石炭と水晶

小稲荷一照

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蛮族の祝祭

バリステラス・ラハル・ルテタブル

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 第二試合の試合終了のラッパではなく、第四回戦開始のラッパだった。
 まだ怒っているのかとマリールの顔を探すと、奇妙に心配そうな気配が読み取れた。
 こうなれば不貞の妻として妾としてお側に転がり込むのでもいいからご無事で、私が五体の骨をことごとく砕いた後に看病して差し上げますからご無事で、等と斜めあさっての方向の心配をしているマリールの内心が奇妙に具体的に想像できて笑った。
 すると、マリールの驚く気配がした。
 気配だけでなく視界の端でマリールが表情を変えたのにあわてて首を巡らせてしまった。
 それだけの事だったが、奇妙に落ち着いた状態で四回戦最終戦を迎えることができた。
 コルセットを支えるスーツを割いてしまったためにハンスとコルセットは落ち着きが悪く諦めることになったが、一応ヘルメットは被ってゆくことにした。頭頂方向からの衝突衝撃に対して備えたハンスがないということは、首で直にヘルメットに掛かる荷重を支えることになるが、それはしかたがないことと割り切るしかなかったし、別の意味で相手への礼儀でもある。
 相手を殺さないように自分の技量をみせるということは、つまり相手を攻撃してよろしい的を自分で選んで攻撃する必要があるということだったから、自分でやってみて、マジンはかなり苦労している自分を自覚していた。
 日常的な動きの内であれば、たとえ相手を捕縛目的として拳銃を使う相手であってさえも、およそその武器を無力化することは実は機会を選ぶだけで用意になる。
 互いに起きる日常のうちの死角をつなぎあわせて先手を打つ事自体は、狩人にとっては一種の基礎技能であって、相手の技能能力とはあまり関係がないし、マジン自身が予想外の出来事にしばしば驚かされることもある。
 試武改のような決闘の場においては、双方が相応に備えていることから、一方的な流れの形を作ることは難しいし、かつてのリザとの決闘のような生死勝ち負け度外視というわけにはゆかない。
 ここならば、打ち込まれてもよろしい、という的を提供することは、相手に対する挑発でもあり、相手の技量に対する信頼でもある。 
 それだけの事だった。
 そして、それだけの事、と云える程にこの武芸改の選手たちは勝ち負けはともかく技量に優れ、そして武芸改が気まぐれにおこなえるほどに、この郷の人々の武芸は文明として洗練されていた。
 この種の武芸、近接打突武器の類が個人火器普及後の戦場でどれだけ意味があるのか、マジンにとって全く疑わしいものではあったが、少なくとも彼らの選手たちの技量は十分に瞠目すべきものであって、極めて洗練されたものであった。
 自分の技術は彼らの武芸というものほどに洗練されたものではない、ということはマジンには最初からわかっていてその中で芸として戦ってみせるというのはひどく窮屈なことだったが、マリールの家族への挨拶、と思えば、それはまず仕方のない範囲の窮屈さと礼儀として付き合う必要はあった。
 或いはアーシュラを連れてくれば面倒が少なかったのかと思わないではないが、面倒が増えた可能性ももちろんあって、アーシュラを連れてくる状況といえば他の子供も幾人か連れてくるわけで、それはもちろん面倒が増えることを意味していた。
 マジンが拳銃やら段平やらという日々馴染んだ武器を置いて袋葦剣と同じ作りの槍を携えて挑んだのは、相手も真剣を携えてはいるが試武の獲物としては必要としないらしいことが納得できたからだった。
 街場の酔っぱらいや強盗と違って、選手は景気付けの刃物や銃器を必要としていなかったし、その気になれば殺すこと自体は得物に頼らずとも出来るくらいの技量、それこそ懐紙一束あれば百かそこらの人の殺し方をわきまえていて、そのうちの五つか十かをその場に応じて思いつき、更にその幾つかを試みられるかもしれないような者達だった。
 魔法の実態がどういうものであれ、実際に我が身に起きた事件を考えれば、様々を斟酌するより先に魔法としか云いようのない様々が起きていて、それが故意に技術として使われているのであれば、それは様々に分類する以前には分類不能の技術としてひとまず魔術として扱うしかない。
 ステアとの意思の疎通も星霊体であれ集合無意識であれ重力場共振であれ遡行波による量子的共時性であれ超空間的な波動現象であれ超越者の意思であれ信仰の恩寵であれ、更に或いは単なる体調不良と不安からくる虫の知らせと勘違いであれ、ともかく検出不能の何事かがステアなりリザなりの意志として引き起こされたものであるなら、そういうなにごとかが魔力と魔法の顕現だというなら、反論材料のない今はただ、ああそうですか、と同意を留保するしかない。
 マジンは全く魔術の存在を肯定していなかったが、それはマジン自身の意志として想定した目的として技術の行使の結果を確認できていなかった、因果を認知していなかったから魔法の存在を肯定していない。一方で魔法を否定するほどに材料もなく事実として因果不明知覚不能の怪現象に幾度か行き当たっていた。
 魔法だと納得できるほどの説明にも行き着いてはいないが、分類可能な類似性も見つけてはいなかった。
 とりあえず、因果未確認ノ現象ヲ魔法ト称ス、という程度には魔法の存在を認知していた。
 その意味で、信じる力が夢見る力が魔法を奇跡を産む、という金言についても全く肯定していた。
 この世の物理を支える神が細部を追いつめられると実は比較的頻繁にサイコロを振ることは元素や電子を相手に工作をしていると頻繁に感じることで、その神様がサイコロを振らないで良いような手抜きを許す構造の中に組み込むことが、実はジェーヴィー教授の理論を工学技術に応用することの真骨頂であった。他分野にそれをつなげることを喜ぶ故ジェーヴィー教授はまさに人の世に灯りを灯すべく科学を培った灯台守の一人だった。
 そういう他の技術に応用できる因果関係が連接する知識技術とは別に、様々な理由から孤立を望む知識技術というものがあって、そういうものが魔法と呼ばれるものの核だった。
 もちろん手妻のタネや仕掛けなどというモノが早々に見破れるようでは芸事として未熟にすぎるから、魔術というべきものの幾つかが小手先の芸事錯視幻術詐術である可能性は当然あって、そういったものをいちいち開け広げて鼻高々にするのもバカバカしくあるし、詐欺や信仰にハマらなければまたそれもどうでもいいことなのだが、当然、神意と奇跡を暈に着た詐欺も多い。
 共和国では宗教や魔法というものについて様々な成行きの紆余曲折があった上で、帝国との劣勢な戦争の挽回への秘策として共和国軍で魔法が持ちだされたことでまた如何にも混迷を深めている。
 その混迷の結果として魔法というものが法理や技術という枠を殆ど持たないまま、一見わからないものは何でも魔法魔術魔道と世に謳われるようになっていた。



 だが、最終戦の相手はそういう訳のわからないものを使わないでも十分に強い相手だった。
 攻め切れない。
 というのは、マジンにとっては一対一では未知の経験だったが、組織だった相手ではたまにあることだった。
 およその話として攻め手を正しく見積もり、守りの抜き入れを適切に分けることで、多少の差を埋め、敢えて膠着することは云うほどには難しいことではない。
 マジンほどの図抜けた身体能力を持ってしても、幾つかの単純なルールに縛られるだけで攻め手の見積りは正確になり、攻め手の幅が狭ければ守りの手数の備えは減る。
 袋葦剣で殺さないように叩く。
 というだけのルールなのだが、マジンが勝手に内心で定めたそれだけのことで、ルテタブルはマジンの動きを読みきって動いていた。
 長めのと言って腰に下げていた長い方に比べるとやや短めの袋葦剣は、ルテタブルの木剣に比べ柄を込みでやや長く柄を鍔いっぱいに握るとやや短いという長さで、得物の上ではほぼ対等、相手の鍔がやや大きいのが組打ちに移ろうとして鎬をうまく使われる結果になっていた。二度ほど組打ちに入るために鎬をねじ込んでいったのだが、ルテタブルに膝を蹴られ間合いを取られた。
 手を開けて糸でも絡げればよかったのかもしれないが、体捌きの良い相手に手抜きをできるほどに狙いが定まっていないし、そんなことが出来るなら鎬を削って詰める動きで手が打てた。
 これまでの動きでわかったのは速さでは今のところマジンが押せているが、ルテタブルは絶妙の読みで対応し突き返すためにマジンが速度を活かし切れず、手筋の読みと勝負勘というべき技術と想像力でルテタブルに引き回され、攻め手をつかめないままにルテタブルの間合いと手筋に乗って、偶に速さと力で食い破るという展開になっていた。
 要するに技量勝負でルテタブルの隙を突くことはマジンには不可能だということが数合の凌ぎ合いの末の結論だった。
 互いの速度と防御が互いの攻め手を上回っていて膠着していた。
 その膠着の良し悪しは時間をかける稼ぐことで次の勝利への手を打てるか否か、という一点にかかっている。
 問題は新たな攻め手の有無という意味で、どう攻めるべきか思いつかない、というところがマジンにとっては重大な問題だった。
 マジンの見たところ相手の攻め手はまだ別にある様子だった。
 ルテタブルの体格と速さとで推す戦いかたはリクレルに似ているが、自らの速さが足りないことを考慮に入れた変化があって、マジンの間合いに無防備に飛び込んでしまったリクレルとは違って、マジンの攻め手の動きの後を追うような、攻めも受けもしにくく下がるか躱すしかないような牽制とも云えない攻めを織り交ぜてくる。
 その牽制が絶妙に攻め込みたくなるような隙に見えるところで片手を浮かせて組打ちに来たり、篭手から伸びた刃返しで突き返したりと自在に変幻するルテタブルの動きに次の動きが読みきれず、先の先を掴めず、後の先を取るつもりが後の後を捨てることでマジンは逃げ延びていた。
 マジンが異常に気がついたのは、先手をどうやっても取れないことで、相手の手の内で戦うことを諦めたから、と云えば奥の手があるようだが、ヘルメットのバイザー越しの視界では視界が狭すぎると、一旦間合いをとったからだった。
 風景の動きと音が奇妙だった。
「魔術の素養がないと聞いていたが、気がついたか」
 そこいら中に溝のようなガラスのような幕のような糸のようなものが伸びている。ルテタブル本人の周りには三角錐の幕のようなものが薄く見える。
 防御のための何かにしては儚げだが、間合いをとる前も幾度も打ち込んでいたはずで手応えは感じなかった。
「これは」
「蓮花遁甲活殺の陣」
 ルテタブルが応えると風景がひび割れたように回転を始め、周辺から三角形に砕けてゆく。その三角形が鏡のようにルテタブルの姿を映す。
 ガラスの壜のような万華鏡のような空間に閉じ込められようとしていることを悟り、マジンは外套を脱ぎ捨て足場に定め一気に跳躍した。
 時間と感覚を奇妙に引き伸ばされた下方向に落下し崩れてゆく空間の中で目の前のルテタブルが見上げるような動作をするのを飛び抜けるように感じる中でマジンはリザを探し呼んだ。
「はぁ。ノミかなんかみたいに跳ねたわね。あの人あんな飛べるんだ。む、慣れないわね。この感じは」
 鼻で笑うような面白がるようなステアの気配を捕まえた。
「目を貸してくれ」
 魔術で見ているはずのステアの感覚を求める。
 魔術空間の奇妙な時間感覚は時間の整合を怪しくする。
 主観時間ではかなり長い落下感に襲われていたが、ステアの視界の中の自分は数十キュビットも跳ね上がったところだった。
 ルテタブルの作った奇妙な魔術空間の効果か、単に場の勢いか、マジンはこれまで試してみたこともないほどの高さまで一気に跳ね上がっていた。
 客観的に一秒も経っていない。
 歪んでいた風景の音が観客の歓声であることがわかる。
 素早くルテタブルの姿を探すと間合いを詰めようと右手から駆け寄ったところで一気に跳ねたマジンを見上げていた。
 突然周辺の風景が元に戻り、マジンの主観が術から抜けた手応えになった。
 腰を捻った位置にいるルテタブルに空中のマジンは手が出せない。
 拳銃を握っていれば互いに必殺であった。
 だが、ルテタブルも突然のマジンの動きに小柄を投げてよこすのが関の山で、それを袋葦剣で捌くまでもなく姿勢で躱し間合いを詰めると、小柄を投げてよこしたのが却って仇になって、腰が浮いて一手遅れたルテタブルの手元をマジンがしたたかに叩いたところで、武芸改奉行がラッパを命じた。
 勝っちゃったわね。
 と、いうステアの感想になんと答えて良いものか困っていると気配が消えた。
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