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第18話 過酷?な訓練
第18話・4 どちらを選ぶか
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休憩ラウンジにて時間を共有するリルとレイラ。
やがて、ノックの音が室内に優しく響いた。
「──邪魔するぞ」
聞き慣れた声。扉の向こうから顔を覗かせたのは、セセラ。
いつもより表情は柔らかいが、どこか“用件”を持った空気も滲んでいた。
「あ、薊野さん……お疲れさま」
レイラが小さく姿勢を正すと、リルも同じように背を伸ばした。
セセラはそんなふたりを見て、「あー、悪い。いい雰囲気だったあ?」と冗談めかして言いながらも、すぐに表情を少しだけ引き締める。
「……ちょっと話したいことがあってな。リル、お前の今後の“過ごし方”について、少し提案がある」
レイラが驚いたようにリルを見る。
リルも視線を向けたまま、黙って頷いた。
セセラは壁にもたれながら、ゆっくりと言葉を続ける。
「今の状態、お前自身が一番よくわかってるだろ。制御できるようにはなってきた。けど、完全に安心とは言えねえ」
「逆に言えば、不安定な強さをお前は持ってるってことだ」
リルの喉が小さく鳴る。
それは否定でも肯定でもなく、ただ重く、現実を飲み込むような音だった。
「で、だ。機関は次を見据えてる。もっと安全に、もっと的確にあの力を使えるようにするための、訓練……ていうか、調整のプログラムだ」
その言葉に、レイラは思わず口を開きかけたが、セセラは手のひらを軽く掲げて制する。
「まだ強制はしねえ。ただ……お前が望むなら、“人間として戻る時間”を優先する選択肢もある。どちらを選ぶか、考えてほしい」
今はまだ、選ばせる。
それは、機関にしては随分と温情のある提案だった。
「…………」
リルはしばらく考え込むようにして、レイラの方を一瞬だけ見る。
そして何も言わず、ただ少し唇を噛んでから、ゆっくりと視線をセセラに戻した。
「……考えさせてくれ。ちゃんと」
「……ああ、そうしろ。選ぶってのは、悪いことじゃねえからな」
セセラがそう告げて部屋を出ていったあとも、扉が閉まった音がやけに長く残っていた気がした。
「…………」
再び、ふたりきりの静寂。
だが、先程までの温かいものとは違う。
その空気は、僅かに張り詰めていて、まるでどちらかが口を開くまで時間が止まっているかのよう。
リルは膝に手を置いたまま、目を伏せて何かを噛み締めていた。
レイラもまた、その横顔をじっと見つめていた。
──選ばせる。
セセラは確かにそう言った。
そして、それは猶予であると同時に、責任を渡されたということでもあった。
レイラは少しだけ躊躇いながらも、口を開く。
「……リル……どうしたいの?」
すごくシンプルな問いだった。
だが、今のリルには一番難しい問いでもあった。
「どう……、したいか」
その言葉をそのまま繰り返すように呟きながら、リルは眉間に皺を寄せて天井を見上げる。
「前なら、絶対に『やりたくねえ』って言ってた。訓練自体な」
「……うん」
「でも……今は、ちゃんと制御できるってわかって……そう思ってる自分が、なんか変に思えて……」
「…………」
レイラは、返す言葉をすぐに見つけられなかった。
リルが言っている『変』という感覚。
それは、かつて生きることに執着の無かったリルが、“生きたいと思ってしまっている”ときに抱いたものと、きっとどこかで似ていた。
「リル」
呼びかけると、リルは少し目を細めてレイラを見る。
「……私は、どっちでもいいと思う。──じゃなくて、どっちを選んでもいいって意味で」
レイラの声は、いつもよりほんの少しだけ震えていた。
「リルが、人間としての時間を選んでも、訓練に進んでも、どっちだって……私、勝手に信じてるから」
「…………」
その“勝手に”という言葉が、リルの胸に妙に響く。
確かにレイラは、誰にも強制はしてこない。
だが、間違いなく願っている。
──帰ってきてほしいと。
──人間であってほしいと。
でも、それでもレイラは、それを押し付けないという覚悟を持っていた。
リルは目を伏せ、口元を僅かに歪める。
「……マジ、ズルいな。お前……そういうとこ」
「ふふっ、よく言われる」
レイラは照れたように笑って、しかし言葉の裏にあったホッとした気持ちを隠しきれない。
その後も、ふたりはしばらく並んで黙っていた。
この沈黙はもう、先程のような重さではなく、どこか考えるための静けさだ。
リルはひとつだけ、心の中で確かに感じていた。
(……答えは、もうちょっと先でもいいか)
今はまだ、選ぶ途中。
でも、傍に誰かがいてくれることが、こんなにも楽になるなんて──。
リルは、昔の自分ではきっと想像もしていなかっただろう。
◇
──その日の夜。
訓練棟裏手に設けられた屋外トレーニングスペースは、今は人影も無くただ月光と幾つものガーデンライトの光に染まるだけだった。
使い込まれた木製のベンチ。
その上に、リルは座っている。
目を閉じ、風に髪を揺らしながら、言葉を探すように息を吐いていた。
「…………」
足元に転がる小石を爪先でいじりながら、リルはふと、ある気配に気づく。
「……お前、足音消すの得意だな」
リルが顔を上げると、そこにはアシュラ。
光を背に、その凛とした立ち姿はいつも通りだ。
「得意なわけじゃない。お前が無警戒すぎるだけ」
そう言いながらも、声にはどこか柔らかさがある。
アシュラはリルの隣に腰を下ろし、しばらく何も言わなかった。
その無言の時間が、むしろ心地よく感じるのが、ふたりだった。
「……見た? オレのあの姿」
リルがぽつりと口を開く。
「見た」
アシュラの返答は簡潔で、重い。
「どうだったよ。やれって言われてやったら戻れなくなって……笑えただろ」
自嘲気味に吐き出した言葉に、アシュラはすぐには答えなかった。
ただ、「ふう……」とひとつ呼吸を整える。
「……正直、怖かった」
その言葉に、リルの表情が一瞬だけ固まった。
「でも同時に、ホッとした」
「……え?」
アシュラはまっすぐ前を見据えたまま、少しずつ言葉を紡ぐ。
「お前が、ちゃんとそこにいたから」
「…………」
リルは横目でアシュラを見る。
アシュラの表情は、いつものように静かで、そしてどこか寂しげだった。
「俺はずっと、気づいてた。……お前の体が、日に日に変わっていくこと。気配も、体温も、声の響きも……全部少しずつ違っていってた」
「…………ッ」
視線を逸らすリル。
その言葉は、どこか胸の奥に刺さるものがあった。
「だけど、お前は何も言わなかったよな。言ってもどうしようもないことだって、思ってたんだろ」
「……そう、だな」
リルの声は掠れている。
「どうせそのうち、完全に龍になるって。……そんな風に考えてた」
言いながら、拳を握った。
「でも……戻ってきた。あのときレイラに、そんで訓練の時もラショウに呼ばれて……オレに戻りたくなったんだ。……なっさけねえよな」
アシュラはそこで、ようやくリルの方を振り向く。
「情けなくなんかねえよ。それは、お前の強さだろ」
その言葉に、リルは目を見開いた。
「お前は、“変わっていく自分”に気づいて、戻りたいと思えるくらいに、自分を持ち続けたんだ」
アシュラの声には、迷いが無かった。
それは、誰よりも自分を追い込み、誰よりも努力してきた者が持つ、確かな言葉。
「どこまで龍に近づいても、俺はお前を忘れない。だから……お前も忘れるな。お前がどんな姿になっても、俺の親友だから」
「…………!」
──沈黙。
リルはそれを聞いて、唇を噛みながら、ぐっと俯いた。
「……ありがと」
やっと絞り出せたその一言に、アシュラは小さく笑う。
「ふふっ、礼なんていらねーよ」
そう言って立ち上がり、月夜の中に一歩を踏み出した。
「……ただ、次あの姿になったら、もう少しキュートさを抑えてくれ。俺の目のやり場と、周りへの反応に困る」
「うるせぇよ……!」
思わず吹き出したリルの声に、アシュラは肩をすくめて歩き去っていく。
「じゃあな! リル、また来るから」
その親友の背中を見ながら、リルはようやく心のどこかが解けていくのを感じていた。
◇
そして深夜。静かな寮の一室。
カーテンの隙間から月明かりが漏れ、リルの自室を淡く照らしていた。
その中で、リルはベッドの上に座っている。
部屋の空気は静かで、ひとりの空間では何も話しかけてはこない。
だが、胸の内は騒がしかった。
レイラの言葉。
アシュラの眼差し。
セセラの提案。
シエリの温かさ。
ラショウの笑顔。
全てが胸の奥で、繰り返し何度も響いている。
「──選べるってのは、ラクじゃねえな……」
ひとり呟く声は、自嘲のようでいて、どこか優しい。
これまで、選ぶ自由なんて無かった。
命を握られ、龍に喰われ、未来を諦めることだけが解放だった。
だが今。
自分は、進むかどうかを、自分で決められる立場にいる。
(……だったら、選ばなきゃ、ダセェよな)
リルはそう思った。
怖くないわけがなかった。
次は、戻れなくなるかもしれない。
龍の声に、心を掻き乱されるかもしれない。
自分で自分を、壊してしまうかもしれない。
でも、それでも──。
レイラの声が、ラショウの声が、確かに自分を呼び戻してくれた。
アシュラの言葉が、自分を存在にしてくれた。
だったら、その存在のままで、もう一度、歩いてみてもいいと思った。
◇
──翌朝。
訓練棟の観測室では、セセラがタブレット端末を片手に機材チェックをしていた。
「…………」
気配を感じて何気なく振り返った先に、黒いフードのパーカーを着たリルの姿。
「……おはよ」
リルの声は静かで、けれどしっかりとしていた。
セセラは、一拍遅れて口元を緩める。
「……ああ、おはよう。……来たか」
その声に、どこか誇らしさすら滲んでいた。
ふたり並んで移動し、行き着いたのは訓練施設第4セクション。
まだ朝も早いというのに、整備員や研究班の職員たちがざわついていた。
準完全龍化の制御に特化した新エリア──“強化訓練ブース”が、今朝、静かに稼働を始める。
パーカーを脱いだリルは、その中心に立っていた。
静かに腕を回し、深く息を吸う。
シャツの下に包まれた体のあちこちが、未だ重たさを残していた。
昨日までより、やや深く、呼吸が入らない。
──進行の影。
自覚している。だが、それを振り払うように、リルは瞳を閉じる。
セセラがブースの外、モニター席で無線を飛ばした。
『いいか。今回の訓練は“発動”じゃねえ。戻る方法を体に叩き込む、いわば“逆龍化”の試験だ』
『自分の意思で龍化を留め、引き戻す感覚を掴む──それができれば、強さを選べるようになる』
モニター越しに映るリルが、黙って頷く。
その顔には、どこか昨日までよりも大人びた色があった。
セセラはふっと息を吐き、再び無線に声を通す。
『……よし。なら、始めるぞ』
床下の装置が静かに動き出し、ブースの周囲には慎重に設計された高濃度の龍因子が含まれた霧が、うっすらと満ち始める。
「……ッ」
その気配に、リルの体は即座に反応した。
胸が熱を持ち、腕に鈍い痛みが走る。
しかし、リルは一歩も退かずに言葉を吐いた。
「大丈夫……自分で、ちゃんと引き返せる」
手の甲から黒い鱗が浮かび上がる。
肩に、背中に、鋭くも滑らかな異形が芽生えようとする。
「……ふう……」
それでも落ち着いて、呼吸をひとつ。
目を閉じて、意識を内側に向ける。
戻れ。今はまだ、オレはお前じゃない。
──そう念じるように、自分の中の“異物”を制する。
「…………っ……!」
霧が一瞬濃くなったように見えたが、次の瞬間。
それはまるで吸い込まれるように、リルの皮膚の奥へと沈んでいった。
──ピタリ、と変化が止まる。
手の甲の鱗が消え、鋭利に変化しかけた爪が戻っていく。
「…………!」
リルは何も言わずに拳を握って、ゆっくり開いた。
その手の中に、まだ震えは残っている。
だが──やれていた。
「……はあ…………」
『……やったな』
セセラの声が、少しだけ震えているように聞こえた。それは誇らしさと安堵が入り混じったような声。
「……はっ、……どうよ……たいしたもんだろ」
リルは静かにひとつ、笑った。
ほんの少し目元が緩んでいる。
間違いなく、リルとしての笑顔だった。
やがて、ノックの音が室内に優しく響いた。
「──邪魔するぞ」
聞き慣れた声。扉の向こうから顔を覗かせたのは、セセラ。
いつもより表情は柔らかいが、どこか“用件”を持った空気も滲んでいた。
「あ、薊野さん……お疲れさま」
レイラが小さく姿勢を正すと、リルも同じように背を伸ばした。
セセラはそんなふたりを見て、「あー、悪い。いい雰囲気だったあ?」と冗談めかして言いながらも、すぐに表情を少しだけ引き締める。
「……ちょっと話したいことがあってな。リル、お前の今後の“過ごし方”について、少し提案がある」
レイラが驚いたようにリルを見る。
リルも視線を向けたまま、黙って頷いた。
セセラは壁にもたれながら、ゆっくりと言葉を続ける。
「今の状態、お前自身が一番よくわかってるだろ。制御できるようにはなってきた。けど、完全に安心とは言えねえ」
「逆に言えば、不安定な強さをお前は持ってるってことだ」
リルの喉が小さく鳴る。
それは否定でも肯定でもなく、ただ重く、現実を飲み込むような音だった。
「で、だ。機関は次を見据えてる。もっと安全に、もっと的確にあの力を使えるようにするための、訓練……ていうか、調整のプログラムだ」
その言葉に、レイラは思わず口を開きかけたが、セセラは手のひらを軽く掲げて制する。
「まだ強制はしねえ。ただ……お前が望むなら、“人間として戻る時間”を優先する選択肢もある。どちらを選ぶか、考えてほしい」
今はまだ、選ばせる。
それは、機関にしては随分と温情のある提案だった。
「…………」
リルはしばらく考え込むようにして、レイラの方を一瞬だけ見る。
そして何も言わず、ただ少し唇を噛んでから、ゆっくりと視線をセセラに戻した。
「……考えさせてくれ。ちゃんと」
「……ああ、そうしろ。選ぶってのは、悪いことじゃねえからな」
セセラがそう告げて部屋を出ていったあとも、扉が閉まった音がやけに長く残っていた気がした。
「…………」
再び、ふたりきりの静寂。
だが、先程までの温かいものとは違う。
その空気は、僅かに張り詰めていて、まるでどちらかが口を開くまで時間が止まっているかのよう。
リルは膝に手を置いたまま、目を伏せて何かを噛み締めていた。
レイラもまた、その横顔をじっと見つめていた。
──選ばせる。
セセラは確かにそう言った。
そして、それは猶予であると同時に、責任を渡されたということでもあった。
レイラは少しだけ躊躇いながらも、口を開く。
「……リル……どうしたいの?」
すごくシンプルな問いだった。
だが、今のリルには一番難しい問いでもあった。
「どう……、したいか」
その言葉をそのまま繰り返すように呟きながら、リルは眉間に皺を寄せて天井を見上げる。
「前なら、絶対に『やりたくねえ』って言ってた。訓練自体な」
「……うん」
「でも……今は、ちゃんと制御できるってわかって……そう思ってる自分が、なんか変に思えて……」
「…………」
レイラは、返す言葉をすぐに見つけられなかった。
リルが言っている『変』という感覚。
それは、かつて生きることに執着の無かったリルが、“生きたいと思ってしまっている”ときに抱いたものと、きっとどこかで似ていた。
「リル」
呼びかけると、リルは少し目を細めてレイラを見る。
「……私は、どっちでもいいと思う。──じゃなくて、どっちを選んでもいいって意味で」
レイラの声は、いつもよりほんの少しだけ震えていた。
「リルが、人間としての時間を選んでも、訓練に進んでも、どっちだって……私、勝手に信じてるから」
「…………」
その“勝手に”という言葉が、リルの胸に妙に響く。
確かにレイラは、誰にも強制はしてこない。
だが、間違いなく願っている。
──帰ってきてほしいと。
──人間であってほしいと。
でも、それでもレイラは、それを押し付けないという覚悟を持っていた。
リルは目を伏せ、口元を僅かに歪める。
「……マジ、ズルいな。お前……そういうとこ」
「ふふっ、よく言われる」
レイラは照れたように笑って、しかし言葉の裏にあったホッとした気持ちを隠しきれない。
その後も、ふたりはしばらく並んで黙っていた。
この沈黙はもう、先程のような重さではなく、どこか考えるための静けさだ。
リルはひとつだけ、心の中で確かに感じていた。
(……答えは、もうちょっと先でもいいか)
今はまだ、選ぶ途中。
でも、傍に誰かがいてくれることが、こんなにも楽になるなんて──。
リルは、昔の自分ではきっと想像もしていなかっただろう。
◇
──その日の夜。
訓練棟裏手に設けられた屋外トレーニングスペースは、今は人影も無くただ月光と幾つものガーデンライトの光に染まるだけだった。
使い込まれた木製のベンチ。
その上に、リルは座っている。
目を閉じ、風に髪を揺らしながら、言葉を探すように息を吐いていた。
「…………」
足元に転がる小石を爪先でいじりながら、リルはふと、ある気配に気づく。
「……お前、足音消すの得意だな」
リルが顔を上げると、そこにはアシュラ。
光を背に、その凛とした立ち姿はいつも通りだ。
「得意なわけじゃない。お前が無警戒すぎるだけ」
そう言いながらも、声にはどこか柔らかさがある。
アシュラはリルの隣に腰を下ろし、しばらく何も言わなかった。
その無言の時間が、むしろ心地よく感じるのが、ふたりだった。
「……見た? オレのあの姿」
リルがぽつりと口を開く。
「見た」
アシュラの返答は簡潔で、重い。
「どうだったよ。やれって言われてやったら戻れなくなって……笑えただろ」
自嘲気味に吐き出した言葉に、アシュラはすぐには答えなかった。
ただ、「ふう……」とひとつ呼吸を整える。
「……正直、怖かった」
その言葉に、リルの表情が一瞬だけ固まった。
「でも同時に、ホッとした」
「……え?」
アシュラはまっすぐ前を見据えたまま、少しずつ言葉を紡ぐ。
「お前が、ちゃんとそこにいたから」
「…………」
リルは横目でアシュラを見る。
アシュラの表情は、いつものように静かで、そしてどこか寂しげだった。
「俺はずっと、気づいてた。……お前の体が、日に日に変わっていくこと。気配も、体温も、声の響きも……全部少しずつ違っていってた」
「…………ッ」
視線を逸らすリル。
その言葉は、どこか胸の奥に刺さるものがあった。
「だけど、お前は何も言わなかったよな。言ってもどうしようもないことだって、思ってたんだろ」
「……そう、だな」
リルの声は掠れている。
「どうせそのうち、完全に龍になるって。……そんな風に考えてた」
言いながら、拳を握った。
「でも……戻ってきた。あのときレイラに、そんで訓練の時もラショウに呼ばれて……オレに戻りたくなったんだ。……なっさけねえよな」
アシュラはそこで、ようやくリルの方を振り向く。
「情けなくなんかねえよ。それは、お前の強さだろ」
その言葉に、リルは目を見開いた。
「お前は、“変わっていく自分”に気づいて、戻りたいと思えるくらいに、自分を持ち続けたんだ」
アシュラの声には、迷いが無かった。
それは、誰よりも自分を追い込み、誰よりも努力してきた者が持つ、確かな言葉。
「どこまで龍に近づいても、俺はお前を忘れない。だから……お前も忘れるな。お前がどんな姿になっても、俺の親友だから」
「…………!」
──沈黙。
リルはそれを聞いて、唇を噛みながら、ぐっと俯いた。
「……ありがと」
やっと絞り出せたその一言に、アシュラは小さく笑う。
「ふふっ、礼なんていらねーよ」
そう言って立ち上がり、月夜の中に一歩を踏み出した。
「……ただ、次あの姿になったら、もう少しキュートさを抑えてくれ。俺の目のやり場と、周りへの反応に困る」
「うるせぇよ……!」
思わず吹き出したリルの声に、アシュラは肩をすくめて歩き去っていく。
「じゃあな! リル、また来るから」
その親友の背中を見ながら、リルはようやく心のどこかが解けていくのを感じていた。
◇
そして深夜。静かな寮の一室。
カーテンの隙間から月明かりが漏れ、リルの自室を淡く照らしていた。
その中で、リルはベッドの上に座っている。
部屋の空気は静かで、ひとりの空間では何も話しかけてはこない。
だが、胸の内は騒がしかった。
レイラの言葉。
アシュラの眼差し。
セセラの提案。
シエリの温かさ。
ラショウの笑顔。
全てが胸の奥で、繰り返し何度も響いている。
「──選べるってのは、ラクじゃねえな……」
ひとり呟く声は、自嘲のようでいて、どこか優しい。
これまで、選ぶ自由なんて無かった。
命を握られ、龍に喰われ、未来を諦めることだけが解放だった。
だが今。
自分は、進むかどうかを、自分で決められる立場にいる。
(……だったら、選ばなきゃ、ダセェよな)
リルはそう思った。
怖くないわけがなかった。
次は、戻れなくなるかもしれない。
龍の声に、心を掻き乱されるかもしれない。
自分で自分を、壊してしまうかもしれない。
でも、それでも──。
レイラの声が、ラショウの声が、確かに自分を呼び戻してくれた。
アシュラの言葉が、自分を存在にしてくれた。
だったら、その存在のままで、もう一度、歩いてみてもいいと思った。
◇
──翌朝。
訓練棟の観測室では、セセラがタブレット端末を片手に機材チェックをしていた。
「…………」
気配を感じて何気なく振り返った先に、黒いフードのパーカーを着たリルの姿。
「……おはよ」
リルの声は静かで、けれどしっかりとしていた。
セセラは、一拍遅れて口元を緩める。
「……ああ、おはよう。……来たか」
その声に、どこか誇らしさすら滲んでいた。
ふたり並んで移動し、行き着いたのは訓練施設第4セクション。
まだ朝も早いというのに、整備員や研究班の職員たちがざわついていた。
準完全龍化の制御に特化した新エリア──“強化訓練ブース”が、今朝、静かに稼働を始める。
パーカーを脱いだリルは、その中心に立っていた。
静かに腕を回し、深く息を吸う。
シャツの下に包まれた体のあちこちが、未だ重たさを残していた。
昨日までより、やや深く、呼吸が入らない。
──進行の影。
自覚している。だが、それを振り払うように、リルは瞳を閉じる。
セセラがブースの外、モニター席で無線を飛ばした。
『いいか。今回の訓練は“発動”じゃねえ。戻る方法を体に叩き込む、いわば“逆龍化”の試験だ』
『自分の意思で龍化を留め、引き戻す感覚を掴む──それができれば、強さを選べるようになる』
モニター越しに映るリルが、黙って頷く。
その顔には、どこか昨日までよりも大人びた色があった。
セセラはふっと息を吐き、再び無線に声を通す。
『……よし。なら、始めるぞ』
床下の装置が静かに動き出し、ブースの周囲には慎重に設計された高濃度の龍因子が含まれた霧が、うっすらと満ち始める。
「……ッ」
その気配に、リルの体は即座に反応した。
胸が熱を持ち、腕に鈍い痛みが走る。
しかし、リルは一歩も退かずに言葉を吐いた。
「大丈夫……自分で、ちゃんと引き返せる」
手の甲から黒い鱗が浮かび上がる。
肩に、背中に、鋭くも滑らかな異形が芽生えようとする。
「……ふう……」
それでも落ち着いて、呼吸をひとつ。
目を閉じて、意識を内側に向ける。
戻れ。今はまだ、オレはお前じゃない。
──そう念じるように、自分の中の“異物”を制する。
「…………っ……!」
霧が一瞬濃くなったように見えたが、次の瞬間。
それはまるで吸い込まれるように、リルの皮膚の奥へと沈んでいった。
──ピタリ、と変化が止まる。
手の甲の鱗が消え、鋭利に変化しかけた爪が戻っていく。
「…………!」
リルは何も言わずに拳を握って、ゆっくり開いた。
その手の中に、まだ震えは残っている。
だが──やれていた。
「……はあ…………」
『……やったな』
セセラの声が、少しだけ震えているように聞こえた。それは誇らしさと安堵が入り混じったような声。
「……はっ、……どうよ……たいしたもんだろ」
リルは静かにひとつ、笑った。
ほんの少し目元が緩んでいる。
間違いなく、リルとしての笑顔だった。
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目が覚めると、そこは湿気と熱気に満ちた1944年のビルマだった。
鏡に映っていたのは、小太りで口髭の男――歴史の教科書で見た、あの「牟田口廉也」。
しかも時期は、日本陸軍史上最悪の汚点とされる「インパール作戦」決行の直前。
部下たちは「必勝の精神論」を叫び、無謀な突撃を今か今かと待っている。
(……ふざけるな。俺に、部下を餓死させろと言うのか?)
現代の知識と、冷徹な計算、そして海自仕込みのロジスティクス能力。
すべてを駆使して、坂上(中身)は歴史への介入を開始する。
精神論を振りかざすふりをして上層部を欺き、現地改修で兵器を強化し、密かに撤退路を整備する。
これは、「史上最も無能な指揮官」の皮を被った「現代の有能な指揮官」が、確定した敗北の運命をねじ伏せ、数万の命を救うために戦う、逆転の戦記ドラマ。
花鳥見聞録
木野もくば
ファンタジー
花の妖精のルイは、メジロのモクの背中に乗って旅をしています。ルイは記憶喪失でした。自分が花の妖精だったことしか思い出せません。失くした記憶を探すため、さまざまな世界を冒険します。
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