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コヨタ

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第1話 普通に生きたかった少女

第1話・3 現場のトップと小さな所長

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「……ったく……!」

 レイラは無意識に足を鳴らしていた。

 普段は穏やか──なはずの、夜。白くて滑らかな廊下に、足音が短く響く。
 機関の診察室を出て、人気ひとけの無い中庭のベンチに腰を下ろすと、やっと呼吸が落ち着いてくるのがわかった。

(……あんな態度取られる意味、無い……)

 指先をぎゅっと握る。拳にこもる力を感じて、もう一度大きく息を吐く。

 目を閉じれば、先程の赤い髪の青年──リルの冷たい目が瞳の奥に焼き付いていた。

 牙のように尖った犬歯。肌に埋め込まれたような珠玉。
 何より、あの

(……まるで……)

(龍みたい……)

 自分にも、龍が宿

 左目の奥にずっと、ひそかに疼いている何か──人ならざる存在。
 その“龍”の気配が、リルからはもっと強く感じられた気がした。

「……戦闘班、か……」

 静かに呟いてみる。
 そう名付けられた班に所属して、もう数年が経った。
 
「…………」

 同年代の子たちが学校で笑い合っている頃、自分はこの場所で、生き物とは思えない“存在”たちと戦っている。

「──普通の女の子になりたかったのに」

 そう、思わず声に出してしまって、レイラはハッとした。

「…………ッ」

  誰もいないのに、誰かに聞かれてしまった気がして。

 この場所では、『普通』の願いは、口にしてはいけない気がする。

 それでも──。

(……あの人……リルって人。私のこと、“普通じゃない”ってわかってたのかな)

 レイラの拳が、またほんの僅かに震える。
 
 怒りか、それとも別の何かか──それは、まだ自分にもわからなかった。

 中庭には夜風が吹いた。

 人工的な光が植栽を静かに照らす。
 どこかで小さな虫の羽音が響き、すぐに静寂に溶けていった。

「…………」

 その風の中、レイラはそっと左目に手を当てた。
 眼帯の下で、龍はまだ静かに、目覚めずにいる。

(ずっと……こういう生活なのかな)

 中庭の風が少し強くなった。レイラの水色の髪がふわりと持ち上がり、頬にかかる。
 夜気は涼しいはずなのに、胸の奥に渦巻いた感情は、まだ熱を帯びていた。

 ベンチから立ち上がろうとした──その時。

「……あ?」

 微かな低い声と足音が近づいてきていた。

 ──振り返るまでもない。あの、乾いた靴音。足取りは重そうでありながら、どこか気怠げで不機嫌そうな歩き方。

「…………!!」

(……何で……!!!)

 やがて視界に現れたのは、先程の青年──リルだった。

「……なんだ、お前……」

「…………」

 レイラは言葉を返さなかった。だが目線は明確に敵意を持って、リルを見返す。
 夜の照明がその赤い髪をより赤く照らし、逆光の中、その瞳孔の細さが際立った。

「……ッ」

 リルも数秒、無言のままレイラを見た。
 その表情には、先程までの苛立ちの続きのような、もしくは新たな不快の色が混ざっている。

「……なんでこんなとこにいんだよ」

 問いかけるような言葉だったが、声色はまるで責めているようだった。
 レイラも黙ってはいなかった。口元に薄く笑みを浮かべる。

「あなたに言う必要ある?」

「あァ?」

 その言い方に、リルの目元が僅かに吊り上がった。

「ンだテメェ……、……やっぱガキだな。口の利き方も知らねぇのか」

「……あなた、さっきからそれしか言えないの?」

 レイラは言い返しながら、冷静なようでいて心の中ではまた、ぐらりと怒りが揺れていた。
 リルのその棘のある物言いが、どうしても許せない。

 リルは舌打ちをして視線を外すと、そのままレイラの横を通り過ぎようとする。

 しかし──。

「……あなたこそ、ここの人間なんでしょ。なら少しは礼くらい言えば?」

 レイラの口から、思わず言葉が漏れる。

「…………」

 ──リルは、足を止めた。

「……あ゙?」

 静かに、ゆっくりと振り返る。その瞳が、まっすぐにレイラを射抜いた。

「礼……? ああ、オレを助けたこと?」

「…………」

「……余計なことしたな」

 それだけを言って、再び歩き出す。

「…………!」

 レイラは怒りよりも呆れに似た気持ちが込み上げて、思わず拳を握った。

「ほんっと、最悪だ……!」

 その背に向けて吐き捨てたが、リルが振り返ることはなかった。
 無視したまま、無言で夜の施設の中へと消えていく。

「はああ…………!」
 
 残されたレイラは、もう一度深く、深く息を吐いた。


 ◇


 そして同じ頃。龍調査機関・研究棟の一室。

「…………」

 モニターの淡い光に照らされたセセラのその顔には、はっきりと疲労の色が滲んでいた。
 今日一日の最後の業務に取り掛かっている。

 ──紫苑レイラが調査した、龍のサンプルデータの処理。
 手元の端末に入力されたコードの羅列が、数字として脈を打つ。

「……はぁ~……」

 今日何度目かわからないため息が、喉から漏れ出る。

 煙草の火は既に消していた。もう、これ以上吸っても頭が回らない。

(……今日は、とびきり疲れた日だった)

 それが素直な感想だった。
 何よりも気がかりなのは、紅崎リルの件。

(……おかしいんだよな。今日は、戦闘に出してねえ)

 リルが倒れていたことも異常だった。いや、それ以上に──。

(……会っちまったなあ、ついに)

 レイラとリル。

 この世界で龍に“憑かれている”人間がどれだけ希少かを知る者として、セセラはずっと懸念していた。

 施設の中は狭い世界だ。いつかはそういう日が来るとは、思っていた。

 しかし、こうもあっさり──自然に接触してしまうとは思っていなかった。

(……せめて、リルあいつの気性が落ち着いてた時に会ってりゃ、もう少しはマシだったかもしれねえが……)

 セセラは椅子にもたれかかりながら、頭を指先で揉んだ。
 レイラもリルも、似た者同士だ。表面上の性格は対照的だが、根のところでは同じ匂いを持っている。

 自分の意思とは無関係に、得体の知れない“何か”を宿してしまった存在。

 憎みながらも、それに囚われ続けている。その苦しさを、自分自身で処理してしまえるような年齢でも精神でもなかった。

 ──だからこそ。

 龍調査機関の職員──セセラたちはずっと、ふたりをようにしていた。
 似た者同士だからこそ、共鳴すれば何が起きるかわからない。互いに傷を抉り合うかもしれない。

 もしくは、人間の方ではなく、“龍の方”が共鳴して──。

(……いや、それはまだ先の話だ。考えたって仕方ねぇ)

 考えるな、動け。
 セセラが自分によく言い聞かせるセリフだ。
 
 再び目の前の端末に指を伸ばそうとした──その時。

 ──コツ、コツ、コツ……

 歩幅の小さい、軽やかな足音が近づいてきた。

 静かな廊下の向こう、誰かがセセラのもとへ歩いてくる。

「…………」

 子どものような、軽い歩幅。

 ──だがその存在は、どこか異質で、重たかった。

「……お疲れだね、セセラ」

 達観したような、透き通った声。
 振り返らずとも、誰の声かはわかっていた。

 研究室の扉を開けて入ってきたのは、アッシュグレーのお下げ髪をふたつ垂らした少女。
 黒くてふわりとしたワンピースが、まるで西洋の人形のような印象を与える。

 その小さな顔には、透明度の高いピンク色の瞳が浮かび、闇色の髪とのコントラストが際立っていた。

 この幼子のような存在こそが、この龍調査機関の──名は、シエリ。

「……ああ、先生。もうちょいで終わるよ」

 セセラはシエリを『先生』と呼ぶ。過去も、今も、変わらずに。

 作業を止めずにそう応じたセセラの声は、やや早口だ。無意識に急いでいるのか、それとも、思考の流れを途切れさせたくなかったのか──。

「さて、セセラ」

 静かに机の前に近づき、シエリが切り出す。

「レイラとリル、お互いに顔を合わせたみたいだな」

「…………」

 その一言に、セセラはふぅとため息をつき、面倒そうに頭をがしがしと掻く。

「……顔を合わせたで済んだら、俺はこんな疲れちゃいねーよ。リルがダメだ、ありゃ。口も態度も悪すぎる」

 愚痴るように言いながらも、声にはどこか保護者のような疲れも滲んでいた。

「で……、そのリルなのだが」

 と、シエリが続ける。

「今日、異様な空気を感じるって言っていてね。多分それで、外に出たのだろう……まあ、倒れていたと」

 その言葉に「……あ、そーなの」とセセラは生返事をしながらも、作業の手は止めなかった。

「……セセラ」

 すると、シエリは静かに小さなUSBメモリをひとつ差し出す。

「忙しい中悪いが、これを見てくれ」

「ん?」

 怪訝に眉を動かしながらもセセラはそれを受け取り、差し込んだデータを再生する。
 その映像は、リルに携帯させていた記録装置に保存されていたものだった。

「…………?」

 ──再生時間は、短い。

 だが、そこに映っていたのは。

「……な……ッ!?」

 思わず、セセラの指がマウスを押し込んだまま、止まった。

 モニターに映るのは──漆黒の巨影。
 翼を持ち、角を持ち、光を反射しないほどの黒い鱗に覆われた……“龍”。

 否、それは『龍』などというぼんやりとした括りでは済まされなかった。
 それは、まさに──伝説の『ドラゴン』。

「……夜龍よる……!?」

 セセラが呟いたその名。

 それは──過去、世界のどこかで“破壊の権化”として語られてきた存在。

 “漆黒の巨体が夜に溶け込み、あるいは夜を告げる”

 ──それを、映像が明確に捉えていた。

「リルはこの龍を視界に入れたであろう瞬間に倒れている。何が起きたかはわからないが……そこにだけで、リルの体に作用した。私はそう考えている」

 言葉を紡ぐシエリの声は、まるで学者のように静かで冷静だった。だがその裏には、確かな緊張が走っている。

「…………っ」

 セセラは一度、映像から目を離し、宙を見つめた。
 次第にその視線が細まり、言葉を紡ぐ。

「……リルとレイラの接触、そして伝説の飛来──……」

 再びモニターを見つめるセセラの視線には、かつてない覚悟が宿っていた。

「……龍たちが、お互いを呼び合い、何かを結びつけた……そういうことか、先生?」

「…………」

 シエリは静かに頷いた。その幼くも鮮やかな瞳が、何かを見透かすように細められる。

「……忙しくなりそうだな、こりゃ……」

 そう呟いたセセラの口から、またひとつ、深くて長いため息が漏れた。

 ──夜は、まだ明けない。

 だが、確実に。

 何かが、始まろうとしていた。




 第1話 完








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