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第36話 鶴の一声
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アルナルディ侯爵の問いかけで皆の視線が一斉に集中する。
「エリーゼ。私が」
「大丈夫です」
横のシメオン様が、気遣って膝の上にある私の手に自分の手を重ねてくれた。私は笑顔と共に握り返す。
せっかく侯爵から賜ったお時間だ。言いたいことを言わせていただこう。
「それでは恐れながら申し上げます」
私は頷いてシメオン様の手を離し、一度だけ深呼吸して呼吸を整えると立ち上がり、真っ直ぐにアルナルディ侯爵を見つめた。
「まず、アルナルディ侯爵。あなた様は歩行時や階段の昇降時、つまり体を動かしている時にですが、息切れすることはありませんか。長く続く咳や痰の症状はありませんか」
「…………は?」
目を丸くするアルナルディ侯爵を放置し、私はユジン様に視線を移す。
「次にユジン様。最近、全身倦怠感や食欲不振、体のかゆみはありませんか。手足の痺れ、無気力状態などはありませんか」
「な、何を言っている」
戸惑っているユジン様の問いには答えず、さらにバロン様に視線を移した。
バロン様は、自分は一体何を言われるのだろうという警戒態勢になっていて、少しおかしかった。
「バロン様、あなた様は最近、高熱が出たことはありませんか。関節の激しい痛みを感じたことはありませんか? 足の指に痛みは?」
「な、なぜそれを――」
私はまたバロン様の言葉も構わず、彼から視線を外すと話を続ける。
「僭越ながら、先ほどから皆様の健康状態を観察させていただいておりました。どうやら皆様それぞれ、健康にお悩みを抱えていらっしゃるようですね。それらは皆、日々の生活習慣に原因があります。大変なお仕事を抱え、精神的負担はとても大きいことでしょう。どこかで解消したいお気持ちは十分に理解できます。ですが」
私はアルナルディ侯爵にびしりと人差し指を突きつけた。
「煙草は百害あって一利なし!」
反射的に手で煙草と灰皿を隠して、ぐっと唇を引き締めるアルナルディ侯爵続き、ユジン様やバロン様にも指を突きつける。
「暴飲暴食もまた然り! 今の生活習慣をそのまま続けていますと、遠くない未来、まず間違いなく皆様方」
私はバロン様を見、ユジン様を見、そして最後にアルナルディ侯爵を細めた目で見ながら言った。
「――死にますよ」
私の言葉を最後にしんと静まり返る。
しかし、真っ先に我に返ったユスティーナ様が声を上げた。
「あ、あなた、何と無れ」
「最後にユスティーナ様!」
ユスティーナ様の言葉を遮りながら、顔を引きつらせる彼女を見た。
「わ、わたくしが何よ」
「あなた様はコルセットを強く締め、胸を盛って腰を細く補正されておられますが、強く体を締め付けるコルセットは骨を変形させ、内臓をも損傷させるものです。特にここ」
私はお腹に手を当てる。
「そう。骨盤臓器です。出産に関わる臓器に影響を与え、出生異常、果てには流産の原因となるものです。それはアルナルディ侯爵家の血を継いで行こうとする者として果たして正しい姿でしょうか。答えは単純明快――否! 己の身も守れず、一族の未来を語ろうなど笑止千万。まずはその意識を正していらっしゃい!」
ユスティーナ様にも人差し指を突きつけると、彼女もまたぐっと息を呑んで顔を赤らめた。
再び、部屋に静寂が戻るかと思われたその時。
「ふっ」
唇で吹く空気が抜けるような音が一つ響く。そして。
「ふふっ。ふふふ。ほほほほほっ!」
続いて高らかな女性の声が上がった。シメオン様のお母様、エレノア様の笑い声だ。
それは予想外で、私はびくりと肩が跳ね上がってしまう。困惑してシメオン様を見ると、口元に拳を作って笑いを必死にこらえている彼の姿があった。
「エレノア……」
アルナルディ侯爵がエレノア様を弱々しくもたしなめる声をかけた。
「ふふっ。ふふっ。失礼いたしました。けれどエリーゼさんがあまりにも正論を突きつけるものですから、おかしくなりまして。まさにおっしゃる通りだわ。自分の体の管理もまともにできぬ者たちから聞かされる、一族の存亡をかけるお話など何の説得力がありましょうか。わたくしも彼女同様、あなた方のお話に耳を傾ける気には到底なれませんわね」
エレノア様は笑みを唇に残したまま、私に手のひらを向ける。
「さあ、エリーゼさん。まずはどうぞお座りになって」
「は、はい」
促されて正気に戻った私は、まるで小動物になった気分で慌てて席に着く。ちらりとシメオン様に視線を向けると、まだ笑いを押さえ切れていない様子が見えた。
エレノア様は、私がシメオン様の手の甲をつねりつつ気持ちを落ち着けたところを見計らうと話を再開する。
「ではお話に戻りましょう。皆様が懸念されることはもちろん理解できますわ。夫を支えるべき妻が守られる立場では困る。そう思われるのでしょう。けれどね、男性方――いいえ、女性もね。勘違いしないでいただきたいわ。夫を支えるということは、妻が夫を守っているということでもあるのですよ。ならば夫もまた妻を支え、守る役割を果たすべきです。互いが歩み寄り、信頼関係を築かなければ家庭は破綻しますわ。それは密偵の家系だとしても同じこと。足りぬところがあると言うのならば、補い合わなければなりません。それが夫婦としてあるべき姿です」
互いが歩み寄り、足りないところを補う関係。それが夫婦としてあるべき姿。
私は頭の中でエレノア様の言葉を復唱する。
「わたくしどももかつては通って来た道。彼らは今、その道を一歩踏み出そうとしているのです。先人として静かに見守りながら導いてあげることはできませんか」
エレノア様の言葉に誰も異論を上げようとはしない。上げることはできない。
やがてアルナルディ侯爵はふっと笑った。
「エレノアの言う通りだな。私たちは妻に支えられ、守られている立場であることを決して忘れてはならない。同時に私たちも妻を支え、守る役割を果たさなければならない」
「確かにそうだな。いや。妻にできて、夫にできないことほど不甲斐ないものはない。我々にだってできるに決まっている」
「だが帰ったら……妻にまず礼を言うかな」
ユジン様は苦笑いした後、ごほんと咳払いし、バロン様は少し照れくさそうに頭を掻いた。
「エリーゼ。私が」
「大丈夫です」
横のシメオン様が、気遣って膝の上にある私の手に自分の手を重ねてくれた。私は笑顔と共に握り返す。
せっかく侯爵から賜ったお時間だ。言いたいことを言わせていただこう。
「それでは恐れながら申し上げます」
私は頷いてシメオン様の手を離し、一度だけ深呼吸して呼吸を整えると立ち上がり、真っ直ぐにアルナルディ侯爵を見つめた。
「まず、アルナルディ侯爵。あなた様は歩行時や階段の昇降時、つまり体を動かしている時にですが、息切れすることはありませんか。長く続く咳や痰の症状はありませんか」
「…………は?」
目を丸くするアルナルディ侯爵を放置し、私はユジン様に視線を移す。
「次にユジン様。最近、全身倦怠感や食欲不振、体のかゆみはありませんか。手足の痺れ、無気力状態などはありませんか」
「な、何を言っている」
戸惑っているユジン様の問いには答えず、さらにバロン様に視線を移した。
バロン様は、自分は一体何を言われるのだろうという警戒態勢になっていて、少しおかしかった。
「バロン様、あなた様は最近、高熱が出たことはありませんか。関節の激しい痛みを感じたことはありませんか? 足の指に痛みは?」
「な、なぜそれを――」
私はまたバロン様の言葉も構わず、彼から視線を外すと話を続ける。
「僭越ながら、先ほどから皆様の健康状態を観察させていただいておりました。どうやら皆様それぞれ、健康にお悩みを抱えていらっしゃるようですね。それらは皆、日々の生活習慣に原因があります。大変なお仕事を抱え、精神的負担はとても大きいことでしょう。どこかで解消したいお気持ちは十分に理解できます。ですが」
私はアルナルディ侯爵にびしりと人差し指を突きつけた。
「煙草は百害あって一利なし!」
反射的に手で煙草と灰皿を隠して、ぐっと唇を引き締めるアルナルディ侯爵続き、ユジン様やバロン様にも指を突きつける。
「暴飲暴食もまた然り! 今の生活習慣をそのまま続けていますと、遠くない未来、まず間違いなく皆様方」
私はバロン様を見、ユジン様を見、そして最後にアルナルディ侯爵を細めた目で見ながら言った。
「――死にますよ」
私の言葉を最後にしんと静まり返る。
しかし、真っ先に我に返ったユスティーナ様が声を上げた。
「あ、あなた、何と無れ」
「最後にユスティーナ様!」
ユスティーナ様の言葉を遮りながら、顔を引きつらせる彼女を見た。
「わ、わたくしが何よ」
「あなた様はコルセットを強く締め、胸を盛って腰を細く補正されておられますが、強く体を締め付けるコルセットは骨を変形させ、内臓をも損傷させるものです。特にここ」
私はお腹に手を当てる。
「そう。骨盤臓器です。出産に関わる臓器に影響を与え、出生異常、果てには流産の原因となるものです。それはアルナルディ侯爵家の血を継いで行こうとする者として果たして正しい姿でしょうか。答えは単純明快――否! 己の身も守れず、一族の未来を語ろうなど笑止千万。まずはその意識を正していらっしゃい!」
ユスティーナ様にも人差し指を突きつけると、彼女もまたぐっと息を呑んで顔を赤らめた。
再び、部屋に静寂が戻るかと思われたその時。
「ふっ」
唇で吹く空気が抜けるような音が一つ響く。そして。
「ふふっ。ふふふ。ほほほほほっ!」
続いて高らかな女性の声が上がった。シメオン様のお母様、エレノア様の笑い声だ。
それは予想外で、私はびくりと肩が跳ね上がってしまう。困惑してシメオン様を見ると、口元に拳を作って笑いを必死にこらえている彼の姿があった。
「エレノア……」
アルナルディ侯爵がエレノア様を弱々しくもたしなめる声をかけた。
「ふふっ。ふふっ。失礼いたしました。けれどエリーゼさんがあまりにも正論を突きつけるものですから、おかしくなりまして。まさにおっしゃる通りだわ。自分の体の管理もまともにできぬ者たちから聞かされる、一族の存亡をかけるお話など何の説得力がありましょうか。わたくしも彼女同様、あなた方のお話に耳を傾ける気には到底なれませんわね」
エレノア様は笑みを唇に残したまま、私に手のひらを向ける。
「さあ、エリーゼさん。まずはどうぞお座りになって」
「は、はい」
促されて正気に戻った私は、まるで小動物になった気分で慌てて席に着く。ちらりとシメオン様に視線を向けると、まだ笑いを押さえ切れていない様子が見えた。
エレノア様は、私がシメオン様の手の甲をつねりつつ気持ちを落ち着けたところを見計らうと話を再開する。
「ではお話に戻りましょう。皆様が懸念されることはもちろん理解できますわ。夫を支えるべき妻が守られる立場では困る。そう思われるのでしょう。けれどね、男性方――いいえ、女性もね。勘違いしないでいただきたいわ。夫を支えるということは、妻が夫を守っているということでもあるのですよ。ならば夫もまた妻を支え、守る役割を果たすべきです。互いが歩み寄り、信頼関係を築かなければ家庭は破綻しますわ。それは密偵の家系だとしても同じこと。足りぬところがあると言うのならば、補い合わなければなりません。それが夫婦としてあるべき姿です」
互いが歩み寄り、足りないところを補う関係。それが夫婦としてあるべき姿。
私は頭の中でエレノア様の言葉を復唱する。
「わたくしどももかつては通って来た道。彼らは今、その道を一歩踏み出そうとしているのです。先人として静かに見守りながら導いてあげることはできませんか」
エレノア様の言葉に誰も異論を上げようとはしない。上げることはできない。
やがてアルナルディ侯爵はふっと笑った。
「エレノアの言う通りだな。私たちは妻に支えられ、守られている立場であることを決して忘れてはならない。同時に私たちも妻を支え、守る役割を果たさなければならない」
「確かにそうだな。いや。妻にできて、夫にできないことほど不甲斐ないものはない。我々にだってできるに決まっている」
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