婚約破棄された堅物令嬢ですが、鬼の騎士団長の娘として宮廷の陰謀を暴くのに忙しいので、美貌のカストラート(実は王子)に溺愛される暇はありません

綾森れん

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08、リラの計画

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 私が物心ついたときからいつも、母の隣には性別不明の愛人がはべっていた。それはいつも歌手だったけれど、カストラートとは限らない。正歌劇オペラセリアで英雄役を歌う男装の女性アルト歌手だったこともある。

 もちろん教会は同性同士の恋愛を固く禁じているが、母は性別にこだわらずに恋をする。母が惹かれるのは女性性で、生来のものでも、作られたものでもよいらしい。高い声や薔薇色の頬、やわらかくふっくらとした体つき――それが母のお気に入り。そして父には決して備わっていないもの。筋骨たくましいお父様はいつも威厳にあふれているのだから。

 両親を見て育った私は小さいころから学んで来た。愛とか恋とかいう甘ったるいものは舞台の上にしかないんだって。

 チョッチョと母が去って静かになった音楽室で、私は譜面台に置いた楽譜を閉じた。パタンという音が思いのほか大きく響いて、いつの間にか雨音が聞こえないことに気付く。

「そうだわ」

 中庭を振り返った私は、ひとりごちた。

「アルカンジェロと会って事件について話す方法、思いついちゃった」

 ガラス窓の向こうでは、うっすらと白みがかった空の下、石畳に残った水たまりが頼りない陽光を反射している。

 だが、ひとつだけ懸念がある。美貌のカストラートに心惹かれていると誰かに誤解されて、母と同じような女性だと見なされないか。

 でも誰かって、誰? お屋敷の使用人?

 構うもんですか。私は昨日の夜会で、大勢の見ている前で婚約破棄されたけれど、今朝もいつもと同じ朝が来た。恥をかいたくらいでは死なないのだと、私は知っている。

 雲間から放たれた一筋の陽光が、雨に洗われた草花の雫に反射してきらめいていた。誘われるようにガーデンルームへ出た私はガラス扉を開け放った。

 濡れた土の匂いと鳥のさえずりが早春の訪れを告げる。石畳にできた水たまりで木漏れ日が踊り、鉢植えから顔を出した若葉は雨上がりの空に向かって力強く背伸びしていた。



 夕食後、私は計画を実行するため兄クリスティアーノの書斎に向かった。

 廊下の片側に並んだガラス窓はすでに、勤勉な使用人によって鎧戸が閉められている。反対側の壁には燭台が等間隔に据えられ、ロウソクの炎がかすかにゆらめいていた。

 古い木の扉をノックして、私は兄に声をかけた。

「お兄様、お話ししたいことがあるのですが」

 部屋の中でバサバサっと紙の束を動かすような音がする。続いてバタンと大きな本を閉じたらしい物音が響いた。

「リラかい?」

 ようやく答えてくれたクリス兄様の声は妙に落ち着きがない。

「いま開けるからちょっと待って」

 私が返事をする前に畳みかけた。 

「あの、ご迷惑でしたら明日でも――」

「いやいやいや、大丈夫だよ!」

 私の言葉を遮って、お兄様の足音が近づいてくる。なんだか様子がおかしい。つい眉間に力を入れていたら、扉が勢いよくひらいた。

「入りなさい」

 お兄様は布張りの椅子を書斎机の近くに動かして、私に座るよう促した。

「リラ、夜会の件は――」

 書斎机に片腕を置いたお兄様は、気まずそうに窓の方へ視線をそらした。

「その、残念だったな」

 屋敷の下を小舟が通過したのか、かすかな水音が立ちのぼってくる。静かな夜は、二階の書斎まで櫂が水をすくう音が響く。

 婚約破棄された不肖の妹を気遣ってくれる兄に、私は一応こうべを垂れた。

「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」

「リラが謝ることじゃない。僕はリラに非があったなんてこれっぽっちも思わない。それは父上だってよくご存知だし――」

 そこで兄上は言葉を切って、わずかに眉根を寄せた。

「ブライデン公爵だって同じじゃないかな?」

 腕を組んで声をひそめる。

「この婚約は公爵家がうちを抱き込みたくて持ちかけた話だろう? それをグイード様がぶち壊したんだ。公爵閣下が息子を放っておくなんて妙だよ」

 まさか私が公爵家に入り込んで過去の罪につながるものがないか調べようとしていたと、勘付かれたわけではあるまい。

 兄は腕を組んだまま背中を椅子の背にあずけた。

「グイード様が選ばれたパメラ嬢は新興男爵家の娘だろう? 王家の血を引く公爵家とバンキエーリ家では家格が釣り合わないじゃないか」

 クリス兄様のおっしゃる通りだ。

 グイードに未練がなさすぎて気付かなかったけれど、ブライデン公爵は息子とパメラ嬢の婚約を許すのだろうか?
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