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第9話 食事の時間です・前編
第9話・2 何かが近づいている
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鋼鉄製の狭い非常通路を、レイラとリルが駆けていく。
非常灯が交互に明滅し、スローモーションのように伸びる影。
その背後には、ギィ……ギィ……と不規則に這う音が、距離を詰めてきていた。
「ハァ……ッ、ハァ……ッ……!」
リルの呼吸が乱れている。意識を取り戻してからまだ浅い。体力が戻っていない。
それでも、走る脚を止めなかった。
「…………っ……!」
レイラも口元を押さえている。発熱は治まったはずなのに、まだ胸が締めつけられるように痛む。
「……リル、大丈夫……っ……?」
「お前こそ……」
短い言葉で、互いを気にかけ合いながら、逃げる。
だが、ふたりの目の前に、次の扉が現れた。
「非常階段……上か? 下か……!?」
迷うリル。
しかし、背後の音が一際近づいてくる。
──カツン……
靴音とは違う。
骨のような何かが、床を叩いた音だった。
「……クソッ、下行くぞ!」
「うん……!」
リルは扉を蹴り開け、非常階段へ駆け込む。
手すりを掴んで一気に降りるレイラ。リルがその背を守る。
──だが、階段の踊り場。
異様な気配が、すぐ下の階から這い上がってきた。
「リル……下も……いる……!」
「あ゙ァ!? クソッ……挟まれた!?」
逃げ場が無い。頭上からも、足元からも、それらが音も無く迫ってくる。
(……ここで終わるかよ……!)
リルが歯を食いしばった──その時。
「そこを動くな!!」
鋭く響く声。
「そのまま伏せろ!!」
──バァンッ!!!
「ッ!!」
「うわっ!?」
階段下から、何かが炸裂する。
閃光と衝撃波──スタングレネードだ。
爆発音と共に、龍たちの動きが一瞬、止まった。
そして間も無く階下から──異様な気配の主が放つ悲鳴のような声が聞こえ、その気配が遠くなっていく。
「……!?」
リルが目を開けると、階下に見慣れた白衣の姿──。
「薊野さん……っ!!」
「遅れて悪い、でも間に合ったな……!」
電磁ナイフを構えながら、階段を駆け上がってくるセセラ。
その背後には、戦闘班所属の武装した職員たちが続いていた。
「君たち、こっちだ! 今のうちに……!」
「……!!」
レイラとリルは職員の声を確かに聞き、息を切らせながら走り出す。
「レイラ、リル! 後ろに下がってろッ!!」
セセラの叫びと同時、階段の影から龍が再び現れた。
「…………!!」
黒い粘質の鱗。にゅるりと伸縮する尾のような、腕の生えた蛇のような、奇妙な体躯。
明らかに生き物の形ではない。
だが、確かに龍因子の気配を持つ──歪な異形。
「なんつー姿しやがって……。こんなヤバいのが施設内に入り込むなんて、洒落になんねえぞ……!」
セセラは片手で電磁ナイフを構え、もう片方で腰のバインダーからスチール製の筒のようなものを引き抜いた。
それは、龍因子抑制剤入りスタングレネード。
「……手加減無しで行くからな、クソ野郎」
──シュッ……!!
ピンを外し、敵の足元に投げる。
爆発を伴う閃光と同時に、電磁ナイフが振るわれた。
──ズバッ!!
異形の腕のような部位が、真っ二つに断たれる。
黒い液体が飛び散るが、セセラは怯まずに踏み込んだ。
「ウチを荒らしてくれたツケ、まとめて払ってもらうぜ……!!」
唸りを上げる電磁刃が、龍の胴体へと突き刺さる。
異形の龍は悲鳴のような濁音を上げてのたうち、再び闇へと退こうとする──が。
「逃がすかよ!!」
セセラは追撃の足技を放つ。
渾身の蹴りが異形の頭部を直撃し、壁へと叩きつけた。
──バギィッ!
衝撃と共に、壁が凹む音。
「…………!」
((……薊野さんに生意気なこと言うの、今度からちょっと控えよう……))
リルもレイラも、ふたりしてセセラのその研究者離れした体術に感嘆している。
「……クソッ……思ったより固い」
セセラはそう言うが、敵の動きは止まった。
一拍──。
「リル、レイラ!」
「……っ、な、なんだよ……!?」
「……うん……!?」
「行けるか? 動けるか?」
「…………!」
リルは肩で息をしながら頷く。
「……無理矢理だけど、行ける」
「よし、避難通路はこっちだ。今、他の職員たちが制圧に当たってる。……安心して任せられるとは言わねえが、今はお前らの安全が優先だ」
「……薊野さん……!」
レイラがその名を呼んだとき、セセラは心配させまいと優しく笑みを見せた。
「……無事でよかったよ、お前ら」
そう言って、再び敵の方を振り向く──。
既に動かない異形を、じっと睨みつけながら。
「……でも、こいつは……まだ“終わってないって顔”してやがるな……」
セセラの電磁ナイフの先で倒れていた龍は、静かに──静かに、蠢いていた。
切断された腕が、指のような先端をピクピクと震わせている。
「……やっぱりな。おとなしく終わるタマじゃねえ」
電磁ナイフの出力を上げるセセラ。青白い刃が唸るように震え、周囲の空気がピリついた。
その時──。
“それ”の中心部、黒い鱗の隙間から、目のような器官がゆっくりと開いた。
縦長の瞳孔。だが、感情の色は無い。
ただひとつ──執着のような、意思だけが宿っていた。
(……見てる……俺じゃない)
その目は、階段の奥──既に走り去ったリルとレイラのいた方へと、明確に向けられていた。
「……っ、この野郎……」
──ズズ……ズズズ……ッ……!
異形が再び立ち上がる。さっきよりも形が整っていた。
明らかに、自己修復をしている。
「再生か……いや、それだけじゃねえ……適応してきやがった……!?」
セセラの口元が引き攣る──。
(これまで見てきた龍とも違う……何だ? 『戦いながら進化する』ってタイプか……?)
「チッ……、ふざけたもん作りやがって……!!」
全速力でふたりの元へ駆けるセセラ。
「……薊野さん! 私たち、大丈夫だから……!!」
「大丈夫じゃねーよ! また倒れたらどうすんだ!」
迫る異形へ再び斬りかかろうとした、その瞬間──。
──ガンッ!!
階段の上方から何かが投げ込まれ、異形の足元で破裂した。
白煙。閃光。そして──。
「薊野さん、あとは我々に!」
「……おお、助かるぜ」
白煙の中から現れたのは、戦闘班の強襲部隊。
「敵性体、捕獲優先モードに移行! フェイズ3装備で囲め!」
「……おいおい、珍しく本気出すじゃねえかよ」
セセラはボソッと呟く。
背後にリルとレイラ──仲間の気配を感じながらも、異形と視線を交わすようにしてセセラは低く言った。
「テメェ……覚えてろよ。俺の大事な奴らを見たその目、次やったらブッ潰すからな」
異形は、応えるように、笑ったように──口を裂いた。
そして再び、闇へと溶け込んでいった。
白煙が薄れ、異形の気配が遠ざかる。
「…………!」
戦闘班の隊員たちが周囲を警戒しながら再配置につく中。
セセラは壁にもたれ、ふぅ……と息をついた。
「……ったく、やっと逃げやがった……」
戦闘時の緊張が緩む。
だが、その刹那──。
「……っ、……!!」
セセラの両目がビクッと痙攣した。
視界の端が、じわりと滲む。
「……!」
(……来たか……)
すぐにポケットから取り出した銀色のカプセル。
中には、薄紫色の液体が封じられた注射型の薬剤。
シエリ特製、視覚保持用神経毒の拮抗剤。
セセラは慣れた手つきで袖をめくり、注射針を刺そうとした──が。
──カシャンッ……
手からカプセルが、滑り落ちた。
「……あ?」
そして視界が、あまりにも早くぐにゃりと歪む。
見えている世界が、輪郭を失っていく。
先ほどまでクリアに捉えていた隊員たちの顔も、蛍光灯の光も、全て滲んでいた。
「……!!」
(おいおい、ウソだろ……今ここで……!?)
焦点が合わない。
「薊野さん大丈夫!?」
レイラの声が聞こえる。
目を閉じても、視界の奥が焼けるように疼いた。
「……っ、……あーあ…………」
セセラはその場にしゃがみこみ、眼鏡の下で自分の顔を覆う。
「……くそ……おっかねえ……タイミング悪すぎだろ……」
「おい……大丈夫かよ……!」
リルの声も聞こえてくる。
「…………ッ……」
──誰にも見られたくない。
そう思いながらも、体が勝手に震えていた。
「……やっぱ戦闘班には向いてねえな、俺……」
鼻をすする音が、静かな階段に響く。
ほんの一瞬だけ、この場で誰よりも強かった男の脆さが露わになっていた。
「……薊野さん!?」
駆け寄ってきた隊員の声に、セセラは気丈に答える。
「大丈夫だ……今は、まだ……見えてる」
その言葉は、もちろん嘘──。
◇
地下避難通路を駆けるレイラとリル。
「──あと少しで安全ルートに出ます!」
ふたりを先導する職員の声に、無言で頷いた。
呼吸は荒く、足はまだ重い。
だが、視界に見えたあの異形の恐怖よりはマシだった。
(……何が、起きてるんだろう)
レイラは不安げに歩を進めながら、先程の光景を思い出していた。
──セセラが敵と対峙し、叫んでいた姿。
──あの鋭さ。あの戦闘の手際。
──そして最後。
誰にも見られたくないように顔を背けながら「見えてる」と言ったあの姿──。
「……ねえ、リル」
「ん……?」
「薊野さん、最後……ちょっと、変じゃなかった?」
リルは黙ったまま、前を見据えていた。
「……気づいてたか。オレも思った。あれ、たぶん……見えなくなったんじゃねえか?」
「やっぱり……そう、だよね」
レイラは不安そうに唇を噛む。
「でも、なんで……? あんなに強くて、落ち着いてたのに……」
「……さあな。あの人の目がどういうタイミングで見えなくなるかなんて、本人にもわかんねえんだろ。そう考えると……こうやって戦いに出るの、無茶すぎるよな」
リルの声は低かった。
その時──。
ブゥウ……と低く鳴る警報音が、また建物の奥で響く。
「……まだ終わってねえか」
その音がどこか、“セセラの状態”と重なって聞こえる気がして──レイラの胸が一際強く締めつけられた。
(早く、誰か……誰か、薊野さんに……)
──そして、同じ頃。
龍調査機関上層にある、第2制御区画の個室。
そこにいた少女のような姿の所長──シエリは、静かに窓辺に座っていた。
ふぅ……と、ひとつ長い吐息。
その肩が、小さく震えている。
(……もう、随分……経っているな)
ピンク色の瞳が僅かに潤んでいた。
(……セセラ、私と離れてまた無理してるのか……? キミ、たまに本当に……悪い子だよ……)
シエリは唇を噛むと、袖の中の指先をギュッと握り込む。
セセラの視界が消えるということは、シエリには吸血をしなくてはならないタイミングが訪れるということ。
シエリの喉奥には、微かな熱が満ちていた。
──渇き。
──求める声。
──血の気配。
だが眷属がこの場にいない今は、動かない。
まだ──耐えていた。
「……私が、我慢してるって……わかっているのかあの子は……」
誰に届くでもない声が、室内に溶けていく。
シエリは、窓辺からそっと立ち上がった。
白いソファの上には、開きかけた本が裏返され、置かれたままになっている。
シエリはその本をそっと閉じると、静かに、呼吸を整えた。
「……やっぱり、もうダメだな……」
そう呟くシエリの背中から、淡い霧のような瘴気が広がった。
龍特有のエネルギー波。
周囲の気圧が、僅かに変化する。
「……待っていてくれ、セセラ……。……キミが、壊れる前に……ちゃんと、もらいに行くから」
その声は、どこか震えていた。
だが、同時に甘く──静かな覚悟の色を帯びていた。
非常灯が交互に明滅し、スローモーションのように伸びる影。
その背後には、ギィ……ギィ……と不規則に這う音が、距離を詰めてきていた。
「ハァ……ッ、ハァ……ッ……!」
リルの呼吸が乱れている。意識を取り戻してからまだ浅い。体力が戻っていない。
それでも、走る脚を止めなかった。
「…………っ……!」
レイラも口元を押さえている。発熱は治まったはずなのに、まだ胸が締めつけられるように痛む。
「……リル、大丈夫……っ……?」
「お前こそ……」
短い言葉で、互いを気にかけ合いながら、逃げる。
だが、ふたりの目の前に、次の扉が現れた。
「非常階段……上か? 下か……!?」
迷うリル。
しかし、背後の音が一際近づいてくる。
──カツン……
靴音とは違う。
骨のような何かが、床を叩いた音だった。
「……クソッ、下行くぞ!」
「うん……!」
リルは扉を蹴り開け、非常階段へ駆け込む。
手すりを掴んで一気に降りるレイラ。リルがその背を守る。
──だが、階段の踊り場。
異様な気配が、すぐ下の階から這い上がってきた。
「リル……下も……いる……!」
「あ゙ァ!? クソッ……挟まれた!?」
逃げ場が無い。頭上からも、足元からも、それらが音も無く迫ってくる。
(……ここで終わるかよ……!)
リルが歯を食いしばった──その時。
「そこを動くな!!」
鋭く響く声。
「そのまま伏せろ!!」
──バァンッ!!!
「ッ!!」
「うわっ!?」
階段下から、何かが炸裂する。
閃光と衝撃波──スタングレネードだ。
爆発音と共に、龍たちの動きが一瞬、止まった。
そして間も無く階下から──異様な気配の主が放つ悲鳴のような声が聞こえ、その気配が遠くなっていく。
「……!?」
リルが目を開けると、階下に見慣れた白衣の姿──。
「薊野さん……っ!!」
「遅れて悪い、でも間に合ったな……!」
電磁ナイフを構えながら、階段を駆け上がってくるセセラ。
その背後には、戦闘班所属の武装した職員たちが続いていた。
「君たち、こっちだ! 今のうちに……!」
「……!!」
レイラとリルは職員の声を確かに聞き、息を切らせながら走り出す。
「レイラ、リル! 後ろに下がってろッ!!」
セセラの叫びと同時、階段の影から龍が再び現れた。
「…………!!」
黒い粘質の鱗。にゅるりと伸縮する尾のような、腕の生えた蛇のような、奇妙な体躯。
明らかに生き物の形ではない。
だが、確かに龍因子の気配を持つ──歪な異形。
「なんつー姿しやがって……。こんなヤバいのが施設内に入り込むなんて、洒落になんねえぞ……!」
セセラは片手で電磁ナイフを構え、もう片方で腰のバインダーからスチール製の筒のようなものを引き抜いた。
それは、龍因子抑制剤入りスタングレネード。
「……手加減無しで行くからな、クソ野郎」
──シュッ……!!
ピンを外し、敵の足元に投げる。
爆発を伴う閃光と同時に、電磁ナイフが振るわれた。
──ズバッ!!
異形の腕のような部位が、真っ二つに断たれる。
黒い液体が飛び散るが、セセラは怯まずに踏み込んだ。
「ウチを荒らしてくれたツケ、まとめて払ってもらうぜ……!!」
唸りを上げる電磁刃が、龍の胴体へと突き刺さる。
異形の龍は悲鳴のような濁音を上げてのたうち、再び闇へと退こうとする──が。
「逃がすかよ!!」
セセラは追撃の足技を放つ。
渾身の蹴りが異形の頭部を直撃し、壁へと叩きつけた。
──バギィッ!
衝撃と共に、壁が凹む音。
「…………!」
((……薊野さんに生意気なこと言うの、今度からちょっと控えよう……))
リルもレイラも、ふたりしてセセラのその研究者離れした体術に感嘆している。
「……クソッ……思ったより固い」
セセラはそう言うが、敵の動きは止まった。
一拍──。
「リル、レイラ!」
「……っ、な、なんだよ……!?」
「……うん……!?」
「行けるか? 動けるか?」
「…………!」
リルは肩で息をしながら頷く。
「……無理矢理だけど、行ける」
「よし、避難通路はこっちだ。今、他の職員たちが制圧に当たってる。……安心して任せられるとは言わねえが、今はお前らの安全が優先だ」
「……薊野さん……!」
レイラがその名を呼んだとき、セセラは心配させまいと優しく笑みを見せた。
「……無事でよかったよ、お前ら」
そう言って、再び敵の方を振り向く──。
既に動かない異形を、じっと睨みつけながら。
「……でも、こいつは……まだ“終わってないって顔”してやがるな……」
セセラの電磁ナイフの先で倒れていた龍は、静かに──静かに、蠢いていた。
切断された腕が、指のような先端をピクピクと震わせている。
「……やっぱりな。おとなしく終わるタマじゃねえ」
電磁ナイフの出力を上げるセセラ。青白い刃が唸るように震え、周囲の空気がピリついた。
その時──。
“それ”の中心部、黒い鱗の隙間から、目のような器官がゆっくりと開いた。
縦長の瞳孔。だが、感情の色は無い。
ただひとつ──執着のような、意思だけが宿っていた。
(……見てる……俺じゃない)
その目は、階段の奥──既に走り去ったリルとレイラのいた方へと、明確に向けられていた。
「……っ、この野郎……」
──ズズ……ズズズ……ッ……!
異形が再び立ち上がる。さっきよりも形が整っていた。
明らかに、自己修復をしている。
「再生か……いや、それだけじゃねえ……適応してきやがった……!?」
セセラの口元が引き攣る──。
(これまで見てきた龍とも違う……何だ? 『戦いながら進化する』ってタイプか……?)
「チッ……、ふざけたもん作りやがって……!!」
全速力でふたりの元へ駆けるセセラ。
「……薊野さん! 私たち、大丈夫だから……!!」
「大丈夫じゃねーよ! また倒れたらどうすんだ!」
迫る異形へ再び斬りかかろうとした、その瞬間──。
──ガンッ!!
階段の上方から何かが投げ込まれ、異形の足元で破裂した。
白煙。閃光。そして──。
「薊野さん、あとは我々に!」
「……おお、助かるぜ」
白煙の中から現れたのは、戦闘班の強襲部隊。
「敵性体、捕獲優先モードに移行! フェイズ3装備で囲め!」
「……おいおい、珍しく本気出すじゃねえかよ」
セセラはボソッと呟く。
背後にリルとレイラ──仲間の気配を感じながらも、異形と視線を交わすようにしてセセラは低く言った。
「テメェ……覚えてろよ。俺の大事な奴らを見たその目、次やったらブッ潰すからな」
異形は、応えるように、笑ったように──口を裂いた。
そして再び、闇へと溶け込んでいった。
白煙が薄れ、異形の気配が遠ざかる。
「…………!」
戦闘班の隊員たちが周囲を警戒しながら再配置につく中。
セセラは壁にもたれ、ふぅ……と息をついた。
「……ったく、やっと逃げやがった……」
戦闘時の緊張が緩む。
だが、その刹那──。
「……っ、……!!」
セセラの両目がビクッと痙攣した。
視界の端が、じわりと滲む。
「……!」
(……来たか……)
すぐにポケットから取り出した銀色のカプセル。
中には、薄紫色の液体が封じられた注射型の薬剤。
シエリ特製、視覚保持用神経毒の拮抗剤。
セセラは慣れた手つきで袖をめくり、注射針を刺そうとした──が。
──カシャンッ……
手からカプセルが、滑り落ちた。
「……あ?」
そして視界が、あまりにも早くぐにゃりと歪む。
見えている世界が、輪郭を失っていく。
先ほどまでクリアに捉えていた隊員たちの顔も、蛍光灯の光も、全て滲んでいた。
「……!!」
(おいおい、ウソだろ……今ここで……!?)
焦点が合わない。
「薊野さん大丈夫!?」
レイラの声が聞こえる。
目を閉じても、視界の奥が焼けるように疼いた。
「……っ、……あーあ…………」
セセラはその場にしゃがみこみ、眼鏡の下で自分の顔を覆う。
「……くそ……おっかねえ……タイミング悪すぎだろ……」
「おい……大丈夫かよ……!」
リルの声も聞こえてくる。
「…………ッ……」
──誰にも見られたくない。
そう思いながらも、体が勝手に震えていた。
「……やっぱ戦闘班には向いてねえな、俺……」
鼻をすする音が、静かな階段に響く。
ほんの一瞬だけ、この場で誰よりも強かった男の脆さが露わになっていた。
「……薊野さん!?」
駆け寄ってきた隊員の声に、セセラは気丈に答える。
「大丈夫だ……今は、まだ……見えてる」
その言葉は、もちろん嘘──。
◇
地下避難通路を駆けるレイラとリル。
「──あと少しで安全ルートに出ます!」
ふたりを先導する職員の声に、無言で頷いた。
呼吸は荒く、足はまだ重い。
だが、視界に見えたあの異形の恐怖よりはマシだった。
(……何が、起きてるんだろう)
レイラは不安げに歩を進めながら、先程の光景を思い出していた。
──セセラが敵と対峙し、叫んでいた姿。
──あの鋭さ。あの戦闘の手際。
──そして最後。
誰にも見られたくないように顔を背けながら「見えてる」と言ったあの姿──。
「……ねえ、リル」
「ん……?」
「薊野さん、最後……ちょっと、変じゃなかった?」
リルは黙ったまま、前を見据えていた。
「……気づいてたか。オレも思った。あれ、たぶん……見えなくなったんじゃねえか?」
「やっぱり……そう、だよね」
レイラは不安そうに唇を噛む。
「でも、なんで……? あんなに強くて、落ち着いてたのに……」
「……さあな。あの人の目がどういうタイミングで見えなくなるかなんて、本人にもわかんねえんだろ。そう考えると……こうやって戦いに出るの、無茶すぎるよな」
リルの声は低かった。
その時──。
ブゥウ……と低く鳴る警報音が、また建物の奥で響く。
「……まだ終わってねえか」
その音がどこか、“セセラの状態”と重なって聞こえる気がして──レイラの胸が一際強く締めつけられた。
(早く、誰か……誰か、薊野さんに……)
──そして、同じ頃。
龍調査機関上層にある、第2制御区画の個室。
そこにいた少女のような姿の所長──シエリは、静かに窓辺に座っていた。
ふぅ……と、ひとつ長い吐息。
その肩が、小さく震えている。
(……もう、随分……経っているな)
ピンク色の瞳が僅かに潤んでいた。
(……セセラ、私と離れてまた無理してるのか……? キミ、たまに本当に……悪い子だよ……)
シエリは唇を噛むと、袖の中の指先をギュッと握り込む。
セセラの視界が消えるということは、シエリには吸血をしなくてはならないタイミングが訪れるということ。
シエリの喉奥には、微かな熱が満ちていた。
──渇き。
──求める声。
──血の気配。
だが眷属がこの場にいない今は、動かない。
まだ──耐えていた。
「……私が、我慢してるって……わかっているのかあの子は……」
誰に届くでもない声が、室内に溶けていく。
シエリは、窓辺からそっと立ち上がった。
白いソファの上には、開きかけた本が裏返され、置かれたままになっている。
シエリはその本をそっと閉じると、静かに、呼吸を整えた。
「……やっぱり、もうダメだな……」
そう呟くシエリの背中から、淡い霧のような瘴気が広がった。
龍特有のエネルギー波。
周囲の気圧が、僅かに変化する。
「……待っていてくれ、セセラ……。……キミが、壊れる前に……ちゃんと、もらいに行くから」
その声は、どこか震えていた。
だが、同時に甘く──静かな覚悟の色を帯びていた。
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背中には若き日の過ちである「仁王」の刺青を隠し持ち、北辰一刀流の達人でもある彼は、ある日、勤務中に仮眠をとる。
目が覚めると、そこは湿気と熱気に満ちた1944年のビルマだった。
鏡に映っていたのは、小太りで口髭の男――歴史の教科書で見た、あの「牟田口廉也」。
しかも時期は、日本陸軍史上最悪の汚点とされる「インパール作戦」決行の直前。
部下たちは「必勝の精神論」を叫び、無謀な突撃を今か今かと待っている。
(……ふざけるな。俺に、部下を餓死させろと言うのか?)
現代の知識と、冷徹な計算、そして海自仕込みのロジスティクス能力。
すべてを駆使して、坂上(中身)は歴史への介入を開始する。
精神論を振りかざすふりをして上層部を欺き、現地改修で兵器を強化し、密かに撤退路を整備する。
これは、「史上最も無能な指揮官」の皮を被った「現代の有能な指揮官」が、確定した敗北の運命をねじ伏せ、数万の命を救うために戦う、逆転の戦記ドラマ。
花鳥見聞録
木野もくば
ファンタジー
花の妖精のルイは、メジロのモクの背中に乗って旅をしています。ルイは記憶喪失でした。自分が花の妖精だったことしか思い出せません。失くした記憶を探すため、さまざまな世界を冒険します。
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