石炭と水晶

小稲荷一照

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蛮族の祝祭

マリール・ミラォス・デゥラォン・アシュレイ

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 ルテタブル戦を観戦していたリザによれば二人は水場を陣地にするように動いていたというのは間違いなく、僅かな高低や角度を求めてのことだろうと考えていたし、およそマジンもそれは意識していたが、ルテタブルが口にした、蓮花遁甲活殺の陣、なるものの実体がなんであるかはリザは見ていなかった。
 だがそう口にしたルテタブルが折り返しを刻んだ渦巻状の歩法で間合いを詰めたことだけは見ていたし、ルテタブルの動きにうろたえたマジンがしばらくクルクルその場で回転し、やがて高く跳ね上がったことは見ていた。
 ルテタブルの動きがそういえば急に早くなった、とリザは思い付いたように云った。
「あんなカニ走、甲冑着たまま出来るわけないじゃないですか。動き自体変でしたよ」
 ショアトアがリザの鈍感ぶりをなじるように云った。
「云いたいことはわかるけど、目の前で起きたことを疑う必要もないでしょ」
「そしたらそのへんな動きが、そのなんとかかんとかの陣ってやつだったんじゃないですか」
「まぁ、そうでしょうね。で、なにやってたか、アナタ見えてたの」
 リザがショアトアの背後から伸し掛かるようにして尋ねた。
「だからカニ走したところしか知りませんよ。あと旦那様が姿勢を変えない変な動きで回れ右の訓練みたいなことを初めたりとか。足の裏になにかつけてたとか誰かに車に乗せてもらったような勢いでしたよね。その、レンゾ大尉の運転みたいな感じでハンドルや車の向きと違う方向に進んでるみたいな」
 いない人間を引き合いに出すことを後ろめたそうにショアトアが云った。
「ファラリエラは相変わらずか」
「めっくうぉりあの仕事は機械に守られ、機械を整え、機械を扱い、機械とともに勝つことだ。私たちより機械のほうが高価で頑丈で強力で従順で正確だ。機械が正常に動いている間、私たちは生きていられる。私たちの誰かが死ぬことは、機械を正しく使えないオマエたちの無能と怠惰によるものだ。お前たちは無能と怠惰の汚物の塊か、ならば戦友に迷惑をかける前に肥溜めに直行して畑の役に立てって訓練でやられましたよ」
 ローゼンヘン館に初めて来た時はそこら中のものを引っ掛けて歩いていたフワフワしたお嬢さんは、フワフワしたまま自分で工具を握るようになっていて、いつの間にか髪の毛一本落とさない仕事もできるようにもなっていた。
「それって本部整備小隊のセルブリ曹長の言い出したことじゃないの」
「それは、セルブリ曹長は幹部の人達の私物の自動車も扱っててレンゾ大尉とも仲良いですから。ふたりともハンドル握るとヘルメットが人格になる人たちですし。一時期部品の供給と管理が怪しくて修理の出来が悪くて、部隊の空気悪かったじゃないですか。その辺の流れで主計参謀が修理直しの車体を試運転することになって、最小身長一杯でちょうどいいからって私がそれに乗せられて。装具をキチンとつけろ。着座姿勢を正せ。肘当て膝当てと肩当て足置きの位置を正しく調節しろ。ベルトの調整が間違っている。って人形代わりに座っていればいいのかなぁって思ったら、とんでもない。戦車は空をとぶ時が一番静かな乗り物だとは思いませんでしたよ。あの人、多分世界で一番うまく戦車で空を飛べる人なんじゃないですか」
「うちの国で一番うまく戦車を裏返せる人。って云ったらファラを推薦してもいいわね」
「ああ……で、カニ走ッて思ってたけど、戦車で大砲だけ横に向けて走ってたみたいな感じかなぁって、そうでなければ鉄道の窓みたいな」
 どうやっているのかはよくわからないが、あの三角錐のようななにかが仮想のレールの上を滑るように動いていたのかな、という推測が立つ程度には状況が把握できたが、勝ち負けはともかく謎は多かった。
 この土地の五剣褒章というものがどういう位置づけのものであるか今ひとつわからなかったが、ともかく無事勝った。
 面倒は多かったが、さておき再びアシュレイ家のマリールの父君と対面する機会を得た。
「決闘一番目の勝負は本日夕刻、当城内聖堂にておこなう。立会の条件通り、異論あるまいな」
 マリールの父君の型通りの労いの言葉を受けたのちの、付録の言葉を受けたその時のマジンの感想を述べれば、ああそんなことも言ってしまったなぁ、というしかない。
 全く正直な感想として、魔法は本当にあったんだっ、という縁日の見世物小屋を出てきた少年のような高揚感と云うしかない立会で浮かれていた心に、いきなり鎖の音を響かせる錨が投げ込まれたようだった。
 相手がなにを云っているのかわからないような困惑はなかったし、わからないふりをするような希望もなかった。
 ただ感想として、時の経つのは早いもの最後の演目となりました、という見世物小屋の座長の挨拶が心に響く。マジンにはそういう少年時代はなかったはずなのだが、奇妙なまでに鮮明な男の声が聞こえた。
 その後武芸改の会場である広場は授勲の式の後、巨大な祭宴の場となり、篝火が焚かれ肉や酒が振る舞われていた。
 だが、この度の祝宴は勝者のためのものではなく、観衆のためのものになった。



 マジンはなんというべきか既に家に帰りたくなっていた。
 ホームシックとかやるべき作業があるとか心配事があるわけではない。
 リザが死んでしまってからの騒ぎでマジンがローゼンヘン工業の日々の運行業務を直接看るべき面倒は減っていたし、面倒のもとであったリザはここにいる。子供たちは学校に通うようになっていたし、下のたくさんいる子供たちもそろそろ四つになるものもいて、ひな鳥のような犬猫のような賑やかな有様ではあったが、可愛い盛りといえないこともない人間らしい様子になっていた。
 そう言えばソラとユエがこの辺の年齢の頃にヴィンゼに狼虎庵を建てて氷屋を始めたんだよな等と懐かしく思っていた。
 そういう現実逃避をしながら武芸改の盛会のまま、会を離れ聖堂にはいった。
 聖堂は先の武芸改の場とは異なって建物の中だった。
 奇妙な厳かさを持っているはずのそこは、多くの男達女達が集っている息遣いと体温と身動ぎによる空気の粒の動きを感じるが誰もが全員無言だった。
 半刻どころかついぞ扉の向こうの楽しげな空気が、完全な静謐に遮られていた。
 聖堂に入る前にマジンとその同行者たちも控室で無言を求められた。
「立会人と決闘者の他は悲鳴も許されない。沈黙を守れないものは見届人の資格はない」
「相手の卑劣な振る舞いも黙って見過ごせというの」
「見過ごす必要はないが、その場は黙っていろ。異論あれば後に聞く」
 案内の騎士が硬く云った。
「リザ。信用しろ。信用できないならついてこないでいい」
 不満気な顔をリザはした。
「――決闘の条件は挙手空手。とは言ったが、ここのルールで云えば魔法は得物じゃないし、オマエの髪留めなんかも得物じゃない」
 不満そうなリザの顔を見ているうちにマジンは決心が落ち着いてゆくのを自覚した。
「全然空手じゃないじゃない」
「ボクの欲しいのは、あのバカをゲンコで殴りつける機会だ。こちらの親御さんもそれを許したということだろう」
 リザの言葉を無視してマジンは告げた。
「勝者の権利は求めないって云う話だったでしょ。むこうがなにを云うかわかってるの」
 リザの問いを無視するようにマジンは言う。
「負けなければいい。こちらのルールに従えば、相手が降参を云うか、二人が離れた後に立会人の求めに応じて一方が立ち上がれなければ勝ちだ」
 心配そうに見上げるショアトアの口に素早くぺたりとテープを張り唇を塞ぐ。
「――まぁ、どういうことになるのかわからないが、お前らが口を開いて一敗というのが一番ありそうな罠だ。一応相手は知った仲だ。しかも十番勝負四回は負けてもよろしい。が無論一つも負ける気もない。ボコる。衆人観衆の中で皆さんが呆れ果てて帰るまで、あのバカのケツを張るのもいいな」
 マジンの言葉をバカにしたようにリザが笑う。
「悪趣味ね。まぁいいわ。でもアレよ。誰かの命がかかっていないような条件だったら呑んでもいいわよ」
「マリールが二人目の子供を作るまで他の女と寝るな触るな、とか云われてもか」
「あら大変。先に触っとかなきゃかもだけど、まぁそれくらいは言い出しそうね」
 リザは鼻で笑った。
「声を出すなというこちらのしきたりであれば声を出すと面倒になりそうなのは間違いないから、観ていられないということであれば、聖堂には入らないほうがいい」
 マジンは顔を改めて家人に告げた。
「ああ、そうショアトアは観てられないからゆかないのね。ま、それでもいいわ」
 リザが勝手にそう言うとショアトアはリザの足を踏んづけようとしてかわされて口元のテープを引き剥がした。
「――むぁ。なに云ってぬんだすか。いきますよ。ここまで来ていかないなんてないですお。おミソとかやめてくださいよ」
 ショアトアが慌てたように文句を云った。
「ショアトア。別段、おミソというわけでなくだな。マリールとの戦いは昼間の戦いみたいなお上品な腕比べにはならない可能性が高い。見ていられない展開にもなるかもしれないぞ」
 マジンがそういうとショアトアは呆れたような顔になった。
「旦那様が退屈しのぎに発情して、場所も構わずイチャコラするのを脇で聞いたり眺めたり、その後始末の洗濯や掃除までさせられているんですよ。別段、観衆の目に包まれてる中で盛り上がってマリール姉様と交尾されても、ああまた駄馬のように盛っているなぁ、と思うだけです」
 ショアトアに言われて一瞬唖然としたが、そういう覚悟なら頭をなでてやるしかない。
「――ふっざけないでください。テープです。ドサクサでなにやってるんですか。緊張して発情したんですか」
 ショアトアが口を噤んでつき出すので、くちづけをしてやるとショアトアは文句を云った。
「いや。背伸びしてかわいいなぁ、と思っただけだ。いいお婿さん見つかるといいな」
 文句を言おうとするショアトアの口元をテープで止めるとショアトアは恨みがましい目で見上げながらおとなしくなった。
 クライが黙って顎を突き出すのに口にテープを貼ってやると、少し不満気な顔をした。
 コワエにも貼ってセメエに貼ろうとするとセメエは一歩退いて躱した。
「ああ。御手様、ご主人様。私、子供作れとはいいませんけど、もうちょっと御情けいただいてもいいんじゃないかと、待遇に不満はあります。別段正妻とか財産とかはあまり興味ありませんけど、若い女を侍らしているならもうちょっと扱いに配慮するくらいはしていただけないでしょうか」
 セメエは曖昧なままに要求をした。
「つまりなんだろう」
「この先、マリール様が御手様の独占をするようなことがあるなら、お屋敷から出てゆきますから。後ですね。――こういうことです」
 セメエは二歩踏み込んで、マジンの首に腕を絡めくちづけをした。
「それは、ズルくね。勝利の後にとっとくもんじゃね」
 クライが慌てて口元のテープを引き剥がして文句を云った。
 たっぷり息が続かなくなるまでくちづけをして、セメエは自ら口にテープを貼り付けた。
「クライ。後でゆっくりやってやるから、すまんが決闘が終わるまでと言うか、聖堂の中では静かにしていてくれ。……案内の方。よろしくお願いします」
 突然の愁嘆場に驚いたように苦笑をしていた騎士に目を向けると、慌てて顔を引き締めた案内の騎士が控えの間から聖堂への道行を案内をしてくれた。


 聖堂の内側は夜だというのに奇妙に明るくロウソク松明の炎だけではない灯りが天井の窓からこぼれていた。
 あれも魔法だと云われても、それくらいは許すくらいに魔法という言葉に馴染んできたマジンがあたりを見渡すと、すり鉢状と云うよりは球形の空間に数千の人々が無言で座っていて、一部は口輪のようなもので口元を封じていた。
 どういう用途の建物か分からないが、おそらく球形の空間の内側に十万近い座の数がある。
 下が偉い上が偉いという風ではないのだが、幾つかの象限で服装や髪型が違っていて、奇妙なほどに彼らの息遣いが生々しい。どうやらあちこちの音が焦点である底にはよく聞こえ、また底の音はあちこちによく聞こえるような設計になっている様子だった。
 正確な球形なのか、反響を考えれば回転扁円体ということなのだろうが、ともかく緩やかにえぐられた十数キュビットの円形の鉢状の舞台が決闘の場である。
 ここが聖堂である理由はなんとなくわかった。
 聖なる場所というよりは聖別するための祭壇であって、場の神聖さを作るのは観衆であった。他にも魔術的な様々が使われればさぞや効果的であろう。
 ある意味でかつてマジンがやった脱柵者の精神制圧技法と同じ理屈で聖別された戦士を作るための場所だろう。
 決闘の宣誓をここでおこなうということは、つまりは宣誓を聖別するという意味合いにもなる。
 全く嫌な場所を決闘に選んだものだが、自分の情人を見せびらかしたいマリールの立場から云えば、ある意味でこれ以上ない場所だとも云える。
 精神制圧の技法は結局、五感を直接使うのが簡単で、消耗させ憔悴させるのが技法の第一段階になる。そういう意味合いにおいてここは一種の拷問室でもあった。
 全くよく出来た敵地の造りをマジンが確かめていると杖を鳴らして立会人が場に進み出た。 
「決闘の条件を改める。ゲリエマキシマジンがマリールミラォスデゥラォンアシュレイに決闘を申し込んだ。挙手空手にて十番勝負。立会人はマリールミラォスデゥラォンアシュレイに一任された。ゲリエマキシマジン。委細宜しければ、場に進み出て賭け求めるものを述べよ」
 そう呼ばわれてマジンは答えた。
「特にない」
 思いの外、自分の声が遅れて聞こえる。嫌な作りだと思っていると、視界の奥でマリールの姿をとらえた。その姿に苦笑する。
「マリールミラォスデゥラォンアシュレイ。委細宜しければ、場に進み出て賭け求めるものを述べよ」
 マリールは白いドレス。白く広く大きな角隠しからベールをかけ後ろに長くレースを引きずる姿で場に進み出てきた。
「奥様と離婚し、私と結婚しなさい」
 ベールの奥でマリールがそう言った。
 マリールの姿を通路の奥に見つけた時から、なんとなくそういう内容かと思ったままのことをマリールははっきりと口にした。
「ゲリエマキシマジン。特に無し。マリールミラォスデゥラォンアシュレイ。ゲリエマキシマジンは離縁しマリールミラォスデゥラォンアシュレイと結婚する。両者とも互いの賭け求めるもの承知した上で、なお決闘を望むか」
 様式としては示談の最後の機会ということであるらしい。
 だがマジンとマリールはそれぞれ立会人の言葉に是と認めて答えた。
「立会人方々、決闘の条件を改めよ」
 立会人が一人でない、とは思っていたが、ジャンと杖を鳴らすと覚悟をしていてもうろたえるような光景になった。
「決闘の条件を改める。ゲリエマキシマジンがマリールミラォスデゥラォンアシュレイに決闘を申し込んだ。挙手空手にて十番勝負。ゲリエマキシマジン。特に無し。マリールミラォスデゥラォンアシュレイ。ゲリエマキシマジンは離縁しマリールミラォスデゥラォンアシュレイと結婚する」
 ざわりともせず、四方から声が調子を合わせた声が降ってくる。それは天上の音楽と云うには生々しく地獄の響きと云うにはあまりに明瞭自然だった。
 宣紙には血判かと思ったが署名と掌での朱判だった。
 全く洗練された儀式に嵌められた気分でマジンは内心笑うしかなかった。
 そのまま立ち会うわけだが、マリールの服装は豪快だった。
 マジンがハンデのつもりで大外套のまま立会に挑むのにマリールもベールも取らずに進み出た。
「ベールはボクが取れということか」
「取れるものなら」
 とマリールが応える間にベールが白い真珠の光沢のある兜にドレスが身に張り付くような細身の甲冑、と云うよりは白い甲虫のようなやわらかな艶のある突撃服を細く洗練させたような装具に変わった。
「何だそりゃ。まさか家宝の魔族の甲冑とか云うんじゃあるまいな」
 マジンの言葉にマリールが笑いを含んだ答えを返した。
「さすがは我が君。まさか臆したとは言いますまいな」
 四つ負けても構わない、とは言ったが、マリールがこの格好で六回出てくれば自動的に負けになるのでは冗談でない。
「一つ聞きたいが、家宝の甲冑壊してもどなたも泣かないな」
 一応、ゆるやかに間合いを取りながらマジンが尋ねるとマリールはバカにしたような雰囲気の身振りで体を揺らし、
「壊せるものなら、さすがは我が君我が良人、と誰もが褒め称えることでしょう」
 そう言って一歩の間合いで指先を唸らせてマジンのたった位置に踏み込んできた。
 僅かな長さでも得物を握っていればその先が音速に震え唸ることはよくあるが、貫手の先が音速に達することは、石ころを投げて音速を超える技術よりさらに一段難しく人体の構造を考えれば相当の無理がある。
「マリール。一応尋ねるが、身体は痛くないのか。そんな動きをすると普通は肩も肘もちぎれているはずなんだが」
 牽制というばかりでもなく、半ば本気でマリールの状態を心配してマジンは尋ねた。
「ご心配痛み入ります。わたくしこのくらい元気です」
 言いながらマリールは貫手やらそこからの組手争いやらで踏み込んできた。
 体全体は音速に遠く及ばないが、マリールの頭の速度は瞬間的に自動車の最高速度並で動いていたし、その肩を起点にした拳や指先は音速を超えている確証はないが、唸りを聞けば、大気の圧縮が起こる速度域には達している。
 つまり、今マリールの拳はマスケットの銃弾の数十倍、ことによれば百倍を超えるほどの威力があるということになる。
 見切るのも躱すのもマジンにはできなくないが、受けて無傷か、と云えばかなり怪しい。
 マスケットの銃弾の大きさであれば体に食いこむうちに力を失うわけだが、マリールの拳は彼女自身の体重が追ってくる。どこかで止めてくれるにしても食い込んだ後から止めてくれるのでは抜くときに別の向きに力がかかるということでもある。
 速度域としては非常に早いところだが、動きの複雑さという意味ではルテタブルほどではなかったし、何より防御が相当ということであれば、逆に対処もあった。
 マリールの拳をかわして踏み込ませた喉元に拳を叩き込んでも二輪の装具では奇妙に堅い皮膚感の甲冑の合わせがズレもしない。装具表面の安全構造が設計に従って剥がれてゆくだけだ。刃物よりも手鉤か玄能のほうが良さそうな手応えだった。
 マリールは体重を倍にしたような感触でよろけもしないまま、しかし基礎のない櫓か何かのようにマリールの体が浮き上がったのをとっさにマリールの伸びた腕を引き込んで投げた。
 自らの拳の速度によってすっ飛んだマリールは多少速度を減じたはずであるが、地面に落ち弾む砲弾の速度で、聖堂の碗状のゆかをいくらか砕きながら転がった。
 マスケット銃弾の勢いで高さ二キュビット半から受け身も取れず墜落したマリールは、鉄でできた椅子のような無様な転げ方で、驚いた声は出していたが表情は見えなかったもののむしろ楽しそうですらあった。
 直径半チャージほどのゆるい碗状の舞台はその外側十キュビットほどのところに砂かぶりというべき一階層と出入り口があるのだが、その手前の知らされていない見えない障壁のようなものの上をマリールは滑るようにしてマリールは押し戻されてきた。
「柵のようなものがあるのか」
「逃走防止に魔法の壁がありますよ。突っ込むと結構痛いです。どんな防御があっても関係ないですから、私が唯一我が君の攻撃で気をつけるべきは場外ですね」
 マリールは全身の凝りを解すように関節の状態を確かめるように手足や肩腰をくねらせながら立ち上がった。
 本人は痛かったのかもしれないが、動きを見る限り致命的な負傷はなにもない。
 打突でどうにかするのは無理そうだった。
 マジンはマリールの言葉を聞いて舞台の外縁部に向かって後ずさりジリジリと間合いを取るが浅い碗状の舞台の外側は足場としてあまり良くない。
 マリールは自身の防御力を根拠にした優勢に確信を持っていて無造作に間合いを詰めてくる。
 たしかに彼女の転び方の不自然さとその後の動きは彼女の甲冑が外部からの衝撃をマリールの身体の関節筋肉に殆ど伝えていないことを示していた。
 おそらく常識的な関節技をこちらがかけたところで彼女自身の筋力の倍ほどでは痛みを感じないだろう。動きを考えれば数百倍と言われても驚けない。
 建物の様子を考えれば数万倍ということはないだろうと思うが、それも敵手としてのマジンの見積もりに合わせてのことかもしれない。
 どこかで限界があるにせよ、それを試す気には今はなれない。
 マリールの防具は見たところひどく生物的な完成度でこの手の装具がかならずあるはずの留め具や継ぎ目のような部分が見当たらなかった。外部からの除装をする方法は今のところなさそうだった。
 幸いマリールは自らの状態に慣れていない様子で全く振り回されてはいないが、普段と変わらない技術体系で身体を操作していた。
 全く羨ましくなるような材料とよくわからない技術によって倍加されたマリールの筋力と反射速度は、マリールの肉体に土木重機や工作機械と変わらない威力を与えていた。
 幸いは体重がせいぜい五百パウンを少々超える程度で、マジンがかち上げ弾き飛ばすことはそれほど難しくない、ということだった。
 およその意味でマリールは手足の生えた二輪自動車のような重量の戦闘機械になったということで、寸法が変わらないままにそうであるということは恐るべき危険と物理運動上の不安定さを兼ね備えているということでもある。
 早くなって強くなって固くなって重くなったが、マリールの動きは普段と変わっていない。
 もちろんそれは彼女が身につけた甲冑の恐るべき性能を意味するのだが、マリールが甲冑を身につけた戦い方をしていないということでもある。
 黄弾と青弾の弾丸を毟り取りながらマリールの拳の先に投げてやると派手なかんしゃく玉のように白煙と閃光を足元の発射薬とともに作ったが、更に横合いから掌底でマリールの脇腹をかちあげてやっても空薬莢に滑って転んだマリールが起き上がるまで十秒もかからなかった。
 挙手空手と言うにはかなり怪しい戦い方だが、立会の誰かからも不満の声は出ない。
 カレオンの暗器というには大胆なトンボ釣りの持ち込み方からも分かっていたことだ。
 ついでに言えば、試合の開始までは陰々と響いていた人々の息遣いは非常に少なく感じられた。
「これだけ派手なことをやって、挙手空手の条件に咎められないとは、この土地の奔放ぶりには呆れ果てるね」
 幾度か掬い上げるようにかち上げるようにして投げ飛ばし、もそりと起き上がったマリールに声をかけた。黄球と一緒に投げた青弾があちこちに斑を作っているが期待したほどではない。ただ頬当てには張り付いていた。
「我が君といえども得物なし魔術なしではこの甲冑の相手は厳しいでしょう」
 マジンの時間稼ぎをそれと知って付き合う様子でマリールが答えた。
「制限時間は明日の朝までか」
 聞くのを忘れたことを一応改める。
「なにをおっしゃいます。どちらかが飢え渇いて動けなくなるまで、です」
 マリールが狂ったことを云うのに一瞬唖然として笑った。
 それを合図にマリールが再び弾丸となって飛び込んできた。
 マリールの頭部は拳の先ほどの速度はないらしく空間に置くように投げつけた黄弾は潰れただけで破裂しないが、もともと軟弱な青弾の幾らかと合わせて巡航中の自動車にぶつかる羽虫や鳥の糞のように張り付いた。
「――いやらしい戦い方ですね」
 マリールは動きの中で文句を言ったが、咎める様子ではなかった。
 動きの中で目庇や面頬を瞬きのように開いて閉じる一瞬でいくらか張り付いた青弾の汚れは落ちていたから、マリールがこちらの動きを見失うのは彼女自身の動きの大雑把さとそれにつけ込んだ投げが決まった時だけだった。
 黄弾は瞬間確実にマリールの視界を奪っている様子ではあったが、あまり近い間合いでは黄弾の作る光球はこちらの目にも死角を作るので、つまりは彼女の動きを確実に牽制するという意味合い以上の効果は期待できなかった。
 足元にも手元にも発射薬が小さく溜まっていたが似たようなもので黄弾を時たま破裂させることで一瞬の牽制にはなったが、マリールがその光音煙の効果に慣れると賑やかし以上の意味はあっさりと消えた。
 足元にばらまかれるという意味では弾丸をもぎ取った後の薬莢が、雷管ごと踏み潰され気を取られたマリールの足元を滑らせマジンが投げを仕掛けやすくしていたが、それ以上の意味は無いし、あってもなくても関係ないくらいにマリールの動きは大雑把で投げられたところで堪えている様子もなかった。
 だが、青弾の効果があるならやりようはある。
 目庇が上げ下げされる一瞬に火薬を一握り投げ込んでやった。
 流石にこれは痛かったらしく、マリールは飛びのいて目元を抑えてうろたえていた。
 手首に二周。更に頭に二周回テープを巻いたところでマリールはマジンの動きに気がついて開いている手を振り回したが、マジンの持っているテープは一巻きだけではなかった。マリールのつきだした腕に身体を絡め拳をテープで巻き取るとデタラメに暴れるマリールの身体を蓑虫のようにテープで巻きつけた。
 腕の上からテープを巻き付けてやると正しく十回も巻けば重機の関節も戦車の起動輪も固めるような応急材料にさしもの甲冑も力技での脱出は難しく、マリールはしばらく視界がないままイモムシのように転げ回っていた。
 甲冑のあちこちにはこれまで使っていなかった隠し武器の類がある様子で幾らかは内側から破られ燃やされていたが、それでマリールが自力で全身の自由を回復するにはすでに手遅れだった。半端な繭のような炭素の殻が黒く目庇を覆っていた。
 甲冑を白い花嫁衣装に変化させた瞬間、拘束も失われたが、それを狙っていたマジンはみぞおちにつま先を蹴りこみマリールを場外まで弾き転がしそのまま押し込んだ。
 防御のあった時は耐えられたマリールも流石にこれには堪えられず、ズルズルと斜面を滑り落ち動きを止めた。
 マリールの脈があることだけ確認してマジンが離れると周囲の立会人が立ち上がった。
「勝負一番目、勝者ゲリエマキシマジン」
 そう言って彼らは全員退出した。


「あんなのが挙手空手の勝負だってんだから笑っちゃうわ。あれで命をかけた果たし合いってことになったらどうなっちゃうのかしらね。毒ガスとか爆弾とか出てくるのかしら」
 リザは控室に戻るや唇を吸い合っているクライとマジンを鼻で笑うように言った。
「多分そうなんだろう。そういうので殺しあっても邪魔をされないためのこの建物なんだろうな」
 リザの言葉に潮時と唇を離したマジンはクライを首にぶら下げたまま、想像を言った。
「本気で言ってるの」
「そりゃ想像だから、多分ってだけさ。ただ、色々考えるとそのくらいの事は過去にあっただろうと思うよ」
 リザは少し不思議そうな顔で納得した様子でもなかったが、この場でわかるような話でもなかった。
「それで、さっきみたいな戦い方であと五戦勝てるの」
 リザが確認するように尋ねた。
「このまま一気に十番勝負ってことだと、手持ちが足りないな。さっきみたいなのはもう一回やったら看板だ」
 変な緊張と興奮ですっかりだらしなくなったクライを膝の上で抱えて楽器のようにしながらマジンが答えた。
「飛行船から取ってきましょうか」
 ショアトアがマジンのだらしない有様に文句を言いたげな表情で尋ねた。
「そうだね。マリールの感じからだと朝まであのままだけど、夜の湖を往復するってのは事故があると嫌だから、夜戻って朝起きてから来るって感じかな。ボクの船室から工具箱取ってきてくれ。重たいから気をつけて」
 と、律儀に頷いたショアトアが鼻をすする。
 鼻血をこぼしていた。
 リザとマジンは顔を見合わせた。
「やっぱり魔術空間みたいだ。なんだか分からんがあまり身体にはよくなさそうだな。とりあえずお前たちは引き上げて休め。荷物は朝になってからでいい。今日は寝ておけ。コイツは……命に別状はなさそうだから、置いてって差を見よう」
「最後アナタ勢いに任せてたけど、マリール朝にかかってくる元気あるかしら」
 リザが推し量るように口にした。
「どうだろ。肋と胸の骨はヒビいっている位はしているはずだが、手足の骨は折れてないだろう。とりあえずこちら先勝でウヤムヤで帰れるってのが一番いいんだが」
 マジンのいい加減ないいようにリザは鼻で笑ったがうなずいた。
「まぁ、さっきのあの調子じゃいつまで付き合ってもしょうがないって気にはなるわね。マリールの実家らしいって云えばらしいけど。わかったわ。とりあえず一旦こちらにお世話になって、日が出てからステアに戻ることにする。……むう。ソレは使えなさそうだからおいてゆくわ。明日には使えるようにしておくのよ」
 リザはマジンの膝の上のクライを置いて引き上げた。
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