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第16話 その微かな光を信じて
第16話・1 応えてくれた
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リルが収容されてから数日が経った。
──第七特殊解析棟。
冷たく、光すら届かない静謐な観察室では、まだ目覚めないリルの記録が引き続き行われていた。
モニターは常時、リルの脳波、体温、血中因子、再生反応を追い続けている。
しかし、結果は変わらない。
「……脳波ゼロ。呼吸無し。ただ心臓は……断続的な電気反応。これを生きているとは、言いづらいな」
医療班職員の報告に、室内が沈黙する。
リルは今も仮死の淵にいる。
あの日暴走を止められたまま、時間だけが進んでいた。
「先日から、紫苑レイラさんが毎日ここを訪れていますよね?」
若手研究員のひとりが口を開く。
「『自分の声に反応した気がした』と……記録に残ってます。その1件のみですが」
「……『気がした』……、それは……精神的ショックからくる錯覚だろう」
そう即答したのは年配の分析官。
「彼女も限界状態だったんだ。都合よく反応があったと思い込みたかっただけなのでは」
別の職員が返答した。
「……でも、紫苑さんにだけ見えたのなら、それはもう何かの可能性があると考えるべきじゃないですか? 紫苑さんと紅崎さんには……間違いなく、見えない繋がりがある」
静かに、しかし確信を持った声が、室内の空気を少し揺らす。
その言葉に、誰もがふと息を呑んだ。
モニターの隅──職員たちの背後で、小さな影が座っている。
──シエリ。
所長であり、すべての記録を管理する者。
だが、シエリは口を開かない。
ただその瞳だけがまっすぐに、眠るリルを見ていた。
「…………」
(希望なんて、奇跡なんて、期待するようなものではない)
(しかし、あの子たちは……これまで何度も奇跡を起こしてきた)
過酷な任務、暴走、絶望。
それでもなお、繋がりだけは切れなかった仲間たち。
だから。
「見届けよう」
小さな呟きに、誰も反論しなかった。
シエリは椅子の背にもたれ、ほんの少しだけ目を細める。
「目を覚ましたら、ちゃんと叱ってやるんだからな」
◇
──朝の光が、薄く射し込むレイラの自室の窓辺。
その傍のベッドで横になっているレイラの連日の疲れは、まるで体に染み込んだように重かった。
けれど、それ以上に──胸の奥のざわつきが静まってくれない。
「…………」
ゆっくりと立ち上がる。
私服の上から羽織った薄い上着のポケットに、無意識に手が入った。
「……今日はリル、どうしてるかな……」
自分の声が、やけに静かに部屋に響く。
あの日のリルの反応は気のせいかもしれない。
でも、気のせいじゃないと思いたい。そう思わずにはいられない。
歩き出す。足取りは重い。
このまま会いに行けば、また絶望するだけかもしれない。
けれど──。
「見届けなきゃ。……私が、ちゃんと」
そう、小さく呟くようにして、レイラは静かにドアを開けて自室を後にする。
しばらく施設内を歩き、奥の方の廊下まで進んでいくと、遠くに見えたのはあの頑丈な扉。
その奥に、特殊解析棟。
カードキーでしか入れない、限られた人間しか通されない領域。
レイラは既にその“限られた人間”となっていた。
扉のロックにカードキーと生体認証が読み取られ、扉が解錠される。
──ピッ
静かな機械音のあと、レイラは扉を開けて中に足を踏み入れた。
相変わらずそこは、静まり返った冷たい聖域のよう。
モニターが並び、職員たちは誰ひとりとして声を上げず、淡々と作業を続けていた。
しかし、全員の視線がどこか緊張に張り詰めているのが、肌でわかる。
そして、その視線の先。
現在はガラスケースではなく、白い医療ベッド。
何も隔てるものは無い。
ただリルが、死んだようにそこにいるだけ。
「…………っ……」
レイラは小さく息を呑む。
昨日と、一昨日と、その前の日と同じ──いや、昨日より更に生きていないように見えた。
細い体に何本ものコードが繋がれ、機械と職員に囲まれて、それでもリルは目を覚まさない。
職員の数人が、レイラの存在に気がつく。
「……お、お疲れさまです。紫苑です。……少しお邪魔します」
職員たちに詫びながらゆっくり近づくと、未だ震える手でリルの右手にそっと触れた。
冷たすぎる手。
だが、龍因子が微々たる反応を示している以上死んではいないので、腐敗はしない。
故に冷却システムは必要無いが──生きているようにも到底見えない。
「リル……」
呼んでも、何も返ってこない。
けれど。
あの日、あの時。
指が、微かに、動いたように見えたのだ。
信じたい。
信じるしか、できない。
「……私さ、怖いんだよ」
ぽつりと、独り言のように言葉が落ちた。
「リルが……目を覚まさなかったらって……こないだの反応が、全部、私の思い込みだったらって」
それでも、瞳はリルから逸らさなかった。
「でも……それでもいい。私、何度だって言うから。……ちゃんと伝えるから」
レイラはほんの少し、顔を上げる。
声を張るでもなく、ただ穏やかに、優しく。
「……起きて、リル……まだ、終わってないよ」
そのときだった。
──ピッ……
モニターの数値が、一瞬だけ僅かに上昇する。
職員たちが顔を見合わせる。
レイラは気づかない。
それでも、レイラのその声が、確かに何かを揺らしたのだ。
数値はすぐに平常値へと戻ったが、職員たちは見逃さなかった。
「今、心電……?」
「微弱だけど、反応があった……?」
誰かが呟いたその声が、レイラの背を震わせる。
「……!」
レイラは振り返らない。
目の前のリルから視線を逸らさず、今度は両手でその右手を包む。
「……やっぱり、リル……ねぇ、聞こえてたんでしょ……!? あの日も……今も……!」
目元が熱くなる。
張り詰めていたものが、少しだけ解けていく。
「私は……っ」
声が詰まりかけた。
だが、止まらない。
「リルに、たくさん助けられてきた。守ってもらった。でも私は、そんなあなたを何度も傷つけた……」
「……でも……それでも、今度は私が、リルを守りたいんだよ……!」
涙が、頬を伝う。
「……今更かもしれないけど……あなたが、生きててくれるだけでいいって……思ってる……」
言葉は震えながらも、まっすぐだった。
そしてその瞬間。
──ピ……ッ
音。
再び、明確に鳴った。
今度は数値だけじゃない。
リルの指先が、微かにピクリと動いた。
「……っ!?」
それを見たレイラの瞳が大きく見開かれる。
「今……動いた……! リル……!」
慌てて横の通信装置に駆け寄る職員。
「生命反応確認! 微弱な神経伝達あり! これは……!」
「再生系統が……再び稼働してきてる!? 龍因子の暴走は見られません……! これは……」
混乱する現場の中。
ただひとり──レイラは唇を噛みしめ、震える声でもう一度名前を呼ぶ。
「……リル」
──その声に応えるように。
白いベッドの上。
リルの瞼が、ほんの僅かに──揺れた。
それはまだ、夢かもしれないほど儚くて。
だが、確かに命が、ここに在ると告げていた。
「……!!」
それだけで、レイラの時間は止まったように感じられた。
「リル……? ねぇっ、聞こえる? レイラだよ……っ」
震える声。
頬を伝う涙も拭わず両手でリルの右手を握ったまま、その生気の無い顔を見つめる。
医療班は既に動き始めていた。
麻酔量の調整、呼吸補助の再評価、神経系統の再活性化プログラム──。
静寂だった空間が、急に生きている場に変わり始める。
「眼球に反射あり! 瞼、もう一度反応……!」
「このままいけば……! 神経系、少しずつ戻ってきてる……!」
その声を聞いても、レイラは胸の奥が苦しくなるばかりだった。
「…………ッ」
嬉しいはずなのに、怖い。
このまま、何も言わずに、リルがまた眠ってしまうのではないかと。
でも。
「お願い、起きて……リル」
その一言に呼応するように、再び、リルの瞼が震えた。
そして──。
「……ッ……ぅ……」
微かに、空気が喉を通る音。
「っ……リル……!? リル!!」
レイラが叫ぶのと、同じタイミングだった。
リルの赤い瞳が、ゆっくりと──。
「…………」
ほんの少しだけ開かれた。
眩しそうに細めるようにして、それでも確かに視線が動く。
意識はまだ朦朧としている。言葉も出ない。
けれどその目は、確かにレイラの方を見ていた。
「……っ!!」
「……りる、っ、……!!」
「うう……っ……!!」
レイラの顔がくしゃりと歪む。
もう涙を止められなかった。
頬を、顎を、首筋を濡らしながら、ただ泣きじゃくる。
ベッドの上、数多のコードが繋がれたリルは口元だけを、僅かに動かす。
「……、…………」
声にはならなかったが、唇が確かに──『レイラ』と形を作った。
「……!!!」
たったそれだけのことが、レイラには世界を救うほどの奇跡に見えていた。
「……っ、バカ、リル……! 遅いよ……どんだけ心配させたと思ってるの……!! うぅっ、ひぐっ……!!」
レイラはもう、叫ぶように泣いていた。
嬉しくて、安堵して、まだ信じられなくて。
でも──今、確かにリルは生きている。
そして、また……この世界で、リルと共に歩めるかもしれない。
その希望が、ようやくレイラを救っていた。
ほんの一瞬でも、確かに動いた唇。
レイラは涙を止めることができず、それでも未だ横たわるリルに全ての感情を注ぎ込む。
「……ごめんッ、ごめんね、リル……! 本当はずっと、怖かった……! 私、どうしていいかわからなくて……!」
そのとき、誰かがレイラの背に手を添えた。
「……!」
振り向くと、そこにはシエリの姿。
小さな体に似合わない静かな威厳を持ちながら、淡く目を細める。
「……この子は、キミの声に応えた」
シエリの声はいつもと同じ調子だったが、その瞳には確かに、どこか安堵の色が滲んでいた。
レイラは言葉を失ったまま、涙に濡れた笑顔を見せる。
──すると、もうひとつ。
力無くもスラッとした足音が聞こえてきた。
「……レイラ」
「薊野さん……っ」
シエリの後からやってきた、セセラだった。
「……あいつの蘇生反応は確かだ。だがな……まだ安心はできねえ」
「……っ……」
「神経系の損傷が深い……体全体の機能もまだ不安定だ」
冷静に、正直に、低く告げる。
セセラの目には濃い隈が浮かび、まるで何日も眠っていないような憔悴が見えた。
それでも、リルの方を見つめる視線は、諦めない強さを宿している。
「……回復は始まったばかりだ。そこから持ち直せるかどうかだよ」
セセラのその冷徹な言葉に、レイラはようやく小さく頷いた。
涙の痕がくっきり残る顔で、それでもレイラは前を向く。
「……わかってる。でも、始まったってことが……今は、すごく、嬉しい……」
「…………」
しばらくの沈黙。
職員たちがリルに集まり、改めて数値の安定を確認する。
リルの体は未だ微動だにしない。
薄く目は開かれているが、まるで眠っているような──静かな、静かな呼吸。
でも。
もう、先程までの仮死状態ではない。
確かに、ここに生が灯り始めていた。
「レイラちゃん、少しだけ……席を外そうか」
「……っ、ラショウ……!?」
ふと、ラショウの声。
いつの間にか、彼女もここに来ていた。
「ずっとここにいたら、体がもたないよ。……今は専門の先生たちに任せて、少しだけ……休もう?」
ラショウの手が、優しくレイラの手に重なる。
その手の温度がまるで兄アシュラのように、芯のある強さを持っていた。
レイラは、ほんの一瞬だけ悩む。
しかし、リルの穏やかな呼吸音を耳に入れると、小さく「……うん」と頷いた。
最後にもう一度、リルの名前を心の中で呼ぶ。
(……リル、待っててね)
すると、リルの瞼がゆっくりと閉じられるのが見えた。
今度は、安心して眠るかのように。
微かに、……微かに。
繋がれた命が、確かに未来へと歩き出していた。
──レイラとラショウが退室し、扉が音も無く閉ざされる。
◇
特殊解析棟の中に残った緊張とは裏腹に、外の空気はどこか張り詰めたものが解けていた。
ラショウはレイラの隣を、少しだけゆっくりと歩く。
レイラの足取りはまだ重く、時折、立ち止まっては深呼吸をした。
「……泣きすぎて、顔汚いかも」
そう言って、レイラは袖で乱暴に目元を擦る。
「大丈夫。レイラちゃんは、……すごく綺麗だったよ」
少し照れたように笑いながら、ラショウはそう返した。
レイラは「なにそれ」と小さく笑って、それでも俯いたまま。
「……リルが、反応してくれて……ほんと、よかった」
「……うん。私も、心からそう思った」
ラショウの返事は、穏やかであたたかい。
しばらくふたりは、言葉も無く並んで歩く。
そしてふと、ラショウは足を止めると、少しだけレイラの方に身を寄せた。
「ねぇ、レイラちゃん」
「……ん?」
「レイラちゃんを見て、やっぱり思ったんだ。……強さって、誰かを守るために出るんだね」
レイラはその言葉に、瞬きをしてラショウを見上げる。
「私には、まだ怖いこともたくさんあるけど……でも、レイラちゃんがああして泣いてくれて、祈ってくれて、声をかけて……」
「それでリルくんが目を覚ましたのなら、それだけで救われる人って……絶対にいるんだよ」
ラショウはまっすぐな目でレイラを見つめていた。
「だから、ね? 今日は少しだけ甘えてもいいと思うよ」
「……甘える、か……」
レイラは苦笑しながらも、少しだけその場にしゃがみ込む。
「……私、思ったよりずっと弱いのかも」
「ふふ……そうかな? でも、強いところがたくさんあるよ」
ラショウも隣にしゃがみ込み、膝を抱えた。
そして、少し照れたように笑って──。
「私ね、レイラちゃんのこと……すごく頼りにしてるんだ」
それは、優しさだけじゃない。
信頼と、敬意と、そして同じ戦場を歩く仲間としての誇りのような響きだった。
レイラの肩が僅かに震えたあと。
ゆっくりと顔を上げ、泣き腫らした目のままそれでも小さく笑う。
「ありがとう、ラショウ……」
ふたりの影が、廊下の明かりに包まれて寄り添う。
その静かな時間が、確かに少女たちの絆を強くしていた。
──第七特殊解析棟。
冷たく、光すら届かない静謐な観察室では、まだ目覚めないリルの記録が引き続き行われていた。
モニターは常時、リルの脳波、体温、血中因子、再生反応を追い続けている。
しかし、結果は変わらない。
「……脳波ゼロ。呼吸無し。ただ心臓は……断続的な電気反応。これを生きているとは、言いづらいな」
医療班職員の報告に、室内が沈黙する。
リルは今も仮死の淵にいる。
あの日暴走を止められたまま、時間だけが進んでいた。
「先日から、紫苑レイラさんが毎日ここを訪れていますよね?」
若手研究員のひとりが口を開く。
「『自分の声に反応した気がした』と……記録に残ってます。その1件のみですが」
「……『気がした』……、それは……精神的ショックからくる錯覚だろう」
そう即答したのは年配の分析官。
「彼女も限界状態だったんだ。都合よく反応があったと思い込みたかっただけなのでは」
別の職員が返答した。
「……でも、紫苑さんにだけ見えたのなら、それはもう何かの可能性があると考えるべきじゃないですか? 紫苑さんと紅崎さんには……間違いなく、見えない繋がりがある」
静かに、しかし確信を持った声が、室内の空気を少し揺らす。
その言葉に、誰もがふと息を呑んだ。
モニターの隅──職員たちの背後で、小さな影が座っている。
──シエリ。
所長であり、すべての記録を管理する者。
だが、シエリは口を開かない。
ただその瞳だけがまっすぐに、眠るリルを見ていた。
「…………」
(希望なんて、奇跡なんて、期待するようなものではない)
(しかし、あの子たちは……これまで何度も奇跡を起こしてきた)
過酷な任務、暴走、絶望。
それでもなお、繋がりだけは切れなかった仲間たち。
だから。
「見届けよう」
小さな呟きに、誰も反論しなかった。
シエリは椅子の背にもたれ、ほんの少しだけ目を細める。
「目を覚ましたら、ちゃんと叱ってやるんだからな」
◇
──朝の光が、薄く射し込むレイラの自室の窓辺。
その傍のベッドで横になっているレイラの連日の疲れは、まるで体に染み込んだように重かった。
けれど、それ以上に──胸の奥のざわつきが静まってくれない。
「…………」
ゆっくりと立ち上がる。
私服の上から羽織った薄い上着のポケットに、無意識に手が入った。
「……今日はリル、どうしてるかな……」
自分の声が、やけに静かに部屋に響く。
あの日のリルの反応は気のせいかもしれない。
でも、気のせいじゃないと思いたい。そう思わずにはいられない。
歩き出す。足取りは重い。
このまま会いに行けば、また絶望するだけかもしれない。
けれど──。
「見届けなきゃ。……私が、ちゃんと」
そう、小さく呟くようにして、レイラは静かにドアを開けて自室を後にする。
しばらく施設内を歩き、奥の方の廊下まで進んでいくと、遠くに見えたのはあの頑丈な扉。
その奥に、特殊解析棟。
カードキーでしか入れない、限られた人間しか通されない領域。
レイラは既にその“限られた人間”となっていた。
扉のロックにカードキーと生体認証が読み取られ、扉が解錠される。
──ピッ
静かな機械音のあと、レイラは扉を開けて中に足を踏み入れた。
相変わらずそこは、静まり返った冷たい聖域のよう。
モニターが並び、職員たちは誰ひとりとして声を上げず、淡々と作業を続けていた。
しかし、全員の視線がどこか緊張に張り詰めているのが、肌でわかる。
そして、その視線の先。
現在はガラスケースではなく、白い医療ベッド。
何も隔てるものは無い。
ただリルが、死んだようにそこにいるだけ。
「…………っ……」
レイラは小さく息を呑む。
昨日と、一昨日と、その前の日と同じ──いや、昨日より更に生きていないように見えた。
細い体に何本ものコードが繋がれ、機械と職員に囲まれて、それでもリルは目を覚まさない。
職員の数人が、レイラの存在に気がつく。
「……お、お疲れさまです。紫苑です。……少しお邪魔します」
職員たちに詫びながらゆっくり近づくと、未だ震える手でリルの右手にそっと触れた。
冷たすぎる手。
だが、龍因子が微々たる反応を示している以上死んではいないので、腐敗はしない。
故に冷却システムは必要無いが──生きているようにも到底見えない。
「リル……」
呼んでも、何も返ってこない。
けれど。
あの日、あの時。
指が、微かに、動いたように見えたのだ。
信じたい。
信じるしか、できない。
「……私さ、怖いんだよ」
ぽつりと、独り言のように言葉が落ちた。
「リルが……目を覚まさなかったらって……こないだの反応が、全部、私の思い込みだったらって」
それでも、瞳はリルから逸らさなかった。
「でも……それでもいい。私、何度だって言うから。……ちゃんと伝えるから」
レイラはほんの少し、顔を上げる。
声を張るでもなく、ただ穏やかに、優しく。
「……起きて、リル……まだ、終わってないよ」
そのときだった。
──ピッ……
モニターの数値が、一瞬だけ僅かに上昇する。
職員たちが顔を見合わせる。
レイラは気づかない。
それでも、レイラのその声が、確かに何かを揺らしたのだ。
数値はすぐに平常値へと戻ったが、職員たちは見逃さなかった。
「今、心電……?」
「微弱だけど、反応があった……?」
誰かが呟いたその声が、レイラの背を震わせる。
「……!」
レイラは振り返らない。
目の前のリルから視線を逸らさず、今度は両手でその右手を包む。
「……やっぱり、リル……ねぇ、聞こえてたんでしょ……!? あの日も……今も……!」
目元が熱くなる。
張り詰めていたものが、少しだけ解けていく。
「私は……っ」
声が詰まりかけた。
だが、止まらない。
「リルに、たくさん助けられてきた。守ってもらった。でも私は、そんなあなたを何度も傷つけた……」
「……でも……それでも、今度は私が、リルを守りたいんだよ……!」
涙が、頬を伝う。
「……今更かもしれないけど……あなたが、生きててくれるだけでいいって……思ってる……」
言葉は震えながらも、まっすぐだった。
そしてその瞬間。
──ピ……ッ
音。
再び、明確に鳴った。
今度は数値だけじゃない。
リルの指先が、微かにピクリと動いた。
「……っ!?」
それを見たレイラの瞳が大きく見開かれる。
「今……動いた……! リル……!」
慌てて横の通信装置に駆け寄る職員。
「生命反応確認! 微弱な神経伝達あり! これは……!」
「再生系統が……再び稼働してきてる!? 龍因子の暴走は見られません……! これは……」
混乱する現場の中。
ただひとり──レイラは唇を噛みしめ、震える声でもう一度名前を呼ぶ。
「……リル」
──その声に応えるように。
白いベッドの上。
リルの瞼が、ほんの僅かに──揺れた。
それはまだ、夢かもしれないほど儚くて。
だが、確かに命が、ここに在ると告げていた。
「……!!」
それだけで、レイラの時間は止まったように感じられた。
「リル……? ねぇっ、聞こえる? レイラだよ……っ」
震える声。
頬を伝う涙も拭わず両手でリルの右手を握ったまま、その生気の無い顔を見つめる。
医療班は既に動き始めていた。
麻酔量の調整、呼吸補助の再評価、神経系統の再活性化プログラム──。
静寂だった空間が、急に生きている場に変わり始める。
「眼球に反射あり! 瞼、もう一度反応……!」
「このままいけば……! 神経系、少しずつ戻ってきてる……!」
その声を聞いても、レイラは胸の奥が苦しくなるばかりだった。
「…………ッ」
嬉しいはずなのに、怖い。
このまま、何も言わずに、リルがまた眠ってしまうのではないかと。
でも。
「お願い、起きて……リル」
その一言に呼応するように、再び、リルの瞼が震えた。
そして──。
「……ッ……ぅ……」
微かに、空気が喉を通る音。
「っ……リル……!? リル!!」
レイラが叫ぶのと、同じタイミングだった。
リルの赤い瞳が、ゆっくりと──。
「…………」
ほんの少しだけ開かれた。
眩しそうに細めるようにして、それでも確かに視線が動く。
意識はまだ朦朧としている。言葉も出ない。
けれどその目は、確かにレイラの方を見ていた。
「……っ!!」
「……りる、っ、……!!」
「うう……っ……!!」
レイラの顔がくしゃりと歪む。
もう涙を止められなかった。
頬を、顎を、首筋を濡らしながら、ただ泣きじゃくる。
ベッドの上、数多のコードが繋がれたリルは口元だけを、僅かに動かす。
「……、…………」
声にはならなかったが、唇が確かに──『レイラ』と形を作った。
「……!!!」
たったそれだけのことが、レイラには世界を救うほどの奇跡に見えていた。
「……っ、バカ、リル……! 遅いよ……どんだけ心配させたと思ってるの……!! うぅっ、ひぐっ……!!」
レイラはもう、叫ぶように泣いていた。
嬉しくて、安堵して、まだ信じられなくて。
でも──今、確かにリルは生きている。
そして、また……この世界で、リルと共に歩めるかもしれない。
その希望が、ようやくレイラを救っていた。
ほんの一瞬でも、確かに動いた唇。
レイラは涙を止めることができず、それでも未だ横たわるリルに全ての感情を注ぎ込む。
「……ごめんッ、ごめんね、リル……! 本当はずっと、怖かった……! 私、どうしていいかわからなくて……!」
そのとき、誰かがレイラの背に手を添えた。
「……!」
振り向くと、そこにはシエリの姿。
小さな体に似合わない静かな威厳を持ちながら、淡く目を細める。
「……この子は、キミの声に応えた」
シエリの声はいつもと同じ調子だったが、その瞳には確かに、どこか安堵の色が滲んでいた。
レイラは言葉を失ったまま、涙に濡れた笑顔を見せる。
──すると、もうひとつ。
力無くもスラッとした足音が聞こえてきた。
「……レイラ」
「薊野さん……っ」
シエリの後からやってきた、セセラだった。
「……あいつの蘇生反応は確かだ。だがな……まだ安心はできねえ」
「……っ……」
「神経系の損傷が深い……体全体の機能もまだ不安定だ」
冷静に、正直に、低く告げる。
セセラの目には濃い隈が浮かび、まるで何日も眠っていないような憔悴が見えた。
それでも、リルの方を見つめる視線は、諦めない強さを宿している。
「……回復は始まったばかりだ。そこから持ち直せるかどうかだよ」
セセラのその冷徹な言葉に、レイラはようやく小さく頷いた。
涙の痕がくっきり残る顔で、それでもレイラは前を向く。
「……わかってる。でも、始まったってことが……今は、すごく、嬉しい……」
「…………」
しばらくの沈黙。
職員たちがリルに集まり、改めて数値の安定を確認する。
リルの体は未だ微動だにしない。
薄く目は開かれているが、まるで眠っているような──静かな、静かな呼吸。
でも。
もう、先程までの仮死状態ではない。
確かに、ここに生が灯り始めていた。
「レイラちゃん、少しだけ……席を外そうか」
「……っ、ラショウ……!?」
ふと、ラショウの声。
いつの間にか、彼女もここに来ていた。
「ずっとここにいたら、体がもたないよ。……今は専門の先生たちに任せて、少しだけ……休もう?」
ラショウの手が、優しくレイラの手に重なる。
その手の温度がまるで兄アシュラのように、芯のある強さを持っていた。
レイラは、ほんの一瞬だけ悩む。
しかし、リルの穏やかな呼吸音を耳に入れると、小さく「……うん」と頷いた。
最後にもう一度、リルの名前を心の中で呼ぶ。
(……リル、待っててね)
すると、リルの瞼がゆっくりと閉じられるのが見えた。
今度は、安心して眠るかのように。
微かに、……微かに。
繋がれた命が、確かに未来へと歩き出していた。
──レイラとラショウが退室し、扉が音も無く閉ざされる。
◇
特殊解析棟の中に残った緊張とは裏腹に、外の空気はどこか張り詰めたものが解けていた。
ラショウはレイラの隣を、少しだけゆっくりと歩く。
レイラの足取りはまだ重く、時折、立ち止まっては深呼吸をした。
「……泣きすぎて、顔汚いかも」
そう言って、レイラは袖で乱暴に目元を擦る。
「大丈夫。レイラちゃんは、……すごく綺麗だったよ」
少し照れたように笑いながら、ラショウはそう返した。
レイラは「なにそれ」と小さく笑って、それでも俯いたまま。
「……リルが、反応してくれて……ほんと、よかった」
「……うん。私も、心からそう思った」
ラショウの返事は、穏やかであたたかい。
しばらくふたりは、言葉も無く並んで歩く。
そしてふと、ラショウは足を止めると、少しだけレイラの方に身を寄せた。
「ねぇ、レイラちゃん」
「……ん?」
「レイラちゃんを見て、やっぱり思ったんだ。……強さって、誰かを守るために出るんだね」
レイラはその言葉に、瞬きをしてラショウを見上げる。
「私には、まだ怖いこともたくさんあるけど……でも、レイラちゃんがああして泣いてくれて、祈ってくれて、声をかけて……」
「それでリルくんが目を覚ましたのなら、それだけで救われる人って……絶対にいるんだよ」
ラショウはまっすぐな目でレイラを見つめていた。
「だから、ね? 今日は少しだけ甘えてもいいと思うよ」
「……甘える、か……」
レイラは苦笑しながらも、少しだけその場にしゃがみ込む。
「……私、思ったよりずっと弱いのかも」
「ふふ……そうかな? でも、強いところがたくさんあるよ」
ラショウも隣にしゃがみ込み、膝を抱えた。
そして、少し照れたように笑って──。
「私ね、レイラちゃんのこと……すごく頼りにしてるんだ」
それは、優しさだけじゃない。
信頼と、敬意と、そして同じ戦場を歩く仲間としての誇りのような響きだった。
レイラの肩が僅かに震えたあと。
ゆっくりと顔を上げ、泣き腫らした目のままそれでも小さく笑う。
「ありがとう、ラショウ……」
ふたりの影が、廊下の明かりに包まれて寄り添う。
その静かな時間が、確かに少女たちの絆を強くしていた。
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前世で“トップインフルエンサー”だったから。
処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。
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タイトルは――
『断罪なう』。
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国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。
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