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真実の愛と婚約の解消
私とオリヴィエの婚約が決まったのは、確か五歳の頃だった。
理由は簡単で、彼女が有能だったからだ。
帝国北隣、エリン王国第八王女。上に姉が七人もいるおかげで政略の余地があり、それでいて本人の能力は群を抜いている。父である皇帝がオリヴィエを強く推していたというのもある。父は有能な人材を好む。見つけ、買い、場を与える。それが帝国をここまで押し上げてきたやり方だ。正しいのだろう。少なくとも、国として結果は出している。
オリヴィエは、幼少期からすでに十三ヵ国語を操り、魔導具製作では若くして第一人者である。その功績をもって伯爵位をもらったくらいだ。
一方の私は、帝国第三皇子。母に似て顔はいい。男としてはどうかと思うが、目立って言えるのはそれだけだ。
可もなく、不可もなく。そう評価される立場が、実のところ一番楽だった。
父の期待は、私には向いていない。期待されなければ、失望もされない。前に出なければ、兄たちの足を引っ張ることもない。
「アーサー、どうしました?」
「ん、別に。考え事をしていただけだよ」
回廊を並んで歩きながら、私は肩の力を抜く。ここでは“皇子らしく”振る舞う必要はない。少なくとも、オリヴィエの前では。
「エドワード殿下の行動は、やはり少し常軌を逸しています」
オリヴィエが徐に口を開いた。考え事をしていたのは私ではなく、オリヴィエの方だ。色々考え始めると歩みが早くなるのは昔からの癖で、部屋の中にいる時はグルグルと檻の中の虎のように歩き回る。
「少し?だいぶおかしいと私は思うけど?真実の愛というのは、醜態を曝け出すものなのかな?あれでは頭が沸いていると言われても仕方がないだろう。愛に溺れるとはよくいうけれど、あれはすでに溺死してるよ」
オリヴィエが目を見開いて、慌てて私の発言を嗜めた。
「……アーサー、ダメですよ。誰かに聞かれたら国際問題です」
「では、あれが真実の愛の真実だと、皆が信じているとでも?」
「見せ物として楽しんでいる感じですかね」
「なるほど。娯楽の少ない国だからな」
ブハッと私が噴き出すと、オリヴィエも少しだけ口角を上げる。お芝居ならよっぽど良かったんですがね、といいながらカバンから出した資料を手渡された。
「残念ながら、事態は思っていた以上に悪く進行しているみたいです」
パラパラと資料を流し読みすると、どうやらあの“真実の愛”に溺れた公子は、トチ狂って財務大臣の娘である侯爵令嬢ナターリエと婚約破棄まで考えているらしい。この国で大公の次に権力を持った家で、これと婚約破棄をして、あの平民を公妃にしようものなら、クーデターが起きる。下手をすれば帝国にまで飛び火する。
「バカが……」
「私たちが今すべきは、ナターリエ嬢をこちら側につけることだと思います」
「ナターリエ嬢か……。婚約破棄を阻止したとしても、あのバカボンじゃなぁ」
「ええ。今は良くても、またすぐに別の問題を起こしそうです」
「……私が間に入るのが最適か」
私は肩をすくめた。オリヴィエは目を伏せてそれに同意する。
「私たちの婚約を、白紙に戻しましょう」
理由はわかって入るけれど、僅かながら驚いた。
「……なんだよ、オリヴィエは私に不満でもあるのか」
12年も婚約者でいたのに、と口を尖らせて冗談めかして言った。
「……ナターリエ様に、私の代わりにあなたの尻拭いをさせるのには、いささか抵抗がありますが」
「酷いな!」
そこでオリヴィエも吹き出した。
「冗談は抜きにしても、この国の在り方に問題があるとしたら、私たちが動かなければならないでしょう?」
「ああ、まあ。陛下にはそう言われたな」
「ええ、そのために私たちがここにいる訳ですしね」
「そうだった……。まあそれが一番手っ取り早いか」
「ですね。アーサーも同意見でよかったです。私たちは、良い相棒ですからね。仲違いはしたくありませんし」
相棒。
恋人よりずっと実用的で、婚約者より近すぎない、安全な距離。
「ふっ、相棒か。確かにな」
それに甘えている自覚は、あった。オリヴィエの隣は居心地がいい。私に頼らないところが寂しくもあるが、それのおかげで私は楽に息ができる。
「私は……恋というものがよくわかりません」
オリヴィエは歩き出しながら続ける。
「ですが、時に国を滅ぼすほどの力があることは、歴史が証明しています」
中庭の光景が脳裏をよぎる。
「真実の愛、か」
「ええ。便利な言葉ですよね」
「責任を押し付けるのに?」
「いえ、責任から逃げるための、ですよ。全てを投げ打っても、それが正義に満ちた尤もらしい行動であると言われるための」
思わず口元が緩む。だが、それ以上は言わなかった。感情を言葉にした途端、自分が制御できなくなる気がしたからだ。
「私も真実の愛とやらを体験してみたいなぁ」
「まあ。ではナターリエ様を愛していただかないと」
「こら、まだ本人から了承されてないだろ?それにそう言ってみたけど、私は皆の前で醜態を晒すような勇気はないからな。諦めるよ」
話題を変える。
「あーあ。何も起こらずに帰国するはずだったのになぁ」
そうして、オリヴィエと結婚して、伯爵から侯爵へ陞爵する。それが敷かれていたレールだった。あと、ほんの1年足らずだったのに。私とオリヴィエの未来は霧に包まれてしまった。
皇帝は、旨味のない国を蹂躙するつもりはないからな。政略結婚が一番、無傷でいられる。特に必要とされない私だから、尚更。
「残った面倒事は全て、オリヴィエに任せたよ」
「あら、ひどいわ」
「適任適所って言うだろ。真実の愛のお2人には綺麗に退場してもらわないとね」
彼女は、ほんの少しだけ笑った。
「そうですね、いつものように静かに後ろに控えててくださいよ」
「ははっ、そうするよ」
うわついた愛でもなければ、燃えるような恋でもない。だからこそ、疑う余地もない。
私たちのこの関係は、安定している。
――そう信じていた。
理由は簡単で、彼女が有能だったからだ。
帝国北隣、エリン王国第八王女。上に姉が七人もいるおかげで政略の余地があり、それでいて本人の能力は群を抜いている。父である皇帝がオリヴィエを強く推していたというのもある。父は有能な人材を好む。見つけ、買い、場を与える。それが帝国をここまで押し上げてきたやり方だ。正しいのだろう。少なくとも、国として結果は出している。
オリヴィエは、幼少期からすでに十三ヵ国語を操り、魔導具製作では若くして第一人者である。その功績をもって伯爵位をもらったくらいだ。
一方の私は、帝国第三皇子。母に似て顔はいい。男としてはどうかと思うが、目立って言えるのはそれだけだ。
可もなく、不可もなく。そう評価される立場が、実のところ一番楽だった。
父の期待は、私には向いていない。期待されなければ、失望もされない。前に出なければ、兄たちの足を引っ張ることもない。
「アーサー、どうしました?」
「ん、別に。考え事をしていただけだよ」
回廊を並んで歩きながら、私は肩の力を抜く。ここでは“皇子らしく”振る舞う必要はない。少なくとも、オリヴィエの前では。
「エドワード殿下の行動は、やはり少し常軌を逸しています」
オリヴィエが徐に口を開いた。考え事をしていたのは私ではなく、オリヴィエの方だ。色々考え始めると歩みが早くなるのは昔からの癖で、部屋の中にいる時はグルグルと檻の中の虎のように歩き回る。
「少し?だいぶおかしいと私は思うけど?真実の愛というのは、醜態を曝け出すものなのかな?あれでは頭が沸いていると言われても仕方がないだろう。愛に溺れるとはよくいうけれど、あれはすでに溺死してるよ」
オリヴィエが目を見開いて、慌てて私の発言を嗜めた。
「……アーサー、ダメですよ。誰かに聞かれたら国際問題です」
「では、あれが真実の愛の真実だと、皆が信じているとでも?」
「見せ物として楽しんでいる感じですかね」
「なるほど。娯楽の少ない国だからな」
ブハッと私が噴き出すと、オリヴィエも少しだけ口角を上げる。お芝居ならよっぽど良かったんですがね、といいながらカバンから出した資料を手渡された。
「残念ながら、事態は思っていた以上に悪く進行しているみたいです」
パラパラと資料を流し読みすると、どうやらあの“真実の愛”に溺れた公子は、トチ狂って財務大臣の娘である侯爵令嬢ナターリエと婚約破棄まで考えているらしい。この国で大公の次に権力を持った家で、これと婚約破棄をして、あの平民を公妃にしようものなら、クーデターが起きる。下手をすれば帝国にまで飛び火する。
「バカが……」
「私たちが今すべきは、ナターリエ嬢をこちら側につけることだと思います」
「ナターリエ嬢か……。婚約破棄を阻止したとしても、あのバカボンじゃなぁ」
「ええ。今は良くても、またすぐに別の問題を起こしそうです」
「……私が間に入るのが最適か」
私は肩をすくめた。オリヴィエは目を伏せてそれに同意する。
「私たちの婚約を、白紙に戻しましょう」
理由はわかって入るけれど、僅かながら驚いた。
「……なんだよ、オリヴィエは私に不満でもあるのか」
12年も婚約者でいたのに、と口を尖らせて冗談めかして言った。
「……ナターリエ様に、私の代わりにあなたの尻拭いをさせるのには、いささか抵抗がありますが」
「酷いな!」
そこでオリヴィエも吹き出した。
「冗談は抜きにしても、この国の在り方に問題があるとしたら、私たちが動かなければならないでしょう?」
「ああ、まあ。陛下にはそう言われたな」
「ええ、そのために私たちがここにいる訳ですしね」
「そうだった……。まあそれが一番手っ取り早いか」
「ですね。アーサーも同意見でよかったです。私たちは、良い相棒ですからね。仲違いはしたくありませんし」
相棒。
恋人よりずっと実用的で、婚約者より近すぎない、安全な距離。
「ふっ、相棒か。確かにな」
それに甘えている自覚は、あった。オリヴィエの隣は居心地がいい。私に頼らないところが寂しくもあるが、それのおかげで私は楽に息ができる。
「私は……恋というものがよくわかりません」
オリヴィエは歩き出しながら続ける。
「ですが、時に国を滅ぼすほどの力があることは、歴史が証明しています」
中庭の光景が脳裏をよぎる。
「真実の愛、か」
「ええ。便利な言葉ですよね」
「責任を押し付けるのに?」
「いえ、責任から逃げるための、ですよ。全てを投げ打っても、それが正義に満ちた尤もらしい行動であると言われるための」
思わず口元が緩む。だが、それ以上は言わなかった。感情を言葉にした途端、自分が制御できなくなる気がしたからだ。
「私も真実の愛とやらを体験してみたいなぁ」
「まあ。ではナターリエ様を愛していただかないと」
「こら、まだ本人から了承されてないだろ?それにそう言ってみたけど、私は皆の前で醜態を晒すような勇気はないからな。諦めるよ」
話題を変える。
「あーあ。何も起こらずに帰国するはずだったのになぁ」
そうして、オリヴィエと結婚して、伯爵から侯爵へ陞爵する。それが敷かれていたレールだった。あと、ほんの1年足らずだったのに。私とオリヴィエの未来は霧に包まれてしまった。
皇帝は、旨味のない国を蹂躙するつもりはないからな。政略結婚が一番、無傷でいられる。特に必要とされない私だから、尚更。
「残った面倒事は全て、オリヴィエに任せたよ」
「あら、ひどいわ」
「適任適所って言うだろ。真実の愛のお2人には綺麗に退場してもらわないとね」
彼女は、ほんの少しだけ笑った。
「そうですね、いつものように静かに後ろに控えててくださいよ」
「ははっ、そうするよ」
うわついた愛でもなければ、燃えるような恋でもない。だからこそ、疑う余地もない。
私たちのこの関係は、安定している。
――そう信じていた。
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