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コヨタ

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第2話 名前も知らないその子と

第2話・2 西城アシュラ

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 ──後日。

 重厚な門をくぐり、広い石畳の庭を歩いているだけで、レイラの心拍はすでに上がりきっていた。

(……えっ、広……)

 あの日のお茶会から少し経って、ラショウから正式に「遊びに来ませんか?」と誘われた。
 そのときは軽い気持ちで頷いたけど、今になって思う。

(……家じゃない。これ、屋敷だ……!)

 立派すぎる門構え。美しい庭木。遠くに見える池。
 そもそも門から玄関までの距離がレベルで遠い。

(ほんとに、お嬢様だったんだこの人……!!)

 そんな内心の悲鳴を胸に抱えながら、案内された玄関の扉が開く。
 それだけで風の通りが変わったような気がした。

「どうぞ、レイラちゃん。ようこそ……西城家さいじょうけへ」

 柔らかく微笑むラショウの姿が、レイラはまた胸に刺さる。
 さっきまで驚きで目を丸くしていた自分が、ちょっと恥ずかしい。

「お、お邪魔します……」

(もうちょっと落ち着け、私……)

 綺麗な玄関。まるで旅館の入口のような広い空間を抜け、奥へと足を進めた──そのとき。

 ふいに、廊下の奥から声が届く。

「……あれ、ラショウ? お客様?」

 聞こえてきたのは男性の落ち着いた声。その響きにはどこか気品と気安さが混ざっている。

 レイラは、はっと足を止めた。

 声に振り返ったレイラの視線の先、廊下の奥から歩いてきたのは──。

「……!」

 ラショウに、よく似た人物だった。

 サラサラと流れるような白銀の髪。
 顔のサイドにかかるやや長めの毛が、どこか上品さを際立たせている。

(……もしかして、この人が……ラショウさんの……)

 答えは、すぐにラショウ本人の口から明かされた。

兄様にいさま……! 今日は早かったんだね」

(やっぱり! お兄様だ……!)

 そう確信した瞬間、レイラの胸がどくんと高鳴る。

 それもそのはずだった。

 ──『お兄様』は、眩しかった。

 髪の色も質感もラショウと同じなのに、どこかの質が違う。
 長い睫毛に、すっと通った鼻筋、整った眉と切れ長の瞳。シャープな輪郭。

 妹とよく似たそのサファイアのような瞳がこちらを見て──レイラは思わず見惚れてしまった。

(容姿端麗、とはこのことか……いや、端麗すぎる……)

(……王子様……!?)

 そう思った瞬間、自分が凝視していたことに気づいて、レイラは慌てて顔を戻す。

「は、はじめましてっ! お邪魔してます……! 私、紫苑レイラというもので、あっ……ラショウさんとは……そのっ、仲良くさせていただいてて……!」

 ほぼ早口で捲し立て、ぺこりと深く頭を下げるレイラ。
 しかし、その完璧すぎる兄は──穏やかに微笑んだ。

「はじめまして。俺はアシュラといいます」

 澄んだ声に、冷たい印象は全く無い。
 その柔らかさに少し安心しながらも、次の言葉にレイラはまた驚く。

「ここ、西城家のを担っておりますが……、どうか気兼ねなく接していただけたらと存じます」

(当主……!?)

「と、とうしゅ……?」

 思わず声に出ていた。

(ハイスペックすぎる……!)

 ぐるぐると目が回りそうになる。

(容姿端麗、上品で、優しそうで、爽やかで……そりゃあ、あんな優しい妹さんになるわけだ……)

 第一印象で既にのラベルを貼ってしまうレイラ。

(……それに比べて、この前のアイツ……)

 ──思わず、頭に浮かんでしまう。

 ぼんやり思い出したのは、あの怠そうな顔とハネた赤髪、ぶっきらぼうな口調の第一印象最悪な“アイツリル”。
 でも、それは──今は全く関係のないことだ。

 そのとき、隣にいたラショウがそっとレイラに向かって紹介する。

「兄様です。……『当主』なんて紹介しちゃったけど、ほんとに気にしないでくださいね」

 優しく、少し照れくさそうに笑うラショウ。

「……んは、……はぃ……」

 だがレイラは、もう既に緊張でカチコチになっていた。

「……廊下で立ち話も何ですし、良ければ居間へどうぞ」

 そう優しく声をかけたのは、アシュラの方だった。
 断れるはずもなく、レイラはこくこくと小さく頷く。

(……ど、どうしよう。ちゃんと、歩けてる? 私……)

 ラショウの後ろに少し距離を置いてついていくレイラ。
 そして、案内された居間の襖が開かれた瞬間──。

「わ……っ」

 広々とした畳の間。旅館のような品のある設え。
 床の間には生け花、障子からは柔らかな光。高級そうな畳の香りがふわりと鼻をくすぐった。

(逆にくつろげ……ない……!!)

「お掛けください。どうぞ、ラクにしてもらって構いませんよ」

 そう言ってアシュラが笑顔で座布団を勧めてくれるが、レイラはもう既に緊張の極みに達している。

「あ、ありがとうございます……っ」

 正座かあぐらか、座り方すら迷うレベル。背筋がピンと伸びていて、明らかにくつろげていない。

 その様子に気づいたのか、アシュラは微笑を浮かべたまま、ふと茶目っ気を込めて話しかけた。

「レイラさんは、畳の部屋って……苦手、ですか?」

「えっ……!? い、いえっ、そんなことは……! あの、その、すごく……立派で……!!」

 しどろもどろになるレイラ。慌ててラショウを見ると、ラショウは「ふふっ」と小さく笑っていた。

「レイラちゃん、ちょっと緊張しちゃってますよね……。兄様、レイラちゃん、ほんとはもっと落ち着いた子よ」

「それはそれで、魅力的なことです」

 アシュラは穏やかな口調で、やわらかく続ける。

「きちんと礼儀をもって接してくださるのは、とても嬉しいです。……ですが、妹の客人に肩肘張らせるようでは、兄として情けないので」

 その言葉に、レイラは一瞬ぽかんとして──少しだけ笑った。

「……ありがとうございます。少し、緊張……ほどけた、かもしれません」

「よかった」

 微笑むアシュラ。青く美しい瞳が、穏やかに揺れていた。

 そしてふと、レイラは気づく。

(この人も……優しさでできてるんだ)

 ラショウがあんなに優しいのは、きっとこの兄の背中を見て育ったからだ。
 それを思うと、なんだか胸がじんわりとあたたかくなる。


 ◇


 居間にカタリ、と音が響いた。

「はい、お茶。兄様の分もちゃんと淹れてきたよ」

 ラショウが持ってきた盆には、湯気の立つ湯呑みが3つ。
 ふんわりと香ばしいお茶の香りが部屋に満ちて、レイラの肩の力がほんの少し抜けた気がした。

「ありがとう、ラショウ。……お客様の分も、丁寧に淹れてくれて」

「うん。だって、レイラちゃん、ちゃんとご挨拶してくれてたから。……私の友達だから、もてなしはちゃんとしないとね」

 その言葉に、レイラはまた少し照れて俯く。

(『友達』……か。そう言ってもらえるの、久しぶり……いや初めて……かも)

「いただきます」

 そっと湯呑みに手を伸ばし、ひとくち。
 苦みと香ばしさが心地よく、喉を滑っていった。

「……美味しいです。すごく」

「ほんと? よかったぁ」

 ラショウが嬉しそうに微笑むと、アシュラも湯呑みに口をつけてから、ゆるやかに話題を投げた。

「西城家は、古い家柄なものでして。畳の部屋が多いんです。慣れない方には、ちょっと落ち着かないかもしれませんね」

「……いや、それはもう……すごく立派で……。旅館みたいだなって思いました」

 そう言ったレイラに、アシュラは「それは光栄です」と笑った。

「ラショウ、折角だからもう少し他の部屋も見せてあげて」

「うん、そうする。……レイラちゃん、見てみたい部屋があったら、ご案内しますよ」

「えっ、あっ……じゃあ、あの……」

 レイラは少し考えたあと、意を決して聞いてみた。

「ラショウさんは……どんな部屋で過ごしてるんですか?」

「……えっ、私の部屋?」

 思いがけない質問にラショウが目を瞬かせる。
 けれどすぐに笑って、「見てみますか……?」と立ち上がった。

「ふふ、ちょっと散らかってるけど……レイラちゃんにだけなら……」

「えっ、い、いいんですか……!?」

 アシュラはそれを見ながら、どこか微笑ましそうに目を細めていた。

「では、俺はこのままにしていますので、ゆっくり過ごしていってください。レイラさん。家族のように歓迎しますので、いつでも遠慮なく」

 その言葉に、レイラの胸がまたじんわりとあたたかくなる。

「……はい。ありがとうございます」

 西城家の中で、レイラの世界がゆっくり広がっていく。

「……それでは、レイラちゃん。よろしければ、私の部屋をご案内しますね」

 ラショウはにこやかにレイラへと手を差し伸べた。
 その動作ひとつひとつが、どこまでも柔らかくて丁寧で、やっぱりお嬢様だなとレイラはまた感心する。

「えっ、あ……はい。ぜひ、お願いします」

 アシュラが微笑ましげに見送る中、レイラはラショウのあとをついて廊下へと出た。
 廊下は磨かれており、窓から射し込む陽射しに床がほのかに光る。

「こっちです。少し奥にあるので、歩きますけど……大丈夫でしょうか?」

「もちろん、大丈夫です」

(ていうか、やっぱりこの家……広い……)

 そんな驚きを隠しながらついていくと、やがて立派な扉の前でラショウが立ち止まった。

「失礼しますね……少しだけ、お見せする程度ですけれど」

 そう言って扉を静かに開けた先は──。

「わ……!」
 
 綺麗に整った空間だった。

 淡い色の家具に、優しい木の香りがする本棚。
 窓際にはふわふわしたクッションの置かれた小さなソファ。
 清潔で静謐な、でもどこか“ラショウらしい”温かさを感じさせる部屋だった。

「……綺麗……!」

「ふふ、ありがとうございます。散らかってるところは……なるべく見えないようにしてるだけですよ」

 ラショウは少し恥ずかしそうに笑う。

「こんな素敵な部屋、初めて見ました……。落ち着いてて、ラショウさんにぴったりです」

「……嬉しいです。レイラちゃんにそう言っていただけるなんて」

 窓のそばに並んで立つふたり。
 数分だけの短い時間だったけれど、その空間にはやわらかな沈黙と、ほんのり甘い香りが漂っていた。

「……そろそろ、戻りましょうか。兄様を待たせてしまっては申し訳ないので」

「……はい」

(……なんだろう。すごく、静かだったけど、心が落ち着いた)

 そんなことを思いながら、レイラは再びラショウのあとをついて、静かな足音を立てて居間へと戻っていった。

 廊下を抜けて、ふたたび居間の襖をそっと開ける。

「失礼します」

 ラショウが声をかけると、アシュラは読んでいたらしい冊子を閉じて、顔を上げた。

「おかえり。……ゆっくり見てきたか?」

「うん、少しだけ。レイラちゃんにも、気に入っていただけたみたいで」

 ラショウがそう答えてレイラの方を振り返ると、レイラはこくりと頷く。

「はい。すごく……居心地の良いお部屋でした」

「それはよかった。妹の部屋は、家の中でもいちばん物が多いから、楽しかったかな」

 アシュラの穏やかな口調に、ラショウは少し頬を赤くして「からかわないで」と小さく口を尖らせた。

「兄様、それ……けっこう恥ずかしいよ……」

「はは、すまない」

 そのやり取りを見ていたレイラは、なんだか胸の奥がふわっとした。

(……こういうの、いいな)

 誰かと笑い合う空気。家族のあたたかさ。
 自分とは少し違う世界であっても、心に灯るものは変わらない気がして──少し、羨ましかった。

 ふと、アシュラはレイラの湯呑みに視線をやる。

「お茶……冷めてしまいましたね。淹れ直しましょうか?」

「あっ、いえっ、私が……」

 慌てて立ち上がりかけるレイラの袖を、そっとラショウが引き止めた。

「レイラちゃん、お客様ですから。ここでは、くつろいでいてください」

「……はい」

(なんか、優しい人が多すぎて……戸惑うな……)

 静かな午後の時間が、もう一度、ゆっくりと流れ出す。

 サラサラと風に揺れる障子の影のなかで、3人の気配がふわりと重なるようだった。

(……おふたり共、本当に優しいな)

 いただいた湯呑みに口をつけながら、レイラは心の中でそっと思っていた。
 こんなに丁寧に接してもらうのは、いつ以来だろう。

 緊張も少し解けてきて、ようやくこの空間に馴染めそうな気がしていた。

(……嬉しいな……)

 そんなふうに思い始めた、まさにそのときだった。

 ──ガラッ……!

 このやわらかい空間を裂くような勢いで、襖が突然に開かれた。
 その音に、3人がそちらを一斉に振り返る。

「アシュラ、メシ行こ──……」

 現れたのは、赤い髪に気怠げな目。
 間違いようもなく、“アイツ”──。

 リル。

「…………!?」

「………………は?」

 リルの口から漏れたのは、小さな、でも確かな困惑の声。

「………………っ…………!?!?」

(な、ななななんで……!?)

 レイラの心臓は一瞬、止まりそうになった。



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