名前を消された僕が、異世界で“くすぶる校長室”の記録を拾った件 ――その扉には、鍵なんて最初からなかった。

名無しマッチ

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第10話 扉の向こうで待っていたもの

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 足音だけが、廊下に響いていた。

 この学校の構造は、どこか歪んでいる。
 同じ場所を歩いているのに、昨日と景色が違う気がする。
 壁の色、窓の配置、掲示物の内容──
 どれも、“少しずつ”ズレている。

 でも、ひとつだけ変わらない場所がある。

 あの、鉄の扉。
 校長室。

 僕は、目の前まで来て、ふと立ち止まった。

 以前、ここに来たときは、手を伸ばすことすらできなかった。
 不思議と、今日は誰も通りかからない。

 空気は静かすぎて、音のない音で満たされていた。

 マッチくんが、ポン、と僕の肩に飛び乗った。

「やっと来たね」

「……鍵、あると思ってたんだ」

「ないよ。最初からずっと、ない。
 でもみんな、“開かない”って信じてる。だから開かないんだよ」

 僕は、そっと扉に触れた。

 ひんやりとした金属の感触が、皮膚の奥までしみ込む。

 すると──

 視界が、ゆがんだ。

 頭の奥が、ぐらりと揺れる。

 ノイズ。

 音でもなく、映像でもなく、
 “記憶の断片”が、脳内に直接流れ込んできた。

 誰かの叫び。
 自分の声のようで、自分ではない声。

「……違う、僕はそんなつもりじゃ──」
「やめて、まだ書き終わってない──!」

 断片的な記憶。
 もしかして、これが……

「思い出しかけてるね」

 マッチくんが静かに言った。

「この部屋、“記録の起点”なんだ。
 君の、最初の記録。最初の“嘘”も、ここで始まった」

 僕は、深く息を吸った。

 手のひらを扉に強く押し当てる。

 次に目を開けたとき、扉は──もう、開いていた。

 扉の先には、意外なほど何もなかった。

 殺風景な部屋。
 木製の机と、古びた椅子がひとつずつ。
 壁には時計も掲示もない。時間の感覚さえ、置き去りにされた空間。

 でも、机の上だけは違った。

 一冊のノートが置かれていた。

 僕は、近づく。
 ノートの表紙には名前も番号もない。
 けれど、手に取った瞬間、肌が“覚えている”ような感触があった。

 ページをめくると、そこには──
 見覚えのある文字が並んでいた。

 僕の筆跡だった。

 けれど。

 内容には、見覚えがなかった。

「この学校の構造は、奇妙だ。
 どこかに“矛盾”がある気がする。
 だが誰も気づかない。皆が“それを正しいと思いたがっている”から」

「今日、記録対象が泣いていた。
 教師は“気づかなかったふり”をした。
 記録としては“平穏無事”と記すしかない──制度に従えば」

「だけど、これは嘘だ。
 僕は記録者として、“正しく記す”ことができなかった」

 ページをめくる手が止まる。

 記憶に、ない。

 これほど明確な“意思”を持って書かれた文字なのに、
 僕の頭には、その記録の痕跡が一切残っていなかった。

「……これは、誰が書いたんだ?」

「君だよ」

 マッチくんの声がした。

 振り返ると、彼の炎が、わずかに揺れていた。

「でも、覚えてない」

「そう。“君だった頃の君”が書いたんだ。
 制度に“記憶される前”の君が」

「……どういう意味だよ、それ」

「この部屋は、制度の始まりであり、
 君自身が“記録者として消された場所”でもあるんだよ」

 ページの最後には、短い一文が記されていた。

「ここが、“始まり”だった」

 僕は、その文字を、何度も読み返した。

 “ここが始まりだった”

 それは、制度の始まりなのか?
 記録の? この世界の?

 いや、きっと──
 僕という存在の“最初の火”が、ここに灯された。

 マッチくんが、ふっと笑った。

「思い出したね」

「僕は、君が最初に燃やした“理想”なんだ」

 マッチくんの声は、どこか遠くから聞こえるようだった。

「君が初めて、“教師になりたい”って思ったとき。
 “誰かの心を灯したい”って願ったあの瞬間、
 その火が、僕になった」

 彼の炎が、淡く、赤から白に変わった。
 燃えているのに、熱くない。
 優しい光だった。

「ずっと君のそばにいたよ。
 でも制度の中で、“記録だけの存在”になった君は、僕を忘れた」

「……それでも、ずっと見ててくれたのか?」

「うん。記録しようとするたび、君の手が震えるとき、
 僕はそこにいた。灯るふりして、じっと見てた」

 机の横にある古い書棚の中から、なにかが浮かび上がった。

 それは、薄く光る“印”だった。
 幾何学模様のようでいて、どこか“生きている”気配を持つ線。

 僕は、その印に見覚えがあった。

 ──主観者刻印。

 でも、それは今まで目にしてきたものとは違っていた。

 もっと複雑で、もっと根源的。
 制度によって“使われていた”印ではなく、
 制度が“奪っていった”印──
 “最初の記録者”が残した、はじまりの刻印。

「君がもう一度、その火を灯すなら」
「記録は、ここから“書き換え”られる」

 マッチくんが言った。

 僕は、そっとその印に手を伸ばした。

 触れた瞬間、空気が一変する。

 天井に埋め込まれた機構が唸り、
 室内の端末が警告を発した。

《警告:主観者刻印 再起動》
《異常個体001番が、記録ルート再編成を開始》
《記録室A-00、封鎖準備中──》

 でも、僕は微笑んだ。

 “記録される”ことを恐れなくなった。
 “記録する”ことに、また意味を見出せたから。

 マッチくんが、赤く笑う。

「ようこそ、“主観者”」


---------------------

この記録の裏側について、
少しだけ“僕自身のこと”として語ったものがあります。

noteの「燃えかすマッチ」で、検索してみてください。

書き手の火が、どうやって灯ったのか──
もし気になったら、そちらものぞいてもらえたら嬉しいです。

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