないうちに排除していた。ローゼンヘン館ヴィンゼでの事件はデカート州当局にとって相応に屈辱的な事件でもあった。
広大な広がりという意味では馬車交通の往来の限界である十リーグにせまる広がりを持ったチョロス市は相応に複雑で混沌とした街で、単純に海の町という一言でいうこともできず、河口の街というわけにもいかず、巨大な街だった。
更にチョロス川の流れに遮られる形で市の周辺に町が出来上がっていて、チョロス市の中に幾つもの街や市ができていた。
概ね問題は起こらないのだが、しばしば住民にとっては面倒なことに、角が立たないように振る舞いたい他所者にとっても訳のわからないことになることが多かった。買い物をしようとして金の地金を銀貨に変えようと思ったら川の対岸で手数料が大きく違った、というのがマジンの巻き込まれた面倒の事例だった。
あまりに面倒くさかったので帰ろうと思ったら戸口に邪魔な男が立っていて、どきそうもなかったので壁に新しく出口を作っただけで済ませてきたが、ゴネたほうがいいのかゴネないほうがいいのかという話題は旅慣れた者の処世と裁量としても常に難しい話題でもあった。
通貨流通の根拠でもあり戦略物資でもある金の地金の扱いはどこの市でも相応に神経を使っていて、ある程度の取引の上では日常的な必需品ではあるが、面倒の一つでもあった。
共和国の町々では頻繁にそういうことが起っていて別段それでどうという話題ではないはずなのだが、一つの市の中で起こることとしては珍しい事だった。
結局その場では流して余所で尋ねるという中庸を選んでみたわけだが、つまるところよくある、ハズレ、私的な換金所のうちでも評判の悪いところに足を向けたということであるらしい。
慇懃に挑発し喧嘩を売って袋叩きというのが、共和国の客商売の極意であり基本でもあったから、驚いたというよりは懐かしい感じであった。
無論永遠に続けられるお楽しみというわけではなく、お互い相応の立場というものを量る遣り取りの一環でデカートにおけるローゼンヘン工業の立場、ゲリエ家の立場、マジンの立場などがある程度に落ち着けば、それで終いになるようなものであったから、そういう知らない相手に噛みつくという流儀の洗礼はデカートではとうの昔に終わっていたが、その結果としてデカートではセレール商会とストーン商会の二つ以外とは直接取引をおこなうことが殆どなくなっていた。
単純に生産者の立場としては原材料の供給は重要な信用問題だったが、マジンとしては趣味以上の意義も意味も工房運営には意義を感じていなかったし、市井に流通する品々の殆どに興味も魅力も感じていなかった。
例外として食料品があり、各種の石炭などの鉱物があったわけだが、腕ずく力ずく以外の交渉が得意だというわけでもなかったので、面倒を避けるために気質の商売とはあまり太いつながりを持っているというわけではない。
わかりやすい美人局やスジ者であれば一家まとめて忘却の海に沈めてやるのも吝かではなかったが、流石に一見の飛び込みで入った両替商を丸ごと血で染めるというのははしゃぎ過ぎにも思えた。
だが街を離れてみれば、ひと暴れして高利貸しのひとつも潰してしまえばよかったのではないかと思えてきた。
逃げるように街を後にしたことが今更益体もないことを想像させていることは自覚していたが、今更気晴らしのために街に戻ってという気分でもなかった。
気が削がれたというだけでもなかった。
もう百リーグ以上も川を登っていた。というのもあるが、日数に余裕がなくなっていた。
飽きるまで根こそぎにするには二日は潰えてしまう。
怒りの量が多いのか少ないのか、度し難い言い訳めいた感覚を抱いたまま、淡々と川を登っていた。
長い距離を遡ってきたが、ここまで一体どこがチョロスの町を氾濫させているのか首をひねるような地形で、せいぜいが東側に山や丘陵を沿わせている地形が確実に雨を落とすのかというくらいまでしか想像もできなかったが、下流では確かに氾濫は起っていて何箇所かははっきりと水でえぐられ切り崩されたあとや取り残された三日月状の湿地や池があった。
チョロス川の遡上の途中、地図にないファルクとバラクという街があったが、町の調査はおこなわず、滝のある水郷に至った。水郷のやや南側アッシュから渡された心細気な吊橋の少し下流に陸路では気が付かなかった材木の切り出しで賑わっている集落があった。辺りは豊かな水源で雨も多く樹木の生育が早い土地であるという。集落の名前はとくになく、地形から段々谷とか太泉とかそんなふうに呼ばれていた。そんなふうな天下国家とは全く別に共和国では人々が暮らしていたし、そう云う掃除の行き届かない部屋の片隅のホコリのような集落にも人々の営みがあるほどには共和国は豊かだった。
ともかくもアッシュの下のミズレー水郷と今は名づけられたザブバル川とチョロス川の唯一の合流点まで戻ってくるとその先僅かな距離だが水路は途切れていた。
上下アッシュの町を繋ぐ道を歩かず、マジンは水路の脇の工事を遺棄された獣道を辿った。
櫓を固定し巨大な笠をかぶるようにしてブラウゲイルを担いで登っている姿を想像してマジンは一人笑った。猟師にでも見つかれば、まず化物かと射掛けられるだろう、という姿だ。
一度訪れて大まかな道については目星を立てていたが、日が経って改めて訪れると人の手の入らない山道の様子は随分と変わっていて、一回簡単に道を払って改める必要があった。
ともあれ半日ほどの作業でザブバル川から分岐した流れとケイチの街にたどり着いた。
水郷からケイチまでの流れは一言で言えば杜撰な水路工事であったが豊かなザブバル川はそれでもそこそこ以上に水量を水路に与えていて、ところどころ水底の岩が飛び出し渦を巻くほどに浅くなっているヨタ渓谷よりは水の深みもあった。
言葉を返せば無理に水路を作らなければヨタの渓谷の水量水深が増すのではないかという疑問にもなったが、そこは試してみないとなんとも言えないところでもあった。
だが川を泥海まで下りのぼりしての無責任な感想からすると、デカートから河口までの測量の印象として、ザブバル川の水源はあちこちの湖や降雨もそうであろうが、伏流水湧水が思いの外多い印象があって、一箇所の流れを止めたとして極端に流れの水かさを増すようにも思えなかった。
おこなうとすればヨタ渓谷の出口に開閉可能な水門を設けて運行に必要な水深と往来に適した流れの速さを造ることかもしれないと思えたし、なんであればミズレーの水郷はそのまま活かしてチョロス川への運河にするのも良いのかもしれない。
どちらにせよ相応に公正な運営を行う組織が必要で、それがない場合カノピック大橋のような混乱が生じる。
二つの運河を作ったとして相互に独立していない場合、容易にデカートの河川往来は破綻する。
元老院で専有的に諮る必要もあった。
チョロス川の方はもう少し厄介事もあって、例えばチョロスが氾濫対策として河川の付け替えや堰堤の建設などで海までの流れを遮るということは十分に考えられた。
本気で運河を造るつもりなら今のうちだった。
とはいえ流れが早く川底の岩盤がしっかりしているヨタ渓谷そのものに水門を据えるのはなかなかに骨が折れそうであった。
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