2 / 35
第2話 婚約届と風呂と闇の魔女
しおりを挟むミレイア・ノクトルーナが「妻になります」と告げてから、数時間が経っていた。
ノクトヘルムの大地には、もはや魔力の気配はない。かつて濃密な闇の魔力に包まれていたこの地は、いまやただの岩と草と、静かな風の吹く荒野となり果てている。
魔核を失った魔女──いや、元・魔女のミレイアは、ひとつも後悔の色を見せていなかった。
むしろ、晴れやかな表情で馬車に揺られながら、ルークの隣にちょこんと腰掛けている。
「なあ……ミレイア。ひとつだけ、聞いてもいいか」
「何でも聞いて、ルークさま」
くすりと笑って、そんなふうに言うから、ルークの眉間はぎゅっと寄った。
「“ルークさま”って言うのをまずやめてくれ」
「え? でも、私、あなたの妻になったのよ?」
「……なんで、そうなるんだよ」
後部座席で足を投げ出していたジークが、大きな溜息をついた。
「おーい勇者、ちょっとそこんとこ詳しく聞かせてもらってもいいか。つーかこいつ、まだ“魔女”だろ? だったら──」
ガッ
ジークが腰の短剣を引き抜き、ミレイアに向かって飛びかかった。
「はっ!」
ルークが即座に剣を抜こうとした瞬間、ジークの刃はミレイアの肩口を切り裂いた──かに見えた。
だが次の瞬間、刃はまるで“水面”を斬ったように沈み込み、手応えを失った。
「なっ……!」
「ふふ。私は不死身よ? その程度の刃では死なないの」
ミレイアはニッコリと微笑んで、自分の肩を軽く撫でる。そこには血ひとつ、傷ひとつなかった。
「でも安心して、勇者様に魔核を斬られた私は、もう魔力を使えない。いまの私は、ただの女の子よ?」
「いやいやいやいや、説得力ないんだけど!? “ただの女の子”が不死身なのかよ!」
ジークが大声で叫ぶ横で、ルークは頭を抱えていた。
何もかもがテンプレ通りではあるのだが、それだけに逆に現実味がなかった。
* * *
屋敷──アルヴェイン家の本邸に戻ったとき、太陽はすでに傾き始めていた。
敷地内には魔除けの結界が張られ、使用人たちが整然と動き回っている。
その中心に立つのは、豪胆な風格を湛えた男、ルークの父・カイル・アルヴェインである。
「ほう。魔女を倒して帰ってきたと思ったら……嫁を連れて帰ったってか?」
笑いながら腕を組み、玄関で出迎えたカイルに、ルークは目をそらした。
「いや、これはその、事情があって……」
「ふむ。責任は……取るんだろうな?」
「取るって、何を──」
横からミレイアがぴたりと寄り添い、「婚姻の儀はいつになさいますか?」とさらりと言った。
屋敷の空気が、数秒だけ固まった。
「……ったく、お前、いきなり親に“嫁連れてきました”ってのは驚くわ。まあ、いい。家のことは俺に任せておけ」
あっさりすぎる父の了承に、逆に頭が混乱してくる。
「そういえば母さんは?」
「母か? ちょうど今、実家に里帰り中だ。手紙で伝えておくさ。“ルーク、魔女と結婚する”ってな!」
「やめてえええええええっ!!」
絶叫が屋敷に響き渡った。
* * *
その夜、屋敷のゲスト用浴場に湯気が立ち込めていた。
「ふぅ……この時代のお風呂って、思ったよりも気持ちいいのね」
脱衣所から出てきたミレイアは、バスタオル一枚を体に巻きつけただけの姿で、まるで当然のようにルークの部屋の扉を開けた。
「ちょっ、待──お、おいっ!? なに勝手に入ってきて──」
「だって、これからは一緒に寝るのでしょう? 妻ですもの」
ルークは顔を真っ赤にしながら目を逸らした。
タオルの隙間から覗く艶やかな肌、濡れた長髪から滴る湯のしずく。そのすべてが、理性を削っていく。
「いいやいや、そういうのはもっと順序ってものがだな……!」
「順序? 倒された魔女は、夫に尽くす。それが我が一族の文化。異論は?」
「ぐっ……ぐぅぅ……!」
文化の違いって、こんなにも厄介なのか。
ルークはついに観念し、隅の布団を引っ張り出して言い放った。
「わ、わかった。とりあえず今日は……! その布団使え! 俺はソファで寝る!」
「ええ。構わないわ。でも……」
「……でも?」
ミレイアは無邪気な笑みを浮かべ、布団の中から“あるもの”を取り出した。
「これ、提出先はどこかしら? 婚約届って、どの役所に出せばいいの?」
「……は?」
差し出されたのは、見覚えのない書式。けれど、どう見ても正式な書類だった。ルークとミレイアの名前が、既に丁寧な筆跡で記入されている。
「いや、どこで入手した!? 誰が書いた!? てか俺、記憶にないんだけど!?」
「私が書いたの。空欄だった部分も、さっきの会話をもとに、きちんと補完しておいたわ」
「補完って何だ!?」
ベッドの上でふわふわと微笑むミレイアは、まるで子猫のような無邪気さで、それでもしっかりと牙を持っていた。
ルークは再び頭を抱えた。
魔女との戦いが終わっても、心の平穏はまるで訪れてこない。
「……始まったな」
ジークが廊下の隅でぽつりと呟いた。
そして、その隣ではフィオナがそっと手を合わせていた。
「勇者様……ご武運を……」
* * *
こうして、討伐後の平穏など微塵もなく、“ラブコメ戦争”の幕が開いたのである──
3
あなたにおすすめの小説
レベルアップは異世界がおすすめ!
まったりー
ファンタジー
レベルの上がらない世界にダンジョンが出現し、誰もが装備や技術を鍛えて攻略していました。
そんな中、異世界ではレベルが上がることを記憶で知っていた主人公は、手芸スキルと言う生産スキルで異世界に行ける手段を作り、自分たちだけレベルを上げてダンジョンに挑むお話です。
高校生の俺、異世界転移していきなり追放されるが、じつは最強魔法使い。可愛い看板娘がいる宿屋に拾われたのでもう戻りません
下昴しん
ファンタジー
高校生のタクトは部活帰りに突然異世界へ転移してしまう。
横柄な態度の王から、魔法使いはいらんわ、城から出ていけと言われ、いきなり無職になったタクト。
偶然会った宿屋の店長トロに仕事をもらい、看板娘のマロンと一緒に宿と食堂を手伝うことに。
すると突然、客の兵士が暴れだし宿はメチャクチャになる。
兵士に殴り飛ばされるトロとマロン。
この世界の魔法は、生活で利用する程度の威力しかなく、とても弱い。
しかし──タクトの魔法は人並み外れて、無法者も脳筋男もひれ伏すほど強かった。
S級クラフトスキルを盗られた上にパーティから追放されたけど、実はスキルがなくても生産力最強なので追放仲間の美少女たちと工房やります
内田ヨシキ
ファンタジー
[第5回ドラゴンノベルス小説コンテスト 最終選考作品]
冒険者シオンは、なんでも作れる【クラフト】スキルを奪われた上に、S級パーティから追放された。しかしシオンには【クラフト】のために培った知識や技術がまだ残されていた!
物作りを通して、新たな仲間を得た彼は、世界初の技術の開発へ着手していく。
職人ギルドから追放された美少女ソフィア。
逃亡中の魔法使いノエル。
騎士職を剥奪された没落貴族のアリシア。
彼女らもまた、一度は奪われ、失ったものを、物作りを通して取り戻していく。
カクヨムにて完結済み。
( https://kakuyomu.jp/works/16817330656544103806 )
ダンジョン経営から始める魔王討伐のすゝめ 追放された転生ダンジョンマスターが影から行う人類救済
斑目 ごたく
ファンタジー
異世界でドッペルゲンガーとして転生した、しがないサラリーマン古木海(ふるき かい)は、意外な事に魔王軍の中で順調に出世していた。
しかし順調であった筈の彼の生活は、あっさりと崩壊してしまう。
中央の魔王軍から辺境のど田舎へと追放されてしまった彼は、しかしそこで自らの天職とも言える立場を手に入れる。
ダンジョンマスターとしてダンジョンを運営し、こっそりと冒険者を強化することで人類を滅びの危機から救いたい彼は、恐ろしい部下達の目を盗みながら彼らの味方をしていく。
しかしそれらの行動は何故かいつも思いも寄らぬ方向へと転がっていき、その度に彼らは周りからの評価を高めていってしまう。
これは戦闘能力が皆無の主人公が、強大な力を秘める部下と恐ろしい上司の板ばさみに苦しめられながら、影から人類を救済していく物語。
毎週水・土 20:10更新です。
この作品は「小説家になろう」様にも投降されています。
嫁に来た転生悪役令嬢「破滅します!」 俺「大丈夫だ、問題ない(ドラゴン殴りながら)」~ゲームの常識が通用しない辺境領主の無自覚成り上がり~
ちくでん
ファンタジー
「なぜあなたは、私のゲーム知識をことごとく上回ってしまうのですか!?」
魔物だらけの辺境で暮らす主人公ギリアムのもとに、公爵家令嬢ミューゼアが嫁として追放されてきた。実はこのお嫁さん、ゲーム世界に転生してきた転生悪役令嬢だったのです。
本来のゲームでは外道の悪役貴族だったはずのギリアム。ミューゼアは外道貴族に蹂躙される破滅エンドだったはずなのに、なぜかこの世界線では彼ギリアムは想定外に頑張り屋の好青年。彼はミューゼアのゲーム知識をことごとく超えて彼女を仰天させるイレギュラー、『ゲーム世界のルールブレイカー』でした。
ギリアムとミューゼアは、破滅回避のために力を合わせて領地開拓をしていきます。
スローライフ+悪役転生+領地開拓。これは、ゆったりと生活しながらもだんだんと世の中に(意図せず)影響力を発揮していってしまう二人の物語です。
転生したら鎧だった〜リビングアーマーになったけど弱すぎるので、ダンジョンをさまよってパーツを集め最強を目指します
三門鉄狼
ファンタジー
目覚めると、リビングアーマーだった。
身体は鎧、中身はなし。しかもレベルは1で超弱い。
そんな状態でダンジョンに迷い込んでしまったから、なんとか生き残らないと!
これは、いつか英雄になるかもしれない、さまよう鎧の冒険譚。
※小説家になろう、カクヨム、待ラノ、ノベルアップ+、NOVEL DAYS、ラノベストリート、アルファポリス、ノベリズムで掲載しています。
異世界転生、防御特化能力で彼女たちを英雄にしようと思ったが、そんな彼女たちには俺が英雄のようだ。
Mです。
ファンタジー
異世界学園バトル。
現世で惨めなサラリーマンをしていた……
そんな会社からの帰り道、「転生屋」という見慣れない怪しげな店を見つける。
その転生屋で新たな世界で生きる為の能力を受け取る。
それを自由イメージして良いと言われた為、せめて、新しい世界では苦しまないようにと防御に突出した能力をイメージする。
目を覚ますと見知らぬ世界に居て……学生くらいの年齢に若返っていて……
現実か夢かわからなくて……そんな世界で出会うヒロイン達に……
特殊な能力が当然のように存在するその世界で……
自分の存在も、手に入れた能力も……異世界に来たって俺の人生はそんなもん。
俺は俺の出来ること……
彼女たちを守り……そして俺はその能力を駆使して彼女たちを英雄にする。
だけど、そんな彼女たちにとっては俺が英雄のようだ……。
※※多少意識はしていますが、主人公最強で無双はなく、普通に苦戦します……流行ではないのは承知ですが、登場人物の個性を持たせるためそのキャラの物語(エピソード)や回想のような場面が多いです……後一応理由はありますが、主人公の年上に対する態度がなってません……、後、私(さくしゃ)の変な癖で「……」が凄く多いです。その変ご了承の上で楽しんで頂けると……Mです。の本望です(どうでもいいですよね…)※※
※※楽しかった……続きが気になると思って頂けた場合、お気に入り登録……このエピソード好みだなとか思ったらコメントを貰えたりすると軽い絶頂を覚えるくらいには喜びます……メンタル弱めなので、誹謗中傷てきなものには怯えていますが、気軽に頂けると嬉しいです。※※
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる