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34.冷ややかな視線(2)
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早朝。この時間ならば、誰もいないだろうと思ってエレインは鍛錬所に一人で訪れた。寝室でアルフォンスはまだ眠っていたが、よほどの疲労か起きる様子はなかった。
2人は毎晩同じ寝室で眠っているわけではない。時々アルフォンスから「今日は一人で」と通達が来る。それは、彼の睡眠が短すぎる時や、逆に遅く寝て昼近くまで眠り続ける時に来るものだ。とはいえ、それすらアルフォンスの気遣いで「一人でゆっくり眠ってくれ」という意味なのではないかとエレインは思っていた。
その「一人」の朝。いつでも空はまだ薄暗く、城内はしんと鎮まり帰っている。動きやすい恰好に着替えて、髪を高い位置で一つに結んで、彼女は鍛錬所に行く。まだ侍女たちも動き出していない時刻に、燭台に灯りを一つだけ灯して一人で鍛錬を行う。それが、ある意味ストレス解消となっているのだが、なんとなくアルフォンスには言わないでいた。
その日の朝は、アルフォンスが眠るベッドに戻らなければいけなかった。よって、早く行って、早く鍛錬をして、早く戻ろう。彼女はそう思って、いつもと同じぐらいの時刻に寝室を出て鍛錬所に向かった。
筋力を鍛え直さなければ、と自重でいくつかの動きを行い、そして木剣を静かに振るう。両手で。片手で。どちらでも同じ動きで。ひゅっ、ひゅっ、と木剣が音を立てる。本来の騎士の剣は両手で扱うものではない。盾を持って、片手で扱うことがほとんどだ。だが、エレインに盾はいらない。それはガーディアンの天恵があったからだ。
(しかし、アルフォンス様も盾は持っていなかった。両手で、大剣を持っていた。あれは、剣の技量で相手を近寄らせない。そういう戦い方だったのだろう)
自分の剣は、王城の騎士たちからは奇異の目で見られていた。彼女は盾を必要としないのだから、王城の騎士たちと違う剣術になるのは当然だ。よって、流れの傭兵稼業の剣士を師範としてその剣筋を学んだ。今でも、彼の剣が自分はしっくりくる、と思う。
(ああ、こうしていると、嫌なことを忘れられるな……)
ちりちりと、一瞬嫌な思いが胸の奥で広がりそうになる。だが、木の剣を振るえばそれも一気に収まる。このところ、王太后やらターニャやらからチクチクとあれこれ言われることが増えたし、王城にいる臣下から痛い視線を受けることも増えた。すべては彼女にとっては「仕方がない」と思える。だが、仕方がないならばストレスがたまらないわけではない。
「あっ……」
男性の声が聞こえる。エレインは手を止めて、入り口をちらりと見た。すると、そこには騎士たちが数名やってきており、困惑の表情でエレインに礼をする。
「早いな?」
つい、ぽろりと素で声が出てしまう。今日は何かがあるのだろうか。わからないが、彼女はいつもと同じぐらいの時刻にやってきたのだし、騎士たちが早いことは明白だった。
「すぐ、終わる」
彼女のその言葉に返事をする騎士はいなかった。一応婚礼の祝宴後に騎士団の主だった者たちは広間に集めて面通しはしたが、そこにいなかった者かもしれない。そう思いながら、エレインは再び剣を振るった。
が、騎士たちは困惑の表情で入口から動かない。なるほど、自分がいる間はここに入って来られないと言うわけか……エレインはそう思って、仕方なく剣を振るうのを止めた。
「場所を借りた。ありがとう」
仕方なくそう言って一礼をしてから、次は鍛錬所の方を向いて一礼をする。それは、ガリアナ式ではあったが、彼女にとっては「そうしなければいけない場」だったからだ。
騎士たちは、ざわざわと道をあけた。だが、それらはどうにも「騎士の振舞い」とエレインには思えないものだった。彼らはエレインを王妃として扱っていなかった。そもそも、王妃として扱うならば、彼女の言葉に黙ったままの対応はしないはず。それに、そもそも彼らからの視線。困惑も確かにあったけれど、基本的には冷たさをエレインは感じた。
(仕方がない。わたしは敵国の者で、彼らの同胞を屠って来た女だ)
それを、騎士たちも既に知っているに違いない。エレインは足早に光彩の棟に戻った。ああ、そうだ。仕方がないのだ……そう、何度も何度も思い煩いながら、足取りは少しばかり速くなって行く。
(当たり前のことだ。憎まれることだって当然だ。わたしだって本当は憎く思っていた……!)
自分だって、何人もの部下を失った。アルフォンスのように前線にいた時期が限られていたわけではない。むしろ、かなり早いうちに彼女はガーディアンの天恵のせいで駆り出されていた。それほどに、戦力に差があったのだから仕方がない。
2年間の戦の間。たくさんの部下が死んでいった。名も知らない兵士たちも死んでいった。ガリアナ王国は攻め込まれた側だったし、あれは侵略戦争だった。文句を言いたいのは自分の方だ。しかし、それを言ってしまっては。
それを言ってしまっても、意味はないのだ。戦を起こしたアルフォンスの父親は死に、その後に即位をした兄も死に。前線の者たちの戦いを知らぬまま彼らはこの世を去った。そして、残ったのは、前線を知るアルフォンス。互いに前線を知る者同士、互いに恨み言を口にしても何も生まれないことはわかっていた。だから、エレインも黙るしかなかったのだ。
(わかっていても、堪えるな……)
一瞬、恨み言が出そうになった。だが、それは何も生まない。だって、それらは自分の心を楽にするためだけの、ただそれだけの言葉だ。そんな感情的な言葉を彼らに向けて吐き出すことに、意味謎ないと彼女は思う。
エレインは重苦しい何かを心に抱えながら寝室に戻る。アルフォンスはまだ静かに規則正しい寝息をたてていた。なんとなく、彼に話を聞いて欲しい気持ちがむくむくと湧き上がるが、それをなんとか律する。だって、起こしてどうするというのだ。起きたばかりの寝ぼけ眼の彼に、一体何を言おうと言うのか。
彼女は自嘲の笑みを浮かべてから部屋の隅っこで手早く着替えて、彼を起こさないように静かにベッドに戻った。
その夜、一人で眠りについたエレインは、翌朝再び鍛錬所にやって来た。あれから話を聞いたが、どうやら昨日は特別な日だったらしく、それで騎士団の人々が早朝に鍛錬所に集まったのだと言う。聞けば、月に一度ほどそういう日があるということだったので、マーシアに頼んでその日を教えてもらうことにした。また彼らに出くわすのを避けるためだ。
「今日は、誰も来ないだろうな」
木剣を持って、暗い渡り廊下を歩いていく。昨日の今日だが、間違いなく今日は騎士たちはやってこないと知って、ならば、と彼女は沈みがちな心に鞭を打ってやって来た。
「……ん……?」
だが、どうも鍛錬所に灯りがついている気がする。気がする、というのは、本当にかすかな柔らかな光が漏れているからで「いかにも使っている」という雰囲気ではない、ということだ。
(騎士が、いるのだろうか)
エレインは、そっと窺うように鍛錬所を覗き込んだ。すると、そこにはアルフォンスが一人で木剣を振るっている。驚いて「えっ」と声をあげると、彼は気づいたようにこちらを向いた。
「おはよう。こんな時刻にあなたは起きていたのだな。気づかなかった」
「……おはようございます。昨日は遅かったのでは?」
「いや、昨日は遅くなかったが、今日あなたとここで会おうと思っていたので、あえて一人で眠ってもらったんだ」
あっさりと手の内を明かすアルフォンス。エレインは目をぱちぱちと瞬かせた。
2人は毎晩同じ寝室で眠っているわけではない。時々アルフォンスから「今日は一人で」と通達が来る。それは、彼の睡眠が短すぎる時や、逆に遅く寝て昼近くまで眠り続ける時に来るものだ。とはいえ、それすらアルフォンスの気遣いで「一人でゆっくり眠ってくれ」という意味なのではないかとエレインは思っていた。
その「一人」の朝。いつでも空はまだ薄暗く、城内はしんと鎮まり帰っている。動きやすい恰好に着替えて、髪を高い位置で一つに結んで、彼女は鍛錬所に行く。まだ侍女たちも動き出していない時刻に、燭台に灯りを一つだけ灯して一人で鍛錬を行う。それが、ある意味ストレス解消となっているのだが、なんとなくアルフォンスには言わないでいた。
その日の朝は、アルフォンスが眠るベッドに戻らなければいけなかった。よって、早く行って、早く鍛錬をして、早く戻ろう。彼女はそう思って、いつもと同じぐらいの時刻に寝室を出て鍛錬所に向かった。
筋力を鍛え直さなければ、と自重でいくつかの動きを行い、そして木剣を静かに振るう。両手で。片手で。どちらでも同じ動きで。ひゅっ、ひゅっ、と木剣が音を立てる。本来の騎士の剣は両手で扱うものではない。盾を持って、片手で扱うことがほとんどだ。だが、エレインに盾はいらない。それはガーディアンの天恵があったからだ。
(しかし、アルフォンス様も盾は持っていなかった。両手で、大剣を持っていた。あれは、剣の技量で相手を近寄らせない。そういう戦い方だったのだろう)
自分の剣は、王城の騎士たちからは奇異の目で見られていた。彼女は盾を必要としないのだから、王城の騎士たちと違う剣術になるのは当然だ。よって、流れの傭兵稼業の剣士を師範としてその剣筋を学んだ。今でも、彼の剣が自分はしっくりくる、と思う。
(ああ、こうしていると、嫌なことを忘れられるな……)
ちりちりと、一瞬嫌な思いが胸の奥で広がりそうになる。だが、木の剣を振るえばそれも一気に収まる。このところ、王太后やらターニャやらからチクチクとあれこれ言われることが増えたし、王城にいる臣下から痛い視線を受けることも増えた。すべては彼女にとっては「仕方がない」と思える。だが、仕方がないならばストレスがたまらないわけではない。
「あっ……」
男性の声が聞こえる。エレインは手を止めて、入り口をちらりと見た。すると、そこには騎士たちが数名やってきており、困惑の表情でエレインに礼をする。
「早いな?」
つい、ぽろりと素で声が出てしまう。今日は何かがあるのだろうか。わからないが、彼女はいつもと同じぐらいの時刻にやってきたのだし、騎士たちが早いことは明白だった。
「すぐ、終わる」
彼女のその言葉に返事をする騎士はいなかった。一応婚礼の祝宴後に騎士団の主だった者たちは広間に集めて面通しはしたが、そこにいなかった者かもしれない。そう思いながら、エレインは再び剣を振るった。
が、騎士たちは困惑の表情で入口から動かない。なるほど、自分がいる間はここに入って来られないと言うわけか……エレインはそう思って、仕方なく剣を振るうのを止めた。
「場所を借りた。ありがとう」
仕方なくそう言って一礼をしてから、次は鍛錬所の方を向いて一礼をする。それは、ガリアナ式ではあったが、彼女にとっては「そうしなければいけない場」だったからだ。
騎士たちは、ざわざわと道をあけた。だが、それらはどうにも「騎士の振舞い」とエレインには思えないものだった。彼らはエレインを王妃として扱っていなかった。そもそも、王妃として扱うならば、彼女の言葉に黙ったままの対応はしないはず。それに、そもそも彼らからの視線。困惑も確かにあったけれど、基本的には冷たさをエレインは感じた。
(仕方がない。わたしは敵国の者で、彼らの同胞を屠って来た女だ)
それを、騎士たちも既に知っているに違いない。エレインは足早に光彩の棟に戻った。ああ、そうだ。仕方がないのだ……そう、何度も何度も思い煩いながら、足取りは少しばかり速くなって行く。
(当たり前のことだ。憎まれることだって当然だ。わたしだって本当は憎く思っていた……!)
自分だって、何人もの部下を失った。アルフォンスのように前線にいた時期が限られていたわけではない。むしろ、かなり早いうちに彼女はガーディアンの天恵のせいで駆り出されていた。それほどに、戦力に差があったのだから仕方がない。
2年間の戦の間。たくさんの部下が死んでいった。名も知らない兵士たちも死んでいった。ガリアナ王国は攻め込まれた側だったし、あれは侵略戦争だった。文句を言いたいのは自分の方だ。しかし、それを言ってしまっては。
それを言ってしまっても、意味はないのだ。戦を起こしたアルフォンスの父親は死に、その後に即位をした兄も死に。前線の者たちの戦いを知らぬまま彼らはこの世を去った。そして、残ったのは、前線を知るアルフォンス。互いに前線を知る者同士、互いに恨み言を口にしても何も生まれないことはわかっていた。だから、エレインも黙るしかなかったのだ。
(わかっていても、堪えるな……)
一瞬、恨み言が出そうになった。だが、それは何も生まない。だって、それらは自分の心を楽にするためだけの、ただそれだけの言葉だ。そんな感情的な言葉を彼らに向けて吐き出すことに、意味謎ないと彼女は思う。
エレインは重苦しい何かを心に抱えながら寝室に戻る。アルフォンスはまだ静かに規則正しい寝息をたてていた。なんとなく、彼に話を聞いて欲しい気持ちがむくむくと湧き上がるが、それをなんとか律する。だって、起こしてどうするというのだ。起きたばかりの寝ぼけ眼の彼に、一体何を言おうと言うのか。
彼女は自嘲の笑みを浮かべてから部屋の隅っこで手早く着替えて、彼を起こさないように静かにベッドに戻った。
その夜、一人で眠りについたエレインは、翌朝再び鍛錬所にやって来た。あれから話を聞いたが、どうやら昨日は特別な日だったらしく、それで騎士団の人々が早朝に鍛錬所に集まったのだと言う。聞けば、月に一度ほどそういう日があるということだったので、マーシアに頼んでその日を教えてもらうことにした。また彼らに出くわすのを避けるためだ。
「今日は、誰も来ないだろうな」
木剣を持って、暗い渡り廊下を歩いていく。昨日の今日だが、間違いなく今日は騎士たちはやってこないと知って、ならば、と彼女は沈みがちな心に鞭を打ってやって来た。
「……ん……?」
だが、どうも鍛錬所に灯りがついている気がする。気がする、というのは、本当にかすかな柔らかな光が漏れているからで「いかにも使っている」という雰囲気ではない、ということだ。
(騎士が、いるのだろうか)
エレインは、そっと窺うように鍛錬所を覗き込んだ。すると、そこにはアルフォンスが一人で木剣を振るっている。驚いて「えっ」と声をあげると、彼は気づいたようにこちらを向いた。
「おはよう。こんな時刻にあなたは起きていたのだな。気づかなかった」
「……おはようございます。昨日は遅かったのでは?」
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