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32. 人質
しおりを挟むいつかこんなことを言った。
皆が幸せであればいい、と。
その言葉に偽りはない。ないのだが、その言葉はメイヴィスが聖人だから発したのではない。
ただ、興味がないのだ。メイヴィスを迫害した人間が、世界が、幸せになろうと、不幸になろうと。
どうでもいい。
メイヴィスは自分のことで精一杯だ。明日の命すらわからない脆い体で、他人にそこまで干渉している余裕はない。
幸せを願いはするが、そのために何かをするわけではない。ただの偽善と言われれば、そうなのである。
「……」
痛みも苦しみも、なくなった。
真っ暗で、何も見えなくて、何も聞こえなくて、何も感じない。
メイヴィスは、ただその場にうずくまっていた。
動けない、動きたくない。どうせどこにも行かれない。
遠くの方で何かが光った。目を閉じていると思っていたのに、それでも光は輝いた。ゆらゆらと、まるで誰かを探しているように揺れている。ランプのように。
メイヴィスはそれを見送る。迎えに来てくれる人などいないし、それに縋るつもりもない。
たまに変化が起きるのであれば、ずっとここにいるのも悪くないとすら思える。
しかし、そんなメイヴィスの思いとは裏腹に、光はだんだんメイヴィスの方へと近づいてくる。きっとその誰かは、メイヴィスの姿を見て探し人ではなかったと落胆するだろう。
その顔を見たくなくて、メイヴィスは固く目を閉じる。無音の中、光はメイヴィスの顔を照らした。
予想通り、光はメイヴィスから離れていく。こんなところに他の人間がいるとは思えないが、人違いは事実だ。
光は消えずに彼方を漂っている。すると、錘を乗せられたかのように動けなかったメイヴィスの体が、突然軽くなった。動いたところで何にもならないが、寝返りくらい誰だって打つだろう。
メイヴィスはまだ誰かを探している光の方は見ずに、それ以外の方向を眺めた。光源があるというのに、どこまでも暗くて何も見えない。
(何かにもたれたいなあ、床以外で)
床を手でなぞってみる。少しザラついているのは、塵芥というより何かの模様であるように感じた。
すると、今度は視界が真っ白になった。その眩さに、メイヴィスは思わず目を閉じる。何が起きたかも分からず、逃げることもできない。次があるのか最果てに到着したのか。
メイヴィスは暗闇に戻ることを期待していたが、いつのまにか気絶していた。
頬に触れられた気がして、メイヴィスはその相手を手で探す。しかし、触れたのは自分の頬だけだった。
目を開くと、灰色の天井が見える。体をベッドに対して縦から横にして、今自分がどこにいるのか把握した。
また部屋だ。見覚えのない部屋。窓がなく、外は見えない。離宮の一室だろうか。
別の方を見ると、壁にガラスが嵌め込まれていた。
「わっ……」
ガラスの向こうには少女が立っており、メイヴィスをジッと見つめている。
少女は目が合うと走り去ってしまった。煌びやかなドレスを着ていたので侍女ではないのだろう。ただ、幼さに見合わず感情のない顔をしていた。
(……誰が、来るんだろう)
きっと少女は誰かを呼びに行った。医者なのか、それとも違う人間なのか。どうも落ち着かなかった。カレンが来るとはとても思えないほど部屋には何もなく、殺風景だったからだ。
「……」
体を見下ろすと、汚れたはずの服ではなく違うものが着せられていた。真っ白でシンプルなデザイン。おそらく寝巻きだろう。常に着ていた黒のインナーが脱がされており、落ち着かない。
体のどこにも痛みはないが、落馬の怪我がどうなったのかはよくわからなかった。
シーツにくるまって頭だけ出す。未だ誰も来ない。少女は幻だったのだろうか。
「目覚めたか」
後ろから声がして、メイヴィスは思わず振り返る。
(扉なんて、なかったのに)
「!」
メイヴィスの喉元には、剣が向けられていた。
鋭く光る目が、殺気を含んでいる。
目の前の男には、全く見覚えがなかった。
「……」
やはりここは離宮ではない。メイヴィスはこのまま刃が首を掻っ切ることも覚悟して、目を閉じる。相手の行動を待った。
「何か企んでいるなら、先に教えてやろう。成功はしないとな」
「……私は、森の湖で倒れました。怪しい者ではありません」
「ふん、だろうな」
金髪の男は、剣を鞘にしまった。その音を聞いて、メイヴィスは恐る恐る目を開ける。
「まさかオルティエの次期王妃が森の中で倒れているなど思わん」
(……何ですって?)
男は何か勘違いをしている。しかしそれより重要なのは、この男は善意の人助けをしたわけではないということだ。
「わかっていて……なぜ」
「貴様のような女には理解できぬであろう。一方的に鉱山を奪われた、我々の恨みを!」
「鉱山?」
「貴様を人質にし、オルティエに奪われた鉱山を取り返す。我らノワールの目的はそれだ」
「……ノワール?」
ノワールといえば、オルティエの隣国であったはずだ。残念ながらそれ以上はわからない。
まだ理解が追いついていないが、どうやらメイヴィスは知らないうちに他国に捕まっていたらしい。それも人質として。
「王太子が愛してやまないというオルセン公爵令嬢を人質にすれば、オルティエも黙ってはおらんだろう?」
「……」
先ほどの発言から何となく察していたが、この男は人違いをしている。よりにもよって、彼らはメイヴィスを攫ってしまったのだ。
(オルティエからしたら、願ったり叶ったりね)
邪魔者を排除してくれるのだから、両手をあげて喜んでいることだろう。
「それでも、オルティエが動かなければどうなさるのですか?」
むしろそちらの方が確率は高いわけだ。気になったので尋ねてみる。
男は眉間に皺を寄せ、一呼吸置いた後、
「……まあ。その時は犠牲を払ってでも取り戻すまでよ。無論、貴様の首を送りつけてな」
どうやらメイヴィスの死は確定らしい。
「左様、ですか」
「何だ、自信がないのか? 貴様を寵愛しているという王太子なら、必ずこちらの要求を飲む。何を不安がる?」
俯いてしまったメイヴィスの様子を見て男は笑う。
(……クリスタ様の様子がおかしかったのは、ノワールと関係があるのかしら)
意図せずして、メイヴィスはクリスタの身代わりとなってしまったのだ。
「恐れながら、私はオルセン公爵令嬢ではありません。どうやら人違いをされているようです」
頭を下げて白状すると、機嫌良く笑っていた男の顔から影が消える。
「つまらん冗談だな。これを持っていながら人違いだなどと」
男が取り出したのは、メイヴィスのケープにつけられていたはずのブローチであった。
「それは……」
「オルティエの王太子妃が身につけるものだろう? 知っておる」
得意げな顔をしているところ申し訳ないが、王太子妃の身分を示すアクセサリーはブローチだけではない。
「……おっしゃる通り、それは王太子妃が身につけるものです。ですが、私は王太子妃ではありません」
「何だと?」
男の顔は再び曇る。
「言うなれば私は、側妃候補と言った方が近いでしょうか」
「側妃?」
「当然、愛する者を正妃に据えるでしょう」
男は一度戻した剣を再びメイヴィスの首に突きつけた。
「つまり、お前を攫ってもオルティエは動かないということか?」
「……」
無言は肯定。
怒りに震える冷たい刃が首筋に触れ、肌が切れる。生温かい液体が滴り落ちていった。
コーディが消してくれたはずの痛覚は、とっくに戻っている。鋭い痛みに顔が歪んだ。
「兄様!」
叫び声と共にガラスがドンっと叩かれ、そちらを見やる。先ほどメイヴィスを見つめていた少女だった。
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