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第18話 過酷?な訓練
第18話・5 決断の時
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訓練ブースの扉が開き、リルがゆっくりと出てきた。
「…………」
額には汗。だが、息は整っていて、足取りも安定している。
セセラが迎えに立ち、リルに一声かけた。
「お疲れさん。……初回にしては、上出来すぎだな」
「……まあな。ちょっと肩、変に痛ぇけど」
「筋肉痛じゃね? 寝てろ」
短いやり取りの中にも、“前へ進んだ”実感がしっかりとあった。
しかし、同じ頃──。
観測室の奥、別室にて。
「…………」
シエリはひとり、中央のホログラムモニターを食い入るように見つめていた。
室内には他に誰もいない。
リルの訓練データが、静かにスクロールされている。
心拍、脳波、筋反射、呼吸、龍因子同調率。
その中にひとつ──僅かな逸れがあった。
リルの龍因子同調率の波形。
全体としては安定し、指示通りの“戻り”も確認された。
しかし、一瞬だけ。
ほんの数秒間、異常な同調の跳ねがあった。
その瞬間、因子の波はまるで“外部からの呼応”に似た反応を見せ、ほんの僅かに、全身の熱量が上昇していた。
あまりにも一過性。
大半の職員なら、誤差として見逃しただろう。
だが、シエリの目は誤魔化せなかった。
指先で波形を拡大し、跳ねた瞬間のタイムスタンプを確認する。
「……何が……呼応した?」
その呟きには、焦りも不安も無かった。
ただ、純粋な興味が滲んでいる。
だが、その興味は、警告にも似ていた。
もしもこの“逸れ”が何かの予兆であったなら──この訓練の成功すら、布石に過ぎない可能性がある。
◇
──訓練が終わった少しあと、リルはシャワー室で汗を流していた。
「…………」
鏡に映る自分の姿を、しばらく黙って見つめている。
一見すれば、いつも通り。
だが、自分だけが知っている。
先程、一瞬──。
“何かの気配”が、体の奥底で呼びかけた。
それが龍の本能か、それとも“何か別の存在”か、まだわからない。
だが、リルは自分に言い聞かせた。
(大丈夫だ。……まだ、オレはオレだ)
手を伸ばし、鏡に指先で触れると、指先はほんの少し冷たかった。
──その冷たさは、鏡の冷たさではなかった。
◇
訓練から数日が経った。
リルは日常に戻りつつあった。
いつも通り、ラウンジでのんびりしたり、レイラやラショウ、アシュラと軽く雑談したり──。
表面上は、何も変わらない日々に見えた。
しかし。
──変わらないふりを、しているだけ。
何気ない視線の中に、どこか探るような気配を感じることが増えた。
言葉に出さなくても、職員たちの中に“恐れ”や“畏れ”が混ざっているのを、リルは敏感に察していた。
(……気にしすぎだろ。……オレは、ちゃんと戻れてる)
そう言い聞かせるように、誰にも見られない場所で深呼吸する。
腕を伸ばし、わざと大きく欠伸してみせる。
不安に負けないように、くだらないことを考えてやり過ごす。
そんなある日の夕方。
西陽が射し込む廊下を歩いていたリルの耳に、ふと──誰かの声が届いた。
(『──オレなら、もっと上手に扱えるのに』)
「……!?」
その声は、外から聞こえたものではなかった。
明らかに、頭の中に響いたのだ。
「…………ッ」
リルはその場で足を止める。
呼吸が浅くなる。鼓動が強くなる。
(……また、か……?)
あの逆龍化の訓練のときに感じた、体の奥底の誰かの気配。
(『ほら、お前はもう気づいてる。この力は、お前だけのものじゃない』)
その声は、まるで耳元で囁くように柔らかく、どこか楽しげで──冷たかった。
リルは眉をひそめ、奥歯を噛みしめる。
(うるせえ……オレは……オレだ)
頭の中で小さく呟いたその声は、誰にも聞こえない。
しかし、リルの中では、その一言が反撃の狼煙のように響いていた。
◇
その夜、シエリは職員たちに指示を出していた。
「──今後の訓練データは、全て私の専属監査対象とする。細かな反応も、全部記録に残して。ひとつでも“自我以外の反応”があれば、即時報告を」
その瞳には、いつものように落ち着いた理性が宿っていたが、その奥にあるものは、警戒ではなく予感だった。
そして──夜の中庭でリルは、ひとりベンチに座っている。
冷たい風が髪を揺らし、空は群青色に沈んでいた。
だが、その静けさの中でもまるで何かが遠ざかるような、そんな音が耳の奥で鳴っている。
(『……ほら。誰も、本当のお前を知らない。優しいフリをしてる。安心させるフリをしてる』)
(『でも、本当は──見てる。いつ変わるのか、って』)
「…………ッ……!!」
リルは額を押さえた。
強く、指先で押し込むように。
(違ぇよ……。あいつらは──)
「──リル」
突然自分の名を呼ぶ声に、リルの背筋がピクリと動く。
「……!」
振り向くと、そこにはレイラがいた。
頬にかかった髪を押さえながら、レイラはゆっくりと歩み寄ってくる。
「またここにいると思った」
その声には、咎めるような色は無かった。
ただ、心配そうな──けれど、信じているような、そんなまっすぐとした眼差し。
「…………」
リルは気を逸らすように目を伏せる。
──そして。
「……なあ」
「ん?」
「……オレ、やっぱりまだ……変な感じすんだよ。頭おかしいって思うかもしれねえけど、オレの中から……何かが話しかけてくる」
「…………」
レイラは黙って傍に立った。
そして、リルの横顔をじっと見つめる。
「それでも、今のリルは自分の声で話してる。ちゃんと、今ここにいるじゃない」
「……!」
その言葉に、リルの喉が小さく鳴った。
レイラの声が、あまりにも静かで、温かかったから。
◇
同じ頃──。
訓練棟の道場。
「…………」
そこでアシュラは黙々と木刀を振っていた。
周囲には誰もいない。
ただ、自分の汗と呼吸と、心音だけ。
振り下ろすたびに、脳裏に浮かぶのは──“異形の親友”の姿。
(あいつが、アレのまま戻れなかったら──)
「……ッ」
その考えをかき消すように、もう一度、木刀を振る。
(いや、戻れた。大丈夫だ)
しかしそれは、今だけなのかもしれない。
だからこそ──自分は強くなければならない。
(もしもの時、俺も止められるようにならなくちゃ……)
その決意は、どこまでも静かで、そして残酷だった。
──そして西城家本邸のラショウの部屋では。
机にはリルの検査資料。
それをじっと見つめたまま、ラショウは静かに目を閉じる。
(私にできることは……限られている)
けれど。
(それでも、できることがあるなら、私はあの人の力になりたい)
静かに、しかし確かに。
その優しさが、揺るがない意志に変わりつつあった。
夜の終わりが近づく。
だが、それぞれの胸に去来する想いは、まだ明けない空のように深かった。
それでも。
場所は違えど彼らは、今日も一緒にいる。
それだけは、確かだ。
◇
──翌日。
午前の光が射し込む中、リルは再び訓練ブースへと足を踏み入れていた。
今日は大規模な龍化訓練ではなく、反応テスト。
龍因子を人工的に微量散布し、体がどれほど即応し、どこまで制御できるかを計測する調整訓練。
だが、リルにとってはそれすらも、まだ“確かめなければならないこと”だった。
『──準備完了。因子散布、始めます』
外部操作席から無線に声を入れるのは、レイラ。
今回はレイラも“見守る側”。
同行するセセラはレイラの横で腕を組み、リルの様子をじっと観察していた。
──散布開始。
「…………」
龍因子を含んだ霧が空気を僅かに震わせる。
リルの肌がピリつき、喉元に熱を感じた。
次の瞬間、指先に鱗の浮き出る気配が走る。
「……ッ」
来る──とわかっていても、体の奥からせり上がってくる“何か”に息が詰まりそうになる。
「…………う……」
(……オレは……大丈夫だ)
そう唱えながら、意識を深く、自分の中へと落としていく。
「…………ッ」
暴れようとする因子を、あの日レイラが呼び戻してくれた声を思い出しながら、静かに、静かに押し返していく。
爪は僅かに尖ったが、鱗は完全には現れなかった。
「……! 薊野さん、これ……」
「……間違いなく反応してる。でも耐えてるな」
──正常。
レイラとセセラの手元に表示された数値に、ひとつ大きな丸が灯る。
その瞬間、思わず息を詰めていたレイラがふっと安堵の吐息を零した。
「よかった……リル……!」
その言葉はどこまでも素直で、どこまでも嬉しそうだった。
セセラも組んでいた腕を解き、無線でリルに声をかける。
『リル、お疲れ。ちゃんと安定してた。……お前自身の意思でここまで抑え込めたのは、今回が初めてだ』
その言葉にリルは余裕そうな表情をしたまま、ただ右手を挙げてひらひらと振った。
「オレが誰の声も聞かなくなったら──そんときは、ブッ飛ばしてくれよな」
『えっ! 俺やるやる。生意気なお前を合法でブン殴れるんだろ? やります!』
「薊野さん……」
「はあ? ……なあ、だから……こんな訓練より薊野セセラをブッ飛ばした方がよっぽど有意義だって」
緊張感の欠片も無くなったそんなやり取り。
しかしそのリルの雰囲気は、少しだけ前向きで強く見えた。
◇
──夜。いつもの休憩ラウンジ。
ラショウが用意したホットドリンクを手に、リルとレイラ、アシュラが並んでいた。
リルは今日の訓練の結果をラショウとアシュラに話している。
「……まあまあだったろ?」
リルの言葉に、アシュラはふっと笑った。
「『まあまあ』どころか、よくやったんじゃないか? 今のままなら、“今のリル”でいられる」
ラショウもそっと微笑む。
「そうだよ。あのときの姿も最初は怖かったけど、今は怖くないよ。ちゃんと、リルくんってわかったから」
レイラはラショウのその言葉にそっと頷きながら、リルの肩を軽く肘で突いた。
「……次に暴走したら、また私が呼びに行くからね」
「俺も」
「私も!」
「いやなんなんだよ……もしかして暴走すんの楽しみにしてる? できれば頼らせんなよ……」
ぼやきながらも、リルの顔には静かな安堵があった。
◇
そして翌朝。
龍調査機関、戦闘班フロアの一室。
いつもの気怠げな表情とは変わって、凛とした顔のリル。その手には、龍因子が練られているあのマントが持たれていた。
赤と黒の布地は、何度も修復を重ねながら今もリルの背中を守るようにそこにある。
マントを羽織ったその瞬間──。
リルの表情が、少しだけ変わった。
曇りでもなく、笑顔でもなく。
ただ──静かに、整っていた。
リルの前には、真剣な面持ちのセセラが立つ。
口には煙草、しかし火はつけていない。
「……じゃあ、聞くぞ」
その声は、昨日までとは少し違っていた。
──まるで、今ここからが本番であるかのように。
「お前は、自分の意志で、龍の力と向き合う道を選ぶか?」
「…………」
沈黙が、ほんの数秒流れる。
そして──リルはゆっくりと前を向いた。
「……選ぶよ」
声は低く、しかし揺らぎは無い。
セセラはリルの答えに一瞬だけ目を見開くが、リルはそのまま続ける。
「この力、まだよくわかんねえし、正直、怖い。でも……オレは、もう逃げない」
「オレであるまま強くなる。……ちゃんと、それをやってみたいと思った」
「…………」
リルのまっすぐな言葉にセセラはフッと笑い、そして煙草に火をつけた。
立ち昇る紫煙から、その端正な顔を覗かせると──。
「……よし。じゃあ、改めて歓迎するぜ。龍調査機関へようこそ。紅崎リルくん」
「うっざ……やっぱやめてえかも」
「ダメ。却下。今更引き返せねーから」
ひとしきり小さなやり取りを交わしたあと、ふたりは並んで廊下を歩き出した。
その先には、既にレイラたちの姿。
レイラは、いつものようにまっすぐ立っていて。
アシュラは、腕を組んで少し待ちくたびれたようにしていて。
ラショウは、優しい柔らかな笑みを浮かべていた。
「──遅いよ、リル」
そう声をかけたレイラに、リルは少しだけ目を伏せて、けれど確かに笑顔を皆に向ける。
「悪ぃ。……ちょっとこの薊野さんと喧嘩してた」
「はあ~?」
皆が無意識に表情が綻ぶ、他愛無いやり取り。
それが、人間味があって心地よい。
新たな“試練”が待つかもしれない未来へ。
今、彼らは確かに──。
一緒に歩いていた。
第18話 完
「…………」
額には汗。だが、息は整っていて、足取りも安定している。
セセラが迎えに立ち、リルに一声かけた。
「お疲れさん。……初回にしては、上出来すぎだな」
「……まあな。ちょっと肩、変に痛ぇけど」
「筋肉痛じゃね? 寝てろ」
短いやり取りの中にも、“前へ進んだ”実感がしっかりとあった。
しかし、同じ頃──。
観測室の奥、別室にて。
「…………」
シエリはひとり、中央のホログラムモニターを食い入るように見つめていた。
室内には他に誰もいない。
リルの訓練データが、静かにスクロールされている。
心拍、脳波、筋反射、呼吸、龍因子同調率。
その中にひとつ──僅かな逸れがあった。
リルの龍因子同調率の波形。
全体としては安定し、指示通りの“戻り”も確認された。
しかし、一瞬だけ。
ほんの数秒間、異常な同調の跳ねがあった。
その瞬間、因子の波はまるで“外部からの呼応”に似た反応を見せ、ほんの僅かに、全身の熱量が上昇していた。
あまりにも一過性。
大半の職員なら、誤差として見逃しただろう。
だが、シエリの目は誤魔化せなかった。
指先で波形を拡大し、跳ねた瞬間のタイムスタンプを確認する。
「……何が……呼応した?」
その呟きには、焦りも不安も無かった。
ただ、純粋な興味が滲んでいる。
だが、その興味は、警告にも似ていた。
もしもこの“逸れ”が何かの予兆であったなら──この訓練の成功すら、布石に過ぎない可能性がある。
◇
──訓練が終わった少しあと、リルはシャワー室で汗を流していた。
「…………」
鏡に映る自分の姿を、しばらく黙って見つめている。
一見すれば、いつも通り。
だが、自分だけが知っている。
先程、一瞬──。
“何かの気配”が、体の奥底で呼びかけた。
それが龍の本能か、それとも“何か別の存在”か、まだわからない。
だが、リルは自分に言い聞かせた。
(大丈夫だ。……まだ、オレはオレだ)
手を伸ばし、鏡に指先で触れると、指先はほんの少し冷たかった。
──その冷たさは、鏡の冷たさではなかった。
◇
訓練から数日が経った。
リルは日常に戻りつつあった。
いつも通り、ラウンジでのんびりしたり、レイラやラショウ、アシュラと軽く雑談したり──。
表面上は、何も変わらない日々に見えた。
しかし。
──変わらないふりを、しているだけ。
何気ない視線の中に、どこか探るような気配を感じることが増えた。
言葉に出さなくても、職員たちの中に“恐れ”や“畏れ”が混ざっているのを、リルは敏感に察していた。
(……気にしすぎだろ。……オレは、ちゃんと戻れてる)
そう言い聞かせるように、誰にも見られない場所で深呼吸する。
腕を伸ばし、わざと大きく欠伸してみせる。
不安に負けないように、くだらないことを考えてやり過ごす。
そんなある日の夕方。
西陽が射し込む廊下を歩いていたリルの耳に、ふと──誰かの声が届いた。
(『──オレなら、もっと上手に扱えるのに』)
「……!?」
その声は、外から聞こえたものではなかった。
明らかに、頭の中に響いたのだ。
「…………ッ」
リルはその場で足を止める。
呼吸が浅くなる。鼓動が強くなる。
(……また、か……?)
あの逆龍化の訓練のときに感じた、体の奥底の誰かの気配。
(『ほら、お前はもう気づいてる。この力は、お前だけのものじゃない』)
その声は、まるで耳元で囁くように柔らかく、どこか楽しげで──冷たかった。
リルは眉をひそめ、奥歯を噛みしめる。
(うるせえ……オレは……オレだ)
頭の中で小さく呟いたその声は、誰にも聞こえない。
しかし、リルの中では、その一言が反撃の狼煙のように響いていた。
◇
その夜、シエリは職員たちに指示を出していた。
「──今後の訓練データは、全て私の専属監査対象とする。細かな反応も、全部記録に残して。ひとつでも“自我以外の反応”があれば、即時報告を」
その瞳には、いつものように落ち着いた理性が宿っていたが、その奥にあるものは、警戒ではなく予感だった。
そして──夜の中庭でリルは、ひとりベンチに座っている。
冷たい風が髪を揺らし、空は群青色に沈んでいた。
だが、その静けさの中でもまるで何かが遠ざかるような、そんな音が耳の奥で鳴っている。
(『……ほら。誰も、本当のお前を知らない。優しいフリをしてる。安心させるフリをしてる』)
(『でも、本当は──見てる。いつ変わるのか、って』)
「…………ッ……!!」
リルは額を押さえた。
強く、指先で押し込むように。
(違ぇよ……。あいつらは──)
「──リル」
突然自分の名を呼ぶ声に、リルの背筋がピクリと動く。
「……!」
振り向くと、そこにはレイラがいた。
頬にかかった髪を押さえながら、レイラはゆっくりと歩み寄ってくる。
「またここにいると思った」
その声には、咎めるような色は無かった。
ただ、心配そうな──けれど、信じているような、そんなまっすぐとした眼差し。
「…………」
リルは気を逸らすように目を伏せる。
──そして。
「……なあ」
「ん?」
「……オレ、やっぱりまだ……変な感じすんだよ。頭おかしいって思うかもしれねえけど、オレの中から……何かが話しかけてくる」
「…………」
レイラは黙って傍に立った。
そして、リルの横顔をじっと見つめる。
「それでも、今のリルは自分の声で話してる。ちゃんと、今ここにいるじゃない」
「……!」
その言葉に、リルの喉が小さく鳴った。
レイラの声が、あまりにも静かで、温かかったから。
◇
同じ頃──。
訓練棟の道場。
「…………」
そこでアシュラは黙々と木刀を振っていた。
周囲には誰もいない。
ただ、自分の汗と呼吸と、心音だけ。
振り下ろすたびに、脳裏に浮かぶのは──“異形の親友”の姿。
(あいつが、アレのまま戻れなかったら──)
「……ッ」
その考えをかき消すように、もう一度、木刀を振る。
(いや、戻れた。大丈夫だ)
しかしそれは、今だけなのかもしれない。
だからこそ──自分は強くなければならない。
(もしもの時、俺も止められるようにならなくちゃ……)
その決意は、どこまでも静かで、そして残酷だった。
──そして西城家本邸のラショウの部屋では。
机にはリルの検査資料。
それをじっと見つめたまま、ラショウは静かに目を閉じる。
(私にできることは……限られている)
けれど。
(それでも、できることがあるなら、私はあの人の力になりたい)
静かに、しかし確かに。
その優しさが、揺るがない意志に変わりつつあった。
夜の終わりが近づく。
だが、それぞれの胸に去来する想いは、まだ明けない空のように深かった。
それでも。
場所は違えど彼らは、今日も一緒にいる。
それだけは、確かだ。
◇
──翌日。
午前の光が射し込む中、リルは再び訓練ブースへと足を踏み入れていた。
今日は大規模な龍化訓練ではなく、反応テスト。
龍因子を人工的に微量散布し、体がどれほど即応し、どこまで制御できるかを計測する調整訓練。
だが、リルにとってはそれすらも、まだ“確かめなければならないこと”だった。
『──準備完了。因子散布、始めます』
外部操作席から無線に声を入れるのは、レイラ。
今回はレイラも“見守る側”。
同行するセセラはレイラの横で腕を組み、リルの様子をじっと観察していた。
──散布開始。
「…………」
龍因子を含んだ霧が空気を僅かに震わせる。
リルの肌がピリつき、喉元に熱を感じた。
次の瞬間、指先に鱗の浮き出る気配が走る。
「……ッ」
来る──とわかっていても、体の奥からせり上がってくる“何か”に息が詰まりそうになる。
「…………う……」
(……オレは……大丈夫だ)
そう唱えながら、意識を深く、自分の中へと落としていく。
「…………ッ」
暴れようとする因子を、あの日レイラが呼び戻してくれた声を思い出しながら、静かに、静かに押し返していく。
爪は僅かに尖ったが、鱗は完全には現れなかった。
「……! 薊野さん、これ……」
「……間違いなく反応してる。でも耐えてるな」
──正常。
レイラとセセラの手元に表示された数値に、ひとつ大きな丸が灯る。
その瞬間、思わず息を詰めていたレイラがふっと安堵の吐息を零した。
「よかった……リル……!」
その言葉はどこまでも素直で、どこまでも嬉しそうだった。
セセラも組んでいた腕を解き、無線でリルに声をかける。
『リル、お疲れ。ちゃんと安定してた。……お前自身の意思でここまで抑え込めたのは、今回が初めてだ』
その言葉にリルは余裕そうな表情をしたまま、ただ右手を挙げてひらひらと振った。
「オレが誰の声も聞かなくなったら──そんときは、ブッ飛ばしてくれよな」
『えっ! 俺やるやる。生意気なお前を合法でブン殴れるんだろ? やります!』
「薊野さん……」
「はあ? ……なあ、だから……こんな訓練より薊野セセラをブッ飛ばした方がよっぽど有意義だって」
緊張感の欠片も無くなったそんなやり取り。
しかしそのリルの雰囲気は、少しだけ前向きで強く見えた。
◇
──夜。いつもの休憩ラウンジ。
ラショウが用意したホットドリンクを手に、リルとレイラ、アシュラが並んでいた。
リルは今日の訓練の結果をラショウとアシュラに話している。
「……まあまあだったろ?」
リルの言葉に、アシュラはふっと笑った。
「『まあまあ』どころか、よくやったんじゃないか? 今のままなら、“今のリル”でいられる」
ラショウもそっと微笑む。
「そうだよ。あのときの姿も最初は怖かったけど、今は怖くないよ。ちゃんと、リルくんってわかったから」
レイラはラショウのその言葉にそっと頷きながら、リルの肩を軽く肘で突いた。
「……次に暴走したら、また私が呼びに行くからね」
「俺も」
「私も!」
「いやなんなんだよ……もしかして暴走すんの楽しみにしてる? できれば頼らせんなよ……」
ぼやきながらも、リルの顔には静かな安堵があった。
◇
そして翌朝。
龍調査機関、戦闘班フロアの一室。
いつもの気怠げな表情とは変わって、凛とした顔のリル。その手には、龍因子が練られているあのマントが持たれていた。
赤と黒の布地は、何度も修復を重ねながら今もリルの背中を守るようにそこにある。
マントを羽織ったその瞬間──。
リルの表情が、少しだけ変わった。
曇りでもなく、笑顔でもなく。
ただ──静かに、整っていた。
リルの前には、真剣な面持ちのセセラが立つ。
口には煙草、しかし火はつけていない。
「……じゃあ、聞くぞ」
その声は、昨日までとは少し違っていた。
──まるで、今ここからが本番であるかのように。
「お前は、自分の意志で、龍の力と向き合う道を選ぶか?」
「…………」
沈黙が、ほんの数秒流れる。
そして──リルはゆっくりと前を向いた。
「……選ぶよ」
声は低く、しかし揺らぎは無い。
セセラはリルの答えに一瞬だけ目を見開くが、リルはそのまま続ける。
「この力、まだよくわかんねえし、正直、怖い。でも……オレは、もう逃げない」
「オレであるまま強くなる。……ちゃんと、それをやってみたいと思った」
「…………」
リルのまっすぐな言葉にセセラはフッと笑い、そして煙草に火をつけた。
立ち昇る紫煙から、その端正な顔を覗かせると──。
「……よし。じゃあ、改めて歓迎するぜ。龍調査機関へようこそ。紅崎リルくん」
「うっざ……やっぱやめてえかも」
「ダメ。却下。今更引き返せねーから」
ひとしきり小さなやり取りを交わしたあと、ふたりは並んで廊下を歩き出した。
その先には、既にレイラたちの姿。
レイラは、いつものようにまっすぐ立っていて。
アシュラは、腕を組んで少し待ちくたびれたようにしていて。
ラショウは、優しい柔らかな笑みを浮かべていた。
「──遅いよ、リル」
そう声をかけたレイラに、リルは少しだけ目を伏せて、けれど確かに笑顔を皆に向ける。
「悪ぃ。……ちょっとこの薊野さんと喧嘩してた」
「はあ~?」
皆が無意識に表情が綻ぶ、他愛無いやり取り。
それが、人間味があって心地よい。
新たな“試練”が待つかもしれない未来へ。
今、彼らは確かに──。
一緒に歩いていた。
第18話 完
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鏡に映っていたのは、小太りで口髭の男――歴史の教科書で見た、あの「牟田口廉也」。
しかも時期は、日本陸軍史上最悪の汚点とされる「インパール作戦」決行の直前。
部下たちは「必勝の精神論」を叫び、無謀な突撃を今か今かと待っている。
(……ふざけるな。俺に、部下を餓死させろと言うのか?)
現代の知識と、冷徹な計算、そして海自仕込みのロジスティクス能力。
すべてを駆使して、坂上(中身)は歴史への介入を開始する。
精神論を振りかざすふりをして上層部を欺き、現地改修で兵器を強化し、密かに撤退路を整備する。
これは、「史上最も無能な指揮官」の皮を被った「現代の有能な指揮官」が、確定した敗北の運命をねじ伏せ、数万の命を救うために戦う、逆転の戦記ドラマ。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
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