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第9話 食事の時間です・前編
第9話・3 何かが繋がっている
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医療棟・医務室にて──。
ベッドの上でセセラは片手で頭を押さえ、額を濡らしたタオルを落としかけていた。
「っ……ぐ……」
モニターに映る数値は、安定している。
だが、眼鏡を外したその目元はタオルの下で赤く充血していた。
(ダメだ……見えねえ……)
「……先生、どこにいるんだよ……」
それはその場に誰かがいれば絶対に言わない、弱音。誰かに聞かれるのが恥ずかしいと思っているから。
視界が奪われれば他の五感が働く。セセラはこの部屋に誰もいないと見えないながらに確信していた。
──コン、コン……
小さなノックの音。
「…………」
セセラは身動ぎも返事もしなかった。
だが、扉は静かに開けられ、柔らかな甘い香りがふわりと漂う。
「……入るぞ……セセラ」
その声に、セセラはぴくりと反応した。
「……やっぱ来たか、先生」
ゆっくりと体を起こす。
そして目元からタオルを外すも、目は閉じられたまま。
もう完全に何も見えていない。
「……こんな時にリミットが来たよ。先生もとっくに喉渇いてんだろ?」
シエリは何も言わずに頷くと、ベッドの傍に椅子を置いて座る。
そして、その小さな手が、セセラの体にそっと触れた。
「…………」
シエリの指がセセラの胸元に添えられた瞬間──。
「……ッ……」
ビクッ、と震えるセセラの体。
「……悪ぃな、先生……待たせちまって……、今回はちょっと……やばいかもな」
苦笑気味にそう言いながら、セセラはおどけた口調の奥に、ほんの僅かに滲んだ不安を隠していた。
「……な~んも見えねえ」
シエリの手が、ぴくりと揺れる。
「……どうして、もっと早く……」
「……忙しくて連絡すんの無理だったんだよ。見えねえし。……でもまあ、来るのはわかってた。ていうか先生、俺が頼まなくても来てくれる人だろ」
そう言って、少しだけ顔を上げる。
目を開けてみても焦点の合わない──赤色から茶褐色へと色を変えたその瞳に、シエリは静かに顔を寄せた。
「……バカ。……こんなになるまで……」
その小さな声は、まるで泣き声のようだった。
「すまねえ、先生だって苦しくなるのにな」
──そして、沈黙。
部屋は暗く、ただ電子音だけが鳴っている。
「……もう……いいな?」
シエリの問いに、セセラは微かに頷いた。
「……お好きにどうぞ、先生」
その返事が終わるのを待たず──。
ふわ……、と。
小さな手が、セセラの首元に回される。
そして、ゆっくりと──。
シエリの唇が、舌が。
──牙が。
首筋に触れた。
「……っ、……う………ッ……!!」
強烈な痛み。
そしてそれに伴う、毒の効果か、なんとも言い難い快感。
吸う、というより、飲み込むように。
その牙は普段よりも深く沈み、血管を捉えると同時に、セセラの体から力が抜けていく。
「せんせ……っ、……ちょ、いてえかも……」
(……ッ、……くそ……やっぱ、今回……深い……っ)
(マジで、痛い……ッ!!!)
耐えるように、拳を握る。
だが、それすらもシエリの体温に溶かされる。
「……はぁ……んっ、……セセラ……もっと……」
熱く、執拗で、濃密な吸血。
まるで、取り戻すかのように。
まるで、失いかけたものを繋ぎ止めるように。
──ガタンッ!
シエリが椅子を倒すと、更にその身を乗り出してセセラに跨り牙を突き刺す。
倒された椅子の音にさえ、誰も反応しなかった。
「いて……ッ!!」
室内を、ふたりが小さく漏らす声と吐息が埋めていく。
「あ゙……先生ッ、やべ……頭、ッ、なんか……、っ、きてる……(神経毒が)」
「……ん、……んくっ、セセラ、いっぱい出てる……(血が)」
静かな部屋の中、重なる気配と音。
それは主従を超えた、互いの生存の儀式。
「……ん、ふ……フフ……これで、もう大丈夫だな……」
シエリが満足そうに口を離すと、唇に伝った赤を、そっと指で拭う。
「……っ、はあ……、はあ……っ……」
セセラはベッドの端に倒れ込み、首筋を血で濡らしながら肩で息をしていた。
「……はあ……っはあ……、……なぁ……先生……」
「なに?」
「……ちょっとは、加減ってもんを……」
「無理」
ニコッとシエリは笑う。
「キミが、あんな可愛い顔してたから……我慢できなかったんだもん♪」
その声は、優しくて、ずるくて──どこか寂しそうだった。
◇
──数分後。
「……セセラ、落ち着いたか?」
ベッドの端に腰掛け、セセラの額をそっと拭いながらシエリが問いかける。
眼鏡をかけ直していたセセラは深く息を吐き、ぼんやりと天井を見上げた。
「……ああ……だいぶ、な。視界も戻った……少しずつハッキリしてきた」
「うん、よかった」
シエリは小さく頷く。
その声には、安堵と、ほんの微かな罪悪感が滲んでいた。
「……強すぎたかな?」
「……あぁ? ……あ、いや……気持ちよか……じゃねえ、ちょうどよかったよ……って、……言っとく」
「フフ、ありがとう」
「…………ッ」
再び沈黙。
だが、気まずさは無い。
ふたりの間には、もう言葉にする必要の無い何かがあった。
「……なぁ、先生」
「うん?」
「こうやって、何度も命繋がれてると……たまに、思うんだよ」
「何を?」
「……俺、これが依存なんじゃねえかって」
「…………」
シエリは笑わなかった。
その問いには、笑顔で返せないことを知っていたから。
だから、まっすぐに答えた。
「それでも……私は……キミだから求めるんだよ」
「…………っ……」
その言葉に、セセラは少しだけ目を細めて──。
「……ずるいな、先生」
「ずるいのはお互い様だろう」
互いに微笑んだ、その時。
──コンコン……!
扉を叩く音が鳴る。
「……失礼します、薊野さん……! 上層から指令です!」
「……指令?」
「はい、戦闘班より報告。制圧区画で捕らえた異形体の一部が、原因不明の蒸発を起こしました」
「…………は……?」
セセラは眉をひそめた。
「蒸発……? 自壊じゃなくて?」
「はい……まるで誰かに回収されたかのような、痕跡が──」
「……クソッ、まだ誰かが繋がってる……」
先程まで寝転んでいた体が、即座に立ち上がる。
「先生、悪い。また現場戻る」
「……ああ。もう、目は大丈夫か?」
「もう十分だよ」
最後にシエリの頭をぽんと撫でて、セセラは再び走り出した。
──“繋がっている者”がいる。
あの異形は、生まれただけじゃない──“誰かの元へ戻った”のだ。
セセラの分析と推理が、再び戦場を照らし始める。
◇
龍調査機関・中央モニター室──。
「異形体の残骸、映像を再確認!」
セセラがモニター室へ入るなり、職員たちが緊張した面持ちで端末に向かっていた。
中央スクリーンには、先程捕獲され、拘束されていた異形の一部が映されている。
「これです……捕獲から13分後、突如として体組織の一部が溶解。通常の腐食や自己分解とは異なるパターンでした」
「熱反応は?」
「ありません。冷却系の異常も無し。まるで外部から何かを送られたかのように、自然に消滅しています」
「…………」
セセラはデータの時間軸を遡り、画面の数フレームを凝視した。
「……ここ、拡大してみろ」
指差したのは、異形の体表。
一瞬だけ──青白く、稲妻のような紋様が走っていた。
「……これは、“転送痕”……? まさか、あんな不定形の龍が、転送機能……?」
「違う」
低く響くセセラの声。
「これはあいつ自身の力じゃない。外から命令が来たんだ。まるで回収命令みたいに……」
「……じゃあ、やっぱり誰かが操っている……?」
セセラはひとつ、大きく息をついた。
「いや……誰かじゃない。どこかだ」
「…………っ」
その言葉に、部屋の空気が重くなる。
「俺たちは龍そのものばかり追ってきた。でも、それを使って何かをしてる組織がいるとしたら……今回の侵入も、実験だった可能性がある」
職員たちが息を呑んだ。
「しかも、ターゲットは明確にウチの龍憑き……リルと、レイラ。その因子を記録し、反応させ、喰らわせるように……」
「……内部情報が漏れていた?」
「間違いねえ」
セセラのその目が鋭く光る──。
「犯人探しは継続中だ。けど、もう姿だけじゃねえ……その目的に、先に辿り着く」
瞬時にセセラの分析が動き出す。
レイラたちを狙い、異形の龍を操る“どこか”の存在──。
その輪郭が、少しずつ浮かび上がり始めていた。
「転送、命令、因子……」
セセラはモニターの前で立ったまま指を滑らせ、各データベースを高速で呼び出す。
「この転送痕に似たパターン……何か、他に記録がないか……?」
職員のひとりが緊張しながらも端末を操作した。
「……ありました。3年程前……旧・第三研究区画周辺で確認された龍の一部が、類似の現象で消滅していた記録が……」
「3年前? 旧・第三研究区画……? そっち、確か……閉鎖になったろ」
「はい、施設内で“龍の暴走と記録消失”が同時に発生。……それ以上の調査は、何者かの手で打ち切られていました」
その返答に、ぴくりと動くセセラの眉。
「……なんだそれ。都合よすぎんだろ。誰かが“封じた”と見るべきだな」
セセラはデータの中に並んでいた関係者一覧をスクロールする。
──そして、そこに。
見覚えのある名が、ふっと視界をかすめた。
禰寝ネク。
「やっぱり……お前か……」
ごく短く、セセラが呟いた声に──誰もが反応しきれなかった。ただ、その視線だけが凍りついたように冷たく、静かに確信を深めていった。
「よし。先生に報告を……」
「…………」
「……いや、俺が直接進める」
セセラは一歩、前に出る。
「組織がいる。……あいつらを喰らう龍を育てようとしてる、どこかがな」
◇
医療棟・療養エリア。
「……はぁ……」
レイラは深く、長くため息をついた。
柔らかい療養室のソファ。横にリルが座っている。
「……やっぱ、まだダメだな。オレ、足が軽くガクついてる。さっき全力疾走したからか……」
「私も……なんか、胸が息苦しくなる瞬間がある……」
ふたりは黙って天井を見つめる。
あのときは、ただ逃げるしかなかった。
でも今、動かないでいると──体のあちこちが叫びを上げている。
「……まだ、戻ってきてないんだね、私たち」
「……ああ。回復した気になってたけど、やっぱ無理してたんだな」
リルは自分の手のひらをじっと見つめた。
「……治ったじゃなくて、動けるだけだったんだな……」
レイラも、小さく頷く。
「私たち、強くなったと思ってた。でも……まだ、全然足りないんだ」
「……足りないってのは、そうだな……」
ふっと笑うリル。
「でも、死ななかったんだ。今回は」
「うん。……それだけでも、きっと意味があるよ」
互いのぬくもりが、まだ確かにここにいることを教えてくれた。
静かな時間。
壁越しに聞こえるのは、誰かの足音と、カートを押す音。
「……ねえ、リル」
「ん?」
「……本当に休めるとき、来るかな」
「…………来るよ」
リルは、曖昧な笑みで答えた。
「それまで、オレらが生き残れりゃな」
「うん……そうだね」
視線が重なる。
その時、扉の隙間から職員が声をかけてきた。
「おふたりとも、明日再検査となりました。ご準備をお願いしますね」
「はーい……」
「……またかよ……」
ふたりの疲れた声が重なり、ふっと笑いが零れる。
しかし、その笑顔の奥にあるのは──。
まだ拭えない、深い予感だった。
──そして、中央モニター室。
「このネクって奴、確か……元は医療班にいたんだったな」
セセラがモニター越しに映る履歴データを見ながら、ぽつりと呟く。
「そうです、元・医療技術課。現場ではあまり目立ちませんでしたが、ログイン記録や解析補助の腕は優秀でした。特に“因子管理サーバー”への接続頻度が……異様に多いです」
「……で、誰にも怪しまれてなかった?」
「……はい。線が細くて人当たりも良く、トラブルを起こしたこともありませんでした。ただ……彼、ずっと右目を眼帯で隠していて……それを理由に検診も免除されていたようで……」
「……っざけんなよ……。何年も騙して、それでも一度もボロ出さなかったってか……」
髪をぐしゃっとかき乱しながら唸るセセラ。
「……そいつ、今どこにいる?」
職員は首を横に振る。
「1ヶ月前に自主退職という形で処理されています。住所は転送されましたが、現在は居住記録も移動記録も途絶えていて……」
「……消されたな。人間社会からも、機関からも」
セセラは深く腰を下ろし、机に肘をついた。
「なあ、お前ら……こういう奴が本気で動いたときって、痕跡なんか残すと思うか?」
「…………」
──誰も、すぐには答えられない。
「……むしろ残してるんだよ。残すことで、探らせてるんだ」
「え……?」
「『俺がいた』っていう痕跡を、わざと見せてるんだよ。まるで、次に来るぞって合図みたいにな」
沈黙が落ちる。
「……あいつ、絶対また来る」
セセラの赤い瞳が、静かに燃え上がっていた。
◇
──深夜のモニター室。
僅かな照明と機器の低い駆動音だけが響く。
職員たちが疲労困憊の中、セセラはひとりモニター群の前で足を組み、映像を巻き戻し、再生し、また止めて……を繰り返していた。
「……何か引っかかる。絶対、ただの痕跡じゃねえ……」
映っているのは、異形が回収される直前のフレーム。
ノイズ交じりの中──ほんの一瞬、記録には“あり得ないもの”が映っていた。
「…………ん?」
──影。
階段の奥、完全に死角のはずの位置に、足が一瞬だけ映り込んでいた。
(ここに……立ってた……? 誰かが……?)
セセラはその足元のシルエットをさらに拡大し、色調を調整する。
──そこには、確かに人間のもののような細く伸びた影と、足首のようなものが映っていた。
(……人間だ。これは、服の裾……?)
──白衣。
「……! おいこれ、録画の保存レベル上げろ。データ損失防止ロックかけとけ。誰にも消させるなよ」
慌てて立ち上がり、職員に指示を飛ばす。
「これは……もう現場にいたと見て間違いねえ」
セセラは拳を握った。
「……あいつは、回収するだけじゃない。俺たちの反応を、見に来てやがった……」
その時だった。
──ピコンッ
モニター室の端末に、新規のメッセージが届いた。
発信者は──不明。
「…………っ……!?」
セセラは眉をひそめ、手元の端末を開く。
そこには、たった1行のメッセージ。
『またすぐ会えますよ、薊野さん』
「……ッ」
端末を握る手が、無意識に力んだ。
「……誘ってやがる……!」
ネクだ。
この語り口、この“丁寧すぎる距離感”。
間違いない──奴が次に動く。
セセラの背中に、久しぶりの戦慄が走っていた。
ベッドの上でセセラは片手で頭を押さえ、額を濡らしたタオルを落としかけていた。
「っ……ぐ……」
モニターに映る数値は、安定している。
だが、眼鏡を外したその目元はタオルの下で赤く充血していた。
(ダメだ……見えねえ……)
「……先生、どこにいるんだよ……」
それはその場に誰かがいれば絶対に言わない、弱音。誰かに聞かれるのが恥ずかしいと思っているから。
視界が奪われれば他の五感が働く。セセラはこの部屋に誰もいないと見えないながらに確信していた。
──コン、コン……
小さなノックの音。
「…………」
セセラは身動ぎも返事もしなかった。
だが、扉は静かに開けられ、柔らかな甘い香りがふわりと漂う。
「……入るぞ……セセラ」
その声に、セセラはぴくりと反応した。
「……やっぱ来たか、先生」
ゆっくりと体を起こす。
そして目元からタオルを外すも、目は閉じられたまま。
もう完全に何も見えていない。
「……こんな時にリミットが来たよ。先生もとっくに喉渇いてんだろ?」
シエリは何も言わずに頷くと、ベッドの傍に椅子を置いて座る。
そして、その小さな手が、セセラの体にそっと触れた。
「…………」
シエリの指がセセラの胸元に添えられた瞬間──。
「……ッ……」
ビクッ、と震えるセセラの体。
「……悪ぃな、先生……待たせちまって……、今回はちょっと……やばいかもな」
苦笑気味にそう言いながら、セセラはおどけた口調の奥に、ほんの僅かに滲んだ不安を隠していた。
「……な~んも見えねえ」
シエリの手が、ぴくりと揺れる。
「……どうして、もっと早く……」
「……忙しくて連絡すんの無理だったんだよ。見えねえし。……でもまあ、来るのはわかってた。ていうか先生、俺が頼まなくても来てくれる人だろ」
そう言って、少しだけ顔を上げる。
目を開けてみても焦点の合わない──赤色から茶褐色へと色を変えたその瞳に、シエリは静かに顔を寄せた。
「……バカ。……こんなになるまで……」
その小さな声は、まるで泣き声のようだった。
「すまねえ、先生だって苦しくなるのにな」
──そして、沈黙。
部屋は暗く、ただ電子音だけが鳴っている。
「……もう……いいな?」
シエリの問いに、セセラは微かに頷いた。
「……お好きにどうぞ、先生」
その返事が終わるのを待たず──。
ふわ……、と。
小さな手が、セセラの首元に回される。
そして、ゆっくりと──。
シエリの唇が、舌が。
──牙が。
首筋に触れた。
「……っ、……う………ッ……!!」
強烈な痛み。
そしてそれに伴う、毒の効果か、なんとも言い難い快感。
吸う、というより、飲み込むように。
その牙は普段よりも深く沈み、血管を捉えると同時に、セセラの体から力が抜けていく。
「せんせ……っ、……ちょ、いてえかも……」
(……ッ、……くそ……やっぱ、今回……深い……っ)
(マジで、痛い……ッ!!!)
耐えるように、拳を握る。
だが、それすらもシエリの体温に溶かされる。
「……はぁ……んっ、……セセラ……もっと……」
熱く、執拗で、濃密な吸血。
まるで、取り戻すかのように。
まるで、失いかけたものを繋ぎ止めるように。
──ガタンッ!
シエリが椅子を倒すと、更にその身を乗り出してセセラに跨り牙を突き刺す。
倒された椅子の音にさえ、誰も反応しなかった。
「いて……ッ!!」
室内を、ふたりが小さく漏らす声と吐息が埋めていく。
「あ゙……先生ッ、やべ……頭、ッ、なんか……、っ、きてる……(神経毒が)」
「……ん、……んくっ、セセラ、いっぱい出てる……(血が)」
静かな部屋の中、重なる気配と音。
それは主従を超えた、互いの生存の儀式。
「……ん、ふ……フフ……これで、もう大丈夫だな……」
シエリが満足そうに口を離すと、唇に伝った赤を、そっと指で拭う。
「……っ、はあ……、はあ……っ……」
セセラはベッドの端に倒れ込み、首筋を血で濡らしながら肩で息をしていた。
「……はあ……っはあ……、……なぁ……先生……」
「なに?」
「……ちょっとは、加減ってもんを……」
「無理」
ニコッとシエリは笑う。
「キミが、あんな可愛い顔してたから……我慢できなかったんだもん♪」
その声は、優しくて、ずるくて──どこか寂しそうだった。
◇
──数分後。
「……セセラ、落ち着いたか?」
ベッドの端に腰掛け、セセラの額をそっと拭いながらシエリが問いかける。
眼鏡をかけ直していたセセラは深く息を吐き、ぼんやりと天井を見上げた。
「……ああ……だいぶ、な。視界も戻った……少しずつハッキリしてきた」
「うん、よかった」
シエリは小さく頷く。
その声には、安堵と、ほんの微かな罪悪感が滲んでいた。
「……強すぎたかな?」
「……あぁ? ……あ、いや……気持ちよか……じゃねえ、ちょうどよかったよ……って、……言っとく」
「フフ、ありがとう」
「…………ッ」
再び沈黙。
だが、気まずさは無い。
ふたりの間には、もう言葉にする必要の無い何かがあった。
「……なぁ、先生」
「うん?」
「こうやって、何度も命繋がれてると……たまに、思うんだよ」
「何を?」
「……俺、これが依存なんじゃねえかって」
「…………」
シエリは笑わなかった。
その問いには、笑顔で返せないことを知っていたから。
だから、まっすぐに答えた。
「それでも……私は……キミだから求めるんだよ」
「…………っ……」
その言葉に、セセラは少しだけ目を細めて──。
「……ずるいな、先生」
「ずるいのはお互い様だろう」
互いに微笑んだ、その時。
──コンコン……!
扉を叩く音が鳴る。
「……失礼します、薊野さん……! 上層から指令です!」
「……指令?」
「はい、戦闘班より報告。制圧区画で捕らえた異形体の一部が、原因不明の蒸発を起こしました」
「…………は……?」
セセラは眉をひそめた。
「蒸発……? 自壊じゃなくて?」
「はい……まるで誰かに回収されたかのような、痕跡が──」
「……クソッ、まだ誰かが繋がってる……」
先程まで寝転んでいた体が、即座に立ち上がる。
「先生、悪い。また現場戻る」
「……ああ。もう、目は大丈夫か?」
「もう十分だよ」
最後にシエリの頭をぽんと撫でて、セセラは再び走り出した。
──“繋がっている者”がいる。
あの異形は、生まれただけじゃない──“誰かの元へ戻った”のだ。
セセラの分析と推理が、再び戦場を照らし始める。
◇
龍調査機関・中央モニター室──。
「異形体の残骸、映像を再確認!」
セセラがモニター室へ入るなり、職員たちが緊張した面持ちで端末に向かっていた。
中央スクリーンには、先程捕獲され、拘束されていた異形の一部が映されている。
「これです……捕獲から13分後、突如として体組織の一部が溶解。通常の腐食や自己分解とは異なるパターンでした」
「熱反応は?」
「ありません。冷却系の異常も無し。まるで外部から何かを送られたかのように、自然に消滅しています」
「…………」
セセラはデータの時間軸を遡り、画面の数フレームを凝視した。
「……ここ、拡大してみろ」
指差したのは、異形の体表。
一瞬だけ──青白く、稲妻のような紋様が走っていた。
「……これは、“転送痕”……? まさか、あんな不定形の龍が、転送機能……?」
「違う」
低く響くセセラの声。
「これはあいつ自身の力じゃない。外から命令が来たんだ。まるで回収命令みたいに……」
「……じゃあ、やっぱり誰かが操っている……?」
セセラはひとつ、大きく息をついた。
「いや……誰かじゃない。どこかだ」
「…………っ」
その言葉に、部屋の空気が重くなる。
「俺たちは龍そのものばかり追ってきた。でも、それを使って何かをしてる組織がいるとしたら……今回の侵入も、実験だった可能性がある」
職員たちが息を呑んだ。
「しかも、ターゲットは明確にウチの龍憑き……リルと、レイラ。その因子を記録し、反応させ、喰らわせるように……」
「……内部情報が漏れていた?」
「間違いねえ」
セセラのその目が鋭く光る──。
「犯人探しは継続中だ。けど、もう姿だけじゃねえ……その目的に、先に辿り着く」
瞬時にセセラの分析が動き出す。
レイラたちを狙い、異形の龍を操る“どこか”の存在──。
その輪郭が、少しずつ浮かび上がり始めていた。
「転送、命令、因子……」
セセラはモニターの前で立ったまま指を滑らせ、各データベースを高速で呼び出す。
「この転送痕に似たパターン……何か、他に記録がないか……?」
職員のひとりが緊張しながらも端末を操作した。
「……ありました。3年程前……旧・第三研究区画周辺で確認された龍の一部が、類似の現象で消滅していた記録が……」
「3年前? 旧・第三研究区画……? そっち、確か……閉鎖になったろ」
「はい、施設内で“龍の暴走と記録消失”が同時に発生。……それ以上の調査は、何者かの手で打ち切られていました」
その返答に、ぴくりと動くセセラの眉。
「……なんだそれ。都合よすぎんだろ。誰かが“封じた”と見るべきだな」
セセラはデータの中に並んでいた関係者一覧をスクロールする。
──そして、そこに。
見覚えのある名が、ふっと視界をかすめた。
禰寝ネク。
「やっぱり……お前か……」
ごく短く、セセラが呟いた声に──誰もが反応しきれなかった。ただ、その視線だけが凍りついたように冷たく、静かに確信を深めていった。
「よし。先生に報告を……」
「…………」
「……いや、俺が直接進める」
セセラは一歩、前に出る。
「組織がいる。……あいつらを喰らう龍を育てようとしてる、どこかがな」
◇
医療棟・療養エリア。
「……はぁ……」
レイラは深く、長くため息をついた。
柔らかい療養室のソファ。横にリルが座っている。
「……やっぱ、まだダメだな。オレ、足が軽くガクついてる。さっき全力疾走したからか……」
「私も……なんか、胸が息苦しくなる瞬間がある……」
ふたりは黙って天井を見つめる。
あのときは、ただ逃げるしかなかった。
でも今、動かないでいると──体のあちこちが叫びを上げている。
「……まだ、戻ってきてないんだね、私たち」
「……ああ。回復した気になってたけど、やっぱ無理してたんだな」
リルは自分の手のひらをじっと見つめた。
「……治ったじゃなくて、動けるだけだったんだな……」
レイラも、小さく頷く。
「私たち、強くなったと思ってた。でも……まだ、全然足りないんだ」
「……足りないってのは、そうだな……」
ふっと笑うリル。
「でも、死ななかったんだ。今回は」
「うん。……それだけでも、きっと意味があるよ」
互いのぬくもりが、まだ確かにここにいることを教えてくれた。
静かな時間。
壁越しに聞こえるのは、誰かの足音と、カートを押す音。
「……ねえ、リル」
「ん?」
「……本当に休めるとき、来るかな」
「…………来るよ」
リルは、曖昧な笑みで答えた。
「それまで、オレらが生き残れりゃな」
「うん……そうだね」
視線が重なる。
その時、扉の隙間から職員が声をかけてきた。
「おふたりとも、明日再検査となりました。ご準備をお願いしますね」
「はーい……」
「……またかよ……」
ふたりの疲れた声が重なり、ふっと笑いが零れる。
しかし、その笑顔の奥にあるのは──。
まだ拭えない、深い予感だった。
──そして、中央モニター室。
「このネクって奴、確か……元は医療班にいたんだったな」
セセラがモニター越しに映る履歴データを見ながら、ぽつりと呟く。
「そうです、元・医療技術課。現場ではあまり目立ちませんでしたが、ログイン記録や解析補助の腕は優秀でした。特に“因子管理サーバー”への接続頻度が……異様に多いです」
「……で、誰にも怪しまれてなかった?」
「……はい。線が細くて人当たりも良く、トラブルを起こしたこともありませんでした。ただ……彼、ずっと右目を眼帯で隠していて……それを理由に検診も免除されていたようで……」
「……っざけんなよ……。何年も騙して、それでも一度もボロ出さなかったってか……」
髪をぐしゃっとかき乱しながら唸るセセラ。
「……そいつ、今どこにいる?」
職員は首を横に振る。
「1ヶ月前に自主退職という形で処理されています。住所は転送されましたが、現在は居住記録も移動記録も途絶えていて……」
「……消されたな。人間社会からも、機関からも」
セセラは深く腰を下ろし、机に肘をついた。
「なあ、お前ら……こういう奴が本気で動いたときって、痕跡なんか残すと思うか?」
「…………」
──誰も、すぐには答えられない。
「……むしろ残してるんだよ。残すことで、探らせてるんだ」
「え……?」
「『俺がいた』っていう痕跡を、わざと見せてるんだよ。まるで、次に来るぞって合図みたいにな」
沈黙が落ちる。
「……あいつ、絶対また来る」
セセラの赤い瞳が、静かに燃え上がっていた。
◇
──深夜のモニター室。
僅かな照明と機器の低い駆動音だけが響く。
職員たちが疲労困憊の中、セセラはひとりモニター群の前で足を組み、映像を巻き戻し、再生し、また止めて……を繰り返していた。
「……何か引っかかる。絶対、ただの痕跡じゃねえ……」
映っているのは、異形が回収される直前のフレーム。
ノイズ交じりの中──ほんの一瞬、記録には“あり得ないもの”が映っていた。
「…………ん?」
──影。
階段の奥、完全に死角のはずの位置に、足が一瞬だけ映り込んでいた。
(ここに……立ってた……? 誰かが……?)
セセラはその足元のシルエットをさらに拡大し、色調を調整する。
──そこには、確かに人間のもののような細く伸びた影と、足首のようなものが映っていた。
(……人間だ。これは、服の裾……?)
──白衣。
「……! おいこれ、録画の保存レベル上げろ。データ損失防止ロックかけとけ。誰にも消させるなよ」
慌てて立ち上がり、職員に指示を飛ばす。
「これは……もう現場にいたと見て間違いねえ」
セセラは拳を握った。
「……あいつは、回収するだけじゃない。俺たちの反応を、見に来てやがった……」
その時だった。
──ピコンッ
モニター室の端末に、新規のメッセージが届いた。
発信者は──不明。
「…………っ……!?」
セセラは眉をひそめ、手元の端末を開く。
そこには、たった1行のメッセージ。
『またすぐ会えますよ、薊野さん』
「……ッ」
端末を握る手が、無意識に力んだ。
「……誘ってやがる……!」
ネクだ。
この語り口、この“丁寧すぎる距離感”。
間違いない──奴が次に動く。
セセラの背中に、久しぶりの戦慄が走っていた。
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