37 / 40
10-1:図書館の朝
しおりを挟む
アシュベリーの朝は、静かだった。
窓から差し込む淡い光が、木製の床をやさしく照らす。遠くで鳥がさえずり、小川のせせらぎが耳に心地よく届く。その音はまるで、この町の鼓動のように穏やかで、どこか安心させてくれる。
図書館の開館準備をする私の手も、自然と軽やかになる。帳簿を確認し、本棚の整列を見直す。何気ない日常の作業――けれど、それが今の私には何よりも尊い時間だった。
「クラリス嬢、今日は風が気持ち良いですね」
玄関の扉を拭いていたエルネスト館長が、外の空気を吸い込むようにして微笑みながら声をかけてきた。
「ええ、本当に……。アシュベリーに来て、もう一年になるんですね」
「早いものです。まるで昨日のことのようですよ。あなたがこの図書館に初めて足を踏み入れたときのことを、私は今でもよく覚えています」
「私もです。その日から、きっと私の人生が本当に始まったんだと思います」
ふと、貸出カウンターに並ぶ帳簿を整えながら、私は胸の奥でつぶやいた。
今では王妃としての教育のために、週の半分は王都で過ごしている。王宮での時間は学びに満ち、華やかで刺激的だ。けれど、それでも私は、このアシュベリーが好きだった。静かで、優しくて――心の深いところまで息ができる場所。
そしてリュカも、きっと同じ気持ちでいてくれる。
「おはよう、クラリス」
聞き慣れた声が、柔らかく図書館に響いた。
扉が開き、そこに立っていたのはリュカだった。今日も庶民風の装い――けれど、その佇まいにはやはり、王子としての気品が滲んでいる。
「おはようございます、リュカ様……じゃなかった、リュカ」
「うん、もう“様”なんてやめよう。ここでは、“ふたりだけの名前”でいよう」
私は頷き、少しだけ笑みを浮かべた。
リュカは手にしていた包みをそっと差し出す。
「リリアが焼いたスコーンだよ。今日は一緒に図書室で食べようかと思ってね」
「それは……とても嬉しいです」
私たちは肩を並べて図書室へと向かった。途中、私が高い棚に手を伸ばした瞬間、リュカが何も言わずに自然に支えてくれる。
その動作が、特別なことではないかのように、静かに馴染んでいる。
「君がここにいると、世界が整って見える」
リュカのぽつりとした呟きに、私はふと立ち止まり、彼を見上げた。
「私もです。あなたがいると、本のページがより鮮やかに感じます」
言葉にすると、少し照れくさい。けれど、心から出た想いだった。
そんなささやかなやりとりこそが、今の私たちにとって一番の幸福。
図書館の窓辺には、春の陽光が満ちている。
その光が、ふたりの影をやわらかく包み込みながら、これからも変わらずここにいてくれることを、そっと約束してくれているようだった。
窓から差し込む淡い光が、木製の床をやさしく照らす。遠くで鳥がさえずり、小川のせせらぎが耳に心地よく届く。その音はまるで、この町の鼓動のように穏やかで、どこか安心させてくれる。
図書館の開館準備をする私の手も、自然と軽やかになる。帳簿を確認し、本棚の整列を見直す。何気ない日常の作業――けれど、それが今の私には何よりも尊い時間だった。
「クラリス嬢、今日は風が気持ち良いですね」
玄関の扉を拭いていたエルネスト館長が、外の空気を吸い込むようにして微笑みながら声をかけてきた。
「ええ、本当に……。アシュベリーに来て、もう一年になるんですね」
「早いものです。まるで昨日のことのようですよ。あなたがこの図書館に初めて足を踏み入れたときのことを、私は今でもよく覚えています」
「私もです。その日から、きっと私の人生が本当に始まったんだと思います」
ふと、貸出カウンターに並ぶ帳簿を整えながら、私は胸の奥でつぶやいた。
今では王妃としての教育のために、週の半分は王都で過ごしている。王宮での時間は学びに満ち、華やかで刺激的だ。けれど、それでも私は、このアシュベリーが好きだった。静かで、優しくて――心の深いところまで息ができる場所。
そしてリュカも、きっと同じ気持ちでいてくれる。
「おはよう、クラリス」
聞き慣れた声が、柔らかく図書館に響いた。
扉が開き、そこに立っていたのはリュカだった。今日も庶民風の装い――けれど、その佇まいにはやはり、王子としての気品が滲んでいる。
「おはようございます、リュカ様……じゃなかった、リュカ」
「うん、もう“様”なんてやめよう。ここでは、“ふたりだけの名前”でいよう」
私は頷き、少しだけ笑みを浮かべた。
リュカは手にしていた包みをそっと差し出す。
「リリアが焼いたスコーンだよ。今日は一緒に図書室で食べようかと思ってね」
「それは……とても嬉しいです」
私たちは肩を並べて図書室へと向かった。途中、私が高い棚に手を伸ばした瞬間、リュカが何も言わずに自然に支えてくれる。
その動作が、特別なことではないかのように、静かに馴染んでいる。
「君がここにいると、世界が整って見える」
リュカのぽつりとした呟きに、私はふと立ち止まり、彼を見上げた。
「私もです。あなたがいると、本のページがより鮮やかに感じます」
言葉にすると、少し照れくさい。けれど、心から出た想いだった。
そんなささやかなやりとりこそが、今の私たちにとって一番の幸福。
図書館の窓辺には、春の陽光が満ちている。
その光が、ふたりの影をやわらかく包み込みながら、これからも変わらずここにいてくれることを、そっと約束してくれているようだった。
36
あなたにおすすめの小説
婚約破棄されたので田舎で猫と暮らします
たくわん
恋愛
社交界の華と謳われた伯爵令嬢セレスティアは、王太子から「完璧すぎて息が詰まる」と婚約破棄を告げられる。傷心のまま逃げるように向かったのは、亡き祖母が遺した田舎の小さな屋敷だった。
荒れ果てた屋敷、慣れない一人暮らし、そして庭に住みついた五匹の野良猫たち。途方に暮れるセレスティアの隣には、無愛想で人嫌いな青年医師・ノアが暮らしていた。
「この猫に構うな。人間嫌いだから」
冷たく突き放すノアだが、捨て猫を保護し、傷ついた動物を治療する彼の本当の姿を知るうちに、セレスティアの心は少しずつ惹かれていく。
猫の世話を通じて近づく二人。やがて明かされるノアの過去と、王都から届く縁談の催促。「完璧な令嬢」を脱ぎ捨てた先に待つ、本当の自分と本当の恋——。
「影が薄い」と 捨てられた地味令嬢は、王太子に見初められました ~元婚約者と妹は、どうぞご勝手に~
有賀冬馬
恋愛
「君は影が薄い」――そう言って、婚約者の騎士様は華やかな妹を選び、私を捨てた。
何もかもを諦めて静かに暮らそうと決めた私を待っていたのは、孤児院での心温まる出会いだった。
そこで素性を隠して旅をしていたのは、なんと隣国の王太子様。
「君こそ、僕の唯一の光だ」そう言って、私のありのままを受け入れてくれる彼。その彼の隣で、私は生まれ変わる。
数年後、王国間の会議で再会した元婚約者は、美しく気品あふれる私を見て絶句する……
地味子と蔑まれた私ですが、公爵様と結ばれることになりましたので、もうあなたに用はありません
有賀冬馬
恋愛
「君は何の役にも立たない」――そう言って、婚約者だった貴族青年アレクは、私を冷酷に切り捨てた。より美しく、華やかな令嬢と結婚するためだ。
絶望の淵に立たされた私を救ってくれたのは、帝国一の名家・レーヴェ家の公爵様。
地味子と蔑まれた私が、公爵様のエスコートで大舞踏会に現れた時、社交界は騒然。
そして、慌てて復縁を申し出るアレクに、私は……
婚約破棄された夜、最強魔導師に「番」だと告げられました
有賀冬馬
恋愛
学院の祝宴で告げられた、無慈悲な婚約破棄。
魔力が弱い私には、価値がないという現実。
泣きながら逃げた先で、私は古代の遺跡に迷い込む。
そこで目覚めた彼は、私を見て言った。
「やっと見つけた。私の番よ」
彼の前でだけ、私の魔力は輝く。
奪われた尊厳、歪められた運命。
すべてを取り戻した先にあるのは……
ざまぁに失敗したけど辺境伯に溺愛されています
木漏れ日
恋愛
天才魔術師セディが自分の番である『異界渡りの姫』を召喚したとき、16歳の少女奈緒はそれに巻き込まれて、壁外という身分を持たない人々が住む場所に落ちました。
少女は自分を異世界トリップに巻き込んだ『異界渡り姫』に復讐しようとして失敗。なぜかロビン辺境伯は少女も『異界渡りの姫』だと言って溺愛するのですが……
陰陽の姫シリーズ『図書館の幽霊って私のことですか?』と連動しています。
どちらからお読み頂いても話は通じます。
ご愁傷様です~「冴えない女」と捨てられた私が、王妃になりました~
有賀冬馬
恋愛
「地味な君とは釣り合わない」――私は、婚約者の騎士エルマーにそう告げられ、婚約破棄された。病弱で目立たない私は、美しい妹と比べられ、家族からも冷遇されてきた。
居場所を失い、ひっそり暮らしていたある日、市場で助けた老人が、なんとこの国の若き国王陛下で!?
彼と私は密かに逢瀬を重ねるように。
「愚かな男には一生かかっても分かるまい。私は、彼女のような女性を誇りに思う」妃選びの場で告げられた国王陛下の一言に、貴族社会は騒然。
婚約破棄?結構ですわ。公爵令嬢は今日も優雅に生きております
鍛高譚
恋愛
婚約破棄された直後、階段から転げ落ちて前世の記憶が蘇った公爵令嬢レイラ・フォン・アーデルハイド。
彼女の前世は、ブラック企業で心身をすり減らして働いていたOLだった。――けれど、今は違う!
「復讐? 見返す? そんな面倒くさいこと、やってられませんわ」
「婚約破棄? そんなの大したことじゃありません。むしろ、自由になって最高ですわ!」
貴族の婚姻は家同士の結びつき――つまりビジネス。恋愛感情など二の次なのだから、破談になったところで何のダメージもなし。
それよりも、レイラにはやりたいことがたくさんある。ぶどう園の品種改良、ワインの販路拡大、新商品の開発、そして優雅なティータイム!
そう、彼女はただ「貴族令嬢としての特権をフル活用して、人生を楽しむ」ことを決めたのだ。
ところが、彼女の自由気ままな行動が、なぜか周囲をざわつかせていく。
婚約破棄した王太子はなぜか複雑な顔をし、貴族たちは彼女の事業に注目し始める。
そして、彼女が手がけた最高級ワインはプレミア化し、ついには王室から直々に取引の申し出が……!?
「はぁ……復讐しないのに、勝手に“ざまぁ”になってしまいましたわ」
復讐も愛憎劇も不要!
ただひたすらに自分の幸せを追求するだけの公爵令嬢が、気づけば最強の貴族になっていた!?
優雅で自由気ままな貴族ライフ、ここに開幕!
ごめんなさい、私、今すごく幸せなので、もう貴方には興味ないんです
有賀冬馬
恋愛
「君は聖女に不相応だ」。
その言葉と共に、私は婚約者だった神殿騎士団長に捨てられ、都を追放された。
絶望の中、辿り着いた山奥の村で出会ったのは、私を誰よりも大切にしてくれる竜騎士様。
優しい彼との出会いが、私の世界を変えてくれた。
一方、私を切り捨てた都の神殿では、汚職が発覚し、元婚約者と新しい聖女は破滅へ。
落ちぶれ果てた彼が私の前に現れた時、私の隣には、かけがえのない人がいました。
もう貴方には、微塵も未練なんてありませんから。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる