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コヨタ

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第26話 愛するという渇き

第26話・3 あの人に触れたい

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 昼過ぎの医療棟・リハビリルーム隣接の一室。

「……ん゙あ~……ねむ……」

 セセラは簡易な椅子に腰掛けて欠伸を噛み殺しながら、ペットボトルの水を口に含んでいた。

 レイラの診療記録とリハビリ記録に目を向けている。
 そこにふらっと姿を現したのは当の本人、レイラ。

「薊野さん、お疲れさま」

 右腕にはまだ包帯が巻かれているものの、表情はすっかりいつもの調子を取り戻していた。

「さっき訓練室でアシュに捕まってさ、リハビリ兼訓練って感じでちょっと斬り合ってきた」

「お前な……まだ完治してねえのに、物騒なことやりすぎんなよ」

「大丈夫。斬られてはないから」

「そっちかよ……」

 苦笑しつつもどこか安心したような表情を見せると、レイラは小さく首を傾げるようにして隣に座る。

「……ねえ。最近、ちゃんと寝てる?」

「あ? なんで?」

「いや……最近龍は落ち着いてはいるけど、その分事務……とかデータの仕事……? が増えてるんじゃないかなって」

「あ~パソコンカタカタする系?」

「うん」

「いつもの事だわ、平気平気。ま、きついっちゃきついけど」

 セセラはわざと肩を回して見せたが、レイラはなんとなく勘づいている。
 その声音にどこか引っ掛かりがあることを。

 レイラは静かに、躊躇いなくセセラの手の甲の上に自分の手を重ねた。

「…………」

「ね、……あんまり、自分のこと追い込み過ぎないでね」

 セセラは一瞬その手に視線を落とし、何も言わずに頷く──。


 ◇


 時刻は夕刻に差し掛かる。

「…………」

 ただ静かに、モニターの映像を見つめている真壁。

 映っているのは、先程までの医療棟でのセセラとレイラのやり取り。

 ──監視映像ではない。
 訓練記録の解析を行う過程で、内部ネットワークからアクセスできる画面だった。

 だが、明らかには、解析とは関係が無かった。

(……手……触れてた……レイラちゃん……)

(……触りに行ってた……自分から……)

「…………ッ」

(…………あの女ァ……!!)

(子供のくせに……ませやがってェ……!!)

 真壁の目が一瞬だけ濁ったように揺らぎ、次の瞬間にはまたいつもの無表情へと戻る。

「……はあ…………」

(……いいなぁ……)

(私も、セセラさんに……)

 ──ガタンッ……!

 突如、横に置いてあったスチール棚が揺れ、小さな音を立てて倒れた。

「……!?」

 驚きのあまり立ち上がる真壁。

 室内には、自分ひとり。

 しかし棚の揺れと同時に、一瞬だけ背中に何かが触れた感覚があった。

「……っ、なに……?」

 だが、振り返っても誰もいない。

 そして、真壁の肩のあたりに一瞬だけ浮かんだ──黒い影の手のようなものは、すぐに消えた。

 その存在に気づく者は、まだいない。


 ◇


 ──同時刻、所長室にて。

「セセラ、これを」

 言いながらシエリが手渡したのは、小さな紙片。

「……これ、先週から観測されてる微弱反応のエリア、ね」

「ん……」

 セセラの顔が険しくなった。

「ご覧、点のような反応が昨日からやけにブレている。生体反応でもない、発信源も不明……でも、まるでのような跳ね上がり方」

「……場所は?」

「真壁アオイが勤務しているブロックだ」

「……はぁ」

 呆れたように目を細めるセセラ。

「……おいおい。俺のファンってのも、シャレにならねえな」

「……ただのファンじゃ、ないかもしれないよ」

 シエリの声は静かだったが、その言葉には何かを含んでいた。


 ◇


 その日の夜──。

 職員寮エリア・真壁の私室。
 コンパクトな個室、整然と片付いた机の上に、資料と並んで置かれた1冊のノートがある。

 ──表紙には、名前も日付も書かれていない。

 中には、薊野セセラの名前が繰り返し綴られていた。

「……薊野セセラさん……」

 真壁は小さく呟くと、そっとノートのページを撫でる。

 その手が、震えていた。

(……最近、夢にも出てくる)

(話しかけられる夢……頭を撫でてくれる夢……)

(夢の中のセセラさんは、優しい声で私の名前を呼んでくれる……)

 うっとりとした表情のまま、ノートの端を撫で続ける真壁の背後。

 カーテンの向こう、何かが揺れた。

 ──風は吹いていないはずだった。

 しかし、部屋の隅に置かれた植物の葉がゆらりと揺れる。

 真壁は未だ気づかない。

 だが、その背中には見えない気配が忍び寄っていた。


 ◇


 ──そして、翌朝。
 朝日がやわらかく射し込む所長室。

「……増えているね、波長の跳ね上がり」

 端末に表示されたグラフを睨むシエリ。

「昨日よりもはっきりと、感情反応に似た乱れが観測されている」

「はいはい、場所は?」

 セセラが横から尋ねた。

「変わらないよ。……真壁アオイのいるブロック」

「…………」

 しばらく無言になり、セセラは腕を組む。

「感情に反応する龍、ねえ……。精神干渉系とはまた違う……感情から産まれるってやつ? 自然なワケあるかよそんなん」

「ありえないとは言い切れない。龍因子の解析が進めば進むほど、わかることが増えるどころかも増えている」

「……何かあってからじゃ遅い。俺、しばらく真壁さんの様子見るわ」

「ああ。頼むよ、セセラ。……たぶん、は、まだ完全には姿を持っていない。けど──」

「『芽吹きは始まってる』って顔してんな? 先生」

「……鋭いね」

 シエリは目を伏せ、頷いた。

 ──所長室を出て、廊下を歩いていくセセラ。

「…………」

 特に誰かを探していたわけではない。ロビーへと向かっているだけ。
 しかし、先日の出来事がやけに気になっていた。

(……やっぱ真壁さん、最近ちょっと変だよな)

 ──そのとき。

「あっ……!」

 廊下の角から、ぶつかってきた。

「あ、ご、ごめんなさい……!」

「って、あー……真壁さんか、おはよ。大丈夫?」

「あッ、お、おはようございますっ、だ、だいじょぶです……! あのっ、セセラさん、今、私のこと……見てました?」

「ん? たまたま通りかかっただけだけど……」

 その瞬間、真壁の頬がみるみる赤くなる。

「……えへ……なんだか、すごく嬉しいです……!」

「……ん?」

(話通じてなくね? ……いや、まあ……うん。いつも通りモテてるな、俺……?)

 セセラはとりあえず笑って誤魔化すしかなかった。

「そ、そう? じゃ、気をつけてな」

 そのまま通り過ぎようとした瞬間。

「……あ、あのっ!」

 真壁が突然──。

「……!」

 セセラの腕にそっと手を添えた。

「……その、私……最近、すっごくセセラさんの近くにいられることが多くて……本当に、幸せで……。いつも頑張ってるの、見てます」

(……ん??)

 一瞬、セセラは眉を潜める。
 以前の真壁は、こんな風に触れてくることなど決して無かったはずだ。

(……違和感、やっぱ強いな)

「あー、……ありがと。でも、今ちょっと仕事中でな。そろそろ戻ったほうがいいぞ」

「あっ、そ、そうですよね……すみません……! また、また、あとで……!」

 真壁はぺこぺこと頭を下げながら去っていく。
 背を向けたその肩が、ほのかに小刻みに震えていた。

「…………」

(今まで……見てるだけ、見てただけ、のはずだったのにな。今のは……って意思が先に立ってた)

 セセラの脳裏を、嫌な予感が掠める。

(……あの目……依存するような目。しかも、理性が自分を止められてねえ)

 やや怪訝な顔をしながら、静かに息を吐いた。

(まさか真壁さんの背後に……既にいんのか?)

 セセラの中で、危機感がじわりと膨らみ始めていく。


 ◇


 朝の龍調査機関・本棟の一角。
 広々としたロビーでは、珍しく和やかな雰囲気が漂っていた。

「おっ、今日はついにノー残業デーか!」

「マジで!? うっわー……何ヶ月ぶり!? 今日定時で帰れんの!? え、え、夕飯どうしようかなー!?」

 職員たちの間で、ちょっとした祭りのような空気が流れている。

 その中、壁際のベンチにはレイラ、リル、セセラの姿。
 それぞれ缶コーヒーを飲む動きがシンクロしていた。

「薊野さん、今日は終わったあと久々にゆっくりできそうだね」

 レイラはニコッと笑いながら声をかける。
 しかしセセラは肩をすくめて手を振った。

「うーん……残念ながら俺は対象外。やること多すぎて、むしろ残業しまくらないとダメなんだわ」

 不貞腐れたような口調で、ため息を吐くセセラ。
 リルが即座に追撃した。

「……煙草休憩が多すぎなんじゃねえの」

「いやそれはねえよ、休憩とか関係無くどこでも煙草吸ってるし。マジで俺いそがしーの。煙草吸いながらでも書類読めるし、検査結果もまとめてるし」

 その答えにリルは、(仕事中に吸うのもどうかと思うけどな……)と内心でツッコむが、口には出さない。

 レイラは小さく笑ってから、労わるように問いかけた。

「確かにやることたくさんあって大変そう。……いつ寝てるの? というか、寝れてるの?」

 その問いにセセラは肩を回しながら、当然のように。

「寝る時にガッツリ寝て、起きてなきゃなんねえ時はずっと起きてる」

「あんまり無理しすぎちゃダメだよ……」

「俺が倒れたら機関ここが混乱するからな。そっちの方がやべー」

 そんな軽いやり取りが続く傍らで──。
 少し離れた廊下の端で立ち止まっていたひとりの女性職員。

 ──真壁だ。

「…………」

 本日も変わらず誰もが見過ごすような、地味で目立たない存在。

 だがその目には、確かにセセラの姿が映っていた。

(……今日、彼だけは……夜もここにいるんだ)

 缶コーヒー片手に気怠げに笑うセセラの横顔を、遠くでじっと見つめる真壁。

(……寝てるところに、私が……添い寝してあげたいな……)

(私だけが、あの人の疲れを癒せたら……いっそ、一緒に、同じベッドに……くるまりたい)

 その目の奥に、ほのかに紅が差す。
 指先は資料を握ったまま、僅かに震えている。

 真壁の脳裏には、昨夜の帰宅後、布団に潜って何度も思い出したセセラの顔が浮かんでいた。

 ただの憧れ、ただの尊敬。

 ……そのはずだった。

(ねえ、セセラさん……)

(どうして……あの子たちにはそんなに無防備に優しく笑うの……)

 その想いは静かに、そして確かに、輪郭を変え始めている。


 ◇


 午前の仕事が始まり、龍調査機関はいつものように静かに稼働していた。
 職員たちはそれぞれの持ち場に就き、会話も徐々に業務的なものへと戻っていく。

 レイラはリハビリ、リルは運動をしに訓練棟へと向かっていった。
 セセラは午前中に使用する問診データを整理して、既にデスクで煙草を咥えながらカタカタとキーボードを叩いている。

 ──そして、その少し後ろで。

「……セセラさん、お疲れさまです」

 少し照れたような声で背中越しに声をかける──真壁。

「…………」

(その声……真壁さんかァ~?)

「ん? ああ、おつかれ。真壁さんも忙しそうだな、無理すんなよ」

 セセラは軽く右手を挙げ、振り向いて笑顔を返してみせた。

 その一言だけで、その笑顔だけで──。

「……!!」

 真壁の胸の奥に、小さな花が咲いたような感覚が走る。

(……見てくれてる。やっぱり……私のこと、ちゃんと……!)

 真壁はそのまま、書類をセセラに渡そうと歩み寄った。

「えっと、これ、午前中分の報告書で……」

「どうも──」

 手渡す瞬間。

 真壁の指が、セセラの手にそっと触れる。

「……!」

 一瞬、セセラは驚いたように眉を動かすが、すぐに軽く笑って受け取った。

「ありがとな」

 ニコッ。

「……いえ……!」

(ああ、触れられた……。あったかかった……)

 真壁はそっと胸元を押さえながら席へ戻る──が、その真壁の様子を背後から他の職員たちがじっと見ていた。

「……最近の真壁さん、ちょっと雰囲気変わったよな」

「あー……なんか、妙に明るいっていうか、積極的になった気がするよね……」

 囁かれる小さな会話。

「薊野さん、だな。またモテてるのか~あの人」

「これで何人目だぁ?」

「さぁな。真壁さんも気の毒にな……あの人を落とそうと試みるなんて、無謀ってもんだぜ」

「くうう……俺もそのくらいモテてみたい……」

「それはそれで大変だと思うけどな……」

 そんな会話も当の真壁の耳には届かない。
 ──否、届いたとしても、もう気にすることはないだろう。

 なぜなら──。

(……夜も、ここに残れれば……きっと、きっと……)

(私と、あの人の距離はもっと、縮まっていくんだ……)

 そんな確信めいた妄想が、静かに真壁の思考を蝕んでいく。
 その歪みに気づかぬまま、真壁は今日もとして仕事をこなしていくのだ。

 だが──その中身は、確実に異質なものへと変わりつつある。



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