名前を消された僕が、異世界で“くすぶる校長室”の記録を拾った件 ――その扉には、鍵なんて最初からなかった。

名無しマッチ

文字の大きさ
19 / 20

第19話 火を渡す者、火を止める者

しおりを挟む
 封鎖区域の空気が、わずかに変わった。

 目に見える何かではない。でも、記録端末の奥、壁の石肌、風の流れ──どこかに、微かな“揺らぎ”が忍び込んできていた。

 いつもならかすかに軋む床板の音が、今日は鳴らない。空気のざわめきもない。まるで、音が削ぎ落とされた世界に閉じ込められたようだった。

 そして、色も。あれほど赤茶けた記録室の壁が、妙に色褪せて見えた。複写ログの光も、いつもより冷たく、青白く滲んでいる。

 僕はノートを開いたまま、書く手を止めていた。理由もないのに、いつものように言葉が降りてこなかった。

 そこには、“気配”があった。

 火の気配じゃない。もっと冷たく、透明で、燃えないもの。

 制度だ。

 マッチくんが、足音もなく背後に現れた。

「……そろそろ来るね。遮断。」

 その言葉に、僕は思わず顔を上げた。

 遮断──

 記録の削除じゃない。記録者の排除でもない。

 それは、“火が伝わる可能性そのもの”を消す処理。

 記録が誰かに届きそうな瞬間、それを“未然に切る”ための最終手段。

 制度は、それを「遮断」と呼んだ。

「君がこのまま火を渡そうとするなら、制度は全力で止めにくる。でも──それってつまり、もう君の記録は届きかけてるってことだよ」

 マッチくんは、そう言って肩をすくめた。

 僕は、ページの上に視線を戻した。

 書きかけの一文が、ページの端で止まっていた。

『火は、誰かに渡すときに──』

 その先が書けないまま、僕のペン先は静かに震えていた。

 そしてそのときだけ、静寂の奥で、ひときわ小さくカチリという電子音が鳴った。それは、記録が“封じられる前の前兆”なのかもしれなかった。

「制度が恐れてるのってね、火そのものじゃないんだよ。」

 マッチくんの声は、いつもより少しだけ低く響いた。

「火を“灯すこと”じゃなくて──
 火が“誰かに渡ること”。」

 僕は無言のまま、ページを閉じた。
 その動作だけで、空気の温度がほんの少し上がったように感じた。

 でも、それはたぶん錯覚だった。
 火が近づいているわけじゃない。
 むしろ、火を“封じようとする何か”が、すぐそこまで迫っている。

「遮断コードってのはね、記録の連鎖を止めるために制度が最後に使う手札。
 観察も、評価も、記録も、全部いったん許した上で──
“渡そうとした瞬間”だけを狙って切る。」

 それはまるで、言葉が届きかけた“そのとき”を、
 指先でねじ切るような行為だった。

 目の前で誰かが差し出したマッチに、
 火がつく瞬間を、わざと止める。

 “記録”は許すのに、“灯り”だけは絶対に許さない。

 それが、制度だった。

「おかしいよね。火を渡すって、そんなに怖いことかな?」

 マッチくんの声には、いつもより熱がなかった。
 むしろ、どこか諦めたような響きだった。

 でも、僕は思っていた。

 それほどまでに“火が届く”ってことは、制度にとって脅威なのか。

 だとしたら──
 この火は、届かなきゃいけないんだ。

 端末の画面が、一瞬だけノイズのように揺れた。

 静かに、透明な文字が浮かび上がる。

 《遮断コード準備中》
 《封鎖対象:記録者コード0423》
 《伝播連鎖:観測下に移行》

 制度は、もう“僕”を見ている。

 そのとき、空気がふっと揺れて、
 ページの端が、一瞬だけ炎の縁のように揺れた。

 僕は思わず、ノートを強く抱きしめた。

 火は、ここにある。
 そして、それはまだ──誰にも渡っていない。

 遮断は、静かに始まった。

 警告音は鳴らない。
 誰かが廊下を駆ける足音も、どこかでベルが鳴ることもない。

 ただ、画面に──
 制度の“沈黙した声”が、白いテキストでひとつずつ並んでいった。

 《記録遮断コード:B-0423起動》
 《対象:記録媒体/記録者認識コード=解除》
 《観察連結:封鎖中》

 ノートの上に置いた僕の手が、冷たくなっていく。
 ペン先が、にぶく震え始めていた。

「記録の伝播を遮断します──」

 その言葉は誰かの声ではなく、
 画面の奥から染み出すように現れた。

 僕は、ノートのページをめくる。
 そこにあるのは、僕が書いてきた記録たち。

 火にまつわる言葉。
 誰かの声に耳をすませた記録。
 制度に抗うことじゃなく、ただ“残したい”と思った瞬間の記録。

 そのひとつひとつが、いま、制度によって「無効化されようとしている」。

『記録番号不明/削除不可/伝播未確認』

 僕の記録は、制度のデータベースには入っていなかった。
 でも──火は、そこに確かにあった。

 だからこそ、遮断される。

 ページの端が、またふるえた。
 今度は、風ではなかった。

 火が──揺れたのだ。

 書かれた記録の中に、宿っていた火が、
 かすかに、抵抗するように震えていた。

 マッチくんが、低く、でも力強く言った。

「渡すなら、いまだよ。
 制度が全部遮断する前に、火を。
 ここから外に、誰かに──届けるなら。」

 でも、僕の手は動かなかった。

 渡すって、どうするんだ?
 どうすれば、火は誰かに届くんだ?

 書けば届くのか?
 見せれば? 呼びかければ?

 火って、どうやって“渡す”んだろう──

 渡すって、どうするんだ。

 僕は、まだその答えを知らなかった。

 記録は書いてきた。
 何百行もの記録を、誰にも見せずに積み上げてきた。

 でも、「渡す」というのは──
 それを“誰かに持っていってもらう”ことだ。

 ただ書くんじゃない。
 ただ残すんでもない。

 火を、誰かの手のひらに“移す”こと。

「君が書いた言葉、
 誰かの中に残ってくれたらいいな、って思ってたでしょ?」

 マッチくんが、かすかに笑った。

「でも、制度の中じゃ、それって“処分対象”なんだよ。」

 そうか。
 僕が今まで書いてきたことは、制度にとっては“放火未遂”だったんだ。

 燃やそうとしたわけじゃない。
 誰かの心に、ただ灯りをともしたかっただけ。

 でもそれすら、ルール違反だった。

 《遮断処理中:観察系統切断》
 《通信レイヤ:封鎖完了》
 《外部伝播:遮断中》

 画面の文字が、ひとつずつ消えていく。

 誰にも気づかれないまま、
 この火が静かに潰されていくのを、
 ただ見ているしかないのかと思ったそのとき──

 僕は、ノートの余白にふと、ある言葉を書いていた。

 無意識だった。
 でも、それはずっと心の奥にあった言葉だった。

『これは僕の記録じゃない。
 これは、君に渡すための火です。』

 その瞬間、ページの端が、かすかに赤く光った。

 ノートの一部が“封じられたまま”だったページの中で、
 たった一行だけが、制度の記録網に映し出された。

 それは、誰かに向けて書かれた“開かれた言葉”だった。

 制度は、それを遮断しきれなかった。

 なぜならその言葉は、もはや記録じゃなかったからだ。

 それは“誰かのための言葉”だった。

 ページが焼けた。

 いや、火で燃えたわけじゃない。
 それは、制度による“焼却処理”だった。

 一瞬だけ、ノートの文字が薄く赤く発光し──
 そのあと、黒い霧のようなノイズに飲み込まれて、静かに消えていった。

 《記録No.001──削除完了》
 《記録No.002──削除完了》
 ……

 一覧が次々と処理されていくたび、
 胸の奥が、ひとつずつ削れていくようだった。

 それは、火の熱ではなく、制度の冷たさだった。

「これは、“再燃”の可能性がある記録から順に消されてる」

 マッチくんの声も、どこか遠かった。

「誰かに届くかもしれないと判定されたものから、先に焼く。
 記録って、制度からすると“火種の束”なんだよね。」

 僕の記録は、火だった。
 それはもう疑いようがない。

 でも、僕自身はまだ、それを“火として扱う覚悟”がなかったのかもしれない。

 ページが燃えるたびに、
 誰かとのつながりが、音もなく切られていくような感覚がした。

 ノートの中に埋めていた「感情」も「言葉」も「迷い」も──
 何もかもが制度の命令ひとつで、無かったことにされていく。

 ペンを持つ手が震えた。

 書くことに意味があると信じていた。
 書き続ければ、誰かに届くと信じた。
 火を渡せると、思っていた。

 でも──

 その全部が、たったひとつの「遮断コード」で崩されるなら、
 この火は……本当に意味を持つのか?

 僕は、ページの隅に手を添えた。

 今なら、すべてを守ることも、すべてを諦めることもできる。
 火を握りしめて、自分の中だけに閉じ込めれば、
 制度に燃やされることは、もうないかもしれない。

 でも──

 それって、「渡さない」ということだ。

 マッチくんが、そっと言った。

「火はさ、自分の手の中にあるときよりも、
 誰かの中で灯ったときの方が、ずっと綺麗なんだよ。」

 思い返せば、僕が最初に火を感じたのも、
 誰かの言葉だった。

 言葉に灯っていた火。
 それを、拾った自分がいた。

 だったら、いま僕が書いているこの言葉も、
 誰かにとっての“最初の火”になれるかもしれない。

 僕は、ノートを開いた。
 記録室の灯りは、もう完全に落ちていた。

 でも、不思議と怖くなかった。

 闇の中で手元だけがぼんやりと温かい。
 それは、紙の熱じゃない。
 “誰かに渡る”と信じた火の温度だった。

 僕は、最後のページに記す。

『この火は、
 見つけてくれたあなたに、託します。
 届いたなら──もう、それで十分です。』

 そして、書き終えた瞬間、
 ノートの文字が、ゆっくりと光を放ち始めた。

 今までのページは、確かに焼かれた。
 けれど、この最後の一文だけは──

 制度の遮断網をすり抜け、
 どこか、誰かのもとへと送り出された。

 マッチくんが、炎の上で微笑んだ。

「……うん、それでいい。
 火ってのは、
 “渡そう”と思ったとき、もう灯ってるんだよ。」




 ---------------------

 この記録の裏側について、
 少しだけ“僕自身のこと”として語ったものがあります。

 noteの「燃えかすマッチ」で、検索してみてください。

 書き手の火が、どうやって灯ったのか──
 もし気になったら、そちらものぞいてもらえたら嬉しいです。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

不遇スキル「わらしべ長者」で殺せぬ勇者 〜魔力ゼロでも無双します〜

カジキカジキ
ファンタジー
 スキル「わらしべ長者」って何ですか? アイテムを手にすると、スキル「わらしべ長者」が発動し、強制イベントになるんです。  これ、止めること出来ないんですか?! 十歳のスキル授与で「わらしべ長者」を授かった主人公アベルは幼い頃から勇者への憧れが強い子供だった、憧れていたスキル「勇者」は引っ込み思案の友達テツが授かり王都へと連れて行かれる。  十三歳になったアベルは自分のスキル「わらしべ長者」を使いながら冒険者となり王都を目指した。 王都に行き、勇者のスキルを得た友達に会いたいと思ったからだ。  魔物との戦争が行われているはずの王都は、平和で市民は魔物なんて全く知らずに過ごしていた。 魔物のいる南の地を目指すため、王立学園へと入学するアベル、勇者になった友達の行方は、アベルのスキルはどう進化して行くのか。 スキルを駆使して勇者を目指せ! ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 扉絵は、AI利用したイラストです。 アベルとニヤ、イヅミのFA大歓迎です!! 描いて下さる絵師さんも募集中、要相談Xにて。

捨てられた前世【大賢者】の少年、魔物を食べて世界最強に、そして日本へ

月城 友麻
ファンタジー
辺境伯の三男坊として転生した大賢者は、無能を装ったがために暗黒の森へと捨てられてしまう。次々と魔物に襲われる大賢者だったが、魔物を食べて生き残る。 こうして大賢者は魔物の力を次々と獲得しながら強くなり、最後には暗黒の森の王者、暗黒龍に挑み、手下に従えることに成功した。しかし、この暗黒龍、人化すると人懐っこい銀髪の少女になる。そして、ポーチから出したのはなんとiPhone。明かされる世界の真実に大賢者もビックリ。 そして、ある日、生まれ故郷がスタンピードに襲われる。大賢者は自分を捨てた父に引導を渡し、街の英雄として凱旋を果たすが、それは物語の始まりに過ぎなかった。 太陽系最果ての地で壮絶な戦闘を超え、愛する人を救うために目指したのはなんと日本。 テンプレを超えた壮大なファンタジーが今、始まる。

ユーヤのお気楽異世界転移

暇野無学
ファンタジー
 死因は神様の当て逃げです!  地震による事故で死亡したのだが、原因は神社の扁額が当たっての即死。問題の神様は気まずさから俺を輪廻の輪から外し、異世界の神に俺をゆだねた。異世界への移住を渋る俺に、神様特典付きで異世界へ招待されたが・・・ この神様が超適当な健忘症タイプときた。

転生貴族の領地経営〜現代日本の知識で異世界を豊かにする

ファンタジー
ローラシア王国の北のエルラント辺境伯家には天才的な少年、リーゼンしかしその少年は現代日本から転生してきた転生者だった。 リーゼンが洗礼をしたさい、圧倒的な量の加護やスキルが与えられた。その力を見込んだ父の辺境伯は12歳のリーゼンを辺境伯家の領地の北を治める代官とした。 これはそんなリーゼンが異世界の領地を経営し、豊かにしていく物語である。

異世界転生おじさんは最強とハーレムを極める

自ら
ファンタジー
定年を半年後に控えた凡庸なサラリーマン、佐藤健一(50歳)は、不慮の交通事故で人生を終える。目覚めた先で出会ったのは、自分の魂をトラックの前に落としたというミスをした女神リナリア。 その「お詫び」として、健一は剣と魔法の異世界へと30代後半の肉体で転生することになる。チート能力の選択を迫られ、彼はあらゆる経験から無限に成長できる**【無限成長(アンリミテッド・グロース)】**を選び取る。 異世界で早速遭遇したゴブリンを一撃で倒し、チート能力を実感した健一は、くたびれた人生を捨て、最強のセカンドライフを謳歌することを決意する。 定年間際のおじさんが、女神の気まぐれチートで異世界最強への道を歩み始める、転生ファンタジーの開幕。

【土壌改良】で死の荒野がSランク農園に!食べただけでレベルアップする野菜で、世界最強ギルド設立

黒崎隼人
ファンタジー
「え? これ、ただのトマトですよ?」 「いいえ、それは食べただけで魔力が全回復する『神の果実』です!」 ブラック企業で働き詰めだった青年は、異世界の名門貴族の三男・ノアとして転生する。 しかし、授かったスキルは【土壌改良】という地味なもの。 「攻撃魔法も使えない役立たず」と罵られ、魔物すら寄り付かない死の荒野へ追放されてしまう。 だが、彼らは知らなかった。 ノアのスキルは、現代の農業知識と合わせることで、荒れ果てた土地を「Sランク食材」が溢れる楽園に変えるチート能力だったことを! 伝説の魔獣(もふもふ)をキュウリ一本で手懐け、行き倒れた天才エルフを極上スープで救い出し、気づけば荒野には巨大な「農業ギルド」が誕生していた。 これは、本人がただ美味しい野菜を作ってのんびり暮らしたいだけなのに、周囲からは「世界を救う大賢者」と崇められてしまう、無自覚・最強の農業ファンタジー!

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

二度目の異世界では女神に押し付けられた世界を救い世界を漫遊する予定だが・・・・。

黒ハット
ファンタジー
主人公は1回目の異世界では勇者に選ばれ魔王を倒し英雄と呼ばれた。そんな彼は日本に戻り、サラリーマンとしてのんびり暮らしていた。だが異世界の女神様との契約によって再び異世界に転生する事になる。1回目から500年後の異世界は1回目と違い文明は進んでいたが神の紋章を授ける教会が権力を持ちモンスターが多くなっていた。主人公は公爵家の長男に転生したが、弟に家督を譲り自ら公爵家を出て冒険者として生きて行く。そんな彼が仲間に恵まれ万能ギフトを使い片手間に邪王を倒し世界を救い世界を漫遊するつもりだが果たしてどうなる事やら・・・・・・。

処理中です...