婚約破棄のススメ

里見知美

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プロローグ:崩壊の序曲

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「テディ、アタシたちの愛は真実よ」

「ああ、ミラ。何者にも邪魔はさせないさ」

 ここはバッハルト公国、国立学園の中庭。
 昼下がりの石畳の上で、今年入学したばかりの公国の公子《プリンス》――エドワード・バッハルトが、一人の少女を抱き寄せていた。

 いや、抱き寄せている、という表現では生ぬるい。女を膝の上に跨らせ、額に口づけ、指を絡め、周囲の視線など一切気にせず、まるで二人だけの世界にいるかのように笑い合っている。

「オリヴィエ。あれは何だ?」

 隣にいた私の婚約者、オリヴィエにそう尋ねると、彼女は眼鏡の奥で一度だけ瞬きをした。

「いちゃついているのだと思います」
「それは見れば分かるよ。問題は、なぜ公子が衆目の前でそれをしているのか、だ」

 ここは学園だ。
 貴族子弟が集い、将来の政を学ぶ場である。恋愛が禁じられているわけではないが、少なくとも節度というものがある。

 オリヴィエは少し考えるように顎に指を当て、それから淡々と答えた。

「ああ、今流行りの“真実の愛”だそうです」
「……真実の、愛?」

 思わず鸚鵡返しになる。

 エドワードは、今年入学してきた公国の長男――つまり、次期公爵だ。相手の少女は、見たところ平民。平民に自分の名を愛称で呼ばせ、体を引き寄せ合う。制服のはずなのに何かいかがわしく見えるのは気のせいか。

「入学式で出会い、運命を感じたそうですよ」
「相手は平民か?出会ってからって、まだ三ヶ月も経っていないだろう」
「ええ。お相手は商人の娘であるミラという方だそうです」

 短い沈黙。

 その間にも、二人は鼻をくっつけあい、楽しそうに笑い合っていた。

 ……理解できない。

 恋をしたことがないから、という理由もあるだろう。

 私は帝国第三皇子として生まれたが、特別優れてもいなければ、致命的に劣ってもいない。まあ、ちょうどいい凡庸さのおかげで、期待も失望もされずここまで来た。公国に留学をして2年と少し。今年が最後の年で、あとは帝国に戻ってオリヴィエとの結婚が待っている。

 婚約者も、愛だの恋だのの結果ではない。隣に立つオリヴィエは、政治的に最適だったから選ばれた。それで何の不満もなかった。

「アーサー」

 オリヴィエが小さく声を落とす。

「この国は危ういと思います」

「あー。今さらじゃないか?次期大公があれではなぁ」

 そう言って苦笑して見せたが、オリヴィエは首を横に振った。

「違います。……もっと根本的なところで、何かが起きている感じ」

 その視線の先で、エドワードがこちらに気づいた。一瞬だけ、獣のようにぎらついた目が合う。そして次の瞬間、彼は胸を張り、両手を広げて大声で叫んだ。

「みんな見てくれ! これが真実の愛だ! 身分も立場も、すべてを超える!美しいだろう!」

 遠巻きにしていた周囲がざわめく。賞賛と困惑と、わずかな嫌悪感。

 ――もし、これが「愛」だと言うのなら。

 あまりにも、軽いのではないか。

 軽くて、危うくて。そして、まとわりつくような甘さが、この上なく不快だった。

「全く、くだらないな」

 私は、踵を返してその場から離れた。
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