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序章 謎の紳士の正体は……
序章5
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「あなたに吸血鬼になる兆候が表れたからです」
毬瑠子は、あっ、と声を漏らした。
「理子はあなたを人として育てようとしました。わたしはそれを尊重し、遠くからあなたを見守っていました。しかしあなたは、吸血鬼として覚醒しつつある。これからは人と刻む時間が異なります。あなただけでは、人の社会で生きていくことは難しくなるでしょう」
その言葉は回りくどく、少々わかりづらかった。
「つまり私は、不老不死になるってこと?」
「不老不死はごく一部のあやかしです。わたしを含め、人ならざる者も命の限りはあります。人の血が流れるあなたは更に人に近くはありますが、それでも悠久の時を生きることになるでしょうね」
頭が真っ白になった。言葉が出ない。
昨日まで普通の大学生だったのに、半妖で悠久の時があると言われても、少しも実感がわかなかった。
「大丈夫です、毬瑠子は毬瑠子であることに変わりはありません」
マルセルはにっこりと微笑んだ。
「それに、人の世にはあやかしが多く溶け込んでいるんですよ。わたしもここで長らくバーをしていますしね」
確かにこのバーは異空間にあるわけではなく、商店街の外れにある。マルセルだって、名乗られたって吸血鬼には見えない。
これはなにかのドッキリで、マルセルの言っていることはすべて嘘ではないだろうか。そんな気もしてくる。そうであってほしい。
「吸血鬼だと突然言われて、不安になるのは当然です。どうでしょう、このバーはあやかしが集います。ここでアルバイトをしながら、あやかしに慣れてみては」
「妖怪が集う?」
毬瑠子は眉をしかめて身を縮めた。それはもはやバーではなく、お化け屋敷ではないだろうか。
「人あらざるもの、霊や妖怪や神などをまとめてわたしは“あやかし”と呼んでいますが、あなたもその仲間なのですから、あまり嫌な顔をしないでください」
マルセルは苦笑した。
「恐ろしいあやかしも存在しますが、町に住んで人と共存している者に、人に危害を加えようというあやかしはいません。安心してください」
マルセルのいうように、もし自分が本当に半妖なのだとしたら、上手く立ち回る術を学んだ方がいいかもしれない。
「アルバイトなんて口実で、わたしが毬瑠子と一緒にいたいだけですから、気楽に考えてください。それに、バイト料ははずみますよ。力加減も気にしなくて大丈夫です。概ねあやかしは怪力なので、バーにあるものはすべて頑丈にできています」
お金のことを言われて毬瑠子は心が動いた。母が大学卒業までに充分なお金を残してくれているが、貯蓄するためにアルバイトをしようと思っていたところだった。
「力のコントロール方法も伝授しますよ。目や牙も元に戻したいでしょ」
「元通りになるの?」
「もちろんです。力の加減がきかないうちは、この手袋をしているといいですよ」
毬瑠子は黒いレース場の手袋を受け取った。早速はめてハンカチを引っ張ってみるが、破けない。
これは助かる。バーに来る前に服を破き、キッチンの水道の蛇口を壊し、皿を割っていた。
今朝も赤目になって相談相手が思いつかず不安だったが、マルセルがいれば心強いかもしれない。
「それじゃあ……、お世話になります」
毬瑠子は頭を下げた。マルセルの話を鵜呑みにしているわけではないが、彼との関係を切るのは得策ではないだろう。
それに、マルセルの態度を見ていると、悪い人物には見えない。
「よかった!」
パッとマルセルの表情が明るくなった。
「では今日からバイトを始めませんか? 暗くなったら一緒に買い出しに行きましょう」
マルセルは声を弾ませる。
「そういえば、吸血鬼って日の光を浴びると灰になるんですか?」
「いいえ、苦手ではありますけどね。今どきのあやかしは現代の生活に順応していますから、書籍に記された特性とは変わってきています。毬瑠子だって、昼間も外に出られるし、血を吸いたいという欲求はないでしょ?」
確かに血を吸いたいとは思わない。昼間はだるかったが、それも特異体質のせいだったのか。
「そんなことよりも、毬瑠子の話を聞かせてください」
「私のですか? おもしろいことなんてないですよ」
「毬瑠子の話ならなんでも興味深いです」
そう言われると、話さないわけにはいかない。毬瑠子は記憶をひねり出す。
毬瑠子の部屋の窓に現れたコウモリがマルセルとわかってドン引きしたりしながら、アルバイトの終了時間と決めた夜十時まで、マルセルに請われるまま毬瑠子は話し続けることになった。さすがに話し疲れた。
一人も客が来ないなんて、なんと暇な店なのだろうと帰り際にドアの外側を見ると、「臨時休業」という札が下がっていた。
「いつの間に!」
客が入ってくるはずがなかった。
毬瑠子は二度とこんなことをするなとマルセルに抗議をしたのだった。
毬瑠子は、あっ、と声を漏らした。
「理子はあなたを人として育てようとしました。わたしはそれを尊重し、遠くからあなたを見守っていました。しかしあなたは、吸血鬼として覚醒しつつある。これからは人と刻む時間が異なります。あなただけでは、人の社会で生きていくことは難しくなるでしょう」
その言葉は回りくどく、少々わかりづらかった。
「つまり私は、不老不死になるってこと?」
「不老不死はごく一部のあやかしです。わたしを含め、人ならざる者も命の限りはあります。人の血が流れるあなたは更に人に近くはありますが、それでも悠久の時を生きることになるでしょうね」
頭が真っ白になった。言葉が出ない。
昨日まで普通の大学生だったのに、半妖で悠久の時があると言われても、少しも実感がわかなかった。
「大丈夫です、毬瑠子は毬瑠子であることに変わりはありません」
マルセルはにっこりと微笑んだ。
「それに、人の世にはあやかしが多く溶け込んでいるんですよ。わたしもここで長らくバーをしていますしね」
確かにこのバーは異空間にあるわけではなく、商店街の外れにある。マルセルだって、名乗られたって吸血鬼には見えない。
これはなにかのドッキリで、マルセルの言っていることはすべて嘘ではないだろうか。そんな気もしてくる。そうであってほしい。
「吸血鬼だと突然言われて、不安になるのは当然です。どうでしょう、このバーはあやかしが集います。ここでアルバイトをしながら、あやかしに慣れてみては」
「妖怪が集う?」
毬瑠子は眉をしかめて身を縮めた。それはもはやバーではなく、お化け屋敷ではないだろうか。
「人あらざるもの、霊や妖怪や神などをまとめてわたしは“あやかし”と呼んでいますが、あなたもその仲間なのですから、あまり嫌な顔をしないでください」
マルセルは苦笑した。
「恐ろしいあやかしも存在しますが、町に住んで人と共存している者に、人に危害を加えようというあやかしはいません。安心してください」
マルセルのいうように、もし自分が本当に半妖なのだとしたら、上手く立ち回る術を学んだ方がいいかもしれない。
「アルバイトなんて口実で、わたしが毬瑠子と一緒にいたいだけですから、気楽に考えてください。それに、バイト料ははずみますよ。力加減も気にしなくて大丈夫です。概ねあやかしは怪力なので、バーにあるものはすべて頑丈にできています」
お金のことを言われて毬瑠子は心が動いた。母が大学卒業までに充分なお金を残してくれているが、貯蓄するためにアルバイトをしようと思っていたところだった。
「力のコントロール方法も伝授しますよ。目や牙も元に戻したいでしょ」
「元通りになるの?」
「もちろんです。力の加減がきかないうちは、この手袋をしているといいですよ」
毬瑠子は黒いレース場の手袋を受け取った。早速はめてハンカチを引っ張ってみるが、破けない。
これは助かる。バーに来る前に服を破き、キッチンの水道の蛇口を壊し、皿を割っていた。
今朝も赤目になって相談相手が思いつかず不安だったが、マルセルがいれば心強いかもしれない。
「それじゃあ……、お世話になります」
毬瑠子は頭を下げた。マルセルの話を鵜呑みにしているわけではないが、彼との関係を切るのは得策ではないだろう。
それに、マルセルの態度を見ていると、悪い人物には見えない。
「よかった!」
パッとマルセルの表情が明るくなった。
「では今日からバイトを始めませんか? 暗くなったら一緒に買い出しに行きましょう」
マルセルは声を弾ませる。
「そういえば、吸血鬼って日の光を浴びると灰になるんですか?」
「いいえ、苦手ではありますけどね。今どきのあやかしは現代の生活に順応していますから、書籍に記された特性とは変わってきています。毬瑠子だって、昼間も外に出られるし、血を吸いたいという欲求はないでしょ?」
確かに血を吸いたいとは思わない。昼間はだるかったが、それも特異体質のせいだったのか。
「そんなことよりも、毬瑠子の話を聞かせてください」
「私のですか? おもしろいことなんてないですよ」
「毬瑠子の話ならなんでも興味深いです」
そう言われると、話さないわけにはいかない。毬瑠子は記憶をひねり出す。
毬瑠子の部屋の窓に現れたコウモリがマルセルとわかってドン引きしたりしながら、アルバイトの終了時間と決めた夜十時まで、マルセルに請われるまま毬瑠子は話し続けることになった。さすがに話し疲れた。
一人も客が来ないなんて、なんと暇な店なのだろうと帰り際にドアの外側を見ると、「臨時休業」という札が下がっていた。
「いつの間に!」
客が入ってくるはずがなかった。
毬瑠子は二度とこんなことをするなとマルセルに抗議をしたのだった。
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