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コヨタ

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第2話 名前も知らないその子と

第2話・1 西城ラショウ

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 休日の龍調査機関は、いつもより少しだけ静かだった。

 レイラはガラスパーテーション仕様の休憩ラウンジのソファで、温かい紅茶を口にしている。
 無線も戦闘服も必要ない、平和な時間。

 ぼんやりと廊下の方を眺めていたそのとき──。

 扉の向こうから、女の子が現れた。

 菓子折を抱えた、白髪はくはつのツインテールを揺らす少女。可憐で、お嬢様のような佇まい。
 職員と談笑している様子を、レイラはテーブル越しにそっと見ていた。

(……あの子、また来てる)

 数回見かけたことはある。名前は知らない。
 ただ、その美しい横顔と青い瞳は、記憶に残っていた。

 他の誰より、鮮やかに。

 職員たちと笑顔で話すその子は、何やら誰かの様子を尋ねているようだった。
 けれど、レイラにはガラスの向こうのその内容までは聞こえない。むしろ聞こえてしまわなくて、よかったのかもしれない。

 その子がふと、レイラの方に視線を向けた。
 視線が、ぴたりと合う。

 一瞬、鼓動が跳ねた。

「……こんにちは」

 少し照れたように、柔らかく笑って──その子は、休憩ラウンジの向こうからそう声をかけてきた。

 レイラもすぐには返事ができず、けれどほんの少しだけ口元がほころんで。

「……こんにちは」

 こんなふうに、自分と同じくらいの年の女の子と話すのは久しぶりだった。
 それだけで、空気が少し違って感じられる。

(なんか……不思議な気分)

 そして、その子は少し逡巡してから、恐る恐る歩み寄ってきた。

(……えっ)

「あの……急にすみません。先程から、すごく落ち着いた雰囲気で紅茶を飲んでいらしてるのが見えて……。もし良かったら、一緒に……お茶、……飲みませんか?」

 その声が、レイラの胸の奥に落ちる。

(え……えっ!? ええーっ!?)

 紅茶を飲みかけた口元が、びくんと揺れた。


 ◇

 
 白髪ツインテールの少女はラウンジに入室すると、そっとレイラの向かい側のソファに腰を下ろした。
 品の良い動作に、レイラはどこか緊張して背筋を正す。

「……私、西城さいじょうラショウといいます」

 白い指が膝の上で揃えられ、どこか申し訳なさそうな声で続けた。

「急に声をかけてしまって、すみません……。でも、度々あなたをお見かけしていて……ちょっと、気になってしまったもので……」

 その言葉に、レイラは目を見開く。

 ──こんな整った美少女が、自分のことを気にしてくれていたなんて。

「いっ、いや……っ」

 思わず声が裏返り、慌てて言い直す。

「こちらこそ……っ、あの……その……あんまり……見すぎないようにしてたつもりなんですけど……っ、すみません……」

 俯き気味に呟く姿に、ラショウはふっと微笑んだ。

(……可愛い子。職員さんの、噂どおり)

 ほんの少し、肩の力が抜けたようにラショウが問う。

「ここで、働いていらっしゃるんですね?」

 その問いかけにレイラは姿勢を戻して、小さく頷く。

「……は、はい。紫苑レイラ……といいます」

「レイラさん……」

 ラショウはその名前を、丁寧に口に出して繰り返した。まるで宝物を扱うように優しく、青い瞳がふわりと揺れている。

「……っ」

 レイラはその視線を受け止めきれず、目を逸らしてしまう。

(……お嬢様だ……)

 気圧されるでもなく、惚けるでもなく。

 ──そして、テーブルの上に置かれたティーカップが、ささやかに湯気を立てていた。
 注がれた紅茶の香りが、ほんのり甘く漂っている。

 ラショウはカップを両手で包み込みながら、首を傾げた。

「えっと……紅茶、お好きですか?」

「……あ、はい。たぶん……」

 少しを置いて、レイラが返す。

「たぶん……?」

「この機関に来るまでは、飲んだことなかったんです」

 カップを見つめるようにして、小さく続けた。

「慣れないうちは苦いなって思ったんですけど……、最近は、なんか……落ち着くなって」

「……ふふっ」

 小さく笑ったラショウ。
 静かな、でも嬉しそうな声。

「わかります。私も最初は、少し苦手だったんです。兄様にいさまがよく飲んでいたので、背伸びして真似してました」

「にいさま……」

 その呼び方に、レイラは少しだけ反応してしまう。

(……育ちが違う)

 テーブルの向かいにいる女の子は、立ち振る舞いも、言葉選びも──。
 全部が柔らかくて、優雅だった。

(私とは……ぜんぜん、違うな)

 ラショウは気づかない様子で、そっとティースプーンを動かしている。
 その仕草を見ながら、レイラは唐突に思い立ったように口を開いた。

「あっ、あのっ……」

「はい?」

「……私、16歳なので。もし……あれだったら……呼び捨てでも大丈夫です。気を遣わせちゃってたら、すみません」

 その言葉に、ラショウは一瞬驚いた顔をして──。

「……えっ……」

「え~……と……、それじゃ……」

「レイラ、ちゃん……でもいいですか……?」

 すぐに頬をほんのり赤く染めた。

「…………!」

(な、なんて可愛らしいんだあ……!)

 レイラは内心で頭を抱える。

(私には到底このお淑やかさは出せない……!!)

 思わず姿勢を正してしまうのは、その空気に負けまいとする無意識の防御。

「うん……! いい、です……! ありがとう、ございます……!」

 顔を合わせて言葉を交わしたのは、ほんの数分なのに。
 胸の奥が、いつもよりずっとあたたかい気がした。

 ラショウがカップに口をつけるたび、ふんわりと甘い香りが揺れる。
 レイラもゆっくりと紅茶を味わいながら、ふと問いかけた。

「……その、ラショウさんは……いつも、ここに来ているんですか?」

「うん……いつもというか……、そうですね」

 ラショウは頷いて、視線を少しだけ落とす。

「……ご迷惑じゃなければいいんですけど、たまに顔を出させていただいてて……。ここの皆さん、とても優しいので……つい、長居しちゃうこともあって」

「そ、そんなっ、迷惑……なわけ、ないと思います。むしろ……静かで、落ち着いた雰囲気だから……なんか、安心する」

「……嬉しいです」

 ほっとしたように笑うラショウ。

「レイラちゃんは……お休みの日って、どんな風に過ごしてるんですか?」

「えっ、わ、私……?」

 不意に質問されて、レイラの背筋がピンと伸びた。

「ええと……あんまり、何かしてるってほどじゃ……ないんですけど。本を読んだり、データ整理したり……少し、走ったり……そのくらいです」

「……わ……、偉いですね」

 ラショウはぽそりと呟く。

「私はつい……お菓子食べながら、ぼーっとしちゃうことばかりで」

「いや、それも……いいと思います。そういう時間の方が……ずっと、ちゃんと“休んでる”って感じがして」

 そう言いながら、レイラは少しだけ笑った。
 自分でも気づかないくらい、表情がほんのり緩んでいた。

「……あの、ラショウさんは……お菓子、何が好きですか?」

「え?」

「えっと……私、すごく詳しいわけじゃないけど、甘いのも好きなので……。よければ、教えてほしいなって」

「……ふふっ」

 ラショウは目を細めて、カップをそっと置く。

「……じゃあ、今度、私の好きなお菓子……持ってきますね」

「えっ、い、いや! そ、そんなつもりじゃ……!」

「ううん。私も、こうしてお話できて嬉しいから。……お礼のつもり、です」

 そう言って微笑むラショウの横顔が、どこか透明で。
 レイラは言葉を飲み込んで、ただ静かに頷いた。


 ◇


 ──ふたりの間に、静かで穏やかな時間が流れていく。

 紅茶を口にしながら、お互いの好きな味や、お気に入りのカップの柄の話など。
 まだ探り探りだけど、ぎこちないながらも、笑みが交わされるようになっていた。

(……こんなに、すぐに)

 レイラはふと思う。

(仲良くなれるなんて……。たぶん、だけど)

 すると、不意に──視線を感じた。

(……?)

 それは、テーブル越しに座るラショウの視線。
 どこか気まずそうに逸らされるけど、そのチラりとした行き先は──自分の左目。眼帯。

「…………」

 視線に気づいたその瞬間、ラショウは小さく跳ねるようにして顔を赤らめた。

「あっ、ご、ごめんなさいっ……!」

 両手を胸の前で揃え、慌てて頭を下げる。

「ちょっと、チラチラと……見てしまって……。嫌だったら言ってください……本当に、すみません……!」

 その過剰ともいえるほどの謝罪に、レイラはむしろ驚いてしまって──。

「いや、ぜんぜん……!」

 すぐに首を振って、少し困ったように笑う。

「こんなの……着けてたら、気になりますよね。仕方ないです」

「でも……っ」

 ラショウはそれでも、謝る手を止めようとしなかった。

「……ほんとうに、失礼しました。その……じつは、私……」

 一拍の間を置いて、ラショウは伏し目がちに続けた。

「ここで何度か、レイラちゃんをお見かけしたとき……その眼帯が、すごく気になっていて。まだ……お若いのに、怪我しちゃったのかな、とか……」

 声が、少しずつ細くなっていく。

「そんな勝手な想像しちゃって……それで、つい、目がいってしまって……。本当に、ごめんなさい……」

 その言葉は、好奇心ではなく、心からの気遣いに満ちていた。
 
 レイラは、思わず目を見開く。

(……優しい)

 それだけじゃない。自分の“痛み”に、興味ではなく“心配”を向けてくれる人が──こんなふうにそばにいるなんて。

「……ふふ」

 そっと微笑んだレイラ。

「気にしてくれて……ありがとう……ございます。でも、今は……大丈夫なので。ラショウさんのせいじゃないですから」

 その言葉に、ラショウも少しだけ表情を緩める。だけど視線はまだどこか遠慮がちで。
 そんなラショウの姿が、レイラにはとても、あたたかく感じられた。
 
「…………」

 ──紅茶の香りがすっかり冷めて、ぬるくなっていることにさえ、気づかなかった。

 視線を落としたままのラショウの前で、レイラは少しだけ唇を噛む。
 これ以上、気を遣わせるわけにはいかないと思った。

(……こんなに気にされていたら、いっそ話した方がいいかもしれない)

 ゆっくりとカップをテーブルに置き、レイラは切り出す。

「……ラショウさんって、この施設の名前……“龍調査機関”って、どういう意味か……知ってますか?」

 ラショウは少し驚いたように目を瞬かせ、それから頷いた。

「……あ、……はい。もちろんです。“龍”という生き物を研究している機関……ですよね。私も……それに、私の兄も……実は多少は心得があります」

 その言葉にレイラは少しだけ、目を見開く。

(なるほど……なら話は早い)

「あの……、信じられないと思うんですけど」

 レイラは小さく息を吸って続ける。

「私、龍にんです」

「…………!?」

 目を丸くするラショウ。
 その青い瞳が、サファイアのように見えた。

「憑依……されてる……?」

「……うん。憑依されてるんだけど、生きてて……いや、逆か。生きてるんだけど、憑依されてて……」

 少しだけ肩をすくめて、苦笑を浮かべるレイラ。

「変、ですよね」

 ラショウはその言葉を胸の内で繰り返しながら、そっと思う。

(レイラちゃん……ここに所属してるって言ってたけど……のこと、知ってるのかな……)

 けれど、それは口には出さず、ただ静かにレイラの言葉を待った。

「……すみません。変な話してしまって……。その、龍の影響が出ちゃってるせいで、左目が……変なんです。だから隠してて……」

 言いかけて、言葉が震える。

「気持ち悪……っ、い、ですよね」

 レイラの指先が、テーブルの縁を微かに掴んでいた。

 ラショウは、すぐに首を振る。

「と、とんでもない……っ!」

 目を伏せるレイラに向かって、ラショウの言葉が急ぎ足で続く。

「そんなこと、ありませんよ。そんな酷いこと……言う人、いませんよ……!」

 その表情は、どこか切なく、胸を押さえるようなものだった。

「…………ラショウさん……」

「…………」

 ラショウは思う。

(この子、気持ち悪がられたり……してきたのかな)

(こんなに、優しいのに)

 どうしてか、いたたまれなくなったラショウは──。

「……あ、あの、……レイラちゃん。今度、うちに遊びに来ませんか?」

 はっと顔を上げるレイラ。

「…………へ……?」

 少し間抜けな声が漏れて、自分でも驚いたのか、レイラは目を丸くしてしまう。
 その反応に、ラショウはふわりと笑った。

「……うん。もし良かったら、です。うち、結構のんびりできるので……ゆっくりくつろいでいただけたらなって」

「…………あ、え……!」

 人様の家に呼ばれるなど、初めてだった。なんて返せばいいのかわからない。

「また、お茶……用意しますので」

 その笑顔はまるで、春の陽だまりのようにやわらかくて。

 レイラの胸に、小さな灯がポッと灯ったようだった。



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