6 / 44
一章 猫又とおばあちゃん
一章 1
しおりを挟む
毬瑠子のアルバイト二日目。
カランカランと「BAR SANG」のドアベルが鳴った。
毬瑠子は緊張する。初めての客だ。
この店にはいわゆる“霊感”が強い人も入ってくるそうだが、基本的にはあやかしが来店するという。
どんな恐ろしいあやかしがやってくるのか。毬瑠子はドアに注目した。
「よっ、飲みに来てやったぜ」
少しドアを屈むようにして店に入ってきたのは、長身のマルセルよりも更に背の高い男性だ。百九十センチほどある。
「なんだ、人間か」
毬瑠子はホッとしたような、残念なような、複雑な気持ちになった。
「いらっしゃいませ」
声をかけながら改めて男の顔を見ると、胸が飛び跳ねた。
ストレートの黒髪の合間から鋭い眼光が光り、それを中和するような肉厚のある唇が艶っぽい。日に焼けたような小麦色の肌は、服越しでも筋肉が浮いて見えるほど逞しかった。
マルセルとはタイプは違うが、こちらも見惚れるほどの美丈夫だ。なんだか不健全な妖艶さがあって、毬瑠子は男性を直視できない。こんなことは初めてだった。
「別に来ていただかなくても結構ですよ」
マルセルはしらっとした顔で言い放った。
毬瑠子は自分との態度の違いに驚く。マルセルの笑顔以外の表情を見るのは初めてかもしれない。
「つれねえな。そう言うなよ、連れもいるんだから」
「それが余計なお世話だと言っているんです」
マルセルは迷惑そうな表情を隠しもしない。
連れがいると言うが見当たらないなと思っていたら、巨躯の後ろに少年がいた。六歳くらいだろうか、身長は男の腰の高さほどしかない。黒髪はサラサラとしたストレートだ。
アーモンド形の瞳の可愛らしい少年には、黒い猫耳としっぽが二本生えていた。
「耳としっぽっ」
小さく声をあげると、隣りにいるマルセルが「彼は猫又です」と教えてくれた。名前だけは聞いたことがある。こんなに可愛いあやかしなら大歓迎だ。
「さ、来いよ。こいつは猫又のクロだ」
「クロにゃ」
ペコリと頭を下げる少年を男は抱き上げると、カウンターの椅子に座らせて椅子の高さを調整した。常連なのだろう、勝手知ったるという様子だ。自身もその隣りに座る。
クロからチリンと鈴の音がした。よく見ると首輪をしている。
「俺は蘇芳。お嬢ちゃんがマルセルの娘さんか。父親に似て綺麗な顔をしている。口説いていいかな」
蘇芳は揶揄するような笑みを浮かべている。
「わたしの大事な娘に手を出さないでください」
蘇芳に冷ややかな視線を向けながら、マルセルは毬瑠子を背中に隠した。
「俺は性別問わず美しいものが好きなんだ。知ってるだろ」
蘇芳はニヤニヤと笑っている。人間離れをした美しい容姿だが、毬瑠子は軽薄な印象を受けた。
「事情は存じていますし同情もしますけど、いい加減に落ちついてください」
「おまえにだけは言われたくねえな」
なんだろう、この二人、すっごく仲が悪い。
一触即発の空気に毬瑠子はいたたまれなくなる。
「マルセルさん、この人もあやかしなの?」
話を反らそうと、毬瑠子はマルセルに小声で話しかけた。蘇芳にはシッポも角もないようだが、猫又を連れてきたのだ。普通の人ではないだろう。
「彼は桂男です」
毬瑠子は小首をかしげる。聞いたことがない。
マルセルに許可を取り、毬瑠子はポケットに入れていたスマートフォンを取り出して検索することにした。
桂男は月の住人で、『伊勢物語』の中では「まるで月に存在するもののように常人が触れがたく、神秘的な美しさの持ち主である」とする慣用句として使われているという。
江戸時代の奇談集『絵本百物語』には、満月ではないときに月を長く見ていると、桂男に招かれて命を落とすことにもなりかねないともある。
つまり、危険で美しい妖怪。
それが桂男のようだ。
スマートフォンから顔をあげた毬瑠子は蘇芳と目が合った。蘇芳は口角を上げてただ笑っただけなのに、どこか蠱惑的に映ってドキリとする。
確かに危険な気がする。第一印象は正しかった。
蘇芳さんには近づかないでおこう、と毬瑠子は胸に刻んだ。
カランカランと「BAR SANG」のドアベルが鳴った。
毬瑠子は緊張する。初めての客だ。
この店にはいわゆる“霊感”が強い人も入ってくるそうだが、基本的にはあやかしが来店するという。
どんな恐ろしいあやかしがやってくるのか。毬瑠子はドアに注目した。
「よっ、飲みに来てやったぜ」
少しドアを屈むようにして店に入ってきたのは、長身のマルセルよりも更に背の高い男性だ。百九十センチほどある。
「なんだ、人間か」
毬瑠子はホッとしたような、残念なような、複雑な気持ちになった。
「いらっしゃいませ」
声をかけながら改めて男の顔を見ると、胸が飛び跳ねた。
ストレートの黒髪の合間から鋭い眼光が光り、それを中和するような肉厚のある唇が艶っぽい。日に焼けたような小麦色の肌は、服越しでも筋肉が浮いて見えるほど逞しかった。
マルセルとはタイプは違うが、こちらも見惚れるほどの美丈夫だ。なんだか不健全な妖艶さがあって、毬瑠子は男性を直視できない。こんなことは初めてだった。
「別に来ていただかなくても結構ですよ」
マルセルはしらっとした顔で言い放った。
毬瑠子は自分との態度の違いに驚く。マルセルの笑顔以外の表情を見るのは初めてかもしれない。
「つれねえな。そう言うなよ、連れもいるんだから」
「それが余計なお世話だと言っているんです」
マルセルは迷惑そうな表情を隠しもしない。
連れがいると言うが見当たらないなと思っていたら、巨躯の後ろに少年がいた。六歳くらいだろうか、身長は男の腰の高さほどしかない。黒髪はサラサラとしたストレートだ。
アーモンド形の瞳の可愛らしい少年には、黒い猫耳としっぽが二本生えていた。
「耳としっぽっ」
小さく声をあげると、隣りにいるマルセルが「彼は猫又です」と教えてくれた。名前だけは聞いたことがある。こんなに可愛いあやかしなら大歓迎だ。
「さ、来いよ。こいつは猫又のクロだ」
「クロにゃ」
ペコリと頭を下げる少年を男は抱き上げると、カウンターの椅子に座らせて椅子の高さを調整した。常連なのだろう、勝手知ったるという様子だ。自身もその隣りに座る。
クロからチリンと鈴の音がした。よく見ると首輪をしている。
「俺は蘇芳。お嬢ちゃんがマルセルの娘さんか。父親に似て綺麗な顔をしている。口説いていいかな」
蘇芳は揶揄するような笑みを浮かべている。
「わたしの大事な娘に手を出さないでください」
蘇芳に冷ややかな視線を向けながら、マルセルは毬瑠子を背中に隠した。
「俺は性別問わず美しいものが好きなんだ。知ってるだろ」
蘇芳はニヤニヤと笑っている。人間離れをした美しい容姿だが、毬瑠子は軽薄な印象を受けた。
「事情は存じていますし同情もしますけど、いい加減に落ちついてください」
「おまえにだけは言われたくねえな」
なんだろう、この二人、すっごく仲が悪い。
一触即発の空気に毬瑠子はいたたまれなくなる。
「マルセルさん、この人もあやかしなの?」
話を反らそうと、毬瑠子はマルセルに小声で話しかけた。蘇芳にはシッポも角もないようだが、猫又を連れてきたのだ。普通の人ではないだろう。
「彼は桂男です」
毬瑠子は小首をかしげる。聞いたことがない。
マルセルに許可を取り、毬瑠子はポケットに入れていたスマートフォンを取り出して検索することにした。
桂男は月の住人で、『伊勢物語』の中では「まるで月に存在するもののように常人が触れがたく、神秘的な美しさの持ち主である」とする慣用句として使われているという。
江戸時代の奇談集『絵本百物語』には、満月ではないときに月を長く見ていると、桂男に招かれて命を落とすことにもなりかねないともある。
つまり、危険で美しい妖怪。
それが桂男のようだ。
スマートフォンから顔をあげた毬瑠子は蘇芳と目が合った。蘇芳は口角を上げてただ笑っただけなのに、どこか蠱惑的に映ってドキリとする。
確かに危険な気がする。第一印象は正しかった。
蘇芳さんには近づかないでおこう、と毬瑠子は胸に刻んだ。
1
あなたにおすすめの小説
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
毎日19時に更新予定です。
お飾り王妃の死後~王の後悔~
ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。
王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。
ウィルベルト王国では周知の事実だった。
しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。
最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。
小説家になろう様にも投稿しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
後宮の手かざし皇后〜盲目のお飾り皇后が持つ波動の力〜
二位関りをん
キャラ文芸
龍の国の若き皇帝・浩明に5大名家の娘である美華が皇后として嫁いできた。しかし美華は病により目が見えなくなっていた。
そんな美華を冷たくあしらう浩明。婚儀の夜、美華の目の前で彼女付きの女官が心臓発作に倒れてしまう。
その時。美華は慌てること無く駆け寄り、女官に手をかざすと女官は元気になる。
どうも美華には不思議な力があるようで…?
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる