虜囚の王女は言葉が通じぬ元敵国の騎士団長に嫁ぐ

あねもね

文字の大きさ
29 / 51

第29話 胸が寂しい

しおりを挟む
 昨日から少々落ち込んでいたものの、私はいつものように朝、レイヴァン様のお見送りし、そして夕方お出迎えをする。

「コてぃーンまイヤー、アむーるレイヴァン」

 礼を取って挨拶するとレイヴァン様は足を止めて口を開いた。

「ああ。リシー」

 そこまで言ったところで、モーリスさんが目で何かの合図を飛ばす。するとレイヴァン様は表情を少し変えた後、一つ咳払いした。

「ありがとう。……クリスタル」
「え?」

 今、王女を付けなかった? ただのクリスタルだった?
 マノンさんに振り返ったが、彼女は特に意識していなかったようだ。むしろ私の反応に首を傾げている。

「クリスタル」

 再び呼ばれて私は慌ててレイヴァン様に視線を戻す。やはり王女という意味のリシーズは付けられていない。

「は、はい」

 呼び方が変わっただけで昨日からの沈んだ気持ちが嘘のように消え去り、代わりに嬉しさで胸がとくとくといつもより早い鼓動が打つ。
 レイヴァン様は続けて私に何かを言った。マノンさんに振り返ると彼女は困ったように眉尻を下げている。

「どうかしたのですか」
「ええと。お、恐れながらそのまま訳します。昨日から考えていたが、やはり胸が寂しすぎるから耳飾りも用意してもらうことにしよう、とおっしゃいました」
「胸が……寂しい?」

 私は確認するために自分の胸元へ視線を下ろす。続いて胸に手を当てて滑らせると、確かにストンと手が落ちることに気が付いた。もしや、いえ、もしかしなくても私の胸が小さくて寂しいと、と皆の前でおっしゃっているのだろうか。
 存在を主張していたはずの鼓動が気付けばおとなしくなっている。同時に場もしんと静まり返っている。

 何かに気付いたモーリスさんがレイヴァン様に肘打ちして耳元に囁くと、レイヴァン様がはっと表情を変えて早口でまた何かを言った。その言葉を追いかけるようにマノンさんは訳してくれる。

「違う! 今のは間違いだ! 昨日の胸元の飾りだけでは寂しすぎるから、ネックレスと合わせた耳飾りも用意してもらうことにしようと言いたかったんだ! だそうです……」

 私がレイヴァン様を仰ぎ見ると、彼はかっと頬を染めて顔を隠すように前髪に手を差し込みつつそっぽを向いた。
 初めてクリスタルと呼んでくれたとか、高い買い物になったことを怒っていなかったどころか、さらに耳飾りの購入も考えてくださっていたなんてとか、こんな照れた様子のレイヴァン様を見るのは初めてだとか、色々感慨に浸りたかったはずなのに、衝撃的な言葉を受けたせいですべて吹っ飛んでしまう。

「……え、エふぁリスとライあー」

 本当に単なる言い間違えだけだったのか、あるいはネックレスを胸に付けるところを想像してみて、それでもまだまだ本体自体の胸が寂しそうだと思ってうっかり本音がもれた結果だったのか。どちらにしろ語彙力がない私は、ありがとうございますと答えるしかなかった。


 夕食までサロンのソファーで待機している私は、昨日と少し違った沈み方をしている。女性として胸が寂しいことは悲しいことだと本能的に感じているのだ。これまで何も思わなかったのに、考えたことすらなかったのに、今はやけに重くのしかかってくるのはなぜだろう。

「ク、クリスタル様! そんなにお気を落とされないでください。レイヴァン様はほんの少しお言葉を落とされてしまっただけですよ!」
「マノンさん……お気を遣ってくださってありがとうございます」

 我ながらどろりと濁っているであろう瞳を向けると、マノンさんは顔を引きつらせて笑った。

「あ、ほら。クリスタル様は少食でいらっしゃるから。これまで少ない栄養が胸まで届かなかっただけですよ! これからお食事をしっかりお取りになれば、胸なんてあっと言う間に豊かになりますよ!」
「本当ですか? しっかり食事を取ったら胸が豊かになるのですか?」
「た、多分です、ハイ」

 なぜかそっと視線を逸らすマノンさん。

「そうですか。初夜に向けてしっかり食事を取らなければなりませんでしたから、そうだとしたら一挙両得ですね」
「え、ええ。そうとも言いますね。そうとしか言えない気もしますが。よく分からなくなってきました」
「ところで一つお聞きしたいのですが、マノンさんはお食事をしっかり取っておられますか」
「ええ! もちろんですよ。体が資本ですからね! しっかり取っております」

 マノンさんは目を伏せて、自分の胸を拳でとんと叩いた。私はそんな彼女を見ながら頷く。

「そうですか。では胸が豊かになるのは、食事量だけではないということなのですね」
「ええ、そうですね。……ん? 少しお待ちくださいな。それってどういう意味でしょうか!?」

 片目を開けたマノンさんが尋ねてきたその時、サロンの扉が叩かれた。
 どうぞとサンティルノ語で答えると失礼いたしますと言ってミレイさんが入って来る。横にはルディーさんも控えている。ミレイさんがルディーさんの教育係と聞いているので、お二人はいつも一緒にいるようだ。

「クリスタル様、夕食のご用意ができました。ご案内いたします、とのことです」

 マノンさんがすぐに伝えてくれる。発音はまだできないけれど、この言葉は繰り返し聞いているので、理解はできるようになった。

「エふぁリスとライあー」

 私はソファーから立ち上がるとミレイさんの元へと歩いていき、ふと気づいたことがあって彼女の前で止まった。そのまま自然の流れで私の手は彼女の胸に当てていた。自分の胸とは違って存在感のある胸だ。ふっくらと柔らかく、弾力性もある。

「――っ!?」

 いつもはほとんど感情を表に出さないミレイさんが驚いたようにわずかに目を見開いた。横にいるルディーさんは完全に目を丸くしている。

「ミレイさんのお胸は豊かでいらっしゃるのですね。一体何を食べていらっしゃるのですか? 何がお好みで口にしていらっしゃるのですか? 食事の他に気を付けていらっしゃることはおありですか? ――とお尋ねしていただけますか、マノンさん」
「……承知いたしました。だけど、だけどクリスタル様。早く胸から手をお離ししてあげてください!」
「あ」

 固まったままのミレイさんから手を離してスキューズモアと謝罪した。
しおりを挟む
感想 19

あなたにおすすめの小説

盲目王子の策略から逃げ切るのは、至難の業かもしれない

当麻月菜
恋愛
生まれた時から雪花の紋章を持つノアは、王族と結婚しなければいけない運命だった。 だがしかし、攫われるようにお城の一室で向き合った王太子は、ノアに向けてこう言った。 「はっ、誰がこんな醜女を妻にするか」 こっちだって、初対面でいきなり自分を醜女呼ばわりする男なんて願い下げだ!! ───ということで、この茶番は終わりにな……らなかった。 「ならば、私がこのお嬢さんと結婚したいです」 そう言ってノアを求めたのは、盲目の為に王位継承権を剥奪されたもう一人の王子様だった。 ただ、この王子の見た目の美しさと薄幸さと善人キャラに騙されてはいけない。 彼は相当な策士で、ノアに無自覚ながらぞっこん惚れていた。 一目惚れした少女を絶対に逃さないと決めた盲目王子と、キノコをこよなく愛する魔力ゼロ少女の恋の攻防戦。 ※但し、他人から見たら無自覚にイチャイチャしているだけ。

二度目の初恋は、穏やかな伯爵と

柴田はつみ
恋愛
交通事故に遭い、気がつけば18歳のアランと出会う前の自分に戻っていた伯爵令嬢リーシャン。 冷酷で傲慢な伯爵アランとの不和な結婚生活を経験した彼女は、今度こそ彼とは関わらないと固く誓う。しかし運命のいたずらか、リーシャンは再びアランと出会ってしまう。

追放聖女35歳、拾われ王妃になりました

真曽木トウル
恋愛
王女ルイーズは、両親と王太子だった兄を亡くした20歳から15年間、祖国を“聖女”として統治した。 自分は結婚も即位もすることなく、愛する兄の娘が女王として即位するまで国を守るために……。 ところが兄の娘メアリーと宰相たちの裏切りに遭い、自分が追放されることになってしまう。 とりあえず亡き母の母国に身を寄せようと考えたルイーズだったが、なぜか大学の学友だった他国の王ウィルフレッドが「うちに来い」と迎えに来る。 彼はルイーズが15年前に求婚を断った相手。 聖職者が必要なのかと思いきや、なぜかもう一回求婚されて?? 大人なようで素直じゃない2人の両片想い婚。 ●他作品とは特に世界観のつながりはありません。 ●『小説家になろう』に先行して掲載しております。

あなたのことが大好きなので、今すぐ婚約を解消いたしましょう! 

あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
「ランドルフ様、私との婚約を解消しませんかっ!?」  子爵令嬢のミリィは、一度も対面することなく初恋の武人ランドルフの婚約者になった。けれどある日ミリィのもとにランドルフの恋人だという踊り子が押しかけ、婚約が不本意なものだったと知る。そこでミリィは決意した。大好きなランドルフのため、なんとかしてランドルフが真に愛する踊り子との仲を取り持ち、自分は身を引こうと――。  けれどなぜか戦地にいるランドルフからは、婚約に前向きとしか思えない手紙が届きはじめる。一体ミリィはつかの間の婚約者なのか。それとも――?  戸惑いながらもぎこちなく心を通わせはじめたふたりだが、幸せを邪魔するかのように次々と問題が起こりはじめる。  勘違いからすれ違う離れ離れのふたりが、少しずつ距離を縮めながらゆっくりじりじりと愛を育て成長していく物語。  ◇小説家になろう、他サイトでも(掲載予定)です。  ◇すでに書き上げ済みなので、完結保証です。  

理想の女性を見つけた時には、運命の人を愛人にして白い結婚を宣言していました

ぺきぺき
恋愛
王家の次男として生まれたヨーゼフには幼い頃から決められていた婚約者がいた。兄の補佐として育てられ、兄の息子が立太子した後には臣籍降下し大公になるよていだった。 このヨーゼフ、優秀な頭脳を持ち、立派な大公となることが期待されていたが、幼い頃に見た絵本のお姫様を理想の女性として探し続けているという残念なところがあった。 そしてついに貴族学園で絵本のお姫様とそっくりな令嬢に出会う。 ーーーー 若気の至りでやらかしたことに苦しめられる主人公が最後になんとか幸せになる話。 作者別作品『二人のエリーと遅れてあらわれるヒーローたち』のスピンオフになっていますが、単体でも読めます。 完結まで執筆済み。毎日四話更新で4/24に完結予定。 第一章 無計画な婚約破棄 第二章 無計画な白い結婚 第三章 無計画な告白 第四章 無計画なプロポーズ 第五章 無計画な真実の愛 エピローグ

【完結】どうやら時戻りをしました。

まるねこ
恋愛
ウルダード伯爵家は借金地獄に陥り、借金返済のため泣く泣く嫁いだ先は王家の闇を担う家。 辛い日々に耐えきれずモアは自らの命を断つ。 時戻りをした彼女は同じ轍を踏まないと心に誓う。 ※前半激重です。ご注意下さい Copyright©︎2023-まるねこ

【完結】破滅フラグを回避したいのに婚約者の座は譲れません⁈─王太子殿下の婚約者に転生したみたいだけど転生先の物語がわかりません─

江崎美彩
恋愛
侯爵家の令嬢エレナ・トワインは王太子殿下の婚約者……のはずなのに、正式に発表されないまま月日が過ぎている。 王太子殿下も通う王立学園に入学して数日たったある日、階段から転げ落ちたエレナは、オタク女子高生だった恵玲奈の記憶を思い出す。 『えっ? もしかしてわたし転生してる?』 でも肝心の転生先の作品もヒロインなのか悪役なのかモブなのかもわからない。エレナの記憶も恵玲奈の記憶も曖昧で、エレナの王太子殿下に対する一方的な恋心だけしか手がかりがない。 王太子殿下の発表されていない婚約者って、やっぱり悪役令嬢だから殿下の婚約者として正式に発表されてないの? このまま婚約者の座に固執して、断罪されたりしたらどうしよう! 『婚約者から妹としか思われてないと思い込んで悪役令嬢になる前に身をひこうとしている侯爵令嬢(転生者)』と『婚約者から兄としか思われていないと思い込んで自制している王太子様』の勘違いからすれ違いしたり、謀略に巻き込まれてすれ違いしたりする物語です。 長編ですが、一話一話はさっくり読めるように短めです。 『小説家になろう』『カクヨム』にも投稿しています。

自称悪役令嬢は嫌われるべく暗躍する!皆の幸福の為に嫌われるはずが、何故か愛されてしまいました。

ユウ
恋愛
侯爵令嬢のレティシアは婚約者との顔合わせの日、前世の記憶を取り戻す。 乙女ゲームの王道的悪役ヒロインの立ち位置にいる事に。 このままでは多くの人が悲しむ結果になる。 ならば家を存続させ一人で罪を被って国外追放なろう!と思いきや。 貴族令嬢としては色々ぶっ飛び過ぎてポンコツ令嬢のレティシアに悪女は厳しかった。 間違った悪役令嬢を演じる末に嫌われるはずの婚約者に愛されてしまう中真のヒロインが学園に現れるのだが… 「貴女悪役令嬢の癖にどういう事よ!ちゃんと役目を果しなさいよ」 「えっと…なんかごめんなさい」 ポンコツ令嬢はうっかりヒロインに頭を下げてしまって事態は急変してしまう。

処理中です...