5 / 133
第2話 名前も知らないその子と
第2話・2 西城アシュラ
しおりを挟む
──後日。
重厚な門をくぐり、広い石畳の庭を歩いているだけで、レイラの心拍はすでに上がりきっていた。
(……えっ、広……)
あの日のお茶会から少し経って、ラショウから正式に「遊びに来ませんか?」と誘われた。
そのときは軽い気持ちで頷いたけど、今になって思う。
(……家じゃない。これ、屋敷だ……!)
立派すぎる門構え。美しい庭木。遠くに見える池。
そもそも門から玄関までの距離が走るレベルで遠い。
(ほんとに、お嬢様だったんだこの人……!!)
そんな内心の悲鳴を胸に抱えながら、案内された玄関の扉が開く。
それだけで風の通りが変わったような気がした。
「どうぞ、レイラちゃん。ようこそ……西城家へ」
柔らかく微笑むラショウの姿が、レイラはまた胸に刺さる。
さっきまで驚きで目を丸くしていた自分が、ちょっと恥ずかしい。
「お、お邪魔します……」
(もうちょっと落ち着け、私……)
綺麗な玄関。まるで旅館の入口のような広い空間を抜け、奥へと足を進めた──そのとき。
ふいに、廊下の奥から声が届く。
「……あれ、ラショウ? お客様?」
聞こえてきたのは男性の落ち着いた声。その響きにはどこか気品と気安さが混ざっている。
レイラは、はっと足を止めた。
声に振り返ったレイラの視線の先、廊下の奥から歩いてきたのは──。
「……!」
ラショウに、よく似た人物だった。
サラサラと流れるような白銀の髪。
顔のサイドにかかるやや長めの毛が、どこか上品さを際立たせている。
(……もしかして、この人が……ラショウさんの……)
答えは、すぐにラショウ本人の口から明かされた。
「兄様……! 今日は早かったんだね」
(やっぱり! お兄様だ……!)
そう確信した瞬間、レイラの胸がどくんと高鳴る。
それもそのはずだった。
──『お兄様』は、眩しかった。
髪の色も質感もラショウと同じなのに、どこか光の質が違う。
長い睫毛に、すっと通った鼻筋、整った眉と切れ長の瞳。シャープな輪郭。
妹とよく似たそのサファイアのような瞳がこちらを見て──レイラは思わず見惚れてしまった。
(容姿端麗、とはこのことか……いや、端麗すぎる……)
(……王子様……!?)
そう思った瞬間、自分が凝視していたことに気づいて、レイラは慌てて顔を戻す。
「は、はじめましてっ! お邪魔してます……! 私、紫苑レイラというもので、あっ……ラショウさんとは……そのっ、仲良くさせていただいてて……!」
ほぼ早口で捲し立て、ぺこりと深く頭を下げるレイラ。
しかし、その完璧すぎる兄は──穏やかに微笑んだ。
「はじめまして。俺はアシュラといいます」
澄んだ声に、冷たい印象は全く無い。
その柔らかさに少し安心しながらも、次の言葉にレイラはまた驚く。
「ここ、西城家の当主を担っておりますが……、どうか気兼ねなく接していただけたらと存じます」
(当主……!?)
「と、とうしゅ……?」
思わず声に出ていた。
(ハイスペックすぎる……!)
ぐるぐると目が回りそうになる。
(容姿端麗、上品で、優しそうで、爽やかで……そりゃあ、あんな優しい妹さんになるわけだ……)
第一印象で既に完璧のラベルを貼ってしまうレイラ。
(……それに比べて、この前のアイツ……)
──思わず、頭に浮かんでしまう。
ぼんやり思い出したのは、あの怠そうな顔とハネた赤髪、ぶっきらぼうな口調の第一印象最悪な“アイツ”。
でも、それは──今は全く関係のないことだ。
そのとき、隣にいたラショウがそっとレイラに向かって紹介する。
「兄様です。……『当主』なんて紹介しちゃったけど、ほんとに気にしないでくださいね」
優しく、少し照れくさそうに笑うラショウ。
「……んは、……はぃ……」
だがレイラは、もう既に緊張でカチコチになっていた。
「……廊下で立ち話も何ですし、良ければ居間へどうぞ」
そう優しく声をかけたのは、アシュラの方だった。
断れるはずもなく、レイラはこくこくと小さく頷く。
(……ど、どうしよう。ちゃんと、歩けてる? 私……)
ラショウの後ろに少し距離を置いてついていくレイラ。
そして、案内された居間の襖が開かれた瞬間──。
「わ……っ」
広々とした畳の間。旅館のような品のある設え。
床の間には生け花、障子からは柔らかな光。高級そうな畳の香りがふわりと鼻をくすぐった。
(逆にくつろげ……ない……!!)
「お掛けください。どうぞ、ラクにしてもらって構いませんよ」
そう言ってアシュラが笑顔で座布団を勧めてくれるが、レイラはもう既に緊張の極みに達している。
「あ、ありがとうございます……っ」
正座かあぐらか、座り方すら迷うレベル。背筋がピンと伸びていて、明らかにくつろげていない。
その様子に気づいたのか、アシュラは微笑を浮かべたまま、ふと茶目っ気を込めて話しかけた。
「レイラさんは、畳の部屋って……苦手、ですか?」
「えっ……!? い、いえっ、そんなことは……! あの、その、すごく……立派で……!!」
しどろもどろになるレイラ。慌ててラショウを見ると、ラショウは「ふふっ」と小さく笑っていた。
「レイラちゃん、ちょっと緊張しちゃってますよね……。兄様、レイラちゃん、ほんとはもっと落ち着いた子よ」
「それはそれで、魅力的なことです」
アシュラは穏やかな口調で、やわらかく続ける。
「きちんと礼儀をもって接してくださるのは、とても嬉しいです。……ですが、妹の客人に肩肘張らせるようでは、兄として情けないので」
その言葉に、レイラは一瞬ぽかんとして──少しだけ笑った。
「……ありがとうございます。少し、緊張……ほどけた、かもしれません」
「よかった」
微笑むアシュラ。青く美しい瞳が、穏やかに揺れていた。
そしてふと、レイラは気づく。
(この人も……優しさでできてるんだ)
ラショウがあんなに優しいのは、きっとこの兄の背中を見て育ったからだ。
それを思うと、なんだか胸がじんわりとあたたかくなる。
◇
居間にカタリ、と音が響いた。
「はい、お茶。兄様の分もちゃんと淹れてきたよ」
ラショウが持ってきた盆には、湯気の立つ湯呑みが3つ。
ふんわりと香ばしいお茶の香りが部屋に満ちて、レイラの肩の力がほんの少し抜けた気がした。
「ありがとう、ラショウ。……お客様の分も、丁寧に淹れてくれて」
「うん。だって、レイラちゃん、ちゃんとご挨拶してくれてたから。……私の友達だから、もてなしはちゃんとしないとね」
その言葉に、レイラはまた少し照れて俯く。
(『友達』……か。そう言ってもらえるの、久しぶり……いや初めて……かも)
「いただきます」
そっと湯呑みに手を伸ばし、ひとくち。
苦みと香ばしさが心地よく、喉を滑っていった。
「……美味しいです。すごく」
「ほんと? よかったぁ」
ラショウが嬉しそうに微笑むと、アシュラも湯呑みに口をつけてから、ゆるやかに話題を投げた。
「西城家は、古い家柄なものでして。畳の部屋が多いんです。慣れない方には、ちょっと落ち着かないかもしれませんね」
「……いや、それはもう……すごく立派で……。旅館みたいだなって思いました」
そう言ったレイラに、アシュラは「それは光栄です」と笑った。
「ラショウ、折角だからもう少し他の部屋も見せてあげて」
「うん、そうする。……レイラちゃん、見てみたい部屋があったら、ご案内しますよ」
「えっ、あっ……じゃあ、あの……」
レイラは少し考えたあと、意を決して聞いてみた。
「ラショウさんは……どんな部屋で過ごしてるんですか?」
「……えっ、私の部屋?」
思いがけない質問にラショウが目を瞬かせる。
けれどすぐに笑って、「見てみますか……?」と立ち上がった。
「ふふ、ちょっと散らかってるけど……レイラちゃんにだけなら……」
「えっ、い、いいんですか……!?」
アシュラはそれを見ながら、どこか微笑ましそうに目を細めていた。
「では、俺はこのままにしていますので、ゆっくり過ごしていってください。レイラさん。家族のように歓迎しますので、いつでも遠慮なく」
その言葉に、レイラの胸がまたじんわりとあたたかくなる。
「……はい。ありがとうございます」
西城家の中で、レイラの世界がゆっくり広がっていく。
「……それでは、レイラちゃん。よろしければ、私の部屋をご案内しますね」
ラショウはにこやかにレイラへと手を差し伸べた。
その動作ひとつひとつが、どこまでも柔らかくて丁寧で、やっぱりお嬢様だなとレイラはまた感心する。
「えっ、あ……はい。ぜひ、お願いします」
アシュラが微笑ましげに見送る中、レイラはラショウのあとをついて廊下へと出た。
廊下は磨かれており、窓から射し込む陽射しに床がほのかに光る。
「こっちです。少し奥にあるので、歩きますけど……大丈夫でしょうか?」
「もちろん、大丈夫です」
(ていうか、やっぱりこの家……広い……)
そんな驚きを隠しながらついていくと、やがて立派な扉の前でラショウが立ち止まった。
「失礼しますね……少しだけ、お見せする程度ですけれど」
そう言って扉を静かに開けた先は──。
「わ……!」
綺麗に整った空間だった。
淡い色の家具に、優しい木の香りがする本棚。
窓際にはふわふわしたクッションの置かれた小さなソファ。
清潔で静謐な、でもどこか“ラショウらしい”温かさを感じさせる部屋だった。
「……綺麗……!」
「ふふ、ありがとうございます。散らかってるところは……なるべく見えないようにしてるだけですよ」
ラショウは少し恥ずかしそうに笑う。
「こんな素敵な部屋、初めて見ました……。落ち着いてて、ラショウさんにぴったりです」
「……嬉しいです。レイラちゃんにそう言っていただけるなんて」
窓のそばに並んで立つふたり。
数分だけの短い時間だったけれど、その空間にはやわらかな沈黙と、ほんのり甘い香りが漂っていた。
「……そろそろ、戻りましょうか。兄様を待たせてしまっては申し訳ないので」
「……はい」
(……なんだろう。すごく、静かだったけど、心が落ち着いた)
そんなことを思いながら、レイラは再びラショウのあとをついて、静かな足音を立てて居間へと戻っていった。
廊下を抜けて、ふたたび居間の襖をそっと開ける。
「失礼します」
ラショウが声をかけると、アシュラは読んでいたらしい冊子を閉じて、顔を上げた。
「おかえり。……ゆっくり見てきたか?」
「うん、少しだけ。レイラちゃんにも、気に入っていただけたみたいで」
ラショウがそう答えてレイラの方を振り返ると、レイラはこくりと頷く。
「はい。すごく……居心地の良いお部屋でした」
「それはよかった。妹の部屋は、家の中でもいちばん物が多いから、楽しかったかな」
アシュラの穏やかな口調に、ラショウは少し頬を赤くして「からかわないで」と小さく口を尖らせた。
「兄様、それ……けっこう恥ずかしいよ……」
「はは、すまない」
そのやり取りを見ていたレイラは、なんだか胸の奥がふわっとした。
(……こういうの、いいな)
誰かと笑い合う空気。家族のあたたかさ。
自分とは少し違う世界であっても、心に灯るものは変わらない気がして──少し、羨ましかった。
ふと、アシュラはレイラの湯呑みに視線をやる。
「お茶……冷めてしまいましたね。淹れ直しましょうか?」
「あっ、いえっ、私が……」
慌てて立ち上がりかけるレイラの袖を、そっとラショウが引き止めた。
「レイラちゃん、お客様ですから。ここでは、くつろいでいてください」
「……はい」
(なんか、優しい人が多すぎて……戸惑うな……)
静かな午後の時間が、もう一度、ゆっくりと流れ出す。
サラサラと風に揺れる障子の影のなかで、3人の気配がふわりと重なるようだった。
(……おふたり共、本当に優しいな)
いただいた湯呑みに口をつけながら、レイラは心の中でそっと思っていた。
こんなに丁寧に接してもらうのは、いつ以来だろう。
緊張も少し解けてきて、ようやくこの空間に馴染めそうな気がしていた。
(……嬉しいな……)
そんなふうに思い始めた、まさにそのときだった。
──ガラッ……!
このやわらかい空間を裂くような勢いで、襖が突然に開かれた。
その音に、3人がそちらを一斉に振り返る。
「アシュラ、メシ行こ──……」
現れたのは、赤い髪に気怠げな目。
間違いようもなく、“アイツ”──。
リル。
「…………!?」
「………………は?」
リルの口から漏れたのは、小さな、でも確かな困惑の声。
「………………っ…………!?!?」
(な、ななななんで……!?)
レイラの心臓は一瞬、止まりそうになった。
重厚な門をくぐり、広い石畳の庭を歩いているだけで、レイラの心拍はすでに上がりきっていた。
(……えっ、広……)
あの日のお茶会から少し経って、ラショウから正式に「遊びに来ませんか?」と誘われた。
そのときは軽い気持ちで頷いたけど、今になって思う。
(……家じゃない。これ、屋敷だ……!)
立派すぎる門構え。美しい庭木。遠くに見える池。
そもそも門から玄関までの距離が走るレベルで遠い。
(ほんとに、お嬢様だったんだこの人……!!)
そんな内心の悲鳴を胸に抱えながら、案内された玄関の扉が開く。
それだけで風の通りが変わったような気がした。
「どうぞ、レイラちゃん。ようこそ……西城家へ」
柔らかく微笑むラショウの姿が、レイラはまた胸に刺さる。
さっきまで驚きで目を丸くしていた自分が、ちょっと恥ずかしい。
「お、お邪魔します……」
(もうちょっと落ち着け、私……)
綺麗な玄関。まるで旅館の入口のような広い空間を抜け、奥へと足を進めた──そのとき。
ふいに、廊下の奥から声が届く。
「……あれ、ラショウ? お客様?」
聞こえてきたのは男性の落ち着いた声。その響きにはどこか気品と気安さが混ざっている。
レイラは、はっと足を止めた。
声に振り返ったレイラの視線の先、廊下の奥から歩いてきたのは──。
「……!」
ラショウに、よく似た人物だった。
サラサラと流れるような白銀の髪。
顔のサイドにかかるやや長めの毛が、どこか上品さを際立たせている。
(……もしかして、この人が……ラショウさんの……)
答えは、すぐにラショウ本人の口から明かされた。
「兄様……! 今日は早かったんだね」
(やっぱり! お兄様だ……!)
そう確信した瞬間、レイラの胸がどくんと高鳴る。
それもそのはずだった。
──『お兄様』は、眩しかった。
髪の色も質感もラショウと同じなのに、どこか光の質が違う。
長い睫毛に、すっと通った鼻筋、整った眉と切れ長の瞳。シャープな輪郭。
妹とよく似たそのサファイアのような瞳がこちらを見て──レイラは思わず見惚れてしまった。
(容姿端麗、とはこのことか……いや、端麗すぎる……)
(……王子様……!?)
そう思った瞬間、自分が凝視していたことに気づいて、レイラは慌てて顔を戻す。
「は、はじめましてっ! お邪魔してます……! 私、紫苑レイラというもので、あっ……ラショウさんとは……そのっ、仲良くさせていただいてて……!」
ほぼ早口で捲し立て、ぺこりと深く頭を下げるレイラ。
しかし、その完璧すぎる兄は──穏やかに微笑んだ。
「はじめまして。俺はアシュラといいます」
澄んだ声に、冷たい印象は全く無い。
その柔らかさに少し安心しながらも、次の言葉にレイラはまた驚く。
「ここ、西城家の当主を担っておりますが……、どうか気兼ねなく接していただけたらと存じます」
(当主……!?)
「と、とうしゅ……?」
思わず声に出ていた。
(ハイスペックすぎる……!)
ぐるぐると目が回りそうになる。
(容姿端麗、上品で、優しそうで、爽やかで……そりゃあ、あんな優しい妹さんになるわけだ……)
第一印象で既に完璧のラベルを貼ってしまうレイラ。
(……それに比べて、この前のアイツ……)
──思わず、頭に浮かんでしまう。
ぼんやり思い出したのは、あの怠そうな顔とハネた赤髪、ぶっきらぼうな口調の第一印象最悪な“アイツ”。
でも、それは──今は全く関係のないことだ。
そのとき、隣にいたラショウがそっとレイラに向かって紹介する。
「兄様です。……『当主』なんて紹介しちゃったけど、ほんとに気にしないでくださいね」
優しく、少し照れくさそうに笑うラショウ。
「……んは、……はぃ……」
だがレイラは、もう既に緊張でカチコチになっていた。
「……廊下で立ち話も何ですし、良ければ居間へどうぞ」
そう優しく声をかけたのは、アシュラの方だった。
断れるはずもなく、レイラはこくこくと小さく頷く。
(……ど、どうしよう。ちゃんと、歩けてる? 私……)
ラショウの後ろに少し距離を置いてついていくレイラ。
そして、案内された居間の襖が開かれた瞬間──。
「わ……っ」
広々とした畳の間。旅館のような品のある設え。
床の間には生け花、障子からは柔らかな光。高級そうな畳の香りがふわりと鼻をくすぐった。
(逆にくつろげ……ない……!!)
「お掛けください。どうぞ、ラクにしてもらって構いませんよ」
そう言ってアシュラが笑顔で座布団を勧めてくれるが、レイラはもう既に緊張の極みに達している。
「あ、ありがとうございます……っ」
正座かあぐらか、座り方すら迷うレベル。背筋がピンと伸びていて、明らかにくつろげていない。
その様子に気づいたのか、アシュラは微笑を浮かべたまま、ふと茶目っ気を込めて話しかけた。
「レイラさんは、畳の部屋って……苦手、ですか?」
「えっ……!? い、いえっ、そんなことは……! あの、その、すごく……立派で……!!」
しどろもどろになるレイラ。慌ててラショウを見ると、ラショウは「ふふっ」と小さく笑っていた。
「レイラちゃん、ちょっと緊張しちゃってますよね……。兄様、レイラちゃん、ほんとはもっと落ち着いた子よ」
「それはそれで、魅力的なことです」
アシュラは穏やかな口調で、やわらかく続ける。
「きちんと礼儀をもって接してくださるのは、とても嬉しいです。……ですが、妹の客人に肩肘張らせるようでは、兄として情けないので」
その言葉に、レイラは一瞬ぽかんとして──少しだけ笑った。
「……ありがとうございます。少し、緊張……ほどけた、かもしれません」
「よかった」
微笑むアシュラ。青く美しい瞳が、穏やかに揺れていた。
そしてふと、レイラは気づく。
(この人も……優しさでできてるんだ)
ラショウがあんなに優しいのは、きっとこの兄の背中を見て育ったからだ。
それを思うと、なんだか胸がじんわりとあたたかくなる。
◇
居間にカタリ、と音が響いた。
「はい、お茶。兄様の分もちゃんと淹れてきたよ」
ラショウが持ってきた盆には、湯気の立つ湯呑みが3つ。
ふんわりと香ばしいお茶の香りが部屋に満ちて、レイラの肩の力がほんの少し抜けた気がした。
「ありがとう、ラショウ。……お客様の分も、丁寧に淹れてくれて」
「うん。だって、レイラちゃん、ちゃんとご挨拶してくれてたから。……私の友達だから、もてなしはちゃんとしないとね」
その言葉に、レイラはまた少し照れて俯く。
(『友達』……か。そう言ってもらえるの、久しぶり……いや初めて……かも)
「いただきます」
そっと湯呑みに手を伸ばし、ひとくち。
苦みと香ばしさが心地よく、喉を滑っていった。
「……美味しいです。すごく」
「ほんと? よかったぁ」
ラショウが嬉しそうに微笑むと、アシュラも湯呑みに口をつけてから、ゆるやかに話題を投げた。
「西城家は、古い家柄なものでして。畳の部屋が多いんです。慣れない方には、ちょっと落ち着かないかもしれませんね」
「……いや、それはもう……すごく立派で……。旅館みたいだなって思いました」
そう言ったレイラに、アシュラは「それは光栄です」と笑った。
「ラショウ、折角だからもう少し他の部屋も見せてあげて」
「うん、そうする。……レイラちゃん、見てみたい部屋があったら、ご案内しますよ」
「えっ、あっ……じゃあ、あの……」
レイラは少し考えたあと、意を決して聞いてみた。
「ラショウさんは……どんな部屋で過ごしてるんですか?」
「……えっ、私の部屋?」
思いがけない質問にラショウが目を瞬かせる。
けれどすぐに笑って、「見てみますか……?」と立ち上がった。
「ふふ、ちょっと散らかってるけど……レイラちゃんにだけなら……」
「えっ、い、いいんですか……!?」
アシュラはそれを見ながら、どこか微笑ましそうに目を細めていた。
「では、俺はこのままにしていますので、ゆっくり過ごしていってください。レイラさん。家族のように歓迎しますので、いつでも遠慮なく」
その言葉に、レイラの胸がまたじんわりとあたたかくなる。
「……はい。ありがとうございます」
西城家の中で、レイラの世界がゆっくり広がっていく。
「……それでは、レイラちゃん。よろしければ、私の部屋をご案内しますね」
ラショウはにこやかにレイラへと手を差し伸べた。
その動作ひとつひとつが、どこまでも柔らかくて丁寧で、やっぱりお嬢様だなとレイラはまた感心する。
「えっ、あ……はい。ぜひ、お願いします」
アシュラが微笑ましげに見送る中、レイラはラショウのあとをついて廊下へと出た。
廊下は磨かれており、窓から射し込む陽射しに床がほのかに光る。
「こっちです。少し奥にあるので、歩きますけど……大丈夫でしょうか?」
「もちろん、大丈夫です」
(ていうか、やっぱりこの家……広い……)
そんな驚きを隠しながらついていくと、やがて立派な扉の前でラショウが立ち止まった。
「失礼しますね……少しだけ、お見せする程度ですけれど」
そう言って扉を静かに開けた先は──。
「わ……!」
綺麗に整った空間だった。
淡い色の家具に、優しい木の香りがする本棚。
窓際にはふわふわしたクッションの置かれた小さなソファ。
清潔で静謐な、でもどこか“ラショウらしい”温かさを感じさせる部屋だった。
「……綺麗……!」
「ふふ、ありがとうございます。散らかってるところは……なるべく見えないようにしてるだけですよ」
ラショウは少し恥ずかしそうに笑う。
「こんな素敵な部屋、初めて見ました……。落ち着いてて、ラショウさんにぴったりです」
「……嬉しいです。レイラちゃんにそう言っていただけるなんて」
窓のそばに並んで立つふたり。
数分だけの短い時間だったけれど、その空間にはやわらかな沈黙と、ほんのり甘い香りが漂っていた。
「……そろそろ、戻りましょうか。兄様を待たせてしまっては申し訳ないので」
「……はい」
(……なんだろう。すごく、静かだったけど、心が落ち着いた)
そんなことを思いながら、レイラは再びラショウのあとをついて、静かな足音を立てて居間へと戻っていった。
廊下を抜けて、ふたたび居間の襖をそっと開ける。
「失礼します」
ラショウが声をかけると、アシュラは読んでいたらしい冊子を閉じて、顔を上げた。
「おかえり。……ゆっくり見てきたか?」
「うん、少しだけ。レイラちゃんにも、気に入っていただけたみたいで」
ラショウがそう答えてレイラの方を振り返ると、レイラはこくりと頷く。
「はい。すごく……居心地の良いお部屋でした」
「それはよかった。妹の部屋は、家の中でもいちばん物が多いから、楽しかったかな」
アシュラの穏やかな口調に、ラショウは少し頬を赤くして「からかわないで」と小さく口を尖らせた。
「兄様、それ……けっこう恥ずかしいよ……」
「はは、すまない」
そのやり取りを見ていたレイラは、なんだか胸の奥がふわっとした。
(……こういうの、いいな)
誰かと笑い合う空気。家族のあたたかさ。
自分とは少し違う世界であっても、心に灯るものは変わらない気がして──少し、羨ましかった。
ふと、アシュラはレイラの湯呑みに視線をやる。
「お茶……冷めてしまいましたね。淹れ直しましょうか?」
「あっ、いえっ、私が……」
慌てて立ち上がりかけるレイラの袖を、そっとラショウが引き止めた。
「レイラちゃん、お客様ですから。ここでは、くつろいでいてください」
「……はい」
(なんか、優しい人が多すぎて……戸惑うな……)
静かな午後の時間が、もう一度、ゆっくりと流れ出す。
サラサラと風に揺れる障子の影のなかで、3人の気配がふわりと重なるようだった。
(……おふたり共、本当に優しいな)
いただいた湯呑みに口をつけながら、レイラは心の中でそっと思っていた。
こんなに丁寧に接してもらうのは、いつ以来だろう。
緊張も少し解けてきて、ようやくこの空間に馴染めそうな気がしていた。
(……嬉しいな……)
そんなふうに思い始めた、まさにそのときだった。
──ガラッ……!
このやわらかい空間を裂くような勢いで、襖が突然に開かれた。
その音に、3人がそちらを一斉に振り返る。
「アシュラ、メシ行こ──……」
現れたのは、赤い髪に気怠げな目。
間違いようもなく、“アイツ”──。
リル。
「…………!?」
「………………は?」
リルの口から漏れたのは、小さな、でも確かな困惑の声。
「………………っ…………!?!?」
(な、ななななんで……!?)
レイラの心臓は一瞬、止まりそうになった。
14
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
『イージス艦長、インパール最前線へ。――牟田口廉也に転生した俺は、地獄の餓死作戦を「鉄壁の兵站要塞」に変える』
月神世一
SF
【あらすじ】
「補給がなければ、戦場に立つ資格すらない」
坂上真一(さかがみ しんいち)、50歳。
かつてイージス艦長として鉄壁の防空網を指揮し、現在は海上自衛隊で次世代艦の兵站システムを設計する男。
背中には若き日の過ちである「仁王」の刺青を隠し持ち、北辰一刀流の達人でもある彼は、ある日、勤務中に仮眠をとる。
目が覚めると、そこは湿気と熱気に満ちた1944年のビルマだった。
鏡に映っていたのは、小太りで口髭の男――歴史の教科書で見た、あの「牟田口廉也」。
しかも時期は、日本陸軍史上最悪の汚点とされる「インパール作戦」決行の直前。
部下たちは「必勝の精神論」を叫び、無謀な突撃を今か今かと待っている。
(……ふざけるな。俺に、部下を餓死させろと言うのか?)
現代の知識と、冷徹な計算、そして海自仕込みのロジスティクス能力。
すべてを駆使して、坂上(中身)は歴史への介入を開始する。
精神論を振りかざすふりをして上層部を欺き、現地改修で兵器を強化し、密かに撤退路を整備する。
これは、「史上最も無能な指揮官」の皮を被った「現代の有能な指揮官」が、確定した敗北の運命をねじ伏せ、数万の命を救うために戦う、逆転の戦記ドラマ。
断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜
深渡 ケイ
ファンタジー
断罪まで、あと10分。
処刑台の上で跪く悪役令嬢スカーレットは、笑っていた。
なぜなら彼女は――
前世で“トップインフルエンサー”だったから。
処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。
空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。
タイトルは――
『断罪なう』。
王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。
すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、
国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。
そして宣言される、前代未聞のルール。
支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。
処刑台は舞台へ。
断罪はエンタメへ。
悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。
これは、
処刑されるはずだった悪役令嬢が、
“ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。
支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、
それとも――自由か。
花鳥見聞録
木野もくば
ファンタジー
花の妖精のルイは、メジロのモクの背中に乗って旅をしています。ルイは記憶喪失でした。自分が花の妖精だったことしか思い出せません。失くした記憶を探すため、さまざまな世界を冒険します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる