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コヨタ

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第18話 過酷?な訓練

第18話・3 人間との境界

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 深夜の冷えた研究記録室。

 室内はホログラムの光だけが揺れていた。
 シエリとセセラは、再生されたリルの生体データを前にして、言葉少なにその変化を見つめている。

 そのデータには、確かに“何か”が映っていた。
 心拍の復帰、細胞活性、そして──再構築。

 シエリの声が静かに響く。

「……あの仮死状態から、ここまで回復した例は今までなかった。回復というより、だ」

 そのまま投影を切り替えると次に映し出されたのは、龍因子の結合率の推移を示すグラフ。

 通常時、通常龍化時、そして──仮死からの復帰後。

「跳ね上がってんな……因子の適応率」

 セセラは眉をひそめる。
 その増加は、単なる一過性ではなかった。リルの体は、明らかに龍因子に馴染み始めている。

「つまり、今回準完全龍化に成功したのは、コレの影響が大きいと?」

 その問いに、シエリは頷いた。

「ああ。おそらく、彼の体は龍としての状態を、以前よりも受け入れ始めている」

 セセラはため息混じりに椅子に背を預ける。

「でもそれって、『良かった』とは言い切れねえよな」

「……そう。リルが適応しているということは、同時に……人間から離れつつあるということでもある」

「…………」

 室内が重い沈黙に包まれた。
 その言葉が、真に意味するものをふたりとも理解していた。

 やがて、セセラが言葉を選びながら口を開く。

「……準完全龍化の戦闘能力は、確かに目覚ましい。あれを制御できれば、戦力は段違いだ。機関ウチの防衛システム、いや、国家の軍備すら変えちまう可能性だってある」

「でも、それ以上の龍化が進行すれば……それはもう、“紅崎リル”ではなくなる」

 続けられたシエリの言葉に、セセラはゆっくりと頷いた。

「そうだな。龍化──つまり、全てが龍になるその一歩手前が、今のあいつだろ」

 その先にあるのは、制御できない力か、完全な異形か。

 あるいは──か。

「……セセラ、抑制の研究は急がないといけない。でも……本人には、まだ知らせないであげて」

 シエリの声は、どこか優しかった。
 そして、強かった。

「あの子はあの日、守るために、生きるためにあの力を使った。その選択がいつか彼を壊すものにならないように。私たちの仕事は、そこにある」


 ◇


 翌日──白く無機質な診察室。

 機器の音だけが静かに響く中、午前のうちに一通りの検査を終えたリルは、上半身を脱いだ状態で診察台に座っていた。

 細身の体にいくつかのケーブルが繋がれ、モニターには脳波・心拍・体温、あらゆるデータが刻々と更新されていく。

 担当医が呟いた。

「基礎体温、前回よりまた0.3度低下。……34.9度。もうすぐ平均どころか、の範囲を下回るな」

「歯列に変化も。右側の犬歯が以前より3ミリ延長、左下の臼歯は一部、裂肉歯に近い形状に」

 リルはそれを聞いても、どこか感情の動かない表情。
 ただ、ほんの一瞬だけ肩が動いたように見えたのは、息を吐いたせいかもしれない。

「まあ……そんな気はしてた」

「……大丈夫ですよ、急激ではありません」

 医師の手が記録端末を動かす音が、やけに大きく感じられた。

「今日の検査は以上となります。次はカウンセリングですね」

「……ども」

 着替えを終えたリルは退室し、隣のカウンセリング室へ移動する。

 陽の入る室内は木製のテーブルに、紙とペンが置かれている。
 リルは椅子に深く座った。その向かいに座るのは、セセラ。

「じゃ、始めるか。……思い出すの、嫌ならやめてもいいからな」

 リルは僅かに頷くと、腕を組む。

「……大丈夫。なんとなくだけど覚えてる。……少しだけな」

「それでもいい」

 セセラは手元の記録表を開き、質問を始めた。

「まず、あのとき。高揚感はあったか?」

「……高揚感……?」

 あのときとは、リルが初めて準完全龍化を得て暴走をした、あの日。
 リルは少し言葉を探してから答える。

「……あった、かも。興奮ってより、張り詰めてたって感じだった。ヤバいくらい視界がクリアで……全部の音が近くて遠かった。動く理由を探すより先に、体が勝手に動いてた」

「…………」

 セセラはその言葉に静かに頷き、次の問いを投げた。

「じゃあ、なんでうまく話せなかったんだと思う?」

「…………」

 リルは視線を落としながら──。

「……言葉って、考えてから出すもんだろ。でも、あの状態のオレは、考えるより先に全部が反応してた。口を動かしても……声の出し方がうまく思い出せなかった」

「つか、そもそも“話す理由”が思い浮かばなかった……かも」

「…………」

 その答えに、メモを走らせる手を一瞬止めるセセラ。

(……話す理由が思い浮かばない、か)

 ──言葉の必要性を感じなくなった、という異常。

 これは、の境界を測る大きな手がかりだった。

「痛みはどうだった?」

「……あった。ちゃんとあったよ。でも、痛いって思うより、『ああ、こういうもんか』って納得してる感じだった」

「なんか……体の変化も含めて、“これは当たり前”って思ってる自分がいた」

 セセラの目が、鋭く細くなる。

 しかしすぐに少し柔らかく、ふっと口元を緩めて──。

「……ちなみによ、前回の準完全龍化時──戻る訓練をしていた時にさ、周りの職員たちに『可愛い可愛い』って言われてたの……気づいてた?」

「…………っ……」

 リルは絶句したあと、わかりやすく眉間に皺を寄せて椅子に沈んだ。

「……気づくに決まってんだろ。なんかニコニコしてる奴らいたし……可愛いって言われてたのめっちゃ耳に残ってる。……殺意しか湧かなかったぜ」

 素直な答えにセセラは吹き出しそうになるのを必死に堪えながら、そっと言葉を継ぐ。

「……でも、それだけ恐怖を与えなかったってことでもある。自我が保ててた証拠だ」

「……!」

 リルは不意に、じっとセセラを見た。
 その目には、僅かだが安心の色が滲んでいた。


 ◇


 カウンセリング終了後、研究統括室。

 一面のモニターに、先程のリルの検診・カウンセリングの記録が纏められていた。
 龍因子適応の進行状況、身体的な変異、精神的影響、そして──本人の反応。

 シエリは背筋を正し、淡々と読み上げる。

「──現在、リルの龍因子適応率は計測史上最も高い。準完全龍化への移行が段階的かつ制御可能であったこと、更に高い戦闘能力を維持したまま自我を保った点から、戦力としての可能性は非常に高いと判断できる」

 その隣でセセラは腕を組み、資料ではなく天井の一点を睨みつけていた。

「でも、あいつ自身の感覚も聞いたろ。言葉が出ない、思考が遅れる、動く理由が要らなかった……どれも、“人間”としての機能が薄れてた証拠だ」

 シエリは静かに頷く。

「ああ。だからこそ、今が限界ライン」

 そしてシエリの手が空中をなぞると、ホログラムにふたつの線が引かれた。
 ひとつは適応率、もうひとつは龍化の段階。
 それが交差した点──その点が、リルが準完全龍化を遂げた瞬間だった。

「これ以上、因子が進行すれば──」

 言葉の続きを、セセラが引き継ぐ。

。人の言葉を失い、人の姿を捨て、人としてのリルはもう戻ってこなくなる」

 重苦しい沈黙が室内に流れる。
 だが、その中でもシエリは目を伏せなかった。

「私は、“戦力”としてのリルにこれ以上の期待をしているわけではない。あの子自身が、生きていて良かったと思えるように。龍になることがあの子の未来ではなく、“龍でもリルであること”を守りたいだけ」

「…………」

 セセラはその言葉にしばらく何も言わなかったが、やがてフッと短く笑い、口を開く。

「……ま、俺も似たようなこと思ってた。ただな、先生。“龍でもリルであること”ってのは、結局、人間の視点だ。リルがそれを望まなくなることも、俺たちは想定しなきゃいけない」

「……!」

 シエリの目が一瞬だけ細くなる。
 だが、それはセセラに対する怒りではない。
 どこまでもに忠実な言葉に、同意せざるを得なかったから。

 だからこそ、シエリは力強く答える。

「──だから、その前に、“選ばせてあげる”。どちらでも、あの子が後悔しないように」


 ◇


 ──夕刻。西の空は茜色に染まり、機関の回廊を柔らかく照らしている。

 廊下の一角、ガラス窓の外にある中庭をぼんやりと見つめながら、レイラがそこにいた。

「…………」

 手には、整理された1枚の書類。
 リルの検査結果──本人に開示された内容の写しだった。

 専門用語ばかりの数値の羅列。
 赤で囲まれた体温の低下、牙の増加、神経反応の変異。

 レイラは読み解くことこそできなかったが、それが“人間離れ”という方向に傾いていることだけは、嫌でも察せた。

 だが。

 レイラの目が止まっていたのは、一番最後に添えられていた職員による簡単な記録コメント。

【本人の意思疎通能力は安定しており、自我の揺らぎも確認されず。今なお、紅崎リルという存在はここにある。】

 その一文を、何度も、何度も読み返す。

 “ここにある”。

 それだけで、レイラの胸がじわっと熱くなった。

 ──その頃、休憩ラウンジ。

 リルはひとりでいた。

 検査も終わり、拘束も無い、自由時間のはずだったが、外に出る理由を見つけられずにいた。

 “いつも通り”に戻ったはずなのに、誰かと話すには気まずさがあり、職員の視線もまだどこか含みがある。

「…………」

 そのとき、ノックの音。
 控えめに、だが迷いのない扉の開閉。

「──リル」

 レイラだった。

 気負いも無く、いつも通りの足取りで部屋に入ってきた。
 肩に軽くかかった淡い水色の髪が、夕日に照らされて柔らかく光る。

「勝手に来ちゃって、ごめん。……でも、顔が見たくて」

「…………」

 リルは一瞬だけ驚いたように目を瞬かせるが、すぐに視線を落とした。

「べつにオレだけの部屋じゃねえし……気にすんなよ」

 レイラはそんなリルの隣に、そっと腰を下ろす。

 話すべきことを、たくさん持ってきたような、でも全部飲み込んできたような──。

 そんな、静かで温かい空気を纏っていた。

「…………」

 ──しばらくの沈黙のあと。

「……リルは、変わったよね。もっと強くなった。……でも、怖かったよ」

 ぽつりと、レイラの声が落ちる。

「どこまで行っちゃうのかなって。……もし、もう戻ってこられなかったらって」

 その横顔はどこか寂しげで、それでも微笑を浮かべていた。

「でも、帰ってきてくれた。……ありがとう」

「…………」

 リルは何か言おうとした。

 だけど、言葉が出てこなかった。

 代わりに、少しだけゆっくりと頷く。
 その仕草に安心したように、レイラはふわっと笑った。

「ねえ、リル。次にときが来てもさ。また帰ってこられるって、信じてるから」

 それは、願いでもあり、誓いでもあった。

 レイラの言葉が落ち着くと、室内には静かなが訪れる。

 だけどそれは気まずさでも空白でもなく、ただそっと寄り添っているような、優しい沈黙。

 リルはどこか気の抜けたような息をついて、ようやく体の力を少しだけ抜く。
 その眼差しにはまだ影があったが、それでも、ほんの少し穏やかさが戻りつつあった。

「……オレさ」

 その中でリルが小さく呟くと、レイラはそっと顔を向ける。

「このまま戻れなかったらって思ったとき……怖かった、けど……どこかで『それでもいい』って思ってた」

 言葉に重さは無かった。
 むしろ、それが自然だったかのような、さらっとした言い方だった。

「体も感覚も、全部変わっていって……言葉も出なくなって……でも、なんか……ラクだったんだ。あっちの方が」

「…………」

 レイラは静かに目を伏せて、それを受け止めるように頷く。

「でもさ──」

 微かに震えたリルの声。
 それはリルにしては珍しく、感情が滲んだ声音。

「……お前らの声は、ちゃんと届いてた」

「……!」

 レイラはリルの顔を見なかった。だが、拳が膝の上でぎゅっと握られている。

「呼ばれたとき、すげぇ嬉しかった。……『あ、オレまだ戻ってこれる』って思った」

「…………」

 それに対しても、レイラはもう何も言わなかった。
 しかしその横顔には、しっかりとした意志が宿っている。

 そして静かに──リルの手に自らの手を添えた。

「……おい、なんだよ」

「…………」

 それは、恋人でも家族でもない──でも確かにであるとわかる、レイラの温かな手。

「……じゃあ、これからも。何度でも呼ぶよ。リル」

「…………!」

 その言葉に、リルは小さく笑った。
 どこか子供のような、少しだけ照れくさい笑み。

「……うるせぇな。……頼むわ」

 手を重ねたまま、しばらくふたりは何も話さなかった。

 でも、それで充分だった。

 この時間が、この呼吸が、互いを確かにここに存在させているというだけで──どこか、胸が満たされる。

 レイラの睫毛が揺れる。
 リルの呼吸が落ち着いていく。

 今だけは、龍憑きでも、戦う者でも、異形でもない──“ただのふたり”だった。




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