石炭と水晶

小稲荷一照

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百万丁の花嫁

ローゼンヘン館 共和国協定千四百四十六年清明

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 ステアの体になにかが起こった場合、万が一何かが起きた場合どうするべきか、或いはどうなるべきなのか。
 ステアの復活に関わる事柄の殆どはマジンには全くわかっていなかった。
 ただ手持ちの魔血晶の粗方を気分のままにステアの胸に注ぎ込んだと云うだけにすぎない。
 無論、ステアが生き返ることを望んでの処置ではあったが、それが本当に達せられるとはあまり考えてもいない。
 少なくとも、考えるといえるほどに合理的な因果を結びつける物語を、ステアの体で起きた事実についてにマジンは見出していなかった。
 生物の体が実はそこそこに電気を使っていることは、しばらくの研究でマジンも把握していた。水を媒介にした分子反応の過程の多くが電気的な誘導と熱的な運動による偶然の衝突というふたつを大いに使っていることはマジンも全くわかっていたから、ステアの体を加熱をしたり電気をかけたりという衝動は何度も起きたが、全身にある数兆の細胞の全てに同時に微弱な力を掛けるという難問には対策の思いつくところがなかった。
 理論的な方法自体はジェーヴィー教授の理論が示唆するところの位相と離散を組み合わせることでもちろん出来ることは語られていたが、実施に必要な様々は不足していたし、程度問題つまりはステアの躰のどこにどの時間どの程度という具体的な問題は全くわかっていない。
 筋肉の機能が期待できないステアの体は、脈がバラけ内臓がこむら返りを起こしているような死にかけ或いは死んだばかりの者にするように、火傷を厭わぬ電気を流して筋肉の調子を無理に作り呼吸と脈を力技で引き戻す、というようなわけにはゆかない。
 ステアがかつて語ったことも怪しげというよりも単に物語の細切れ一文でしかなく、意味があるというほどに帰着や根拠があるものでもない。
 それにマジンがステアの言葉に従って今も従いたいと願っているのは、単に執着というよりも憧憬とか望郷とか、そう云うマジンの胸の内の風景にステアの影が深く刻まれているからでもある。
 もちろん全く根拠の無い話であっても、どこかで大量に魔血晶を見つけてくればそれを注ぐつもりでもいたが、いまは当然に宛があるはずもないものだった。
 共和国においては魔族という存在は街をうろつく獣ほどにも見当たらないものであったから、魔血晶を集める作業はできるようなものでもない。
 そういう中でステアの体は宝玉の心臓を組み込んだことで何か進展があったというわけではない。
 土の詰まっただけの鉢植えのような状態のままである。
 水がいるのか日差しがいるのか、それさえもわからないようなステアの体は幾度か何種類かの非破壊検査をおこなったが、なにが起こっているのかよくわからない状態だった。音弾検査の結果として背骨の辺りに幾らかの液体があることはわかったが、それを調べる気にはならなかった。
 ブランデーボンボンのような状態になっているだろうステアの体が、多少の湿気や温度では綻ばないほどの結晶になっていることはわかっていたが、そういう結晶に対して穴を開けようと思えば、よほど一気に手加減なく刃物をつきたて、正確に手加減をしなければならない。
 そして正確に手加減をしたとして結晶の中で液体を保っているなにかが穴を伝えば、口の中のボンボンが一気に砕けるようにステアの体が崩れ去ることが予想できた。
 ステアの体が今つまりは氷砂糖の彫像のような状態であることはそれとして、それを壊して宜しいと考えるほどにマジンの未練がないわけではなかった。
 心臓を組み込んでしまった責任として、マジンとしては可能な限りステアの状態を気にかける必要があって、ステアの棺は内側からは簡単に開くようにちょっとした天秤細工の鍵が備えられているほどだった。
 手間をかけて作ってはいるが、今のところステアが棺の中で身じろぎをした兆候はなく棺の鍵が内側から開けられた様子もなかった。
 尤も重症の病人の多くは自分で身動ぎできるような状態でないことも多く、重篤であれば呼吸をおこなうだけで背骨に負担をかけることもある。肩と腰で吊ってやって俯せにすることで辛うじて息ができるようなけが人病人というものも世の中には存在していて、ステアが生き返った途端に死ぬなどということも考えつくと、なかなか丸一日屋敷を開けて外出するという判断はしにくかった。
 ステアの存在は今とうとう錨のようにマジンの行動を縛っていた。
 それはなんというべきか、愛と云うにはバカバカしい無謀な計画の決着と責任の問題で、執着と云うには覚悟と狂気の足りないまま、重たげな冬の服のようにマジンの行動を縛っていた。
 それはこれまで一から十まで或いは無限の努力を積むことに疑問を感じる必要のないままに、自分の差配で巨大な事業を積み上げていたマジンにとって、殆ど唯一ステアの言葉だけを頼りにおこなっている事業だった。
 その物語は当然にマジンの口から紡ぐことはできず、なにを持って物語を綴ればよいのかもわからなかった。語るべき言葉を持たない事業は理を紡ぐことも因果を結ぶことも難しい。
 百歩の道を進む九十九の努力の実績も最後の一歩を無事踏める幸運というものに支えられていたし、そもそも九十九の努力が無事積めるという幸運こそが天才を支えている。
 およそ努力が十いるのか百いるのか千いるのか億万いるのか、はたまたすでに手の内にあるのかは幸運以外に見積もれるわけもなく、大抵の人は努力を積む数を惑う。
 マジンのステアの扱いもまさにそういう惑いの中にあった。
 だが、その重さも冷たさも何となく心地よいものだった。
 何故と云ってどうと云って、ここしばらくで義眼を入れた女達の目に何やら望んでいた変化の兆候があったり、足の腱をつないだ女たちがどうやら快方に向かっている様子が確認できていた。
 関係のない実績を支えにすることは全く無意味であることはさておき、暗い思いつきや根拠のない不安というものの対処は、結局は実績としての幸運というものに頼る他はなく、それはとてつもなく重要な天才を支える才能である。
 天才というものを形作るひとつの才に天然というものがあるとして、マジンには魔法の天然はなさそうではあったが、細工師としての天然はどうやら備わっている云えた。
 それで足りるのか足りないのか全くわからないわけだが、マジンの判断としてステアの心臓を抜くよりは待とうと決めた。
 まともな状態の人間であれば心臓が鼓動を打ち始めるのを待てば、三年も四年もどころか悪くすれば四半年も体は腐れて溶けてしまうわけだが、ステアの体はそれなりに扱えばいまさら腐れようも溶けようもない状態だった。
 そうであるなら女達の義眼が無事に定着したようにある程度の時間を待つことで何らかの変化があるはず。
 そう気を長く持つことにした。
 と云って、その変化が滑らかなものでないことは四人の、セラムを含めれば五人の女達の義眼の状態をみてもわかった。
 どうも、子種がどうこう、というのも関係がなさそうだった。
 マジンより二つ年下ながら既に曾孫までいるシェラルザードは、泡を吹いて言葉が喋れなくなってからが本番の種類の底なしというか底の抜けた性豪だった。体力的な強さではシェラルザードはどうあってもリザにもマリールにももちろんセラムにも或いは後に屋敷にやってきた女達の多くにも劣るわけだが、性的な技術と研鑽において或いは興味と執念においてシェラルザードは視覚以外のほとんど全てを注ぎ込んでもいた。以前ならともかく今は忙しくてつきあっていられない状態でもある。
 目を潰されたのも拷問というよりは性交の性技の一環という面もあったらしく、彼女は鼻くそをほじるような感覚で義眼をいじっていた。実際にそうすると頭蓋の中で垢がこぼれ落ちていることもわかり、それが眼窩をめぐって目からこぼれ落ちる感覚が、排便や性交のような或いは鼻くそや耳かきのような感覚に似ているということで心地良いというか、タバコ呑みのタバコのような感覚であるらしい。
 ある意味で全くマジンには理解できない種類の性癖ということだが、そうでなければ十四年もの間の虜囚生活を経て、なお姉を助けようなどという心の毅さを維持はできなかっただろう。
 歪に節くれだったとは云え、心が折れないという意味においてシェラルザードは間違いなく傑物であり、ある意味で強靭で鈍感な怪物のような精神と肉体をしていた。それを狂気と呼ぶして、そういう中では全く扱いやすいというべき方向の歪とも云える。
 シェラルザードは四人の中で間違いなく一番たくさん子種と云わず、マジンの体から出る様々を絞るように貪ってもいたわけだが、シェラルザードが一番最初に目に光が入ったわけではなかった。
 酒を飲んで無理やり気分を大きくして、胎に男の一物を受け入れた途端に吐くような状態のコワエは、秘書にしてイチャイチャしよう、とマジンが言い出す少し前から自分の義眼に起きている何事かについてときたま異変を感じていた。
 夢のなかでの視界というものは失った右目があったときと同じで奇妙に不思議であったのだが、ある日彼女が射撃訓練にせいを出していると、瞬間狙っているはずの左目とは違う光景が集中を妨げた。
 射撃の基本特に視界において両目を開いて目を乗り換えないというのは、マスケットが廃れて後の後装小銃が標準化してから帝国軍では当たり前におこなわれていることだった。
 慌てて目を閉じまぶたをこすり、苦労して右目だけで世界を見ようとして見えないことでため息混じりの安堵をして集中が途切れたことで一旦その日は気のせいと思っていたのだが、会計報告の検算を頼まれているときにやはり似たことが起こった。
 他の者達と違って、生来の目に限りなく色味を合わせて作られた義眼に異変が起こったことは今度は居合わせた者の目にも明らかだった。
 コワエが悲鳴をあげて右目を抑えていたからだった。
 ささやかな好ましいはずの事件の少し前からコワエの脳が目に向けて神経の芽を伸ばしていることは、実は検査の結果としてわかってはいた。
 義眼の構造の変化というセラムで既に起きた現象はまだコワエの義眼では起きておらず、いつぞや影が走ったように見えたシェラルザードの義眼でも目立った変化はなかった。
 はっきりとした変化の傾向という意味で言えばシェラルザードは全体に遅い様子で、それはある意味で却って安心というか納得という感触もあった。だがまた逆に云えば、マジンの見間違いでなければ、必ずしも検査で追えるような種類のものでないとも云える。
 ともかく、コワエが一瞬でも視界視力を獲得したという事実は、魔法魔術に頼る人々の気分をマジンにも教えさせる衝撃だった。
 マジンにして魔術や咒いに頼る人々の蒙昧や迷信を嗤う気分を吹き飛ばさせてもいた。
 義眼を入れた彼女たちの目が、ともかくも視界を獲得したという事実に再現性があるのならば、魔血晶を溶かした結晶にはなにやら謎めいたナニカがあって、それで作り上げた心臓にもなにかの変化が起こるだろうか、という期待がマジンを甘く縛り付けていた。
 より重要な器官に魔法の再現を願ったそれはより衝撃的な形で起こった。
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