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第26話 愛するという渇き
第26話・2 あの人を知りたい
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「ね、リル……私、お弁当作ってみたんだ。良かったら食べて」
「え……?」
翌日、昼の社員食堂にて。
レイラは小さな弁当箱を開けて、リルと並んで座っている。
「……すげえじゃん。これ全部お前が作ったの」
「うん。昨日ラショウに少し手伝ってもらった……けど」
リルは驚いたように目を丸くして、「……意外と器用だよな」と呟いた。
その言葉にレイラは、ちょっと得意気に鼻を鳴らす。
「昔は何もできなかったけど……今は、誰かのためにできることが増えてきた気がする。……それが嬉しいんだ」
「…………」
(誰かの、ために……)
その言葉が、リルの胸の奥に優しく響く。
「……オレも、そうありたいよ」
ふと重なる、ふたりの視線。
それだけで心が満たされていくような、そんなひとときだった。
──その頃、解析エリアの別室では。
「真壁さーん、コーヒー淹れましたよ!」
「……ありがと。でも……私、いいや。今、別の飲み物が欲しいの」
そう返した真壁。手元のスティックシュガーを無意識にグニグニと握り潰していた。
(……欲しいものは、もっと、甘くて)
(もっと……熱くて……)
瞳が焦点を結んでいない。
真壁の端末のメモアプリには、昨日までは無かった大量の書き込みが散乱していた。
【薊野セセラさん──笑ったときの目の動き】
【今日の昼休憩はひとり→買い食いが多い→自炊や作ってくれる存在の気配は無し】
【セセラさんが振り返ってくれるタイミングは声ではなく視線】
【煙草を咥えている時の唇の角度──要観察】
(……まだ、足りない。もっと、もっと、気づいてもらわなきゃ)
そして──。
(あの人の“誰かのために”が許されるのは、私だ)
それは、真壁が本来の自分を失っていく小さな兆候。
◇
昼下がりの廊下。
近くのコンビニでアイスコーヒーを買ってきたセセラ。蓋を開けながら、やや神妙な面持ちで歩いている。
(……しっかし、リルもレイラも落ち着いたな。今は)
(……だからこそ、気ィ抜けねえ。何が起きるかなんて、いつもそのあとに来る)
「…………」
その目が一瞬だけ天井を見上げた。
(……微かに、なんかが……揺れてる気がすんだよな……)
考え事をしながら歩を進めている。
すると不意に目の前に、俯き気味に資料を抱えて歩いていた女性が──ばったり。
「おっと」
「うわっ、ご、ごめんなさい……!」
「ああ、大丈夫……って、えっと……」
顔を上げた相手は、解析班の地味めな女性職員。
「……真壁さん……」
控えめな性格と落ち着いた茶髪、厚めの眼鏡。
目立たないが解析精度は高く、実務能力はある……とセセラは記憶していた。
「あ、あの……! その……!!」
「…………」
真壁は、突然話しかけられたことに驚いたような──しかしどこか熱を孕んだ目でセセラを見つめる。
瞬間。
(……あー……)
セセラはその視線の意味をすぐに察した。
自分を見る職員の目──ああいう目で見られるのは、過去にも今にも何度もある。
(……俺、またモテてんな~……)
わかりやすく内心でボヤきながら、アイスコーヒーをひとくち。
「真壁さん、今日も頑張ってんな」
「っ!!」
その言葉に真壁の頬が、ほんのりと赤く染まる。
「……は、はいっ……! わ、私……、あのっ……また……、あのっ、お仕事……頑張ります!!」
言ってることぐちゃぐちゃだなと思いながら、セセラは口元に笑みを浮かべて軽く手を挙げた。
「ん、よろしく」
それだけ言って、去っていく背中。
「…………!!」
(……名前、呼ばれた……)
真壁の心に、妙な音がした。
(今の声も、録音したかったぁ……!!)
その想いに、ひた……と何かが潜む音。
──それは、感情ではない。
それは飢えのような、形を持たない空腹。
◇
【セセラさんの声 録音:5件】
【セセラさんの通路通過時間 記録:12回】
【セセラさんが今日笑った回数 観測中】
【セセラさんが飲んだ飲料の成分 メモ】
【セセラさんと話していた女性 要注意リストへ】
「はあ……っ、はあ……っ……!!!」
深夜の職員寮エリア──。
残業も佳境を迎え、殆どの職員が退勤した後。
自室で目を充血させながらログをまとめる真壁。
彼女の中に、“何か”が少しずつ植えられている。
そして──その部屋の天井の隅、通常では視認できない何かの目が、じっと真壁を見つめていた。
微かに薄い瘴気のようなものが、真壁の背中に絡みついている。
それはまだ弱く、しかし、確かに喰らっている。
「…………!!」
ひとり、端末の前でカチャカチャとキーボードを叩き続ける真壁。
データ処理の名目はあるものの、その手元には他のウィンドウも開かれている。
──薊野セセラの行動記録。
業務で使った器具リスト、休憩時に立ち寄る場所の傾向分析……。
その全てを、真壁は“仕事”と混ぜて処理していた。
(知ってる……セセラさんは、誰にでもカッコよくて、誰にでも好かれるってこと……)
(でも、私に向けたあの言葉は……あの笑顔は……)
私だけのものだった、って、信じたい──。
一瞬、真壁の背後で何かがピチ……と小さく音を出す。
だが、真壁は気づかない。
その背に絡みつく瘴気が、また僅かに強まっていた。
そして、デスクの真横。
まるでじわじわと獲物を狙う爬虫類のような形をした影が、滲むように浮かんでいる。
その目は、真壁が画面を見つめると同時に、デスクに置かれているセセラの顔写真(もちろん盗撮)にゆっくりと向いた。
──欲しい?
──欲しいの?
──なら、手に入れようよ。
そう囁くような思念が、真壁の脳内に染み込んでいく。
(……そう……だよね……。手に入れなきゃ……)
真壁は、自分の意思だと思っていた。
──そして、同時刻。
解析室にて。
「あれっ、薊野さん、まだ帰らないんですか?」
深夜残業していた職員がペットボトル片手にセセラに声をかける。
セセラは椅子の背に腕をかけた姿勢で煙草を咥えていた。
「ん~? ああ、あとちょいデータ見てから。帰ってもどうせ明日の資料整理で戻ってくるしなぁ」
「働きすぎでは……」
「べつに? 普通普通」
冗談っぽく返しながら、ふと天井の方を見上げるセセラ。
「…………」
なぜか、首筋に冷たい風が走ったような錯覚。
「…………?」
その目に、少しだけ鋭い光が宿る。
(やっぱ……妙だな。少し監視エリアの記録見てみるか)
煙を吐き出しながら立ち上がる。
職員に「おつかれ」と声をかけると、セセラは解析室を後にした。
◇
解析エリア──監視カメラ・記録映像室。
セセラが入室した時、既に部屋は無人だった。
(ログ、最終閲覧者……)
(真壁……)
端末を起動し、記録映像の確認を始めるセセラ。
その目がふと、ある瞬間で止まった。
──真壁が画面に映ったセセラの映像を何度も再生しながら……笑っている。
「…………」
セセラは黙ったまま、口元を少しだけ引き締めた。
(……しごできイケメンお兄さんってのも、考えもんかね)
そう心の中でボヤきながら、別ウィンドウで『全館エネルギー検知ログ』を表示。
微かに、ほんの僅かだが、真壁がいた周囲にだけ、異常なパルス波形が記録されていた。
(……まさか)
セセラの脳裏に、薄く浮かぶひとつの仮説。
──人の感情に寄生し、力と化す龍。
(今後警戒はしておいた方がよさそうだな)
指が端末を閉じると、静かに席を立つ。
そして──当の真壁は。
(……セセラさん……ああ……今日も……カッコよかった……)
自室、ベッドの上でブランケットに包まったまま目を開けていた。
部屋の照明は落とされているが、どこからともなく微かな赤黒い光が漂っている。
その髪に、その瞳に、じわりじわりと“何か”が染み込んでいる。
──欲しい。
──全部、欲しい……。
(……好き…………)
──私だけの、ものにしたい……。
“それ”は、まだ声を持たない。
だが、確かに存在していた。
誰にも気づかれないまま成長する。
やがて、爆発的に咲く、感情の化け物として。
◇
朝の空気は清らかで、機関内も一見するといつもと変わらぬ始業時間。
真壁は今日もいつも通りに出勤していた。
地味で目立たず、誰からも声をかけられず。
だが、本人は何も気にしていなかった。
(別に、誰からも見られなくたっていい……)
(セセラさんが、見てくれていれば……)
──丁度、そのとき。
「…………!」
廊下を歩くセセラとすれ違った。
(……あ……!!)
(か、カッコいい……!!)
瞬間、真壁の頬はパッと染まり、思わず目を逸らす。
「あっ、お、おはようございますっ……!」
セセラは「あ~、おはよ」と気軽に挨拶を交わしただけだった。
だが、その一瞬の光景が。
(……ああ、今日も私だけに声をくれた)
(セセラさんの声……優しいなあ……)
その感情の余韻が、じわじわと体の内側で熱となる。
──部屋の片隅に置いてあった紙類がふわりと小さく浮いた。
誰も気づかない。真壁すらも。
だが、真壁の感情が昂る度に、それの体がじわじわと形を成していく。
視線の先、別の職員と会話をしているセセラ。
真面目な雰囲気、些細な身動ぎ、フッと笑った表情──。
離れた場所からじっとそれを見つめていた真壁。
瞳がキラキラと輝き、唇が僅かに吊り上がる。
「……好き……」
小さく呟いたその口元が、ゆっくりと笑うように歪んでいた。
◇
「先生……例の異常反応、やっぱ今朝も同じエリアで僅かに観測されてる」
「真壁さんの周囲、だったね」
「…………そう」
静かな所長室。
シエリの隣でセセラは腕を組んだまま、真剣な顔をしていた。
「感情波動系の寄生龍か、あるいはもっと稀少な干渉系……いずれにしても、まだはっきりした個体反応は出てねえんだわ」
「潜伏型……?」
「かもな。ただ気配だけは着実に濃くなってる」
「……それが意志を持ち始めたら、もう制御は難しいかもしれないぞ」
「…………」
シエリの声は淡々としていたが、その言葉の重みは大きい。
「記録班に念のため連絡を。真壁アオイという職員、定期観察対象に切り替えてくれ」
「りょ~かい」
セセラは、最後に一言呟いた。
「何も起こらなきゃいいって、こんな時に限って起こるんだよな……」
「え……?」
翌日、昼の社員食堂にて。
レイラは小さな弁当箱を開けて、リルと並んで座っている。
「……すげえじゃん。これ全部お前が作ったの」
「うん。昨日ラショウに少し手伝ってもらった……けど」
リルは驚いたように目を丸くして、「……意外と器用だよな」と呟いた。
その言葉にレイラは、ちょっと得意気に鼻を鳴らす。
「昔は何もできなかったけど……今は、誰かのためにできることが増えてきた気がする。……それが嬉しいんだ」
「…………」
(誰かの、ために……)
その言葉が、リルの胸の奥に優しく響く。
「……オレも、そうありたいよ」
ふと重なる、ふたりの視線。
それだけで心が満たされていくような、そんなひとときだった。
──その頃、解析エリアの別室では。
「真壁さーん、コーヒー淹れましたよ!」
「……ありがと。でも……私、いいや。今、別の飲み物が欲しいの」
そう返した真壁。手元のスティックシュガーを無意識にグニグニと握り潰していた。
(……欲しいものは、もっと、甘くて)
(もっと……熱くて……)
瞳が焦点を結んでいない。
真壁の端末のメモアプリには、昨日までは無かった大量の書き込みが散乱していた。
【薊野セセラさん──笑ったときの目の動き】
【今日の昼休憩はひとり→買い食いが多い→自炊や作ってくれる存在の気配は無し】
【セセラさんが振り返ってくれるタイミングは声ではなく視線】
【煙草を咥えている時の唇の角度──要観察】
(……まだ、足りない。もっと、もっと、気づいてもらわなきゃ)
そして──。
(あの人の“誰かのために”が許されるのは、私だ)
それは、真壁が本来の自分を失っていく小さな兆候。
◇
昼下がりの廊下。
近くのコンビニでアイスコーヒーを買ってきたセセラ。蓋を開けながら、やや神妙な面持ちで歩いている。
(……しっかし、リルもレイラも落ち着いたな。今は)
(……だからこそ、気ィ抜けねえ。何が起きるかなんて、いつもそのあとに来る)
「…………」
その目が一瞬だけ天井を見上げた。
(……微かに、なんかが……揺れてる気がすんだよな……)
考え事をしながら歩を進めている。
すると不意に目の前に、俯き気味に資料を抱えて歩いていた女性が──ばったり。
「おっと」
「うわっ、ご、ごめんなさい……!」
「ああ、大丈夫……って、えっと……」
顔を上げた相手は、解析班の地味めな女性職員。
「……真壁さん……」
控えめな性格と落ち着いた茶髪、厚めの眼鏡。
目立たないが解析精度は高く、実務能力はある……とセセラは記憶していた。
「あ、あの……! その……!!」
「…………」
真壁は、突然話しかけられたことに驚いたような──しかしどこか熱を孕んだ目でセセラを見つめる。
瞬間。
(……あー……)
セセラはその視線の意味をすぐに察した。
自分を見る職員の目──ああいう目で見られるのは、過去にも今にも何度もある。
(……俺、またモテてんな~……)
わかりやすく内心でボヤきながら、アイスコーヒーをひとくち。
「真壁さん、今日も頑張ってんな」
「っ!!」
その言葉に真壁の頬が、ほんのりと赤く染まる。
「……は、はいっ……! わ、私……、あのっ……また……、あのっ、お仕事……頑張ります!!」
言ってることぐちゃぐちゃだなと思いながら、セセラは口元に笑みを浮かべて軽く手を挙げた。
「ん、よろしく」
それだけ言って、去っていく背中。
「…………!!」
(……名前、呼ばれた……)
真壁の心に、妙な音がした。
(今の声も、録音したかったぁ……!!)
その想いに、ひた……と何かが潜む音。
──それは、感情ではない。
それは飢えのような、形を持たない空腹。
◇
【セセラさんの声 録音:5件】
【セセラさんの通路通過時間 記録:12回】
【セセラさんが今日笑った回数 観測中】
【セセラさんが飲んだ飲料の成分 メモ】
【セセラさんと話していた女性 要注意リストへ】
「はあ……っ、はあ……っ……!!!」
深夜の職員寮エリア──。
残業も佳境を迎え、殆どの職員が退勤した後。
自室で目を充血させながらログをまとめる真壁。
彼女の中に、“何か”が少しずつ植えられている。
そして──その部屋の天井の隅、通常では視認できない何かの目が、じっと真壁を見つめていた。
微かに薄い瘴気のようなものが、真壁の背中に絡みついている。
それはまだ弱く、しかし、確かに喰らっている。
「…………!!」
ひとり、端末の前でカチャカチャとキーボードを叩き続ける真壁。
データ処理の名目はあるものの、その手元には他のウィンドウも開かれている。
──薊野セセラの行動記録。
業務で使った器具リスト、休憩時に立ち寄る場所の傾向分析……。
その全てを、真壁は“仕事”と混ぜて処理していた。
(知ってる……セセラさんは、誰にでもカッコよくて、誰にでも好かれるってこと……)
(でも、私に向けたあの言葉は……あの笑顔は……)
私だけのものだった、って、信じたい──。
一瞬、真壁の背後で何かがピチ……と小さく音を出す。
だが、真壁は気づかない。
その背に絡みつく瘴気が、また僅かに強まっていた。
そして、デスクの真横。
まるでじわじわと獲物を狙う爬虫類のような形をした影が、滲むように浮かんでいる。
その目は、真壁が画面を見つめると同時に、デスクに置かれているセセラの顔写真(もちろん盗撮)にゆっくりと向いた。
──欲しい?
──欲しいの?
──なら、手に入れようよ。
そう囁くような思念が、真壁の脳内に染み込んでいく。
(……そう……だよね……。手に入れなきゃ……)
真壁は、自分の意思だと思っていた。
──そして、同時刻。
解析室にて。
「あれっ、薊野さん、まだ帰らないんですか?」
深夜残業していた職員がペットボトル片手にセセラに声をかける。
セセラは椅子の背に腕をかけた姿勢で煙草を咥えていた。
「ん~? ああ、あとちょいデータ見てから。帰ってもどうせ明日の資料整理で戻ってくるしなぁ」
「働きすぎでは……」
「べつに? 普通普通」
冗談っぽく返しながら、ふと天井の方を見上げるセセラ。
「…………」
なぜか、首筋に冷たい風が走ったような錯覚。
「…………?」
その目に、少しだけ鋭い光が宿る。
(やっぱ……妙だな。少し監視エリアの記録見てみるか)
煙を吐き出しながら立ち上がる。
職員に「おつかれ」と声をかけると、セセラは解析室を後にした。
◇
解析エリア──監視カメラ・記録映像室。
セセラが入室した時、既に部屋は無人だった。
(ログ、最終閲覧者……)
(真壁……)
端末を起動し、記録映像の確認を始めるセセラ。
その目がふと、ある瞬間で止まった。
──真壁が画面に映ったセセラの映像を何度も再生しながら……笑っている。
「…………」
セセラは黙ったまま、口元を少しだけ引き締めた。
(……しごできイケメンお兄さんってのも、考えもんかね)
そう心の中でボヤきながら、別ウィンドウで『全館エネルギー検知ログ』を表示。
微かに、ほんの僅かだが、真壁がいた周囲にだけ、異常なパルス波形が記録されていた。
(……まさか)
セセラの脳裏に、薄く浮かぶひとつの仮説。
──人の感情に寄生し、力と化す龍。
(今後警戒はしておいた方がよさそうだな)
指が端末を閉じると、静かに席を立つ。
そして──当の真壁は。
(……セセラさん……ああ……今日も……カッコよかった……)
自室、ベッドの上でブランケットに包まったまま目を開けていた。
部屋の照明は落とされているが、どこからともなく微かな赤黒い光が漂っている。
その髪に、その瞳に、じわりじわりと“何か”が染み込んでいる。
──欲しい。
──全部、欲しい……。
(……好き…………)
──私だけの、ものにしたい……。
“それ”は、まだ声を持たない。
だが、確かに存在していた。
誰にも気づかれないまま成長する。
やがて、爆発的に咲く、感情の化け物として。
◇
朝の空気は清らかで、機関内も一見するといつもと変わらぬ始業時間。
真壁は今日もいつも通りに出勤していた。
地味で目立たず、誰からも声をかけられず。
だが、本人は何も気にしていなかった。
(別に、誰からも見られなくたっていい……)
(セセラさんが、見てくれていれば……)
──丁度、そのとき。
「…………!」
廊下を歩くセセラとすれ違った。
(……あ……!!)
(か、カッコいい……!!)
瞬間、真壁の頬はパッと染まり、思わず目を逸らす。
「あっ、お、おはようございますっ……!」
セセラは「あ~、おはよ」と気軽に挨拶を交わしただけだった。
だが、その一瞬の光景が。
(……ああ、今日も私だけに声をくれた)
(セセラさんの声……優しいなあ……)
その感情の余韻が、じわじわと体の内側で熱となる。
──部屋の片隅に置いてあった紙類がふわりと小さく浮いた。
誰も気づかない。真壁すらも。
だが、真壁の感情が昂る度に、それの体がじわじわと形を成していく。
視線の先、別の職員と会話をしているセセラ。
真面目な雰囲気、些細な身動ぎ、フッと笑った表情──。
離れた場所からじっとそれを見つめていた真壁。
瞳がキラキラと輝き、唇が僅かに吊り上がる。
「……好き……」
小さく呟いたその口元が、ゆっくりと笑うように歪んでいた。
◇
「先生……例の異常反応、やっぱ今朝も同じエリアで僅かに観測されてる」
「真壁さんの周囲、だったね」
「…………そう」
静かな所長室。
シエリの隣でセセラは腕を組んだまま、真剣な顔をしていた。
「感情波動系の寄生龍か、あるいはもっと稀少な干渉系……いずれにしても、まだはっきりした個体反応は出てねえんだわ」
「潜伏型……?」
「かもな。ただ気配だけは着実に濃くなってる」
「……それが意志を持ち始めたら、もう制御は難しいかもしれないぞ」
「…………」
シエリの声は淡々としていたが、その言葉の重みは大きい。
「記録班に念のため連絡を。真壁アオイという職員、定期観察対象に切り替えてくれ」
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