虜囚の王女は言葉が通じぬ元敵国の騎士団長に嫁ぐ

あねもね

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第33話 拳を固く作る

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「つまり初夜!? 初夜を迎えた!? とうとう初夜っちゃった!?」
「……アルフォンス。公爵位を剥奪していいから、一度だけ殴らせてくれるか?」

 仕事机から立ち上がってはしゃぐアルフォンスを前に、私は手を強く握り込んだ。

「嫌だよ! 一発だけで公爵位剥奪って、どんだけ重い一発だよ。華奢な僕は吹っ飛んで死ぬよ。君は簒奪者になりたいの?」
「王座を奪いたいわけじゃない。ただひたすら純粋な気持ちでお前を殴りたいだけだ」
「純粋の方向性が間違っているよ」

 やれやれと言いながら彼はいつもの定位置に身を沈める。

「だけどクリスタル王女を寝室に連れ込んだのは間違いないんだよね?」
「言葉を選べ。彼女とは言葉が通じないから私が連れて行っただけだ」
「一緒じゃん」
「一緒じゃない。私の寝室から彼女の寝室へ繋がる扉があるから、そちらへ誘導しただけだ。隣の部屋とは言え、夜中に廊下を歩かせて帰すわけにはいかないからな」

 別れ際、つい彼女の額に夜の挨拶を落としてしまったことだけは、この男に伝えてはならない。

「なんだ。つまらない」
「勝手に何かを期待して勝手に失望して、つまらない言うな」

 興味を失ったように目を細めるアルフォンスを見ながら、私は足と腕を組んで不遜にソファーへ身を任せた。

「まあ、いいや。ちょっとだけ楽しませてくれた代わりに、これまでの調査で分かった王女に関連する情報を提供しようか」
「彼女の?」

 私はその言葉に身を起こすと、彼はくすりと笑った。

「うん。まず今の段階では彼女自身についてはまだ詳しいことは分からないんだけど、グランテーレ国の歴史については少々面白いことが分かった」
「グランテーレ国の歴史?」
「そう。あの国はその昔、王室の権威を揺るがすような反乱が起こったそうなんだ」

 先頭に立った男は王族の一人。彼は頻繁に街へ下りて視察したり、地方へも足を延ばしたりと、身分にとらわれず人々と親しげに交流していたため民から慕われる人物だった。
 真面目で誠実な人物でもあった彼はそこで重税で苦しむ民の現状を知り、税の見直しを何度も提起したり、灌漑農業促進のために動いていたと言われる。しかし既得権益を維持したい王族と貴族の大多数からその案が棄却されることは、常習化していた。

「その年はひどい干ばつにもかかわらず、重税を課して民の暮らしがさらに悪化していた時だったらしい」

 民の怒りが一気に爆発し、彼らは手に鍬を持ち、鎌を持ち、熊手を持って立ち上がった。しかしその刃を人になど向けたこともない、戦いの経験もない、戦略も学んだことがない、それどころかその民衆をまとめることができる見識と指導力さえない人間の集まりだった。このままでは、民はとてつもないほどの甚大な被害を受けることになるだろう。そう悟った男は民衆の先頭に立つことを決めた。

「その先頭に立った男が、クリストフ・グランテーレ。第二王子だったそうだよ。しかし結局のところ、戦闘経験などない素人の集まりだ。革命にも満たない反乱として瞬く間に鎮められたけど、王族が反乱者になったわけだから、王室の権威を傷つけたのは間違いない。王室としては隠したい恥じるべき事案となる。しかし王族の血を引くその男の血を流すわけにはいかず、処刑にはできなかった。だから代わりに生涯幽閉されていたとされる。その彼の特徴と言えるものが」

 彼は二本指を当てて自分の目を指す。

「バイアイ。そう。クリスタル王女の瞳の色と同じ、右目が琥珀色、左目が青色の瞳」

 彼の話に思わず肌が粟立つ。

「民衆は今でも、民衆のために立ち上がった英雄としてクリストフ・グランテーレの話を語り継いでいるそうだよ。密やかに、けれど脈々とね。――さて、ここでクリスタル王女の話に戻ろうか。なぜか公の場に一切顔を出さない第一王女は、その昔の反乱者と同じ瞳を持つ者だった。……どう? これは偶然かな?」
「つまり彼女は人目に触れないように隠されて生きてきたと?」

 そういえば彼女が初めてやって来た日は、深い紺色のベールを私への挨拶直前まで被っていた。

「おそらくは。どの程度の隠され方だったのかまでは分からないけど、少なくとも家臣や民衆からは隠されていたんだろう。王族の恥であるクリストフを象徴する同じ瞳を持つ王女なんだから。また、誰かがクリスタル王女を彼に見立てて担ぎだし、第二、第三のクリストフが現れるのを恐れていたのかもしれない。今も昔もあの国は自分の利益のためには誰かを犠牲にする国だからね」

 クリストフと似通った名を王女に付けたのも皮肉だったのかもねと、アルフォンスは嫌悪のため息をつく。

「王族の中で彼女が蔑ろにされるような扱いを受けていたということは」
「可能性はあるね。少なくとも王宮内を大手振って歩ける立場ではなかっただろうと思う。別邸か――」

 そこで彼は顎に手をやって眉をひそめた。

「そうだ。あるいは、クリストフが生涯幽閉されていたという塔で生活させられていたかもしれない。この辺りははっきりしないから、もう少し調査を続けさせるよ」
「ああ。ありがとう。しかし、だとしたら彼女がどこか世間慣れしていないのも、公用語を学ばなかったのも――いや。学ばせる必要がなくて彼女に教育しなかったのも、当然だったというわけだな」

 自分の国のことを、世界のことを何も知らずに生きてきた。何も知らされずに生きてきたのかもしれない。そんな彼女の側には信頼できる誰かが、心を許せる誰かが一人でもいたのだろうか。

「だね。言葉は悪いけど、グランテーレ国からしたら、そんな事情を知らないサンティルノ国へ王女を追いやることができて、厄介払いができたと思ったんじゃないかな。使命だけ彼女に背負わせてさ」
「――っ」
「それなら僕に愛妾でいいからと粘ってきたのも分かるよ。愛妾なら民に顔見せさせる必要はないからね」

 場を和ませるかのようにアルフォンスはふと笑った。

「レイヴァン、さっきの続きでその拳を僕にぶつけないでよ?」
「……悪い」

 我知らず手を強く握りしめていたようだ。私は息を吐いて拳を解く。

「そういえば馬車で来た時に侍女が乗っていた気がするが」
「だとしたら、おそらく口封じされただろうね。……まあ、王女がどういった扱いを受けていたのかは、彼女自身に聞くのが一番なんだけどさ」
「それは、少なくとも今は避けたい」

 彼女の傷をさらに深く抉ることかもしれない。

「そうだね。今は君ができる最善のことをやってあげて」
「最善のこととは?」
「うーん。そうだなあ。――あ」

 視線を上げて考えていた彼はぱっと明るい表情になり、顔を私に戻す。
 ただただ嫌な予感しかしない。

「もっと食事を取らせて、初夜を迎えることとか!」

 私はもう一度固く拳を作る羽目となった。
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