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コヨタ

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第21話 邂逅

第21話・2 偶然だね、レイラちゃん

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「──ただいま」

 レイラが医療棟の病室に顔を出すと、簡素なベッドの上で読書をしていたリルが顔を上げた。
 まだ療養中とはいえ、顔色は随分良くなっている。

「ん。……おかえり」

 その声はいつも通りだったが──。

「……おい」

 リルの目が、ふと鋭く向けられた。

 何気なくブレードの柄に添えていたレイラの指先が、無意識にギュッと握られている。

「……どうした。顔、強張ってんぞ」

「──っ」

 一瞬、レイラの肩がピクリと跳ねた。

「え、……あ、ううん……。その……調査中に、ちょっと怖い男の人に絡まれちゃって……」

「…………」

 レイラは目を逸らしながら、ぎこちなく笑ってみせる。

「誰もいないとこだったから、余計ビックリして。まだちょっと、心臓がドキドキしてるっていうか……」

 いつもの冷静な語り口が、僅かに震えていた。

 リルはじっとその様子を見つめていたが──。

「……何だそれ。お前、そんなか弱くねえだろ」

 ボソッと呟くその声音は、茶化すようでいて優しさが滲んでいた。

「……っ、う、うるさいな……」

 レイラは軽く眉をしかめて、そっぽを向く。
 だが、どこか安心したように息を吐いたのがリルにはわかった。

「……まあ、無事ならいいけどよ」

 リルはベッドの端に体を預けながら、少しだけ目を細める。

「なんか……最近お前、危なっかしい時あるから。戦い慣れてきた分、油断とかしてんじゃねーの」

「してない。……つもり」

 苦笑混じりに答えるレイラ。
 先程まで握っていた剣の柄から、ようやく手を離していたことに自分でも気がつく。

「…………」

 リルがいる。
 そのことが、いつもより少し、心強かった。

「……ふぅ……」

 伸びをして、ベッドの背に腕を預けるリル。

「怖かったんなら、今夜はちゃんと寝ろよ。横で寝ててやるから」

「っえ、……は? 勝手に人のベッドに入ろうとしないで」

「フッ……そんだけ元気なら大丈夫だな」

「ぐぬ……」

 レイラは睨んでみせたが、リルのくすっと笑った顔を見て思わず口元が綻ぶ。

 他愛ないやり取り。
 しかしその裏で、レイラの胸には今も『ジキル』という名の影が根を張り始めていた。

 あの男の顔が、言葉が、脳裏に焼き付いて離れない。

「……っ」

(──あんな人から、リルの名前が出てほしくなかった)

 心の奥底で、何かが静かに蠢き始めていた。
 それでも、今は──この時間を守りたかった。

「……ね、ぇ……リル」

「なに」

「……もう少しだけ、ここにいてもいい……?」

「…………」

 レイラが小さく呟くと、リルは瞬きをひとつして──無言で手のひらをぽんぽんと隣に叩く。

 言葉じゃない。
 でもその動作の意味は全部わかる。

 レイラは黙って、隣に腰を下ろした。

 肩が、リルの腕に僅かに触れる。
 それだけで、張り詰めていた神経がほどけていくのがわかった。

「……ありがと」

 小さく、だけど確かに呟く声。

 リルは何も返さなかったが、そのまま横目でレイラを見て、フッと口角を上げた。

 しばし、ふたりの間には言葉のない沈黙が流れる。

 だがその静けさは、どこか心地よいものだった。


 ◇


 やがて時間が経ち、医療棟を後にしたレイラは自室へと戻る。

 部屋に明かりを灯すと、白を基調にしたシンプルな室内が静かに迎えてくれた。

 誰もいない。
 だが、今はその“誰もいない”が、なぜか少しだけ……怖かった。

「……はぁ……」

 剣を棚に置き、寝巻きに着替え、ベッドに座り込む。
 そのままレイラは両膝を抱えて小さく蹲った。

(……あの人は……何者なんだろ)

 あの赤い瞳。笑顔。声。言葉のひとつひとつ。

 頭では“知らない相手”と割り切っているのに、心はそう言ってくれなかった。

 ──だって、あの人は言った。

『あの子は……オレの宝物だったんだ』

 その言葉の裏に何があるのか。
 レイラには知る由もなかった。

 でも──あんな言い方、他人ができるものじゃない。

(あの目……普通じゃない。あれは……)

「……っ」

 言いかけた思考を、ぶんぶんと頭を振って追い払う。

 怖がっているわけじゃない。
 ──けれど、どこかで確信している。

(……あの人は、私とリルの何かを壊す)

 その感覚が、ずっと胸の底で警鐘を鳴らしていた。

 レイラは肩を抱きしめたまま、しばらく動けなかった。
 その左目だけが、ふと、じわりと疼いた気がして。

 ──まるで、自分の中の何かを、見られているような。

(やめてよ……)

 そう心の中で呟いた声は、誰にも届かない。


 ◇


 ──どこかの、静かな部屋。

 白い壁に囲まれた、清潔で整然とした空間。
 棚には並べられた専門書や古びた資料の束。テーブルの上には、冷めかけたコーヒーが1杯。

 その部屋の中央、革張りのソファに深く腰掛けていたのは、あの赤髪の男──ジキルだった。

「……ふぅ」

 小さくため息をつくと、カップを持ち上げ、音も無くひとくち啜る。
 鼻腔をくすぐるのは、深煎りの苦味。
 しかし、今日のそれは少しばかり舌に重たかった。

「……初めてあの子とお話しすることができたなぁ」

 誰に聞かせるでもなく小さく呟く。

 切れ長の瞳が、どこか遠くを見つめるように細められていた。

(でも、うーん……ちょっと、オレ……怪しすぎたかな……)

 そう思いながら、ジキルはソファに体を預け、くたりと伸びをする。
 しなやかで長い手足がだらんと広がり、脱力した猫のように背を反らせた。

(いやでも、だってオレ、嬉しかったんだもん。ずっと遠くから見てただけの子と、ちゃんと目を見て話せるなんて)

(なのにさー、なんでああいう登場しちゃうかなぁ……。ああいうの、怖がられるってわかってたはずなのに)

(まったくもう……オレってば……)

 脳内に浮かぶ言葉の端々に滲むのは、愉快さとほんの少しの自己嫌悪。

 指先で軽くカップの縁をなぞりながら、ジキルは笑った。

(次は……もう少し穏やかに、がいいな。ね? あの子、強いけど……でも……ちゃんと女の子なんだしさ)

 声に出したわけでもないその言葉に、ふと、室内の空気がひやりとする。

 ジキルは微かに目を細めた。

(……にしても、やっぱり似てるんだよな)

 頭の中で呟くその声は、先程までの柔らかさとは違うものを孕んでいた。

 何かに対する懐かしさ。哀しさ。
 あるいは、執着。

 カップを置き、ジキルはそのままソファの上で膝を立て、顎を乗せるように蹲った。
 普段の軽薄な姿とは違う、どこか少年のような無防備な仕草。

(リルにも、あの子にも……また会えるよね。うん、会うよ)

(ちゃんと、……ちゃんとね……次がある。だってこれは、始まりなんだから)

「…………」

 そのまま瞼を閉じると、ジキルはひとつあくびを噛み殺す。

(……眠い。研究室より、自分の部屋の方が落ち着くってのも……皮肉なもんだ)

 そう考えながら、体を丸めた。

 深煎りのコーヒーの香りだけが、ゆっくりと漂う。

 そしてその香りの中でジキルはひとり、静かに微笑んだ。

 それはまるで──“再会の未来”を、確信しているかのように。


 ◇


 それから2日後。

 快晴の街並み、休日の午後。
 軽やかな風に揺れる白シャツの裾を押さえながら、レイラは紙袋を抱えて歩いていた。

(……人混み、あんまり得意じゃないけど。たまにはこういう日も悪くないかも)

 薄手のシャツとデニム、肩掛けの小さなバッグ。
 一応、護身用の小さなナイフはポケットに忍ばせてあるが、剣は持ってきていない。
 今日は完全なプライベートだ。

 ──そんなときだった。

「──あれ? レイラちゃん!? わあ~偶然だなあ~!」

 どこか明るく、しかし思い出したくもない声が、背後から響いた。

「っ……!」

 反射的に振り返ったレイラの目に飛び込んできたのは、ひときわ目を引く

 赤い長髪をうなじの位置で一束にまとめ、黒いキャスケットを目深に被った男。
 サングラスをかけたその顔がレイラに気づいた瞬間、ゆっくりとサングラスを外してみせる。

 あまりにも、綺麗すぎる顔立ち。

「……ジキル……!」

「うんうん、大正解」

 ジキルはサングラスをかけ直して笑った。グレーのロングTシャツに、細身の黒いズボン。
 片手には買い物袋。中にはパンや果物が覗いている。
 ただの街中の買い物帰り──のはず、なのに。

「な、なんで……ここに……」

 レイラは反射的に一歩、後ずさる。

「ん~? 散歩だよ、散歩。こういう天気の日は歩くに限るってね。普段引き篭ってるオレが外に出るの、激レアなんだよ~」

 人懐っこい笑み、軽やかな口調。
 あのとき公園跡地で感じた底知れぬ狂気は、今は全く感じられない。

「……あなた、まさか私をつけてたんじゃないよね?」

「えぇ!? まさかぁ~、偶然偶然!」

 ジキルはおどけたように両手を上げ、買い物袋を掲げて見せる。
 本当に、買い物帰りにしか見えなかった。

「レイラちゃんも、お買い物?」

「……え、……う、ん。まぁ、少しだけ……」

 若干戸惑いながらも、レイラは紙袋を抱え直した。

「へぇ~、なに買ったの? あ、言いたくなかったらいいけど。スイーツとか?」

「……べ、別に……お菓子とかだけじゃないし」

「ウフフ、図星かな?」

 ジキルはわざとらしく口に手を当てて笑う。
 ただの他愛ない会話。それだけなのに、レイラの警戒心は完全には消えなかった。

「……ほんとに、偶然?」

「うん。ほんとに。偶然って、時々すごく都合よく起きるから怖いよね」

 まるでそれがであるかのように、ジキルはサラッと答える。

「……まあ、今日は穏やかでよかった。レイラちゃん、前に会ったとき……すごく怖がってたし、怒ってたからさ。オレ、ちょっと反省したの」

「……あなたに『反省』って言葉があるとは思わなかった」

「あるよ~! オレ、意外と繊細なのよ?」

 くすっと笑って、ジキルは帽子のつばを軽く指でなぞった。

「さてと。オレはもうちょっと歩くけど……またどこかで会ったら、よろしくね」

 それだけ言うと、ジキルは軽く手を振りながら、人混みの中へ歩き出す。

 その後ろ姿は、ただの買い物帰りの青年にしか見えないのに──レイラはしばらく、その背中を見送っていた。

「……わけがわからない」

 護身用ナイフに触れることも、走って逃げることもなかった。
 それでも、心の中に居座る“得体の知れなさ”は、どこにも行ってはいない。

 赤い髪が、次の角を曲がって消えていく。
 その残像だけが、ずっとレイラの視界に焼きついていた。


 ◇


「……はあ…………」

 任務でもなく、検査でもなく、ただの買い物帰り。
 なのに、レイラの足取りはどこか重たかった。

(……ほんとに偶然だったんだと思う。でも……)

 “ジキル”という存在を再び目の前にしてしまった動揺は、どうにも拭えない。

 機関に戻り、ロビーを歩いていたその時。
 ふと目をやった休憩ラウンジの中に、見慣れた姿があった。

(……あれ、薊野さん)

 白衣を掛け布団代わりにしてソファに寝転がる男。
 眼鏡をかけたまま、目は閉じている。
 寝ているのか起きているのかは、判断がつかない。

 ただ、この様子だと今日の業務は終えているのだろう。

 最近は龍の発生もすっかり落ち着き、機関全体が久しぶりに静けさに包まれていた。
 リルも無事に快復し、今は西城家でのんびりしているらしい。

「…………」

 紙袋を持ったまま、レイラは立ち止まり──。

(薊野さんには……さっきのこと伝えておこうかな……)

 と、ほんの少し迷った末にラウンジの扉を開けた。

「……薊野さん、起きてる?」

 問いかけると、間髪入れずに返ってきたのは。

「寝てる」

「……起きてるじゃん」

 レイラは小声でツッコミながら、そっとソファに近づく。

 すると、セセラはだるそうに白衣の端をかぶり直しながらぼやいた。

「なんだよ……男前が無防備に横になってんだ。黙ってありがたく眺めとけよ」

「何それ……」

 肩を落としながら、レイラは言葉を選ぶように息を吸い込んだ。

「……あの、薊野さん」

「……寝てるっつってんだろ」

「さっき、また会った。……ジキル……に」

 ぱちり。

 瞬時に目を見開いたセセラが白衣を跳ねのけて、爆発的な勢いで飛び起きる。

「またぁ!? また会ったぁ!?!?!?」

 ソファを蹴飛ばしそうな勢いで立ち上がり、次の瞬間にはレイラの肩をガシッと掴んでいた。

「おいなんも変なことされてねえよな!? 今から緊急で頭から爪先まで検診したっていいんだぞ!? マジで!!」

 ガクガクと揺さぶられ目が回るレイラ。

「さっ、されてないよ何にも! 変な言い方しないで! ほ、本当に偶然って感じでっ」

 レイラを勢いのままに揺さぶっていた手が、ピタリと止まる。

「……偶然、ねぇ……」

 少し落ち着いた声音になり、セセラはレイラから手を離した。
 ソファに座り直して、脚を組むと少し遠い目──。
 
「まあ、よく出歩いてるらしいからな。あの人」

「そうなの? 『オレが外に出るのは激レア』って……そんなこと言ってた」

 レイラがそう返すと、セセラは鼻で笑った。

「嘘だな。あの人、散歩ばっかしてる。実際、変なところでよく目撃されてんだよ、昔から」

「……嘘つきなの?」

「うん。わりと平気で嘘つくタイプ」

 レイラは無意識に指先で紙袋の持ち手を弄びながら、ぽそぽそと呟く。

「……でも、前に会ったときみたいな怖さは全然無かった。柔らかくて、何か……変な言い方だけど無邪気で、可愛いっていうか……」

 その言葉を聞いた瞬間。

「あ゙? 『可愛い』??」

 セセラの目がぐいと怪訝そうに細まる。

「っ……」

 思わず赤く染まるレイラの頬。

「ち、違う……! 変な意味じゃなくて……あの、なんていうか、子どもっぽいっていうか……」

「……まあ、見た目だけは可愛いかもな。見た目は」

 そう呟くと、セセラは煙草を口に咥えた。
 ぱち、とライターの火が煙草に灯り、小さな炎が白い煙へと変わる。

「……それで、他に何か言われた? 次もあるとか、また会おうとか……」

 その問いに、レイラはゆっくりと首を横に振った。

「ううん。ただ、『またどこかで会ったらよろしく』って……それだけ」

「…………」

 セセラは「ふぅ……」と長く煙を吐く。
 その煙はラウンジの明かりの中、ゆらゆらと天井へ溶けていった。

「……気ぃ抜くなよ、レイラ。あいつは飴みてぇに甘い顔してても──中身はナイフだ」

「……うん」

 少し、レイラの顔が引き締まった。

 だが心のどこかでは、さっきの笑顔を思い出してしまう。

(ほんとに……ただの偶然だったのかな)

 ラウンジにはしばらく、煙草の香りと、ふたりの沈黙だけが漂っていた。



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