石炭と水晶

小稲荷一照

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捕虜収容所

セウジエムル州マシオン 共和国協定千四百三十九年芒種

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 リザの用件、と云うよりは大本営からお越しのマルコニー中佐の用件をこなしている間に、少し大きめの現場事故と些末なしかし後回しにしにくい元老院絡みの決裁が舞い込み、居所を掴まれている中で乗り出すほどには川下りには重要性を感じていなかったこともあって、日を過ごしている間に一通の招待がマシオンから届いた。
 マシオン市長からの鉄道事業に関するご相談がある、という旨の連絡を一等速達で受けたとロゼッタに告げられたマジンは舟下りの予定を繰り下げてマシオンに足を伸ばした。デカートからマシオンまではローゼンヘン館までよりはよほど近い距離だったが、一等速達という早馬を使う用件というのが気になった。
 マシオンからデカートまでは一等速達でおよそ一日。幾つかの商会で使い始めた軽機関車による特別速達では半日という距離で、どちらも騎手の信用にも通じて通信費は相応に高価である。
 マシオンまでの経路はフラムからマシオンの東に抜ける経路とデカートからそのまま伸びる経路とがあるわけだが、両方共実はそれぞれそれなりに問題を抱えて遅れていた。
 フラム側はカシウス湖水系という予定通りの難所で予定通りに日程を潰すことになっていたし、新しい工法を使っての作業は下読み分の日程一杯に膨らんでいた。最後に人員と機械運用の向上を余裕と見込んではいるが、どちらも捗々しくない場合、遅れが出ることは避けられない。
 デカート側はもう少し面倒くさいことになっていた。色々絡むところはあるのだが、つまりは事業の上がりの分前を寄越せ、という風にしか理解できないことを言い出している元老が数名いて一旦は取得が成立したはずの土地について様々な意義を申し立て、動議を建てて実際にマジンの時間を削りかねない工作を始めている。
 鉄道計画が次第に抜き差しならない状況に陥りつつあることはマジンにも理解が及んできた。
 人員を大きくふくらませることで単純な個人の趣味という領域を超えた勢いで事業が加速を始めたことはマジンには喜ばしいことだったが、世間の目が向く前に突破するというのはデカートかせいぜいマシオン止まりになりそうなのが、少々残念だった。
 少なくとも、デカートの元老院ではローゼンヘン工業は既に一種の異物扱いをされ始めている。
 とはいえ、ローゼンヘン工業はますます巨大に膨らむはずだったし、そうでなければ軍都までの鉄道建設もその後の維持もままならない。
 数千という規模の人間を一つの事業につぎ込むということは、ミズレー卿の運河計画の失敗以来これまで久しくデカートではなかったことで、元老院で冷やかされる元になったわけだが、二十倍から百倍ほどには膨れるだろうとマジンは想像していた。
 十万規模、というのはひとつの事業といえるかどうかは怪しいが、共和国全土を覆う事業計画であれば、軍都の官僚と同じ規模にまで膨らむという予想で、裾野の事業を考えれば更に数倍になるということだった。
 数千人ばかりでは事業を維持することさえ難しく、マジンが個人のお楽しみをおこなう時間を造ることは不可能になるし、人員を増やしてゆけば相応に役割を切り分けてゆかねば増やす意味もない。
 幾人か目をかけるに足る人材がいたことはむしろ喜ばしい限りのことだとも言えた。
 それは、今日生まれた赤子もいずれ死ぬ、遠い先のことはそうなるだろう、という程度の必然の話でもある。
 さらに今は先に水運を考える必要があった。
 軍の一部が電話の有用性について検討考慮を始めたのは、ギゼンヌの戦域からの報告とデカートの連絡室の報告がきっかけになったはずだった。
 電話機は有用な機械だが、音による会話ではなく文字や例えば型示通信をより確実に繋ぎたいということであれば、会話ではなく符号を扱えればいいというならば、更に簡単な方法があることはマジンも知っていた。
 電灯をつけたり消したりしてもいいし、空電を使ってノイズの長短あるいは音質の高低を使ってもいい。二鍵で三種類の符号を使えば四回で八十一の文字が扱え、一般には十分にお釣りが来る。三回でも特定の文字や記号数字を使わない、或いは数字と定型文のみであればなんとかなる。
 ライノタイプや電話自動交換機といった自動機械の中身の基本は非常に高級な型示通信機でもあったから、応用は簡単だった。二鍵の楽器の特殊な譜面を三拍子なり四拍子なりで演奏することで文字を転送するというのはそれほど難しくないし、旅の楽師吟遊詩人が暗号として音律に乗せて旅先の報告をするというのは、昔語りの軍記物でもなかったわけではない。
 その応用としてあまり複雑でない程度の電気回路を縱橫に張り巡らせることで少し簡便な通信装置とすることはできるし、現にライノタイプの拡大発展型はそのようにして複数の端末から印刷室に連絡して端末自体はタイプライターほどに小型化している。
 そういうものを提案すればよかったか、と思わないでもないが、少々特殊なものを扱うには楽器演奏くらいの素養が必要になって、電話ほどに簡単という訳にはいかない。
 簡便な機械には相応に人員の準備と訓練が必要だったし、今はローゼンヘン工業側に受け入れの準備がない。
 電話交換機そのものの性能は向上していて、機構の整理と技術の展開で小型化も進行しているが、信頼性を担保するためにはある程度の装置規模が必要で管理上の独立も必要だった。どういう理由でもローゼンヘン工業が人員と機材を管理する必要があったから、たかだか数千の規模の組織では今はデカート周辺で手一杯だった。
 そこそこにゲリエ家の意向が尊重されるデカート州内でも事後のやりとりに面倒があるのに、州外であれば面倒が厄介になることは間違いなかった。
 とはいえ、マシオンはそういう意味では比較的マシな街だった。ことによるとマシ、という言葉では足りないほどにマシオンは鉄道の重要性に注目している土地であるかもしれない。
 多少の問題やら構想やらを考える時間はマジンにも必要だったし、ボーリトンの運転は信頼が置けるものになっていたから、特別しつらえの乗用車は浮世から切り離された個室としては手頃な空間だった。
 ロゼッタが奇妙に思うほど上機嫌にマジンは春風荘で速達を受け取ったその足でマシオンに向かい、日が落ちきる直前にマサヒロ邸に達した。
 マサヒロ市長はまさか速達を送った翌々日のうちに受け取った当人が現れるとは思っていなかった様子で仰天してはいたが、隣の州の年若い元老の来訪を大いに歓迎し、声をかけられる範囲でマシオンの人々が集まる宴席を開いた。
 マサヒロ家というかカルナン卿はマイルズ卿と若い時分から途切れることのない交流があり、鉄道事業についてもひどく面白がっていたし、宴席においては居並ぶ人々に鉄道事業の目論見について聞かせるようにマジンにせがんだ。
 マシオン市長マサヒロカルナンは三十年ほど前は街道の中継になる旅籠があるだけの開拓村だったマシオンを一代で人口三万まで膨れ上がらせた人物だった。マシオン市というかセウジエムル州でも有数の資産家であるマサヒロ家のその身代を幾度か危うくしつつ、マシオン市長として生涯の半分を費やしている人物で、それほど大きな規模でない旅籠の集落であったマシオン市を、一代で緑豊かな農地と人口以上の物流を支える街道町としていた。北街道と南街道をセウジエムル州が繋ぐことでデカートにとっては実質的な南の街道へ入り口でもあった。
 その施策は徹底して単純で、街道の整備と治安の確保を市政で責任を持つ、という態度で貫いていた。
 デカートがザブバル川の流れに頼ることに佳しとしている態度は、全くカルナン卿にとっては不満なもので、セウジエムルがその態度に疑問を持たないことも全く惰弱と感じられた。
 極めて才気あふれる若者だったカルナン卿は人々の往来に必要なありとみるあらゆることを施行した。
 デカートとの往来を支えていた街道と呼ぶには怪しげな昼尚暗い鬱蒼たる森を切り開き、夏冬問わず馬車の往来を可能にし、途中にある二つの川に橋を整え、番所を設け、井戸と数軒の開拓農家があるばかりだったマルクに旅籠を起こし商店を誘致した。
 旅ゆく者には、どれほど怪しい身なり根拠の無い身分たとえ亜人種であろうと卿自身の私費で弁護士をつけて或いは自身が弁護を務め法廷に立たせ、番屋の中で何者かが死ぬ殺されるということが治安行政にとって恥であると徹底した。
 そこまでやってもデカートからの往来は鈍かったが、次第に物の流れが動き始めてはいた。
 戦争が起こってようやく物流が加速し始めた。
 そういう人物であるカルナン卿にとってマジンが持ち込んだ鉄道事業は、まさに彼の百年の大計の後半を飾るにふさわしい事業だった。
 マシオンの南東十リーグほどの位置にある州都であるセウジエムルは人口十万ほどの豊かな街でデカートにとっては近隣の最も近い州都であったが、共和国の州都の多くがそうであるように自分の周りのことで手一杯で余り交流があったとはいえなかった。
 それはセウジエムルの方針というよりはむしろデカートの気風でもあって、デカートはその商業線の多くを陸路ではなく水路ザブバル川に求めていた。
 実際としてザブバル川は無限の余裕がある、とはいえないものの数十万規模のデカートを満たすには十分な幸をその流れの内陸奥深くまで行き交わせていた。
 だがかつて、デカートからマシオンを経由しミョルナの山を北側から東へ超えるという今の街道の基礎を作ったのはデカートだった。五個師団の軍勢を一気にひと月あまりでイズール山地の西まで押し上げた何組かの道を総称して北街道と云う。
 それまでは大樹海を南回りに避けて共和国南西のオウラから東の端ドーソンに向けて弧を描いてメヒリョルを経由するように伸びる南街道通称赤の道に出るという道程だったが、北街道が拓けたことで共和国の風景は大きく変わった。
 わざわざ百リーグあまりも南に下って街道に出てから軍都まで北上する必要がなくなった上に、南街道は雨季は川越えが困難でしばしば足止めを食らう事もあったから、時期によって北街道の重要性はとても高かった。
 南街道は全体に緩やかな平地続きではあったが、密林といえるような土地も多く、数年に幾度か大河の大氾濫があり川の流れの付け替えなどがあり、それに対応した堰堤や橋梁の付け替えは余り積極的におこなわれているとはいえず、街道として年中確実に使えるのは川と川の間だけで、そうでなければ舟で下って海路に出るほうが日数や経費はかかるが確実だった。
 比較的豊かな穀倉と鉱山をつなげる北街道は馬車には厳しいものの確実な道として重要な経路であったし、カノピック大橋によって全く危険なくザブバル川を渡れる街道の要衝であったことが、街道全体としては北に外れているデカートを陸路交易においても重要な拠点としていた。
 大昔に整備がなされたまま近年十分な再整備がなされていない南街道に比べて、北街道は複雑で険しい経路をたどっているが、冬の雪以外で途切れないという安心感が旅人を惹きつけていた。
 そういう中でデカートで起きている新しいカノピック大橋の玩具を見せびらかしたい子供じみた行為や、ミョルナで起きている地権を盾にとった往来を妨げるような無責任さはカルナン卿にとっては怒り以上の憤りを感じるものだった。
 カルナン卿は鉄道事業に対しては極めて協力的であったが、三つの条件をつけた。
 ひとつは鉄道の経路をセウジエムルを経由するものとすること。
 ふたつ目に合計十両の機関車をマサヒロ家に寄贈すること。
 みっつ目にデカート元老院で演説の機会を設けること。というものだった。
 セウジエムルへの鉄道建設は今の工事実績と人員を考えれば、四半年ほどの寄り道と土地の買い替えが必要な話題であった。だが東進を望んでもミョルナにしてもエンドア大樹海を抜けるにしても、難問が多かった。
 一方で南北の街道を繋ぐセウジエムルを通じる土地の取得が可能で、鉄道の回廊が南北に敷けることは大きな魅力だった。地元の名士であるカルナン卿が案内に尽力してくれるということであれば、計画全体としての遅延を上回る価値があった。
 その際に五六人はどうしても話を通しておくべき、融通を願うべき人物がいるということで、手土産に自家用車を示すつもりであるという。その程度の手間賃で案内が進むなら云うほどのことではなかった。
 三つ目のデカート州元老院での演説については、最近のデカートの浮かれ具合に一言どうしても言いたいということだった。
 一等速達をわざわざ使って呼び出した割にはという用件だったが、美しく表現すれば情熱的なところのある人物であるマサヒロ市長は、常識的な距離感としてせいぜいいついつに参ります、という程度の手紙かせいぜい使いの返事を期待していたら多忙のはずのゲリエ卿本人が現れたということに驚きとともに深い喜びを表して声のかけられる範囲の市内の主だった有力者を集めて夜に続いて翌朝昼にも宴席を開いた。
 その程度のことで鉄道建設の運びが面倒なく進むようならとマジンは全て呑んだが、鉄道部に持ち帰ってみるとマスは露骨に呆れた顔をした。
 第一にマジンが赴く予定のザブバル川の拡幅工事と運河計画の見込み調査はヴァルタ以遠の鉄道計画にも影響がある話題だったし、もう工事の日割りや資材の蓄積の目処がたったマシオンまでの路線は誰がなにを差配しなくとも第二路線整備課の手が空き次第着工するまでの段取りはついていた。
 新編された第三路線整備課はヴァルタを目指しているし、第一路線整備課はフラム周辺でのトンネル工事の新工法の準備で研修会をしている。
 たしかに全体の進捗は日程いっぱいで動いてはいたが遅れているわけではなく、むしろ最大限の慎重さと確実を期した緻密な検討をしかし万全にこなしている。
 マスに云わせれば、万事寸分違わず予定通りで社主に想定上の作業に関して余計なことをされると却って困るということだった。
 トンネル施工が始まればマジンに連絡が取れないということは現場が最悪止まるということで、連絡がつかないところにふらふら遊びに行ける期間は短いことを改めてマスはマジンに確認した。
 路線整備課はデカートに到達するまでのローゼンヘン工業での最大勢力だったが、事業の拡散的な展開にともなって指導的な中核を担っていた学志館高等課程の卒業生たちや席を諦め転職してきた研究者たちが各部署に転出した結果として再編の過渡的な試練を迎えていた。
 当然に引き起こされる事態で予想もしてはいたが、青年期の終わりを迎えていることを自覚していた者達が長距離の旅程を伴う土木工事に感じるだろう不安を甘く見積もりすぎていたことをマスも改めて指摘した。
 ともあれ鉄道工事という作業内容とその是非の結果が長い期間に渡って尾を引くことが分かっている事業だけに土木機械を配備整備しても余り急がせることはできないとマスは口にした。
 尤も大掛かりな組織分割が今後おこなわれないならば、手当そのものは単に幹部人員の定着というだけで決着する問題でそこは問題ではなかった。
 マスが気に入らないのはあたかも来年にもセウジエムルにまで鉄道が通るような約束をした風に聞こえるという点だけだった。
 マサヒロ市長が来月にも鉄道視察に訪れることをマスに告げて、マジンはひとり川を下る旅に出た。
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