29 / 42
第29話 絵空事
しおりを挟む
シメオン様は腕を組んで細めた目で私を見た。
「あれほど薬師の矜持を泣いて訴えただろう」
「私に弟がいるからでしょうか。あどけなさが残る子供たちを見ると、私が守らなきゃって、庇護欲が湧くのです。ですが、薬師としての矜持を売り渡したわけでも捨てたわけでもありませんよ。今は少々、家出しているだけです。そのうち帰ってきます」
「お腹が空いたら帰ってくる思春期の子どもみたいに言うな……」
「それよりも旦那様。私は確かに訴えはしましたが、泣いて訴えはしませんでしたよ」
そう言うとシメオン様は一瞬目を見開いたけれど、すぐに目を伏せた。
「だが泣いたのは事実だろう」
「もしかして泣き声が外まで聞こえましたか?」
シメオン様は答えないけれど、きっと聞こえていたのだろう。だから翌朝、私の顔を見なかったのだと思う。
「私をあなたの一族に引き込んだことを……後悔していますか?」
聞いてみたかったことを尋ねると、シメオン様は視線を上げて私を真っ直ぐ見つめてきた。
「後悔していない。……いや。後悔することは止めることにした。そうでなければ巻き込まれた君があまりにもやりきれないだろう」
初めは、嘘でもいいから後悔していると言ってほしいと考えていた。けれどシメオン様のこの答えこそが、傷ついた心をほんの少しだけ癒やす唯一の言葉だったようにも思えた。
ただ、少し希望を言うのならば、もっと不遜な態度で後悔していないと言い切ってくれたらよかったのにとは思う。
「切羽詰まっていたとは言え、君こそ後悔しているのではないか?」
「私が後悔したのは、妻としてアランブール伯爵家にやって来たその夜だけです。その一夜も途中で気持ちを切り替えました」
私はメイリーンさんの言葉が力になったことを伝える。
「君は強いな。そんな言葉をかけられたとしても、それをすぐに自分の力に変えられるのは素直にすごいと思う」
「いいえ。私は強くないから強くあろうと虚勢を張るのです。手を強く握って歯を食いしばって。けれど虚勢も張り続ければいつか本物になります。本物になると信じて私はこれからも虚勢を張り続けます」
「……そうか」
「そしていつか旦那様に」
私はシメオン様にびしりと人差し指を突きつけた。
「いつの日にか、シメオン様を自分の足元に跪かせて、私が欲しいと愛を乞わせてやります!」
私の宣言に目を丸くしたシメオン様だったが、一拍後、噴き出した。
メイリーンさんの名言をそのまま引用してしまったけれど、愛を乞わせては大きく出すぎたかもしれない。
「ちょ、ちょっと笑いすぎですよ!」
噴き出してから笑いが止まらないシメオン様に、段々頬が熱くなってくる。自分だって言いすぎたと思っている。
「悪い悪い」
全然悪く思っていない様子で謝罪し、シメオン様は何とか笑いを収めることに成功した。いや。不敵な笑みを浮かべている。
「お望みなら、あなたが欲しいと愛を乞いながら跪くぐらいいつでもしてやるが?」
「結構です!」
私が熱くなった頬を膨らませると、シメオン様は目を細め、今度はふっと小さく笑った。
「ところで」
私は一つ咳払いして、話題を変える。
「ところで話を戻しますが、何人もの部下を抱えるアランブール伯爵の立場であっても、こういった国や王家を揺るがすような大きな出来事ではなくても、ご本人が調査に回るのですね」
「いや。むしろこういったところから王家と私腹を肥やす貴族の間で綻びが生じ始めたりするものだ。それが芽吹く前に刈り取るのが私たちの仕事だ。それに、次期アルナルディ侯爵になるための試験は始まっていると以前にも言ったと思うが、数をこなすことも評価の一つとなる」
もちろん大きな仕事をこなすと評価は一気に上がるのだろうけれど、こういった小さなものでも不穏な出来事をつぶしていくことが評価に繋がるということなのか。
「ただし実際のところ、標的と直接交渉したり、尋問したりするのは部下だ」
なるほど。確かに高位貴族であるアランブール伯爵、引いてはアルナルディ侯爵家一族の裏の仕事を知られるわけにはいかないだろう。それにいざという時に蜥蜴の。
「尻尾切りもできるものね。さすが冷酷非情な密偵集団」
「……声に出ているぞ」
「あら? ですが、ロドリグ・ダルトンさんの時は旦那様が直接お話しされましたよね」
「ああ。下級の貴族や部下では対応できない場合は私が動く。例えば今回のような多額の寄付で標的に接触する場合や、前回のように招待状が送られて来ないと入れない場所に潜入する場合とかな」
ロドリグ・ダルトンさんの時は仮面舞踏会だったから、部下に招待状さえ渡しておけばシメオン様ではなくても問題なかったのかもしれない。けれど私が同行すると言い出したから、シメオン様が急遽対応することになったのかもしれない。
「すべての密偵を統括するアルナルディ侯爵の地位にまで上り詰めれば、自身は小回りせず、指令を出すだけになるだろうが」
「旦那様はすべての密偵を統括する長になりたいのですか?」
「……実現させたいことがある。アルナルディ侯爵の地位を得るのはあくまでもその手段に過ぎない」
「実現させたいものとは何ですか」
シメオン様は私を貫き通すような目で見つめ、そして小さく笑った。
「今は絵空事過ぎて口に出すことさえ躊躇われる。いずれ話せる時が来たら話そう」
「もしかして、ワイン片手にアームチェアの背に身を任せてゆったりと座り、指先一つで部下に命令を出す立場になりたいとかですか?」
「……君はどういう目で私を見ているんだ」
軽蔑の目を向けた私に、呆れたような目を返したシメオン様だった。
「あれほど薬師の矜持を泣いて訴えただろう」
「私に弟がいるからでしょうか。あどけなさが残る子供たちを見ると、私が守らなきゃって、庇護欲が湧くのです。ですが、薬師としての矜持を売り渡したわけでも捨てたわけでもありませんよ。今は少々、家出しているだけです。そのうち帰ってきます」
「お腹が空いたら帰ってくる思春期の子どもみたいに言うな……」
「それよりも旦那様。私は確かに訴えはしましたが、泣いて訴えはしませんでしたよ」
そう言うとシメオン様は一瞬目を見開いたけれど、すぐに目を伏せた。
「だが泣いたのは事実だろう」
「もしかして泣き声が外まで聞こえましたか?」
シメオン様は答えないけれど、きっと聞こえていたのだろう。だから翌朝、私の顔を見なかったのだと思う。
「私をあなたの一族に引き込んだことを……後悔していますか?」
聞いてみたかったことを尋ねると、シメオン様は視線を上げて私を真っ直ぐ見つめてきた。
「後悔していない。……いや。後悔することは止めることにした。そうでなければ巻き込まれた君があまりにもやりきれないだろう」
初めは、嘘でもいいから後悔していると言ってほしいと考えていた。けれどシメオン様のこの答えこそが、傷ついた心をほんの少しだけ癒やす唯一の言葉だったようにも思えた。
ただ、少し希望を言うのならば、もっと不遜な態度で後悔していないと言い切ってくれたらよかったのにとは思う。
「切羽詰まっていたとは言え、君こそ後悔しているのではないか?」
「私が後悔したのは、妻としてアランブール伯爵家にやって来たその夜だけです。その一夜も途中で気持ちを切り替えました」
私はメイリーンさんの言葉が力になったことを伝える。
「君は強いな。そんな言葉をかけられたとしても、それをすぐに自分の力に変えられるのは素直にすごいと思う」
「いいえ。私は強くないから強くあろうと虚勢を張るのです。手を強く握って歯を食いしばって。けれど虚勢も張り続ければいつか本物になります。本物になると信じて私はこれからも虚勢を張り続けます」
「……そうか」
「そしていつか旦那様に」
私はシメオン様にびしりと人差し指を突きつけた。
「いつの日にか、シメオン様を自分の足元に跪かせて、私が欲しいと愛を乞わせてやります!」
私の宣言に目を丸くしたシメオン様だったが、一拍後、噴き出した。
メイリーンさんの名言をそのまま引用してしまったけれど、愛を乞わせては大きく出すぎたかもしれない。
「ちょ、ちょっと笑いすぎですよ!」
噴き出してから笑いが止まらないシメオン様に、段々頬が熱くなってくる。自分だって言いすぎたと思っている。
「悪い悪い」
全然悪く思っていない様子で謝罪し、シメオン様は何とか笑いを収めることに成功した。いや。不敵な笑みを浮かべている。
「お望みなら、あなたが欲しいと愛を乞いながら跪くぐらいいつでもしてやるが?」
「結構です!」
私が熱くなった頬を膨らませると、シメオン様は目を細め、今度はふっと小さく笑った。
「ところで」
私は一つ咳払いして、話題を変える。
「ところで話を戻しますが、何人もの部下を抱えるアランブール伯爵の立場であっても、こういった国や王家を揺るがすような大きな出来事ではなくても、ご本人が調査に回るのですね」
「いや。むしろこういったところから王家と私腹を肥やす貴族の間で綻びが生じ始めたりするものだ。それが芽吹く前に刈り取るのが私たちの仕事だ。それに、次期アルナルディ侯爵になるための試験は始まっていると以前にも言ったと思うが、数をこなすことも評価の一つとなる」
もちろん大きな仕事をこなすと評価は一気に上がるのだろうけれど、こういった小さなものでも不穏な出来事をつぶしていくことが評価に繋がるということなのか。
「ただし実際のところ、標的と直接交渉したり、尋問したりするのは部下だ」
なるほど。確かに高位貴族であるアランブール伯爵、引いてはアルナルディ侯爵家一族の裏の仕事を知られるわけにはいかないだろう。それにいざという時に蜥蜴の。
「尻尾切りもできるものね。さすが冷酷非情な密偵集団」
「……声に出ているぞ」
「あら? ですが、ロドリグ・ダルトンさんの時は旦那様が直接お話しされましたよね」
「ああ。下級の貴族や部下では対応できない場合は私が動く。例えば今回のような多額の寄付で標的に接触する場合や、前回のように招待状が送られて来ないと入れない場所に潜入する場合とかな」
ロドリグ・ダルトンさんの時は仮面舞踏会だったから、部下に招待状さえ渡しておけばシメオン様ではなくても問題なかったのかもしれない。けれど私が同行すると言い出したから、シメオン様が急遽対応することになったのかもしれない。
「すべての密偵を統括するアルナルディ侯爵の地位にまで上り詰めれば、自身は小回りせず、指令を出すだけになるだろうが」
「旦那様はすべての密偵を統括する長になりたいのですか?」
「……実現させたいことがある。アルナルディ侯爵の地位を得るのはあくまでもその手段に過ぎない」
「実現させたいものとは何ですか」
シメオン様は私を貫き通すような目で見つめ、そして小さく笑った。
「今は絵空事過ぎて口に出すことさえ躊躇われる。いずれ話せる時が来たら話そう」
「もしかして、ワイン片手にアームチェアの背に身を任せてゆったりと座り、指先一つで部下に命令を出す立場になりたいとかですか?」
「……君はどういう目で私を見ているんだ」
軽蔑の目を向けた私に、呆れたような目を返したシメオン様だった。
14
あなたにおすすめの小説
編み物好き地味令嬢はお荷物として幼女化されましたが、えっ?これ魔法陣なんですか?
灯息めてら
恋愛
編み物しか芸がないと言われた地味令嬢ニニィアネは、家族から冷遇された挙句、幼女化されて魔族の公爵に売り飛ばされてしまう。
しかし、彼女の編み物が複雑な魔法陣だと発見した公爵によって、ニニィアネの生活は一変する。しかもなんだか……溺愛されてる!?
キズモノ転生令嬢は趣味を活かして幸せともふもふを手に入れる
藤 ゆみ子
恋愛
セレーナ・カーソンは前世、心臓が弱く手術と入退院を繰り返していた。
将来は好きな人と結婚して幸せな家庭を築きたい。そんな夢を持っていたが、胸元に大きな手術痕のある自分には無理だと諦めていた。
入院中、暇潰しのために始めた刺繍が唯一の楽しみだったが、その後十八歳で亡くなってしまう。
セレーナが八歳で前世の記憶を思い出したのは、前世と同じように胸元に大きな傷ができたときだった。
家族から虐げられ、キズモノになり、全てを諦めかけていたが、十八歳を過ぎた時家を出ることを決意する。
得意な裁縫を活かし、仕事をみつけるが、そこは秘密を抱えたもふもふたちの住みかだった。
狂おしいほど愛しています、なのでよそへと嫁ぐことに致します
ちより
恋愛
侯爵令嬢のカレンは分別のあるレディだ。頭の中では初恋のエル様のことでいっぱいになりながらも、一切そんな素振りは見せない徹底ぶりだ。
愛するエル様、神々しくも真面目で思いやりあふれるエル様、その残り香だけで胸いっぱいですわ。
頭の中は常にエル様一筋のカレンだが、家同士が決めた結婚で、公爵家に嫁ぐことになる。愛のない形だけの結婚と思っているのは自分だけで、実は誰よりも公爵様から愛されていることに気づかない。
公爵様からの溺愛に、不器用な恋心が反応したら大変で……両思いに慣れません。
オッドアイの伯爵令嬢、姉の代わりに嫁ぐことになる~私の結婚相手は、青血閣下と言われている恐ろしい公爵様。でも実は、とっても優しいお方でした~
夏芽空
恋愛
両親から虐げられている伯爵令嬢のアリシア。
ある日、父から契約結婚をしろと言い渡される。
嫁ぎ先は、病死してしまった姉が嫁ぐ予定の公爵家だった。
早い話が、姉の代わりに嫁いでこい、とそういうことだ。
結婚相手のルシルは、人格に難があるともっぱらの噂。
他人に対してどこまでも厳しく、これまでに心を壊された人間が大勢いるとか。
赤い血が通っているとは思えない冷酷非道なその所業から、青血閣下、という悪名がついている。
そんな恐ろしい相手と契約結婚することになってしまったアリシア。
でも実際の彼は、聞いていた噂とは全然違う優しい人物だった。
うちの王族が詰んでると思うので、婚約を解消するか、白い結婚。そうじゃなければ、愛人を認めてくれるかしら?
月白ヤトヒコ
恋愛
「婚約を解消するか、白い結婚。そうじゃなければ、愛人を認めてくれるかしら?」
わたしは、婚約者にそう切り出した。
「どうして、と聞いても?」
「……うちの王族って、詰んでると思うのよねぇ」
わたしは、重い口を開いた。
愛だけでは、どうにもならない問題があるの。お願いだから、わかってちょうだい。
設定はふわっと。
離婚が決まった日に惚れ薬を飲んでしまった旦那様
しあ
恋愛
片想いしていた彼と結婚をして幸せになれると思っていたけど、旦那様は女性嫌いで私とも話そうとしない。
会うのはパーティーに参加する時くらい。
そんな日々が3年続き、この生活に耐えられなくなって離婚を切り出す。そうすれば、考える素振りすらせず離婚届にサインをされる。
悲しくて泣きそうになったその日の夜、旦那に珍しく部屋に呼ばれる。
お茶をしようと言われ、無言の時間を過ごしていると、旦那様が急に倒れられる。
目を覚ませば私の事を愛していると言ってきてーーー。
旦那様は一体どうなってしまったの?
「地味で無能」と捨てられた令嬢は、冷酷な【年上イケオジ公爵】に嫁ぎました〜今更私の価値に気づいた元王太子が後悔で顔面蒼白になっても今更遅い
腐ったバナナ
恋愛
伯爵令嬢クラウディアは、婚約者のアルバート王太子と妹リリアンに「地味で無能」と断罪され、公衆の面前で婚約破棄される。
お飾りの厄介払いとして押し付けられた嫁ぎ先は、「氷壁公爵」と恐れられる年上の冷酷な辺境伯アレクシス・グレイヴナー公爵だった。
当初は冷徹だった公爵は、クラウディアの才能と、過去の傷を癒やす温もりに触れ、その愛を「二度と失わない」と固く誓う。
彼の愛は、包容力と同時に、狂気的な独占欲を伴った「大人の愛」へと昇華していく。
婚活をがんばる枯葉令嬢は薔薇狼の執着にきづかない~なんで溺愛されてるの!?~
白井
恋愛
「我が伯爵家に貴様は相応しくない! 婚約は解消させてもらう」
枯葉のような地味な容姿が原因で家族から疎まれ、婚約者を姉に奪われたステラ。
土下座を強要され自分が悪いと納得しようとしたその時、謎の美形が跪いて手に口づけをする。
「美しき我が光……。やっと、お会いできましたね」
あなた誰!?
やたら綺麗な怪しい男から逃げようとするが、彼の執着は枯葉令嬢ステラの想像以上だった!
虐げられていた令嬢が男の正体を知り、幸せになる話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる