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31. 別離
しおりを挟む「侯爵令嬢、一応聞いておくが。お前、離宮に戻るつもりはあるんだよな?」
体に痛みがないせいでどれほどダメージを負っているのかはわからないが、少なくとも歩けなくなることがないようにメイヴィスは注意深く歩く。時折足を止め、空を見上げて休息を取るメイヴィスに、コーディが尋ねた。
「もちろんよ。それ以外に帰る場所はないんだから」
城にいる全員から疎まれていても、メイヴィスにはそれ以外に拠り所はない。実家に戻ったとしても追い出されるだけだろう。戻るつもりはまったくないけれど。
(……私がいなくなったら、シャロンはどうなるんだろう)
解放されるのか、それとも責任を追及されるのか。それがわからないうちは、尚更出て行くことなどできやしない。
「なら、いいけどよ。やっぱりお前、早く出て行くべきだぜ」
「王城から?」
コーディは深く頷いた。
「今までは運が良かったから、生き延びてこられた。本当は、いつ死んだっておかしくないと俺は思ってる」
「……」
あくまで予定ではあるものの、城にいるのはたった3年だ。短いようで長い気もする。
運が良かった、というのは指摘通りだ。
毒殺未遂の時点で追放、もしくは処刑の可能性は十分にあった。その後も何度も危険な目に遭った。今度も助かるとは限らない。
「命が危険に晒されたのは偶然かもしれない。だが、もし仕組まれたものだったら?」
「……殺される前に、逃げろって?」
逃げる場所すらメイヴィスにはないというのに、この精霊はなかなか残酷なことを言う。
「ああそうだ。さっきの公爵令嬢も、罠だったら……」
「殿下がいらっしゃったのだから、罠ではないわ」
返すと、コーディはイラついたように声を荒げた。
「それは結果論だ。お前だって死にたくないだろ?」
「忠告ありがとうコーディ。でも私はシャロンの無事を確認するまでは、出ていけない」
はっきり伝えると、コーディは思い出したように「ああ」とトーンダウンした。
「あの侍女か。唯一お前を大切にしてくれた人間なら、見捨てられねえよな」
メイヴィスはゆっくり首肯した。
「……何もしてやれないのが、歯痒い」
酷い扱いを受けていないだろうか、眠れているだろうか、体調は大丈夫だろうか。
心配は尽きない。
「お前は生きてさえいりゃいいんじゃねえの。侍女だってお前がいなくなることを望みはしないだろ」
「シャロンは優しいからね……」
メイヴィスのそばにいても、何の得にもならないというのに、シャロンは決してメイヴィスを見捨てなかった。その理由は、優しい以外に考えられない。
「どこかに水はないかしら」
朝に飲んだっきりで、口の中はカラカラだ。
「水ぅ? そんなもん俺が……って、今は無理なんだった」
「知ってる。探すのも無理よね」
「ああ~ただの人間よりも無力じゃねえか。自力で動くこともできないし!」
「……」
「おっと謝るなよ。お前は二度と俺に謝るな」
笑ってやると、コーディは何かが気になったのか視線を背後にやる。
「……何か近づいてる」
「え?」
メイヴィスも同じ方を見るが、葉が風に揺れているだけだ。
「動物? 人間?」
「馬の走る音だ。それもたくさん。おそらく人間が乗っている」
ああ、とメイヴィスはその答えを出した。
「たぶん殿下とクリスタ様を探してる騎士たちじゃないかしら」
「それにしては、何か……」
「野生動物じゃないならいいわ。行きましょう」
「おい、保護してもらうんじゃないのか? そっちは逆方向だぞ」
背を向けるメイヴィスにコーディが尋ねる。
「今あっちの方が光ってたの。水だと思うから、それだけ飲ませて。騎士たちもそうすぐには移動しないでしょう」
「そんなに渇いたのか?」
コーディの問いにこくんと頷いてやると、コーディは「急げよ」とだけ返した。
メイヴィスは一瞬だけきらりと光った木々の間を突き進んでいく。
すると、予想通り水が広がっていた。陽光を反射し、光っていたのだ。
「池なのか湖なのかよくわからないわね」
「なあ、それよりこの水あんまり綺麗には見えないんだが。離宮に戻ってから飲んだほうがいいんじゃないか?」
うげえ、とコーディは汚いモノを見るような目で水を見ているが、メイヴィスは首を傾げる。
透明で息を呑むほど美しい、というわけではないが、飲むのを躊躇うほどの汚さでもないと思ったからだ。虫やヘドロが浮いているわけでもない、飲もうと思えば飲める。生水は確かに危険だが、渇きの前では些事でしかない。
膝をついて湖を覗き込む。底だって、見えないわけではないのになぜそこまで嫌がるのか、メイヴィスにはよくわからなかった。
「ああもう、そんな石だらけのところに膝をつくやつがあるか!」
今度は呆れたように頭を抱える精霊がいた。
膝と地面の間には服の布があるので直接ではないのだが、薄っぺらなので服にも膝にも傷ができてしまう。
「平気よこれくらい」
今痛くなければどうでもいい。
うるさい小言を聞き流し、メイヴィスは手を突っ込んで水を掬った。
胃に落ちていく水を受けて、体が震える。
これが満たされたという感覚だ。
「あーあー、俺が術使えたら綺麗な水飲ませてやれたのになー」
「気持ちだけでいいわ。ありがと……ごっ」
突然体の奥から何かが迫り上がってくる。吐き気に抗えずに、メイヴィスは咳き込み、その何かの正体を見た。
「おい!」
地面と湖を汚したのは、血の塊だった。赤黒く濁った液体を纏い、ぼたぼたと垂れていく。
「水に毒性が? 落馬で内臓が傷ついた? くそっ」
慌てる声がするが、メイヴィスは返事どころではない。視界が歪み、思考が回らず石だらけの地面に倒れる。
「ダメだって侯爵令嬢! 今ここで気絶なんかしたら……!」
ただでさえ不自由な精霊は、もはや小娘一人を涼しい顔をしながら救うこともできなくなった。治療はおろか、移動もできず、何か処置をしてやることもできず、声をかけ続けるだけ。
そして小娘は、それを聞きながら痛みを感じることなく終わりを覚悟するしかない。
(痛みはないけれど、苦しい)
その証がこぼれ落ち、メイヴィスは自ら視界の情報を排除する。どうせ映っていたのは水面と、赤い液体だけだ。
このまま誰かに見つけられるか、野生動物に食い荒らされるか。どちらにしても、もう手遅れだろう。
精霊の叫びは、もう誰にも届かない。
呆気ない終わりを、メイヴィスは受け入れることしかできなかった。
姿を消したメイヴィスを心配して迎えに来る者など、誰一人として存在しないのだから。
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