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コヨタ

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第25話 本日、検査日和

第25話・5 リル、伝える想い

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 休憩ラウンジは、静かだった。

 夜風が開け放たれた窓からそっと入り込み、カーテンを揺らす。

 レイラとリルのふたりはまだそこにいて、並んでソファに座っていた。
 会話も無く、ただ同じ時間を共有していたその空気に、リルがぽつりと声を落とす。

「……あん時は、ごめん」

 その声はあまりにも静かで、けれど深く、レイラの耳に届く。

「……え?」

 レイラは驚いたように目を見開いたが、すぐに何のことかを悟った。

 あの夜──。

 錯乱し、胸ぐらを掴み上げ、怒鳴っていたリルの姿。今も忘れられない光景。

「酷いこと……言ったよな。オレ、どうかしてた。……まだお前、腕痛かったのにな」

「…………リル……」

「……カッとなって、思いっきり引っ張っちまって……痛いって言ってたのに、オレの方が痛いとか……わけわかんねえこと言って……」

 リルの目が伏せられていく。俯き、拳をぎゅっと握る。

「……オレ、最低だったな。……本当に……申し訳ない……」

 その声は震えていた。自責と後悔の色が滲んでいた。

「……っ」

 レイラは、息を詰める。

「だ、大丈夫だよ、リル……っ、そんなに、自分を責めすぎないで……」

 そう言ってレイラはリルの方を向き、小さな手でそっと肩に触れる。

 リルは、驚いたように顔を上げた。

「……私の方こそ、悪いのに……勝手なことばかりして、皆を巻き込んで……リルのことも……聞かされちゃって……」

「…………!」

 震える声。

「思い出したくなかったことを……引き出すようなことになって……最低なのは、私の方だよ……」

 その言葉に、リルの目が見開かれる。

「…………」

 沈黙のあと、搾り出すように返した。

「……そんな……ことは……仕方ねえだろ」

「……っ」

「もう過去のことだ。お前、すげえ反省したんだろ? ……痛みも感じたんだろ? だったら……お前の方こそ、もう気にすんなよ」

 そう言ったリルの視線が、そっとレイラの右腕へと向けられる。
 レイラはその視線に気づき、小さく「……う……っ」と震えた声を漏らした。

「……オレは、お前だけじゃなくて、オレを信じて、支えてくれてた人たちにまで……酷いこと言った。あんなの、侮辱だった……っ」

 リルは言葉を止め、自分の胸を握りしめる。

「自分で自分のこと……ぶん殴りてえよ……!」

「……!」

 レイラは思わず、首を横に振る。

「……リル、だから……っ……そんなに自分を責めないで……ってば……!」

 その目には、涙が溢れていた。零れそうになる涙を、ただ堪えようとしている。

 そして──。

「……レイラ」

 リルは目を伏せたまま、けれど小さく笑みを浮かべながら──。

「オレのこと、1回……ブン殴ってくれ」

「……え?」

「マジで。全力じゃなくていい。いや、全力でいい。今、ちょっと……心がクシャクシャでさ。誰かに殴られたいんだよ」

「…………」

「お前にブン殴ってもらえたら、少し……ラクになれる気がする」

「……リル……」

 レイラは小さく息を吸い込み、そして、震える左手をそっと伸ばした。

 その手のひらが、リルの右頬を──ごく軽く、ぺちんと叩く。

「…………」

「……それが、私の全力。あなたに怪我されるの、もう嫌だから」

「……ッ……」

 リルは目を見開いたまま、しばらくその場で固まった。

 ──そして、何かがふっと解けるように。

「……ああ、なんか今……少しだけ、生き返った気がする」

「ふふ……だったらよかった」

 夜の静けさの中、ふたりの心がまた少し寄り添っていく音がした。

 窓の外では星が瞬き、室内は静けさに包まれている。
 先程の軽い一撃の余韻が、まだ頬に残っているような気がしていた。

 リルは右手をそっと頬に当てると、ぽつりと声を零す。

「……お前の手さ。……当たり前だけど、女の子の手なんだよな」

 レイラは少し戸惑いながら、リルの方を向いた。

「……?」

 リルは目を細めてレイラを見つめたあと、軽く息だけで笑って続ける。

 それはどこか、悲痛さを帯びた表情。

「……そんな小さい手をさ、血で染めたり、染められたりしてんだろ。……正直言うと、お前の任務なんて……オレが全部代わってやりてえって、何回も思ってる」

「……!!」

 レイラは思わず息を呑んだ。

 まさかリルからそんな言葉が出るなんて、思いもしていなかった。

「……リル……」

 リルは続ける。

「お前のその腕、見る度に思うんだよ。……オレだったら、もうとっくに治ってるのにな、って」

「…………」

 言葉を失ったまま、レイラは少し目を伏せた。

「お前が弱いって意味じゃねえよ。むしろ逆だ……」

「…………」

「……ただ、もうこれ以上、お前には……傷ついてほしくねえって思っただけ」

 飾られていない、素直なリルの言葉。

 レイラは口を開こうとしたが、何も言葉が出てこなかった。

 だからこそ、震えるように、リルの名を呼ぶ。

「……リル」

 リルはその声を聞いて、小さく笑った。
 今度は穏やかな笑顔。リルにしてはあまりに珍しい、柔らかい表情だ。

 レイラもゆっくりと顔を上げる。

「私……自分がこの力を持った意味、生きる道が与えられたんだって思って、任務に出てるから……大丈夫だよ」

「…………」

「怪我したり……怖いって思う時もある。でも、誰かの役に立てるなら、私……がんばれる」

「……!」

 その言葉にリルは目を見開いて──何度か瞬きをする。
 そして、ゆっくりと息を吐き、深く頷いた。

「……そうか。……そうだな」

「…………」

「それが……お前の、強さの意味……なんだな」

 優しく、でも確かな声。
 レイラはただ、じっとリルの言葉に耳を傾けていた。

 そして、リルは少しだけ遠くを見るようにして、ふと呟く。

「……オレな、最近になってやっと……気づいたんだ」

「……?」

「……オレは、自分が思ってる以上に、周りの奴らのことが……好きなんだなって」

 レイラの目が見開かれる。

「リル……?」

 リルは、月を見上げるようにして続けた。

「……もちろん。お前もな」

「……!」

 一拍置いて──。

「レイラ……好きだよ。オレも……皆の役に立ちたい」

 まっすぐな言葉だった。

「……ッ……!?」

 レイラは、胸の鼓動が跳ねるのを感じた。
 顔が熱くなり、視線を逸らす。

「……っ……」

 頬を染めて黙りこくったレイラを見て、リルは目を細めて少し笑った。

「ふっ、……バカ。『好き』って、そういう意味じゃねえよ」

 照れくさいように軽く頭を掻くと──。

「……ベタなこと言わせんじゃねえ」

 そう言ったあとで、そっとレイラの頭に手を置く。

「……えっ……!」

 驚いたレイラを抱き寄せ、自分の肩にそっともたれさせた。

「…………!!!」

「……マジで、ごめんな。オレもう、目ェ覚めたから」

「……っ……!」

 レイラの耳が、リルの胸元に当たっている。

 聞こえてくるのは確かに響く、リルの

 あたたかくて、確かで──。

「……リル」

「ん?」

 レイラは小さく、けれどはっきりと告げた。

「……生きていてくれて、ありがとう」

「…………」

 その言葉は、まるで夜風のように、そっとリルの心に触れる。

 リルは目を伏せ、静かにその感謝を噛みしめながら。

「……ああ。こっちこそ」

 そう、返したのだった。

 ──夜は、やがて静かに深く、穏やかに満ちていく。

 しばらくの間、ふたりの間には言葉が無かった。

 窓から入る夜風が、静かな音を立ててカーテンを揺らす。その柔らかい揺れが、まるで互いの心を落ち着けるための子守唄のようだった。

「…………」

 レイラの「ありがとう」の言葉は、リルの胸の奥に温かい痕を残していた。胸を締めつけていた苦い重石が、ほんの少しだけ軽くなる。

 ──思えば、自分はずっと「生きている意味」を見失っていた。

 けれど今、こうして「ありがとう」と言ってくれる誰かがいる。
 自分の存在を、過去ごと丸ごと抱え込んで、それでも隣に座ってくれる人がいる。

 それは──生きる理由のひとつになり得るのだと、やっと理解できた。

「…………っ……」

 リルはそっと視線を落とし、肩に寄りかかるレイラの髪に目をやった。淡い月光に照らされて、銀糸のように揺れる。
 そこには血の匂いも痛みも無く、ただ静かな命の気配があった。

 リルは深く息を吸い込み、少しだけ震える声を抑えながら口を開く。

「……オレさ……もうちょっと、ちゃんと……生きようと思う」

 ぽそっと落ちたその言葉は、決意というよりも祈りに近かった。
 レイラはすぐに顔を上げ、柔らかく笑いかける。

「……うん。それでいいんだと思うよ」

「…………」

 その笑顔に、リルは思わず息を呑む。
 強がりでも虚勢でもない、ただ純粋に「信じる」という光を宿した瞳。

 自分が何度も傷つけてしまったはずの存在が、まだこうして隣で自分を信じてくれる。

 胸の奥が──熱くなった。

「……ありがと」

 呟くような感謝は夜に溶け、だが確かにレイラの耳に届いていた。
 レイラは小さく頷き、再び視線を前に向ける。

 ふたりの間に流れる沈黙は、もう重苦しいものでは無かった。
 夜風が頬を撫で、遠くで虫の声が鳴く。

 ──龍が蠢くこの世界は確かに続いていて、だけど自分たちはその中で不器用に生きている。

 リルは拳を緩め、開いた掌をそっと膝に置いた。
 そこにはまだ震えが残っていたが──。その震えはもう、自分を否定するものではない。

 という実感が、少しずつ指先にまで染み込んでいく。

「……フッ…………」

 窓の外に瞬く星を見上げ、リルは小さく笑った。

「……これから先、どれだけ無茶苦茶な戦いになったとしてもさ」

「……?」

 隣で問いかけるように目を向けるレイラ。

「オレは……お前と一緒なら、きっと進める気がする」

「……!」

 その声は、不思議と落ち着いていた。

 恐怖も後悔もまだ消えてはいない。しかし、それでも「進みたい」と思える力があった。

 レイラは目を細めて、静かに微笑む。

「……私も。あなたと一緒なら、大丈夫」

「…………」

 互いに言葉を交わしたその瞬間、ふたりの間に確かな約束が芽生えた。
 口にしたのは短い言葉だったが、そこには深い絆がある。

 やがて、時計の針が小さく時を刻む音が耳に届いた。
 夜は長い。まだ、この静けさは続くのだ。

 リルは背もたれに身を預け、天井を見上げながら目を閉じる。
 胸の奥に残っていた暗い影が、少しずつ溶けていくような気がした。

 ──生きていく。

 その決意を、今度こそ噛みしめながら。

 休憩ラウンジの中に再び静寂が訪れる。
 その静けさは、どこかあたたかい余韻に包まれていた。




 第25話 完









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