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第26話 愛するという渇き
第26話・3 あの人に触れたい
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昼過ぎの医療棟・リハビリルーム隣接の一室。
「……ん゙あ~……ねむ……」
セセラは簡易な椅子に腰掛けて欠伸を噛み殺しながら、ペットボトルの水を口に含んでいた。
レイラの診療記録とリハビリ記録に目を向けている。
そこにふらっと姿を現したのは当の本人、レイラ。
「薊野さん、お疲れさま」
右腕にはまだ包帯が巻かれているものの、表情はすっかりいつもの調子を取り戻していた。
「さっき訓練室でアシュに捕まってさ、リハビリ兼訓練って感じでちょっと斬り合ってきた」
「お前な……まだ完治してねえのに、物騒なことやりすぎんなよ」
「大丈夫。斬られてはないから」
「そっちかよ……」
苦笑しつつもどこか安心したような表情を見せると、レイラは小さく首を傾げるようにして隣に座る。
「……ねえ。最近、ちゃんと寝てる?」
「あ? なんで?」
「いや……最近龍は落ち着いてはいるけど、その分事務……とかデータの仕事……? が増えてるんじゃないかなって」
「あ~パソコンカタカタする系?」
「うん」
「いつもの事だわ、平気平気。ま、きついっちゃきついけど」
セセラはわざと肩を回して見せたが、レイラはなんとなく勘づいている。
その声音にどこか引っ掛かりがあることを。
レイラは静かに、躊躇いなくセセラの手の甲の上に自分の手を重ねた。
「…………」
「ね、……あんまり、自分のこと追い込み過ぎないでね」
セセラは一瞬その手に視線を落とし、何も言わずに頷く──。
◇
時刻は夕刻に差し掛かる。
「…………」
ただ静かに、モニターの映像を見つめている真壁。
映っているのは、先程までの医療棟でのセセラとレイラのやり取り。
──監視映像ではない。
訓練記録の解析を行う過程で、内部ネットワークからアクセスできる画面だった。
だが、明らかにそれを見ている理由は、解析とは関係が無かった。
(……手……触れてた……レイラちゃん……)
(……触りに行ってた……自分から……)
「…………ッ」
(…………あの女ァ……!!)
(子供のくせに……ませやがってェ……!!)
真壁の目が一瞬だけ濁ったように揺らぎ、次の瞬間にはまたいつもの無表情へと戻る。
「……はあ…………」
(……いいなぁ……)
(私も、セセラさんに……)
──ガタンッ……!
突如、横に置いてあったスチール棚が揺れ、小さな音を立てて倒れた。
「……!?」
驚きのあまり立ち上がる真壁。
室内には、自分ひとり。
しかし棚の揺れと同時に、一瞬だけ背中に何かが触れた感覚があった。
「……っ、なに……?」
だが、振り返っても誰もいない。
そして、真壁の肩のあたりに一瞬だけ浮かんだ──黒い影の手のようなものは、すぐに消えた。
その存在に気づく者は、まだいない。
◇
──同時刻、所長室にて。
「セセラ、これを」
言いながらシエリが手渡したのは、小さな紙片。
「……これ、先週から観測されてる微弱反応のエリア、ね」
「ん……」
セセラの顔が険しくなった。
「ご覧、点のような反応が昨日からやけにブレている。生体反応でもない、発信源も不明……でも、まるで感情の波のような跳ね上がり方」
「……場所は?」
「真壁アオイが勤務しているブロックだ」
「……はぁ」
呆れたように目を細めるセセラ。
「……おいおい。俺のファンってのも、シャレにならねえな」
「……ただのファンじゃ、ないかもしれないよ」
シエリの声は静かだったが、その言葉には何かを含んでいた。
◇
その日の夜──。
職員寮エリア・真壁の私室。
コンパクトな個室、整然と片付いた机の上に、資料と並んで置かれた1冊のノートがある。
──表紙には、名前も日付も書かれていない。
中には、薊野セセラの名前が繰り返し綴られていた。
「……薊野セセラさん……」
真壁は小さく呟くと、そっとノートのページを撫でる。
その手が、震えていた。
(……最近、夢にも出てくる)
(話しかけられる夢……頭を撫でてくれる夢……)
(夢の中のセセラさんは、優しい声で私の名前を呼んでくれる……)
うっとりとした表情のまま、ノートの端を撫で続ける真壁の背後。
カーテンの向こう、何かが揺れた。
──風は吹いていないはずだった。
しかし、部屋の隅に置かれた植物の葉がゆらりと揺れる。
真壁は未だ気づかない。
だが、その背中には見えない気配が忍び寄っていた。
◇
──そして、翌朝。
朝日がやわらかく射し込む所長室。
「……増えているね、波長の跳ね上がり」
端末に表示されたグラフを睨むシエリ。
「昨日よりもはっきりと、感情反応に似た乱れが観測されている」
「はいはい、場所は?」
セセラが横から尋ねた。
「変わらないよ。……真壁アオイのいるブロック」
「…………」
しばらく無言になり、セセラは腕を組む。
「感情に反応する龍、ねえ……。精神干渉系とはまた違う……感情から産まれるってやつ? 自然なワケあるかよそんなん」
「ありえないとは言い切れない。龍因子の解析が進めば進むほど、わかることが増えるどころか不確定要素も増えている」
「……何かあってからじゃ遅い。俺、しばらく真壁さんの様子見るわ」
「ああ。頼むよ、セセラ。……たぶん、アレは、まだ完全には姿を持っていない。けど──」
「『芽吹きは始まってる』って顔してんな? 先生」
「……鋭いね」
シエリは目を伏せ、頷いた。
──所長室を出て、廊下を歩いていくセセラ。
「…………」
特に誰かを探していたわけではない。ロビーへと向かっているだけ。
しかし、先日の出来事がやけに気になっていた。
(……やっぱ真壁さん、最近ちょっと変だよな)
──そのとき。
「あっ……!」
廊下の角から例の職員が偶然、ぶつかってきた。
「あ、ご、ごめんなさい……!」
「って、あー……真壁さんか、おはよ。大丈夫?」
「あッ、お、おはようございますっ、だ、だいじょぶです……! あのっ、セセラさん、今、私のこと……見てました?」
「ん? たまたま通りかかっただけだけど……」
その瞬間、真壁の頬がみるみる赤くなる。
「……えへ……なんだか、すごく嬉しいです……!」
「……ん?」
(話通じてなくね? ……いや、まあ……うん。いつも通りモテてるな、俺……?)
セセラはとりあえず笑って誤魔化すしかなかった。
「そ、そう? じゃ、気をつけてな」
そのまま通り過ぎようとした瞬間。
「……あ、あのっ!」
真壁が突然──。
「……!」
セセラの腕にそっと手を添えた。
「……その、私……最近、すっごくセセラさんの近くにいられることが多くて……本当に、幸せで……。いつも頑張ってるの、見てます」
(……ん??)
一瞬、セセラは眉を潜める。
以前の真壁は、こんな風に触れてくることなど決して無かったはずだ。
(……違和感、やっぱ強いな)
「あー、……ありがと。でも、今ちょっと仕事中でな。そろそろ戻ったほうがいいぞ」
「あっ、そ、そうですよね……すみません……! また、また、あとで……!」
真壁はぺこぺこと頭を下げながら去っていく。
背を向けたその肩が、ほのかに小刻みに震えていた。
「…………」
(今まで……見てるだけ、見てただけ、のはずだったのにな。今のは……触れたいって意思が先に立ってた)
セセラの脳裏を、嫌な予感が掠める。
(……あの目……依存するような目。しかも、理性が自分を止められてねえ)
やや怪訝な顔をしながら、静かに息を吐いた。
(まさか真壁さんの背後に……既にいんのか?)
セセラの中で、危機感がじわりと膨らみ始めていく。
◇
朝の龍調査機関・本棟の一角。
広々としたロビーでは、珍しく和やかな雰囲気が漂っていた。
「おっ、今日はついにノー残業デーか!」
「マジで!? うっわー……何ヶ月ぶり!? 今日定時で帰れんの!? え、え、夕飯どうしようかなー!?」
職員たちの間で、ちょっとした祭りのような空気が流れている。
その中、壁際のベンチにはレイラ、リル、セセラの姿。
それぞれ缶コーヒーを飲む動きがシンクロしていた。
「薊野さん、今日は終わったあと久々にゆっくりできそうだね」
レイラはニコッと笑いながら声をかける。
しかしセセラは肩をすくめて手を振った。
「うーん……残念ながら俺は対象外。やること多すぎて、むしろ残業しまくらないとダメなんだわ」
不貞腐れたような口調で、ため息を吐くセセラ。
リルが即座に追撃した。
「……煙草休憩が多すぎなんじゃねえの」
「いやそれはねえよ、休憩とか関係無くどこでも煙草吸ってるし。マジで俺いそがしーの。煙草吸いながらでも書類読めるし、検査結果もまとめてるし」
その答えにリルは、(仕事中に吸うのもどうかと思うけどな……)と内心でツッコむが、口には出さない。
レイラは小さく笑ってから、労わるように問いかけた。
「確かにやることたくさんあって大変そう。……いつ寝てるの? というか、寝れてるの?」
その問いにセセラは肩を回しながら、当然のように。
「寝る時にガッツリ寝て、起きてなきゃなんねえ時はずっと起きてる」
「あんまり無理しすぎちゃダメだよ……」
「俺が倒れたら機関が混乱するからな。そっちの方がやべー」
そんな軽いやり取りが続く傍らで──。
少し離れた廊下の端で立ち止まっていたひとりの女性職員。
──真壁だ。
「…………」
本日も変わらず誰もが見過ごすような、地味で目立たない存在。
だがその目には、確かにセセラの姿が映っていた。
(……今日、彼だけは……夜もここにいるんだ)
缶コーヒー片手に気怠げに笑うセセラの横顔を、遠くでじっと見つめる真壁。
(……寝てるところに、私が……添い寝してあげたいな……)
(私だけが、あの人の疲れを癒せたら……いっそ、一緒に、同じベッドに……包まりたい)
その目の奥に、ほのかに紅が差す。
指先は資料を握ったまま、僅かに震えている。
真壁の脳裏には、昨夜の帰宅後、布団に潜って何度も思い出したセセラの顔が浮かんでいた。
ただの憧れ、ただの尊敬。
……そのはずだった。
(ねえ、セセラさん……)
(どうして……あの子たちにはそんなに無防備に優しく笑うの……)
その想いは静かに、そして確かに、輪郭を変え始めている。
◇
午前の仕事が始まり、龍調査機関はいつものように静かに稼働していた。
職員たちはそれぞれの持ち場に就き、会話も徐々に業務的なものへと戻っていく。
レイラはリハビリ、リルは運動をしに訓練棟へと向かっていった。
セセラは午前中に使用する問診データを整理して、既にデスクで煙草を咥えながらカタカタとキーボードを叩いている。
──そして、その少し後ろで。
「……セセラさん、お疲れさまです」
少し照れたような声で背中越しに声をかける──真壁。
「…………」
(その声……真壁さんかァ~?)
「ん? ああ、おつかれ。真壁さんも忙しそうだな、無理すんなよ」
セセラは軽く右手を挙げ、振り向いて笑顔を返してみせた。
その一言だけで、その笑顔だけで──。
「……!!」
真壁の胸の奥に、小さな花が咲いたような感覚が走る。
(……見てくれてる。やっぱり……私のこと、ちゃんと……!)
真壁はそのまま、書類をセセラに渡そうと歩み寄った。
「えっと、これ、午前中分の報告書で……」
「どうも──」
手渡す瞬間。
真壁の指が、セセラの手にそっと触れる。
「……!」
一瞬、セセラは驚いたように眉を動かすが、すぐに軽く笑って受け取った。
「ありがとな」
ニコッ。
「……いえ……!」
(ああ、触れられた……。あったかかった……)
真壁はそっと胸元を押さえながら席へ戻る──が、その真壁の様子を背後から他の職員たちがじっと見ていた。
「……最近の真壁さん、ちょっと雰囲気変わったよな」
「あー……なんか、妙に明るいっていうか、積極的になった気がするよね……」
囁かれる小さな会話。
「薊野さん、だな。またモテてるのか~あの人」
「これで何人目だぁ?」
「さぁな。真壁さんも気の毒にな……あの人を落とそうと試みるなんて、無謀ってもんだぜ」
「くうう……俺もそのくらいモテてみたい……」
「それはそれで大変だと思うけどな……」
そんな会話も当の真壁の耳には届かない。
──否、届いたとしても、もう気にすることはないだろう。
なぜなら──。
(……夜も、ここに残れれば……きっと、きっと……)
(私と、あの人の距離はもっと、縮まっていくんだ……)
そんな確信めいた妄想が、静かに真壁の思考を蝕んでいく。
その歪みに気づかぬまま、真壁は今日も真面目な職員として仕事をこなしていくのだ。
だが──その中身は、確実に異質なものへと変わりつつある。
「……ん゙あ~……ねむ……」
セセラは簡易な椅子に腰掛けて欠伸を噛み殺しながら、ペットボトルの水を口に含んでいた。
レイラの診療記録とリハビリ記録に目を向けている。
そこにふらっと姿を現したのは当の本人、レイラ。
「薊野さん、お疲れさま」
右腕にはまだ包帯が巻かれているものの、表情はすっかりいつもの調子を取り戻していた。
「さっき訓練室でアシュに捕まってさ、リハビリ兼訓練って感じでちょっと斬り合ってきた」
「お前な……まだ完治してねえのに、物騒なことやりすぎんなよ」
「大丈夫。斬られてはないから」
「そっちかよ……」
苦笑しつつもどこか安心したような表情を見せると、レイラは小さく首を傾げるようにして隣に座る。
「……ねえ。最近、ちゃんと寝てる?」
「あ? なんで?」
「いや……最近龍は落ち着いてはいるけど、その分事務……とかデータの仕事……? が増えてるんじゃないかなって」
「あ~パソコンカタカタする系?」
「うん」
「いつもの事だわ、平気平気。ま、きついっちゃきついけど」
セセラはわざと肩を回して見せたが、レイラはなんとなく勘づいている。
その声音にどこか引っ掛かりがあることを。
レイラは静かに、躊躇いなくセセラの手の甲の上に自分の手を重ねた。
「…………」
「ね、……あんまり、自分のこと追い込み過ぎないでね」
セセラは一瞬その手に視線を落とし、何も言わずに頷く──。
◇
時刻は夕刻に差し掛かる。
「…………」
ただ静かに、モニターの映像を見つめている真壁。
映っているのは、先程までの医療棟でのセセラとレイラのやり取り。
──監視映像ではない。
訓練記録の解析を行う過程で、内部ネットワークからアクセスできる画面だった。
だが、明らかにそれを見ている理由は、解析とは関係が無かった。
(……手……触れてた……レイラちゃん……)
(……触りに行ってた……自分から……)
「…………ッ」
(…………あの女ァ……!!)
(子供のくせに……ませやがってェ……!!)
真壁の目が一瞬だけ濁ったように揺らぎ、次の瞬間にはまたいつもの無表情へと戻る。
「……はあ…………」
(……いいなぁ……)
(私も、セセラさんに……)
──ガタンッ……!
突如、横に置いてあったスチール棚が揺れ、小さな音を立てて倒れた。
「……!?」
驚きのあまり立ち上がる真壁。
室内には、自分ひとり。
しかし棚の揺れと同時に、一瞬だけ背中に何かが触れた感覚があった。
「……っ、なに……?」
だが、振り返っても誰もいない。
そして、真壁の肩のあたりに一瞬だけ浮かんだ──黒い影の手のようなものは、すぐに消えた。
その存在に気づく者は、まだいない。
◇
──同時刻、所長室にて。
「セセラ、これを」
言いながらシエリが手渡したのは、小さな紙片。
「……これ、先週から観測されてる微弱反応のエリア、ね」
「ん……」
セセラの顔が険しくなった。
「ご覧、点のような反応が昨日からやけにブレている。生体反応でもない、発信源も不明……でも、まるで感情の波のような跳ね上がり方」
「……場所は?」
「真壁アオイが勤務しているブロックだ」
「……はぁ」
呆れたように目を細めるセセラ。
「……おいおい。俺のファンってのも、シャレにならねえな」
「……ただのファンじゃ、ないかもしれないよ」
シエリの声は静かだったが、その言葉には何かを含んでいた。
◇
その日の夜──。
職員寮エリア・真壁の私室。
コンパクトな個室、整然と片付いた机の上に、資料と並んで置かれた1冊のノートがある。
──表紙には、名前も日付も書かれていない。
中には、薊野セセラの名前が繰り返し綴られていた。
「……薊野セセラさん……」
真壁は小さく呟くと、そっとノートのページを撫でる。
その手が、震えていた。
(……最近、夢にも出てくる)
(話しかけられる夢……頭を撫でてくれる夢……)
(夢の中のセセラさんは、優しい声で私の名前を呼んでくれる……)
うっとりとした表情のまま、ノートの端を撫で続ける真壁の背後。
カーテンの向こう、何かが揺れた。
──風は吹いていないはずだった。
しかし、部屋の隅に置かれた植物の葉がゆらりと揺れる。
真壁は未だ気づかない。
だが、その背中には見えない気配が忍び寄っていた。
◇
──そして、翌朝。
朝日がやわらかく射し込む所長室。
「……増えているね、波長の跳ね上がり」
端末に表示されたグラフを睨むシエリ。
「昨日よりもはっきりと、感情反応に似た乱れが観測されている」
「はいはい、場所は?」
セセラが横から尋ねた。
「変わらないよ。……真壁アオイのいるブロック」
「…………」
しばらく無言になり、セセラは腕を組む。
「感情に反応する龍、ねえ……。精神干渉系とはまた違う……感情から産まれるってやつ? 自然なワケあるかよそんなん」
「ありえないとは言い切れない。龍因子の解析が進めば進むほど、わかることが増えるどころか不確定要素も増えている」
「……何かあってからじゃ遅い。俺、しばらく真壁さんの様子見るわ」
「ああ。頼むよ、セセラ。……たぶん、アレは、まだ完全には姿を持っていない。けど──」
「『芽吹きは始まってる』って顔してんな? 先生」
「……鋭いね」
シエリは目を伏せ、頷いた。
──所長室を出て、廊下を歩いていくセセラ。
「…………」
特に誰かを探していたわけではない。ロビーへと向かっているだけ。
しかし、先日の出来事がやけに気になっていた。
(……やっぱ真壁さん、最近ちょっと変だよな)
──そのとき。
「あっ……!」
廊下の角から例の職員が偶然、ぶつかってきた。
「あ、ご、ごめんなさい……!」
「って、あー……真壁さんか、おはよ。大丈夫?」
「あッ、お、おはようございますっ、だ、だいじょぶです……! あのっ、セセラさん、今、私のこと……見てました?」
「ん? たまたま通りかかっただけだけど……」
その瞬間、真壁の頬がみるみる赤くなる。
「……えへ……なんだか、すごく嬉しいです……!」
「……ん?」
(話通じてなくね? ……いや、まあ……うん。いつも通りモテてるな、俺……?)
セセラはとりあえず笑って誤魔化すしかなかった。
「そ、そう? じゃ、気をつけてな」
そのまま通り過ぎようとした瞬間。
「……あ、あのっ!」
真壁が突然──。
「……!」
セセラの腕にそっと手を添えた。
「……その、私……最近、すっごくセセラさんの近くにいられることが多くて……本当に、幸せで……。いつも頑張ってるの、見てます」
(……ん??)
一瞬、セセラは眉を潜める。
以前の真壁は、こんな風に触れてくることなど決して無かったはずだ。
(……違和感、やっぱ強いな)
「あー、……ありがと。でも、今ちょっと仕事中でな。そろそろ戻ったほうがいいぞ」
「あっ、そ、そうですよね……すみません……! また、また、あとで……!」
真壁はぺこぺこと頭を下げながら去っていく。
背を向けたその肩が、ほのかに小刻みに震えていた。
「…………」
(今まで……見てるだけ、見てただけ、のはずだったのにな。今のは……触れたいって意思が先に立ってた)
セセラの脳裏を、嫌な予感が掠める。
(……あの目……依存するような目。しかも、理性が自分を止められてねえ)
やや怪訝な顔をしながら、静かに息を吐いた。
(まさか真壁さんの背後に……既にいんのか?)
セセラの中で、危機感がじわりと膨らみ始めていく。
◇
朝の龍調査機関・本棟の一角。
広々としたロビーでは、珍しく和やかな雰囲気が漂っていた。
「おっ、今日はついにノー残業デーか!」
「マジで!? うっわー……何ヶ月ぶり!? 今日定時で帰れんの!? え、え、夕飯どうしようかなー!?」
職員たちの間で、ちょっとした祭りのような空気が流れている。
その中、壁際のベンチにはレイラ、リル、セセラの姿。
それぞれ缶コーヒーを飲む動きがシンクロしていた。
「薊野さん、今日は終わったあと久々にゆっくりできそうだね」
レイラはニコッと笑いながら声をかける。
しかしセセラは肩をすくめて手を振った。
「うーん……残念ながら俺は対象外。やること多すぎて、むしろ残業しまくらないとダメなんだわ」
不貞腐れたような口調で、ため息を吐くセセラ。
リルが即座に追撃した。
「……煙草休憩が多すぎなんじゃねえの」
「いやそれはねえよ、休憩とか関係無くどこでも煙草吸ってるし。マジで俺いそがしーの。煙草吸いながらでも書類読めるし、検査結果もまとめてるし」
その答えにリルは、(仕事中に吸うのもどうかと思うけどな……)と内心でツッコむが、口には出さない。
レイラは小さく笑ってから、労わるように問いかけた。
「確かにやることたくさんあって大変そう。……いつ寝てるの? というか、寝れてるの?」
その問いにセセラは肩を回しながら、当然のように。
「寝る時にガッツリ寝て、起きてなきゃなんねえ時はずっと起きてる」
「あんまり無理しすぎちゃダメだよ……」
「俺が倒れたら機関が混乱するからな。そっちの方がやべー」
そんな軽いやり取りが続く傍らで──。
少し離れた廊下の端で立ち止まっていたひとりの女性職員。
──真壁だ。
「…………」
本日も変わらず誰もが見過ごすような、地味で目立たない存在。
だがその目には、確かにセセラの姿が映っていた。
(……今日、彼だけは……夜もここにいるんだ)
缶コーヒー片手に気怠げに笑うセセラの横顔を、遠くでじっと見つめる真壁。
(……寝てるところに、私が……添い寝してあげたいな……)
(私だけが、あの人の疲れを癒せたら……いっそ、一緒に、同じベッドに……包まりたい)
その目の奥に、ほのかに紅が差す。
指先は資料を握ったまま、僅かに震えている。
真壁の脳裏には、昨夜の帰宅後、布団に潜って何度も思い出したセセラの顔が浮かんでいた。
ただの憧れ、ただの尊敬。
……そのはずだった。
(ねえ、セセラさん……)
(どうして……あの子たちにはそんなに無防備に優しく笑うの……)
その想いは静かに、そして確かに、輪郭を変え始めている。
◇
午前の仕事が始まり、龍調査機関はいつものように静かに稼働していた。
職員たちはそれぞれの持ち場に就き、会話も徐々に業務的なものへと戻っていく。
レイラはリハビリ、リルは運動をしに訓練棟へと向かっていった。
セセラは午前中に使用する問診データを整理して、既にデスクで煙草を咥えながらカタカタとキーボードを叩いている。
──そして、その少し後ろで。
「……セセラさん、お疲れさまです」
少し照れたような声で背中越しに声をかける──真壁。
「…………」
(その声……真壁さんかァ~?)
「ん? ああ、おつかれ。真壁さんも忙しそうだな、無理すんなよ」
セセラは軽く右手を挙げ、振り向いて笑顔を返してみせた。
その一言だけで、その笑顔だけで──。
「……!!」
真壁の胸の奥に、小さな花が咲いたような感覚が走る。
(……見てくれてる。やっぱり……私のこと、ちゃんと……!)
真壁はそのまま、書類をセセラに渡そうと歩み寄った。
「えっと、これ、午前中分の報告書で……」
「どうも──」
手渡す瞬間。
真壁の指が、セセラの手にそっと触れる。
「……!」
一瞬、セセラは驚いたように眉を動かすが、すぐに軽く笑って受け取った。
「ありがとな」
ニコッ。
「……いえ……!」
(ああ、触れられた……。あったかかった……)
真壁はそっと胸元を押さえながら席へ戻る──が、その真壁の様子を背後から他の職員たちがじっと見ていた。
「……最近の真壁さん、ちょっと雰囲気変わったよな」
「あー……なんか、妙に明るいっていうか、積極的になった気がするよね……」
囁かれる小さな会話。
「薊野さん、だな。またモテてるのか~あの人」
「これで何人目だぁ?」
「さぁな。真壁さんも気の毒にな……あの人を落とそうと試みるなんて、無謀ってもんだぜ」
「くうう……俺もそのくらいモテてみたい……」
「それはそれで大変だと思うけどな……」
そんな会話も当の真壁の耳には届かない。
──否、届いたとしても、もう気にすることはないだろう。
なぜなら──。
(……夜も、ここに残れれば……きっと、きっと……)
(私と、あの人の距離はもっと、縮まっていくんだ……)
そんな確信めいた妄想が、静かに真壁の思考を蝕んでいく。
その歪みに気づかぬまま、真壁は今日も真面目な職員として仕事をこなしていくのだ。
だが──その中身は、確実に異質なものへと変わりつつある。
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だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
『イージス艦長、インパール最前線へ。――牟田口廉也に転生した俺は、地獄の餓死作戦を「鉄壁の兵站要塞」に変える』
月神世一
SF
【あらすじ】
「補給がなければ、戦場に立つ資格すらない」
坂上真一(さかがみ しんいち)、50歳。
かつてイージス艦長として鉄壁の防空網を指揮し、現在は海上自衛隊で次世代艦の兵站システムを設計する男。
背中には若き日の過ちである「仁王」の刺青を隠し持ち、北辰一刀流の達人でもある彼は、ある日、勤務中に仮眠をとる。
目が覚めると、そこは湿気と熱気に満ちた1944年のビルマだった。
鏡に映っていたのは、小太りで口髭の男――歴史の教科書で見た、あの「牟田口廉也」。
しかも時期は、日本陸軍史上最悪の汚点とされる「インパール作戦」決行の直前。
部下たちは「必勝の精神論」を叫び、無謀な突撃を今か今かと待っている。
(……ふざけるな。俺に、部下を餓死させろと言うのか?)
現代の知識と、冷徹な計算、そして海自仕込みのロジスティクス能力。
すべてを駆使して、坂上(中身)は歴史への介入を開始する。
精神論を振りかざすふりをして上層部を欺き、現地改修で兵器を強化し、密かに撤退路を整備する。
これは、「史上最も無能な指揮官」の皮を被った「現代の有能な指揮官」が、確定した敗北の運命をねじ伏せ、数万の命を救うために戦う、逆転の戦記ドラマ。
花鳥見聞録
木野もくば
ファンタジー
花の妖精のルイは、メジロのモクの背中に乗って旅をしています。ルイは記憶喪失でした。自分が花の妖精だったことしか思い出せません。失くした記憶を探すため、さまざまな世界を冒険します。
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