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第18話 過酷?な訓練
第18話・3 人間との境界
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深夜の冷えた研究記録室。
室内はホログラムの光だけが揺れていた。
シエリとセセラは、再生されたリルの生体データを前にして、言葉少なにその変化を見つめている。
そのデータには、確かに“何か”が映っていた。
心拍の復帰、細胞活性、そして──再構築。
シエリの声が静かに響く。
「……あの仮死状態から、ここまで回復した例は今までなかった。回復というより、再生だ」
そのまま投影を切り替えると次に映し出されたのは、龍因子の結合率の推移を示すグラフ。
通常時、通常龍化時、そして──仮死からの復帰後。
「跳ね上がってんな……因子の適応率」
セセラは眉をひそめる。
その増加は、単なる一過性ではなかった。リルの体は、明らかに龍因子に馴染み始めている。
「つまり、今回準完全龍化に成功したのは、コレの影響が大きいと?」
その問いに、シエリは頷いた。
「ああ。おそらく、彼の体は龍としての状態を、以前よりも自然に受け入れ始めている」
セセラはため息混じりに椅子に背を預ける。
「でもそれって、『良かった』とは言い切れねえよな」
「……そう。リルが適応しているということは、同時に……人間から離れつつあるということでもある」
「…………」
室内が重い沈黙に包まれた。
その言葉が、真に意味するものをふたりとも理解していた。
やがて、セセラが言葉を選びながら口を開く。
「……準完全龍化の戦闘能力は、確かに目覚ましい。あれを制御できれば、戦力は段違いだ。機関の防衛システム、いや、国家の軍備すら変えちまう可能性だってある」
「でも、それ以上の龍化が進行すれば……それはもう、“紅崎リル”ではなくなる」
続けられたシエリの言葉に、セセラはゆっくりと頷いた。
「そうだな。完全龍化──つまり、全てが龍になるその一歩手前が、今のあいつだろ」
その先にあるのは、制御できない力か、完全な異形か。
あるいは──終わりか。
「……セセラ、抑制の研究は急がないといけない。でも……本人には、まだ知らせないであげて」
シエリの声は、どこか優しかった。
そして、強かった。
「あの子はあの日、守るために、生きるためにあの力を使った。その選択がいつか彼を壊すものにならないように。私たちの仕事は、そこにある」
◇
翌日──白く無機質な診察室。
機器の音だけが静かに響く中、午前のうちに一通りの検査を終えたリルは、上半身を脱いだ状態で診察台に座っていた。
細身の体にいくつかのケーブルが繋がれ、モニターには脳波・心拍・体温、あらゆるデータが刻々と更新されていく。
担当医が呟いた。
「基礎体温、前回よりまた0.3度低下。……34.9度。もうすぐ平均どころか、通常の範囲を下回るな」
「歯列に変化も。右側の犬歯が以前より3ミリ延長、左下の臼歯は一部、裂肉歯に近い形状に」
リルはそれを聞いても、どこか感情の動かない表情。
ただ、ほんの一瞬だけ肩が動いたように見えたのは、息を吐いたせいかもしれない。
「まあ……そんな気はしてた」
「……大丈夫ですよ、急激ではありません」
医師の手が記録端末を動かす音が、やけに大きく感じられた。
「今日の検査は以上となります。次はカウンセリングですね」
「……ども」
着替えを終えたリルは退室し、隣のカウンセリング室へ移動する。
陽の入る室内は木製のテーブルに、紙とペンが置かれている。
リルは椅子に深く座った。その向かいに座るのは、セセラ。
「じゃ、始めるか。……思い出すの、嫌ならやめてもいいからな」
リルは僅かに頷くと、腕を組む。
「……大丈夫。なんとなくだけど覚えてる。……少しだけな」
「それでもいい」
セセラは手元の記録表を開き、質問を始めた。
「まず、あのとき。高揚感はあったか?」
「……高揚感……?」
あのときとは、リルが初めて準完全龍化を得て暴走をした、あの日。
リルは少し言葉を探してから答える。
「……あった、かも。興奮ってより、張り詰めてたって感じだった。ヤバいくらい視界がクリアで……全部の音が近くて遠かった。動く理由を探すより先に、体が勝手に動いてた」
「…………」
セセラはその言葉に静かに頷き、次の問いを投げた。
「じゃあ、なんでうまく話せなかったんだと思う?」
「…………」
リルは視線を落としながら──。
「……言葉って、考えてから出すもんだろ。でも、あの状態のオレは、考えるより先に全部が反応してた。口を動かしても……声の出し方がうまく思い出せなかった」
「つか、そもそも“話す理由”が思い浮かばなかった……かも」
「…………」
その答えに、メモを走らせる手を一瞬止めるセセラ。
(……話す理由が思い浮かばない、か)
──言葉の必要性を感じなくなった、という異常。
これは、自我と理性の境界を測る大きな手がかりだった。
「痛みはどうだった?」
「……あった。ちゃんとあったよ。でも、痛いって思うより、『ああ、こういうもんか』って納得してる感じだった」
「なんか……体の変化も含めて、“これは当たり前”って思ってる自分がいた」
セセラの目が、鋭く細くなる。
しかしすぐに少し柔らかく、ふっと口元を緩めて──。
「……ちなみによ、前回の準完全龍化時──戻る訓練をしていた時にさ、周りの職員たちに『可愛い可愛い』って言われてたの……気づいてた?」
「…………っ……」
リルは絶句したあと、わかりやすく眉間に皺を寄せて椅子に沈んだ。
「……気づくに決まってんだろ。なんかニコニコしてる奴らいたし……可愛いって言われてたのめっちゃ耳に残ってる。……殺意しか湧かなかったぜ」
素直な答えにセセラは吹き出しそうになるのを必死に堪えながら、そっと言葉を継ぐ。
「……でも、それだけ恐怖を与えなかったってことでもある。自我が保ててた証拠だ」
「……!」
リルは不意に、じっとセセラを見た。
その目には、僅かだが安心の色が滲んでいた。
◇
カウンセリング終了後、研究統括室。
一面のモニターに、先程のリルの検診・カウンセリングの記録が纏められていた。
龍因子適応の進行状況、身体的な変異、精神的影響、そして──本人の反応。
シエリは背筋を正し、淡々と読み上げる。
「──現在、リルの龍因子適応率は計測史上最も高い。準完全龍化への移行が段階的かつ制御可能であったこと、更に高い戦闘能力を維持したまま自我を保った点から、戦力としての可能性は非常に高いと判断できる」
その隣でセセラは腕を組み、資料ではなく天井の一点を睨みつけていた。
「でも、あいつ自身の感覚も聞いたろ。言葉が出ない、思考が遅れる、動く理由が要らなかった……どれも、“人間”としての機能が薄れてた証拠だ」
シエリは静かに頷く。
「ああ。だからこそ、今が限界ライン」
そしてシエリの手が空中をなぞると、ホログラムにふたつの線が引かれた。
ひとつは適応率、もうひとつは龍化の段階。
それが交差した点──その点が、リルが準完全龍化を遂げた瞬間だった。
「これ以上、因子が進行すれば──」
言葉の続きを、セセラが引き継ぐ。
「完全龍化。人の言葉を失い、人の姿を捨て、人としてのリルはもう戻ってこなくなる」
重苦しい沈黙が室内に流れる。
だが、その中でもシエリは目を伏せなかった。
「私は、“戦力”としてのリルにこれ以上の期待をしているわけではない。あの子自身が、生きていて良かったと思えるように。龍になることがあの子の未来ではなく、“龍でもリルであること”を守りたいだけ」
「…………」
セセラはその言葉にしばらく何も言わなかったが、やがてフッと短く笑い、口を開く。
「……ま、俺も似たようなこと思ってた。ただな、先生。“龍でもリルであること”ってのは、結局、人間の視点だ。リルがそれを望まなくなることも、俺たちは想定しなきゃいけない」
「……!」
シエリの目が一瞬だけ細くなる。
だが、それはセセラに対する怒りではない。
どこまでも現実に忠実な言葉に、同意せざるを得なかったから。
だからこそ、シエリは力強く答える。
「──だから、その前に、“選ばせてあげる”。どちらでも、あの子が後悔しないように」
◇
──夕刻。西の空は茜色に染まり、機関の回廊を柔らかく照らしている。
廊下の一角、ガラス窓の外にある中庭をぼんやりと見つめながら、レイラがそこにいた。
「…………」
手には、整理された1枚の書類。
リルの検査結果──本人に開示された内容の写しだった。
専門用語ばかりの数値の羅列。
赤で囲まれた体温の低下、牙の増加、神経反応の変異。
レイラは読み解くことこそできなかったが、それが“人間離れ”という方向に傾いていることだけは、嫌でも察せた。
だが。
レイラの目が止まっていたのは、一番最後に添えられていた職員による簡単な記録コメント。
【本人の意思疎通能力は安定しており、自我の揺らぎも確認されず。今なお、紅崎リルという存在はここにある。】
その一文を、何度も、何度も読み返す。
“ここにある”。
それだけで、レイラの胸がじわっと熱くなった。
──その頃、休憩ラウンジ。
リルはひとりでいた。
検査も終わり、拘束も無い、自由時間のはずだったが、外に出る理由を見つけられずにいた。
“いつも通り”に戻ったはずなのに、誰かと話すには気まずさがあり、職員の視線もまだどこか含みがある。
「…………」
そのとき、ノックの音。
控えめに、だが迷いのない扉の開閉。
「──リル」
レイラだった。
気負いも無く、いつも通りの足取りで部屋に入ってきた。
肩に軽くかかった淡い水色の髪が、夕日に照らされて柔らかく光る。
「勝手に来ちゃって、ごめん。……でも、顔が見たくて」
「…………」
リルは一瞬だけ驚いたように目を瞬かせるが、すぐに視線を落とした。
「べつにオレだけの部屋じゃねえし……気にすんなよ」
レイラはそんなリルの隣に、そっと腰を下ろす。
話すべきことを、たくさん持ってきたような、でも全部飲み込んできたような──。
そんな、静かで温かい空気を纏っていた。
「…………」
──しばらくの沈黙のあと。
「……リルは、変わったよね。もっと強くなった。……でも、怖かったよ」
ぽつりと、レイラの声が落ちる。
「どこまで行っちゃうのかなって。……もし、もう戻ってこられなかったらって」
その横顔はどこか寂しげで、それでも微笑を浮かべていた。
「でも、帰ってきてくれた。……ありがとう」
「…………」
リルは何か言おうとした。
だけど、言葉が出てこなかった。
代わりに、少しだけゆっくりと頷く。
その仕草に安心したように、レイラはふわっと笑った。
「ねえ、リル。次に変わるときが来てもさ。また帰ってこられるって、信じてるから」
それは、願いでもあり、誓いでもあった。
レイラの言葉が落ち着くと、室内には静かな間が訪れる。
だけどそれは気まずさでも空白でもなく、ただそっと寄り添っているような、優しい沈黙。
リルはどこか気の抜けたような息をついて、ようやく体の力を少しだけ抜く。
その眼差しにはまだ影があったが、それでも、ほんの少し穏やかさが戻りつつあった。
「……オレさ」
その中でリルが小さく呟くと、レイラはそっと顔を向ける。
「このまま戻れなかったらって思ったとき……怖かった、けど……どこかで『それでもいい』って思ってた」
言葉に重さは無かった。
むしろ、それが自然だったかのような、さらっとした言い方だった。
「体も感覚も、全部変わっていって……言葉も出なくなって……でも、なんか……ラクだったんだ。あっちの方が」
「…………」
レイラは静かに目を伏せて、それを受け止めるように頷く。
「でもさ──」
微かに震えたリルの声。
それはリルにしては珍しく、感情が滲んだ声音。
「……お前らの声は、ちゃんと届いてた」
「……!」
レイラはリルの顔を見なかった。だが、拳が膝の上でぎゅっと握られている。
「呼ばれたとき、すげぇ嬉しかった。……『あ、オレまだ戻ってこれる』って思った」
「…………」
それに対しても、レイラはもう何も言わなかった。
しかしその横顔には、しっかりとした意志が宿っている。
そして静かに──リルの手に自らの手を添えた。
「……おい、なんだよ」
「…………」
それは、恋人でも家族でもない──でも確かに特別であるとわかる、レイラの温かな手。
「……じゃあ、これからも。何度でも呼ぶよ。リル」
「…………!」
その言葉に、リルは小さく笑った。
どこか子供のような、少しだけ照れくさい笑み。
「……うるせぇな。……頼むわ」
手を重ねたまま、しばらくふたりは何も話さなかった。
でも、それで充分だった。
この時間が、この呼吸が、互いを確かにここに存在させているというだけで──どこか、胸が満たされる。
レイラの睫毛が揺れる。
リルの呼吸が落ち着いていく。
今だけは、龍憑きでも、戦う者でも、異形でもない──“ただのふたり”だった。
室内はホログラムの光だけが揺れていた。
シエリとセセラは、再生されたリルの生体データを前にして、言葉少なにその変化を見つめている。
そのデータには、確かに“何か”が映っていた。
心拍の復帰、細胞活性、そして──再構築。
シエリの声が静かに響く。
「……あの仮死状態から、ここまで回復した例は今までなかった。回復というより、再生だ」
そのまま投影を切り替えると次に映し出されたのは、龍因子の結合率の推移を示すグラフ。
通常時、通常龍化時、そして──仮死からの復帰後。
「跳ね上がってんな……因子の適応率」
セセラは眉をひそめる。
その増加は、単なる一過性ではなかった。リルの体は、明らかに龍因子に馴染み始めている。
「つまり、今回準完全龍化に成功したのは、コレの影響が大きいと?」
その問いに、シエリは頷いた。
「ああ。おそらく、彼の体は龍としての状態を、以前よりも自然に受け入れ始めている」
セセラはため息混じりに椅子に背を預ける。
「でもそれって、『良かった』とは言い切れねえよな」
「……そう。リルが適応しているということは、同時に……人間から離れつつあるということでもある」
「…………」
室内が重い沈黙に包まれた。
その言葉が、真に意味するものをふたりとも理解していた。
やがて、セセラが言葉を選びながら口を開く。
「……準完全龍化の戦闘能力は、確かに目覚ましい。あれを制御できれば、戦力は段違いだ。機関の防衛システム、いや、国家の軍備すら変えちまう可能性だってある」
「でも、それ以上の龍化が進行すれば……それはもう、“紅崎リル”ではなくなる」
続けられたシエリの言葉に、セセラはゆっくりと頷いた。
「そうだな。完全龍化──つまり、全てが龍になるその一歩手前が、今のあいつだろ」
その先にあるのは、制御できない力か、完全な異形か。
あるいは──終わりか。
「……セセラ、抑制の研究は急がないといけない。でも……本人には、まだ知らせないであげて」
シエリの声は、どこか優しかった。
そして、強かった。
「あの子はあの日、守るために、生きるためにあの力を使った。その選択がいつか彼を壊すものにならないように。私たちの仕事は、そこにある」
◇
翌日──白く無機質な診察室。
機器の音だけが静かに響く中、午前のうちに一通りの検査を終えたリルは、上半身を脱いだ状態で診察台に座っていた。
細身の体にいくつかのケーブルが繋がれ、モニターには脳波・心拍・体温、あらゆるデータが刻々と更新されていく。
担当医が呟いた。
「基礎体温、前回よりまた0.3度低下。……34.9度。もうすぐ平均どころか、通常の範囲を下回るな」
「歯列に変化も。右側の犬歯が以前より3ミリ延長、左下の臼歯は一部、裂肉歯に近い形状に」
リルはそれを聞いても、どこか感情の動かない表情。
ただ、ほんの一瞬だけ肩が動いたように見えたのは、息を吐いたせいかもしれない。
「まあ……そんな気はしてた」
「……大丈夫ですよ、急激ではありません」
医師の手が記録端末を動かす音が、やけに大きく感じられた。
「今日の検査は以上となります。次はカウンセリングですね」
「……ども」
着替えを終えたリルは退室し、隣のカウンセリング室へ移動する。
陽の入る室内は木製のテーブルに、紙とペンが置かれている。
リルは椅子に深く座った。その向かいに座るのは、セセラ。
「じゃ、始めるか。……思い出すの、嫌ならやめてもいいからな」
リルは僅かに頷くと、腕を組む。
「……大丈夫。なんとなくだけど覚えてる。……少しだけな」
「それでもいい」
セセラは手元の記録表を開き、質問を始めた。
「まず、あのとき。高揚感はあったか?」
「……高揚感……?」
あのときとは、リルが初めて準完全龍化を得て暴走をした、あの日。
リルは少し言葉を探してから答える。
「……あった、かも。興奮ってより、張り詰めてたって感じだった。ヤバいくらい視界がクリアで……全部の音が近くて遠かった。動く理由を探すより先に、体が勝手に動いてた」
「…………」
セセラはその言葉に静かに頷き、次の問いを投げた。
「じゃあ、なんでうまく話せなかったんだと思う?」
「…………」
リルは視線を落としながら──。
「……言葉って、考えてから出すもんだろ。でも、あの状態のオレは、考えるより先に全部が反応してた。口を動かしても……声の出し方がうまく思い出せなかった」
「つか、そもそも“話す理由”が思い浮かばなかった……かも」
「…………」
その答えに、メモを走らせる手を一瞬止めるセセラ。
(……話す理由が思い浮かばない、か)
──言葉の必要性を感じなくなった、という異常。
これは、自我と理性の境界を測る大きな手がかりだった。
「痛みはどうだった?」
「……あった。ちゃんとあったよ。でも、痛いって思うより、『ああ、こういうもんか』って納得してる感じだった」
「なんか……体の変化も含めて、“これは当たり前”って思ってる自分がいた」
セセラの目が、鋭く細くなる。
しかしすぐに少し柔らかく、ふっと口元を緩めて──。
「……ちなみによ、前回の準完全龍化時──戻る訓練をしていた時にさ、周りの職員たちに『可愛い可愛い』って言われてたの……気づいてた?」
「…………っ……」
リルは絶句したあと、わかりやすく眉間に皺を寄せて椅子に沈んだ。
「……気づくに決まってんだろ。なんかニコニコしてる奴らいたし……可愛いって言われてたのめっちゃ耳に残ってる。……殺意しか湧かなかったぜ」
素直な答えにセセラは吹き出しそうになるのを必死に堪えながら、そっと言葉を継ぐ。
「……でも、それだけ恐怖を与えなかったってことでもある。自我が保ててた証拠だ」
「……!」
リルは不意に、じっとセセラを見た。
その目には、僅かだが安心の色が滲んでいた。
◇
カウンセリング終了後、研究統括室。
一面のモニターに、先程のリルの検診・カウンセリングの記録が纏められていた。
龍因子適応の進行状況、身体的な変異、精神的影響、そして──本人の反応。
シエリは背筋を正し、淡々と読み上げる。
「──現在、リルの龍因子適応率は計測史上最も高い。準完全龍化への移行が段階的かつ制御可能であったこと、更に高い戦闘能力を維持したまま自我を保った点から、戦力としての可能性は非常に高いと判断できる」
その隣でセセラは腕を組み、資料ではなく天井の一点を睨みつけていた。
「でも、あいつ自身の感覚も聞いたろ。言葉が出ない、思考が遅れる、動く理由が要らなかった……どれも、“人間”としての機能が薄れてた証拠だ」
シエリは静かに頷く。
「ああ。だからこそ、今が限界ライン」
そしてシエリの手が空中をなぞると、ホログラムにふたつの線が引かれた。
ひとつは適応率、もうひとつは龍化の段階。
それが交差した点──その点が、リルが準完全龍化を遂げた瞬間だった。
「これ以上、因子が進行すれば──」
言葉の続きを、セセラが引き継ぐ。
「完全龍化。人の言葉を失い、人の姿を捨て、人としてのリルはもう戻ってこなくなる」
重苦しい沈黙が室内に流れる。
だが、その中でもシエリは目を伏せなかった。
「私は、“戦力”としてのリルにこれ以上の期待をしているわけではない。あの子自身が、生きていて良かったと思えるように。龍になることがあの子の未来ではなく、“龍でもリルであること”を守りたいだけ」
「…………」
セセラはその言葉にしばらく何も言わなかったが、やがてフッと短く笑い、口を開く。
「……ま、俺も似たようなこと思ってた。ただな、先生。“龍でもリルであること”ってのは、結局、人間の視点だ。リルがそれを望まなくなることも、俺たちは想定しなきゃいけない」
「……!」
シエリの目が一瞬だけ細くなる。
だが、それはセセラに対する怒りではない。
どこまでも現実に忠実な言葉に、同意せざるを得なかったから。
だからこそ、シエリは力強く答える。
「──だから、その前に、“選ばせてあげる”。どちらでも、あの子が後悔しないように」
◇
──夕刻。西の空は茜色に染まり、機関の回廊を柔らかく照らしている。
廊下の一角、ガラス窓の外にある中庭をぼんやりと見つめながら、レイラがそこにいた。
「…………」
手には、整理された1枚の書類。
リルの検査結果──本人に開示された内容の写しだった。
専門用語ばかりの数値の羅列。
赤で囲まれた体温の低下、牙の増加、神経反応の変異。
レイラは読み解くことこそできなかったが、それが“人間離れ”という方向に傾いていることだけは、嫌でも察せた。
だが。
レイラの目が止まっていたのは、一番最後に添えられていた職員による簡単な記録コメント。
【本人の意思疎通能力は安定しており、自我の揺らぎも確認されず。今なお、紅崎リルという存在はここにある。】
その一文を、何度も、何度も読み返す。
“ここにある”。
それだけで、レイラの胸がじわっと熱くなった。
──その頃、休憩ラウンジ。
リルはひとりでいた。
検査も終わり、拘束も無い、自由時間のはずだったが、外に出る理由を見つけられずにいた。
“いつも通り”に戻ったはずなのに、誰かと話すには気まずさがあり、職員の視線もまだどこか含みがある。
「…………」
そのとき、ノックの音。
控えめに、だが迷いのない扉の開閉。
「──リル」
レイラだった。
気負いも無く、いつも通りの足取りで部屋に入ってきた。
肩に軽くかかった淡い水色の髪が、夕日に照らされて柔らかく光る。
「勝手に来ちゃって、ごめん。……でも、顔が見たくて」
「…………」
リルは一瞬だけ驚いたように目を瞬かせるが、すぐに視線を落とした。
「べつにオレだけの部屋じゃねえし……気にすんなよ」
レイラはそんなリルの隣に、そっと腰を下ろす。
話すべきことを、たくさん持ってきたような、でも全部飲み込んできたような──。
そんな、静かで温かい空気を纏っていた。
「…………」
──しばらくの沈黙のあと。
「……リルは、変わったよね。もっと強くなった。……でも、怖かったよ」
ぽつりと、レイラの声が落ちる。
「どこまで行っちゃうのかなって。……もし、もう戻ってこられなかったらって」
その横顔はどこか寂しげで、それでも微笑を浮かべていた。
「でも、帰ってきてくれた。……ありがとう」
「…………」
リルは何か言おうとした。
だけど、言葉が出てこなかった。
代わりに、少しだけゆっくりと頷く。
その仕草に安心したように、レイラはふわっと笑った。
「ねえ、リル。次に変わるときが来てもさ。また帰ってこられるって、信じてるから」
それは、願いでもあり、誓いでもあった。
レイラの言葉が落ち着くと、室内には静かな間が訪れる。
だけどそれは気まずさでも空白でもなく、ただそっと寄り添っているような、優しい沈黙。
リルはどこか気の抜けたような息をついて、ようやく体の力を少しだけ抜く。
その眼差しにはまだ影があったが、それでも、ほんの少し穏やかさが戻りつつあった。
「……オレさ」
その中でリルが小さく呟くと、レイラはそっと顔を向ける。
「このまま戻れなかったらって思ったとき……怖かった、けど……どこかで『それでもいい』って思ってた」
言葉に重さは無かった。
むしろ、それが自然だったかのような、さらっとした言い方だった。
「体も感覚も、全部変わっていって……言葉も出なくなって……でも、なんか……ラクだったんだ。あっちの方が」
「…………」
レイラは静かに目を伏せて、それを受け止めるように頷く。
「でもさ──」
微かに震えたリルの声。
それはリルにしては珍しく、感情が滲んだ声音。
「……お前らの声は、ちゃんと届いてた」
「……!」
レイラはリルの顔を見なかった。だが、拳が膝の上でぎゅっと握られている。
「呼ばれたとき、すげぇ嬉しかった。……『あ、オレまだ戻ってこれる』って思った」
「…………」
それに対しても、レイラはもう何も言わなかった。
しかしその横顔には、しっかりとした意志が宿っている。
そして静かに──リルの手に自らの手を添えた。
「……おい、なんだよ」
「…………」
それは、恋人でも家族でもない──でも確かに特別であるとわかる、レイラの温かな手。
「……じゃあ、これからも。何度でも呼ぶよ。リル」
「…………!」
その言葉に、リルは小さく笑った。
どこか子供のような、少しだけ照れくさい笑み。
「……うるせぇな。……頼むわ」
手を重ねたまま、しばらくふたりは何も話さなかった。
でも、それで充分だった。
この時間が、この呼吸が、互いを確かにここに存在させているというだけで──どこか、胸が満たされる。
レイラの睫毛が揺れる。
リルの呼吸が落ち着いていく。
今だけは、龍憑きでも、戦う者でも、異形でもない──“ただのふたり”だった。
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しかも時期は、日本陸軍史上最悪の汚点とされる「インパール作戦」決行の直前。
部下たちは「必勝の精神論」を叫び、無謀な突撃を今か今かと待っている。
(……ふざけるな。俺に、部下を餓死させろと言うのか?)
現代の知識と、冷徹な計算、そして海自仕込みのロジスティクス能力。
すべてを駆使して、坂上(中身)は歴史への介入を開始する。
精神論を振りかざすふりをして上層部を欺き、現地改修で兵器を強化し、密かに撤退路を整備する。
これは、「史上最も無能な指揮官」の皮を被った「現代の有能な指揮官」が、確定した敗北の運命をねじ伏せ、数万の命を救うために戦う、逆転の戦記ドラマ。
空色のサイエンスウィッチ
コーヒー微糖派
SF
『科学の魔女は、空色の髪をなびかせて宙を舞う』
高校を卒業後、亡くなった両親の後を継いで工場長となったニ十歳の女性――空鳥 隼《そらとり じゅん》
彼女は両親との思い出が詰まった工場を守るため、単身で経営を続けてはいたものの、その運営状況は火の車。残された借金さえも返せない。
それでも持ち前の知識で独自の商品開発を進め、なんとかこの状況からの脱出を図っていた。
そんなある日、隼は自身の開発物の影響で、スーパーパワーに目覚めてしまう。
その力は、隼にさらなる可能性を見出させ、その運命さえも大きく変えていく。
持ち前の科学知識を応用することで、世に魔法を再現することをも可能とした力。
その力をもってして、隼は日々空を駆け巡り、世のため人のためのヒーロー活動を始めることにした。
そしていつしか、彼女はこう呼ばれるようになる。
魔法の杖に腰かけて、大空を鳥のように舞う【空色の魔女】と。
※この作品の科学知識云々はフィクションです。参考にしないでください。
※ノベルアッププラス様での連載分を後追いで公開いたします。
※2022/10/25 完結まで投稿しました。
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