十二輝の忍神 ーシノビガミ― 第一部

陵月夜白(りょうづきやしろ)

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3 初陣

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第五話 初陣

 金之助は古木の根元を掘り返し、光る珠を取り出した。
 土にまみれた朱い石が、掌の中でなおも生き物のように脈を打つ。

 熱を帯びたそれを懐へ押し込んだ瞬間――背筋に冷たいものが走った。

「……!」
反射で振り向く。

 朝の森の光の中、黒ずくめの影が一歩、二歩と滑るように近づいてきた。

 気配に、まったく気づかなかった。
いや、気づけるはずがない。

 木々のざわめきや鳥の気配と溶け合い、影は最初から“そこにいないもの”のように潜んでいたのだ。

 伊賀もの――逃げた一人。
「その珠……こっちに渡してもらおうか」
 声は乾いている。

 だが乾いているからこそ、殺しの温度が抜けきっていないのが分かる。

「……いやだ!」
 金之助は声を震わせながらも、腰の短刀に手をかけた。
 指の節が白くなる。

「おまえが……じいさまを殺したのか!」
 忍びは口の端を歪めた。

 嘲るように、だがどこか悔しさを舐めるように。

「……あのじいさん、強かったな。
 黒脛巾の生き残りとは知らなかった。
 四人もやられた。俺もこの通り、左手が使い物にならん」

 片腕をだらりと垂らし、肩のあたりの裂け目を見せる。
 それでもなお、右手だけで十分に“殺せる”という余裕が滲んでいた。

「じいさまは……黒脛巾の頭だったお方だ。
 そんな方が……おまえなんかに負けるもんか」

 忍びは鼻で笑う。
「いや……じいさんはよくやった。
 だが結局、俺が勝ったんだよ、小僧」

 金之助は唇を噛んだ。
噛んだ唇の裏に血の味がする。
「この珠をどうする気だ?」

「俺たちは“持って来い”と言われただけだ。
 何に使うかなんて知らんし、知りたくもない。
 忍びってのは、そういうもんだ」

「じゃあ渡さない!」
 金之助は声を荒げた。

 喉が震えているのに、それを押し殺すように。
「知らぬなら帰れ!
 珠はじいさまの……黒脛巾の血族のものだ!」

「はは……じいさんの孫らしい態度だ」
 忍びの眼が光る。

 声が冷たく落ちた。
「なら――無理やりもらうまで」

「やってみろ!」

「いいだろう。
 じいさんのもとへ送ってやる」
 二人の間に、一瞬の沈黙が落ちる。

 森がざわめき、朝日が葉の隙間できらりと揺れた。
 空気が薄く尖り、足元の土まで硬く感じられる。

 刹那――地を蹴る音が爆ぜた。

 忍びの動きは、風より静かで、刃より早かった。
 右手一本。
その不利を“無い”ことにしてしまう速度だ。

 ひゅッ、ひゅッ、ひゅッ!
矢継ぎ早の斬撃が、空気の角度ごと変えて襲いかかる。

 金之助はまず“見えなかった”。
見えたときにはもう刃が頬の横を裂いていた。

 ちっ。
焼けるような痛み。
血が一筋、頬を伝い落ちる。

 金之助は地を転がり、木の根に背をぶつける。
短刀を抜ききる前に、もう次の刃が来る。

 ざんッ!
頭上の枝が斬り落とされ、葉が雨のように降る。

 金之助は咄嗟に身を沈め、枝の影の中へ滑り込んだ。

「どうした、小僧。
 避けてばかりでは勝てんぞ。
 おとなしく珠を渡せ!」

「……いやだ!」
喉が張り裂けそうな叫びを、金之助は吐き捨てた。

 忍びが踏み込む。
金之助が躱す。
躱した先に忍びがいる。
まるで影が増えているみたいだ。

「惜しいな。貴様も伊賀の郷で鍛えれば一人前になれる。
 だが、こんな山中では……」

「うるさい! 帰れ!」
「ああ。珠を取ったらすぐ帰る。安心しろ」
 忍びが笑い、刃を振る。

 怒涛の攻め。
木の幹が縦に裂け、斬られた樹皮がはじけて火花のように飛んだ。

 切っ先の軌道だけで周りの空気が削られ、金之助の耳が痛む。

 金之助は必死で短刀を構える。
だが構えは遅い。
遅すぎる。
刃が来る。
受ける。

 受けた瞬間、その反動で腕がしびれる。
次が来る。
 また受ける。
次の一撃で受けそこなう――
 ざっ。
肩口が掠れ、衣が裂けた。

 浅いが熱い。
血がにじむ。
 胸の奥が焼ける。
呼吸が荒れ、全身が限界を訴えていた。

 そのとき――
懐の辰の珠が、さらに眩く輝いた。

 どくん。
珠の脈が、金之助の胸に直に叩き込まれる。
 次の拍で、世界がひっくり返った。

「……っ!」
稲妻のような衝撃が全身を貫いた。

 視界が白く弾け、耳鳴りが轟き、身体が一瞬硬直する。
忍びの刀が振り下ろされる――

 はずだった。
刃が落ちてくるのが、異様に遅い。
落ちる前の筋肉の収縮。

 足の運び。
呼吸の吐き方。
 視線の置き場。
すべてが透けて見える。

 まるで水の底で戦っているみたいに、
忍びの速度だけが沈んだ。

「……どうした、小僧?
 急に動きが……」
 忍びの声が遠い。

 金之助は考えなかった。
いや、考える前に身体が動いた。
短刀が、閃いた。

 ずしゅッ。
右腕へ一閃。

 骨を砕く感触が掌に返り、
忍びの刀が宙へ跳ね上がった。

「なっ――!」
忍びがよろめき、身を引く。

 その瞬間――
金之助は、もう背後にいた。

 足が勝手に“そこへ行った”。
気づけば、忍びの死角へ滑り込んでいた。

 横一文字の閃光。

 しゃっ。
忍びの首筋が裂け、
赤い線が一拍遅れて開く。

 鮮血が噴き上がり、朝日の中で霧のように散った。
忍びの身体が前のめりに崩れ落ちる。

 土に膝がつき、
手が伸び、
そして動かなくなった。

 金之助は荒い息を吐き、
血に濡れた短刀を握りしめたまま立ち尽くした。

「……え?」
一番驚いたのは、自分自身だった。

 敵が死んだことより、身体が勝手に動いた感覚のほうが恐ろしい。

 心と体が切り離され、
別の何者かに操られたような、薄い寒気が背中を走る。

 それでも結果はひとつ。
敵は死に、じいさまの仇は討たれた。

 だが、胸の熱と珠の脈動は止まらない。
むしろ燃え上がったまま、金之助の内側を震わせ続けていた。

 伊賀の忍びの屍の前で、
金之助の体は小刻みに震えている。
血の匂いが鼻を突き、
短刀の柄に残る温かさが、現実の重さを突きつける。

「……俺が……やった……」
自分に言い聞かせるように呟く。

 だが声は掠れ、すぐに森の静けさに飲まれた。

 次の瞬間、胸の奥で何かが弾けた。
心臓が乱れ打ち、呼吸が浅くなる。

 頭が割れるように痛み、全身が鉛のように重くなった。

「……っ……はぁ……」
寒気が背を走り、膝から力が抜ける。

 その場に崩れ落ち、土に手をついた。
息が苦しい。喉が焼ける。
体が動かない。

 なぜだ。さっきまで――。
 ――このままでは死ぬ。
脳裏にじいさまの声がよぎる。

 「西へ行け。江戸を避け、西を目指せ」
 そうだ……逃げねば。
ここで倒れていれば、次の追っ手が来たとき、ひとたまりもない。

 五人とは限らない。もっといるかもしれない。

 はやく……立たねば。
 はやく……西へ。

 だが、全身を黒い泥のような闇が覆い、視界を閉ざしていく。
 金之助の手から短刀がこぼれ落ち、乾いた音を立てた。

 最後に浮かんだのは、戸兵衛の背中。
燃える囲炉裏の前で、煙管をくゆらせていた姿。

「……じいさま……」
その呟きとともに、暗黒が金之助を包み込んだ。
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