十二輝の忍神 ーシノビガミ― 第一部

陵月夜白(りょうづきやしろ)

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16 怪物と覚醒

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第三話 怪物と覚醒

 鉄と鉄がぶつかり合い、乾いた轟音が灰の町に響いた。
 鉞が唸りを上げて振り抜かれるたび、石畳の上の火山灰が波のように跳ね、空には橙の火花が散る。

 忠壽の刃は黄色く燃えている。月明かりでも焚き火でもない、珠そのものの光。

 対する武蔵の鉞は血に濡れ、刃の縁に赤黒い脈動が這い、獣が喉を鳴らすように低く振動していた。

 「おおおおッ!」
 忠壽が踏み込む。

 重い鎧を着ているとは思えぬ踏み込みだった。
 地を削るように前へ滑り、刃を一気に斬り上げる。

 ――キン、と空気が裂けた。
 黄色い閃光が走り、武蔵の胸元を斜めに裂いた。

 肉が開き、灰色の風に赤が舞う。
隻眼の巨体が、ほんの一瞬だけたじろぐ。

 「ぐぬ……!」
だが次の瞬間、武蔵の顔は歪んだ笑いに戻った。

 痛みそのものを“面白がる”ような目。
彼は裂けた胸を片手で押さえもしない。
 腰の酒袋を引きちぎり、喉へねじ込んだ。

 ごくり――。
酒が落ちた途端、裂けた肉が不気味に盛り上がる。

 血が、逆流するように傷へ吸い戻され、赤黒い筋が縫い目のように走る。
肉が閉じ、皮が繋がり、骨の軋みが消える。

 「がははは! 効くなぁ……だが終わりじゃねえぞ!」
 武蔵の鉞が、再び空を割った。

 今度の一撃は更に重い。
石も瓦も避ける暇がないほどの落下。
 忠壽は刀を横に構え、真っ向から受け止めた。

 ――ドンッ!
衝撃が忠壽の両腕を通って全身へ叩きつけられる。
 膝が軋み、足下の石畳が沈み、灰が噴き上がった。

 だが、その瞬間だった。
忠壽の胸の奥を、針の束で貫かれるような鋭い痛みが走った。

 「くっ……!」
 刃を押し返しながら、喉の奥が焼ける。
体の内側が“沸き立つ”――いや、沸き立たされる。

 血が逆流するように脈打ち、鼓動が一つずつ爆ぜるみたいに重くなる。
黄色の光が、いっそう強く瞬いた。

 次の瞬間、耳鳴りが広がり、世界が短く無音に落ちる。
 武蔵の声も、火花の音も、遠くへ行った。

 (……これは……まさか、この力の代償……?)
 珠が身体を引き裂くほど押し広げているのが分かる。

 力は溢れてくる。だが“溢れすぎて”、器が軋む。
 その異変を先に察したのは金之助だった。

 忠壽の踏み込みが一瞬ぶれたのを見逃さず、叫ぶ。
「忠壽様! 無理だ、下がってください!」

 だが忠壽は視線すら動かさない。
歯を食いしばり、武蔵の鉞を押し返すように前へ踏み込む。

「退かぬ! この刃で、必ず奴を討つ!」
その声は震えていない。
 痛みの中でなお、意志の芯だけが鋼のように冷たい。

 武蔵は獣のように吠えた。
鉞を振りかぶり、裂けた筋肉をさらに引きちぎる勢いで突進してくる。

 血が噴き、骨が鳴る。
それでも武蔵は止まらない。
 食らい、飲み、再生しながら、ただ“ぶつかり続ける”。

 「化け物め……!」
忠壽は呻きながらも、刃を振り抜いた。
 黄金の線が灰の闇を切り裂き、武蔵の鉞と何度も火花を散らす。

 背後で鉄之介が歯噛みする。
助太刀に入る距離を測りながら、忠壽の背中が“限界の縁”に立っていることを感じ取っていた。

 金之助の懐でも、辰の珠が苛立つように脈動している。
 まるで、この戦いの行き先を知っているかのように。

 朱、紅、そして黄。

 三つの輝きが交錯し、灰に沈んだ館林の空気を灼き、地獄の輪郭をはっきりと照らし出していく。

 ――だが、忠壽の胸の奥の痛みは、確実に深くなっていた。
 この光はいつまで彼の身体に収まるのか。

 その答えを待つ暇もなく、武蔵の影が、さらに大きく迫ってくる。

第四話 激闘の果て

 武蔵の鉞と忠壽の刀が、幾度も真正面からぶつかり合った。
 鈍い轟音が灰の街道に反響し、一撃ごとに地面が唸る。

 石畳は割れ、火山灰は波のように巻き上がって、二人の周囲に濁った霧を作った。
 空気そのものが重い。呼吸をするたび喉がざらつき、血と硫黄と灰の匂いが肺の奥に溜まっていく。

 「がはははッ! どうした、白河の小僧! この俺に勝てると思ったか!」
 武蔵は胸を裂かれ、腕を抉られながらも笑っていた。

 裂けた筋肉が盛り上がり、血が止まり、傷が塞がっていくたびに、その笑みは一段と獣じみていく。

 まるで“痛み”を薪にして強くなる怪物。
鉞は振るうたび重さを増し、空を切る音だけで周囲の黒屍人すら一瞬足を止める。

 忠壽はその怪力を、黄色の光をまとった刃で受け止め続けていた。
 だが――胸の奥が、また鋭く疼いた。

 (……まただ……!)
 耳鳴り。
世界から音が剥ぎ取られるような、一瞬の空白が走る。

 焚き火の爆ぜ、瓦礫の崩れる音、黒屍人の呻き声、すべてが遠ざかり、灰の中で“無音の穴”が開く。
 その無音の一瞬に、武蔵の鉞が迫っていた。

 気づくのが遅れる。
視界の端に黒鉄の刃の影が割り込む。
 「お侍様っ!」
金之助の叫びが、遅れて忠壽の耳に落ちた。

 忠壽は本能で身を捻った。
――ギャリッ。
鉞が肩口を掠め、火花が散る。

 鎧の縁が裂け、羽織が飛び、熱い血が一筋、肘へ伝って落ちた。
 だが、致命には届かない。
それだけの“紙一重”を、忠壽は歯を食いしばって引き寄せた。

 それでも忠壽の眼は死んでいなかった。
痛みの奥で、なお燃える炎がある。

「退かぬ……! ここで退けば、すべてを失う!」
声は低いが、揺るぎはない。

 この地獄を守るのは、自分の使命だという矜持。
 その矜持が、午の珠の暴力的な力と結びつき、忠壽の全身を黄色く震わせた。

 武蔵が吠えるように突進した。
鉞が頭上を割る。
灰煙が渦を巻き、空が裂ける。

 忠壽は動じない。
むしろ、そこへ“踏み込んだ”。
刃の黄色い光が、ぎゅっと収束する。

 刀身の周囲にまとわりついていた光が、一本の閃光へ凝縮され、刃先に鋭さを与えたのがわかる。

 忠壽は足を深く踏み込み、地を抉るように踏ん張ると、

 ――一閃。
黄色の刃が、武蔵の肩口から胸へ深々と食い込んだ。
 音が遅れてついてくるほどの速度と威力。

 肉が裂け、骨が鳴り、血飛沫が灰の霧に朱を散らした。

「ぐぉぉぉっ!」
巨体が仰け反り、黒鉄の鉞が地に落ちる。

 石畳がえぐれ、灰が爆ぜた。
「お侍様!」
金之助が駆け寄ろうとした。

 だが忠壽は肩から流れる血も拭わず、片手で制する。
「下がれ……まだ終わっていない」

 呼吸が荒い。
膝は僅かに震える。
 だが、視線は武蔵から外れない。
ここで油断すれば、今の一撃が“無意味”になる。

 武蔵は膝をつきながら、肩で笑った。
唇の端から血を垂らし、反吐を吐くように言う。
「がは……はは……効いたぜ……」

 彼は懐へ手を伸ばす。
酒袋を探る――指先に触れたのは、空の皮だけだった。
 「……ちっ」

 干し肉を引きちぎろうとする。
だが袋は裂け、灰と血に汚れた残骸しか残っていない。

 その瞬間、背後から佐野の冷たい声が飛んだ。
「おい武蔵、立て! まだだ、奴を倒せ!」
命令というより、氷の刃。

 情よりも計算で人を動かす声。
しかし武蔵は振り返りもしない。
 裂けた胸を押さえ、荒い息のまま、笑うだけだった。

「無理だ。食いも酒もねえ。これ以上やったら、俺の体がもたねえ」
 刃を鈍らせる“空腹”。
武蔵にとって飢えは死と同義だ。

「命令だ!」
佐野の声が一段低くなる。
 拒否は許さない、という冷酷な圧。
「ここで斬れ!」

 武蔵は鉞を肩に担ぎ直す。
血と灰に濡れた顔で、薄笑いを浮かべた。

「……あいにく、俺は死ぬ気はねえ。悪ぃな」
 その言葉と同時に、巨体はずしりと背を向けた。

 黒い灰の街路を割って歩く背中は、まるで戦場の理不尽そのもの。
 豪胆で、危険で、そして――“従わない獣”。

 佐野の頬が僅かに歪む。
怒りがある。
 だが、今ここで武蔵を失えば計が崩れると理解してもいた。

「追え! 追うのだ!」
家臣に命じる。

 だが、誰も動かない。
七人いた家臣はすでに二人失い、残る五人は、武蔵の背に縋りつくように逃げるだけだった。

 武蔵の撤退は、彼らにとって“生きる口実”になってしまう。

 佐野は舌打ちした。
「……仕方あるまい」
 馬首を返す。

 黒い灰煙の中で、闇の軍勢は音もなく引いていく。
 まるで初めから“この地獄そのもの”だったかのように、ただ闇へ溶けた。

 残されたのは、
黄色の光をなお放つ忠壽。
荒い息を整える金之助と鉄之介。
そして、民を庇い、立ち尽くすお菊。

 灰の闇は消えない。
けれど――この瞬間だけ、館林の地獄に“人が守った光”が確かに残っていた。

 武蔵と佐野の一行が灰煙の向こうへ溶けるように消えた。
 残ったのは、砕けた石畳と舞い落ちる灰の音、そして呼吸の荒さだけだった。

 だが――静けさは安堵ではない。
戦いの余熱がまだ空気を焦がし、どこかで黒屍人が這う気配が、皮膚の裏を冷たく撫でていた。

 忠壽が刀を下ろした瞬間、足元がふらりと揺れた。
 午の珠の光は、まだ刀身に淡く残っている。

 しかしその淡い輝きと裏腹に、身体の芯が錆びた鉄のように重い。

 (……息が、うまく吸えん……)
 耳の奥で“ざあ…っ”という鈍いノイズが鳴り続け、世界の輪郭が薄く滲んでいた。

 あの無音の空白が、いまも体内に巣を作っているようで、呼吸のたび胸がかすかに軋む。

 「忠壽様!」
お菊がすぐに駆け寄り、その腕を支えた。
 灰と血にまみれた手でありながら、その動きは迷いがない。

 彼女の指は冷えていた。
民を逃がし続け、祈り続け、恐怖の中で立ち続けた指だ。

 「お怪我は……!」
息を切らした声。
 その瞳は潤んでいるのに、揺らぎはない。

 忠壽は小さく首を振り、無理に姿勢を正した。
 傷口から伝う血の熱も、いまは感じないふりをするしかない。

 「……大事ありません。どうか、心配なさらず」
 そう言いながら、視線はお菊ではなく、彼女の背後――逃げ遅れた民の方へ向いていた。

 彼女ひとりに背負わせていたものの重さが、ようやく胸に落ちる。

 「民を救ってくださり……そして、私を……」
 お菊は言葉を探し、喉を潤すように息を吸った。

 「ありがとう」
 疲れ切った声のはずなのに、そこには確かな温かさがあった。

 それだけで、忠壽の胸の奥にこびりついていた冷たさが、少しだけほどける。

 金之助が短刀を収め、二人の前へ出た。
血と灰を浴びた少年の顔は青白い。
だが、その目だけは真っ直ぐだった。

 「俺は……白霜村(しらしもむら)の金之助です」
 名乗る声は震えそうで、それでも押し返すように強く響いた。

 お菊が目を見開く。

 「陸奥の山奥の小さな村です。……そこで、じいさまと二人で暮らしていました」

 「俺の家は、昔……伊達政宗公に仕えていた“黒脛巾(くろはばき)”の一族だそうです。
 じいさまは、その頭だったと……。
 そのじいさまから――この珠を守れって、託されました」

 珠が、呼応するように淡く脈を強めた。
朱色の灯が少年の指の間から洩れ、灰の闇に小さな“生きた色”を落とす。

 お菊は、その光を見つめながら、胸の前で手を組んだ。
祈りの仕草が自然に体へ馴染んでいる。

 「……やはり」
小さく零れた声には、確信と、恐れと、そしてどこか遠い懐かしさが混じっていた。

 その横で鉄之介は、まだ終わっていなかった。
 瓦礫の陰に潜んでいた黒屍人を見つけるたび、獣のように吠えて叩き潰している。
 「おらぁっ! まだいるだろ、出てこい化けモンども!」

 紅の光をまとった大槌が振るわれるたび、
 灰の塊が爆ぜ、黒屍人が粉になり、風に散っていく。

 最後の一体が崩れ落ちたところで、鉄之介はようやく息を吐き、額の汗を乱暴に拭った。
 「はぁ……ったく、きりがねえな。
 ……でもまあ、片付いたか」
 振り返って歩み寄り、にやりと笑う。

 その笑みは軽いのに、目の底がやけに真剣だった。
 「お侍、ガキ、巫女さま。
 みんな無事でよかったな」

 “巫女さま”と呼ばれて、お菊が一瞬だけきょとんとした。

 だが、すぐ小さく笑みを返す。
彼女の頬に、灰の筋がついているのが妙に痛々しい。
 忠壽は三人を見渡し、低く言葉を落とした。

 「辰の珠、酉の珠――そして、午の珠」
 「……三つが、ここで揃った」
 焚き火のない街路で、三つの色が静かに呼吸している。

 朱、紅、黄。
それぞれが違う温度で脈打ち、互いを探るように微かに揺れていた。

 「偶然とは思えぬ」
忠壽は言い切るように続けた。

 「……いや、必然だ。
 珠が、己の道を選んでいる」
 お菊は目を閉じた。

 胸の奥で、長い年月封じてきた“祈りの記憶”がゆっくりと目を覚ます感覚があった。

 「三つの光が揃う……」
瞼を開き、彼女は三人を見た。

 「……これは、きっと運命に違いありません。
 けれど運命は、優しいものではありません。
 珠は、人の願いだけで動くものではないのです」

 その言葉は巫女としての覚悟であり、警告だった。

 灰に沈んだ館林の街路。
瓦礫の向こうには、まだ黒屍人の気配が蠢いている。

 そして更に奥には――佐野政親という冷たい意志が待っている。
四人の影が、灰の地面に並ぶ。

 その中心で、珠たちは静かに脈を合わせ始めていた。

 新たな戦いの幕は、もう上がっていた。
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