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コヨタ

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第9話 食事の時間です・前編

第9話・1 何かが見ている

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 時刻は既に夜。
 ここは龍調査機関の、地下資料保管室。

 分厚い書類棚の列を抜けた先、警備の目が届きにくい最奥の記録端末。

 そこに、銀髪のひとりの男性職員が静かに座っていた。

 淡い光の中、カタカタと端末を操作する細く白い指。シャープな輪郭の顔は伏せられ、黒い包帯が右目を覆っている。

 この職員の名は──禰寝ねじめネク。
 機関に籍を置いて、もうすぐ3年。

 研究能力に特化した職員として採用され、静かに、淡々と、無難に仕事をこなしてきた。
 線が細く、物腰柔らかで、同僚との摩擦も無く。「真面目」「大人しい」「気づけばいるけど目立たない」──そんな印象で語られる人物。

 ……誰も、疑う者などいなかった。

(……龍因子データ更新完了。セクターD……対象A・B──両名一致記録……完了)

 画面に映るのは、リルとレイラの因子波形。
 それが“誰か”のデータベースへと、自動的にアップロードされていく。

 “ある種の龍”が“餌”に反応するよう、慎重に選ばれた因子サンプルが学習用に提供されていた。

 その行為に、迷いも罪悪感も無い。

「……ふぅ。これで、次の段階に進めますね」

 伏せ目がちに小さく呟いた声に、喜びの色も無かった。
 ただ、予定をひとつ完了させたという進行の確認にすぎない。

 だが、その声とは裏腹に──包帯の奥の右目は、まるで青い龍の瞳へと変異していた。

 そう──ネクもまた、異質な存在。

 ネクは目元を伏せ、静かに立ち上がる。
 ごく普通の、目立たぬ研究員のひとりとして、誰にも気づかれることなく。

「……さて。次の餌が、どれだけ暴れてくれるか……楽しみですね」

 その声に、温度すらも無い。

 ただ、底知れぬ冷酷さだけが滲んでいた。


 ◇


 翌日の医療棟。

 白い天井。柔らかいカーテン越しに射し込む朝の光。
 リルは、ベッドの上でぼんやりと目を開けた。

「……ん、……今、何時だ……」

 軽く寝返りを打つと、そのまま隣を見る。

 そこには、隣のベッドで眠っているレイラの姿。
 呼吸は安定していて、顔色も昨日より良さそうだった。

(……よかった。やっと落ち着いてきたか)

 ふと、眠るレイラの左目が視界に入る。眼帯はしていない。
 あの体から“何か”が漏れ出した瞬間の光景が、今もリルの脳裏に焼き付いていた。

(オレたち……何に狙われてんだ)

 その疑問に対する答えはまだ得られていない。

 すると──。

「…………ん……」

 レイラが静かに目を覚ました。

「……あ…………リル、……起きてたの……」

 掠れた声でそう言うと、リルは少しだけ眉を動かす。

「ああ……。よう、寝てろよ。まだ治りきっちゃいねえんだろ?」

「……そっちこそ」

 ふたりはその短い会話だけで、なんとなく気持ちが通じ合った。
 騒々しかった数日が嘘のような、静かな朝。

 ──別室、分析室。

「……で、昨日の監視データだが」

 朝から機嫌の悪そうなセセラがいた。机の上に並べた端末の画面には、異常な波形が表示されている。

「何度見てもおかしい。ある時間帯、確かに誰かが因子サーバーにアクセスした形跡がある」

「…………」

 隣にいたシエリは、静かに頷く。

「痕跡は薄いが、その痕跡を残したような形跡があるようにも見える。つまり、意図的だ」

「チッ……、内部犯、確定だな」

 セセラはため息をついて、モニターを睨んだ。

「さあて……お楽しみの犯人探しか。めんどくせえ仕事増やしやがって……」

 呟きながら、自嘲気味に笑う。

「全くだ。なんて事をしてくれたんだか……」

 シエリもそう言いながら、神妙そうな顔つきでセセラを見やる。

「な。勘弁してくれよ……マジで」

 セセラは立ち上がり、脱いでいた白衣を羽織った。

「……外堀から埋める。あの時、端末の記録を触れる立場にいた奴を洗い出すぞ」

「了解。……セセラ」

「ん?」

「くれぐれも、深追いは慎重に。敵が“人間の皮を被った何か”である可能性も否定できない」

 その言葉に、セセラは真顔で頷く。

「……わかってるよ」

 静かに、調査が始まった。

 ──資料端末を持ったまま、セセラは地下フロアへ向かう。龍因子関連の記録サーバーへアクセスできる権限を持つ職員は、ごく限られている。

(……俺と先生を除けば……十数人。そいつらのログを全て洗えば、何か出るはずだ)

 廊下を歩く足音が、いつになく硬い。
 そのまま個人ID管理室へ入り、端末に並ぶリストを睨みつける。

「こいつも……違う……、この時間帯には出張中……、こいつも物理ログ一致せず……」

 静かに呟きながら、ひとつひとつ潰していく。

 だが、あるひとつの名前で、セセラの指が止まった。

 ──『禰寝ネク』。

「……?」

 知らないわけではない。大人しくて、現場でも目立たない研究員のひとり。
 だが、なぜかこの名前だけが、すんなりと頭に入ってこなかった。

(……妙だな。ほとんど印象がねえ)

 だが、アクセスログだけは正しく残っている。
 対象時間帯──ピンポイント。

「……お前か……?」


 ◇


 午後の療養室。

「あ」

 レイラは本を閉じて、ふと顔を上げた。

「どうした?」

「……お腹、空いたかも」

「……そっちかよ」

 リルは苦笑しながら立ち上がり、部屋の隅に置かれたインターホンのボタンを押す。

「──すみません、紅崎ですけど。食事……まだですかね」

『準備しております。まもなくお持ちしますね』

 機械越しに聞こえる看護スタッフの声。リルは「どーも」と軽く返し、ベッドの端に腰を下ろした。

「なんか、日常に戻った気がしてくるな……こういう時間」

「そうだね。……でも」

 ぼそりと呟くレイラ。

「……全部、本当の日常に戻るってわけじゃないんだよね。きっと」

「…………」

 リルは少しだけ頷いた。

「それでも……オレは、今みたいなのが……ずっと続いてほしいと思うよ」

「…………うん」

 扉の向こうで、小さくワゴンの音が響いてくる。

 やがてふたりの前に昼食が運ばれてきた。
 あたたかくて柔らかな香り。お粥と野菜のスープ、小鉢には鯖缶と大根の煮物。

「……やけに栄養バランス整ってんな」

「療養食だもん。まあ、ありがたいけど」

 箸を手に取ったレイラは、静かに口をつける。リルもその隣で、無言のままスープをすすった。

 外で見せるような大食いは無い。今はむしろ、それが自然だ。

「……リル」

「ん?」

「もし……もしも、またあんな風になったら、私は──」

 レイラの言葉が言い終わる前に──。

 突然、部屋の照明がちらついた。

「……?」

 リルが顔を上げた瞬間、廊下から微かに、何かを引き摺るような異音が聞こえてくる。

「……今の、何……?」

「…………」

 緊張が、一気に走った。

 再び照明がチカチカと揺らぎ、壁の警報ランプが赤く点滅し始める。

 ──ただならぬ異常。

「……!?」

 リルとレイラは、同時に立ち上がった。

 ──キィィ……ギィ……ギ……ッ……

 何かを引き摺り擦っているような、金属とも肉ともつかない濁音が廊下に響いている。

「……どう考えても職員の足音じゃねえよな」

 リルが低く呟くと同時に、廊下では警報ランプがピコッ……ピコッ……とゆっくりと明滅していた。
 その赤色が廊下を怪しく照らすたび、天井の角や扉の淵に、影が濃く落ちていく。

「……レイラ……こっち来い」

「…………うん……」

 リルはレイラを自分の背後に庇うように位置取り、そっと療養室の扉に近づく。

「……イタズラにしては可愛くねえな」

 リルは目を細めながら、扉の横の制御パネルを見た。通常緑で点灯しているはずのステータスランプが、今は不穏なオレンジ色に切り替わっている。

 ──ピコン……ピコン…………ピ……

 不規則に点滅するランプ。
 まるで“息を潜めている者”の鼓動のようだった。

「リル……この感じ、なんとなくわかる…………」

 僅かに震えるレイラの声。

 リルは小さく息を吐くと、少し移動し部屋のロッカーから非常用の伸縮棒を取り出した。
 そしてまた、レイラの前に戻る。

「……どんな奴が来ても、オレが前に出るから」

「うん……でも、私も……」

「……わかってるよ」

 ふたりの間に、確かな決意の視線が交わる。

 その瞬間──。

 ──ド ン ッ !!!

 療養室の扉が、外から大きく叩かれた。

「ッ!!」

 衝撃に空気が震える。レイラは小さく息を呑んだ。

「……来たな」

 身構えるリル。

 扉の隙間、覗き窓の向こう。
 “何か”が、蠢いている。

 だが、それはまだ形を見せていない。

 ──バァンッ!!!

 扉が再度、外から蹴り飛ばされたかのように揺れた。
 頑丈なセキュリティドアだ。そう簡単に破られるはずはない──のに、扉は歪みヒンジは悲鳴を上げて軋んでいる。

「……普通じゃねえ。やっぱりこの感じ……龍だな」

 リルは低く呟き、伸縮棒を構え直す。
 レイラは身を沈め、ロッカーをそっと開けて、緊急用の小型スタンガンを手にした。

「施設の中に龍がいるなんて……そんなこと……」

「……あったよ、前に。だけど、今のは……あの時より、もっと感じがする」

 レイラは眉をひそめる。

「誰を?」

「オレたちだろ……他にいるかよ、このタイミングで」

 再び、扉に──“何か”が手を当てたような音。
 ググ……ギリギリ……と金属がねじ曲がる嫌な音が室内に響いた。

 その時。

 ──パチッ……

 非常灯のひとつが、唐突に切れた。

 直後に残りの灯りもバチッ、バチッ……と弾けるように消え、暗闇に変わった。

「リル!」

「っ、落ち着け……!」

 闇の中、リルの瞳孔が細く縦に収束する。
 視界が黒く塗り潰されても、リルの龍の目は微かな気配を捉えていた。

 ──動いている。
 這うように、滑るように、扉の向こうを“それ”が動いている。

(まずい……突破されたら、レイラが……!)

 その瞬間、警報が切り替わった。

 ──ブゥウウウウウ……ッ!!

『──非常事態コード・Ω──施設内に侵入者の可能性──職員は直ちに避難行動を──』

 自動音声が繰り返す中、ようやく動きが起きる。

 そして遠くからもバタバタと走る不気味な足音──。避難する職員のものではなさそうだった。
 
 もうひとつの“何か”が駆けているのか。

「誰か来るよ……!」

「チッ……、何なんだよ……!」

 レイラの手に握られたスタンガンが震える。
 リルの手は扉に添えられ、あと一撃に備えていた。

 ──そして、扉の向こう。非常灯の明かりの下。

 黒く、長く、異様に細い何かが、床を這うようにすり寄ってきている。

 ──ギィ……ッ……ズズ…………

 床を擦る音と、警報のサイレンが交錯する。

 レイラが目を凝らすと、薄暗い非常灯の光の中──細長い黒い尾のようなものが、床を這って近づいてくるのが歪んだ扉の隙間から見えた。

「……あれ、尻尾……?」

 否、尾とは違う。
 それは髪のようにも見えた。

 粘液のように床に張り付きながら蠢く、生命体のようでもあり、無機物のようでもあった。

「……やっぱり、龍だよな、これ……」

 リルが舌打ちと共に構えを強める。
 扉はまだ保っている──が、時間の問題だ。

 ──ドゴォッ!!!

 ついに、扉がひしゃげる音と共に、上部が内側にたわんだ。

「っ……ダメだッ……!!」

 リルは叫び、レイラの手を引いた。

「後ろに下がれ! 非常通路に繋がる扉、手動で開けられるか!?」

「……やってみる!」

 レイラは壁の裏側、緊急通路に繋がるハッチのレバーに飛びつく。
 通常は職員専用。だがレイラも何度かここを使ったことがある。パネルは半壊していたが、手動レバーがまだ生きているのを確認した。

 ──ガチャリ……ッ!

「開いた!」

「よしっ、レイラ、先に──」

 その瞬間、扉の覗き窓が──割れた。

 鋭く伸びた黒い“何か”が、そこからニュルリと侵入してくる。

「ッ!!」

 リルは反射的に棒を振り抜いた。

 ──バキィッ!!

 鈍い音。何かが砕けるような音と共に、侵入しかけた“それ”が跳ね飛んだ。

「行け! レイラ!」

「でも──!」

「いいから!! オレもすぐ行く!」

 レイラは悩んだ末に──。

「………ッ……」

 歯を食いしばって通路に飛び込んだ。

 その後をリルも滑り込む。

 直後、破裂音のように、療養室の扉が吹き飛んだ。

 暗闇から伸びてきた黒い“それ”が、ギィ……と音を立てながら、逃げたふたりの後を追う。

「…………ギ………………」

 警報は鳴り続ける。

 機関内部。
 かつてない異常事態が、今、始まった。



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