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06話
しおりを挟む――シ……シェリ……。
誰かが私の名前を呼んでいます。
声に応えるようにうっすらと目を開けると、見たこともない金細工の煌びやかな天井が目に映ります。身体に残る倦怠感に苛まれ、手を動かすことも思考も巡らせることも億劫です。
ぼうっとした頭で暫く天井を見つめていると、突然視界に人影が映りました。
「目覚められました。シェリエーナ姫が目覚められました!」
白衣を着ている初老の男性がそう叫ぶと、私の頭の中の靄が晴れていきました。やがて、眠る前に起きた出来事を思い出した私は飛び起きて顔を真っ青にしました。
この豪奢な空間を見て、一目でお城の中にいるのだと分かりました。それはつまり、旦那さまも捕らえられ、投獄されていることを差します。
どうすればいいのでしょう?
苦悶の表情を浮かべていると、侍女たちが部屋に入ってきました。
旦那さまのことで頭がいっぱいで、とにかくまず自分がどのくらい眠っていたのか尋ねなくてはいけません。
しかし、ポケットに入れていたはずの魔法道具の万年筆が見当たりません。それどころか着ていた服もシルクの上質な生地のものに着替えさせられていました。
置かれた状況に戸惑っている間に、私は医務官に診察され、侍女たちに着替えさせられました。
今まで身につけたことのない上品なドレス。レースがふんだんに使われ、スカートには貴石や真珠が散りばめられて揺れる度にきらきらと輝きます。髪もブラシで丁寧に梳かされ纏められました。
「シェリエーナ姫、目覚められたばかりで申し訳ないですが、陛下より目覚められた際はすぐに政務の間へ来させるようにと仰せつかっております」
侍女の一人が淡々と告げると、私は陛下のもとへ連れて行かれました。
明るい部屋から長い廊下に出て、初めて今が夜なのだと気づきました。廊下の窓からは美しい満月が見えます。
ほどなくして、私は政務の間に通されました。
壁は深紅のビロードが張られ、金の糸で精霊信仰である証のアカンサス柄が刺繍されています。机の上には大陸の地図が置かれていて制圧した国々には赤いピンが刺さっています。
「こちらに来るがよい」
絶対服従が込められたような物々しい声に私の身体は強張ります。視線をまっすぐ向けると、筋骨逞しい男性が壇上の椅子にふんぞり返っていました。隣には金細工でできた鳥かごがあり、中には黒鳥が止まり木にとまっています。
守りを固めるように彼の後ろには二人の騎士が立っていました。
間違いありません。この人がメルボーン国王陛下です。
私は玉座にある程度近づくと足を止め、最敬礼をします。顔を上げるとさらに近くに来るよう手招きされ、私は緊張しながら彼の側へゆっくりとした足取りで歩きました。
「シェリエーナ。私の可愛いシェリエーナ。よくぞ、無事に戻ってくれた。ああ、前よりも線が細くなっているではないか」
陛下は私の手を握り締めると、労るように手の甲を撫でてくれます。が、節くれ立った大きな手はどこまでも冷たく、金壺眼の目は怪しく光っています。
「……っ」
触れられた途端、胸の奥がどきりと音を立てました。心臓の鼓動が速くなるのはどうしてなのでしょう。記憶を失う前の私は国王陛下が好きだったのでしょうか? でも、旦那さまの時の胸の高鳴りとは種類が違うような気もします。
とにかく今は喋れないことを打ち明けなくてはなりません。不敬に当たらないよう態度で示さなくては。
私がおずおずと口を開きかけると、陛下は手で制しました。
「よせ。わざわざ大事な声は出さなくて良い。記憶がなくなったという報告は受けているから教えてやろう。其方らフィサリアの女性王族は人前で声を出したりはせぬ。特にフィサリアの秘宝である其方はな。その奇跡の声は歌うためにあるのだ。私のために、もう一度歌っておくれ。ああ、精霊殿はあの忌々しい罪人のせいで吹き飛んでしまった。だが、もう場所など別に関係あるまい。其方さえいてくれればそれでいい」
精霊殿が吹き飛んだ? それに私の声が大事とはどういうことでしょう。
目を白黒させていると、脇に控えていた宰相が話をしてくれました。
私はフィサリア王国の姫でメルボーン国王陛下のもとへ身も心も捧げるために嫁ぎにきたそうです。そして私がフィサリアの秘宝と呼ばれる所以は、私の声に希有な魔力が宿っているから。
「フィサリアの女性王族の声には、彼女らしか使うことのできない古の精霊魔法が宿っています。それは精霊歌を歌うことで発動し、願いを叶える魔法です。シェリエーナ姫は五人の姫の中で最も強力だそうです。丁度去年の今頃、姫君は精霊殿にて我が国ウィンザリー王国の繁栄を祝して歌魔法を披露してくれました。しかし、フィサリアから連れてきた従者があなたを裏切り、逆罪を犯しました。それによって大規模な爆発事故が起き、精霊殿は吹き飛んでしまったのです」
私はハッとして陛下の顔を見ました。
いつの間にか手のひらに汗を掻いていました。その先の答えは想像に容易く、私は拳を握り締めながら心の中でどうして? と延々と呟きました。
宰相はゆっくりと口を開きます。
「――その従者の名は、エリクシス。姫君を拐かし、そして王国に身代金を要求した男ですよ」
目の前が真っ暗になりました。
もともと旦那さまは私の従者でした。それなら立場上、怪しまれずに私を城から王都の病院へ理由をつけて連れ出すことも可能です。
従者なら、私がどういう性格なのか把握しているはずです。
だって、記憶をなくしても私という人間そのものが変わってしまうことはないから……変わらない?
そこで私は弾かれたように、心の中であっと声を上げました。
そうです。旦那さまは優しくてとても誠実な方。私たちがかりそめの夫婦だとしても、私を愛していなくても、彼の性格は変わらないはずです。
私は自分の鼓動が速くなるのを感じながら、手紙の内容を思い返しました。
あの手紙の送り主が旦那さまに対して激励をしていました。
もし手紙の内容が、夫婦ごっこが嫌になっている旦那さまに対して我慢してくれというものではなく、協力を募るためのものなら彼は…………私を裏切ってなんかいない。
「のう、シェリエーナよ」
今まで椅子の肘掛けに肘をつき、退屈そうに話を聞いていた陛下が私に話しかけました。
「私はとても心が広い人間だ。だから其方にどうするか選ばせてやろう」
国王陛下が手を叩くと政務の間の扉が開きます。金属のぶつかる音と怒号が聞こえてくると、衛兵に引きずられるようにして旦那さまが連れてこられました。
美しかった彼の顔は殴られて醜く腫れ上がり、口の端からは血が滲んでいます。身体の至るところに傷や殴られた痕が痛々しく浮き出ていました。
手枷には魔力を吸収する石がはめ込まれていて、それによって魔法を封じられているようです。
旦那さまは息も絶え絶えで、立っているのがやっとな状態でした。意識朦朧としていて気を失いそうになると、衛兵が鞭で何度も叩いて覚醒させます。
鞭の乾いた音と、旦那さまの痛みに耐える呻き声が、部屋に響き渡りました。
凄惨な光景に、私はきつく目を閉じて顔を背けました。
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