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第2話 名前も知らないその子と
第2話・1 西城ラショウ
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休日の龍調査機関は、いつもより少しだけ静かだった。
レイラはガラスパーテーション仕様の休憩ラウンジのソファで、温かい紅茶を口にしている。
無線も戦闘服も必要ない、平和な時間。
ぼんやりと廊下の方を眺めていたそのとき──。
扉の向こうから、女の子が現れた。
菓子折を抱えた、白髪のツインテールを揺らす少女。可憐で、お嬢様のような佇まい。
職員と談笑している様子を、レイラはテーブル越しにそっと見ていた。
(……あの子、また来てる)
数回見かけたことはある。名前は知らない。
ただ、その美しい横顔と青い瞳は、記憶に残っていた。
他の誰より、鮮やかに。
職員たちと笑顔で話すその子は、何やら誰かの様子を尋ねているようだった。
けれど、レイラにはガラスの向こうのその内容までは聞こえない。むしろ聞こえてしまわなくて、よかったのかもしれない。
その子がふと、レイラの方に視線を向けた。
視線が、ぴたりと合う。
一瞬、鼓動が跳ねた。
「……こんにちは」
少し照れたように、柔らかく笑って──その子は、休憩ラウンジの向こうからそう声をかけてきた。
レイラもすぐには返事ができず、けれどほんの少しだけ口元がほころんで。
「……こんにちは」
こんなふうに、自分と同じくらいの年の女の子と話すのは久しぶりだった。
それだけで、空気が少し違って感じられる。
(なんか……不思議な気分)
そして、その子は少し逡巡してから、恐る恐る歩み寄ってきた。
(……えっ)
「あの……急にすみません。先程から、すごく落ち着いた雰囲気で紅茶を飲んでいらしてるのが見えて……。もし良かったら、一緒に……お茶、……飲みませんか?」
その声が、レイラの胸の奥に落ちる。
(え……えっ!? ええーっ!?)
紅茶を飲みかけた口元が、びくんと揺れた。
◇
白髪ツインテールの少女はラウンジに入室すると、そっとレイラの向かい側のソファに腰を下ろした。
品の良い動作に、レイラはどこか緊張して背筋を正す。
「……私、西城ラショウといいます」
白い指が膝の上で揃えられ、どこか申し訳なさそうな声で続けた。
「急に声をかけてしまって、すみません……。でも、度々あなたをお見かけしていて……ちょっと、気になってしまったもので……」
その言葉に、レイラは目を見開く。
──こんな整った美少女が、自分のことを気にしてくれていたなんて。
「いっ、いや……っ」
思わず声が裏返り、慌てて言い直す。
「こちらこそ……っ、あの……その……あんまり……見すぎないようにしてたつもりなんですけど……っ、すみません……」
俯き気味に呟く姿に、ラショウはふっと微笑んだ。
(……可愛い子。職員さんの、噂どおり)
ほんの少し、肩の力が抜けたようにラショウが問う。
「ここで、働いていらっしゃるんですね?」
その問いかけにレイラは姿勢を戻して、小さく頷く。
「……は、はい。紫苑レイラ……といいます」
「レイラさん……」
ラショウはその名前を、丁寧に口に出して繰り返した。まるで宝物を扱うように優しく、青い瞳がふわりと揺れている。
「……っ」
レイラはその視線を受け止めきれず、目を逸らしてしまう。
(……お嬢様だ……)
気圧されるでもなく、惚けるでもなく。
──そして、テーブルの上に置かれたティーカップが、ささやかに湯気を立てていた。
注がれた紅茶の香りが、ほんのり甘く漂っている。
ラショウはカップを両手で包み込みながら、首を傾げた。
「えっと……紅茶、お好きですか?」
「……あ、はい。たぶん……」
少し間を置いて、レイラが返す。
「たぶん……?」
「この機関に来るまでは、飲んだことなかったんです」
カップを見つめるようにして、小さく続けた。
「慣れないうちは苦いなって思ったんですけど……、最近は、なんか……落ち着くなって」
「……ふふっ」
小さく笑ったラショウ。
静かな、でも嬉しそうな声。
「わかります。私も最初は、少し苦手だったんです。兄様がよく飲んでいたので、背伸びして真似してました」
「にいさま……」
その呼び方に、レイラは少しだけ反応してしまう。
(……育ちが違う)
テーブルの向かいにいる女の子は、立ち振る舞いも、言葉選びも──。
全部が柔らかくて、優雅だった。
(私とは……ぜんぜん、違うな)
ラショウは気づかない様子で、そっとティースプーンを動かしている。
その仕草を見ながら、レイラは唐突に思い立ったように口を開いた。
「あっ、あのっ……」
「はい?」
「……私、16歳なので。もし……あれだったら……呼び捨てでも大丈夫です。気を遣わせちゃってたら、すみません」
その言葉に、ラショウは一瞬驚いた顔をして──。
「……えっ……」
「え~……と……、それじゃ……」
「レイラ、ちゃん……でもいいですか……?」
すぐに頬をほんのり赤く染めた。
「…………!」
(な、なんて可愛らしいんだあ……!)
レイラは内心で頭を抱える。
(私には到底このお淑やかさは出せない……!!)
思わず姿勢を正してしまうのは、その空気に負けまいとする無意識の防御。
「うん……! いい、です……! ありがとう、ございます……!」
顔を合わせて言葉を交わしたのは、ほんの数分なのに。
胸の奥が、いつもよりずっとあたたかい気がした。
ラショウがカップに口をつけるたび、ふんわりと甘い香りが揺れる。
レイラもゆっくりと紅茶を味わいながら、ふと問いかけた。
「……その、ラショウさんは……いつも、ここに来ているんですか?」
「うん……いつもというか……、そうですね」
ラショウは頷いて、視線を少しだけ落とす。
「……ご迷惑じゃなければいいんですけど、たまに顔を出させていただいてて……。ここの皆さん、とても優しいので……つい、長居しちゃうこともあって」
「そ、そんなっ、迷惑……なわけ、ないと思います。むしろ……静かで、落ち着いた雰囲気だから……なんか、安心する」
「……嬉しいです」
ほっとしたように笑うラショウ。
「レイラちゃんは……お休みの日って、どんな風に過ごしてるんですか?」
「えっ、わ、私……?」
不意に質問されて、レイラの背筋がピンと伸びた。
「ええと……あんまり、何かしてるってほどじゃ……ないんですけど。本を読んだり、データ整理したり……少し、走ったり……そのくらいです」
「……わ……、偉いですね」
ラショウはぽそりと呟く。
「私はつい……お菓子食べながら、ぼーっとしちゃうことばかりで」
「いや、それも……いいと思います。そういう時間の方が……ずっと、ちゃんと“休んでる”って感じがして」
そう言いながら、レイラは少しだけ笑った。
自分でも気づかないくらい、表情がほんのり緩んでいた。
「……あの、ラショウさんは……お菓子、何が好きですか?」
「え?」
「えっと……私、すごく詳しいわけじゃないけど、甘いのも好きなので……。よければ、教えてほしいなって」
「……ふふっ」
ラショウは目を細めて、カップをそっと置く。
「……じゃあ、今度、私の好きなお菓子……持ってきますね」
「えっ、い、いや! そ、そんなつもりじゃ……!」
「ううん。私も、こうしてお話できて嬉しいから。……お礼のつもり、です」
そう言って微笑むラショウの横顔が、どこか透明で。
レイラは言葉を飲み込んで、ただ静かに頷いた。
◇
──ふたりの間に、静かで穏やかな時間が流れていく。
紅茶を口にしながら、お互いの好きな味や、お気に入りのカップの柄の話など。
まだ探り探りだけど、ぎこちないながらも、笑みが交わされるようになっていた。
(……こんなに、すぐに)
レイラはふと思う。
(仲良くなれるなんて……。たぶん、だけど)
すると、不意に──視線を感じた。
(……?)
それは、テーブル越しに座るラショウの視線。
どこか気まずそうに逸らされるけど、そのチラりとした行き先は──自分の左目。眼帯。
「…………」
視線に気づいたその瞬間、ラショウは小さく跳ねるようにして顔を赤らめた。
「あっ、ご、ごめんなさいっ……!」
両手を胸の前で揃え、慌てて頭を下げる。
「ちょっと、チラチラと……見てしまって……。嫌だったら言ってください……本当に、すみません……!」
その過剰ともいえるほどの謝罪に、レイラはむしろ驚いてしまって──。
「いや、ぜんぜん……!」
すぐに首を振って、少し困ったように笑う。
「こんなの……着けてたら、気になりますよね。仕方ないです」
「でも……っ」
ラショウはそれでも、謝る手を止めようとしなかった。
「……ほんとうに、失礼しました。その……じつは、私……」
一拍の間を置いて、ラショウは伏し目がちに続けた。
「ここで何度か、レイラちゃんをお見かけしたとき……その眼帯が、すごく気になっていて。まだ……お若いのに、怪我しちゃったのかな、とか……」
声が、少しずつ細くなっていく。
「そんな勝手な想像しちゃって……それで、つい、目がいってしまって……。本当に、ごめんなさい……」
その言葉は、好奇心ではなく、心からの気遣いに満ちていた。
レイラは、思わず目を見開く。
(……優しい)
それだけじゃない。自分の“痛み”に、興味ではなく“心配”を向けてくれる人が──こんなふうにそばにいるなんて。
「……ふふ」
そっと微笑んだレイラ。
「気にしてくれて……ありがとう……ございます。でも、今は……大丈夫なので。ラショウさんのせいじゃないですから」
その言葉に、ラショウも少しだけ表情を緩める。だけど視線はまだどこか遠慮がちで。
そんなラショウの姿が、レイラにはとても、あたたかく感じられた。
「…………」
──紅茶の香りがすっかり冷めて、ぬるくなっていることにさえ、気づかなかった。
視線を落としたままのラショウの前で、レイラは少しだけ唇を噛む。
これ以上、気を遣わせるわけにはいかないと思った。
(……こんなに気にされていたら、いっそ話した方がいいかもしれない)
ゆっくりとカップをテーブルに置き、レイラは切り出す。
「……ラショウさんって、この施設の名前……“龍調査機関”って、どういう意味か……知ってますか?」
ラショウは少し驚いたように目を瞬かせ、それから頷いた。
「……あ、……はい。もちろんです。“龍”という生き物を研究している機関……ですよね。私も……それに、私の兄も……実は多少は心得があります」
その言葉にレイラは少しだけ、目を見開く。
(なるほど……なら話は早い)
「あの……、信じられないと思うんですけど」
レイラは小さく息を吸って続ける。
「私、龍に憑依されてるんです」
「…………!?」
目を丸くするラショウ。
その青い瞳が、サファイアのように見えた。
「憑依……されてる……?」
「……うん。憑依されてるんだけど、生きてて……いや、逆か。生きてるんだけど、憑依されてて……」
少しだけ肩をすくめて、苦笑を浮かべるレイラ。
「変、ですよね」
ラショウはその言葉を胸の内で繰り返しながら、そっと思う。
(レイラちゃん……ここに所属してるって言ってたけど……彼のこと、知ってるのかな……)
けれど、それは口には出さず、ただ静かにレイラの言葉を待った。
「……すみません。変な話してしまって……。その、龍の影響が出ちゃってるせいで、左目が……変なんです。だから隠してて……」
言いかけて、言葉が震える。
「気持ち悪……っ、い、ですよね」
レイラの指先が、テーブルの縁を微かに掴んでいた。
ラショウは、すぐに首を振る。
「と、とんでもない……っ!」
目を伏せるレイラに向かって、ラショウの言葉が急ぎ足で続く。
「そんなこと、ありませんよ。そんな酷いこと……言う人、いませんよ……!」
その表情は、どこか切なく、胸を押さえるようなものだった。
「…………ラショウさん……」
「…………」
ラショウは思う。
(この子、気持ち悪がられたり……してきたのかな)
(こんなに、優しいのに)
どうしてか、いたたまれなくなったラショウは──。
「……あ、あの、……レイラちゃん。今度、うちに遊びに来ませんか?」
はっと顔を上げるレイラ。
「…………へ……?」
少し間抜けな声が漏れて、自分でも驚いたのか、レイラは目を丸くしてしまう。
その反応に、ラショウはふわりと笑った。
「……うん。もし良かったら、です。うち、結構のんびりできるので……ゆっくりくつろいでいただけたらなって」
「…………あ、え……!」
人様の家に呼ばれるなど、初めてだった。なんて返せばいいのかわからない。
「また、お茶……用意しますので」
その笑顔はまるで、春の陽だまりのようにやわらかくて。
レイラの胸に、小さな灯がポッと灯ったようだった。
レイラはガラスパーテーション仕様の休憩ラウンジのソファで、温かい紅茶を口にしている。
無線も戦闘服も必要ない、平和な時間。
ぼんやりと廊下の方を眺めていたそのとき──。
扉の向こうから、女の子が現れた。
菓子折を抱えた、白髪のツインテールを揺らす少女。可憐で、お嬢様のような佇まい。
職員と談笑している様子を、レイラはテーブル越しにそっと見ていた。
(……あの子、また来てる)
数回見かけたことはある。名前は知らない。
ただ、その美しい横顔と青い瞳は、記憶に残っていた。
他の誰より、鮮やかに。
職員たちと笑顔で話すその子は、何やら誰かの様子を尋ねているようだった。
けれど、レイラにはガラスの向こうのその内容までは聞こえない。むしろ聞こえてしまわなくて、よかったのかもしれない。
その子がふと、レイラの方に視線を向けた。
視線が、ぴたりと合う。
一瞬、鼓動が跳ねた。
「……こんにちは」
少し照れたように、柔らかく笑って──その子は、休憩ラウンジの向こうからそう声をかけてきた。
レイラもすぐには返事ができず、けれどほんの少しだけ口元がほころんで。
「……こんにちは」
こんなふうに、自分と同じくらいの年の女の子と話すのは久しぶりだった。
それだけで、空気が少し違って感じられる。
(なんか……不思議な気分)
そして、その子は少し逡巡してから、恐る恐る歩み寄ってきた。
(……えっ)
「あの……急にすみません。先程から、すごく落ち着いた雰囲気で紅茶を飲んでいらしてるのが見えて……。もし良かったら、一緒に……お茶、……飲みませんか?」
その声が、レイラの胸の奥に落ちる。
(え……えっ!? ええーっ!?)
紅茶を飲みかけた口元が、びくんと揺れた。
◇
白髪ツインテールの少女はラウンジに入室すると、そっとレイラの向かい側のソファに腰を下ろした。
品の良い動作に、レイラはどこか緊張して背筋を正す。
「……私、西城ラショウといいます」
白い指が膝の上で揃えられ、どこか申し訳なさそうな声で続けた。
「急に声をかけてしまって、すみません……。でも、度々あなたをお見かけしていて……ちょっと、気になってしまったもので……」
その言葉に、レイラは目を見開く。
──こんな整った美少女が、自分のことを気にしてくれていたなんて。
「いっ、いや……っ」
思わず声が裏返り、慌てて言い直す。
「こちらこそ……っ、あの……その……あんまり……見すぎないようにしてたつもりなんですけど……っ、すみません……」
俯き気味に呟く姿に、ラショウはふっと微笑んだ。
(……可愛い子。職員さんの、噂どおり)
ほんの少し、肩の力が抜けたようにラショウが問う。
「ここで、働いていらっしゃるんですね?」
その問いかけにレイラは姿勢を戻して、小さく頷く。
「……は、はい。紫苑レイラ……といいます」
「レイラさん……」
ラショウはその名前を、丁寧に口に出して繰り返した。まるで宝物を扱うように優しく、青い瞳がふわりと揺れている。
「……っ」
レイラはその視線を受け止めきれず、目を逸らしてしまう。
(……お嬢様だ……)
気圧されるでもなく、惚けるでもなく。
──そして、テーブルの上に置かれたティーカップが、ささやかに湯気を立てていた。
注がれた紅茶の香りが、ほんのり甘く漂っている。
ラショウはカップを両手で包み込みながら、首を傾げた。
「えっと……紅茶、お好きですか?」
「……あ、はい。たぶん……」
少し間を置いて、レイラが返す。
「たぶん……?」
「この機関に来るまでは、飲んだことなかったんです」
カップを見つめるようにして、小さく続けた。
「慣れないうちは苦いなって思ったんですけど……、最近は、なんか……落ち着くなって」
「……ふふっ」
小さく笑ったラショウ。
静かな、でも嬉しそうな声。
「わかります。私も最初は、少し苦手だったんです。兄様がよく飲んでいたので、背伸びして真似してました」
「にいさま……」
その呼び方に、レイラは少しだけ反応してしまう。
(……育ちが違う)
テーブルの向かいにいる女の子は、立ち振る舞いも、言葉選びも──。
全部が柔らかくて、優雅だった。
(私とは……ぜんぜん、違うな)
ラショウは気づかない様子で、そっとティースプーンを動かしている。
その仕草を見ながら、レイラは唐突に思い立ったように口を開いた。
「あっ、あのっ……」
「はい?」
「……私、16歳なので。もし……あれだったら……呼び捨てでも大丈夫です。気を遣わせちゃってたら、すみません」
その言葉に、ラショウは一瞬驚いた顔をして──。
「……えっ……」
「え~……と……、それじゃ……」
「レイラ、ちゃん……でもいいですか……?」
すぐに頬をほんのり赤く染めた。
「…………!」
(な、なんて可愛らしいんだあ……!)
レイラは内心で頭を抱える。
(私には到底このお淑やかさは出せない……!!)
思わず姿勢を正してしまうのは、その空気に負けまいとする無意識の防御。
「うん……! いい、です……! ありがとう、ございます……!」
顔を合わせて言葉を交わしたのは、ほんの数分なのに。
胸の奥が、いつもよりずっとあたたかい気がした。
ラショウがカップに口をつけるたび、ふんわりと甘い香りが揺れる。
レイラもゆっくりと紅茶を味わいながら、ふと問いかけた。
「……その、ラショウさんは……いつも、ここに来ているんですか?」
「うん……いつもというか……、そうですね」
ラショウは頷いて、視線を少しだけ落とす。
「……ご迷惑じゃなければいいんですけど、たまに顔を出させていただいてて……。ここの皆さん、とても優しいので……つい、長居しちゃうこともあって」
「そ、そんなっ、迷惑……なわけ、ないと思います。むしろ……静かで、落ち着いた雰囲気だから……なんか、安心する」
「……嬉しいです」
ほっとしたように笑うラショウ。
「レイラちゃんは……お休みの日って、どんな風に過ごしてるんですか?」
「えっ、わ、私……?」
不意に質問されて、レイラの背筋がピンと伸びた。
「ええと……あんまり、何かしてるってほどじゃ……ないんですけど。本を読んだり、データ整理したり……少し、走ったり……そのくらいです」
「……わ……、偉いですね」
ラショウはぽそりと呟く。
「私はつい……お菓子食べながら、ぼーっとしちゃうことばかりで」
「いや、それも……いいと思います。そういう時間の方が……ずっと、ちゃんと“休んでる”って感じがして」
そう言いながら、レイラは少しだけ笑った。
自分でも気づかないくらい、表情がほんのり緩んでいた。
「……あの、ラショウさんは……お菓子、何が好きですか?」
「え?」
「えっと……私、すごく詳しいわけじゃないけど、甘いのも好きなので……。よければ、教えてほしいなって」
「……ふふっ」
ラショウは目を細めて、カップをそっと置く。
「……じゃあ、今度、私の好きなお菓子……持ってきますね」
「えっ、い、いや! そ、そんなつもりじゃ……!」
「ううん。私も、こうしてお話できて嬉しいから。……お礼のつもり、です」
そう言って微笑むラショウの横顔が、どこか透明で。
レイラは言葉を飲み込んで、ただ静かに頷いた。
◇
──ふたりの間に、静かで穏やかな時間が流れていく。
紅茶を口にしながら、お互いの好きな味や、お気に入りのカップの柄の話など。
まだ探り探りだけど、ぎこちないながらも、笑みが交わされるようになっていた。
(……こんなに、すぐに)
レイラはふと思う。
(仲良くなれるなんて……。たぶん、だけど)
すると、不意に──視線を感じた。
(……?)
それは、テーブル越しに座るラショウの視線。
どこか気まずそうに逸らされるけど、そのチラりとした行き先は──自分の左目。眼帯。
「…………」
視線に気づいたその瞬間、ラショウは小さく跳ねるようにして顔を赤らめた。
「あっ、ご、ごめんなさいっ……!」
両手を胸の前で揃え、慌てて頭を下げる。
「ちょっと、チラチラと……見てしまって……。嫌だったら言ってください……本当に、すみません……!」
その過剰ともいえるほどの謝罪に、レイラはむしろ驚いてしまって──。
「いや、ぜんぜん……!」
すぐに首を振って、少し困ったように笑う。
「こんなの……着けてたら、気になりますよね。仕方ないです」
「でも……っ」
ラショウはそれでも、謝る手を止めようとしなかった。
「……ほんとうに、失礼しました。その……じつは、私……」
一拍の間を置いて、ラショウは伏し目がちに続けた。
「ここで何度か、レイラちゃんをお見かけしたとき……その眼帯が、すごく気になっていて。まだ……お若いのに、怪我しちゃったのかな、とか……」
声が、少しずつ細くなっていく。
「そんな勝手な想像しちゃって……それで、つい、目がいってしまって……。本当に、ごめんなさい……」
その言葉は、好奇心ではなく、心からの気遣いに満ちていた。
レイラは、思わず目を見開く。
(……優しい)
それだけじゃない。自分の“痛み”に、興味ではなく“心配”を向けてくれる人が──こんなふうにそばにいるなんて。
「……ふふ」
そっと微笑んだレイラ。
「気にしてくれて……ありがとう……ございます。でも、今は……大丈夫なので。ラショウさんのせいじゃないですから」
その言葉に、ラショウも少しだけ表情を緩める。だけど視線はまだどこか遠慮がちで。
そんなラショウの姿が、レイラにはとても、あたたかく感じられた。
「…………」
──紅茶の香りがすっかり冷めて、ぬるくなっていることにさえ、気づかなかった。
視線を落としたままのラショウの前で、レイラは少しだけ唇を噛む。
これ以上、気を遣わせるわけにはいかないと思った。
(……こんなに気にされていたら、いっそ話した方がいいかもしれない)
ゆっくりとカップをテーブルに置き、レイラは切り出す。
「……ラショウさんって、この施設の名前……“龍調査機関”って、どういう意味か……知ってますか?」
ラショウは少し驚いたように目を瞬かせ、それから頷いた。
「……あ、……はい。もちろんです。“龍”という生き物を研究している機関……ですよね。私も……それに、私の兄も……実は多少は心得があります」
その言葉にレイラは少しだけ、目を見開く。
(なるほど……なら話は早い)
「あの……、信じられないと思うんですけど」
レイラは小さく息を吸って続ける。
「私、龍に憑依されてるんです」
「…………!?」
目を丸くするラショウ。
その青い瞳が、サファイアのように見えた。
「憑依……されてる……?」
「……うん。憑依されてるんだけど、生きてて……いや、逆か。生きてるんだけど、憑依されてて……」
少しだけ肩をすくめて、苦笑を浮かべるレイラ。
「変、ですよね」
ラショウはその言葉を胸の内で繰り返しながら、そっと思う。
(レイラちゃん……ここに所属してるって言ってたけど……彼のこと、知ってるのかな……)
けれど、それは口には出さず、ただ静かにレイラの言葉を待った。
「……すみません。変な話してしまって……。その、龍の影響が出ちゃってるせいで、左目が……変なんです。だから隠してて……」
言いかけて、言葉が震える。
「気持ち悪……っ、い、ですよね」
レイラの指先が、テーブルの縁を微かに掴んでいた。
ラショウは、すぐに首を振る。
「と、とんでもない……っ!」
目を伏せるレイラに向かって、ラショウの言葉が急ぎ足で続く。
「そんなこと、ありませんよ。そんな酷いこと……言う人、いませんよ……!」
その表情は、どこか切なく、胸を押さえるようなものだった。
「…………ラショウさん……」
「…………」
ラショウは思う。
(この子、気持ち悪がられたり……してきたのかな)
(こんなに、優しいのに)
どうしてか、いたたまれなくなったラショウは──。
「……あ、あの、……レイラちゃん。今度、うちに遊びに来ませんか?」
はっと顔を上げるレイラ。
「…………へ……?」
少し間抜けな声が漏れて、自分でも驚いたのか、レイラは目を丸くしてしまう。
その反応に、ラショウはふわりと笑った。
「……うん。もし良かったら、です。うち、結構のんびりできるので……ゆっくりくつろいでいただけたらなって」
「…………あ、え……!」
人様の家に呼ばれるなど、初めてだった。なんて返せばいいのかわからない。
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木野もくば
ファンタジー
花の妖精のルイは、メジロのモクの背中に乗って旅をしています。ルイは記憶喪失でした。自分が花の妖精だったことしか思い出せません。失くした記憶を探すため、さまざまな世界を冒険します。
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