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第3話 仲直りの報告
第3話・2 もう仲直りしたけど
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──後日。
廊下の奥、ガラス張りの会議室。
その中で、数人の職員たちがモニターを囲みながら静かに話していた。
「……で、紫苑の子。あのレイラだが」
スーツ姿の中年男性が、資料を手元に置きながら言う。
「適性B以上の安定を半年以上継続。任務帰還率も高い。単独行動の方が良いという判断だったが、先日の精神評価で協調性向上の兆しあり」
「……つまり、次からは誰かと組ませても問題ないってこと?」
「というより──」
別の職員が小さく笑った。
「今のうちに誰かと組ませておくべき、じゃないかって話になってる。このタイミングなら、彼との組み合わせが一番自然だろう、ってね」
「彼……?」
「リルだよ。紅崎リル。こっちも、精神安定には多少の課題ありだけど」
「……はあ~~~、あのふたり、同じ任務に?」
「仲直りしたらしいよ。薊野さんのカウンセリング記録にも書いてある。葉室さんも、慎重ながら推奨してる」
「……こっちとしては、ふたりとも“危険寄り”の個体だからさ。外に出すならむしろ組ませたほうが、制御しやすいって意見も出てるみたい」
「やれやれ……でも、どっちにしろ本人たちには通達するんでしょ?」
「正式には、明日以降だってさ」
そのときだった。
会議室の外──廊下の角。
その影に、ひとりの小柄な姿が立ち止まっている。
「…………」
レイラだ。
飲み物でも買いに行こうと廊下を歩いていた際に、たまたま開いていた扉から思わず会話が耳に入ってしまった。
(……え?)
胸の奥が、一瞬で冷える。
(私が……リルと、一緒に任務に……?)
ずっと、ひとりでやってきた。
それが当然だったし、誰かと組むなんて、考えたこともなかった。
(なんで今……?)
(仲直りしたからって……そう簡単に……)
胸の奥がざわつく。
あのとき、確かに仲直りしたとは言ったけど、これは──。
「……どうしよう」
ぽつりと、独り言が漏れる。
その小さな声は誰にも届かず、ただ、白く磨かれた廊下に吸い込まれていった。
心の中でぐるぐると渦を巻く不安と、現実感の無さ。
仲直りした──たったそれだけで、いきなり組まされるなんて。
(リルだって、今は……西城家に戻ってるはずなのに)
あの日から会ってもいない。言葉も交わしていない。
ほんの数日ですれ違ったままの距離感なのに。
(それなのに、いきなり一緒の任務って……)
「何してんだ、お前」
「……!」
その低い声に、ハッと肩を跳ねさせるレイラ。
振り向くと、手に書類を抱えたセセラが、やや眠そうな目で立っていた。
「……っ、薊野さん……」
「顔強ばってんぞ。廊下のゴキブリかなんかと目ぇ合った?」
「……そんなんじゃない……」
レイラは視線を逸らしながら、珍しく語気を強める。
「……ちょっと、話が聞こえただけ。偶然」
「はぁ?」
「……私とリルが、次の任務で一緒になるって……。そんなの、誰からも聞いてないのに……勝手に……」
言葉が先に溢れた。
レイラ自身、止められなかった。
「いくら仲直りしたとは言っても……頻繁に一緒にいるようになったわけじゃないし……むしろ、あの日以来……会ってもない。話してもないのに……」
拳をぎゅっと握りしめる。
「……どうして、勝手に……」
焦りと、困惑と、ほんの少しの怒りが滲んでいた。
セセラはそれを黙って聞いていた。
書類を片手でひょいと持ち直しながら、いつも通りの無愛想な口調で、ふと呟く。
「まあ、上はそういうとこだ」
「……っ」
「『ちょっと落ち着いた』って情報があれば、『じゃあ任せてみるか』ってなる。ガラスの心でも鋼のメンタルでも、扱いは一緒」
「……だからって……」
「でも」
セセラがそこで、レイラの肩をぽんと軽く叩いた。
「気にくわねーなら、直接言えばいい。俺にでも、上にでも、リルにでも」
「……っ」
「ただ、それで後悔しねえならな」
そう言い残して、セセラは書類を片手に再び歩き出す。
その背中はあくまで気怠げで、何も強制しない。
だが、確かにレイラの焦りを受け止めた上で、選択肢を渡していた。
「…………」
小さく唇を噛み、黙ったまま背中を見送るレイラ。その足音が廊下の奥に消えていく。
レイラはその場を動けずにいた。
(直接言えばいい、か……)
確かに、セセラの言うことは間違っていない。
だが、言えたなら、こんなに悩んでいない。
レイラはそっと窓辺に歩き、ガラス越しの空を見上げた。
高く、どこまでも透き通った青。
しかし、心の中は曇ったままだ。
(あの日、仲直りしたって、確かに私は言った。でも、それって……一緒に任務に出られるって意味じゃない)
あの日レイラの心に灯ったのは、少しわかり合えたという、小さな安心と、微かな希望だけだった。
(まだ……怖い)
それが本音だった。
リルが嫌なわけじゃない。
でも、“龍に憑かれている”という共通点があるだけで、それだけでチームにされるのは、どうしても──。
(……それに、あの人だって……どう思ってるかなんて、わかんない)
あの時、泣いていた姿。
そして「……リルでいい」と言った小さな声。
ちゃんと覚えている。優しいと思ったし、少し嬉しかった。
でも、それと、任務で一緒に行動することは──違う。
(……それでも)
強く、目を閉じる。
(もし、今逃げたら。私はきっとまた、……独りに戻る……)
それが一番、怖かった。
──だから。
(せめて、ちゃんと考えよう。ちゃんと、自分で決めよう……)
手のひらを見つめる。小さく、震えていた。
「……私、どうしたいんだろ」
小声で呟いた言葉は、誰にも届かないまま、静かな空間に吸い込まれていった。
そのときだった。
「レイラちゃん?」
反射的に振り向いた先にいたのは──ラショウ。
手に書類を持ったまま小さく首を傾げている。
「……ラショウ……!?」
「ふふ、びっくりさせちゃった?」
「う、ううん……。あの、ごめん、変な顔してたら……」
「ううん、変じゃなかったけど……ちょっとだけ、元気なさそうだったから」
そう言って、ラショウはそっとレイラの隣に立った。
「廊下、涼しいね。風が気持ちいい」
レイラは隣に並んだその存在に、ふと肩の力が抜けていくのを感じる。
「……ラショウは、いつも誰かに優しいね」
「え?」
「……いや、ごめん。なんでもない……」
「ふふ、でも嬉しい。ありがとう、レイラちゃん」
ラショウは、ほんの少し照れたように笑った。
その笑顔は、今のレイラには少しだけ沁みるようにあたたかかった。
「ねえ、よかったら……お茶でも、どう?」
「……えっ?」
「ここでぼんやりしてるより、気分転換になるかなって思って。さっきもらったお菓子、まだ少し残ってるの」
ラショウの誘いは、押しつけがましくもなく、ただそこにあるだけ。
「…………」
(……ひとりで考えるより、もしかしたら)
レイラはほんの一瞬だけ迷ったあと、小さく頷いた。
「……うん。ちょっとだけ、なら」
「うんっ、じゃあ休憩室に行こっか」
そう言って、ラショウはレイラの前をふわりと歩き出す。その背中を見つめながら、レイラは自分の足で歩き出した。
何かを“決める”前に、誰かと少しだけ“過ごす”こと。
それが、今の自分に必要なことなのかもしれないと思った。
◇
休憩室に着くと、ラショウは慣れた手つきでケトルをセットし、お菓子の缶をそっとテーブルに置いた。
「この前いただいた和三盆のクッキー、ちょっと甘くて優しい味なの。レイラちゃん、甘いの平気?」
「……うん。ありがとう、ラショウ」
名前を呼んだ瞬間、ラショウの笑顔がふわっと明るくなる。
「うふふ、嬉しい。ちゃんとラショウって呼んでくれるの、なんだか改めて照れちゃうね」
「……いや、正直、呼び捨て……慣れてない……」
レイラは湯気の立ち始めたカップを手に取りながら、視線を伏せた。
「でも……うん。なんか、落ち着くかも。ラショ……といると」
その言葉に、ラショウは少し目を見張ったあと──にこっと優しく微笑む。
「レイラちゃん、ね、ちょっと悩んでる?」
「……え」
「ううん、言わなくていいよ。なんとなく、そう思っただけだから」
ラショウはクッキーを1枚差し出して、カップの湯気をふうっと吹いた。
「私ね、昔から優しい人って言われるけど、たぶん……本当の意味で人に寄り添うのって、すごく難しいことだなって思ってるの」
「……どういう意味?」
「えっとね……誰かのそばにいるだけじゃ足りないの。相手が“見てほしい部分”と、“見られたくない部分”、そのどっちにも目を向けないと、優しいって言えないのかなって……」
「…………」
「だから、もし……レイラちゃんが、誰かと何かを一緒にやるって時に不安になるのは、きっとそれだけ本気で考えてるってことだと思うんだ」
ラショウの声は、まるで午後の光のように静かで優しい。
レイラは黙ってそれを聞いていたが、心の中で何かが静かに落ち着いていくのを感じていた。
「……ラショウはさ、誰かと組むっていう場面があるとして、怖いと思う?」
「え、うーん……私は、そういうの実際に怖かったこと、あるよ。でも、それでも関わりたいなって思ったの」
「…………!」
「きっとね、怖くなるってことは、真面目だからだよ」
クッキーを口にしながら微笑むラショウは、やっぱりどこか強かった。
そして、優しかった。
レイラは紅茶のカップを両手で包み込むようにしながら、小さく息を吐く。
「……ありがと、ラショウ。なんか、ちょっと楽になった気がする」
「ふふ、よかった。じゃあ、そのまま甘いの食べて、もうちょっとだけ肩の力抜こ?」
「……うん」
ぽつぽつとしたおしゃべりと、あたたかい湯気。
その小さな時間が、レイラの背中をそっと押してくれるようだった。
◇
数日後、龍調査機関──午前8時30分。
廊下に機械的な足音が響く。
届けられた書類が次々に各班へ配布され、壁の掲示板には新しい任務予定が貼り出されていった。
レイラはいつものように任務表の前で足を止めた。
職員たちがざわめきながら掲示板に目を通す中、目が自然と自分の名前に引き寄せられる。
(……紫苑レイラ。戦闘班、第二調査班、……現地調査任務)
そのすぐ右隣に、同じく赤い文字で──。
(『紅崎リル』……)
「……ッ」
その瞬間、心臓が跳ねた。
(……本当に、私と……)
まるで夢だった出来事が、現実として文字になってそこにある。
「おおっ……あのふたりが組むのか……」
「マジで? 初コンビだよな」
「大丈夫なのか?」
そんな周囲のヒソヒソとした声が、微かに耳に届く。
(……私、どうすればいいんだ)
その場を離れようとした時だった。
「……いた」
低く、短い声。
「……!」
背後からかけられたその言葉に、レイラの全身がぴたりと止まった。
──ゆっくりと振り返る。
そこにいたのは、リル。
黒色の私服に鋭い赤い瞳。変わらない姿──けれど、どこか前より話しかけやすくなったような、不思議な印象もある。
「……よぉ」
「……リルさん……いや、……リ、ル……」
少しだけ、間が空く。
お互いに、何から話していいかわからない。
それでも、あの“西城家の午後”があったから、視線を逸らさずにいられた。
「……あー……お前、任務表、……見た?」
「……うん。見た」
「……組まされるのなんて、初めてだな。……ま、今更か……」
リルの声は、少しだけ硬かった。
だが、それはレイラも同じ。
「……まさか本当に組まされるとは、思ってなかった」
「オレもだよ……」
ほんの一瞬だけ、ふたりの間に苦笑いが交差した。
空気はまだぎこちない。
だけど確かに、“向き合うこと”を避けない姿勢がそこにあった。
「……とりあえず、やるしかねえだろ」
「……うん。……そうだね」
それが、ふたりの初めての“任務前会話”だった。
◇
──数時間後。
龍調査機関・簡易ブリーフィングルーム。
壁面に資料が投影される中、レイラとリルは並んで椅子に座っている。
お互い、視線を合わせるでもなく、でも明らかに意識はしていた。
「今回の任務は、ここ。北部第六地区──龍発生渓谷帯の定期調査だ」
そう口を開いたのは、ふたりの目の前に立つセセラ。
「現地には古い龍の痕跡が多く残ってるが、ここ最近になって“反応値”が微増してる」
スクリーンには、切り立った断崖と霧が渦巻く谷の衛星写真が映し出されている。
「今のところ敵性個体の出現は確認されてねえが、再活性の兆候って見方もある」
「……じゃあ、調査って言っても“何かがいるかもしれない”って感じ?」
レイラが尋ねると、セセラは頷いた。
「そ。何も無い可能性も高い。だが何かあるとしたら、対応できる人間を最小数で送る必要がある」
「最小数……私と、リル?」
「お前らはもしもの時の抑止力になると見込まれてる。それに、お互いに龍の影響下にあるなら、未知の龍因子にも反応しやすい」
「……もしもの時、か」
そう呟くのはリル。
椅子に浅く座りながら、腕を組んでモニターを見ているその横顔には、僅かに緊張の色があった。
レイラも、無意識に袖口を握りしめる。
(……もしもの時に……って、そう簡単に言われても)
しかし、リルの隣で任務を受けるのは、もう避けられない事実。
「出発は明朝。詳細は端末に送っておく。動きやすいよう、今のうちに装備の確認と調整をしておけ」
そう言って、セセラはブリーフィングを締めた。
照明が落ちる。ふたりきりになる前に、レイラはそっと声を漏らす。
「……やっぱり、本当に一緒に行くんだね」
リルは言葉を返さなかった。
ただ、ほんの一瞬だけレイラの方を見て、すぐに目を逸らす。
その視線は──否定では無かった。
◇
翌朝。
午前5時20分──龍調査機関・出発デッキ。
空はまだ夜の名残を引きずっていた。
うっすらと明るみ始めた空に、ひんやりとした風が流れている。
出発デッキの片隅に、レイラの姿があった。
黒いフード付きの上着を羽織り、水色の髪を風に揺らしながら、静かに空を見上げている。
その赤い瞳──強さの中にどこか切なさを宿していた。
背中には調査用パック。
腰に固定された軽装のホルダーと、足元には馴染んだブーツ。
全てが“準備完了”の形をしていたが、胸の奥には、まだ僅かな緊張が残っていた。
「……よう」
重い足音と共に、黒と赤の影が現れる。
──リルだ。
華奢な背中を覆うようなボロボロの紅色と黒色の大きなマントが、まるで龍の翼のように揺れている。それに付属する高い襟が口元まで覆い、鋭い赤の瞳だけが覗いていた。
「……おはよう。私も、今来たところ」
レイラが答えると、リルは無言で視線を前へ向ける。
その横顔は相変わらず強張っているようで──だが、どこか覚悟を決めたようにも見えた。
「行くか」
「……うん」
互いに多くを語らず、それでも足並みは自然と揃っている。
ふたりが乗り込んだ小型調査機は無音に近い駆動音と共に滑走し、静かに、薄明の空へと浮かび上がった。
◇
現地──龍発生峡谷帯・上空。
調査機のハッチが開き、冷たい風が内部に吹き込んでくる。
外には切り立った崖と、うねるような断層。
その全てを覆う霧が、まるで眠れる何かを隠すかのように、どこまでも続いていた。
『現地、到着。通信リンク、問題無し』
レイラとリルの片耳に装着されたインカム越しに、無線を繋ぐセセラの声が入る。
ふたりは無言で頷き、立ち上がった。
フードが風に揺れ、翼のようなマントがはためく。
そして、静かにナビゲーターから着地のカウントが始まった。
『──着地まで、あと10秒。お気をつけて』
「……リル」
「ん?」
「改めてだけど……よろしく」
「……ああ」
目を合わせずに返したその言葉は、それでも確かに“信頼”の種が芽吹いているのを感じさせた。
『5、4、3、2、1──』
──Deploy
「!!」
調査機の底部が開き、ふたりの影が霧の中へと吸い込まれていく。
重力に逆らわず落ちるふたり。
風を裂く音。両者の黒い衣装が翻る。
空のような高所ではない。しかし地表までの数秒が、永遠のように長く感じられた。
そして──。
降り立ったふたりの足が、大地を静かに踏みしめる。
「…………!」
その場所は、数十年前に龍が眠り、そして再び“目を覚ましかけている”とされる地──龍発生峡谷帯。
静寂の中、最初の一歩が刻まれた。
廊下の奥、ガラス張りの会議室。
その中で、数人の職員たちがモニターを囲みながら静かに話していた。
「……で、紫苑の子。あのレイラだが」
スーツ姿の中年男性が、資料を手元に置きながら言う。
「適性B以上の安定を半年以上継続。任務帰還率も高い。単独行動の方が良いという判断だったが、先日の精神評価で協調性向上の兆しあり」
「……つまり、次からは誰かと組ませても問題ないってこと?」
「というより──」
別の職員が小さく笑った。
「今のうちに誰かと組ませておくべき、じゃないかって話になってる。このタイミングなら、彼との組み合わせが一番自然だろう、ってね」
「彼……?」
「リルだよ。紅崎リル。こっちも、精神安定には多少の課題ありだけど」
「……はあ~~~、あのふたり、同じ任務に?」
「仲直りしたらしいよ。薊野さんのカウンセリング記録にも書いてある。葉室さんも、慎重ながら推奨してる」
「……こっちとしては、ふたりとも“危険寄り”の個体だからさ。外に出すならむしろ組ませたほうが、制御しやすいって意見も出てるみたい」
「やれやれ……でも、どっちにしろ本人たちには通達するんでしょ?」
「正式には、明日以降だってさ」
そのときだった。
会議室の外──廊下の角。
その影に、ひとりの小柄な姿が立ち止まっている。
「…………」
レイラだ。
飲み物でも買いに行こうと廊下を歩いていた際に、たまたま開いていた扉から思わず会話が耳に入ってしまった。
(……え?)
胸の奥が、一瞬で冷える。
(私が……リルと、一緒に任務に……?)
ずっと、ひとりでやってきた。
それが当然だったし、誰かと組むなんて、考えたこともなかった。
(なんで今……?)
(仲直りしたからって……そう簡単に……)
胸の奥がざわつく。
あのとき、確かに仲直りしたとは言ったけど、これは──。
「……どうしよう」
ぽつりと、独り言が漏れる。
その小さな声は誰にも届かず、ただ、白く磨かれた廊下に吸い込まれていった。
心の中でぐるぐると渦を巻く不安と、現実感の無さ。
仲直りした──たったそれだけで、いきなり組まされるなんて。
(リルだって、今は……西城家に戻ってるはずなのに)
あの日から会ってもいない。言葉も交わしていない。
ほんの数日ですれ違ったままの距離感なのに。
(それなのに、いきなり一緒の任務って……)
「何してんだ、お前」
「……!」
その低い声に、ハッと肩を跳ねさせるレイラ。
振り向くと、手に書類を抱えたセセラが、やや眠そうな目で立っていた。
「……っ、薊野さん……」
「顔強ばってんぞ。廊下のゴキブリかなんかと目ぇ合った?」
「……そんなんじゃない……」
レイラは視線を逸らしながら、珍しく語気を強める。
「……ちょっと、話が聞こえただけ。偶然」
「はぁ?」
「……私とリルが、次の任務で一緒になるって……。そんなの、誰からも聞いてないのに……勝手に……」
言葉が先に溢れた。
レイラ自身、止められなかった。
「いくら仲直りしたとは言っても……頻繁に一緒にいるようになったわけじゃないし……むしろ、あの日以来……会ってもない。話してもないのに……」
拳をぎゅっと握りしめる。
「……どうして、勝手に……」
焦りと、困惑と、ほんの少しの怒りが滲んでいた。
セセラはそれを黙って聞いていた。
書類を片手でひょいと持ち直しながら、いつも通りの無愛想な口調で、ふと呟く。
「まあ、上はそういうとこだ」
「……っ」
「『ちょっと落ち着いた』って情報があれば、『じゃあ任せてみるか』ってなる。ガラスの心でも鋼のメンタルでも、扱いは一緒」
「……だからって……」
「でも」
セセラがそこで、レイラの肩をぽんと軽く叩いた。
「気にくわねーなら、直接言えばいい。俺にでも、上にでも、リルにでも」
「……っ」
「ただ、それで後悔しねえならな」
そう言い残して、セセラは書類を片手に再び歩き出す。
その背中はあくまで気怠げで、何も強制しない。
だが、確かにレイラの焦りを受け止めた上で、選択肢を渡していた。
「…………」
小さく唇を噛み、黙ったまま背中を見送るレイラ。その足音が廊下の奥に消えていく。
レイラはその場を動けずにいた。
(直接言えばいい、か……)
確かに、セセラの言うことは間違っていない。
だが、言えたなら、こんなに悩んでいない。
レイラはそっと窓辺に歩き、ガラス越しの空を見上げた。
高く、どこまでも透き通った青。
しかし、心の中は曇ったままだ。
(あの日、仲直りしたって、確かに私は言った。でも、それって……一緒に任務に出られるって意味じゃない)
あの日レイラの心に灯ったのは、少しわかり合えたという、小さな安心と、微かな希望だけだった。
(まだ……怖い)
それが本音だった。
リルが嫌なわけじゃない。
でも、“龍に憑かれている”という共通点があるだけで、それだけでチームにされるのは、どうしても──。
(……それに、あの人だって……どう思ってるかなんて、わかんない)
あの時、泣いていた姿。
そして「……リルでいい」と言った小さな声。
ちゃんと覚えている。優しいと思ったし、少し嬉しかった。
でも、それと、任務で一緒に行動することは──違う。
(……それでも)
強く、目を閉じる。
(もし、今逃げたら。私はきっとまた、……独りに戻る……)
それが一番、怖かった。
──だから。
(せめて、ちゃんと考えよう。ちゃんと、自分で決めよう……)
手のひらを見つめる。小さく、震えていた。
「……私、どうしたいんだろ」
小声で呟いた言葉は、誰にも届かないまま、静かな空間に吸い込まれていった。
そのときだった。
「レイラちゃん?」
反射的に振り向いた先にいたのは──ラショウ。
手に書類を持ったまま小さく首を傾げている。
「……ラショウ……!?」
「ふふ、びっくりさせちゃった?」
「う、ううん……。あの、ごめん、変な顔してたら……」
「ううん、変じゃなかったけど……ちょっとだけ、元気なさそうだったから」
そう言って、ラショウはそっとレイラの隣に立った。
「廊下、涼しいね。風が気持ちいい」
レイラは隣に並んだその存在に、ふと肩の力が抜けていくのを感じる。
「……ラショウは、いつも誰かに優しいね」
「え?」
「……いや、ごめん。なんでもない……」
「ふふ、でも嬉しい。ありがとう、レイラちゃん」
ラショウは、ほんの少し照れたように笑った。
その笑顔は、今のレイラには少しだけ沁みるようにあたたかかった。
「ねえ、よかったら……お茶でも、どう?」
「……えっ?」
「ここでぼんやりしてるより、気分転換になるかなって思って。さっきもらったお菓子、まだ少し残ってるの」
ラショウの誘いは、押しつけがましくもなく、ただそこにあるだけ。
「…………」
(……ひとりで考えるより、もしかしたら)
レイラはほんの一瞬だけ迷ったあと、小さく頷いた。
「……うん。ちょっとだけ、なら」
「うんっ、じゃあ休憩室に行こっか」
そう言って、ラショウはレイラの前をふわりと歩き出す。その背中を見つめながら、レイラは自分の足で歩き出した。
何かを“決める”前に、誰かと少しだけ“過ごす”こと。
それが、今の自分に必要なことなのかもしれないと思った。
◇
休憩室に着くと、ラショウは慣れた手つきでケトルをセットし、お菓子の缶をそっとテーブルに置いた。
「この前いただいた和三盆のクッキー、ちょっと甘くて優しい味なの。レイラちゃん、甘いの平気?」
「……うん。ありがとう、ラショウ」
名前を呼んだ瞬間、ラショウの笑顔がふわっと明るくなる。
「うふふ、嬉しい。ちゃんとラショウって呼んでくれるの、なんだか改めて照れちゃうね」
「……いや、正直、呼び捨て……慣れてない……」
レイラは湯気の立ち始めたカップを手に取りながら、視線を伏せた。
「でも……うん。なんか、落ち着くかも。ラショ……といると」
その言葉に、ラショウは少し目を見張ったあと──にこっと優しく微笑む。
「レイラちゃん、ね、ちょっと悩んでる?」
「……え」
「ううん、言わなくていいよ。なんとなく、そう思っただけだから」
ラショウはクッキーを1枚差し出して、カップの湯気をふうっと吹いた。
「私ね、昔から優しい人って言われるけど、たぶん……本当の意味で人に寄り添うのって、すごく難しいことだなって思ってるの」
「……どういう意味?」
「えっとね……誰かのそばにいるだけじゃ足りないの。相手が“見てほしい部分”と、“見られたくない部分”、そのどっちにも目を向けないと、優しいって言えないのかなって……」
「…………」
「だから、もし……レイラちゃんが、誰かと何かを一緒にやるって時に不安になるのは、きっとそれだけ本気で考えてるってことだと思うんだ」
ラショウの声は、まるで午後の光のように静かで優しい。
レイラは黙ってそれを聞いていたが、心の中で何かが静かに落ち着いていくのを感じていた。
「……ラショウはさ、誰かと組むっていう場面があるとして、怖いと思う?」
「え、うーん……私は、そういうの実際に怖かったこと、あるよ。でも、それでも関わりたいなって思ったの」
「…………!」
「きっとね、怖くなるってことは、真面目だからだよ」
クッキーを口にしながら微笑むラショウは、やっぱりどこか強かった。
そして、優しかった。
レイラは紅茶のカップを両手で包み込むようにしながら、小さく息を吐く。
「……ありがと、ラショウ。なんか、ちょっと楽になった気がする」
「ふふ、よかった。じゃあ、そのまま甘いの食べて、もうちょっとだけ肩の力抜こ?」
「……うん」
ぽつぽつとしたおしゃべりと、あたたかい湯気。
その小さな時間が、レイラの背中をそっと押してくれるようだった。
◇
数日後、龍調査機関──午前8時30分。
廊下に機械的な足音が響く。
届けられた書類が次々に各班へ配布され、壁の掲示板には新しい任務予定が貼り出されていった。
レイラはいつものように任務表の前で足を止めた。
職員たちがざわめきながら掲示板に目を通す中、目が自然と自分の名前に引き寄せられる。
(……紫苑レイラ。戦闘班、第二調査班、……現地調査任務)
そのすぐ右隣に、同じく赤い文字で──。
(『紅崎リル』……)
「……ッ」
その瞬間、心臓が跳ねた。
(……本当に、私と……)
まるで夢だった出来事が、現実として文字になってそこにある。
「おおっ……あのふたりが組むのか……」
「マジで? 初コンビだよな」
「大丈夫なのか?」
そんな周囲のヒソヒソとした声が、微かに耳に届く。
(……私、どうすればいいんだ)
その場を離れようとした時だった。
「……いた」
低く、短い声。
「……!」
背後からかけられたその言葉に、レイラの全身がぴたりと止まった。
──ゆっくりと振り返る。
そこにいたのは、リル。
黒色の私服に鋭い赤い瞳。変わらない姿──けれど、どこか前より話しかけやすくなったような、不思議な印象もある。
「……よぉ」
「……リルさん……いや、……リ、ル……」
少しだけ、間が空く。
お互いに、何から話していいかわからない。
それでも、あの“西城家の午後”があったから、視線を逸らさずにいられた。
「……あー……お前、任務表、……見た?」
「……うん。見た」
「……組まされるのなんて、初めてだな。……ま、今更か……」
リルの声は、少しだけ硬かった。
だが、それはレイラも同じ。
「……まさか本当に組まされるとは、思ってなかった」
「オレもだよ……」
ほんの一瞬だけ、ふたりの間に苦笑いが交差した。
空気はまだぎこちない。
だけど確かに、“向き合うこと”を避けない姿勢がそこにあった。
「……とりあえず、やるしかねえだろ」
「……うん。……そうだね」
それが、ふたりの初めての“任務前会話”だった。
◇
──数時間後。
龍調査機関・簡易ブリーフィングルーム。
壁面に資料が投影される中、レイラとリルは並んで椅子に座っている。
お互い、視線を合わせるでもなく、でも明らかに意識はしていた。
「今回の任務は、ここ。北部第六地区──龍発生渓谷帯の定期調査だ」
そう口を開いたのは、ふたりの目の前に立つセセラ。
「現地には古い龍の痕跡が多く残ってるが、ここ最近になって“反応値”が微増してる」
スクリーンには、切り立った断崖と霧が渦巻く谷の衛星写真が映し出されている。
「今のところ敵性個体の出現は確認されてねえが、再活性の兆候って見方もある」
「……じゃあ、調査って言っても“何かがいるかもしれない”って感じ?」
レイラが尋ねると、セセラは頷いた。
「そ。何も無い可能性も高い。だが何かあるとしたら、対応できる人間を最小数で送る必要がある」
「最小数……私と、リル?」
「お前らはもしもの時の抑止力になると見込まれてる。それに、お互いに龍の影響下にあるなら、未知の龍因子にも反応しやすい」
「……もしもの時、か」
そう呟くのはリル。
椅子に浅く座りながら、腕を組んでモニターを見ているその横顔には、僅かに緊張の色があった。
レイラも、無意識に袖口を握りしめる。
(……もしもの時に……って、そう簡単に言われても)
しかし、リルの隣で任務を受けるのは、もう避けられない事実。
「出発は明朝。詳細は端末に送っておく。動きやすいよう、今のうちに装備の確認と調整をしておけ」
そう言って、セセラはブリーフィングを締めた。
照明が落ちる。ふたりきりになる前に、レイラはそっと声を漏らす。
「……やっぱり、本当に一緒に行くんだね」
リルは言葉を返さなかった。
ただ、ほんの一瞬だけレイラの方を見て、すぐに目を逸らす。
その視線は──否定では無かった。
◇
翌朝。
午前5時20分──龍調査機関・出発デッキ。
空はまだ夜の名残を引きずっていた。
うっすらと明るみ始めた空に、ひんやりとした風が流れている。
出発デッキの片隅に、レイラの姿があった。
黒いフード付きの上着を羽織り、水色の髪を風に揺らしながら、静かに空を見上げている。
その赤い瞳──強さの中にどこか切なさを宿していた。
背中には調査用パック。
腰に固定された軽装のホルダーと、足元には馴染んだブーツ。
全てが“準備完了”の形をしていたが、胸の奥には、まだ僅かな緊張が残っていた。
「……よう」
重い足音と共に、黒と赤の影が現れる。
──リルだ。
華奢な背中を覆うようなボロボロの紅色と黒色の大きなマントが、まるで龍の翼のように揺れている。それに付属する高い襟が口元まで覆い、鋭い赤の瞳だけが覗いていた。
「……おはよう。私も、今来たところ」
レイラが答えると、リルは無言で視線を前へ向ける。
その横顔は相変わらず強張っているようで──だが、どこか覚悟を決めたようにも見えた。
「行くか」
「……うん」
互いに多くを語らず、それでも足並みは自然と揃っている。
ふたりが乗り込んだ小型調査機は無音に近い駆動音と共に滑走し、静かに、薄明の空へと浮かび上がった。
◇
現地──龍発生峡谷帯・上空。
調査機のハッチが開き、冷たい風が内部に吹き込んでくる。
外には切り立った崖と、うねるような断層。
その全てを覆う霧が、まるで眠れる何かを隠すかのように、どこまでも続いていた。
『現地、到着。通信リンク、問題無し』
レイラとリルの片耳に装着されたインカム越しに、無線を繋ぐセセラの声が入る。
ふたりは無言で頷き、立ち上がった。
フードが風に揺れ、翼のようなマントがはためく。
そして、静かにナビゲーターから着地のカウントが始まった。
『──着地まで、あと10秒。お気をつけて』
「……リル」
「ん?」
「改めてだけど……よろしく」
「……ああ」
目を合わせずに返したその言葉は、それでも確かに“信頼”の種が芽吹いているのを感じさせた。
『5、4、3、2、1──』
──Deploy
「!!」
調査機の底部が開き、ふたりの影が霧の中へと吸い込まれていく。
重力に逆らわず落ちるふたり。
風を裂く音。両者の黒い衣装が翻る。
空のような高所ではない。しかし地表までの数秒が、永遠のように長く感じられた。
そして──。
降り立ったふたりの足が、大地を静かに踏みしめる。
「…………!」
その場所は、数十年前に龍が眠り、そして再び“目を覚ましかけている”とされる地──龍発生峡谷帯。
静寂の中、最初の一歩が刻まれた。
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